社会問題

2024年4月 3日 (水)

部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

私も予想したよりもはるかに長生きをしている。何にも社会に役に立つこともせず、
毎日なぜか生きている。貧しく困窮している市民の相談に乗り、その手足となって働いている。
しかし、何事もうまくはいかない。街灯一つをつけるにも難しい。

2週間ぐらい前、コロナにかかり高知の病院に隔離された。さいわい5日ほどで解放された。
しばらく人と話すことも避けて逼塞していた。

私の残りの人生もわずかだが、生涯の研究である部落問題の総仕上げをしようとしているが、
なかなか時間が取れない。部落解放運動関係出版で私のことについて書いた本が数冊あるが、
的を得た評論はない。

今地球温暖化(灼熱化)の中で、人類の生存そのものが危機的な状況で
部落問題に注力するのはどうかと言われるかもしれない。解放運動の理論などもいくつも読んでいるが、
今、部落問題を研究したり論じたりする意義については焦点の合わない主張が多い。

私が大学の卒論で出したのは、近代日本においてどうして部落が問題として残ったかであった。
私は、講座派や労農派の対立を止揚してそれを宇野経済学的に帝国主義段階論で乗り切った。
今、私を取り上げた数冊の解放運動の歴史の本では、その理論的功績は無視されている。
当時その新機軸ともいわれた論文を載せた「立命評論」という雑誌は何度も版を繰り返して需要にこたえたという。

私は当時先生方の勧めを断って理論を精緻化する研究者にはならず、解放運動の実践の世界に入った。
部落問題は、なぜ今に残ったのか、部落大衆の苦しみの解決を優先したのである。
しかし、いま私の部落問題の解明の努力は、部落がどうして残ったかではなく、どうして部落が形成されたのかに移っている。そのこと、部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

なぜ今もなお部落問題か。
回答。人類的危機のなかでこそ、部落問題や少数民族問題が大きな社会問題となる。
それはナチスがすでに示した。日本の関東大震災の折にも在日朝鮮人が犠牲になった。
天変地異など社会のパニックには、人々の眼が向くのは被差別民であり、食糧危機など切羽詰まった
状況では、真っ先に被差別民衆が襲撃される。

現在の人類史的危機をもたらしているのは明らかに資本主義であり、その経済成長主義である。
資本の増殖の論理は資本主義の本質であり、地球と人を蚕食しつくさなければやまない。
資本主義は労働者を使い捨て消耗させるだけでなく地球の自然環境そのものも破壊し食い尽くすのである。
だから、プロレタリアートは部落民など少数被差別民と手を組み資本主義を廃し社会主義的な共同社会
を建設し、地球消滅を防止しなければならないのである。危機に臨んでプロレタリアートはその矛先を決して少数被差別民に向けてはならない。そうすれば真の敵を見失い自らの友軍を滅ぼしそうして自分自身も滅びなくてはならなくなるのである。

  残り少ない人生を有意義に生きていこう。最後まであきらめずに。

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2024年3月20日 (水)

ようやくブログ再開しました。

昨年8月9日早朝の放火によって再び全財産を再び失って以来本部ログを再開することができなかった。
ただ新しいパソコンをネットにつなぐ技術がなかったからである。今日有能な友達が現れれて、全面的に機能が回復した。

昨今の情勢は内外ともに希望するところとは逆方向にすべてが進んでおり、その世のすがたは、
すさまじいスピードで人類史終息への不退転の機関車のようだ。

地球灼熱化は南海地震や原発、ウクライナ戦争どころではない。地球という球が爆発するような危機だ。
その原因が資本主義であることもわかっている。だが、やめられないのだ。
はるかとおい未来には地球の生命も尽きる時が来るだろう。しかしそれは灼熱とか爆発とかではなく、
冷え凍って生物が生存できなくなるからだと考えられていた。

