News & Letters/219
議会の風景 決議1
町長発行の行政説明広報発行費の返還決議
平成22年12月定例議会では、町行政に直接関連する2つの議会決議がなされた。
1つは、町長が発行している町民への行政報告の新聞についてである。
この新聞は町長就任以来不定期に発行しているものですでに5、6回になる。
これは、町長交際費の使用についての規則に基づいて公費でもって発行している。
町長個人ではなく行政機関としての町長が住民への行政施策などの説明責任を果たすために発行しているものであって、何ら私的なものではない。
この新聞の最近の号外が議会の気にくわないということである。
この号外は、議会が町長に対して前回の議会で辞職勧告決議なるものをしたことに対し、
町長が住民に対して辞職などしません、任期いっぱい頑張りますよという回答を掲載して発行したものである。
内容的にも何ら問題がない。新聞にでかでかと辞職勧告決議が出て、町長が辞めるのではないかと住民が不安がっておりどういう理由でこんな勧告決議が出されたのかその背景も知りたいであろうから、町長が説明文を書いたのである。
議会の辞職勧告決議の内容は、社協の内部で起こったお金にまつわる不祥事件で町長が責任を取れ、給料カットの額が少ないとかいう話であって、それも何か誤解か何かに基づくものもあり、辞職勧告を受けるほどの事件ではあり得ないのである。
外部の団体の不祥事件を摘発したのは役場の方であり、責任のあるのはその団体の当事者と役員であって、役場の方では誰も処罰をするものはいない。社協の扱いの金は町に納める金であった。出納関係職員が適切に納められていなかったことに気付くのが遅かったという謗りは逃れられないが、気付いてすぐにきちんと完納させており損害は回復していた。
そうである以上は、職員への処罰性はない。厳重注意の程度である。しかし、不祥事全体の政治的責任は誰かが取るのであるから、町長が自ら減給処分をしたのである。その減給が少ないなどといって町長をやめろというのであるから不当きわまりない。
役場において処分性があるのであれば担当職員と会計管理者がまず第一に問題になる。出納員として責任が問われる。
そして、役場においては出納や会計は、首長と相対的に独立している。以前は かい とかいう難しい漢字の会計行政の組織があり、収入役や出納長が独立的に統括していた。出納員の会計組織は長の収支の決裁行為をもチェックし、制止することも出来る独立した機関なのである。
収入について責任があるとすれば、その出納組織の責任者を飛ばして直接首長に来るべきではない。首長が重い懲戒処分を受けるのであれば、出納職員も当然に処罰を受ける。今回は出納職員は厳重注意であり、町長は減給7%なのである。
それが不服だといっての辞職勧告なのであった。これについて事件の経緯と町長の見解を町長の名前で発表したのである。
どうしてこの説明資料の発行費を返還する必要があるのであろうか。外の私事ならともかく、重大な行政事件についての説明であることは明らかであろう。行政の施策について隠したりせず、詳細に住民に説明するというのは現町長の一貫した公約であり、今後もますますこの方針で努力するつもりである。事の詳細が発表されて都合の悪いことが掲載されたからといって町長への一方的な決議を乱発することは控えるべきだ。
議会は一方的な抜き打ち的決議をせず、決議の前に町長の意見もよく聞く、という弁明の機会も与えなければなるまい。
公費の返還などは明らかな違法行為が立証されねばならない。正当な行為、説明責任を果たすという開明的な行政行為をせき止めようという行為こそ批判される必要がある。
決議2
又今12月議会では、元選管委員達の訴訟費用を弁済してやれという一方的な決議もなされた。
この様な申し出は元委員達から一度も正式には出されていない。
元委員達が住民に訴えられた事件で弁護士を雇ったのでその弁護士費用を公費でまかなえとのことである。
しかし、これも単純ではない。公務員のしたことで国民に被害を与えた場合には国賠法の規定で公機関がその償いをするということになっている。その通りだ。しかし、国民は公機関に国賠法に基づいて訴えると同時に、公務員個人を相手にして損害賠償の裁判を起こすことも許されている。その訴えの内容の当否はともかく現行の裁判制度はそうなっているのである。
今回住民によって選管が訴えられた内容は、誠に個人の責任が問われても仕方がないと思われる。判決は、個人が責任を負うほどのことではないとかいうものであったということであるが、私はそうは思わない。公務中の外形、公務の姿をしている分には公務員個人の失敗や怠り、過失などは国賠法の規定で責任を免れる。
