司法のありかた

2022年3月28日 (月)

奈半利町ふるさと納税事件

3月27日付の高知新聞の「奈半利汚職 迫る判決」を読んで感じたことを書いてみる。

私は、この事件で元課長補佐柏木被告の罪名が贈収賄になるのか合点が行かない。
この事件は、町長や上司がふるさと納税の返礼品の取り扱い業務を柏木被告にほとんど全部任せきりにしたことから起こった。

柏木被告は返礼品の業者の選択権をもっていた。親類や家族にその商品の扱いをさせた。誰を返礼品の業者に指名するかは柏木被告の権限であった。町として業者指名の規則がありそれに違反があったのであれば罪になるが、その様子はない。

その返礼品の買い入れ価格もほとんど柏木被告の一存で決めることができた。買い入れ価格の決定に規則があったはずはない。

それは商取引きの範疇だ。このような中で親せきの業者は巨額の利益を得た。柏木はその利益の相当分を親や自分に還流させた。

巨額の分け前をもらったか又は取ったのである。贈収賄の構図とは全然違う。初めに業者は公務員である柏木被告に賄賂を贈って指定業者の地位を得たのではない。柏木は、業者指定をする場合、公募など他に適当な方法がなかったので自分の知り合いや近親者を選んだのだろう。柏木は初めからか中途からか親類だから利益の分け前をもらうつもりだったのであって賄賂をもらったから業者指定をしたのではない。

問題は親戚の肉屋からその利益の分け前を取った(又はもらった)行為が罪になるかどうかだ。肉屋の同意があれば罪に問う理由が存在しない。しかし、業者の取り分が異常に多い場合は民事上の問題は起こる。

この事件の報道では、初めから罪ありという前提で訳の分からない贈収賄の罪を押し付けているのではないか、という疑いが起こる。そしてそれは、特定地域への偏見が暗々裏に潜んでいるように感ずる。

奈半利町だけではないが、巨額の金が動くふるさと納税の返礼品処理などについて、返礼品の選定や業者の指定、買い入れ価格の決定等について規則が制定されねばならないし、首長ら幹部職員のふるさと納税の手続きの各段階での決裁の規定がなければならない。また、巨額の資金が出入りする以上はこの金の出入りは特別会計を設定すべきなのである。

首長が何らのかかわりもなく通常の予算額を上回る巨額の金が役場を素通りしてきたというずさんな行政の在り方、何のチェックもしてこなかった議会の在り方こそメスを入れるべきなのである。

住民としては、業者やそれの分配にあずかった柏木被告親子が取得した利益は、不当利得であり、本来は町の会計に収まっているはずのものであったから、不当利得返還請求の住民訴訟を起こし損害の回復を図るべきである。

不当利得の民事上の責任は格別、柏木被告親子や業者に刑事責任まで追及するのは無理筋であり、無理を通すのは、町長や執行部の責任を免罪し特定地域への差別キャンペーンを推し進めて事件を解決しようとするにおいがする。

私は小学校の時分、数年間奈半利町内に住んでいたし、中学校時代も野球部の交流試合でしょっちゅう吉良川町から奈半利町へ自転車で行っていたので奈半利には親しみがある。

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2021年6月28日 (月)

部落差別の解消に関する法律について

2016年12月16日に公布された『部落差別の解消を推進する法律」はこれまでの時限立法(同和対策特別措置法、地対法)と違って目的が達成されるまで続行するという本格的な法律として画期的なものである。

部落差別の存在とその解消をうたったということにおいて明治4年の「解放令」よりも優れたものである。この法律の趣旨が政府や地方自治体など権力機関全般に徹底されること、広く国民の間に広まることがのぞましい。

マスコミがもっと大きくこれを取り上げて議論を深めることが望ましいが、国も県も市町村も新聞やテレビもほとんどこれを取り上げない。
差別の壁は依然として分厚く、誰もこの法律を真剣に読む者もいない状況だ。

しかしまた、この法律が部落差別を正面から禁止し部落大衆の人権をうたっている点は評価するが、この法律に大きな問題があることもしd適しなければならない。第1にこの法律には部落差別とは何かという定義づけがない。一番肝心な言葉の定義づけがないから、適当に解釈する組が出てくるだろう。

第二に、この法律の形は、問題を部落差別をする国民に転嫁し、国民を啓もうするというものであって、国民が「理解」を深めれば解決するとい程度の
問題に矮小化している。部落差別を解消するために必要な教育や啓発をするというのが中心だ。

部落差別はいけない、解消しなければならないということについて鮮明にした点はいいが、差別の原因、差別の解消の対策についての話はお粗末である。
まず何より、差別をしてはいけないという啓発や教育は権力機関そのものにしなければならない。部落差別の原因は権力機関そのものにある。

最近には部落の歴史(その研究)を否定しようという部落問題の学者まで現れているが、歴史を見なければ差別は誰が作ったかわからない。

部落の歴史については一知半解の学者どもがいろいろな珍奇な説を並べてきているが、古代から中世にかけて原住民族であるエミシ系の人間を天孫族中を核とする大和朝廷が征服した民衆のdescent(血統 奥州俘囚 descentoを身分と訳すべきではない)であり、それを天皇族が全国に配流し差別的に中世社会に組み込み検非違使をして統括させたのである。

中世のある時期に、俘囚とか夷俘という呼称をやめろという布令が出て、それから穢多という言葉が出てきた。古代中世の朝廷の理論的指導者であった空海や菅原道真の著作で恐ろしげに描かれたエミシの姿は鎌倉時代以後にエタに対して投げかけられた侮蔑的な描写とは一致している。

それを最近になって部落民を 創られた「人種」 (黒川みどり) などといっているが部落民は大和朝廷的人種とは鮮明に相違する種姓でありそれを差別弾圧してきたのは天皇権力であり、それを鎌倉江戸の幕府の貴族武士が承継してきたのである。縄文の血を色濃く受け継いだエミシ系の人間集団(部落民)はケガレ感などの妄想によって作り出されたものではない。

征服・被征服の階級闘争の火と血によって拉致され抑圧されてできたもので、騎馬民族系征服王朝の天皇・貴族らとははっきり異なる正真正銘の原住異族だ。征服者とはいえよそからやってきた連中が原住民を差別圧迫するなどというのは言語道断だ。
インドのカースト差別と同じように日本の部落差別も同じく種姓差別がもとになっている。アーリア人によるインド原住民の征服を根源としたカーストの差別は日本の部落差別と同じである。

新しい部落差別解消の法律は、意義があるとはいえその本質には階級闘争の勝利と敗北の歴史を押し殺した融和的性格をもつものであって、差別の張本人である権力の姿を隠している。今も昔も融和主義というのは権力の真の恐ろしい姿を隠蔽し戦いをへし折るという役割を果たそうとするものである。

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2021年3月21日 (日)

伊方原発の判決

本年3月18日伊方原発の判決分は実に恐るべきである。
「大規模自然災害の発生時期や・・・現在の科学的知見では具体的に予測できない。」
「原子力規制委員会の判断に対しても様々な見解があり、どれが正しいとは言えない。」・・・

まるで不可知論だ。しかし、これは厳密には不可知論とは言えないだろう。原発や地震は、我々が経験しないことがらは、認識できないという意味の不可知論の世界の話ではない。

