マスコミの報道のありかた

2019年5月10日 (金)

天皇の国事行為

天皇の国事行為は憲法第7条で10項目に限定されて定められている。
しかし、天皇・皇后が力を入れている戦没者の慰霊行為、地震・風水害など被災地へのお見舞い行為、各国外交官の謁見、また誕生日などで記者会見して意見を述べる行為なども国事行為には入っていない。誕生日などで意見を述べる行為もそうだ。

また、皇后をはじめ、皇太子、皇族たちが天皇の代替としていろいろな国や地方自治体等が係る公的なイベントに参加したりする行為はどういうことになるだろうか。憲法第5条では摂政が天皇の代わりに国事行為を行うとなっているだけだ。

憲法第4条2項では天皇は法律に基づきその国事行為を委任することができることになっているが、その法律「国事行為の臨時代行に関する法律」第2条によれば、委任するのは天皇が「精神若しくは身体の疾患又は事故があるとき」となっているから、天皇が健常であれば憲法上国事行為の委任者は誰もいない。病気か事故あるときに摂政となる順位の皇族だけが委任者でありうる。・

摂政となっていない皇太子(または皇嗣)をはじめ、皇后以下の皇族たちは国事行為はもとより、それ以外の天皇としての象徴行為の代行はいかに善意から出たものであっても、憲法や皇室典範などに規定されていない行為であり、脱法行為というべきであろう。被災地へのお見舞い行為などでは慈悲深い皇室への好感度はまし讃嘆の声さえあがっている。天皇制支持の機運はますますあがり、天皇制永続の地盤はいや増して強固となる。ただのさざれ石が巌をとなる。

巌がさざれ石になるのが自然ではなかろうか。
天皇制廃止論者はまず如上の脱法行為を問題にすべきであり、慰霊やお見舞いなど脱法行為が縮減すれば天皇や皇族への国民の関心も薄れることであろう。また、天皇ご一家の安息の日、家族団らんの時間も多くなるだろう。

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2018年6月27日 (水)

朝日新聞社説 核のごみ処分

News & Letters/638
本日6月25日朝日新聞朝刊に高レベル放射性廃棄物の処分問題について
政府を批判する社説が掲載された。全く新味のない陳腐な意見である。
政府は国民からの信頼を得なければ議論が進まないという。
朝日の主張を整理すると
①最終処分場は必要である。
②核のゴミ処理の話は原発推進や核燃料サイクルと切り離さなくてはならない。
③現在のトップダウン方式ではなく
 日本学術会議が提案するように「第三者機関」を設置して議論をすべきだ。
④国民の意見を謙虚に聞き、信頼を得るところから始めるべきだ。
私の批判:
 第一に、政府の原発推進政策と切り離して議論というが、切り離すことはできないし
  切り離してはならない。なぜなら原因と結果だからだ。
  結果だけ一生懸命論じて対策を講じても次々と原因が問題を増大させ結果を深刻化し    ているのである。
  「核のごみ」問題は、原発・核燃料リサイクル政策と不可分なのである。
 第二に、政府が一方では「核のゴミ」の処理を言いながらその「ゴミ」を増産している    矛盾した
  政策を実行している事実を指摘し糾弾すべきなのだ。原因と結果のうち原因に目をつ    ぶるとこの矛盾は見えなくなる。政府が国民から信頼されない最大の問題は、この矛    盾点だ。
 第三に、政府が自民党ら原発推進派でなく原発の稼働を止める権力であれば、
  あるいは、日本学術会議が提唱する方式でやれば、それでは 「核のゴミ」の処理に    関する議論は国民に受け入れられるであろうか。この点について朝日は楽観的のよう    だ。
これこそ 難中之難無過此(なんちゅうしーなんむかし) であって、無知蒙昧の住民が住む地域だと思ってやってきてもむしろそのようなところが強固な抵抗を示すのである。放射能の危険性を知らない無知蒙昧の地域は日本には存在しない。
むしろこの超危険な有害物質は、地域や自分の利益を顧みず英雄的な犠牲心の横溢した住民が住むそのようなところにもっていかねば受け入れられないだろう。
自分たちや子孫が放射能の毒素をかぶり様々な病気で苦しみのたうちながら死んでいく、それでもかまわないという高度に倫理的な人間集団が住む
地域をつくらなければ、「核のゴミ」は受け入れられないだろう。
朝日新聞は、現実の結果から原因を隠して国民の信頼を得るという姑息な目くらましを捨てて、核廃棄物を受け入れる並外れて高度な人倫の完成体を作るために努力をするべきではないか。
ところでこの「核のゴミ」という表現はやめるべきだ。我々の日常の生活廃棄物のゴミと同程度に軽く考えられるニュアンスがある。そのものズバリの高レベル放射性廃棄物など科学的な言葉をつかうべきである。

