NUMO

2019年9月 6日 (金)

政治的中立


愛知県の展示会で慰安婦像と思われる少女像が出品されたことで河村名古屋市長ら嫌韓族が騒ぎ出し展示会がつぶされた。

地方自治体が、政治的な表現を公的な施設でどこまで受け入れるのか難しいという問題がある。金は出すが口は出さないとか愛知県知事の発言もある程度理解できる。

しかし、知事や市長村長の政治的中立というのは、あり得ないと私は思う。首長は政治家なのだ。公的施設の利用や行政の在り方にその政治的信念が反映するのはやむを得ない。
私は東洋町長在任中に、女性職員二人を東京の慰安婦問題の集会に派遣したことがあった。町長のメッセージを持たした。

若い職員に日本の侵略戦争の真相を知ってもらう必要があると考えたからである。また、高知の西の方の大月町に使用済み核燃料の貯蔵受け入れの話があった時にバスを1台出して町長自身を含め職員や住民をその地元の集会に参加させたこともあった。

また、核武装を唱えるある新しい政党が東洋町の施設で講演会を開きたいので会場を貸してくれという申し出があったが、これを私は拒絶したことがあった。その政党の女性活動家が政治的中立性がないなどと執拗に食い下がってきたが、絶対に施設は貸さないと峻拒した。私は政治的中立性ではなく、私の政治的信念を通すことが大事だと思ったし、それで正しいと思う。
もしNUMOが東洋町に再び現れて高レベル放射性廃棄物の説明会をやりたいと申し込んできても、公的施設の利用は認めなかったであろう。

「金は出すが口は出さない」という知事の発言は、そういう形で少女像を守ろうとするぎりぎりの政治的表現であろう。
人は、どちらの見方にもならない、天にも地にも所属しない空中を漂う存在ではありえないのである。

横浜市長のカジノ「白紙」の発言も「推進」の別の表現だったわけだ。
「政治的中立」の主張は、政治的に抑圧されて公共の施設の利用や道路での示威行動を拒絶されたり、著作物の出版が禁止されるるなど表現の自由がうばわれるときに被抑圧市民の人権を守る戦いの武器である。

戦争を憎み、核兵器や原発を憎み、人権を守ろうとする者には、一本の道しかなく政治的中立などは存在しない。
たとえその者が知事や市町村長であってもだ。

もちろん、首長の場合、自分の信念と相違するからといって、あるいは自分に不利益になるからといって、何でもかんでも反対したり禁圧するというわけにはいかない。その判断は憲法など法令の趣旨やその自治体の条例や慣例、またひろく人倫の公序良俗に依拠し説明できるものでなくてはなるまい。

| | コメント (0)

2019年8月20日 (火)

六ケ所村視察旅行

脱原発を目指す首長会議が六ケ所村など青森の原発施設視察旅行を企画し、私もこれに参加した。東洋町の高レベル放射性廃棄物騒動の、根源を製造する施設である。

この施設で全国の原発の使用済み燃料を集め、再処理してプルトニウムを取り出しこれをまた原発や高速増殖炉の核燃料に仕上げ、またそれを使った燃料からプルトニウムを取り出し・・・という夢の核サイクルの施設であるが、それはまた無限の高レベル(低レベル)放射性廃棄物を生産する施設でもある。今それは破綻し成功するという見通しも立たないが、政府や電力会社は止めようとしない。

高レベル放射性廃棄物はこの六ケ所村には置くことは許されていない。政府はこれを日本のどっかで地層処分するという法律を作っている。経産省やNUMOが血眼になってその最終処分場を探してきた。

小さな日本一貧しい東洋町はこの企てに巨大な拒絶の鉄槌をくらわした。もはやどこの市町村も自ら手を挙げて受け入れようとするところはないだろう。民主主義が続行する限り国がどこかに勝手に押し付けて建設するということもできない。