原発も地震など自然災害も、最も恐ろしい結果をもたらすという痛切な人類の経験の世界の話だ。この世界の話を不可知論的な煙幕の中に投げ込み、しかし、その闇の中で地震や原発災害を容認する確信犯的判決を下すのである。

地震や原発災害が予測できないのであれば、それが経験上避けることができない事象である以上、合理的な結論は、原発稼働には否定的であるはずだ。いつ起こるかわからないが必ず近い将来には起こるということがわかっておれば正しい判断はできる。

それができないというのであれば裁判官をやめるべきだ。裁判所にそのような科学的知見はないというのであれば裁判所は無用ということだ。この世の人為についての事案は、それが人の命や権利に関することであればすべて裁判に係る。

科学的に難しい事件でも裁判官は通常の一般常識的レベルで判断しなければならない。
そしてまた、機器類や薬品など高度に難解な科学的知識が必要な事柄で安全か危険か判断がつかない場合は、それを稼働したり投薬しようとするものが、その安全性を普通の言葉で実証する責任があろう。

国民の側に立証責任を負わせるのはあずかり知らぬことについて説明せよというとんでもない話だ。少なくとも裁判所は、科学的な事案について一方をけ他方を支持するというのであれば、その科学的根拠を国民に分かるように説示する必要がある。

国民の主張を否定し電力会社等の主張を肯定する以上、裁判官(裁判所)に科学的知見がない、ではすまされない。
、 
原発や地震について科学的知見がないと自覚する裁判官は、原発事件について担当するなら、福島第一原発の現場に行って勉強してくるべきであろう。それは現代の人類の科学的レベルがなんであるかはっきりわかるところだ。

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2020年5月22日 (金)

ばくちうちの検事

黒川検事長は、最後の仕事として、東京高検の黒川弘務と新聞記者3人に対する賭博罪(常習犯)での逮捕令状を発行するべきだ。権力の腐敗がこれほどまでに明らかになったのは珍しいが、今まで隠されていただけだろう。

1、検察官の定年延長議案についての認識

 新聞記事やネットの論調では、安倍政府への批判として「問題意識の低さ」(高知新聞)とか、「無神経」(田原総一郎)だ、という程度のそれ自体低い批判調である。
 しかし、安倍総理の認識は、検察という職能集団に対する民主的統制として内閣の検察人事への介入を正当だとしているのである。検察は行政官であり行政官の長である総理大臣が任免権を持つのは当然と主張している。自衛隊に対する総理大臣の指揮命令権限(民主的統制)と同様の立場である。

 この安倍の考えの前提を批判せずに安倍の「問題意識の低さ」をあげつらっても新聞読者には批判の意味がよくわからない。
 検察官はGHQの憲法草案では、最高裁に所属するはずであった。

 Public procurators shall be officers of the court and subject to its rule-making power.

検察庁は、法務省にではなく最高裁に所属すべきであった。なぜ現在のようになったか。

少なくとも今日の学説でも検察官は、行政官でもあるが司法官でもあり、現行憲法第77条第3項では司法官としての検察官は最高裁の定める規則に従うとなっている。

検察官は、刑事事件について原告として犯罪人を訴追する立場にあり裁判官とともに司法の一翼を担う職責と権限を持っている。立件(起訴)や裁判遂行については、行政官の長(総理大臣や法務大臣)の指揮圏外にある。

だから、総理大臣が検察官の身分や職責について干渉する場合には三権分立を干犯することになるのである。

無論、検察の暴走とかいう事態、検察自身の権力への忖度、検察の腐敗・職務怠慢などの問題についてこれをどう食い止めるか、検察の公正な運営については、国民の監視と国民審査が及ぶような適切な検察の制度改革が必要である。

しかし、今は不祥事を続発させている時の政権が延命のために検察を自己の番犬化さそうとする動きを封殺することが急務であるから、安倍内閣の司法の一角への民主的統制論に基づく内閣の介入を批判し阻止しなければならないのである。問題意識が低いとか国民の意識への無神経さとかではなく、敵は明確な意識と目的をもってことに臨んでいることを指摘しそこへの反論が必要ではないかと考える。

2、昨日今日の高知新聞の黒川検事長辞任の記事には違和感を覚える。

「問題のすり替え許されず」論である。要するに本題は政府の検察定年延長議案であり、「個人的な不祥事」事件ではないという論説である。それはその通りであるが、今回の定年延長問題とマージャン賭博事件とをすり替えの利く別個の問題とする考え方である。その論そのものがすり替えではなかろうか。

検察定年延長議案の中に仕込まれた特例規定とマージャン賭博事件とは切っても切れない関係があると考えるのが普通ではないか。安保法制、森友、加計、桜、検察定年延長・・・とマージャン賭博事件、これらは、法令を自己流にひん曲げ、自分らは国政を利用してやりたい放題の犯罪行為を繰り返してきた。

秋霜烈日、国民にはこれを押し付け、恐ろしい疫病にかかっても自宅待機だといって検査も拒否し続け、他方、自分らは賭博など好き放題の酒池肉林か。権力を握ったものは、法令を曲げ、無視しても構わないという。

検察番犬化を目論む検察定年延長法案とその渦中にある政府高官の犯罪的遊興行為とは切っても切り離せない。
すり替えを許すなという論には、政府高官のマージャン賭博事件を個人的不詳事件化しすり替えができるとする前提の論であり、ゆるされない。

権力とマスコミの癒着の犯罪行為は個人的不祥事ではない。そして、この賭博事件は黒川の性格的な問題ではなく、こういう形で日常的に権力とマスコミの闇の交流があったことを証するものであり、これ自体驚くべきだ。

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2020年5月15日 (金)

検察定年延長

昨日5月14日安倍総理は記者への説明で、検察官は行政官だという趣旨の見解を表明した。だから、検察官は、内閣に人事権があり内閣の監督下で業務を行う筋だから今回の検察定年延長議案については三権分立を犯すものではない、ということになる。


 


会見場の記者は何も反論するものはいなかった。
検察官の業務は、行政と司法の両方に関与している。これが常識だ。
刑事事件で訴追権限は検察官しかなく、刑事裁判では原告として主要な役割を遂行する。


 


単なる行政官ではない。司法の分野では刑事事件に限ってであるが、裁判官と同様検察官は独立不羈の立場で業務を遂行する義務がある。


 


憲法第77条第2項の規定では、「検察官は、最高裁判所の定める規則に従わなくてはならない。」とされ、そして憲法第76条では、すべて司法権は、最高裁以下の裁判所に所属すると規定されている。


 


だから、検察庁法第14条の法務大臣の検察官に対する指揮監督の権限も、憲法の規定を超えることはできない。
検察官は第一義的には行政官である前に司法官であるから、安倍の馬鹿が言うように内閣の意のままになる存在ではない。
ところで、今回の検察定年延長議案に対する国民の厳しい反感が大きなうねりとなっている。


 


この怒りのうねりは、新月コロナウイリスに対する政府の棄民政策に対する怒りが背景にあるが、これまでの安倍の政治私物化への怒りが根底にあり、ネットの上ではあるが一種の暴動状態となった。


 


国民は、安倍独裁政治に対して暴動を起こすべきである。行政も議会も、そして司法までも私物化されては、もはやまともにこの日本列島では生きていけない。


 


