歴史観・世界観

2024年7月30日 (火)

Re: RE: 市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)その2

続 【不思議な部落問題』

この本の第二章の橋下徹に対する激しい部落差別攻撃の実態を追求した文章は極めて優れており、ノンフィクション作家の面目躍如としていた。

昔の私であれば、出版社に対して嵐のような徹底糾弾を加えていただろう。血統の匂いを嗅ぎまわるのは人間の営為ではなくけだものの所業だ。

そして、北芝地区での高校友の会の姿がちらほろ描かれているが、私にとって懐かしい。大阪府下の高校友の会(「高校生友の会」ではなく「高校友の会」である)の活動は戦後何波かの世代の解放運動の担い手たちだ。彼らは全国の狭山闘争の主な担い手だった。九州の高校生は、東京高裁への公判闘争に参加すれば奨学資金を切るぞ、と脅されても屈しなかった。

解放同盟大阪府連の教育担当であった私は、同和奨学資金を受給する高校生の組織化を任じられた。指示したのは府連書記長の西岡智だ。私は当時23歳かそこらであった。

一人で府下53部落すべてに入って奨学資金受給生の会合を持った。解放同盟の未組織の能勢や北摂,泉南方面まで歩いた。能勢では雪の降る山道を歩いた。
部落の高校生の多くは自分たちがどういう立場に置かれて生まれてきたのか初めて知ったであろう。大阪市周辺の部落の高校生は極めて活発であった。

当時の高校生の姿は大阪のNHK教育テレビで『部落高校生は語る』という題目で繰り返し放送された。矢田や浪速、寝屋川、東大阪の高校生が主体だった。いまから50年以上の昔のテレビだ。

当時解放運動は全国的に激しい差別糾弾闘争を繰り広げていたが巨額の予算獲得運動にのめりこんでく傾向が強く出ていた。私は、物取り主義に流れる傾向に抗して高校生に狭山の石川一夫に係る差別裁判を強く訴えた。行政闘争で予算を獲得することは大事であるが、部落問題は金で解決できない。差別と闘うことを繰り返し教えた。

私が作った「高校友の会」(「大学友の会」も作ったが大学進学者が少数であり不発に終わった)に集まった高校生たちは数年後には各地域のリーダーになり狭山闘争に参加した。私が解放同盟外に作った全国部落研や関西部落研は高校生が主体であった。「部落青年戦闘同志会」もそうだ。

角岡氏の本では、北芝の高校生が狭山の闘争に参加したかどうかは書かれていない。街づくりの企画や運動の話に流れているが、生き方や考え方が私とは相当違うようだ。
(続く)

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2024年7月29日 (月)

市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)


まず第二章「メディアと出自」

ここで角岡氏は、2012年ネ10月頃から橋本徹氏に対する週刊朝日などが橋本氏の家系や血脈を暴露するえげつない部落差別をもって橋下徹という政治家をこき下ろすキャンペーンを張った事実について厳しく批判した。それはその通りでよい。

しかし、角岡氏の批判には底の浅さが垣間見える。それは第一章の「被差別部落の一五0年」の認識が間違ったところに発するところからと考えられる。すなわち角岡氏は、明治4年の賤称廃止の太政官布告を「賤民廃止令」と位置付けている。

しかし、それは全く事実ではない。それは文字通り賤称の廃止であって賤民廃止の法令ではない。旧来の呼び名を廃止した意義はそれなりにあるが、身分制度も経済的処遇も何も変わらなかった。翌年の壬申戸籍によって部落民だけでなく日本全人民は天皇を頂点とする新たな身分制政治形態に押し込まれた。

そしてその身分制は、階級や身分の形式に血統を裏付けた。戸籍というのは他国にはない人間の血統証明書なのである。血統の公証制度の戸籍制度は今も大事に全国の市町村の役場に保管され活用されている。犬や馬の血統ならわかるが、人間の血統書を行政や法律の基本台帳に据えている野蛮な制度なのである。

一部のノンフィクション作家らが政治家を批評し排斥するのにこの野蛮な血統を使いだしたのであるが、これこそが部落差別の核心であって、何も驚くことはない。

角岡氏は「身体・知的・精神障碍者、・・・・在日コリアン、アイヌ民族などは、差別されることはあるが、差別がなくても存在する。ひとり部落民だけが、身体や民族や文化的差異があるわけでなく、差別されてきた歴史によって存在するのである。」という。それを不思議がる方がおかしい。