だが、今は、地球がいつ爆発するのか、いつ地球表面の熱さで生命が焼けこげ、煮沸されて死んでいくのかという問題として今の人類に迫っているのである。
十年先、二十年先の人口はどうなるのか、子供の人数はどうかなどと言っているが、それよりも、地球灼熱化の激烈な運命はどうなるのかを問うべきであろう。
地球灼熱化を止めることは不可能だ。しかしそれに少しでも長く耐えられるよう準備をしなくてはならない。

少しでも、である。生き延びる期間はせいぜい10年間程度であろう。熱射は人間の営為を根本から変改を迫る。

米麦、芋、豆など作物も激しい熱射で育たないだろう。作物を熱射から守るための膨大なネット・・・・。
様々な天変地異で今の居住地帯から撤収しなければならない。
山に洞穴を掘って暮らすことになるだろう。・・・・・・死滅に向かっては人類は平穏理に終活を完了することは難しい。

弱肉強食のおぞましい断末魔を見せることになる可能性が高い。地球は地獄と化す。
そうなって初めて人類は資本主義という悪魔の論理(資本のあくなき増殖)を持つ制度に気が付くのかもしれない。

いづれにしても、もう「25時」を過ぎた。

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2023年6月 8日 (木)

虚偽の哲学「梅原日本学」

『日本思想の古層』(2017年8月10日藤原書店 梅原猛 川勝平太)という本を読んでいる。
川勝氏は梅原猛の哲学を賛嘆して次のように言う、
「・・・日本において信仰が芸術に昇華したことは疑いないところである。芸術は文化の花である。

 

「花」自体が信仰と芸術の統合シンボルになる。・・・・芭蕉は「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とする。見るもの、花に非ずという事なし。おもふところ、月にあらずといふ事なし。像、花にあらざるときは、夷狄にひとし」(『笈の小文』)と言った。」

 

梅原日本学という哲学の中核的思想は 草木国土悉皆成仏 という概念であり、それは縄文時代以来の日本の基層をなす文化・信仰である、という。それはそうかもしれないが、「夷狄」を差別・排撃する芭蕉の芸術論を称揚するのとどういう整合性があるのだろうか。

 

芭蕉の「笈の小文」は上の引用に続いて「心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。」
造化とは天地自然のことか。しかし夷狄も鳥獣も草木国土悉皆のうちに入るのではないか。夷も狄も人間である。

 

梅原人間学は、西洋の哲学ではなく東洋の思想、特に空海の密教を高く評価する。しかし、空海こそは、その有名な「性霊集」でその夷狄である蝦夷を「非人」と激しく非難し断じた最初の人間であった。梅原ら日本の美学をいう連中は、その思想の根底に日本の神道的な聖と俗、貴と賎の感情的概念を持っている。梅原は蝦夷を縄文の血を引くもので、後から入って来て大和朝廷を樹立した朝鮮系の人間集団によってカースト的差別を受けてきたと正しく位置付けていた。(『海人と天皇』268頁)

 

私は、蝦夷に対する激しい差別と収奪の名残が部落差別の原因だという考えをもって部落史を研究している。だから、梅原の日本学には大いに期待してその著作をよく読ましてもらったが、上に引用した芭蕉の美学論の差別性の無批判的な評価はいただけない。部落問題をまともに考えられない学者は、結局そこで陥穽に落ちてその思想の学問性を崩してしまうのである。

 

 

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2023年6月 1日 (木)

危機感のない世界

G7の会議も室戸のような小さい地方の議会もなべて等しく危機感がない。
G7の会議にウクライナのゼレンスキー大統領が現れたのはいいが、本例ならデンマークのグレタさんが
登場すべきであった。

G7会議では、全員が核が大好きな連中ばかりだからこれらに核廃絶などを期待するのが初めから間違いだ。
アメリカは広島長崎に原爆を落としたことを少しも反省しないし、日本はサディストの様にアメリカの核
の傘を懇望し、イギリスやフランスなどNATOの組も核が大好きでやめられない。