かつて、大逆事件で幸徳秋水ら10数名が無実の罪で処刑された一週間後、文豪徳富蘆花は第一高等学校の講演会で一高生に政府に対する「謀反」を呼びかけ大きな感銘を与えた。


 


また、2・26事件で一部軍部が起こしたクーデタ的行為に対して東大教授河合栄次郎は武装闘争を呼びかけた。


 


2018年夏の米騒動が勃発したとき、大阪朝日新聞は白虹貫日(白虹日を貫けり)という故事を引いて天子の身の上に兵乱が起こるぞと脅迫的記事を書いた。


 


武装闘争は何も中核派の独占物ではない。一流の文化人や学者の抱懐してきた純呼たる革命思想だ。


 

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2020年2月22日 (土)

森友学園籠池夫婦の補助金裁判

先日第一審大阪地裁の判決で籠池が有罪となり夫は実刑5年,妻は猶予刑で3年であった。新聞の評価では、森友事件の核心は、学校敷地の総理夫婦、国交省の関与、文書の改竄問題だということで、この裁判の補助金についての裁判所の判断については殆ど論評されていないから、裁判の真相がよくわからない。

だから、推定するしかない。
補助金を詐取したという罪である。
一つは小学校建設の工事費の水増しで国から5600万円かすめた。
もう一つは、幼稚園の運営費で教員数を水増しして大阪府・市から1.2億円かすめ取った、というものである。

しかし、補助金交付の制度の運用が厳格であればとても工事費や運営費の水増し請求が通るはずがない。
もし補助金が詐取されたというのであれば、だまされたほうの責任の方が大きい。
補助金請求の内容については行政側は調査し真実であるかどうか判断しなければならない。

工事費の水増しや教員の水増しなどは調べれば簡単に判明することであってそれが分からなかった、だまされたなどということ自体行政として恥ずべきことだ。

第一に、行政がだまされたのではなく、調査しなかった、あるいはわかっていたが許した、その小学校の特異性から忖度したという可能性がある。総理夫人が背後にいたということ、国粋主義的教育を援護する観点から審査なしに通した可能性がある。これこそが犯罪であり背任罪だ。

第二に、補助金が過大に交付したということが分かった段階で補助金返還の措置命令をしなければならず、返還してもらうか、返還の約束をしてもらうかして事件を解決しなければならない。

それらは補助金交付条例の範囲の事柄であって、刑事事件になる問題ではない。
したがって、責任は籠池側ではなく、まともに審査もせずずさんな補助金交付をした大阪府市の首長の責任である。

国の場合も同じだ。
的外れな今回の判決ではすでに破産した籠池夫妻から補助金の損害は回復できないだろう。

私が大阪市民であったなら当時の大阪府・市の首長を相手に損害賠償の住民訴訟を起こしただろう。

籠池の森友学園への大阪府市の補助金行政の過失責任は明白であった。
市町村の補助金交付行政は極めてずさんであり、利権化している場合がある。
私は東洋町長の折、数件の乱脈だった補助金交付を厳格化した経験がある。

利権化した補助金は、もらう側(申請者・受給者)を罰するのではなく交付する連中に制裁を加え賠償させなければこれを根絶できない。

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2020年2月16日 (日)

検事長の定年延長事件

東京高検の検事長の定年問題が重大な政治問題となってきたのは当然である。

時の権力が司法を思いのままに動かすという深刻な事態の背景には、日本の民主主義の脆弱性が横たわっているように思われる。

第一に三権分立ということの法的根拠が明確でない。日本国憲法ではそれが明示されていない。
むしろ、一権独裁という感じだ。国会で多数派が内閣を構成するから総選挙後直ちに立法と行政の2権が多数党に取られる。

そして最高裁長官もその判事も総理大臣が人事権を持つから司法も取られ、三権が一権(行政権)に収斂される。

それまで高級官僚の任命などには政府は遠慮していたが五年前の内閣人事局の設置によって官僚組織の首根っこが押さえられた。

私は提案する。日本国憲法の精神は明確だから、法律で三権分立を明確に定めるべきである。

そして、内閣の人事権が司法に及ばないこと、検察庁を含む各省庁の官僚の人事権にも内閣が干渉できない
ことを明確にすべきである。そして官僚についてもキャリア・ノンキャリアの差別を撤廃すること。

ここで憲法第15条第1項が重要である。

憲法は、国民固有の権利として国民が公務員を選任、罷免するとなっている。
しかしその実施方法を担保する法令がないので空文化され、憲法上何の権限もないのに総理大臣や首長が勝手気ままに人事権を振り回し、三権分立の建前をぶっ壊しているのである。

15条が言うこの公務員というのは、何も公職選挙法で選ばれる議員や首長に限られていることではない。

野党は、政府の独断専行・法令無視についてその度に驚いて異議を述べるが、そのような消極的な姿勢ではなく、日頃民主主義を保証・補強する法令を提案するなどもっと積極的な攻勢を持つべきだ。

私は、10数年前小さい町の首長であったが、毎年の人事異動については、まず全職員の希望をアンケートにとり、実際の移動の調整については総務課長にやらせ、特別に不適任と思われる場合以外は、口出しをしなかった。

選挙で選ばれ政治性を持つ首長が人事を切り盛りすれば必然的に中立であるべき行政職員が党派性を帯びるからである。

選挙で選任する場合とは違う憲法で謳われた国民の公務員任免権が空疎になっていること、これが、今回の検事長問題の基底にある。少なくとも、国や地方自治体の不法行為や不公正な公務員人事について国民が、現在の住民監査・住民訴訟制度程度のチェックができるような制度を作るべきだ。

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2019年12月14日 (土)

高松高裁

ビキニ環礁水爆被災の船員たちの訴えは、高知地裁に続いて高松高裁でも棄却された。
その内容は不明だが、テレビのニュースでは冷酷な判決だったようだ。

裁判所は、権力の使徒である。そのことは三権分立など制度上の煙幕で隠されてきた。

しかし、最近はその煙幕を払いのけてあからさまになっている。
裁判所は、行政権力の意向を忖度する、という風に言われてきたが、むしろ、行政権力の意思とは関係なしに、人民抑圧機関として独自の姿容をあらわにしてきた感じだ。

最近高松高裁へ入ったが、玄関口に物々しい身体検査の関門が設置されており、私物を調べたり人権侵害行為を大っぴらにやっていた。これまでになかったことだ。

裁判官をこそ検査すべきだ。彼らは六法全書ではなく銃剣で武装している。

被曝という事実は、通常の法令上の期限や制限を超え、日常の人間の約束ごとを超越する重々しいものだ。

被爆者を救済する方法はないか、人の痛みや感情を法条に転訳できないか、苦しんだ形跡は皆無だ。
まるでパンを求める群衆に石つぶてを投げつけるようなものだ。

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2019年11月 4日 (月)

県立図書館焚書事件控訴理由書

県立大学の永国寺キャンパスの旧図書館の蔵書数万冊が焚書に付された事件の
第1審高知地裁の判決は、お粗末な判決文によって原告住民側の敗訴となった。
その判決文がいかにお粗末であるかはわたしの控訴理由書を読んでもらったらわかる。

県立大学の日常業務、図書館の管理、図書の処分に至るまで県知事の監督と指導の下にあった。以前の県直轄運営と同様の知事の責任が地方独立行政法人法に明記されている。
高知新聞は本件について相当な紙面を割いて報道してきたが、ひとつも県の責任を追及しなかった。

