東洋町町会議員の解職請求(リコール)に関する裁判

2010年6月26日 (土)

奇妙な判決

News & Letters/196

6月27日の高知新聞によると、高知地裁安芸支部で名誉毀損損害請求事件で奇妙な判決が出たようだ。
これは一昨年町議リコールで追求された田島毅三夫が、リコールは名誉毀損だと言うことで訴えた民事事件である。
こんな事案を裁判で取り上げると言うこともどうかと思うが、一部その請求が認められたと言うから驚きだ。

6人の住民に総額30万円払えという不当判決である。
住民と一緒に私も訴えられていたが、判決では「関与の証拠がない」とかで無罪となった。
別にリコールに関与していても違法だといわれる筋合いはないが、判決文を早くみたいものだ。

新聞報道によると、損害賠償が認められた一部というのは、税の滞納についての「分納」制度の問題であるようだ。
ある町会議員(当時町の監査委員)が長年税を滞納していて、それが問題となった。その町会議員を問題にしていたのは実は
田島毅三夫議員であったが、田島毅三夫は新町政になってから、やおらその滞納町議を擁護しだしたのである。
町議は非を認め全額支払い、監査委員も辞めた。しかし、田島毅三夫は自己一流の主張をやめない。

いわく、町には滞納について「分納」制度がある、その滞納していた町議は少しずつ分納していたから問題はない、というのである。平成20年3月に田島毅三夫について町民からリコール請求があったが、その理由の中に、この税の分納問題も入っていた。住民は、税金の分納制は法律上存在しない、そんな分納制を認めたら税金はまともに集まらない、みんなが分納を申し出るようになる、そんな主張をする町議は不届きであり、リコールしようということで立ち上がった。

田島毅三夫へのリコールの理由は外にもあり、核廃棄物の埋設施設を東洋町に導入し、国からの核交付金で町を発展させようと主張したことも追求されていた。
地裁安芸支部の判決では、分納制度は町に存在した可能性があり、住民の主張は町議田島毅三夫の評価を貶めることになるから、賠償する義務があるという、とんでもないものであった。

たしかに、東洋町役場では、事実上「分納」制度が存在していた。しかし、それは、正規の法的根拠があり、適法な手続があったわけではない。それは、代々の税務課長ら執行部が滞納者から少しでも税金をおさめてもらおうとして仕方なく認めてきたものである。証拠の書類は滞納者からの「分納誓約書」なるものが存在している。この分納誓約書は、しかし、町が分納でも構わないというものではなく、滞納者が今は一括して支払えないから税金を分割して納めるという一方的な約束をしてきたものであり、
民法上は債務確認書のような代物に過ぎない。

地方税法上「分納」が認められるのは、災害などの被害者が1年か2年間ぐらいの期間に税金を分割して支払っても良いという特別な規定であって、納期を破って、税や滞納を分割して納めてもよいという法律は何も存在していない、また、首長にも担当課長にもそのようなことを許す裁量権はあり得ない。

今回の判決で分納制を何か正当な制度のように判断しているが、もってのほかであり、税法という国法をないがしろにするものである。仮に町に分納制度があったとしても、それは違法であり、違法行為を揚言して止まない町議が町民から批判を食らうのは当然である。

地方税法をないがしろにし、滞納議員を擁護する議員を、かばい立てする判決が、高裁や最高裁で通用するであろうか。高知地裁の東の端の安芸支部という小さな裁判所も、れっきとした裁判所である。幼稚な判決文で世の秩序を紊乱させるべきではない。

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2009年12月 4日 (金)

最高裁判決

News & Letters/158

この12月中に最高裁で二つの判決を聞いた。

1つはまあまあというべきで、法令を正しくは認識していないが、全体としては正しい。大なたを振るったという感じだ。

次の四銀の裁判は、わずかに裁判官の良心のかけらが見られたにすぎず、全体としてはでたらめと言うべきだ。次の歌を思い出す。
    
   来てみれば
      さほどでもなし
       富士の山
        釈迦も孔子も
         かくやありなん

これは幕末長州藩の改革派執政村田清風の作である。このような気風が吉田松陰や高杉晋作らをはぐくんだのであろう。 
  
それには及ばないが、四銀の判決を見ての私の感懐である。
第1期9億5千万円(そのほとんどが架空の高利貸しへの支払いという)の原罪を罪なしとし、他方それを支えようとする追い貸しの一部を罪ありとする

