マスコミの報道のありかた

2017年3月30日 (木)

伊方原発広島地裁判決と高知新聞記事

News & Letters/563

大阪高裁の逆転判決に続いて、伊方原発の差止仮処分申請却下された。
理由はまだわからなが、国民は暗澹たる気持ちだ。
この不当判決が出る日の高知新聞の朝刊で広島地裁での裁判の争点について解説記事があった。

この記事では「基準地震動」が争点となっている。
しかし、この記事をいくら読んでもその「争点」がはっきりしない。
中央構造線断層帯の地震動の評価が争点であるとするが、「住民側は様々な学説を引用」て、現行の基準地震動は過小評価だという、としか説明されていないから、意味が不明である。

原告住民側の裁判記録を見ればわかるが、原告が主張している根拠は、IAEAの国際基準とそれを具現化した日本政府の推本が出したレシピである。レシピといわれるのは正確には「震源断層を特定した地震の強震動予測手法」のことであり、その最も新しいのが2016年6月10日にでたものである。これによればほとんどすべての日本の原発は稼働できない。

今回の伊方判決ではどうもその判断を避けたようであるが、最大の争点は、日本政府が出した地震評価の方式を規制委員会や電力会社が拒絶している事実について裁判所だけでなく、国民や報道各社がどう考えるのか、ということなのである。

政府推本が出している地震評価方式は、高知新聞が言うような「学説」の一つではなく、日本の大方の地震学者の一種の統一見解なのである。

レシピは、規準地震動に関する地震学者の統一見解であり、この見解は、全国の都道府県の地震についての指針であり、原発についても最低限これを踏まえなければならない規準なのである。従って報道各社がこのレシピについて何も報道しないのはなぜなのかが問題になる。

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2017年3月 4日 (土)

石原元知事の会見

News & Letters/554
石原元都知事の昨日の記者会見内容について無責任だとの批判が厳しい。
しかし、これが首長の実態ではないか。
作家であったことはともかく、国会議員であったが、行政実務について全く無関心で
無知であったのであろう。その者が東京都の行政のトップになった。
豊洲市場移転事件について
瑕疵担保責任について何も知らなかった、という。
契約書にハンコを押した覚えがない、という。
自分が最高責任者だが、責任は都庁全体であり
議会にも責任がある、という。
こんな感覚のまま十数年都庁の行政のトップに居座っていた。
それを都民もマスコミもずっとこの男を選び敬意を払ってきた。
それは都庁だけではない。行政経験があるなしにかかわらず、多くの首長はこんな調子だ。
行政に素人はもちろん、永年行政の幹部を務めてきた連中が首長になっても
第1に、行政法を勉強しない。だから、民主主義的な行政手続きをわきまえていない。
 役場で行政関係の法令(憲法や地方自治法など)法令や学説、判例、行政実例に照らして勉強しながら業務を行うという習慣が存在していないのである。
第2に、土木工学はもとより、地震学や原子力など行政の判断や業務遂行に欠かせない科学的知見について学習するということもない。
従って行政を遂行する動機や目的が利権につながったものになるのは必然なのである。あるいは初めから、利権行政を目的に役場に乗り込んでくるということにもなるから、憲法も法令も住民の福祉・人権も何も見えないのである。原発が巨大な危険を伴うということについてその結果を見通した判断も利権にかすんで見えなくなる。大小いろいろな規模があるが、行政を動かす者は、憲法や法令を絶えず勉強し相当大容量の学習能力をもたなくては、まともなことは何もできない。
しかし石原のようにいくら能力があっても、憲法や人権を軽んずるものでは、何も学習されない。ヨットに乗って遊んで暮らして決済のハンコも誰に任せたかわからないまま知事の座に座っておられるのである。石原のそのような姿全体が、罪であり、そんな自堕落な知事を許した都民の罪である。
大小さまざまな石原が今日の日本の津々浦々にうじゃうじゃと存在しているということである。

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2016年5月20日 (金)