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2018年4月26日 (木)

新聞

News & Letters/629
私も新聞を発行している。「室戸市民新聞」である。「高知県民新聞」も出していたが休刊中である。
全て無料配布だ。街並みはもとより野超え山越えて室戸市内の全ての世帯を回って配布しきることを目指している。
4月11日付の新しい新聞を現在室戸市内に配布中である。幾人もの市民から「貴重な新聞だ」と励ましの声をいただいている。
私の新聞が他の新聞と違うのは、単に事実を客観的に報道するというのではない。
腐敗した地方権力の内情を暴き、打倒することを呼び掛ける実践的なものだ。その点では赤旗に似ている。
この新聞は、暴かれた事実に関係のある人にとっては憎しみの対象であろう。しかし、私は、人を憎んでやっているのではない。
関係のある人に会っても礼を尽くし、挨拶をする。その人にむしろ親しみを感ずる。
大きな事件は大概裁判にかけているから、新聞の内容は裁判の記録である。
室戸市や東洋町、高知県庁の行政が正常化すればそれでいい。人はどんな人でも尊重されねばならない。
そして、行政が正常化するためには、新聞で批判するだけではなかなか達成できない。
他の新聞と違うのは、記者である私がその行政の権力を掌握しようとしていることだ。
だから、事実の報道とそのコメントだけでなく、私の新聞ではどうすれば市民の生活が改善されるか、正しい行政とは何かを提示している。
私自身がひとり完全無欠で立派な人格者だという訳ではない。むしろ私は欠陥だらけで修行途中の身であり、毎日、失敗と後悔を繰り返しながら生活をしている。顧みれば恥じ多い人生で初めからやり直したいぐらいだ。
だから他人について個人的なスキャンダラスな事件は書けない。書くのは公の行政や議会に上った事件だけだ。
批判の相手や権力を忖度したり、また批判の相手からの攻撃を恐れて筆を曲げないことだ。
ジャーナリストでもあった若きマルクスがいうように、根本的な批判とは、批判の結果を恐れぬことだ。

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2018年4月20日 (金)

女性記者の告発

News & Letters/628
財務次官への取材中に次官から受けたセクハラの事実を他社の週刊誌に漏らしたのは
不適切だ、と所属社の幹部が被害女性記者を非難した。なんだこれは。
第一に、女性記者がそうせざるを得ない環境に置いていたその会社の在り方が問われるべきだ。
第二に、セクハラの受難は犯罪の被害だ。取材中であっても刑事犯の被害にあった場合は
被害者は告発する権利がある。それはもはや業務の枠、会社の規則の枠の次元を超えている。
業務中に首を絞められ殺されかかったらどうする?どういう手段を講じても防衛し助けを求めるのは当然のことで会社のルールは及ばない。基本的人権を守るというのは自然法の世界の話で、会社の規則どころか法令の枠を超えた人間の根源的な行為である。特に性の問題は人間の生命現象でその拒絶反応も生命現象的人権である。
取材源の秘匿とか経営上の利得などで論ずべきものではない。

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2018年3月14日 (水)