実際は、逆でなければならない。原罪を罰して、その原罪をカバーしようとした行為は軽くすべきであろう。

最高裁の裁判官もたいしたものではなかった。
これを報道した新聞も、県庁の闇がからんだこの原罪をほとんど取り上げないというふがいなさだ。

モード・アバンセの闇融資の追求も尻切れトンボとなり、別件闇融資もかくて消えようとしている。
原罪はまだまだ息づいているだろう。
そうして、県勢は死んだように、浮上する気配もない。

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2009年12月 3日 (木)

町議リコール署名簿についての見解

News & Letters/157

今般、最高裁大法廷の判決によって、平成20年4月17日に提出されたリコール請求署名簿は有効なものとなり、町選挙管理委員会は有効署名の人数を確定した。
そこで、地方自治法施行令第96条の規定に基づき請求代表者から所定の書類の提出があり、町選管として田島毅三夫町議解職の住民投票への事務を開始した。
しかし、提出された署名簿は原本ではなく、そのコピーであったが、町選管は慎重に審議して決定したものであり、その判断は正しい。

1、提出された署名簿のコピーは原本の写しであることを確認した。

、署名簿のコピーは昨年4月17日以降に、署名簿の審査のため町選管職員によって4部作成された。

3、今回請求代表者から提出されたコピーはその中の1部であると認定した。

、山岡前選管委員長は、渡したのは原本であると証言し、他方請求代表者は渡されたのはコピーであると主張している。

双方の主張及び選管職員ら関係者の証言を総合すると、署名簿の請求代表者への返付は昨年5月20日ごろと考えられ、原本とコピーが各1通づつ渡されたと考えられる。原本は一般の縦覧に供されたが、コピーは選管委員及び選管職員以外にふれることは出来ないものである。

 原本はもとよりコピーが請求代表者に渡されたことについては、善意でなされたと考えられ、そこには何ら違法性はない。

、署名簿の返付については昨年5月20日に返付することが決定されているが、原本もコピーも正規の手続きで持ち出され、手渡されたという記録が存在しない。

 すなわち、文書発出の手続きを示す文書綴り及び文書受け渡しの受領書が存在しない。文書取り扱いの点では、当時の選挙管理委員会はずさんであった。

6、選挙管理委員会は、請求代表者に渡された原本と選管作成のコピーのうち、コピーが提出されたので、これを受理したものである。
民事訴訟規則の趣旨や裁判所の取り扱いでは、たとえ原本が滅失していても、原本を正しく反映する写しであれば原本と同等の扱いをするということになっている。

、原本はすでに元の選管が審査をし、一般の縦覧に供し、それを選管がコピーしたのであるから、その存在は疑いない。原本は請求代表者らの所有物であるが、その行方は分からない。

8、今年4月就任の選管委員は、再度署名簿と選挙人名簿の照合を行ったが、そのときに使ったのは上記のコピーである。すでに1年半が経過しており、当時の真実を実証するためには、むしろ当時選管作成のコピーを使用することが正しい。
 原本は手書きであり、長く選挙管理委員会の管理の外にあったから、改ざんされる可能性があるからである。  

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名簿の行方

News & Letters/156

田島毅三夫町議のリコールへの住民投票はいよいよ進み出した。1年半も意味もなく長引かせ、その町議の任期をほとんど費消し尽くして、最高裁大法廷からの大命降下で始めて実施するというのだから、ひどい話だ。

このリコール実施にはいくつもの妨害があり、一難去って又一難・・・という連続であった。最後の難関は、リコールの署名簿原本が行方が分からず、その写本が提出された、というところから、写しは有効ではない、無効だというのである。