速報  丸山長寿園の無償譲渡について不当判決

News & Letters/488

    違法である。しかし免罪する。

昨日平成28年5月17日高知地方裁判所 民事部石丸将利裁判長、陪席高木晶大判事、同泉地賢治によって、矛盾に満ちた不当判決がなされた。

判決内容では、室戸市長であり、当時安芸広域市町村圏特別養護老人ホーム組合の組合長小松幹侍が、民間団体に行政財産を無償譲渡した行為が地方自治法第238条の4に違反すると断定しておきながら、どういう理由か不明確な理由で、小松幹侍に賠償責任はない、として免罪した。

民間団体に行政財産を無償譲渡の契約をした行為は、法令違反であり、無効である、と判示しながら、おとがめなし、という
結論が国民を納得させられるであろうか。すなわち、本件無償譲渡契約及び無償譲渡について判決文は言う。

「本件契約は、地方自治法238条の4第1項の規定に違反してされたものであり、同条の4第6項の規定により、無効である。よって、本件契約に基づく本件無償譲渡は、地方自治法に違反した違法な財務会計行為であったというべきである。」

さらにこれに続いてご丁寧にその違法判示の理由として

「地方自治法238条の4第1項が行政財産の譲与等を禁止したのは、行政財産が、地方公共団体の行政執行の物的手段として行政目的の達成のために利用されるべきものであることを考慮し、法律上厳しくその処分や私権の設定等を禁止することとしたからであり、仮に、引き渡しなどは用途廃止後に行われるとの理由で用途廃止前における処分が認められるとすれば、同項の規定の趣旨を没却するおそれがある。」とまで断定しているのである。

無償譲渡の契約、それに基づく無償譲渡の実行が違法であり無効であるならば、当事者に財産の原状回復や賠償責任を求めるのが道理であろう。

おそらく裁判官のうち、違法、無効を唱える者と、どうでもいいから住民側敗訴にしようという裁判長の判断とが分裂してこのような矛盾した判決文となったのであろう。
「法服の王国」の混乱もこのように歴然と表出したのでは、救いようがないのではないか。すなわち、裁判の信用性、裁判の公正さを誰が見ても、根底から失墜させているのである。

私の任務は、もとより行政の不正を暴きこれを正すことを目的とするが、現在の「法服の王国」の実態を白日の下にさらすというもう一つの重要な役割もある。
この判決を受けて安芸広域市町村圏特別養護老人ホーム組合の執行部は勝訴したと言って喜ぶであろうか。

保育園の民営化などを名目にして行政財産の民間への譲渡は相当広く行われており、この判決の影響は大である。
新聞や報道機関は、この判決の重大性を無視しているが、少なくとも、行政財産の譲渡が違法であるという判決が出たことぐらいは報道すべきであろう。

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2016年5月 5日 (木)

続高知新聞「自民党改憲案」下

News & Letters/483

前回、高知新聞は民主主義の原理が「欧米などの民主主義国」特有の「価値観」であるかのような表現をし、自民党改憲案が安倍が標榜する「価値観外交」から外れ欧米民主主義国の「普遍的価値観から外れた「異質な国」と見られる恐れ」を危惧していた。

しかし、自然法(自然権)思想を築いた思想家は確かに欧米の人間であるが、その法源は聖書、イエス・キリストの言葉にあるとしている。イエス・キリストはいわゆる欧米の人間ではない。

天賦人権は、人類の発生から始まっている。古代の奴隷にも、現在の日本国民にも生まれながら備わっているものである。
江戸時代の思想家安藤昌益が「自然真営道」で描いた世界が天賦人権の平和と自由の世界に他ならない。
決して安倍や高知新聞が言う欧米民主主義国だけの「価値観」などというものではない。


1、 高知新聞の限界は、5月3日の社説、憲法9条をめぐる議論に露呈された。
 社説は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」という文言を自民党が「ユートピア的発想」として捨てたことに関して、「理想論といえばその通りかもしれない」とか、「平和への志」という評価をする。しかし、この憲法前文の文言は、単なる「理想論」や「志」というものではない。
 それは、非武装非戦主義を現実の国際社会で戦略として打ち出したものであり、極めてポリチカルな方針なのである。