ロシアや中国など核の塊のような連中とG7の核愛好家連盟とがしのぎをけずっている。
彼らには地球の現在の危機的状況は全然見えないし見ようともしない。

この夏も次の夏、次の冬も、毎年毎年地球の灼熱化、極寒冷化、異常降雨と異常干ばつ、人類だけでなくあらゆる生物が地上では生存できなくなる事態が始まっているのに、核での脅し合いと通常兵器の打ち合いに熱中している大人帯を
グレタさんはどう見ているのだろうか。

地方自治体も、地球の現状、異常気象や気温の灼熱化などについては全く無関心で別世界の話のようだ。
今に何の作物もできないぐらいの灼熱がやってきて田畑が干上がり、暑くて家にもおられない、飲み水もないという事態がきたらどうするのか、そんなことが起こるなどとは全く誰も考えない。天下泰平がずっと続くと考えている。

異常気象や洪水、干ばつがどんどん襲ってくれば、自然災害だけでは収まらない、追い詰められた人間の集団が異常行動をとりだすだろう。暴力が暴れだし社会的動乱が全世界で噴出しだす。弱肉強食時代が支配する。生物の中で人類が一番先に絶滅するだろう。化石燃料の使用を直ちにやめなければならない。だが、それ自体がほとんど進まないばかりか、逆行状態だ。

地球灼熱化はどんどん進む。
例えば、50度を超える灼熱を防ぐために田畑には熱射を防ぐ大規模の網が必要、農業用の水を確保するための膨大な貯水槽の建設、熱射を避ける横穴居住域の開発、・・・・・・少しでも子孫が延命できるようないろいろな対策が必要である。

国がやらなければ都道府県や市町村が今すぐに対策を始めねばならない。
G7やG20にグレタ・ツーンベリさんを呼んで会議に出席してもらわねばならない。

現代の革命家は、我々が何をなすべきか、はっきり示さねばならない。ウランを含む化石燃料使用による地球の異常化に有効に対処するには、現在の帝国主義的政府やスターリン主義的国家の存続を許すわけにはいかない。
労働者市民の全世界的な蜂起と自己権力の樹立が必要なのである。

グレタさんを中心に全世界の国の労働者市民の代表が一堂に会し、地球の気候変動的危機に有効に対処する政策を決め、それを実行する権力を持たねばならない。Down with Imperialism ! Down with Stalinism ! のスローガンが今より以上に真実であるときはない。

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2023年5月 1日 (月)

安倍晋三「暗殺」事件の評価


安倍晋三元総理は奈良市の駅頭で銃弾を受けて非業の死を遂げた。
この襲撃行為は多くの市民らの面前で行われたから暗殺ではない。
謂わば公然殺、公殺だろう。この公殺を評価するものと否定するものがあるのは当然だろう。

大老井伊直弼が桜田門外で襲撃されたのも公殺だろう。
井伊直弼の公殺を非難する者はいない。当時の討幕派の志士たちは小躍りして喜んだ。政敵にとっては、安倍晋三の死は喜ぶべきことだっただろう。したがって彼を襲撃した行為はすばらしく、英雄的なことだろう。表面はともかく心の内ではうれしいことだったに違いない。

安倍の支持者はもとより、政治の世界で暴力を行使することを嫌忌する方々もこの襲撃を非難してやまない。それではお前はどう評価するのか。その評価をすることは難しい。

私は、安陪の政治的な死について大いに喜ばしいと思う。その極右的思想及び統一教会と自民党の関係には大きな打撃になったことは喜ばしいことだ。だが、この公殺という方法を支持するべきか。

今の政治状況で政治的目的を実現するために人を殺傷する以外に方法がなかったかのか、桜田門外での襲撃はあのような大老の強権を逃れるにはおそらくそれしかほかに方法はなかったであろう。

今日言論が自由で政治活動がほとんど無限に許される状況では、公殺という手段の選択が許されるという評価は極めて困難だ。例えば西大寺の駅頭を数百人の大衆で包囲し、言論や示威行為で騒然化するなど安倍の行くところ何処でも怒号などで圧倒する行為を繰り返す・・・そういうやり方もあったのではないか。