何億の札束を積まれようともプルトニウムの人工活火山を故郷の町や村に作ろうという人間は決してその村や町の多数派にはなれない。

今、最終処分場がないまま、日本は、高レベル放射性廃棄物や何万トンともいう膨大な使用済み燃料を地震・津波という大蛇の餌食に供しようとしている。これからこれら今でも始末に負えない毒物をさらに増やそうというのは狂気というよりほかにない。

①原発の稼働、②再処理工場の稼働、③その廃棄物の最終処分をめぐって、巨大な国民的騒動が起こらなくてはならない。これまでの裁判闘争は①に集中していたが、むしろ③の方から②、①に攻め上るという方策が必要である。

特に③については現在①や②の施設内に保管される方策がとられているが、これは違法状態であることをはっきりさせる必要がある。

国の法律(「核原料物質、核燃料物質及び原子炉に関する法律」43条3の5第2項8)には原発設置の許可申請の段階で使用済み燃料の処分法について明確にする義務が規定されていて、施設内に保管するなどというのは処分方法には当たらないのであるから原発稼働の許可は無効となる。

原発の稼働をめぐる裁判では、安全かどうかの判断は裁判官の恣意の裁量に左右される。権力におもねる裁判官では原告は100パーセント敗訴する。だが、核廃棄物の処分をめぐっては、裁判官の恣意のはいる要素はほとんどない。

核廃棄物の処分をめぐってこそ国民運動、裁判闘争が必要である。稼働する原発の脅威ももとよりだが、残存する核廃棄物の脅威はさらに大きい。福島第一でももし使用済み燃料に火がついていれば、今頃関東地方はどうなっていたかわからない。

核廃棄物、その地層処分をめぐる問題(闘争)こそ国民の圧倒的賛同を得、勝利の道が望めると考える。
今回の視察旅行で私はこのことを痛感した。

| | コメント (0)

2019年8月 5日 (月)

無題

原発の問題には、ウランを掘り出しこれを精錬して燃料に仕上げることを第1都市、第2に原発の建設と稼働、第3に使用済み核燃料の処理、そして第4にこれらの過程で出てくるさまざまな廃棄物や汚染物の処理である。それに言うまでもなく第5に、事故による放射能の汚染と被害の処理が加わる。

中でも第3の使用済み核燃料の処理の問題は、もはや人類が自らの力では処理できない最大の難題である。
今、どのように考えても各原発の敷地に残されている核燃料は処理のしようがない。日本だけでなく韓国にも中国やアメリカ、ヨーロッパ地上いたるところにいながら貯蔵されている。原子炉のような多重バリャなどもなく、ほとんど野ざらしにされている。既に処理するには遅すぎるのである。処理できないものを作ったのだ。

本来ウラン燃料はつくってはならないものなのだ。
何千年、何万年も安全に貯蔵管理するなどということは到底不可能である。これを地下に埋めるといっても地震がくれば一発でお陀仏である。
少なくとも日本は原発はもとよりであるが全国に散在するこの使用済み核燃料の噴出毒素で死滅的打撃を受けるであろうことは間違いない。
原発反対を言うのは、その被害を0にするためではない。それの被害を軽減したり、先延ばしするというだけだ。

近い将来今持っている核燃料やその使用済みのもの、六ケ所村などにある高レベル放射性廃棄物などが日本列島に住む人間に襲い掛かってくることは避けることはできない。地震や津波を避けることができないのと同じである。福島第1原発事故で最も恐れられたのは(今もそうだ)、施設に貯蔵中の使用済み核燃料の崩落事故による巨大な放射能汚染であった。1か所だけでも日本列島の大半を失う規模だ。

悠遠の地球の歴史の中で人類はいつかは滅びるが、処理不能、管理不能の猛毒物質を作った日本列島人類は、早くて百年か長くても数百年のうちに滅亡する可能性が高い。人間が、濃厚な放射能と共存できるようになるとは考えられない。


Windows 10 版のメールから送信

| | コメント (0)

2019年5月 5日 (日)

哀悼

高知県安芸郡東洋町生見の弘田祐一さんが本年5月1日に亡くなった。丁度82歳だったとのことである。昨日葬式が終わってから甲浦の方から私に知らせがあった。その人も死亡したことを昨日まで知らなかったとのことである。