誰が原本をどこにやったのか、隠滅したのか、謎めいた話だ。原本を隠滅した輩は、最終段階でこれで無効に持ち込もうという作戦だったであろうが、どっこい、住民側にはその写本が渡されていたのである。その写本は町選管が作成したものの1部であった。

これを持ち出せるのは選管委員と選管書記(総務課課員)だけである。町長も含め誰も写しを保管していたという「金庫」を開けるすべを知らない。
選管が住民側に写しを渡したことは間違いない。

署名簿原本は本当に住民に渡されたのかどうか分からない。選管は渡したと言うが、その証拠はない。

写しは、裁判所でも証拠として認められる。むしろ裁判所は訴えのあった時点での原本の写しを保管し判断の材料に使う。なぜなら、原本は改ざんされる可能性があるからである。

かくて、東洋町町議リコールの最後の難関門も突破して、住民投票の段階に入ったのである。

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2009年11月25日 (水)

もう1つの論点

News &Letters/154

田島毅三夫町議のリコールに関する最高裁の事件では、農業委員ら公務員が直接請求の代表者になれるかどうかという争点だけではなく、もう一つ重要な争点があった。その点は一審段階から問題提起がありながら全く取り上げられなかった。

それはこうだ。
「合同行為」の解釈である。

これまでの判例や行政実例(政府の指導基準)では、リコール請求者らの行為(公法行為)は「合同行為」と規定してきた。合同行為だから、1人でも無効な者がその行為遂行者の中に含まれておれば、全体の行為が無効である、というのである。
それだから、請求代表者の中に1人でも農業委員が含まれていると、他の請求代表者が一緒に集めた署名簿も全て無効である、ということになったのである。
ここには「合同行為」について概念上大きな誤りが二つある。

1:直接請求は「合同行為」か

  公法学の泰斗(田中二郎)の説では、直接請求をする請求者の行為は、合同行為ではない、という。
『一当事者の公法行為を組成する意思表示の数により、1人の意思表示より成る時は単純行為、多数者の協同の意思表示より成るときは合成行為とよぶ。選挙・直接請求・合議体の議決が合成行為の例である。合成行為が有効に成立するためには、法の定める一定数の共同が必要であり、合議体については、原則として構成員の多数、例外的に法律の定める特別多数を必要とする。』(田中二郎「行政法総論」245頁)

さらに

2、合同行為であったとしても

直接請求が「合同行為」であれば行為者の誰かが無資格者であってもその行為全体は無効とはならない。
すなわち田中二郎は言う、
『公法上の合同行為とは公法的効果の発生を目的とする複数の当事者の同一方向の意志の合致によって成立する公法行為をいう。公法上の協定ともいう。公共組合・公共組合連合会の設立行為、地方公共団体の組合の設立行為のごときがその例である。合議体の議決や選挙や一定数の選挙権者の直接請求を公法上の合同行為と考える者もあるが、それは、多数人の意志の集積によって法律的には一当事者の意志を形成するための1つの方法であり、性質上は、ここでいう合同行為ではなく、前に述べた単独行為たる合成行為に属するとみるべきである。・・・公法上の合同行為は、複数の当事者の合致によって成立する点において契約に類するが、契約とは区別されるべき特色を持つ。

すなわち合同行為は、普通実質的には法定立行為的な性質をもつものであり、一旦、この行為がなされたときには、個々の当事者の無能力、錯誤、その他意志の欠陥を理由としてその無効又は取消を主張することを得ず、且つ、直接この行為に関与した者のみならず、その後、それに関与するに到った者も等しくこれを拘束し、また、正当の手続によってこれを改正したときは、それは当然に全ての関係者をこれku椁@w)よって拘束するがごときこれである。』
(同書253頁)

要するに、これまでの誤てる判例等がいうように直接請求が「合同行為」であるというのは失当であるし、もしそうであるとしても、合同行為たる直接請求において、請求代表者の1人に無資格者が入っていても、行為全体は無効にならない、ということなのである。
そして、田中二郎が言うとおり、それが「合同行為」ではなく単独行為の集積である「合成行為」であるとしたら、集団で起こした公法行為の中に1人2人欠格者がいたとしても法定数をクリアしておれば問題なく有効な行為となるのである。