 実際にその非武装非戦主義で激動の戦後70年を通そうとしてきたのである。現実には非武装という点は完全に崩れたのであるが、少なくとも憲法上はそうであった。自衛隊という軍隊がなくとも米軍以外は誰も日本を攻めたり占領しようとはしなかっただろう。

2、社説は「今や世界有数の実力を保有し、災害時などに活躍する自衛隊を憲法でどう位置づけるかは、改めて議論してよいだろう。」という。これは要するに自衛隊の存在を前提として憲法改正の議論をするlべきだということになり、問題はただ自民党が目指す集団的自衛権の行使を認める所までそれを発展させるかどうか、という事に絞られる。
 高知新聞は、専守防衛の線での自衛隊の存在を憲法改正で積極敵に認めろという事になるであろう。
 自衛隊の存在と現行憲法9条の第2項第3項は明らかに矛盾するからである。
 その矛盾を高知新聞は、現状の是正ではなく、憲法の是正の方向に誘導しようという考えである。

3、憲法9条の内容はおおむね3つに要約される。

① 国際紛争の解決のために国権の発動として永久に戦争をしない。そのため武力による威嚇、武力行使はしない。

② ①のために陸海空その他の戦力はこれを保持しない。

③ 国の交戦権は、これを認めない。

②、③の条項は、戦争放棄の①の条文を担保するために設けられたものであり、①②③は一体のものとしてきりはなすことはできない。憲法9条は、「理想」とか理念とかではなく、リアルポリッティクスの政治的方針であり、憲法制定当時に日本国民は選択的に、日本はこれでいくと決心したのである。

 なぜ非戦非武装の道を選んだのか。
 それは憲法前文にも書いてある通り、「日本国民は自ら進んで戦争を放棄し、全世界に正義と秩序とを基調とする永遠の平和」を実現しようとしたからであり、それは何よりも「政府の行為により再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」し反省したからである。

 のちのちの日本人が憲法9条の非戦非武装の規定の理由とその決意を忘れないようにそのことを憲法前文に書き記したのである。アジア太平洋戦争の原罪を背負いその償いの勤行として9条は設定された。このことを忘れてはならない。

 この9条によっていかなる苦境、如何なる苦難があろうともわれわれは覚悟してこれを憲法に入れた。その我々の苦難などは、先のアジア太平洋戦争で犯した罪、未曽有の不幸と悲しみをアジアの人民に与えた事実に比べれば、些々たるものに過ぎない。

 自衛、自国防衛の戦争も許されないというのが憲法9条の定めだ。それはそもそも、日本の生命線だ、自衛の戦争だとかいって、中国や朝鮮、台湾は元より旧満州やモンゴル、インドネシアやフィリピン、ビルマ、インドにまで自衛戦争を拡大した。軍略上は、先制攻撃こそ最大の自衛であって、世界を平らげるまでは、安心できない。

 緊急事態は、何も外から急に迫ってくるのではない。盧溝橋事件などに見るとおりほとんどすべては日本軍がでっちあげて全面戦争に発展させた。歴史は繰り返す。
 昔は軍部や警察が怖かったから、何も言えなかったが、今は何を恐れる?死は何も怖くはないぞ。日本国憲法を踏みにじり祖国を再び敗亡の惨禍に引きずり込もうとする連中に何の遠慮がいるものか。 

4、自民党案の9条には確かに「戦争放棄」がはめられている。しかし、それには、アジア太平洋戦争の反省はひとかけらもなく、したがって、その9条の第2項の自衛権の規定、次条9条の2の第1項第2項の国防軍規定、さらに98条、99条の緊急事態宣言等によって、形ばかりの戦争放棄条項も完全に換骨奪胎されるのである。
 
 高知新聞には、自民党改憲案の98条・99条の緊急事態宣言の条項について言及していない。
 この条項は、自民党改憲案の核心に盛られた毒薬であって、これによって自民党は、侵略戦争開始とそのための場内平和のために国民の基本的人権の圧殺を一挙に達成しようとしている。
 なぜ高知新聞はこの条項の存在を問題にしないのだ。