部落差別は、身分や経済的地位ではなく、血が汚れるとか、血統が汚れるとか、異民族視されるカースト制度なのである。
日本古代の学者が穢多をインドのセンダラと同一視したのだ。日本の部落差別者は一様に部落民と血統が違うと思っている。一部のジャーナリストだけではない。

インドの賤民は、被征服民族であり、征服者のインドの貴族とは種姓が相違していた。

部落民は日本列島の原住民であり異民族の子孫ではないが、朝鮮北方から襲来し日本を征服し王朝をたてた天孫族・騎馬民族から見れば異民族であった。
大和朝廷に最後までまつろわぬ化外の民であった。都に拉致されてきた蝦夷たちの群像を「非人」と呼んでさげずんだ最初の人は、弘法大師空海だった。

彼の性霊集にそのことが記されている。空海は中国の古典(仏典だけでなく山海経など道教の典籍にも通暁していたと思われる)を読破していたから
「非人」や鬼神と言うものがどういうものかよく知っていたはずだ。部落問題はその発生の当初から現在まで種姓差別の様相を帯びてきた。

それの激しい露骨な現象が橋下徹という出たらめな政治家への攻撃に集中的に表れ部落差別の恐ろしい姿が露呈したのである。
部落の出自であることを言うことだけで千万言の罵倒にもまさるのである。部落地名総鑑も恐ろしいが全国の市町村にある戸籍がもっと恐るべきだ。
これがある限り部落差別。種姓差別は解消しない。

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2024年7月16日 (火)

続・都知事選(その2)


橋下徹氏が、7・7都知事選の結果を嘆いた兄弟の教授をツイッターでぼろくそに非難し、「税金のただ飯ぐらい」とか、「詐欺師」とか下劣な罵倒を
放った。

藤井教授の論評は妥当なもので多くの国民の共感を得るものだった。橋本の感情に合わない学者に対する非難の内容こそ問題であり、学問や教育に対する、露骨な嫌悪を表したものだ。政治や行政は、学問や科学を基盤にしなければ成り立たない。

室戸市でこの6月議会の一般質問で室戸半島に凝集している活断層について尋ねたところ執行部の答えでは、うちは南海トラフへの巨大地震に取り組んでおり、室戸半島の活断層については検討する気はありません、ということであった。私は唖然として言葉を失った。それは活断層だけではなく学問や知性に対する拒絶反応なのである。

四国では北の中央構造線と南海トラフという東西二つの巨大活断層に挟まれているが、それとは別に室戸半島には10本ほどの大小の活断層が集中していることも分かっている。それらが海溝型の南海トラフとどういう関係があるか、行政も議会も専門の学者に尋ねるなど学習するのは当然のことだ。
学問は、直接行政に必要であるのはもちろん、政治に携わる政治家、国民一般の知性を醸成し鍛えるためになくてはならないのである。

橋下徹や石丸伸二らのようなガサツな政治家が選挙や世論の場に出て差別や排外主義的な反知性、反学問を広めてもらっては国の将来が危ぶまれるのである。

右翼や保守陣営だけではない。「左翼」にもこういうごろつき連中がごろごろしていて、始末に負えない。「前衛」だと思っている。

日本の安倍晋三、プーチン、トランプ、習近平、ヒットラーはもちろん、スターリン、毛沢東、北朝鮮の金王朝の王様たち、・・・・数えきれない大小の独裁者たちが、地球上に病のようにはびこって絶えることがない。
ドストイエフスキー「カラマーゾフの兄弟」中に出てくる「大審問官」の物語がそれら独裁者たちの心理を極限的に描いていた。

学生時分にN・Aベルジャーエフというロシア哲学者の「ドストイエフスキーの世界観」という本を読んで感銘したが、その核心は」大審問官物語」であった。
大小の審問官が左翼、右翼を問わず、世界中に病のようにはびこり、人類を絶えず悩まし、閻魔大王の使徒のようにわれわれを滅亡に向かって導いているのである。

石丸新審問官(そして橋下徹古審問官も同じだろう)が言うには、人口減少対策には一夫多妻制度が良いという。この制度がいかに女性を抑圧しさげずみ、そして権力と金を持つものが人類の生殖機能を独占しその者らによる世界の権力と富の壟断を来す社会になるか、・・・