かくて、
請求代表者に農業委員が1人入っていたから千数百人の署名簿全てが無効であるという乱暴狼藉はこの論点からもすでに崩れているのである。

学問の世界は我々の常識的な権利意識とはそれほど乖離してはいないのである。

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2009年11月20日 (金)

最高裁判決

News & Letters/152

平成21年最高裁大法廷で画期的な判決が出されました。

公務員の直接請求権についてこれまでの不当な判例をひっくりかえすもので、核廃棄物導入を逆転させてこれを拒絶した、東洋町民の社会に対する貢献の第2弾でした。
管見するところでは、最高裁の多数派裁判官のその結論はいいにしても、理由付けは厳密な勉強がなされていないな、という感じです。

現行の地方自治法の規定では、公務員の直接請求参加規制は住民投票段階に限局されていることは認識したが、施行令でも住民投票段階にだけその規制があるに過ぎないのに、施行令でも請求段階にまで規制があるという誤った認識をしていた。

その誤った認識の元に施行令の規制を百尺竿頭一歩を進めて、憲法違反としたのであった。
しかし、この最高裁の誤認は、何ら住民側や公務員には害を及ぼすものではなく、一層広く権利を認める結果となるのであるから、喜ばしい誤認ではある。

直接請求の制度の法令は無茶苦茶に複雑であり、前後矛盾する規定も散見する。
特別法を作って独立した法令として整備する必要があるであろう。

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2009年11月18日 (水)

高知県東洋町リコール事件 コメント

最高裁大法廷の判決について

                  2009年11月18日
                 東洋町長 澤山保太郎

一)今歴史的な最高裁の判決を厳粛な気持ちをもって受け止めました。
国民とりわけ公務員の参政権の重要な一角をなす直接請求権が正しい法令解釈によって確定されたものと考えます。

50年前の政府の行政実例やそれに基づく最高裁判例が間違っていて、地方自治法及び同施行令では公務員も基本的に請求代表者になる資格があることが認められました。
この点についてわが町の選挙監理委員会は法令の規定を軽んじ、安易に前例に従い、同じ過ちを繰り返して、本件上告人(原告)に対して大きな迷惑をおかけしたことを深く反省する必要があると思います。

二)しかしながら、地方自治法ではこの種事件は100日裁判で決着するという定めであるにもかかわらず、誤った第1審判決のおかげでリコール請求より1年半以上も経過し、確定判決が遅延してしまい、被解職請求町議は今ほとんどその任期(来年1月)を終了しようとしています。リコール請求の実質的な効果は大きく減殺されたというべきであり、今回のリコール請求者(上告人ら千数百人)である東洋町民に関する限り、当然の権利が実質上不当に奪われたのであるから、町としてはただ頭を垂れて謝罪をするしかないのであります。

三)今般の最高裁の判断が示すとおり、昭和29年の最高裁判例といい、また本件高知地裁(第1審)といい、法令解釈のごく初歩的な次元で間違いを犯したのであるから、その責任はあげて政府と裁判所にあり、極めて深刻かつ重大であります。
厳格かつ明瞭に規定された法令の解釈においてこれほどの間違いはかつてなかったと言うべきであります。

これらの誤りの因るところは、畢竟、過去の裁判所の国民の参政権への軽視、とりわけ公務員のそれに対する偏見にあるものと考えます。
まして、農業委員や各種審議委員など町や村の大勢の非常勤の公務員にまで政治活動(直接請求権)を禁圧することは、無用でありまた有害であります。

今後、我々は行政実務において法令解釈を厳正にし、憲法で保障された住民の政治的権利を最大限擁護することに意を尽くす所存であります。

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2008年12月 7日 (日)

