歴史観・世界観

2017年11月26日 (日)

従軍慰安婦像の建設

News & Letters/608
サンフランシスコの議会や市長が、いわゆる従軍慰安婦の像を受け入れたことについて
維新の党の大阪市長らがご立腹で、友好都市の関係も断絶するといきまいている。
私はこの連中の考えが全く理解できない。
第一に、朝鮮や中国など日本軍の餌食になった女性が多数いたということは歴史的事実であり、日本政府もそれを認め償いの金も出している。少々のお金を出したからといって女性凌辱の罪が消えるわけはない。
この屈辱的な歴史的事実について朝鮮の人民が恥を忍んでこれを追悼し記念するのは当然のことであり日本軍への癒されぬ怨恨を世界に、特に日本人に対してアピールするのは自然なことだ。
日本人、特に政治家はこの慰安婦像の前で跪き許しを請う必要があり、それは永続的に続けられべきだ。
かつて、70年代にドイツのプラント首相は、ワルシャワのゲットーでユダヤ人犠牲者追悼碑の前に跪いた。
そこまで覚悟できないとしても、少なくとも日本の政治家は、他国の国民の感情の自由な発露について文句を言う何の権利もない
ということを自覚するべきであろう。言論は自由なのだ。
第二に、なぜ大阪市長や維新の会=自民党どもが、この慰安婦像が世界各地に建設されるのが嫌なのか、理解できない。
従軍慰安婦について、恥を感じているというのは評価すべきだ。しかし、恥をすすぐ方向と姿勢が間違っている。
自らが犯した恥の原因である従軍慰安婦の事実を抹消し、隠蔽する努力、従軍慰安婦像を建設したりそれを支持する人々に対して怒りのこぶしを振り上げる姿は、人間の姿としては最もいびつで下劣なものだ。このほうが良心のかけらもない国辱というべきである。
犯罪者は現場検証で犯行現場に連れられて行くのを恐れるが、連行する官憲に腹を立てたり、嫌がって大騒ぎなどはしない。
ナチスドイツのユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)についてドイツの政治家や国民は、これを忘れないために自ら様々な記念碑や記録を残す努力をしてきた。
1985年ドイツの大統領(ヴァイツゼッカー)は、次のような有名な演説したという。
 
「罪の有無、老幼いづれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。
誰もが過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされております。
心に刻みつけることが何故かくも重要なのかを理解するため、老幼互いに助け合わねばなりません。
また助け合えるものであります。問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。・・・」
 
過去に間違いを犯したことは悔やんでも仕方がない。問題はそれを直視し、その事実と教訓を永続的に反省し現在と未来に生かすことだ。
憲法9条は、従軍慰安婦や日本による侵略戦争の犠牲者への、誓言であり罪障の証だ。
日本政府は、非難ではなく、世界各国での従軍慰安婦の少女像の建設については予算を組んでこれを援助すべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月24日 (金)

封建遺制か相撲部屋

News & Letters/607
少年時代には大好きだった大相撲だが、青年時代はほとんど関心がなかった。
だから若乃花、栃錦、千代の山、三根山、琴が浜などはよく知っていたが、それから最近まで相撲の力士のことはあまり知らない。ところが最近相撲が楽しみになってしまった。
その中で日馬富士の暴行事件が出てきて、興ざめがしている。
問題は、暴行はもちろん悪いが、この処置の方法が理解できない。
第一に本人達が表面に出ず、「親方」が本人の代わりに大活躍というのが解せない。
本人たちは立派な成人の力士なのだから、親方は付き添っているぐらいにして引っ込むべきではないか。
第二に、相撲協会は団体であるから自治能力があるはずだが、全く組織を統括できるようでない。
警察に被害届を出したり裁判に訴えることはもちろん自由であるが、それ以上に組織の自律的な措置が必要である。自己の組織で起こった事件を権力に任せるというのは、慎重でなければならない。
大学でも労働組合でもスポーツ団体でも権力の介入を呼ぶのは、最後の手段でなければならないだろう。
今回殴打事件では、本人でも親方でも、または相撲協会であっても、傷害事件である限り警察に届けるのは筋である。
しかし、それ以上に相撲協会自身が、組織として対処するのは当然であり、それが不能であるとなればそれを阻む
者を処罰の対象としなければなるまい。警察は刑事罰の有無を追求するが、相撲の団体は、独自の処罰のほかに、力士の身分、規律の在り方、国民への説明など独自の任務がある。
第三に、伝統的な部屋制度が問題である。相撲は団体競技ではない。野球やサッカーなどのようにチームが争うのではない。
個人競技であるから、部屋制は必ずしも必要ではない。練習場を相撲協会が用意すればよい。力士の食生活や日常の起居も個人に任せるか、相撲協会が共同の宿舎を用意すればよい。
親方・部屋制度が、封建的で陰湿なにおいの発生源、相撲世界の絶え間ない不祥事の温床なのではないか。親方・部屋制度には郷愁もあるが、しょせん封建の遺制、日本で唯一残る徒弟制としての封建遺制ではないか。
上位の力士は待遇も恵まれているが、下っ端には給料もろくになく、部屋でかいごろし、徒弟制度のもとに苦吟しているのではないか。
親方・部屋制度を存続させなくては大相撲が存続できないということはあり得ないだろう。
被害者の本人はそっちのけ(どっかに隔離か)、相撲協会は事件の解明もできない、当事者が国民に説明もしない・・・。
今日こんな団体が日本社会に存続できるだろうか。
 