弘田さんは国家公務員で退職してサーフィンで有名な生見海岸の集落に住んでおられた。
弘田さんは2007年~2008年の東洋町での核廃棄物闘争の最も重要な人物であった。

彼は早い段階で反対運動に立ち上がり、高レベル放射性廃棄物埋め立て処分場反対の条例制定請求の署名運動、それに続く町長リコール請求運動の中心人物であった。私は表面に立ったが弘田さんは裏方に徹し東洋町の町民闘争を最後まで支え続けた。

私は当事者として弘田さんに感謝しなければならないが、また、日本国民を代表して弘田祐一氏に感謝の言葉を捧げたい。彼は、激動の中で常に冷静で穏やかであった。人格として完成された感があった。

私は、市民オンブズマンとして死ぬまで戦って生きるつもりであるから、天国でしばらくご冥福を待ってもらって、私のゆく手をお守りくだされ。

ただ哀悼の思いでいっぱいである。

| | コメント (0)

2018年6月27日 (水)

朝日新聞社説 核のごみ処分

News & Letters/638
本日6月25日朝日新聞朝刊に高レベル放射性廃棄物の処分問題について
政府を批判する社説が掲載された。全く新味のない陳腐な意見である。
政府は国民からの信頼を得なければ議論が進まないという。
朝日の主張を整理すると
①最終処分場は必要である。
②核のゴミ処理の話は原発推進や核燃料サイクルと切り離さなくてはならない。
③現在のトップダウン方式ではなく
 日本学術会議が提案するように「第三者機関」を設置して議論をすべきだ。
④国民の意見を謙虚に聞き、信頼を得るところから始めるべきだ。
私の批判:
 第一に、政府の原発推進政策と切り離して議論というが、切り離すことはできないし
  切り離してはならない。なぜなら原因と結果だからだ。
  結果だけ一生懸命論じて対策を講じても次々と原因が問題を増大させ結果を深刻化し    ているのである。
  「核のごみ」問題は、原発・核燃料リサイクル政策と不可分なのである。
 第二に、政府が一方では「核のゴミ」の処理を言いながらその「ゴミ」を増産している    矛盾した
  政策を実行している事実を指摘し糾弾すべきなのだ。原因と結果のうち原因に目をつ    ぶるとこの矛盾は見えなくなる。政府が国民から信頼されない最大の問題は、この矛    盾点だ。
 第三に、政府が自民党ら原発推進派でなく原発の稼働を止める権力であれば、
  あるいは、日本学術会議が提唱する方式でやれば、それでは 「核のゴミ」の処理に    関する議論は国民に受け入れられるであろうか。この点について朝日は楽観的のよう    だ。
これこそ 難中之難無過此(なんちゅうしーなんむかし) であって、無知蒙昧の住民が住む地域だと思ってやってきてもむしろそのようなところが強固な抵抗を示すのである。放射能の危険性を知らない無知蒙昧の地域は日本には存在しない。
むしろこの超危険な有害物質は、地域や自分の利益を顧みず英雄的な犠牲心の横溢した住民が住むそのようなところにもっていかねば受け入れられないだろう。
自分たちや子孫が放射能の毒素をかぶり様々な病気で苦しみのたうちながら死んでいく、それでもかまわないという高度に倫理的な人間集団が住む
地域をつくらなければ、「核のゴミ」は受け入れられないだろう。
朝日新聞は、現実の結果から原因を隠して国民の信頼を得るという姑息な目くらましを捨てて、核廃棄物を受け入れる並外れて高度な人倫の完成体を作るために努力をするべきではないか。
ところでこの「核のゴミ」という表現はやめるべきだ。我々の日常の生活廃棄物のゴミと同程度に軽く考えられるニュアンスがある。そのものズバリの高レベル放射性廃棄物など科学的な言葉をつかうべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月20日 (火)