そんな王侯貴族社会の実現を平然と公言する。これら狂った連中に大勢の国民が惑わされt4穢投票するという制度が問われているのである。橋本ら維新勢力にまとわりついている曲学阿世の学者こそ政治に口出しさせぬように配慮されるべきだ。

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2024年7月10日 (水)

続都知事選


虚偽と腐臭の小池百合子を勝利させたのは、結局石丸ということだ。空虚な風船を膨らませ、その風船に何かが詰まっていると信じ込ませて票をかき集め、7月7日が何の選挙かわけがわからなくして、小池を救ったのである。

石丸の公約を見ても何のことかさっぱりわからない。選挙後記者会見をしても記者らの質問を全部はぐらかして答えないのだ。

要するに政策もないし、政治思想も何もないから、出せない、話せないのである。ネット上のコメンテイターたちが驚いたり嘆いたりがっかりしている
が奴の実態は風船なのだから仕方がないのだ。権力欲の奴さんの臭い息がいっぱい詰まった風船である。

政治家と政治屋の違いを聞かれても答えない。そこでは政治家とは何か、政治思想を述べる機会なのである。

おそらく、マルクスもレーニンも読まなかったであろう。カントやルソーら欧米のリベラルな政治思想の歴史も読まなかったであろう。

日本の憲法についても満足に勉強していない。維新の連中、特に橋本とよく似ているし、トランプや死んだ安倍と同じレベルで小池百合子とどちこちというところだ。

要するに彼らの政治思想は世俗の遅れたおっさん・おばはんのレベルであろう。世間には差別や排外思想が支配的だがそのレベルの「思想」をもって政治をやることになる。だから、安芸高田市の医療費の話でも、お年寄りを敵視し説得できがたい年寄りは早く死ぬから生き残る者が勝ちだというその程度の」思想」しかないのである。

小池が関東大地震の折の朝鮮人虐殺の史実を抹殺しようとするのも、同じレベルの話だ。

恥を知れ、という唾は天から小池や石丸の顔に落ちかかってくるだろう。日本の左翼もこの連中を凌駕するだけのものを持っているのか、その努力をしているのか。毎日多くの本を読み、市民の声を聴き、どんな小さいことであっても対権力の実践を日々やっているのか、人を批判する前に、自分を顧みて nobles oblige  常に恥を考えて生きねばならない。

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2024年4月 3日 (水)

部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

私も予想したよりもはるかに長生きをしている。何にも社会に役に立つこともせず、
毎日なぜか生きている。貧しく困窮している市民の相談に乗り、その手足となって働いている。
しかし、何事もうまくはいかない。街灯一つをつけるにも難しい。

2週間ぐらい前、コロナにかかり高知の病院に隔離された。さいわい5日ほどで解放された。
しばらく人と話すことも避けて逼塞していた。

私の残りの人生もわずかだが、生涯の研究である部落問題の総仕上げをしようとしているが、
なかなか時間が取れない。部落解放運動関係出版で私のことについて書いた本が数冊あるが、
的を得た評論はない。

今地球温暖化(灼熱化)の中で、人類の生存そのものが危機的な状況で
部落問題に注力するのはどうかと言われるかもしれない。解放運動の理論などもいくつも読んでいるが、
今、部落問題を研究したり論じたりする意義については焦点の合わない主張が多い。

私が大学の卒論で出したのは、近代日本においてどうして部落が問題として残ったかであった。
私は、講座派や労農派の対立を止揚してそれを宇野経済学的に帝国主義段階論で乗り切った。
今、私を取り上げた数冊の解放運動の歴史の本では、その理論的功績は無視されている。
当時その新機軸ともいわれた論文を載せた「立命評論」という雑誌は何度も版を繰り返して需要にこたえたという。

私は当時先生方の勧めを断って理論を精緻化する研究者にはならず、解放運動の実践の世界に入った。
部落問題は、なぜ今に残ったのか、部落大衆の苦しみの解決を優先したのである。
しかし、いま私の部落問題の解明の努力は、部落がどうして残ったかではなく、どうして部落が形成されたのかに移っている。そのこと、部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

なぜ今もなお部落問題か。
回答。人類的危機のなかでこそ、部落問題や少数民族問題が大きな社会問題となる。
それはナチスがすでに示した。日本の関東大震災の折にも在日朝鮮人が犠牲になった。
天変地異など社会のパニックには、人々の眼が向くのは被差別民であり、食糧危機など切羽詰まった
状況では、真っ先に被差別民衆が襲撃される。