私は、今回の不祥事を契機に、スポーツマンとしての力士の自立、親方・部屋制の解体、人権の明らかな新しい近代相撲の再建を願うものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月23日 (木)

菅家後集

News & Letters/606
昨日公表した新火葬場をめぐる5000万円余の詐欺(背任)事件の
私の監査請求については、中川博嗣市代表監査委員らによってにべもなく却下された。
まともな連中ではない。
こういうたぐいの人間は昔も今も変わらないようだ。
 
菅原道真の「菅家後集」という漢詩集の中に
「哭奥州藤使君」というのがある。奥州で死んだ友人(藤原滋実)を道真が大宰府の配所で追悼したものだ。
その中で、当時の朝廷の官吏の腐敗(東北の民蝦夷から苛斂誅求しその財貨で買官するなど)を暴きこれに切歯扼腕している様子が表現されている。抜き書きしてみる。
僚属 銅臭多 人を鑠して骨髄を煎る
財貨に卑しい同僚は貪欲の炎で身を焼き溶かし、骨髄までも煎り焦がす)
兼金、又重裘 鷹馬相共に市う、市得於何處 多は是邊鄙に出 
(黄金や、皮衣、鷹や馬を買うが、これはいづれのところで買うのか、多くはこれ東北の辺鄙から)
  ・・・ 
  ・・・
價直は甚しく蚩眩・・・・古へ自り 夷民の變 交關に不軌を成す
(値段は蝦夷を馬鹿にしてだまし甚だしく安くたたく いにしへより蝦夷の反乱は、交易の不平等から起こった)
 ・・・・・
・・・兼贏如意指(利益を増すことは意のまま)惣領走京都(すべてを京都に持ち帰り) 豫前顔色喜(役人を喜ばし)便是買官者(官を買うのだ) 秩不知年幾(年収はいくらか計り知れず) ・・・公堂偸眼視(公で人目を盗んで合図仕合い)
欲酬他日費(他日報いることを望み) 求利失綱紀(こうして利権を求めて綱紀を踏みにじる)
官長有剛腸(剛直な上司がおれば) 不能不切歯(切歯扼腕を抑えられないだろう)
定應明糾察(定めてまさに明らかに糾察し) 屈彼無廉耻(かの廉恥無き者を屈すべし) ・・・
蝦夷からかすめ取った財貨を京都に持って帰りそれで朝廷の悪と示し合わし官を売買し贈賄行為を盛んにする。もし剛直な上官がおれば切歯扼腕し、定めて應に明に糾察して 彼の廉恥無き者を屈すべし
 
  「菅家後集」は室戸市民図書館にも飾ってある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 9日 (木)