公文書改ざんと自殺

News & Letters/621
今日では権力は情報を操作して民衆を支配する。知らさないで支配する封建時代と違って
情報をコントロールし隠ぺいはもとより虚偽の情報を出してまで権力を維持しようとする。
戦争中でも平時でもそうだ。
しかし、今回の事案は様子が違う。
私は地方行政ではあるが数多くの決裁文書を見てきた。
森友学園に関する財務省の発表された原本という決裁文書は少し異様である。
普通は、知られてはまずい情報ははじめから公文書には記載しない。
うさんくさい森友側との交渉記録の詳細や口利き議員の氏名、昭恵夫人の関与を示唆する記述(森友側の発言)までわざわざ書き込んだのは何のためか。
回答:財務省の担当官吏の自己保身のために、書くべきではない情報まで書き込んだ、と考えられる。
この事案が財務省の正規の手続きではないこと、政治案件であること、これを明確にするために起案文が書かれ、局長までがそれに押印し、後々の証にしようとしたものと考えられる。その行為は末端権力の、上級権力の理不尽な不正に対する抵抗であった。
担当官が自殺に追い込まれたのは、陰に陽にその責任が追及されたからであろう。
佐川前国税庁長官が詰め腹を切らされたのも公文書を改ざんしたからではない。
大規模な改ざんをせねばならない原本に押印したからである。
 
権力が情報を不正に扱うのを止めるのは、その権力が真に国民に奉仕しようとするものである場合だけである。情報の扱いによってその権力の性格がわかる。

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2018年2月20日 (火)

高知新聞「核廃迷走」 の続き

News & Letters/620
交付金の餌と放射能への無知を利用して応募地を募り、そこを即適地として最終処分場を建設するという目論見は東洋町で最終的にとん挫した。
そこで政府は、新たな手法として科学的有望地を選定し、上から国民の合意を「形成」するというやり方に転換した。
しかし、合意「形成」として金で学生を動員したりして努力しているがかえって国民の不信と反発を買ってなかなか進まない。
国民の最終処分場への合意形成、その前提となる「国民が決断を下す環境」(連載記事⑧)が整うのが大前提だが、高知新聞はその「環境」について何も語らない。まともな新聞社は少なくとも次の二つは言わなければなるまい。
すくなくとも、
第一に六ケ所村の再処理工場を止めることだ。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出すという
工程からは元の燃料の何層倍(ある試算では少なくとも6倍)もの新たな核廃棄物が生まれる。
第二に原発の稼働をやめることだ。
これら二つの「環境」整備は核廃処分について国民合意の絶対的な条件である。
その二つ条件を満たしてもそれでもやはり国民の合意形成は超困難である。自分の住むところや近隣に核廃棄物が埋められるということを当事者として想定してみればすぐわかることだ。自分のところ以外のどっかを想定するからそれが実現できると思い込むのである。
そこで政府が以前から持ち出しているのが「中間貯蔵施設」での暫定保存である。
中間というのは
①原発と最終処分との中間という意味と
②原発と再処理工場までの中間という二つの意味がある。
②のコースは破綻しかかっている。問題は①のコースであるが、最終処分場の建設はほぼ絶望的であろうから、中間施設での管理を永続的に進めるという方策しか道はない。これは玄海町だけなく、原発があるところでは今の状況では容易に実現可能である。
すでに使用済み核燃料を原発施設内で中間貯蔵を行っているからである。
政府は最終処分場建設を模索しながら、実際には中間貯蔵施設への転換を推し進める。
埋め捨てをもくろむ地層処分の危険性よりも地上施設での管理はなお一層危険である。
原子炉のような何層ものバリャもなく、永久貯蔵のためのセキュリティも備えない中間施設をなし崩し的に長期貯蔵施設
⇒永久施設に転用する企みの欺瞞性は隠すことはできない。東洋町を経ていまや国民は容易に騙されない。
そして、最後に言わねばならない。
最終処分にしても中間貯蔵の永久化にしても国民の合計「形成」は容易ではない。
引き続きマスコミのフェイク宣伝の力を借りながら政府の最後の手段は、沖縄の辺野古基地建設強行の方式をとることである。
強権を発動して処分場の建設を強行しだすことは目に見えている。それはここ十年か二十年に迫っている。
その時に日本人民はどのような戦いをするのか、これまでのような法廷闘争や住民投票などの平和的な方式だけでは勝てないだろう。

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2018年2月18日 (日)