5、最後に高知新聞社説は「私たちは憲法を「不磨の大典」とは考えていない。」、改正はいいが改悪はいけない、などという。
  要するに高知新聞は憲法改正はいいというのである。

 現行憲法は、特にその9条の存在によって「不磨の大典」となっている。
 確かにいろいろ物足らないものもあるであろう。しかし、国民主権と基本的人権がこれほど明確に確立されている憲法はほかにどこにもないであろう。足らないものは法令や判例で補えばよい。イギリスのように判例ばかりで憲法のない国もあるぐ
 らいだ。「…これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」という文言によって現行憲法の不磨性、至高性が明瞭に宣言されている。
 何よりも、国家として戦争放棄、非武装、の徹底した平和主義がその至高性を保証している。

 このような理念を現実の政治的方針として掲げる国はどこにもない。
 その素晴らしい不磨の大典の理念を、日本の昔の暗い「伝統」・・・戦争と圧政と差別と貧困の伝統に替えることは断じて許してはならない。それはダイヤモンドや金玉の宝石を、瓦礫と替えるに等しいのである。

6、自民党の改憲の動機は、表向きは現行憲法はアメリカによる押しつけだから、という事であるが、真実はその逆である。
 アメリカに、より一層隷従するために、アメリカの帝国主義的戦争行為に従軍するために、9条の廃止と国内整備が本当の動機である。そのことは安保法案の国会議論で全部明らかになった。日本のマスコミもわかったはずだ。

 アメリカに随従するために自国民を犠牲に供する。TPP参加も同じ目的だ。
 自民党の改憲策謀は売国行為であり、日本歴史上の恥部である。
 日本人民は、沖縄をはじめ日本を今なお占領し侵略している本当の敵は、アメリカ帝国主義であり、それに隷属を深めるために憲法を投げ捨てようとしている自民党の醜悪な姿を直視するべきである。
 
ただし、付言するが、戦争や武装の放棄は、それはあくまで国家段階のことであって、国民が圧政に対し又は外敵の侵略行為に対し武器を持って立ち上がることは禁止されていない。

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2016年5月 1日 (日)

高知新聞社説【基盤の立憲主義が揺らぐ」

News & Letters/481

平成28年5月1日高知新聞の朝刊社説で自民党の憲法改正案に対する批判がなされている。

その意図するところはいいのであるが、批判が緩いし、現行憲法についての理解が浅い。
現行日本国憲法前文の最大の主眼は、①第一に、国民主権の強調であり、②第二に国政の目標が反戦平和主義、自由平等など国民の基本的人権の実現、③第三に、これ(憲法)に反する権力の行使、立法、詔勅類の廃止をうたっている。

前文では、権力に対して法の支配そのものをは直接的には対置し表現していないが、それは③によって、担保されている。

だから、日本国憲法の立憲主義は①と②と③の全体が一体となっているのである。
①②③のどの一つが揺らいでも憲法の立憲主義の趣旨は揺らぐ。すなわち①②のために憲法を制定するというのが現行憲法制定の趣旨であり、③そうでない憲法や法令は認めないというのが立憲の本旨である。

立憲主義が平和主義や基本的人権などと分離・並立して論ぜられないように構成されているのである。

立憲主義でいうなら明治憲法も一応立憲主義の建前を取っているのである。
問題は、誰のため、何のための立憲かである。

自民党案の前文は第1に「国民主権」の言葉は一つ挿入されているがその内実がなく、それが天皇元首の下に据えられている。

第2に先の戦争への反省、反戦思想が欠如している。

第3に基本的人権という言葉があるがその内実がなく、それも政府ではなく国民の義務となっている。第4に国民に義務付けはあるが、政府の方に何の規制もない。第5に、憲法制定の目的趣旨を、日本の「伝統」と国家の存続においていて、戦争の廃絶、飢餓からの解放、政府による圧制からの人類の解放など現行憲法の趣旨を没却した。彼らが言う日本の「伝統」というのは圧政の伝統である。

それは、上掲現行憲法の①②を実現するための憲法ではなく、立憲は立憲であるが、国民のための憲法ではなく、圧政者の都合の良い立憲となっている。自民党案の立憲の最大の狙いは人民主権の打倒、その盗奪なのである。