どんな悪人であってもその命を奪うことはしてはならない。我々は安倍晋三らの極右連中に運動的に負けていたのであり、運動の足らなさを人殺しで回復しようというのは卑劣のそしりを免れない心情的には、よくやったと言ってやりたいが、困難な道を歩むべきだった。

すなわち大衆運動で勝つ方法を選ぶのが革命の大道なのである。もちろん澎湃と上がる大衆の革命的決起の中で悪徳政治家や圧政者が倒される
のはごく自然なことだ。

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2023年4月14日 (金)

統一地方選

2023年
地方選前半、相変わらず自民党公明党の圧勝、維新の躍進、共産党の低落、立憲の低迷であった。

知事選や道府県議選、市議選などの各候補は何のため議席を争うのであろうか。争点があいまいでありただ利権化した議席の争奪にしか見えない。

戦国時代のような大義名分のない争乱であり、理念を失った
政党派閥の乱戦だ。世界の醸成もロシアプーチンや習近平の悪党を軸として米英日独など帝国主義各国の覇権争い、領土拡大、軍拡競争だ。プーチンらは侵略の野望を実現するためには核戦争も辞さない覚悟だ。

人類が地球環境の悪化によって存続の危機にあることを全く意に介せず、政争に明け暮れる日本は、かつては文化的に高い民族とみられていたが、脱炭素社会への努力では最低水準、逆行先進国となり、知性の後進国化している。

腐敗した既成政党を突き破ってグレタ・ツーンベリのような清新な風が吹いて
日本政治を変革し、世界の気候危機を日本が先導的に救う力となる、そういう革命的な政党が出てこないだろうか。

今の状況では到底不可能であり、それどころか地球気候変動に先んじてロシア・ウクライナ戦争、台湾海峡戦争など核兵器を含む従来の戦争形式での打ち合いの中で人類は自滅するのであろう。

地球気候の灼熱の中で死ぬるより、かつて味わった砲火の戦災の中で死ぬ方がいいのかもしれない。そのような危機感が日本政治の動きの中に全然見えない。人々は何を考えているのであろうか。

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2023年4月 3日 (月)

危機感欠如の高知新聞記事


本年4月2日付高知新聞の地球温暖化についての論評は極めて危機感が欠如したものである。

国連の気候変動に関する政府間パネルの報告書について、という事である。

今世紀末の気温上昇幅を産業革命前の1.5度に食い止めるためには、2030年に二酸化炭素排出量を現在の半分に削減する必要があるなどの報告を紹介するが、危機感が見られない。

二酸化炭素を半減するという目標は不可能であること、日本政府も国民もそのための生活方法、産業構造の変換などは全く考えていないこと、このことの指摘は何もしない、高知新聞の危機感のなさも明らかであろう。

地球温暖化対策には二つの面がある。二酸化炭素を削減するという面と、現に進んでいる温暖化対策の面である。

今年も世界各地で耐えがたい猛暑が襲来してくる。日本でも40度を超える灼熱が襲ってくる。劇的な気候変動への対策を具体的に進めなければ、灼熱による冷房のない家屋での生活不能、飲料水の枯渇、田畑の旱魃、作物の収穫不能、豪雨による山の崩落、大洪水、巨大台風の襲来など止めどもない自然災害・・・・これらへの対策をしなければならない事態になっていることについて論じなければ危機感は生まれない。

例えば田畑に熱射を防ぐ防熱遮蔽ネットを用意する、干ばつに備え池や地下タンクをつくる、総ての家庭に冷房設備を用意する、裏山にトンネル型穴居住居を掘る、・・・・・

また、二酸化炭素を削減するためには、自動車や船、航空機などの利用や生産を大幅に削減するという抜本的な生活や産業構造の転換が必要であるが、高知新聞の記事にはそんなことは示唆することさえできない。