不要となった財産は、県知事の許可がなければ、処分できないというのが法の趣旨だ。
この法律について報道機関として新聞として知らなかったわけではないだろう。

最近知事の辞職・代議士転身を機に知事の業績のべた褒め連載をしている関係で、焚書事件の知事の責任をかけないのであろうか。これだけの不祥事を大学関係者にだけに転嫁し、
知事も大学も何の処分も、賠償もしない無責任政治をゆるすということか。

令和元年(行コ)第25号 損害賠償控訴事件
 控訴人 澤山保太郎
 被控訴人 高知県知事尾﨑正直

高松高等裁判所殿
                  令和元年10月31日     
                  控訴人 澤山保太郎
控訴理由書
【控訴理由の要旨】

本件は、平成26年~29年にかけて大学法人が、新図書館建設を機に高知県立大学の永国寺旧図書館に所蔵していた図書のうち2万5432冊を学内手続きだけで除却処分(焼却等)を許した事件である。

一、 本件損害賠償請求は正当である。

数万冊の蔵書を除却した行為は、地方独立行政法人法第6条4項に基づく同法第42条2の1項(不要財産の納付)に違背したことによる損害の賠償、または、本件譲与契約書の第15条の契約解除に基づく第16条(原状回復)の(2)または(3)の規定によっても、損害(契約解除時の時価)の賠償に係る義務を発生させた。

二、 本件違約金支払い請求は本件譲与契約書に規定されていて、不当利得の法理から考えて、地方自治法第242条2の4号の、不当利得返還請求であり正当である。
また、監査請求段階で監査委員が契約書を審査し検討していたと考えられるから監査を経ていると考えられる。たとえ監査請求書に記載されていなくても訴訟段階で新たな措置請求としても適法であるとの判例がある。
また、高額の違約金は、本件除却された数万冊の蔵書を新規に整えようとすれば億単位の資金を用意しなければならないことを考慮すれば不合理とまでは言えない。そもそもこの定めを契約書に主導的に導入したのは、被控訴人であり、その当事者が今なおこれを維持し続けながら、自己の決定したその契約条項を非難するのは筋が通らない。

三、 損害賠償請求権と違約金支払い請求権は性質は違うが同じ一つの事件に基づくもので、これを一つの訴訟に合併して民衆訴訟たる住民訴訟でその行使を求めるのは法律(行政事件訴訟法)上、正当である。
原判決も何のさわりもなく「本案」について検討し判断している。

【控訴理由各論】

【一】 本件損害賠償請求について

一、地方独立行政法人法42条の2第1項の規定
原判決は、本件図書の焼却による損害につき2972万2479円の損害賠償請求は、監査請求前置の要件を満たしていたとしたが、これを棄却した。
その理由は、
本件図書は、もともと高知県の所有に属していたことがあったとしても、本件譲与契約に基づき、独立した法人格を有する本件大学法人の所有に移転しているから、高知県の所有物ではなく、本件除却処分によって高知県の権利が直ちに侵害されたということはできないのであって、権利の侵害がない以上は不法行為が成立する余地はない。 (原判決15頁下段)

大学法人の本件蔵書が本件譲与契約により高知県から大学の方に所有権が移転したことは事実であるが、しかし、この譲与契約は条件付きの契約であり、指定用途以外の用途に使うなど条件に違反した場合解除されるものである。原判決はそのことを無視している。
そしてまた、地方独立行政法人法42条の2第1項の法律は、原判決が言う通り、不要となった出資財産を地方公共団体に返納し有効活用などを図るために新設されたものであるが、本件大学法人が不要になったからと言って学長などの判断で財産を勝手には除却することは許されていない。本件の場合は本件契約と前掲法律に違反した段階で、大学側の所有権は失われ高知県に移転するものである。少なくとも所有権が高知県に戻される権利が侵害されたといえる。移転の手続きをしなかったことを理由に不法行為が宥免されるものではない。原判決はまた、地方公共団体へ納付すべき不要財産であったとしても、当該地方公共団体の長の認可を受けて当該地方公共団体へ財産を引き渡すといった所定の手続きを履践しない限り、当該不要財産の所有権は移転しないと解するのが相当である。
と判旨した。知事が認可し、「所定の手続き」をしなければ所有権は移転しない、というのは所定の手続
きをしなかった怠る事実を開き直るもので、国の法律を遵守しないという意思表明である。

控訴人が問題にしているのは、これら「所定の手続き」をしなかったことの、被控訴人の責
任でありそれが問われているのである。本件怠る事実の違法性の怠りは二通りある。
第一の怠りは、本件図書の除却処分が行われる前に、大学法人の日常業務の監督機関である高知県が法令に基づいて大学法人が正規の手続きをして本件図書を返納するという手続きをさせなければならない義務があった。それを怠った。

第二の怠りは、除却(焼却)後の損害の回復措置を怠ったのである。
法令がいくら定めても、これを無視し実行を懈怠しすれば、法令が守ろうとする国民の財産がどうなってもいいのか、ということである。
独立行政法人になったとしても出資団体である被控訴人は、従来通りこの大学法人への日常業務の監督・指導、不要な財産の処分を含む事業計画策定や毎年の予算措置の決定、人事権行使など強い権限を持っている。(地方独立行政法人法第7条、11条、14条、17条、25条~30条、34条、36条、39条、46条、121条、122条・・・)
本件不要図書の処分についても新図書館建設などに関与し、数年以上にわたり被告は成り行きを注視していたはずであるから、焼却される前に大学法人とともに県議会にかけるなどを含め不要財産の返納の「所定の手続き」の履践をしなければならなかった。
原判決は、まさに被控訴人の懈怠の違法事実をもって被控訴人を宥免しようとするのであって、違法行為があってもそれを既成事実として義務を行使できない理由にするようなものである。それは、水防隊員が警報が出ているにもかかわらず水門を閉じなかったので浸水被害を被ったという場合、水門が開いていたので浸水が起こったといって自己の責任を逃れようとするのと同然である。
そして、被控訴人は事前の所定の手続きを怠り、さらに焼却処分という重大な結果についても、事後の適正な手続きを怠り、損害の回復措置を何も取らなかった。
監査請求や本件訴えの趣旨は事件当時所有権があったかどうかではなく、本件図書の所有権の回復措置を取らず、またその回復されるべき所有権を失ったことへの回復措置も取らなかった違法があるとしているのである。
無能ならともかく、無為無策で、というより無為無策を理由として本件請求を逃れさせようとするのは、あまりにも理不尽な判決である。

二、高知県知事の認可

原判決は続いて
高知県が本件図書の所有権を有していないとしても、高知県には、同法42条の2第1項に基づき、本件図書の納付を受けるべき権利があり、これが侵害された不法行為が成立するといえるか と自問する(原判決17頁上段)
この自問についても上記と同様あっさり
高知県知事の認可がなされていない本件では、納付義務に対応する履行請求権は発生していないというべきであるから、本件除却処分が高知県の権利を侵害するものとはいえない。
(原判決17頁中段)という。