そうでないなら、個人の責任も問われる。また、公務の外形を持っていても余りにも非常識で逸脱した判断や行為、故意に近い重大な過失などはやはり個人の責任が問われるべきだ。公務の外形をもっていても故意に自己の欲望か何かで国民に被害を及ぼす場合もやはり、個人の責任は問われる。
勤務中警察官の服装をして戸別訪問をしていても、その警官が泥棒をしたり、婦女暴行をしたりしたら、司法機関の責任だけではなく個人の責任も問われる。
今回も田島毅三夫議員リコール請求に関係した事件だ。
問題の一例:元の選管は平成20年5月、議員リコール請求の署名簿をすべて無効という決定を下した。
1、この判断は結局間違っていたが、判断の内容も極めて異常であった。
すなわち、選管の審議の結果、法定数を越える署名者全員は選挙人名簿に照合した結果、該当しないというものであった。
有権者の三分の一以上のものが選挙人名簿に存在していないとなると、この選挙人名簿は住民票や課税対象などに連動し
ているから、直ちに行政執行上重大な支障を来しかねない。事実そのように判定された署名者達は、選挙人名簿にないのであればそれでは私らに課税をしてくるな、と憤りの声を挙げたのであった。
そのような全く非常識な根拠による処分は直ちに撤 回し是正されねばならなかった。当時町長もそれの是正を迫ったことは確かだ。しかし選管はあくまでもそれを是正しなかったのである。結局選管は、ずっと後になって訴えられてから、全員無効の処分についての根拠法令を変更したが、元の処分の是正はしなかったのである。今でも選管では署名者の住民は有権者名簿に存在しないという決定のままである。実務上そのような決定は明らかに事実無根であり無効だから無視しているが。
選挙人名簿に掲載されているかどうかは、選管委員の能力がないとか、判断が誤ったとかいう次元の話ではない。全員が名簿にあることを百も承知で故意にこの決定を押し通したのである。そこには悪意と何らかの政治的意図を感ぜざるを得ない。
町民として最も大事な選挙権(直接請求権)を理由なく剥奪されて、これに憤慨する町民がその是正と慰謝を選管や委員個人に求めるのは当然であろう。それには公務員としての正常な姿でなく、公務を逸脱した個人的な我意の露出以外には何も見えないのである。公務としてではなく個人の責任が問われるべきであろう。
2、さらに、問題はこの決定を下すに当たって公務の外形を取っていたか、ということである。
選管のこの決定をするには正規の選管委員会が開かれねばならず、しかも原則公開でなければならない。
しかし、当時の選管が、総ての署名が無効であるという重大決定をしたのは、誰も知らない場所で誰も知らない期日に密かに されていたのである。この事実は、私などもずっと後になって知ったことである。
もし、議会が、あらかじめ誰も知らない期日にどっかの料亭などで開かれて住民の権利に関わる重大案件を決議した場合、その決議は正規のものと認められるであろうか。そして、その議員の行為を公務であると言えるであろうか。
権利を奪われた住民は、その決議を正規のものとした議会を訴えると同時に、やはり、公務の外形でさえ装わずにした行為を議員の個人責任であるとして訴えることもありうるであろう。その他にも選管委員個人の恣意的な処分がいくつもあり、公機関の責任だけではなく個人責任も追求される理由が多々あったと考える。
公務員の個人責任が追及される裁判には、特別な条例規則があればともかく、今は弁護士代金など公費を出すことは出来ない。ただ、訴訟費用は住民側が全部負担している。公務員が訴えられた場合、損害賠償金は公費負担となっても弁護士費用まで公費負担となるかどうかは、これも難しい。以前は訴えられる幹部職員は、そのため積立金を用意していたという。、
ただ、この裁判には町も訴えられているので弁護士を雇っていて、この町の主張を援用するなどで元委員達が裁判に対応することは問題ないとして黙過してきた経緯がある。
以上のような事情についても、町長に意見をいわせるという機会を設けて、その上に立って決議をするべきであろう。
裁判の内容もよく知らず一方的な決議は、議会の独走・独断という印象となろう。
それは、大阪の橋本知事、名古屋の河村市長らがやっているような首長独裁的な政治手法の裏返しに過ぎず、現在の議会と首長が政治的に聳立して互いに批判しかつ協調しあって行政を行っていくという民主的な制度に反するものであろう。
私は、大阪府や名古屋市、また鹿児島の阿久根市などで見られる首長の独裁的な傾向は好ましくないと考えている。
現行の地方政治制度については、議会無答責などいろいろな点で改革が必要であると考えるが、首長と議会の二頭立てのコントロールのシステムは良いものだと思う。但し、お互いが、言いたいことは言うが、しかし、その立場を尊重し合う、我慢し合うという礼儀が必要だ。
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