現在の人類史的危機をもたらしているのは明らかに資本主義であり、その経済成長主義である。
資本の増殖の論理は資本主義の本質であり、地球と人を蚕食しつくさなければやまない。
資本主義は労働者を使い捨て消耗させるだけでなく地球の自然環境そのものも破壊し食い尽くすのである。
だから、プロレタリアートは部落民など少数被差別民と手を組み資本主義を廃し社会主義的な共同社会
を建設し、地球消滅を防止しなければならないのである。危機に臨んでプロレタリアートはその矛先を決して少数被差別民に向けてはならない。そうすれば真の敵を見失い自らの友軍を滅ぼしそうして自分自身も滅びなくてはならなくなるのである。

  残り少ない人生を有意義に生きていこう。最後まであきらめずに。

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2024年3月20日 (水)

ようやくブログ再開しました。

昨年8月9日早朝の放火によって再び全財産を再び失って以来本部ログを再開することができなかった。
ただ新しいパソコンをネットにつなぐ技術がなかったからである。今日有能な友達が現れれて、全面的に機能が回復した。

昨今の情勢は内外ともに希望するところとは逆方向にすべてが進んでおり、その世のすがたは、
すさまじいスピードで人類史終息への不退転の機関車のようだ。

地球灼熱化は南海地震や原発、ウクライナ戦争どころではない。地球という球が爆発するような危機だ。
その原因が資本主義であることもわかっている。だが、やめられないのだ。
はるかとおい未来には地球の生命も尽きる時が来るだろう。しかしそれは灼熱とか爆発とかではなく、
冷え凍って生物が生存できなくなるからだと考えられていた。

だが、今は、地球がいつ爆発するのか、いつ地球表面の熱さで生命が焼けこげ、煮沸されて死んでいくのかという問題として今の人類に迫っているのである。
十年先、二十年先の人口はどうなるのか、子供の人数はどうかなどと言っているが、それよりも、地球灼熱化の激烈な運命はどうなるのかを問うべきであろう。
地球灼熱化を止めることは不可能だ。しかしそれに少しでも長く耐えられるよう準備をしなくてはならない。

少しでも、である。生き延びる期間はせいぜい10年間程度であろう。熱射は人間の営為を根本から変改を迫る。

米麦、芋、豆など作物も激しい熱射で育たないだろう。作物を熱射から守るための膨大なネット・・・・。
様々な天変地異で今の居住地帯から撤収しなければならない。
山に洞穴を掘って暮らすことになるだろう。・・・・・・死滅に向かっては人類は平穏理に終活を完了することは難しい。

弱肉強食のおぞましい断末魔を見せることになる可能性が高い。地球は地獄と化す。
そうなって初めて人類は資本主義という悪魔の論理(資本のあくなき増殖)を持つ制度に気が付くのかもしれない。

いづれにしても、もう「25時」を過ぎた。

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2023年6月 8日 (木)

虚偽の哲学「梅原日本学」

『日本思想の古層』(2017年8月10日藤原書店 梅原猛 川勝平太)という本を読んでいる。
川勝氏は梅原猛の哲学を賛嘆して次のように言う、
「・・・日本において信仰が芸術に昇華したことは疑いないところである。芸術は文化の花である。

 

「花」自体が信仰と芸術の統合シンボルになる。・・・・芭蕉は「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とする。見るもの、花に非ずという事なし。おもふところ、月にあらずといふ事なし。像、花にあらざるときは、夷狄にひとし」(『笈の小文』)と言った。」

 

梅原日本学という哲学の中核的思想は 草木国土悉皆成仏 という概念であり、それは縄文時代以来の日本の基層をなす文化・信仰である、という。それはそうかもしれないが、「夷狄」を差別・排撃する芭蕉の芸術論を称揚するのとどういう整合性があるのだろうか。

 

芭蕉の「笈の小文」は上の引用に続いて「心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。」
造化とは天地自然のことか。しかし夷狄も鳥獣も草木国土悉皆のうちに入るのではないか。夷も狄も人間である。

 