トランプの使命

News & Letters/603
今回のトランプアジア訪問の目的は、朝鮮への爆撃の同意形成であろう。
アメリカファーストのトランプは軍事産業の後押しもあって第2次朝鮮戦争を開始するつもりである。
それによる韓国、日本がどのような被害を受けようとも米国への脅威を取り除くという大義を貫徹しようと考えている。対北軍事オプションの通告を日本、韓国、そして中国へあからさまに又はそれとなく伝えるということがトランプの今回の仕事なのである。安倍は以前からむしろそれを慫慂しさえしている。
安倍が先の総選挙で大勝したにもかかわらず、喜びの表情をしなかったのは、国民の同意を得たのでいよいよ開戦に踏み切るということに自ら戦慄したからであろう。地上最大の人的物的犠牲をもたらす戦争の責任者として歴史に残ることに、自ら震えているのである。
日米安保同盟の力で北を殲滅するという決意のもとでは韓国大統領の文氏の躊躇は無視されるだろう。
トランプには、今回の旅の中で開戦の口実を何にするか、それもつかみたいであろう。
北の指導部が必ず挑発に乗ってくるに違いない、と確信している。それが何であれ日米帝国主義は朝鮮半島への動乱のきっかけを虎視眈々と狙っている。日米の軍需産業への奉仕がトランプと安倍の第一の使命である。
マスメディアはトランプが何のために今回のアジア訪問をしているか、訳の分からない報道を続けけている。航空母艦3隻を終結させるなど軍事的圧力を強化しているぐらいにしか見ていない。
いまや日本・朝鮮を取り巻く情勢は、無法状態であり、トマス・ホッブスがいうように人類史上の「自然状態」であって、「戦争は、単に戦闘あるいは闘争行為にあるのではなく、戦闘によって争おうという意思が十分に知られている一連の時間にある。」
(「リヴァイアサン(一)第13章」という言葉が当てはまる危機的状態である。
軍事的圧力をかけあう国と国は実質的に戦争状態に入っている。
そして、トランプも安倍も軍事的圧力(脅迫)だけでは何の効果もないことを知っている。
白人第一主義のトランプには日本や朝鮮の人民の姿は目に入っていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年11月 5日 (日)

自衛隊明記

News & Letters/602
安倍晋三ら自民党は、今度の総選挙で憲法九条に加憲して
自衛隊を明記するという公約を掲げた。
これに対する野党やメディアの批判にはなかなか理解でき難いものがある。
民進党から共産党まで、憲法第9条第一項(戦争放棄)、第二項(武力・軍隊の不保持)にもかかわらず現実に存在する自衛隊の存在は認めるというものであるが、これ自体が理解できない。
安倍流に九条の第一項、二項の後に自衛隊の存在を認め加憲することは、日本が集団自衛権を行使する道を開き、侵略戦争に参加する道を掃き清めることになるという批判である。
要するに自衛隊の存在を憲法に書き込まないことによって「自衛のための必要最小限度の実力」とか核兵器やICBMなどの他国攻撃型の武器を持たないなどの自制をきかせている現状を改変する恐れがある、すなわち、「書かないことによって統制するという、我が国独特のやり方」(高知新聞11月4日「指標」)をこわしてしまうというものである。
確かに安倍の巧妙な仕法は、九条に自衛隊を入れることによって一項、二項を死文化する、憲法に毒薬を盛るという意図があることは明らかだ。
だが、戦前に比べても、また現在の中米露以外の他国に比べても強大な武装を遂げている自衛隊の存在を公然と認めることは、憲法9条を丸ごと圧殺しているという事実は消すことはできない。自衛隊は常備軍である。
まさに安倍は現実にある自衛隊をそのまま明記するということに何の文句があるのだ。自衛隊を認めないのか、という反論に野党らは明確に答えているとは思えない。答えられない。
自民党や右翼連中への答えは、憲法九条は正しい。そして自衛隊の存在は違憲である。と言い切ることだ。
自衛隊は常備軍隊をやめ、国土防災隊に改編し、中国や朝鮮へのいかなる軍事的脅威にもならぬ存在にするべきである。
このような考えは、まだ戦禍の生生しい、硝煙のにおう時代、憲法をつくった当時、吉田茂など保守も革新もみんなそう考えていたことである。
我々日本人は、武力でもって国を守るという方針をいったんは捨てたのである。日本が憲法九条を掲げた当時のアジアの情勢は今よりももっと政情不安定で軍事的な脅威は切迫していた。剣槍林立する中で、いやそれだからこそ一層日本人は、武器の道を捨てたのである。
他国から侵略をうけないためには、他国を侵略しない、侵略する手段を持たないという宣言とその姿を示すべきなのである。
憲法に「書かないことによって統制する」などという空理空論がいつまで続けられるであろうか。
憲法は書かれた通り実現されなければならない。自衛のための軍隊、自衛のための戦争、これらは過去のほとんどの侵略戦争の口実だった。
今年のノーベル平和賞を受賞した核廃絶条約の趣旨は、核戦争だけでなく各国にすべての戦争の放棄を迫る内容である。憲法九条の実践だ。
現在の戦争の行きつくところは核戦争だからである。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月30日 (土)