高知新聞「核廃迷走」 の続き

News & Letters/620
交付金の餌と放射能への無知を利用して応募地を募り、そこを即適地として最終処分場を建設するという目論見は東洋町で最終的にとん挫した。
そこで政府は、新たな手法として科学的有望地を選定し、上から国民の合意を「形成」するというやり方に転換した。
しかし、合意「形成」として金で学生を動員したりして努力しているがかえって国民の不信と反発を買ってなかなか進まない。
国民の最終処分場への合意形成、その前提となる「国民が決断を下す環境」(連載記事⑧)が整うのが大前提だが、高知新聞はその「環境」について何も語らない。まともな新聞社は少なくとも次の二つは言わなければなるまい。
すくなくとも、
第一に六ケ所村の再処理工場を止めることだ。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出すという
工程からは元の燃料の何層倍(ある試算では少なくとも6倍)もの新たな核廃棄物が生まれる。
第二に原発の稼働をやめることだ。
これら二つの「環境」整備は核廃処分について国民合意の絶対的な条件である。
その二つ条件を満たしてもそれでもやはり国民の合意形成は超困難である。自分の住むところや近隣に核廃棄物が埋められるということを当事者として想定してみればすぐわかることだ。自分のところ以外のどっかを想定するからそれが実現できると思い込むのである。
そこで政府が以前から持ち出しているのが「中間貯蔵施設」での暫定保存である。
中間というのは
①原発と最終処分との中間という意味と
②原発と再処理工場までの中間という二つの意味がある。
②のコースは破綻しかかっている。問題は①のコースであるが、最終処分場の建設はほぼ絶望的であろうから、中間施設での管理を永続的に進めるという方策しか道はない。これは玄海町だけなく、原発があるところでは今の状況では容易に実現可能である。
すでに使用済み核燃料を原発施設内で中間貯蔵を行っているからである。
政府は最終処分場建設を模索しながら、実際には中間貯蔵施設への転換を推し進める。
埋め捨てをもくろむ地層処分の危険性よりも地上施設での管理はなお一層危険である。
原子炉のような何層ものバリャもなく、永久貯蔵のためのセキュリティも備えない中間施設をなし崩し的に長期貯蔵施設
⇒永久施設に転用する企みの欺瞞性は隠すことはできない。東洋町を経ていまや国民は容易に騙されない。
そして、最後に言わねばならない。
最終処分にしても中間貯蔵の永久化にしても国民の合計「形成」は容易ではない。
引き続きマスコミのフェイク宣伝の力を借りながら政府の最後の手段は、沖縄の辺野古基地建設強行の方式をとることである。
強権を発動して処分場の建設を強行しだすことは目に見えている。それはここ十年か二十年に迫っている。
その時に日本人民はどのような戦いをするのか、これまでのような法廷闘争や住民投票などの平和的な方式だけでは勝てないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月18日 (日)

続 高知新聞「核廃迷走 東洋町から10年余」について

News & Letters/619
この連載の最後⑧に、国が主導する最終処分場の選定のための「科学的特性マップ」をもとにした国民への説明会を取り上げ、説明会へのやらせ動員のフェークが露呈した事を取り上げた。このような世論操作の例として九電のやらせメールもとりあげ核廃や原発稼働に対する「国民の不信感」、「不信続く処分事業」を強調する。
国や電力会社への国民の不信はそのとおりだが、それでは、高知新聞が東洋町の「騒動」前、その後の新聞広告でNUMOの核廃最終処分場(地層処分)の安全広告を繰り返したのは、どのように説明する。?
連載記事⑦で、日本学術会議の核廃問題についての提言を取り上げたが、その提言で日本列島では核廃問題を解決する地層処分は不可能だという最も核心的な疑問的提言を記事から没却したのは何故だ。
連載記事⑦で日本学術会議の提言で核廃の「暫定保管」を紹介しているがそれは、日本における核廃の最終処分としての地層処分に対する疑問を前提にしている。「長期に安定した地層が日本に存在するかどうかについて、科学的根拠の厳密な検証が必要である。日本は火山活動が活発な地域であるとともに活断層の存在など地層の安定性には不安要素がある。」(2012年9月12日日本学術会議(「回答 高レベル放射性廃棄物の処分について」)
地層処分の有益性を宣伝した新聞社が日本学術会議の核心的提言を隠そうとするのは自然なことだ。
国民の死活に係ることで、政府や電力会社のフェーク宣伝を紙面いっぱいにして広告費を稼ぐ新聞には倫理も正義も何もないのか。
東洋町の「騒動」のことも「表面化したのは2006年9月。」(連載記事④)という。それは確かに私が9月の室戸市議会で東洋町の核廃問題を質問通告したとき、それを契機にして高知新聞が取り上げたのが最初でそれから「騒動」は本格化した。
だが、高知新聞の室戸市局は、私が知る何か月も前から東洋町役場や議会の核廃への極秘の動きを知っていたが東洋町長との約束でそれを伏せていたという。新聞社の使命は、国民に対して一刻も早く真実を報道することだ。
敵側の体制が整うまで攻められる国民には情報を隠してもよいという姿勢が、報道機関の誠意であろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月23日 (土)