東洋町選挙管理委員会の責任

News & Letters/138

一昨日、リコール署名簿無効についての選管の決定に対する取消訴訟の判決(高知地裁)があったことは既に報じられたとおりである。
その判決の行政事務上の意味について、関係者が少しも自覚していない様子であり(山岡七三十四選管委員長の記者談話では「ほっとした」と発表されている)、また、マスコミもその視点での考察がまるでないので一言しておく。

続リコール裁判の末尾に私が簡単にコメント(付言)したように、この判決はほかならぬ町選管の職務上の瑕疵をみとめたものである。
資格のない農業委員に請求代表者としての資格証明書を発行した、その資格証明書に基づいて住民が署名収集を行った、という一連の事実が間違いだったという判定が出たのである。

請求代表者の資格審査をし、資格証明書を発行したのは町選管だった。
選管は、瑕疵があった、間違っていたから無効だ、と胸を張って主張し続けた。自分らがやった失敗については謝罪もせず、反省もせずに。
町長は、請求代表者の資格証明における選管や町側の瑕疵はなかった、と主張してきた。

法令に照らしても農業委員が直接請求の代表者になっても構わない、と主張してきたのである。

行政実例でも、他の直接請求は別として、解職請求における請求代表者の資格証明の選管側の主要な任務(審査)はその者が公務員であるかどうか、である、とされている。行政実例は公務員は請求代表者になれないという立場をとっているから当然資格審査を重視している。

今度の判決には「瑕疵」があったとしか明示されていないが、仮に地裁判決が正しいとして行政事務上において起こったこの「瑕疵」はそれでは誰が犯したものかが問われてくる。
住民側の自己責任といえるだろうか。
仮に住民側に責任があったとしても、法令に資格審査を義務づけられている行政側の責任は免れない。

しかし、地自法・令ではこの資格審査については、有権者であるかどうかを確認せよとしか書かれていない。なぜなら、法令では公務員は直接請求の代表者になれないという前提が存在しないからである。法令では有権者であれば誰でも請求代表者になれる、という規定があり、ただ、解職投票段階になれば選挙と同一の事務が必要なので公務員を排除すると制限規定をおいているだけなのである。

最高裁判例や高知地裁の判決文のとおり、農業委員など非常勤の公務員や公務員そのものを請求代表者から排除するということであれば、資格審査は厳格でなければならない。単にその地に住居を有する有権者であるか、という確認で済むわけにはいかない。公務員を請求代表者として認めないという立場に立つ行政実例(例えば昭和32年11月9日自治省)が言うとおり、「主として公務員であるかどうか」などその者の職業に至るまで調査する義務が設定される。「調査の方法としては、直接、代表者本人について調査するほか、その者の登録されている選挙人名簿の属する市町村その他の関係市町村若しくはその機関又はその者の勤務先に対する照合等、必要に応じて適宜の方法をとるべきである。」と回答されているとおりだ。

公務員を排除するというのだから、市町村役場や、農業委員会や教育委員会などの機関にも照合することが義務づけられると言うのは合理的な義務だ。
選管がその任務を怠たり、農業委員に解職請求代表者資格証明を発行したという重大な「瑕疵」はここで当然問題となる。

選管側は、そこまで審査をする義務は法令で定められていない、法令では有権者かどうかの確認で良いことになっている、と主張しても、その法令は、もともと公務員排除を予定していないものなのである。
一方では、法令を拡大解釈してまで、公務員を排除し、他方では、自己の責任を免れるために公務員排除をしていない元の法令に拠ろうという。
審査の責務も、解釈拡大した「法令」の範囲で拡大しなければ、つじつまが合わないというものだ。

逆に言えば、公務員かどうかについては選管に審査の義務がないという法令の規定があるのであれば、もともと請求代表者に公務員は排除されてはいなかったという法令の趣旨に立ち返るべきであろう。
いずれにしてもこの裁判は最高裁にかからずんぱあらず、ということになる。
しかし、高知地裁の判決の結果は選管の行政実務に関わったものに重大な責任を突きつけていることを知らなければならない。