梅原人間学は、西洋の哲学ではなく東洋の思想、特に空海の密教を高く評価する。しかし、空海こそは、その有名な「性霊集」でその夷狄である蝦夷を「非人」と激しく非難し断じた最初の人間であった。梅原ら日本の美学をいう連中は、その思想の根底に日本の神道的な聖と俗、貴と賎の感情的概念を持っている。梅原は蝦夷を縄文の血を引くもので、後から入って来て大和朝廷を樹立した朝鮮系の人間集団によってカースト的差別を受けてきたと正しく位置付けていた。(『海人と天皇』268頁)

 

私は、蝦夷に対する激しい差別と収奪の名残が部落差別の原因だという考えをもって部落史を研究している。だから、梅原の日本学には大いに期待してその著作をよく読ましてもらったが、上に引用した芭蕉の美学論の差別性の無批判的な評価はいただけない。部落問題をまともに考えられない学者は、結局そこで陥穽に落ちてその思想の学問性を崩してしまうのである。

 

 

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2023年6月 1日 (木)

危機感のない世界

G7の会議も室戸のような小さい地方の議会もなべて等しく危機感がない。
G7の会議にウクライナのゼレンスキー大統領が現れたのはいいが、本例ならデンマークのグレタさんが
登場すべきであった。

G7会議では、全員が核が大好きな連中ばかりだからこれらに核廃絶などを期待するのが初めから間違いだ。
アメリカは広島長崎に原爆を落としたことを少しも反省しないし、日本はサディストの様にアメリカの核
の傘を懇望し、イギリスやフランスなどNATOの組も核が大好きでやめられない。

ロシアや中国など核の塊のような連中とG7の核愛好家連盟とがしのぎをけずっている。
彼らには地球の現在の危機的状況は全然見えないし見ようともしない。

この夏も次の夏、次の冬も、毎年毎年地球の灼熱化、極寒冷化、異常降雨と異常干ばつ、人類だけでなくあらゆる生物が地上では生存できなくなる事態が始まっているのに、核での脅し合いと通常兵器の打ち合いに熱中している大人帯を
グレタさんはどう見ているのだろうか。

地方自治体も、地球の現状、異常気象や気温の灼熱化などについては全く無関心で別世界の話のようだ。
今に何の作物もできないぐらいの灼熱がやってきて田畑が干上がり、暑くて家にもおられない、飲み水もないという事態がきたらどうするのか、そんなことが起こるなどとは全く誰も考えない。天下泰平がずっと続くと考えている。

異常気象や洪水、干ばつがどんどん襲ってくれば、自然災害だけでは収まらない、追い詰められた人間の集団が異常行動をとりだすだろう。暴力が暴れだし社会的動乱が全世界で噴出しだす。弱肉強食時代が支配する。生物の中で人類が一番先に絶滅するだろう。化石燃料の使用を直ちにやめなければならない。だが、それ自体がほとんど進まないばかりか、逆行状態だ。

地球灼熱化はどんどん進む。
例えば、50度を超える灼熱を防ぐために田畑には熱射を防ぐ大規模の網が必要、農業用の水を確保するための膨大な貯水槽の建設、熱射を避ける横穴居住域の開発、・・・・・・少しでも子孫が延命できるようないろいろな対策が必要である。

国がやらなければ都道府県や市町村が今すぐに対策を始めねばならない。
G7やG20にグレタ・ツーンベリさんを呼んで会議に出席してもらわねばならない。

現代の革命家は、我々が何をなすべきか、はっきり示さねばならない。ウランを含む化石燃料使用による地球の異常化に有効に対処するには、現在の帝国主義的政府やスターリン主義的国家の存続を許すわけにはいかない。
労働者市民の全世界的な蜂起と自己権力の樹立が必要なのである。

グレタさんを中心に全世界の国の労働者市民の代表が一堂に会し、地球の気候変動的危機に有効に対処する政策を決め、それを実行する権力を持たねばならない。Down with Imperialism ! Down with Stalinism ! のスローガンが今より以上に真実であるときはない。

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2023年5月 1日 (月)

安倍晋三「暗殺」事件の評価


安倍晋三元総理は奈良市の駅頭で銃弾を受けて非業の死を遂げた。
この襲撃行為は多くの市民らの面前で行われたから暗殺ではない。
謂わば公然殺、公殺だろう。この公殺を評価するものと否定するものがあるのは当然だろう。