不可解な社説

News & Letters/612
高知新聞本年12月22日朝刊の社説で「MOX燃料高騰」について論評があった。
不可解な点がいくつかある。
1、「原発政策の矛盾の象徴だ」という見出しが出ているが、どういう矛盾かはっきりしない。
MOX燃料の高騰が原発政策の何に矛盾するのか。例えば原発は他の発電よりも安価だからという政策選択と矛盾するというのら分かるが、その指摘は全然ない。その場合燃料が5倍になれば発電コストはどうなるか書かねばならない。高新のいうのは、核リサイクルを続ける限り高いMOX燃料を使い続けねばならない、ということだ。
それは矛盾というより他の発電よりも格安だという原発稼働の一つのよりどころが燃料の点からも破綻しているいうことであろう。
高新:「問題は、核燃サイクルを続ける以上、高騰するMOX燃料を調達するしかないことだ。」
しかし、それは外国から購入している現状ではいえるが六ケ所村の再処理工場が完成し稼働し始めれば核燃サイクルは表面上何も矛盾を持たなくなる。矛盾なのは、プルサーマルしか行き場のないプルトニウムであり、先日高新に談話が載った元立命館大の大島教授が指摘する通り、保有するプルトニウムを消費して減量するためにそのプルトニウムを消費する以上にそれを多量に産出する行為を推し進めているという点であろう。
それが表面的な矛盾であるが、プルトニウム保有・量産体制は他にもっと大きな合目的な恐るべき計画がある。すなわち原爆開発の原料の確保である。
真実の矛盾は、平和利用の原発が、どこの国よりもなお日本では、現代戦争の最高の武器の生産工場になっているという点である。
2、高新:「もう一つは、たまっている使用済み核燃料の行方だ。日本は高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場も先送りしてきた。」
  「サイクル政策をやめれば、処分をめぐる問題が一気に浮上しかねない。」という。
使用済み核燃料の行方は決まっている。六ケ所村の再処理工場であり、それまでは各原発の敷地内のプールに貯蔵することだ。
高レベル放射性廃棄物は使用済み核燃料の再処理によって出てくるものである。サイクル政策があって初めて高レベル放射性廃棄物の最終処分場が問題になる。しかし、日本の高速炉が破綻しサイクルが破綻しようがうまく回ろうが、日本で再処理しようが外国でそれをしようがMOX燃料を原料にする限り
再処理を前提にしているのであって、高レベルの核廃棄物の処分場問題は切迫した問題としてすでに現実問題なのである。
高新の社説は、混乱し、今日の核の問題の核心と現実をそらすかのような論調である。
ただし、高新が言う通り、核リサイクルを止めれば使用済みのウラン燃料やMOX燃料の処分問題、再処理をせず直接地下に埋設するという問題が出てくる。
すなわち、これまでの再処理によってできた高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)と原発から直接出てきた使用済み核燃料を別々にか、または一緒にか地下に埋設するという問題である。
しかし、今では、これも建前にすぎない。政府や電力会社など原発推進勢力にとってはむづかしい問題ではない。
六ケ所村と各原発サイトにそれら廃棄物をそのまま放置させる計画であろう。
東洋町の騒動以降日本のどこかの市町村が、核廃棄物を受け入れようと手を挙げるところは皆無となり地下埋設は看板(法律)だけになった。
政府やNUMOが処分場をどこにすえるか模索している恰好をしているが、ほとんどこれはアリバイ工作に等しいものだ。
本音は、全国の原発サイト及び周辺に地上での中間貯蔵施設をどんどん建設していく算段をしていると考えられる。
もとより日本列島では地下埋設をするところはありえないが、ここにも建前(法律)と現実の大きな矛盾がある。
 