続 高知新聞「核廃迷走 東洋町から10年余」について

News & Letters/619
この連載の最後⑧に、国が主導する最終処分場の選定のための「科学的特性マップ」をもとにした国民への説明会を取り上げ、説明会へのやらせ動員のフェークが露呈した事を取り上げた。このような世論操作の例として九電のやらせメールもとりあげ核廃や原発稼働に対する「国民の不信感」、「不信続く処分事業」を強調する。
国や電力会社への国民の不信はそのとおりだが、それでは、高知新聞が東洋町の「騒動」前、その後の新聞広告でNUMOの核廃最終処分場(地層処分)の安全広告を繰り返したのは、どのように説明する。?
連載記事⑦で、日本学術会議の核廃問題についての提言を取り上げたが、その提言で日本列島では核廃問題を解決する地層処分は不可能だという最も核心的な疑問的提言を記事から没却したのは何故だ。
連載記事⑦で日本学術会議の提言で核廃の「暫定保管」を紹介しているがそれは、日本における核廃の最終処分としての地層処分に対する疑問を前提にしている。「長期に安定した地層が日本に存在するかどうかについて、科学的根拠の厳密な検証が必要である。日本は火山活動が活発な地域であるとともに活断層の存在など地層の安定性には不安要素がある。」(2012年9月12日日本学術会議(「回答 高レベル放射性廃棄物の処分について」)
地層処分の有益性を宣伝した新聞社が日本学術会議の核心的提言を隠そうとするのは自然なことだ。
国民の死活に係ることで、政府や電力会社のフェーク宣伝を紙面いっぱいにして広告費を稼ぐ新聞には倫理も正義も何もないのか。
東洋町の「騒動」のことも「表面化したのは2006年9月。」(連載記事④)という。それは確かに私が9月の室戸市議会で東洋町の核廃問題を質問通告したとき、それを契機にして高知新聞が取り上げたのが最初でそれから「騒動」は本格化した。
だが、高知新聞の室戸市局は、私が知る何か月も前から東洋町役場や議会の核廃への極秘の動きを知っていたが東洋町長との約束でそれを伏せていたという。新聞社の使命は、国民に対して一刻も早く真実を報道することだ。
敵側の体制が整うまで攻められる国民には情報を隠してもよいという姿勢が、報道機関の誠意であろうか。

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高知新聞 特集記事「核廃迷走 東洋町から10年余」について

News & Letters/618
 (論評1)            
高知新聞が最近高レベル放射性廃棄物の最終処分場をめぐる東洋町の騒動からこの十年余を総括する記事を連載した。
私は高知新聞を購読していないので全部は見ていない。
総括すること自体はいいことである。力作といいたいところだがどう見ても内容がうすっぺらで粗悪である。
おおざっぱに批評しても次の問題がある。
記事① 核廃問題で起こった東洋町での「騒動」の話をはぐらかしている。
現東洋町議会議長で当時核廃推進のリーダーだった西岡の話(「やらんでよかったと思う」)を載せそのきっかけが「やはり東京電力福島第1原発事故」という。
しかし、原発反対運動をした町民から何も取材せず推進派をのみ取材しその転向(改心)とそのきっかけとして福島の原発事故を挙げる。
高知新聞は何を言いたいのか不審を覚える。推進派の巨頭の一人だった男の変身の理由など問題外だろう。
東洋町の反対の「騒動」は東北大震災・福島原発事故の4年前に起こったのだ。なぜ原発とは縁もゆかりもなかった東洋町で猛烈な反対運動が沸き起こり町役場や政府の策謀が粉砕されたのか、この事実と経緯が第一の総括でなければならない。
福島原発事故を知らない町民が猛烈に立ち上がったのである。問題のすり替えも甚だしい。
記事②で九州の玄海町と東洋町との違いを論じる。
玄海町の状況、藤浦元共産党町議の発言(玄海町内で反対派の声が挙げづらい)を紹介し東洋町が町長選で住民がNOを突き付けた事例と比較して「核廃を意識した二つの町の違いは何か」と自問する。
記者の答え。玄海町の岸本町長の言(東洋町の場合は「反対派やマスコミに引きずられた結果」)やNUMO幹部の同様の発言を紹介し、「だが、07年の取材を思い返せば、この見方は一面的に映る。」として記者は「これまで東洋町を含む15以上の自治体で、候補地選定に向けた・・・・そのほとんどが原発とは無縁で、過疎にあえぐ小さな町村だ。それ故、「交付金を生かした振興のため」以外に、調査を受け入れる理由は説明しづらい。」という。
核廃問題が起こっても住民の反対運動が起こりづらいという玄海町と圧倒的な住民による反対運動が沸き起こった東洋町の違いは何ぞやと自問しておきながら
その回答として「調査を受け入れる理由」=「交付金」を挙げている。交付金は推進派の理由であり動機であって住民の反対運動の理由ではない。
この破たん調の論理の狙いは、意図するしないに関わらず核廃騒動が「交付金」をめぐって起こったかのような印象を読者に与える。
しかし、無論、東洋町の住民が起こした「騒動」は放射能への恐怖による本能的な拒絶感情からであり、お金の問題などではない。
高知新聞の今回の企画は核廃について東洋町住民の正しい戦いの歴史を矮小化しペテン的にすり替えようしていると言わざるを得ない。
 