しかし、独立行政法人法第6条の4項及び第42条の2第1項の趣旨では、大学法人側が、当該図書を不要と認定した段階で納付義務が生ずるのであり、同時に高知県側の納付される権利が生ずるのである。そして大学法人側は「遅滞なく」所定の手続きを経て不要財産を納付しなければならない。
知事の認可や県議会での議決は「所定の手続き」であってそれによって、納付義務や権利が左右されるものではない。本件図書は、もともと購入するのに3億円を超える費用が掛かっているものであり、これが返納されることについて異議を唱える者はいない。
法は大学法人が不要と認定した財産でもこれを勝手に廃棄などの処分をさせず購入費を負担した地方公共団体が別の方法や場所で有効活用を図ることを企図したものである。

三、法の適用があるのか

原判決は、さらに不要財産について高知県に返還する上掲法令が本件図書に適用されるのかについて判断する。前掲独立行政法人法の第6条の第4項では返納する財産は、「重要な財産であって条例で定めるもの」とされており、県の条例では、それは「帳簿価格が50万円以上のものその他知事が定める財産」であると規定されている。そこで図書は、数量的には1冊1冊計算されるものであり、1冊50万円を超えるものは本件に存在しないから、法の適用はない、と被控訴人の主張を全面的に採用する判示をした。その判断の根拠は次の通りだ。

原告の主張する蔵書は法律上の概念ではなく、その概念の広狭は主観的なものとならざるをえず、極めてあいまいなものであって、法律効果の発生の有無を規律する法律要件の判断に持ち込むのは不適切である。 (原判決17頁下段)とまでいう。

控訴人が本件図書を「蔵書」というのは、「社会通念に従った一般的な理解」に基づくものではないということになる。
「蔵書」という言葉は法律上の概念ではない、法廷では使えないということのようである。
物品の名前において「法律上の概念」に該当するものとはどんなものであろうか。
「蔵書」は相当な数の書籍が図書館などに所蔵されているものの集合名詞であり、また、1冊でも「蔵書」といえる。集合名詞でもあり個別名詞でもある例えば国民とか、果物とか、山とか川とか、図書とか、それに類する日本語の名詞は無数にある。日本語の名詞には複数形はないから集合名詞が単体を指すことを兼ねる。
どういうものが法廷で使えるのか使えないのか、裁判所は「法律要件の判断」に使ってもよいという法廷用語の一覧表を示すべきであろう。原判決の基準でいえば固有名詞以外ほとんどの名詞が使えないだろう。

本件「蔵書」は、本件にかかわって新聞でも大学でも、記事や法令などにおびただしく使われてきた。本件大学法人もその図書管理規則で「蔵書」と規定され、本件についての第三者検証委員会でもその委員会の名称にも「蔵書」が使われているし、本件にかかわる学長声明や県庁ホームページ、県議会資料でも標題に「蔵書」が使われている。

また、「蔵書」は図書館・情報学の分野では、学術用語として中核的な概念である。
普通の言葉であり学術用語でもある言葉が「法律効果の発生の有無を規律する法律要件の判断に持ち込むのは不適切」というのはどのような法令、判例に基づいているのか。
そのような言葉の分類を判決文で示したのは日本裁判史上初めてのことだろう。
確かに、被控訴人や原判決のように図書館所蔵の書籍を一冊一冊に分割しなければ相手の批判を防御できないという者には、都合の悪い「不適切な」言葉かもしれない。しかし、そのために、判決文で法律上の文書での言葉を恣意的・独断的に限局したり気に入
らぬ言葉を「不適切」だとして排除するのは国民の裁判を受ける権利を脅かす行為である。本件において数万冊の旧図書館所蔵の蔵書が焼却されたことは明らかである。
本は購入されたり寄付されたりして図書館に収容された段階で蔵書となる。これが社会通
念であり、学術的概念である。蔵書は体系的に整理され開架や書庫に保管される。
元は数億円かかった数万冊の蔵書を購入前の一冊一冊に分割して法の適用を逃れようというのは、法網を潜脱しようとする明らかな脱法行為である。

収容時は本は蔵書とされる。そして本件処分時でも蔵書としてまとめて除却された。
原審での被控訴人準備書面(1)8頁でも、「業務効率化の観点から、適切なタイミングで
ある程度まとめて除却手続きをとることは当然であり・・・」と言っていた。
図書館の相当な冊数の本を「蔵書」としてまとめて把握し処理するのは当然だ。
四、焼却以外に他の選択肢はなかったのか本件図書を蔵書として集合的に扱うことに異議が出たとしても、被控訴人は、図書の焼却処
分という野蛮な選択肢をとるとは考えられないし、してはならない。

いうまでもなく図書は大学にとってはもとより県民にとっても重要な財産である。
法の趣旨に照らすと、図書館の蔵書が重要な財産であるから、大学で整理され不要とされた
としても貧弱な図書しかない市町村立の図書館にとっては宝物である。被告は返納された
蔵書の活用法は知っているはずであった。本件大量の書籍は、たとえ原判決や被控訴人が言
う通り一冊一冊が50万円未満であったとしても、県の条例(「高知県公立大学法人に係る
評価委員会及び重要な財産に関する条例」)第9条での規定では、別途の規定も用意されて
いる。帳簿価格50万円以上の規定の後に「その他知事が定めるもの」とあり、数万冊の蔵
書は、この範疇に入るべきものであった。

高知県下には東洋町のように今でも図書館のないところさへある。公立小中学校、県立高校の図書室の貧弱な蔵書、貧弱な図書購入費の予算を被告は知る立場にある。
全国最下位の貧乏県の知事が数万冊のまだ上等の図書を焼却することに同意するはずはないのである。原判決は、
本件図書は、比喩的な意味で、高知県民の知的財産というべきものであり、これを喪失させた本件除却処分に対する厳しい批判が向けられていることは顕著な事実ではあるが、損害賠償請求権の存否という法的判断は、法人としての高知県に属する財産権が侵害されたか否かという観点からなされるべきものであって、本件除却処分の当否の判断とは区別して論ずべき問題である。 (原判決15頁中段)という。
高知県知事というのは高知県民の代表であって、その県の知的財産が理由なく喪失させられた、その管理責任が大学法人と県知事であることは明らかであり、そしてその責任遂行の根拠の法令もあり手続きも定められている。何も法的判断と県民の思いを区別したり乖離させることはない。被控訴人や原判決がそれを乖離させようと努力する気持ちはわかるが、裁判はえこひいきの利権の場ではない。

被控訴人は、県下の市町村や小中学校、高校の図書館や図書室にどれだけの蔵書があるのか
知っていたし、それらを充実させる予算措置の必要性、にもかかわらず些少な予算措置しか
できないことの悔しさも持っている人物である。知事の避けられぬ裁量権行使に原判決が
言うように一冊がそれぞれ50万円に満たぬからと言ってそれを理由に数万冊を灰にして
しまう選択肢があるであろうか。それとも、たとえ一冊一冊が50万円未満であっても県条
例の規定にある「その他知事が定める財産」としてこれを認定し、除却せず、返納させて活
用させるという方向の選択が、知事の本件についてのコメントからも、確実にあったといえ
るのではないか。