こうして核爆弾の材料プルトニウムとプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物がどんどんこの狭い火山や地震で絶えずゆすぶられている列島に累積していく。
せいぜい一世代か二世代の幸福のために、その世代から末代までの人間が苦しみの種を抱え続けることこそ最大の矛盾なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月29日 (土)

非科学的マップ

News & Letters/580

政府によって本日核のゴミ・高レベル放射性廃棄物の埋設適当地が発表された。
ほとんど全国の海岸部に埋めることができるというものである。
東洋町も適当ということだ。全国に点々と散在するという形でなく予想に反し面状に塗りつぶされた。

「日本の活断層」(東大出版)という活断層に関する代表的な著作では日本列島いたるところに無数の活断層が走っていることがわかっているが、そんなことは全然お構いなしでごくわずかな活断層が徐外されただけだ。

日本の地下はどこも断層だらけで水浸しだ。安定した地層などひとかけらも存在しない。
南海地震の直撃を受ける高知県や和歌山、三重県なども適地だという。

室戸岬の突端が外れるというのは福岡市での昨11月の公聴会で大学の先生が隆起の激しい土地としてすでに例示されていたが、その室戸市でも半分ほどは適地に入る。海岸部には人口の大半が集まっている。

室戸だけではない全国的に大勢の人が海岸部に集中して住んでいるが、石炭や石油、火山地帯は避けるというが人間密集地帯は避けないのか。極めて非科学的、だけでなく非人間的な作図というほかはない。

うまく埋め込むことだけが頭にあるようだが、事故のことも考えねばならない。
核施設は海岸部が危険だというのは福島原発で実証済みだ。事故があれば海洋がとめどなく汚染され放射能汚染が全世界に永続的に拡散する。

いかなる核施設でも火山や活断層と同じくらい海や川を避けるべきだ。
潜在的には、東洋町と同じように日本国の津々浦々は良好な漁場であり、そこに住む人々は核廃棄物に対して強いアレルギー反応があると考えられる。

必要なのは科学的だけではなく政治・社会的マップだ。狙われたところだけでなくこうなったら、核燃料や核廃棄物を拒絶する条例を全国の都道府県、市町村につくるべきだ。
それを表面化すれば政府の科学的マップの緑色図面はことごとくリオマス試験紙のように赤色に変わるだろう。

原発の稼働を止め、すべての原子炉を廃炉にするまでは、高レベルであれ何であれ、核の埋め立てを拒絶するべきである。

高レベル放射性廃棄物の地下埋設は何ら安全性が実証されていない冒険的事業にすぎない。
また、同じ理由で、原発敷地内外の中間貯蔵についても乾式であれ湿式であれこれを拒絶するべきである。

政府エネ庁が発表した核のゴミ科学的マップは、東洋町などごく一部の市町村だけでなく、全国的な核廃棄物の恐怖とアレルギー反応を巻き起こし、核廃棄物の元凶である原発に対する反対運動を全国に広めることになるだろう。そうしなくてはならない。

20294415_1406669472749700_596833262

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年8月24日 (水)

原環機構(NUMO)の説明会

News & Letters/514

8月20日佐賀市でNUMOの説明会に出席した。定員50名のところ半分程度の集まりで反対派が大半であった。
NUMOに会うのも久しぶりで、最終処分場立地のための絶望的な努力には敬意を表したい。日本が民主主義を守る限り、だれもプルトニウムの廃棄物を受け入れるところはないであろう。