取消の今回の裁判の外に、東洋町選管は、リコール請求者から国家賠償法に基づく巨額の損害賠償の裁判をされている。
選管のミス(瑕疵)である農業委員を含む間違った資格証明書を受けて無駄な署名運動をした、その損害を支払えと言うものである。
今回の判決でその間違い・「瑕疵」が認定された。

「ほっとした」という選管委員長の錯乱した心情はどっからでてきたのか。選管の責任を感じた心情ではなく、リコールされる議員と同じ心情を吐露したというべきであろう。まさに ご乱心 であり、
 方寸錯乱如何ぞや  である。

そのほかにも今回のリコールを巡る東洋町選管の手続き上の異常・違法さは驚くべきものがあり、国賠法の現在係争中の裁判で暴露されつつある。
裁判所は知らず、今後、行政上のその責任は別途に厳正に追求されるべきだろう。

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2008年12月 5日 (金)

判決文

リコール裁判の判決が出ました。

News & Letters/137

地裁レベルでは最高裁の判例を覆すことは到底不可能であった。
ただ、この判決文は、これ類似の事件の判決文では最低レベルのもので、大人の作文とは思われない。
肝心の所を紹介する。

「地方議会議員の解職請求手続きは、解職請求と解職投票の2つの手続きから成るものであるが、有効な署名が収集されて解職請求が行われれば、当然に解職投票が行われるもので、解職請求手続きの瑕疵は解職投票にも影響することになるから、手続き適正の要請は、解職投票手続きのみならず解職請求手続きにも及ぶというべきであって、地方自治法が解職請求手続きについてのみ公職選挙法の関係規定の準用を規定したと解釈することはできない。」という。

コメント:
1、この男は裁判の趣旨が全く分かっていない。
2、地自法など法令を満足に理解する能力がない。
3、国語力がほとんどない。
4、常識が欠如している。

例えば、「手続き適正の要請は、解職投票のみならず、解職請求手続きにも及ぶというべきであって、・・・」というが、誰も解職請求の手続きは適正でなくてもいい、等と主張しているわけではない。

どの段階でも手続きは適正でなければならないことはいうまでもないことだ。
問題は解職請求の請求と投票の「2つの手続」(直接請求の法令の規定では2つの手続に分かれている、という認識はかろうじて持つに到ったと見える)について法令は別々の規定をおいている、公選法の準用規定は明文でもって、投票(住民投票)段階に限局されているという事実を裁判所が直視するかどうか、ということだ。

解職・解散請求段階の規定については地方自治法や施行令においていくつもの条項で準用する法令(それは地方自治法の条例制定請求の各規定を準用するということが明記されている)が定められている。2つの段階に適用準用される法令は判然と区別されているのである。これは直接請求に関する各種の解説書で指摘されているのである。
「解職請求手続の瑕疵」というが、この瑕疵が何なのかはっきりすべきだ。
地自令115条の読替規定をあげているが、この規定は投票段階の規定だと明記されているのである。
判決文はこの投票段階の規定を請求段階にまで拡張解釈する合理的な根拠を示すべきであった。

その根拠として出したのは、上の判決文に見るとおり、

①適正手続きは請求にも投票にも及ぶ、とか、

②請求手続きの瑕疵が投票にも影響する、
からというのであるが、
①は何の話かさっぱり分からないし、手続きが適正でないといけない、というのは何でもそういえることだ。誰も手続きの一部でも適正でなくても構わない、等と主張しているわけではない。
②も当たり前の話だが、「瑕疵」とは何のことか分 
 からない。法令の明文規定に違反したというので 
 はなく、法令の規定を他の分野にまで拡大解釈し 
 なかったという「瑕疵」のことか。

普通の人に、この裁判官のような拡大解釈の芸当が出来るわけはない。普通の国民は、文字に書かれた文章に基づいて法令を解釈する。

直接請求における署名収集などの請求段階の行為を規制する法令と、その請求に基づく住民投票の段階の準用法令とは確然と区別されているが、また、そうでなければならない。なぜなら、公選法を署名運動などの請求段階に適用すれば、戸別訪問や署名集め自体が不可能になり、直接請求が出来なくなるからである。