核廃問題では、受け入れを表明した玄海町長は町内外の猛烈な抗議を受けて数日のうちに完全に撤回した。私は、玄海町に入って当時戸別にビラまきをしたが原発は別だが、住民の誰一人として核廃に賛同するものはいないと感じた。
原発の至近距離の唐津市民(串地区)の一部が受け入れに賛同する動きがあったがそれもすぐにつぶれた。
核廃については東洋町も玄海町もどこの住民も同じ感情であり、拒絶反応であることを記者は知るべきである。

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2018年2月13日 (火)

高知新聞2月10日記事「高知政経懇話会ノート」について

News & Letters/617
平昌五輪で南北朝鮮の対話が進んでいることを安倍はにがにがしく思っている。
とにかく東アジアにおいて最も危険な存在は北朝鮮よりも日本の安倍政権である。
安倍らは米国トランプが北朝鮮へ全面的に爆撃することを希っているのである。
高新が掲載した道下氏の論理にはこのことが全く分かっていない。
「敵基地攻撃能力」を日本が持つことも賛成だという。高知新聞の好戦的姿勢もこれで窺知できる。
東アジアの軍事的勢力図は、
①日韓にある米国の核兵器を持つ軍事基地及び太平洋の海上や海底をうごめくアメリカの艦船
②中国、ロシア、北朝鮮の核兵器を基軸にした軍事力
③そして米国と連携した日本の軍事力。
この①②③の勢力が東アジアの平和を望む人民の脅威なのである。
②の3国にはそれぞれ異なった思惑があり、独自の軍事的脅威を振るっている。
③の日本の脅威は安倍政権という突出した戦争推進勢力が表面で踊っているが、
その背後には三菱重工ら軍需産業が暗躍している。
原発関係の組織や企業の重要なトップには三菱の血脈が色濃く刻印されている。(詳しくは広瀬隆「私物国家日本の黒幕の系図」)
どんなに危険であろうと、どんなにコストがかかろうと、核兵器生産を狙う三菱などの
財閥系の死の商人が、原発、再処理工場の稼働を死守しようと血道をあげている。
日本の死の商人にはプルトニウムを確保することが至上命令なのだ。
日本の死の商人の暗躍とその代理人自民党と安倍政権の存続は、北朝鮮よりもなお東アジア人民の最大の脅威であろう。
日韓にある米軍基地、日韓の原発、これらを撤廃しないで北朝鮮だけの核とミサイルの撤廃をいうのは強盗的というべきだ。
東アジアのプロレタリア人民は①②③の軍事的脅威の全面的廃止を目指して戦うべきだ。
原発問題は、エネルギーの問題であり放射能の環境問題であるが、何よりも軍事問題であり反戦平和の問題である。

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2017年12月19日 (火)