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2016年3月29日 (火)

命の軽重

News & Letters/469

高知県東部のある地区で最近殺人1件、瀕死の重傷2件が起きた。同じ地区の同一グループの仕業と思える。

それが3件目でやっと犯人が逮捕された。被害者が袋叩きにされ虫の息になって放置されていたのを警察が探し出した。

地元の新聞記者が、その事件、逮捕のありさまを取材し、本社のデスクに原稿を送った。確かこの3月11日のことだった

だが、新聞社はそれを記事にしなかった。
1件目の殺人事件は2年ぐらい前にこのブログで書いた。被害者は犯人らの出入りする民家で袋叩きにされて死んでいた。その悲惨な撲殺遺体のありさまは多くの村人が見て知っていたが、警察は病死という事にして捜査をしなかった。

2件目は、昨年これも袋叩きにされて現在植物人間になっている。
そして3件目になって初めてその犯人をしょっ引いて取り調べをしている。これら犯罪グループによる凶悪な事件が連続して起こっているのに、そして記者は最近の事件については取材原稿を本社に送ったというのに、新聞はこれを掲載しない。

この犯罪グループには親玉がいて、そいつらは、防犯関係の役員となって警察署での会合に顔を出していた。

地域の密漁の総大将のような男もその会に出席していたので私はびっくりしたことがある。
その男は漁協の事務所で「オラは、徳島県警につかまったことはあるが、高知県警につかまったことはない。」と豪語していたという。その男らの家では警察関係者がしばしば宴会を開いていたといわれる。

東洋町長松延宏幸は、昨年野根漁協の1000万円事件での住民訴訟に対抗して最高裁に虚偽の理事名簿を挙げて、それが功を奏して事件を高松高裁に差戻しにしてもらったが、その虚偽の理事名簿にこの現在収監中の男の名前を連ねていた。

組合員や町民も唖然としたが、恥を知るべきであろう。雲の上の最高裁判事が現実社会のことを知る由もなかろう。

幾人もの者が死んだり瀕死の重傷を負わなければ警察は動かない。差別の塊のようなデスクはその地域がどういうところか熟知していて、そこの地区の人間の命の価値がとるにたりないものと考えているから、県外のはるか遠方の同様の事件を記事にしても、決してこの地区の事件はたとえ高知県であっても紙上に載せるに値しないと考えているのであろう。
何はともあれ地域の住民たちは、殺人鬼がつかまったことにほっとしている。まさか警察は無罪放免にはするまい。

人の命を軽んずる者が、報道機関で飯を食っているのが高知県の実情だ。

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2016年3月26日 (土)

随意契約

News & Letters/468

ある公の病院の薬剤購入については、長年数十億円単位で不正な随意契約がまかり通っていた。

政府がそれを廃止して公正な一般競争入札に切り替えるように繰り返し通達しているにもかかわらずである。

そのやり口は、実際には一度に数千万円単位で落札しているのに、契約ではそれを3百万円未満の多数のものに分割し、随意契約が許されるように書類を作成して会計検査院の目をかすめるという事をしていたのである。

随意契約であるから、業者は担当職員が自由に選べる。特定の業者を排除し特定の他の業者とつるんで利権構造を拵えてきた。契約担当の幹部職員は肩で風を切って業者をあしらってきた。情報を開示請求しても肝心の資料は一切出さない。

いま、それが市民の告発によって、利権体制が大きく崩れ、不正に関与していた幹部職員は表から引っ込み、この3月から正常な一般競争入札が始まった。権力を笠に着た官僚に苦しめられてきた地元の業者らもやっと理不尽なくびきから解き放たれた。
随意契約は薬剤だけではなく機器類の購入など巨額の契約にも横行していたという。

他の公立病院でも、薬剤の購入については相当深刻な問題を抱えている。随意契約の横行だ。市町村でも、一般競争入札を避け、随意契約をするという風潮はなかなかやまない。

少し調べればすぐわかることだが、新聞もほとんど取り上げない。調査能力がないのか。
市民が住民訴訟で取り上げてもなんだかんだと言って裁判所が訴えを認めない。マスコミも独自の調査はせず、記事にも載せない。