いうまでもなく、公選法は戸別訪問や署名集めを厳しく禁止している。この禁止規定を署名集めに適用するとなるとどういう事になるか、想像できないのであろう。
この裁判官はこういう世間の実情を知らないのではないか。公職選挙法を署名集めの段階にまで適用するなどという途方もないことを平然というほど愚かなことはあるまい。
一方、直接請求の住民投票の行為を規制するのには、公選法を準用するのはもっともなことだ。

それはもはやリコール請求者の手を離れて選管が住民の判断を求めるという行為であり、直接請求の主体と行為の内容が請求段階と全く相違するからであり、選挙と同じ扱いとする理由がある。だから、法令は例外なく公選法の準用を「投票」段階と明記して規定しているのである。

その法令の規定が読めないとすれば、字が読めないのか、それとも、予断か何か別の思惑があって重要な字句を故意に読まないようにしているか、いづれかだ。
舞台は最高裁で決着となる模様だ。

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本日のリコール裁判へのアッピール

本日のリコール裁判へのアッピール

News &Letters/136

本日の東洋町議員解職請求の意義について

昨日来、東洋町住民による町会議員解職請求の重要性を指摘してきたが、もう一度その重大性について取り上げる。

この裁判の争点は、

第1には、現行法令で何ら制限されていない公務員の直接請求権を正しくみとめるかどうか。
公務員関係法令や公選法で公務員の政治活動は相当制禁されているが、リコールを含む直接請求権については、明文では禁止されていない。
リコールの最終段階で住民投票となる場合にだけ公選法の準用があるとしか規定されていないから、請求行為そのものは、合法である。
有権者全てに直接請求権があるとの法律の規定が文字通り認められなければならない。

第2に、国法である地方自治法で認められている直接請求という参政権を政府の命令書にすぎない政令(施行令)で制限を加えることが出来るのか、それは憲法違反ではないか。

国民にとってはこの第2点が特に重要であろう。
国会の審議に基づいて適法に成立した国法を時の政府の政令で自由に改変することが出来るとすれば、国民の法的権利、政治活動や経済活動、生活全般が直ちに危殆に瀕する。
政令は当然、法律の範囲で、または、その趣旨で法律の委託に基づいて定められねばならない。
例えば普通選挙権は一定の年齢以上の全ての国民に認められるという国法を作って、実際の投票にはそれは男子に限る、というような政令での権利制限をすることが出来るであろうか。そんなことは到底許されないだろう。

昔を遡ればそのようなことはしょっちゅう行われた。明治憲法の下でも、正規の法律を超えて政府の命令(勅令など)でどんどん国民の権利は制限され侵害された。
例えば昭和17年の戦時刑事特別法。警察段階での被疑者の供述は明治憲法下の旧刑事訴訟法でも証拠としてはみとめられていなかったものを、この特別法の導入で裁判で証拠としてみとめることとした。それ以来今でも、日本の被疑者達は自白強要の責め苦にあい、無実の者も獄舎で呻吟せねばならなくなった。

古代の律令もそうだ。
官庁の各部局そのものがそこの収入ごと、特定氏族によって横領・世襲され(これを官司請負制という)、正規の律令は存在しても、令集解のとおり見る影もなく換骨奪胎され、そうして古代律令制は崩壊した。

古代律令制が崩壊することは歴史の進展であろうが、勅令や令集解のように政令でもって現代の民主的な法秩序、民主主義体制の崩壊は許されない。

東洋町の住民の訴えは、

今回のリコール請求は、
地方自治法やその施行令をどのように見ても違反するところはなく、正当な権利行使として認められねばならないのに、政令の歪曲的拡大解釈でそれを認めないというのはおかしいではないか、
その政令を笠にかけ、国法によって認められている権利を制限し直接請求の門戸を閉じるのは、憲法違反であり、さらには、戦前勅令を乱発して国法を踏みにじったファシスト体制に日本の民主国体を逆転させるのではないか、というものである。

この裁判を、町内でひんしゅくを買っている1議員の身分上の問題に矮小化してはならない、ということである。

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