空想的社会主義

News & Letters/593
エンゲレスは、「空想から科学への社会主義」とかいう本を書いた。
大学入学した当時立命館日本史研究会の先輩たちと一緒にこの本の読書会に参加して勉強した。
その時からオウエンやフーリエなどの社会主義を空想的なものとして軽愚して一顧だにもしなかった。しかし、それでよかったのであろうか。資本主義に代わる新しい社会を「空想」することは大事なことではないのか。
マルクス主義では、打倒する体制について研究したり分析したりするばかりで来るべき社会がどうあるべきかほとんど論議されない。有名な共産党宣言の「各人の自由なる発展が、他の人の自由なる発展の妨げにならないばかりかその条件となる」社会が抽象的に語られているだけである。
そして、目指すべき新しい社会の在り方、人と人の新しい関係の想念は、逆に、反体制運動の在り方、その運動の中での人間関係に影響を及ぼすと考える。あるいは及ぼさなければならないと考える。
スターリン主義的な組織活動をする反体制運動団体がもし権力を握ったとき、その権力機関がいかにプロレタリア的だと自称してもやはりスターリン主義的な統治機構をつくり反人民的な弾圧と支配を行うだろう。
スターリン主義者が権力を握った瞬間、民主的な統治機構をつくる人民に自由平等、公正な政治を遂行するようになると期待することはほとんど空想の領域の話だろう。
反体制運動の中でスターリン主義的官僚的運営をやってきた連中は、権力を握れば何の躊躇もなく同僚や仲間を排撃し独裁体制を敷き人民抑圧を開始するだろう。革命運動を含め反体制運動で内部の主導権争いでテロやリンチを遂行してきた連中が権力を握れば、やはり、その権力を使って異論を持つ同志や大衆に対し、テロリズムの行使をためらうことはないだろう。
その連中は結局秘密警察を強化し、武力でもって内外の敵に対抗し政府を防衛することを何よりも優先するだろう。したがって究極の武器である核兵器も彼らの希求するところとなる。
旧ソ連邦や中国共産党、北朝鮮の歩んだ道は反体制運動の中で醸成され、権力掌握の後で全面的に開花したと考える。
いかなる大衆運動団体であっても、ものごとを決め行動を起こすときにどのような民主的ルールによって遂行するか、それがわれわれが求める新しい社会の在り方に適っているかどうか、これについて慎重に吟味してかからねばならない。特に異論が出た場合、それを大衆の討論に付すかどうか、その団体の掲げる目標の正当性だけでなく、それを実現する団体の組織の在り方が問われねばならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月22日 (金)

衆議院選挙

News & Letters/589
私は最近農作業で腰痛が悪化し療養中である。
 
森友や加計事件で野党の臨時議会開催要求を利用して安倍は国会解散
総選挙を強行しようとしている。
これは加計・森友隠しとか、年金不支給事件回避とかいう次元の話ではない。
また、これからでっちあげる憲法9条改正などの公約をめぐる選挙でもない。野党の足並みのそろわないのをにらみながらの選挙ではあるが、この選挙は国民に北朝鮮に対する戦争承認を求める選挙であり、憲法改正などを飛び越えた安倍の野望、侵略戦争開始の歴史的画期となる選挙である。
朝鮮半島がどうなるか、北の反撃による日本がどうなるか、そんなことは毛頭気にしない。
対話などは無駄だとうそぶき、戦前の天皇裕仁ら侵略戦争推進勢力の狂った熱意と同程度に異常な画策を今国連を舞台に展開しアメリカの先制攻撃を促し、日本の参戦のチャンスを狙っている。
日本国内で国民の戦争承認をとって置くことも大事な課題だ。
野党や国民は、いまこそこの選挙を戦争反対、安倍腐敗内閣打倒に転化しなければならない。
加計や森友では国の金を私物化していたが、日本そのものの廃滅の運命も私物化しだしたのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月11日 (金)