公共事業での利権行政の柱は、随意契約であり、ほとんどすべて不正な契約なのである。
相手団体の事業が公益性のある事業だからというのが随意契約の擁護理由である。

だが、そんなことは地方自治法やその施行令にはうたわれていない。行政の行為の公益性は、相手団体のそれではなく、行政自体の手法や手続きの公正さが公益性を担保するのである。

マスメディアが見逃し、裁判所が、訴える市民を目の敵にし利権行政の擁護者になっているのが現状だ。

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2016年3月14日 (月)

高知新聞の本性

News & Letters/464

今日平成28年3月13日の朝刊に、高レベルの核廃棄物の最終処分場の記事が載っていた。

四国南部が核廃棄物の地層処分場として適地となる可能性について書かれていた。 火山や活断層が無く、海に近いからだという。 四国南部と言わずそれはずばり高知県のことだ。

名古屋大学の教授のインタビュ記事では、教授は何も四国南部が適地とは言わないが、高知新聞の記者が誘導質問的に四国南部が条件に合うような話を持ちかけている。 しかし、高知県土佐沖やその湾岸は火山地帯ではないが南海地震の震源地であり、繰り返し巨大津波が襲来している。また、野根沖から室戸岬のはるか沖合まで巨大な活断層がある。

南海地震の震源地であることを書かず新聞の地図でこの室戸沖の活断層について表示していない。室戸近辺の活断層は東大出版会発行の古典的な「日本の活断層」という本に赤々と表示されている。深層水をこの断層(それは海底の峡谷をなしている)から取水していることからも知れたことだ。

南海トラフは、如何なる活断層よりも恐ろしく活発であり、その激烈さその頻繁さは誰でも知っている。 その「四国南部」にまたしても狙いをつけて高レベル放射性廃棄物を埋設しようというのか。

このところ高知新聞は原発に反対するような記事がたくさん載せられていて頼もしく思っていたが、しかし、それはどうも高レベル核廃棄物受入れの地ならしであるのではないか。強い疑惑を持つ。

高知新聞はかつてしきりに高レベル核廃棄物の1面広告記事を掲載してきた前歴がある。 真実を隠し政府の意図を大きく報道する姿勢には、邪悪な魂胆が透けて見える。

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2016年1月25日 (月)

高知新聞の悪乗り

News & Letters/458

嘘の理事会名簿で出席者が多数であったから理事会は成立していた、などということが通用するなら、如何なる取締役会でも、どこの理事会でも嘘の名簿を裁判所に提出し、無効だ、有効だというでたらめが横行するであろう。

裁判所の役割は、その名簿が事実かどうか、証拠が確かかどうか確認したうえで判断することだ。

今回の事件では第1,2,3審ともその事実の確認、確定を行わず、数の計算だけで判断をしているのである。

このようなバカげた裁判を日本の裁判が今もやっていることに驚かざるを得ない。
ところで、昨年元の高松高裁が本件東洋町長の1000万円融資事件を違法だとしたのは、大筋2つの理由であった。

①ひとつは貸付規則を町民に公布しなかったことで、この貸付規則を無効と判断したこと。

②もう一つが、貸付相手側の漁協理事会の借り受け真正の議決が、特別利害関係者が参加していたので無効だと判断したことである。これについて松延宏幸町長側は、貸付規則の無効については争わず、ただ、理事会の成立の可否についてのみ最高裁に上告したのであった。

そして、最高裁の判断は、①についての高裁の判断は認め、すなわち貸付規則の無効についてはその通りだとし②の理事会成立については以前の最高裁判例があるので高松高裁の判断は誤りだと判断したのである。

その最高裁判決はインターネットで「平成28年1月22日最高裁判決」と打ち込めば誰でも見ることができる。

ところが、最高裁判決の翌日平成28年1月23日(土曜日)の高知新聞朝刊では、②の貸付規則についても、最高裁は「合理的だ」と判断したと紹介してある。
すなわち、
「二審が「規則は効力を生じていない」とした点についても「合理的な手続き」だったとし、町長の裁量権逸脱を否定した。」と書いていた。