そして何より、ロシアによるウクライナなどでの侵略戦争や日本を含む世界各国の軍拡競争が、そしてまた、原発の世界的な稼働が、地球温暖化にいかに
大きな悪貢献しているかについて言及しなければウソになる。

かつての橋本大二郎知事らが原発を支持する理由として原発が地球温暖化を
抑止するなどと言っていたが、とんでもない。原発は放射能をまき散らすだけでなく、その稼働までに膨大な化石燃料をを使う事実、稼働中には膨大な温排水を出すことも没却してはならないのである。

自動車を使い、電気を使っている自分のことを棚に上げてこのような他者への批判を書くことには躊躇を覚えるが自分の事も含めて現代人の危機感のなさ、無責任さには慙愧に耐えない。

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2022年10月 1日 (土)

続安倍国葬


多くの国民の反対の声を無視して安倍元総理の国葬が挙行された。これについていくつかの批判的な論評を読んでみたが、すっきりとした読み応えの
あるものはなかった。曰く、民主主義を揺るがす、とか、三権分立の無視だ、とかである。
三件の内の行政権(内閣)の独走態勢は岸田や安倍など今に始まったものではない。
三権分立を学ぶ小中学生でも近代民主主義国家(ブルジョワ体制)の構造自体が三権の中行政権の優越性を担保していることはすぐわかる。
衆参国会で多数を取った者が行政権を握るのであり、最高裁の裁判官の人事は内閣が握っている。議会が内閣を正中するといっても、与党の支配する議会は権力に迎合するだけで、行政権の独走を止めることはない。司法の最高峰の最高裁も時の権力におもねるから行政にブレーキかけず、むしろそれを
擁護する。最高裁だけでなく全国地方裁判所、高等裁判所が行政に係る訴訟で国民の側が勝訴することのない実態は最高裁事務局に裁判官の人事
が握られているからである。これが小学生でもわかる現在の国家の構造だ。国会議員の選挙でも結局は、金力と血脈が優勢である。
日本だけでなく世界各国の現行の法律のもとで行政権の専断的横暴を止める方法がない。いくら法令があっても権力はそれを無視しても大丈夫。
まして法令がないところでは権力のしたい放題だ。行政権独裁が現行憲法の建前である。権力自らが抑制的であることは期待するだけ無駄だ。
地方自治体には住民の監査請求制度があり、ある程度は裁判にまで持ち込めるが国にはそんな制度もない。

、、前途程遠 馳思於雁山之暮雲(前途ほど遠し 思いを雁山のゆうべの雲に馳す)
  後会期遥 霑瓔於鴻臚之暁涙(後会期すこと遥かなり 瓔(えい 糸へん)をうるおす鴻臚の暁の涙に)

平忠度が都落ちの折、歌を託し俊成卿のもとから去っていくとき、馬上高らかに歌ったという和漢朗詠集の一詩が私にも聞こえてくる。

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2022年9月21日 (水)

安倍国葬の法的問題

私は、友人とともに高知県監査委員会に、高知県知事濱田氏及び県議会議長らが、今月27日の安倍国葬に出席することについて差し止め請求の住民監査請求を行った。

理由は、内閣が安倍国葬を行うことは⓵憲法に違反するということと、安陪元総理が②様々な反動的行動をした人物であることの二つである。

地方公共団体が、憲法など法律に違反する行為は地方自治法第2条の第16項、で禁じられ、第17項では法令に反する行為は無効と規定されている。
違法かつ無効な行為に公金を使うことは当然違法であり、差し止めや賠償の請求の対象となる

⓵の憲法違反は二つある。

一つは、内閣法第1条第1項で、内閣の職権は、憲法第73条他憲法で定められた職権を行うと明記されていて、国葬を行う職権などを
定めた条項は憲法にはない。戦前の勅令のように内閣がきめたことが法であるというのはファッショ的な考えだ。

権力は法定されたことしか執行できない。吉田茂の国葬も当時の自民党内閣は「超法規的」行為であることを自覚していた。
現在の自民党権力はそのような意識すらもないから権力を握ったら何でもできると考えているのである。これはファシズムだ。