北朝鮮と抑止力

News & Letters/584


2017年8月10日 甲浦で稲刈り
北朝鮮の暴発行為はエスカレートの一途である。

しかし、この事件は、大きな真実をあぶり出した。
この真実は多くの平和主義者にはなんとなく分かっていたが、大多数の政治家や国民には全く分からないか 不分明であった。

 それは、北朝鮮の核武装・核ミサイルの無制限な開発によって「核の傘」とか「核抑止力」という想念又は政治思想が全く無力であり虚妄であることを暴露したと言うことだ。

 また、膨大な予算で維持してきた日本の自衛力又は自衛隊が全く無力であり何も出来ないと言うことも実証された。従ってクラウゼヴィッツの『戦争論』も好戦的な半狂人が権力を握る国については無力であることも証明されたと言うべきである。

クラウゼヴィッツの場合、戦争は政治の延長だという理屈であるが、これは政治を行う理性的な人間同士を前提にしている。核兵器を持った狂気の男には通用しない。自分も破滅するが相手も破滅させてやると言う論理、それを現実化できる核兵器の登場は如何なる理性も利害得失も通用しない別世界の、次元の違う非論理の世界なのである。

我々は北朝鮮のキムジョンウンに対抗する手段を持たない。誰も持たない。
ただ、北朝鮮内部でこの世の魔王を消し去る以外には、誰も何も出来ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 4日 (金)

国民機関説

News & Letters/582
篠原英朗著の『ほんとうの憲法』は、戦後反改憲派の東大法学部の国民主権論が、戦前の美濃部達吉流の国体論(天皇機関説)の焼き直しであることを暴露した。
しかし、その基軸となるのは、憲法前文の国政信託論であるが、その点では、天皇機関説を攻撃した戦前の右翼と同様に篠原らの現代右翼論客も同じであって、国政は国民が政治家や官僚に信託したという説の上に立っている。
現代憲法学の国民主権論は結局、天皇機関説を→国民機関説に変更しただけなのである。
実態は、国民が主権を行使できるのは基本的に選挙の時だけであって、選挙権を行使した後は、政治家どもに国政は「信託」したことになり、政治家は信託(はく奪)された以上
何をやってもいい。選挙で美辞麗句を並べうそを言って当選して「統治権」を握れば独善的な権力行使をしてもかまわない。
森友学園、加計学園、PKO日報事件などは氷山の一角にすぎない。三権分立などというのはちゃんちゃらおかしい。刑事裁判、行政事件訴訟、原発や自衛隊、安全保障などの裁判では司法が行政権力と一体となって国民の真実、権利を踏みにじる、破たん調の判決文も恥じることはない。
わたしはこれまで、市民オンブズマンとして数えきれないほどの住民訴訟をやってきた。それに対する裁判所の支離滅裂な判決文をいつかまとめて本にしたいと思っている。
日本の地方裁判所(高等裁判所)がいかにでたらめか人が知ればびっくりするだろう。司法が行政権力の藩壁になって原告住民をあざ笑うのである。
戦前の国体と同じく現代の国民主権国家も国民主権は虚構であって実際は
天皇機関説の天皇と同じく粉飾にすぎない。憲法や法令で国民が直接主権を行使できるのは、憲法改正についての国民投票と地方自治法で若干の直接請求権が認められているに過ぎない。
あとは「信託」された政治家と官僚が国政を牛耳っているのであって、その姿は、何ら戦前と変わらないのである。
我々は、三権全般にわたって本当の意味の国民主権の政治のありようを構想し、それを構築しなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年6月28日 (水)

新天皇制

News & Letters/574

天皇の意向に沿うべく退位法案が成立し、上皇―天皇という重層的な新しい天皇制が誕生した。それが、どういう機能を果たすかわからないが、問題なのはこの法案を可決するに当たって共産党まで含めて翼賛的に全会一致がなされた事実である。

現代の天皇も、北畠親房の神皇正統記流の考えー天皇は常にその仕事(まつりごと)の可否によって「御運」が決まる、という教えがあるから、座して祈るだけでなく一生懸命何かしら働かねばならない。自然災害被災者の見舞いや日本軍による戦争の犠牲者への鎮魂の旅行など・・・それを国民はありがたく、尊いと感激する。狂気のように戦争を主導した昭和天皇よりはるかにましだ。