知事でなくても普通の人間であれば、県民の膨大な知的財産を焚書に付する選択はあり得ない。被控訴人が本件について正常な判断と手続きを怠ったのは、大学法人に対する自己の管理責任や財産の譲渡契約について自覚せず、県立大学が地方独立行政法人になったから無関係であるという本件には致命的な錯誤をしていたからであろう。
五、高知県知事の裁量権
原判決(19頁)はさらに本件契約第12条1項(譲与物件の譲渡禁止)の違反による契約解除について控訴人の主張を退ける。その理由は、解除権の行使は高知県の「裁量」であり、義務付けられていない、高知県が契約を解除した事実はないという。
すなわち、
本件譲与契約15条は、債務不履行解除について定めた規定であるが、同規定によれば、
同解除権の行使は高知県の裁量に委ねられているのであって、その行使を義務付けられる
との根拠はないところ、高知県が本件譲与契約を解除したとの事実は認められないもので
ある。(原判決 19頁中段)
本件譲与契約は解除条件付きの契約であることを被控訴人も原判決も取り上げていない。解除条件にあたる行為によって直ちに譲与契約は無効となり所有権は自動的に元の持ち主に返る。所有権が復帰することについて特段の手続きはいらない。
譲与物件である本件数万冊の蔵書の処分については第8条、第12条の1項が根底から踏みにじられたのであるから、解除の要件は十分であった。
本件契約第12条の1項は、同契約第8条(譲与物件の指定用途供用)を担保する条項であり、知事の許可も得ず本件図書の焼却処分を強行した行為は、第8条、第12条の1項に違反し、本件契約第15条の契約解除に該当する。解除の要件がそろった時、これを解除しないという選択肢は存在しない。知事の解除についての規定である第15条には、
…するときは、…契約を解除することができる、という表現があるが、権力機関の場合にはこれはただに何かの行為が出来るという権能を示すだけでなく、要件が満たされた場合にはその権能を行使しなければならない義務規定である。要件が満たされているのに、権限を行使しなければ、国民や自治体の財産や生命などに被害が発生し職務怠慢として処罰の対象になるものである。
そのことは地方自治法(第2条第14項)、地方財政法第3条第2項、同法第8条によって、最小の経費で最大の効果をあげること、あらゆる資料に基づいて財源をとらえること、良好な財産の管理及びその効率的な運用が義務づけられていることからも、本件契約を解除して自己の出資に係る財産を取り戻す義務があった。裁量権でその他の選択肢はあり得なかったのである。
契約違反行為が現出した段階で知事の認定があろうがなかろうが、廃棄処分を決定し指定された用途に供用しないと大学法人側が決定した段階で直ちに何らの「催告することなく」契約解除となり、譲与物件の所有権は元に戻るから、本件除却処分は、本件図書に関する所有権侵害事件となる。
被控訴人が本件契約の解除権を行使しなかったのは事実であるが、それは単に被控訴人の懈怠又は重大な過誤によるものであって、それを理由に責任を逃れることはできない。
六、除却処分と契約解除
原判決は、
本件除却処分が既になされてしまった後に解除したとしても、高知県に所有権が復帰するものとはいえないし、解除する前の本件除却処分の時点で既に高知県の所有権が侵害されたというのは論理的でない。したがって、原告の上記主張は、前提を欠くものであって、採用することができない。(原判決19頁中段)という。
しかし、本件図書については、廃棄処分の決定 ⇒ 廃棄(除却又は焼却)実行であり、廃棄すると決定した段階で本件契約の第8条(指定用途供用義務)に違反する。高知県に返納せず廃棄処分業者への引き渡し・高知市焼却場に所有権を移転する(第12条所有権移転禁止違反)前に、指定用途供用義務の第8条に違反し、それによって第15条(契約解除)に該当する。除却処分ももとより解除条件に該当するが、除却する前に供用廃止を決定したことで解除条件を成就するから、この時点で本件図書の所有権は高知県に返っている。本件大学法人は、高知県の所有権のあるものを除却・滅損したことになるのである。
原判決は、本件除却処分が既になされてしまった後に解除したとしても・・・ というが
大学法人側が除却を決定し本の選考をする期間に被控訴人には対応する時間が十分あった。被控訴人は国の法律により日常的に大学法人の業務を監督し指揮する責任を負っていた。
民法128条の規定では、解除条件の成否未定の間は、条件が成就した場合にその法律行為から生ずべき相手側の利益を害することはできない、とされている。
また、契約未解除での除却処分は、高知県の得られるべき利益(数万冊の図書の返納、所有権)を侵害することは明らかである。この場合、本件図書の所有権は、高知県に返ったものと判断される。
民法第127条の第3項によれば、当事者の意思で、解除条件が成就した場合、その効果をそれ以前に遡ぼらせることも可能である。被控訴人が、本件図書の所有(契約前の原状に戻す)を申し出て大学法人がその申し出を拒絶することは想像できない。
それは、本件契約書の両当事者は、地方独立行政法人法など関係法令を遵守するものであるから、本件のような「不要財産」となったものは、法律の通り元の出資者に納付するということをあらかじめ互いに了解していた。したがって、民法第127条第3項の条件成就の時点以前に遡って解除の効力を生じさせるという当事者の意思は明らかであり、これを否定することは許されない。仮に除却後に解除したとしても解除の効力は始原に遡及し本件図書の所有権は高知県に戻っていたというべきである。

【二】本件違約金について

一、監査請求前置について
 原判決は、本件監査請求は高知県知事が本件図書を除却処分をした本件大学法人に対して損害賠償請求権を行使することを求めるであるから、本件譲与契約上の大学法人による義務違反による違約金支払い請求権を行使することを求めるのは、控訴人の監査請求書の中に入っていず、したがって監査請求前置主義に違背する。その理由として、
損害賠償請求権と違約金支払い請求権とは、法的性質を異にするまったく別個のものである、という。すなわち、
本件監査請求は、本件除却処分に関して高知県知事が「適切な措置」を執ることを請求するものであって、高知県の財産とされるべきであった本件図書等が違法に焼却されたことにより高知県が被った損害に関して、高知県知事が本件大学法人に対する損害賠償請求権を行使していないことを財務会計行為上の行為として・・・・。
一方、違約金請求については、本件図書の所有権を廃棄物収集運搬処理業者等へ移転したという本件譲与契約上の義務違反行為に関し、高知県知事が、本件譲与契約14条項に基づく違約罰としての違約金支払い請求権を行使していないことを財務会計上の行為として主張するもの・・・・。
両者に係る請求権はその発生根拠や法的性質を異にする全く別個のものであることは明らかである。という。
しかし、両者が性質の違う別個請求権であることは、その通りであるが、一つの事件から複数の請求権が発生しているものはそれぞれ別々に訴訟にかけなければならないという理由が不明である。両者の性質が違うという事実を摘記すれば理由の説明もなく却下の理由になるのであろうか。
本件訴訟は、法的には国の法律である独立行政法人法と本件譲与契約書の二つに基づいている。監査請求の段階では、とりあえず前者の国の法律に基づいて請求がなされた。
監査委員は、理由をつけて本件監査請求を却下しそれを控訴人に通知してきた。
その通知書に記載された理由というのは、本件譲与契約書に基づき、本件図書は大学法人に所有権が移っているので、高知県とは無関係だというものであった。(甲1、2号証)

してみると監査委員は、少なくとも本件譲与契約書の内容を吟味したことは間違いない。
その契約書には、契約違反の場合、大学法人は損害賠償だけでなく違約金の支払いも、また、
契約解除の条項も入っていた。監査委員の監査は何も住民の請求したことのみを監査するというものではない。住民の監査請求の一端の事実を契機として当該事件に関するその他の違法性にも調査し監査が及ぶことは当然である。
本件についての監査は本件譲与契約書を取り上げた以上、その内容として損害賠償のみならず違約金についても監査が及んだものと考えるが、所有権が移転しているということで監査請求は却下された、というものである。