高知新聞の記者は最高裁の判決を読めないほどのばかではないはずだから、読んだうえでわざと嘘を書いたという事になるであろう。新聞記者又は新聞社が判決文を新たに作ることができるのであろうか。

高知新聞のこの記事を読んだものは、本件東洋町の1000万円貸付事件について最高裁は全面的に違法性はないと判断したと理解するであろう。ある検察官も高知新聞をそのように読んだとして私に質問してきた。

この事件は検察庁に告発中だからである。
松延宏幸町側も、本件貸付規則の違法性、無効性については最高裁では何も争わず、町民に規則を公布しなかった事実については、認めていたのである。およそ、一般に公布しなかった規則が無効であることは近代社会では当たり前のことである。

雲の上の最高裁の裁判官でもそれくらいのことはわかる。今回の高知新聞の最高裁判決の偽造について責任者はどのように釈明するのか、聞きたいものだ。悪意がなければこれだけのことは書けまい。

高知新聞は以前にも東洋町の議員リコール請求に係る事件で地方自治法施行令に記述していない重要な文言をその施行令に書いてあると言って「   」で新聞で紹介した事件があった。

メディアは最低限、法令や、判決文を偽造することだけは、やめてほしい。私澤山保太郎を貶め害を加えるのはいくらでも構わないが、しかし、それは、国民を愚弄し、己の新聞の品性を汚すものである。

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2016年1月 1日 (金)

従軍慰安婦

News & Letters/451

安倍の支持者の意見はすなわち安倍の本音ですね。安倍は、ただ一つも成果をあげえない外交で何か成功を収めたい、と思って打って出たのです。10億円で大成功を収めるつもりだったのですが、韓国では大不興です。

今までの考えを打ち捨てて思い切った反省とお詫びをやってみたのですが、慣れないことだし、また、似合わないことだったのでしょう。

一体、歴史的事実にふたをすることができるだろうか。外交で暴虐の歴史を解消できるだろうか。暴君の浅知恵には日本の国民もあきれるだろう。

従軍慰安婦は単なる慰安婦ではない。軍が関与していないどころではない。
日本軍がアジア全域に進軍するところいたるところで、婦女子に対する暴行、強姦が行われた。

それをされた村や町の住民は、日本軍に対し極めて強行な敵対心と敵対行動をとった。
日本兵の殺戮を伴う強姦については、住民たちは徹底抗戦をするために立ち上がった。
そのため、日本侵略軍は、作戦行動がいたるところで困難となったのである。

そのことを憂慮した日本軍の最高幹部たちが、侵略作戦をスムーズに行うには、婦女子の強姦をやめさせること、将校や兵卒たちを性的に慰安するためにぜひとも慰安婦を必要と考えたのであった。

そのため、朝鮮、中国(台湾を含む)などのうら若い女性をあるいは甘言を弄し、あるいは強制的に、軍付属の性奴隷として囲い毎日すざましい苦役を強要したのである。これが従軍慰安婦なのである。

従軍慰安婦を戦線のいたるところで設置したが、しかし、日本軍の進むところ婦女子への暴行、強姦は少しもやまなかった。
従軍慰安婦問題は日本帝国軍隊の戦略的テーマであって、侵略戦争の付随的な問題ではない。

逆に、アジアの女性に対する強姦、暴行こそは、日本侵略軍の墓穴を掘った大問題であり、反日闘争の怒りの最大の爆発点であった。目の前で、自分の妻や娘、母や姉や同胞が、屈辱の中で犯されるのを見て、誰が黙っていられようか。

戦場での日本兵の行状は、獣とどう違うのであろうか。けものが村や町を荒らすのを人たるものが座視傍観できるであろうか。女性に対する蛮行の犠牲の象徴が従軍慰安婦であり、この問題を打ち消すことは先のアジア太平洋戦争での日本のした戦争行為を打ち消すに等しいのである。これらの蛮行と犠牲は、千秋万古、日本の義務教育はもとよりすべての高等教育で毎年毎年教科書で教えられねばならない。

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