大老井伊直弼が桜田門外で襲撃されたのも公殺だろう。
井伊直弼の公殺を非難する者はいない。当時の討幕派の志士たちは小躍りして喜んだ。政敵にとっては、安倍晋三の死は喜ぶべきことだっただろう。したがって彼を襲撃した行為はすばらしく、英雄的なことだろう。表面はともかく心の内ではうれしいことだったに違いない。

安倍の支持者はもとより、政治の世界で暴力を行使することを嫌忌する方々もこの襲撃を非難してやまない。それではお前はどう評価するのか。その評価をすることは難しい。

私は、安陪の政治的な死について大いに喜ばしいと思う。その極右的思想及び統一教会と自民党の関係には大きな打撃になったことは喜ばしいことだ。だが、この公殺という方法を支持するべきか。

今の政治状況で政治的目的を実現するために人を殺傷する以外に方法がなかったかのか、桜田門外での襲撃はあのような大老の強権を逃れるにはおそらくそれしかほかに方法はなかったであろう。

今日言論が自由で政治活動がほとんど無限に許される状況では、公殺という手段の選択が許されるという評価は極めて困難だ。例えば西大寺の駅頭を数百人の大衆で包囲し、言論や示威行為で騒然化するなど安倍の行くところ何処でも怒号などで圧倒する行為を繰り返す・・・そういうやり方もあったのではないか。

どんな悪人であってもその命を奪うことはしてはならない。我々は安倍晋三らの極右連中に運動的に負けていたのであり、運動の足らなさを人殺しで回復しようというのは卑劣のそしりを免れない心情的には、よくやったと言ってやりたいが、困難な道を歩むべきだった。

すなわち大衆運動で勝つ方法を選ぶのが革命の大道なのである。もちろん澎湃と上がる大衆の革命的決起の中で悪徳政治家や圧政者が倒される
のはごく自然なことだ。

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2023年2月24日 (金)

ロシアによるウクライナ侵略戦争の意味


ロシアがウクライナに侵攻してから1年になるが、プーチンの野望はやまない。
この侵略戦争の中で、ロシアのプーチン、中国の習近平、北朝鮮の金正恩、してアメリカなど無茶苦茶な権力者によって第3次世界大戦への道に人類を引きずり込む、そういう可能性がリアルに存在するということである。

今人類が共同で戦わねばならないのは地球温暖化対策(地球環境戦争)であり、これに全力を尽くさねばならないのであるが、ウクライナ侵略戦争など狂った権力者によって、それどころではない状況が生まれた。

地球環境戦争で敗北する前に旧来の侵略戦争(核戦争含む)によって人類が十分消滅することもあるという現実が示されたのである。
したがって、このようであれば地球環境戦争にはほとんど100%勝てない、という事だ。

一日も早くこの無謀な戦争をやめ、それぞれ九千を市、地球環境戦争に世界人類は総力戦体制で立ち向かうべきだ。
だが、
プーチンはいよいよウクライナ侵略戦争に勝てないとなれば核を使うだろう。北朝鮮も核を使うだろう。
中国も台湾侵攻で米中開戦となれば核兵器を使うだろう。第3次の世界大戦は第2次よりもはるかに多くの民間人を犠牲にして不可避的に
勃発すると思われる。これが私にとってウクライナ戦争の第一の意味だ。

その次の教訓は、地球環境戦争に最終的に敗北するまでもいくらかの間生きていかねばならないが、他国からの侵略にどう対処するかだ。
岸田政権の様に敵基地攻撃など軍拡路線では核兵器を持つ国の攻撃には到底勝てない。通常軍備は簡単に破壊される。自衛隊は逃げ散るだろう。

だから祖国とふるさとは国民自身が戦って守るほかはない。ウクライナの国民の様に侵略者に対しては、戦える者は全て武器を取って戦うしかない。
すべての国民が銃器の扱いを身につけねばならない。政府は、戦う国民に十分な武装と弾薬を与え、訓練を受けさせるべきだろう。

国民に武器を与えない、訓練もさせないというのが豊臣や徳川時代からの日本の権力者の統治方式だが、そんなことでは祖国を守ることは
できない。職業的軍人だけでなくウクライナの国民の様に侵略者との闘いには国民の武装しかない。これが第二の教訓だ。
全世界のプロレタリア人民は、愚かな侵略戦争をやめさせ、力を合わせ地球環境戦争へ総力を挙げて出陣すべきだ。

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