もう一つの憲法違反は、憲法20条の第3項違反だ。「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動してはならない」
という規定に違反する。国葬も葬儀である。葬儀は宗教活動だ。無宗教的葬儀は現在の日本には存在しない。

明治5年6月28日太政官布告で自葬祭が禁じられ、葬儀は全て神式か仏式に限定され,神官か僧侶によって挙行されることになった。
勝手に自分で葬式ができなくなったのだ。この太政官布告は今でも生きている。明治4年のいわゆるエタ解放令の太政官布告が生きているように。
明治5年6月以来、日本人の葬式は宗派宗教の独占物となった。

「葬式仏教」は国のお墨付きとなり、寺院のドル箱となった。
国葬も例外ではない宗教行事であるから、憲法では国が宗教行事は執行できない。
マスコミや学会は、安倍国葬について法的根拠がないというだけでなく、憲法違反だという法的根拠を国民に示すべきだ。

そして安倍国葬に出席する連中もこの憲法違反について理論的に反論すべきだ。憲法違反と知って、超憲法的行動をとることの

政治的責任についてどう考えるのか、聞きたいものだ。憲法を破っていいのか。統一教会のような、日本人にとっては売国奴的教義(日本は韓国の属国だから金を貢げ)を持つ団体と一体となって権力を築いた安倍晋三の葬儀に、憲法を破ってまで奉仕しなければならないのか。

反社会的な宗派宗教の広告塔となっていた男の葬儀は二重に宗教的であり憲法違反だ。

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2022年9月12日 (月)

続安倍国葬。カエサルのものはカエサルへ

安倍元総理の横死をきっかけに、自民党の底知れない腐敗ー統一教会問題が白日の下にあらわなになって来た。
日本国民がこれで目覚めなければ自民党とともに永遠に腐敗の中に沈んでいくだろう。

安倍晋三の死は、いわば怪獣(ゴジラ)の死のようであり、それは安保法制など民主主義の破壊、森友など金権腐敗政治、ウソを政府運営の手法とする、そして反社会的宗教団体を野放しにし、その力で多数の右翼的腐敗議員を生みだした。・・・・など、

反民主主義の巨獣の死を国葬で弔うというのである。国辱的企てだ。
そもそも葬儀は宗教行事だ。国葬儀と名前を変えても同じで葬儀は古来より宗教行事であることは明白だ。

もし古代の遺跡で墓の近くに祭壇の跡があれば人を弔う宗教儀式が行われていたと学者は言うであろう。
死者を忍んだり追悼するのは宗教行事とは言わないが、祭壇を設けて弔えば、それは宗教的行為だ。

従って、祭政一致の戦前ではないので、内閣府設置法でいう「儀式」は誰かを弔う葬儀は含まれない。
内閣府設置法で言う儀式は、いろいろな政治的、文化的な式典であって、宗教的行事は入らない。
葬儀、墓参、先祖供養などを含む宗教行事を国の機関が挙行することは憲法に抵触する。

憲法第20条第3項では、国は、「いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定されている。
これは、カエサル〈皇帝)のものはカエサルへという聖書の考えである。
聖書のこの言葉は、政治権力が宗教に関与(逆の場合も同じ)することを戒めるものと解釈される。

宗教を利用して又は宗教の力で政治権力を手中に収めようとすればその政治は必然的にファシスト的、狂信的なものになり
民主主義どころか、不信者や異教徒など人民への弾圧、大量虐殺、他国への侵略などあらゆる悪魔的なことが引きおこる。

それはひとり統一教会だけの問題ではない。彼岸への往生信仰も現世利益の追求も宗教活動が政治権力を目指せば全体主義的な
統治形態に至らざるを得ない。宗教活動は教団化しそこでは教祖が絶対的な権威と力をふるい訳の分からない迷信も教義とされる。

その狂信化した教義が法となり正義となって民衆を縛り、権力維持の手段となって、その統治下では社会は地獄と化す。
カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ。

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