二、監査を経たか

そこで問題なのは
第一に、住民訴訟の前置である監査を経るとはどういうことか、である。
第二に、一つの違法事件で監査段階で住民が問題としなかった違法性について訴訟段階で提起することはできないのか、
第三に、一つの違法事実で根拠の異なる性質の請求はできないのか。
(1) 第一の問題について:
地方自治法第242条の監査請求の条項では、住民監査とは①住民による請求書の提出②監査委員会の受理③監査委員の監査④監査結果の通知のこの過程である。
そしてこの④の監査結果に不服の場合住民訴訟が提起される。あくまでも④の結果に対する評価によって訴訟が行われるかどうかが決まるのである。
本件監査では、④の監査結果の通知の内容を踏まえて訴訟を提起していることは明らかである。請求書段階では、本件譲与契約の違約金については言及していないが監査結果にはそのことを含む契約書を踏まえた審査・ないしは判断が明記されていた。だから違約金問題は監査を経ていたことは明らかである。
(2) 第二の問題について
高知県の許可もなしに本件図書の除却という一個の財産管理上の事件で監査の結果には内包されていたが監査請求書には明記されていなかった請求を、当初の請求と一緒に訴訟で提起するのはいけないのか。それについては最高裁判例が参考になる。すなわち、
原審控訴人準備書面(3)で引用した以下の判例であるが、原判決はこの判例を一顧だにしていない。(平成10年7月3日最高裁第二小法廷判決 平成6年(行ツ53号)
住民訴訟につき、監査請求の前置を要することを定めている地方自治法第二四二条の第一項は、住民訴訟は監査請求の対象とした同法二四二条一項所定の財務会計上の行為又は怠る事実についてこれを提起すべきものと定めているが、同項には、住民が監査請求において求めた具体的措置の相手方として右措置を同一の請求内容による住民訴訟を提起しなければならないとする規定は存在しない。また、住民は監査請求をする際、監査の対象である財務会計上の行為又は怠る事実を特定して、必要な措置を講ずべきことを請求すれば足り、措置の内容及び相手方を具体的に明示することは必須ではなく、仮に、執るべき措置内容等が具体的に明示されている場合でも、監査委員は、監査請求に理由ありと認めるときは、明示された措置内容に拘束されずに必要な措置を講ずることができると解されるから、監査請求前置の要件を判断するために監査請求書に記載された具体的な措置の内容及び相手方を吟味する必要はないといわなければならない。そうすると、住民訴訟においては、その対象とする財務会計上の行為又は怠る事実について監査請求を経ていると認められる限り、監査請求において求められた具体的措置の相手方と異なる者を相手方として右措置の内容と異なる請求をすることも、許されると解すべきである。(甲第11号証 下線控訴人)
最高裁判例に照らせば、監査請求の段階の措置の内容(損害賠償請求)と訴訟段階での異なる内容の請求(違約金請求)も許されるというのである。
(3)第三の問題:
 上掲最高裁判例からすると、根拠が異なり、性質の相違する新たな請求でも問題ないということになる。違約金の請求と損害賠償請求は性質が違っていることは当然である。
地方自治法には、一つの違法行為から性質の違う複数の措置請求を出す場合、それぞれ別個に訴訟を起こさなければならないという規定はない。例えば賠償請求と差し止め請求は別種の請求であるが、その場合でも、一個の訴訟で問題の解決を図ることができる。
普通の裁判でも一つの契約書で1個の違反行為に対し損害賠償に違約金支払いが加重されたからと言ってそれぞれの請求について別個の裁判を起こさなくてはならないのか、他の裁判は構わないが住民訴訟では、いけないというのであろうか。関連する複数の請求の合併は許されないのか。
本件住民訴訟は行政事件訴訟法では民衆訴訟に入る。同法第16条から19条は当事者訴訟についてであるが、同法43条において民衆訴訟にも準用する規定がある。
準用される同法第16条では、関連した請求には訴えの併合が認められている。
本件損害賠償請求と違約金支払い請求は、一個の契約書から出たもので一個の違法行為(除却)から義務付けられたものであり、直接連関している。
被控訴人そして原判決は、独自の独断的見解ではなく法令にのっとった主張や判断が求められる。

三、不当利得返還請求について
原判決のさらなる独自の見解は続く。原判決は
地方自治法第242条の2第1項第4号は、損害賠償又は不当利得返還の請求に限定して普通地方公共団体の執行機関又は職員に対しこれらを行うことを義務づけることを許容しているところ、本件譲与契約第14条2項において、同条1項に定める違約金は、損害賠償の予定又はその一部と解釈しない旨定められていることからしても、本件違約金支払い請求は、地方公共団体と契約を締結した相手方の当該契約上の義務違反に対する違約罰としての違約金の支払いを求めるものであって、その性質は、同号に言う損害賠償又は不当利得返還の請求とは異なるというべきである。したがって、本件違約金支払い請求は同号の要件を充足しない不適法な訴えであるといえるため、この点でも却下は逃れない。
(原判決21頁)

という。原判決は不当利得という概念をどのように理解しているのかいぶかしい。
控訴人は、本件大学法人の本件譲与契約違反による違約金を払わないのは、不当利得に該当すると考える。
学説によれば、不当利得には本件のように、本件大学法人の側が財産の増加など積極的利益はないものの、本来なら減少したはずの財産が減少しなかった場合(消極的利益)も該当するといわれる。高知県側からすれば、本来なら増加したはずの財産が増加しなかったのであるから、不当利得の要件は満たされている。このような意味での不当利得も返還請求の対象となる。本件請求は、地方自治法第242条2の4号請求に何ら違反していない。
本件違約金について付言すれば、契約書に違約金の条項を設けることはよいとして、損害賠償とは別個に巨額の支払い義務が設定されている。それは一つには、本件図書のように過去の購入時、あるいは新規購入には数億円の費用が掛かかるのに、事件時の損害賠償額は数千万円にすぎないというアンバランスを是正する意味があったと推量する。
ただ、被控訴人が、違約金の支払いが高すぎると思うなら本件契約書を是正するべきであって、今なお現在の条項のまま現行の違約金制度を維持する以上は、控訴人としてはこれに基づく請求を維持せざるを得ない。被控訴人自身が定め、これを維持し続けているものを、自らが不合理だといって非難する、その非難をまともに判決文に反映するというのは、常識では考えられない。

四、違約金についての本案についての判断
1、本件譲与契約第12条の1項(譲与物件の譲渡禁止)は第8条(指定用途供用義務)を別の観点から担保し保証するためのものと考えるが、被控訴人はこの禁止規定には「譲与物件の除却処分はふくまない」という。その理由として、耐用年数が10年未満の動産は無数に存在し得るし、その単価も50万円はおろか、
千円にも満たないものは多数あるはずであるが、そのような物件が一切処分できず、仮に、数千円の物件を誤って廃棄したとして、直ちに3億円を超える違約金を支払わされるというのは、明らかに不合理である。という。