高校友の会

News & Letters/610
角岡伸彦の「ふしぎな部落問題」という本を読んでみた。
週刊朝日や新潮社などが大阪市長だった橋下氏の出自(部落民)を明らかにし
それと橋下氏の政治手法とを結びつける差別キャンペーンについて厳しく批判していた。
これについて解放運動側がほとんど何の反応も示さなかった事実。
また、屠場を描いた記録映画について解放運動側がこれの上映に否定的でつぶしてしまったことについてその考えが、旧来の寝た子を起こすな、差別の実態を隠せという方向で動いていた事実が厳しく追及されている。
そして箕面の部落の解放運動が市民に向かって新し取り組みをしていることが興味深く記述されていた。
その中で、「高校(生)友の会」のことも触れられていた。
その箕面の部落でも高校友の会の青年たちが、守旧的な年寄りを乗り越えて革新的な解放運動を推し進めたという。
まさにその高校友の会は、私が大学を出てすぐ解放同盟大阪府連の書記として大阪府下50数部落を歩いて組織した最初の成果だった。
高校友の会の名称もその規約も私が発案し作成した。「大学友の会」も同時期に作り私が会長になったが人が集まらずあまりうまくいかなかった。
泉南や能勢の方では解放同盟未組織の部落もかなりあった。能勢のいくつかの部落では夕方バスがなくて雪がちらちらする中を歩いて山を越えたこともあった。同和奨学資金を受けている高校生の名簿を頼りに一軒一軒訪ねて村の集会所に彼ら及び親たちを集めて
部落問題を話した。高校生らにとっては、衝撃的であっただろう。その学習会合で自分が被差別部落の人間であることを初めて知った者も多くいたかもしれない。私は、彼らに、差別は必ず受ける。受けていないと思っても周囲のものは知っている。結婚や就職のとき突然それは我々に襲い掛かってくる。差別から逃げず、みんなが団結してこれと戦って生きていこう。
部落で生まれたことを悲しんだり恥ずかしいと思うのではなく、むしろ部落で生まれ育ったことを自分の原点とし、これを誇りに思って、間違ったこの世を変革して差別のない社会を建設しよう、と熱っぽく語った。
何せ当時の私は恐れを知らぬ革命戦士のつもりで生きていたのであるから私の熱風に感受性の強い高校生は奮い立ったであろう。
私が住んでいた矢田を中心に、住吉、浪速などの大阪府下の部落高校生が澎湃と立ち上がった。高校友の会は全国に広がったようだ。
府下の高校友の会の集会などでは府連から派遣された執行委員の講演内容がおかしい、融和的であるといって友の会の活動家が演壇上のその男を大勢で取り囲んで「糾弾」
したこともあり後で府連執行委員会(私は書記として出席していた)で私が扇動したのではないかと批判されたこともあった。
その当時のNHKの教育番組テレビでも取り上げられ「部落高校生は語る」という題で数回繰り返し放送された。当時の友の会の活発な活動が見て取れる。
その番組で私は司会をしていて発言していないが、NHKに対する高校生の厳しい発言はすべて割愛されていた。
数年して私は切迫する狭山事件を全国的に発展させるため解放同盟を脱藩したのでその後の各支部の高校友の会がどうなったかわからなくなったが、狭山闘争に多くの部落高校生が参加したことは間違いない。各地区で高校友の会が新しい運動の中核となって行ったことは間違いないだろう。
角岡氏の記述では箕面の部落でも高校友の会のメンバーが支部の中心をになっていったことがかかれている。
今や、解放運動はその当時の面影もない。屠場の記録映画をつぶしてしまう、部落の出自を週刊誌で暴かれても何らの大衆的な糾弾闘争も起こらない。
ヘイトスピーチが蔓延する現在の世情は部落解放運動の低迷が大きな原因であると私は思っている。
高校友の会とは違って、大学友の会は成功しなかったが、ただし大事な人物二人に会い二人を親友として革命的な解放運動を進めることができた。
一人は国守の住職斎藤君であり、もう一人は荒本の中西君である。のちにこの二人の縁で国守と荒本の部落が私の解放運動の拠点となった。
 
角岡氏の部落問題の捉え方には私のほうに異議がある。次回に続く

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