火山帯や活断層などを適地ではないとの説明があった。東大の徳永とかいう先生の話では一つだけ地名が出たのは高知県の室戸半島で土地の隆起などが激しいので不適だとのことである。

そんなことは地震学者や地質学者であれば常識のイロハなはずであるのに、9年前その半島の根っこにある東洋町に高レベル放射性廃棄物を持ち込もうとしてエネ庁は調査をNUMOに認可したのである。科学的有望地も怪しい。

担当の職員を交えた小集会ではNUMOが実際に東洋町で調査を開始していたということも忘れていたようだ。

平成19年月に前町長が応募しそれをNUMOがエネ庁に申請しこれが認可された。と説明してもそんなことはない、などというので、私が応募を撤回の文書を作成してエネ庁やにゅーもに申し入れ1週間もたたない間で撤回が了解された、といって初めて分かったようである。

唯一教授の口から出た地名が室戸半島であったことは印象深い。その半島の東海岸数キロ沖には東洋町から室戸岬はるか遠くまで深い活断層が横たわっていて、その断層にホースを垂らして日本で初めて深層水をとれるのもそのおかげである。これが活断層であることは東大出版会の古典「日本の活断層」という本の図面にも赤々と印刻されている事実だ。

日本で最悪の条件のところでもやろうとしたのであるから、前科一犯であって、信用してはならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

その他のカテゴリー

ふるさと産品の開発 り・ボルト社 ウェブログ・ココログ関連 エッセイ オンブズマン町長の視点 スポーツ ニュース パソコン・インターネット ヘーゲル哲学 ホワイトビーチ・ホテル マスコミの報道のありかた マルクス・ノート ローカルエネルギー 三位一体改革と地方自治 世界の核事情 世界遺産 交通問題 人権問題 住民参加のありかた 住民監査請求と地方自治 佐賀での講演会と交流 佐賀との交流 健康づくり 公務員の気概 別件やみ融資事件 医療・福祉の問題 南海地震対策 原子力政策と地方自治 原子力産業の是非 反核運動 司法のありかた 国との折衝 国政問題 国政選挙 土佐電鉄バス 土佐電鉄問題 地域のリーダー 地域評議会 地方の公共交通のありかた 地方自治と原子力政策 地方自治の学校 地産地消 報道のありかた 大月町低レベル放射性廃棄物問題 天皇制について 天皇制のありかた 守口市との交流 室戸市の改革 室戸市メガソーラー問題 室戸市政 室戸市民新聞 市民オンブズマンの観点 市民自治のありかた 市町村合併問題 平和の問題 心と体 情報公開 情報公開のありかた 情報化時代について 憲法改正問題 政治思想ノート 教育のありかた 教育委員について 教育行政のありかた 文化・芸術 旅行・地域 日本の歴史 日本国憲法と地方自治 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 書籍・雑誌 最高裁の判例 有機農業 東洋町のあるものさがし 東洋町の改革 東洋町の教育問題 東洋町の歴史 東洋町よもやま話 東洋町不正融資事件 東洋町庁議 東洋町役場の日常 東洋町町会議員の解職請求(リコール)に関する裁判 東洋町町長選挙2015 東洋町議会報告 東洋町議会選挙 核廃棄物拒否条例 歴史観・世界観 民主主義の実現と最高裁 民主主義は産業 水産業について 水産物 海の駅東洋町 環境にやさしいまちづくり 環境問題 生涯学習 生見海岸 甲浦地区 町政 町長日誌 白浜海岸 県闇融資事件 社会問題 社会思想 福祉問題 経済・政治・国際 育児 観光開発 読書ノート 警察・司法のあり方 農産物 近隣市町村との交流 道の駅・海の駅開設の為に 部落解放運動 野根地区 関西地区との交流 防災対策 青少年教育 食育 高レベル放射性廃棄物最終処分場 高知県政 高知県議会 高齢者問題 NUMO