それはその通りで、当事者が納得して決め今もそれを守っている事実ではあるが、契約書の規定機械的に解釈運用することは不合理な事態を招く恐れがあるだろう。事案に応じて公平な判断が求められる。しかし、また、数万冊の物件の処分を数千円の物件と同列に扱うのも不合理というべきではないか。原判決は、続けて言う。
本件譲与契約12条1項が定める期間や違約金の額からすれば、耐用年数も相当期間存し、かつ、ある程度の高額資産である不動産や工作機器などを対象としており、地方独立法人がこれを転売するなどして不正の収益を上げたり、同法人の財政的な基盤を著しく脆弱化させたりすることなどを禁じる趣旨の規定と理解するのが相当であり、少なくとも、同法42条の2第1項の手続きすら不要とされる除却処分に関して、法の規定以上に厳格な規律を設け、厳重な制裁を課す規定を設けたものと解することはできない。という。
   (原判決22頁中段)

「法の規定以上に」という文章を除けば、被控訴人の言う通りであろう。
本件譲与契約の12条1項は不動産に限らず「ある程度高額の資産」を対象にしていることは間違いない。元は数億円かかり本件除却処分当時でも数千万円の価値があると大学法人が算定している本件蔵書は、「高額の資産」に該当するのではないか。
法の規定以上、という法とは何かわからないが、地方独立行政法人法をいうのであれば、契約自由の法理からして違約金の金額をどのように設定するかは契約当事者が決めることであって、法はもともとあずかり知らぬことである。ただ、除却・棄損された対象物件の値打ちによって違約金に格差があるべきであろうし、法外な違約金は社会通念上認められないだろう。本件の違約金は、本件譲与契約の第14条の1項(1)の規定に基づくが、数万冊を新規に購入するとなると、3億円を超え、数千万円の損害賠償金だけでは償えないから、本件違約金の額は、さほど法外な金額とは言えない。今になっても契約者双方がこの契約条項を維持している以上、原判決が本件違約金制度をいくら非難しても始まらない。

2、「形式的な所有権の移転」

原判決は、除却処分の過程における形式的な所有権の移転を観念して除却処分を禁じることはもとより想定していないはずであるから、除却処分の手段あるいはその結果として、第三者が所有権を取得することがあったとしても、本件譲与契約12条1項に反しないのは当然である。
という。「形式的な所有権の移転」とはどういう謂いなのかわからないが、「形式的」には一応所有権の移転があったということを認めるようである。本件の経緯からすれば、形式が重要であり、それが整っていれば、実体は大学から業者に渡ったのだから所有権移転は有効と判断される。廃棄物処理業者も高知市の焼却工場も、捨てた無主物を拾ったのではなく、本件大学法人が除却処分として、処分実行の業者として選ばれ、物件を手渡されたのである。形式も実質もきちんとそろっていた。大学法人が明確に相手を定め意図的に、形式だけでなく実質の所有物件を業者に渡したのである。所有権移転というのは形式を整え手続きを踏んで実物を相手に渡したところで完了する。元の所有者は当然所有権を失う。本件の所有権移転はそれに滞りはなく完璧であった。渡された廃棄物は有用なものでも不要なものでも、渡された業者や自治体の所有物となる。特別な約束がない限り灰にするか再生紙にするか受け取った業者や自治体の規則によって処分される。地方自治体では廃棄物の所有権を明確に条例にうたっているところがあり、高知市でも集積された廃棄物が盗難にあわないようにパトロールの費用まで出して所有権を守っている。本件数万冊の蔵書は最終的には高知市(処分工場)に所有権が移転されていたのである。

貴重な蔵書を焼却処分場に持っていきこれを除却するなどというのは指定用途の供用の規則違反でも最も悪質であり、だれか学生や市民に渡すというのならともかく、数万冊を十把一からげに焼却させたというのであるから、所有権移転を通り越してそれをはるかに超える衝撃的かつ無謀な処分である。

3、解除条件

原判決は、最後に、
本件違約金支払い請求が認められるためには、本件譲与契約14条1項1号より、本件大学法人が第三者に本件図書の所有権を移転し、かつ、高知県が本件譲与契約を解除したことが必要となるところ、前記のとおり高知県が本件譲与契約を解除した事実は認められないのであるから、本件違約金支払い請求権は発生していないといわざるを得ない・・・・。
という。
そもそも本件大学法人の業務への日常的な監督と指導責任について無頓着だった被控訴人が、本件蔵書の管理についても無頓着であり、解除条件が充足しているのかどうかなど本件契約についても無関心であった。契約を解除しなければならない段階でそれをしなかった。
その怠る事実の違法性が問われているのに原判決は、怠る事実を是とし前提にして本件に判断を下すのである。解除することを待って住民訴訟をするというのであれば怠る事実の違法性は没却され百年河清だ。

ちなみに、第14条(2)、(3)には解除条件は付いていない。(3)の違約金規定では第8条の指定用途供用義務違反であるから、金額は少ないが、違反事実の発生と同時に直ちに請求は成立するということになる。14条の3つの各違約金の規定では解除条件があったりなかったりであるが、各場合の義務違反にはさほどの差異は見られず、それぞれでは、当然契約解除になるから、解除条件の記載の存否は問題にされていないと考えられる。
ちなみに契約解除は、譲与契約の全体ではなく、その違反条項の問題の物件に限られると考えられる。


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2019年10月 1日 (火)

原発推進の哲学

高浜原発推進のフィクサー、高浜町役場の収入役や助役を務めてきた男によって、関西電力の腐敗した企業の実態が浮かび上がった。

電気料金を原資とした電力会社の金の流れは、

電力会社→①下請け業者→政治家・地域ボス・(電力会社)・・工事費の水増し
    →②東大-京大、東工大などの大学教授へ・・研究費などの補助金・・
    →③原子力関係省庁など官僚へ・・・天下りポストの提供
    →④メディアへ・・・広告料

こうして、電気料金を打ち出の小づちのように使って、原子力村が形成され、原子力産業が栄えてきた。

かつて班目春彦(フクイチの事故の時原子力安全委員会の委員長)とかいう先生は、核燃料の最終処分場の件で、「最後はお金でしょ。どうしてもみんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃあ、おたくには二倍払いましょ。それでも手を上げないんだったら五倍払いましょ、10倍払いましょ。」といったという。(「六ケ所村ラプソディ」)

科学や常識では人を説得できない。彼ら原発マフィアの信念は、原発の研究は金になり職を得て出世し生活の糧になる、金でおびえる住民を説き伏せ原発開発を推進し、人を服従させることができる。金はいくらでも使える。

地震も津波も怖くはない。放射能も怖くはない、
福島の惨状も見えない。世の中は科学とか文化とか民主主義とかではなく金がすべてを解決してくれる。東電や関電には、そして自民党政府にはわれわれマフィアにいくらでも金を出せる。・・・・

広島・長崎に並ぶ日本有史以来最悪の惨状をもたらしたフクイチにもかかわらず、彼ら原発マフィアの哲学は牢固として揺るがない。資本主義が生み出した最後的な哲学であり、人格である。人類を滅ぼしても金を握ればいい手という連中だ。

東電の会長らの原発犯罪へ控訴が行われた。
しかしその求刑が軽すぎた。万死に値する人類への犯罪を禁固五年ではあまりもバランスが取れない。軽すぎるのである。

私は死刑制度に反対であるが、人類への罪(大規模な虐殺や人類への破滅行為)については例外にすべきだ。

いづれにしても、高浜のマフィアの一味は、よくぞメモを残し原発の闇、原発マネーを顕出させてくれたものだ。

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