だからといって天皇制を維持することに加担するべきではない。
天皇制の存在は憲法第14条2項の貴族制度の廃止の規定に反する。それだけではない。
日本のプロレタリアートの階級意識の形成に大きな障害である。階級の敵ブルジョワジーへの戦い、プロレタリア革命はプロレタリアの階級意識の形成にかかっている。

商品として物象化されるプロレタリアートの階級意識の形成には、物象化そのものによって大きな困難を背負うが、特殊日本的には第一に民族植民地問題、第二に、天皇制、第三に部落問題などの困難が重畳される。

だから、ルカーチがいうようにプロレタリアは正しい階級意識を獲得するには「自分自身に対する戦い」すなわち絶えざる「自己批判」が必要なのである。(ゲオルグ、ルカーチ「歴史と階級意識」)堕落した中核派の中には、アジア人民に対する日本人としての反省の意識(血債思想)を攻撃するものもいるが、帝国主義下現代日本プロレタリアの階級意識形成の現実的困難に無頓着というべきである。

天皇が統治権を持たないしその牙は完全に抜かれているから大丈夫だと高をくくってはならない。天皇制を認めることは、現代の階級対立を解消し→天皇を奉戴するブルジョワジーとの城内平和意識に屈服することになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

ふるさと産品の開発 | り・ボルト社 | ウェブログ・ココログ関連 | エッセイ | オンブズマン町長の視点 | スポーツ | ニュース | パソコン・インターネット | ヘーゲル哲学 | ホワイトビーチ・ホテル | マスコミの報道のありかた | マルクス・ノート | ローカルエネルギー | 三位一体改革と地方自治 | 世界の核事情 | 世界遺産 | 交通問題 | 人権問題 | 住民参加のありかた | 住民監査請求と地方自治 | 佐賀での講演会と交流 | 佐賀との交流 | 健康づくり | 公務員の気概 | 別件やみ融資事件 | 医療・福祉の問題 | 南海地震対策 | 原子力政策と地方自治 | 原子力産業の是非 | 反核運動 | 司法のありかた | 国との折衝 | 国政問題 | 国政選挙 | 土佐電鉄バス | 土佐電鉄問題 | 地域のリーダー | 地域評議会 | 地方の公共交通のありかた | 地方自治と原子力政策 | 地方自治の学校 | 地産地消 | 報道のありかた | 大月町低レベル放射性廃棄物問題 | 守口市との交流 | 室戸市の改革 | 室戸市政 | 市民オンブズマンの観点 | 市民自治のありかた | 市町村合併問題 | 平和の問題 | 心と体 | 情報公開 | 情報公開のありかた | 情報化時代について | 憲法改正問題 | 政治思想ノート | 教育のありかた | 教育委員について | 教育行政のありかた | 文化・芸術 | 旅行・地域 | 日本の歴史 | 日本国憲法と地方自治 | 日記・コラム・つぶやき | 映画・テレビ | 書籍・雑誌 | 最高裁の判例 | 有機農業 | 東洋町のあるものさがし | 東洋町の改革 | 東洋町の教育問題 | 東洋町の歴史 | 東洋町よもやま話 | 東洋町不正融資事件 | 東洋町庁議 | 東洋町役場の日常 | 東洋町町会議員の解職請求(リコール)に関する裁判 | 東洋町町長選挙2015 | 東洋町議会報告 | 東洋町議会選挙 | 核廃棄物拒否条例 | 歴史観・世界観 | 民主主義の実現と最高裁 | 民主主義は産業 | 水産業について | 水産物 | 海の駅東洋町 | 環境にやさしいまちづくり | 環境問題 | 生涯学習 | 生見海岸 | 甲浦地区 | 町政 | 町長日誌 | 白浜海岸 | 県闇融資事件 | 社会問題 | 社会思想 | 福祉問題 | 経済・政治・国際 | 育児 | 観光開発 | 読書ノート | 警察・司法のあり方 | 農産物 | 近隣市町村との交流 | 道の駅・海の駅開設の為に | 部落解放運動 | 野根地区 | 関西地区との交流 | 防災対策 | 青少年教育 | 食育 | 高レベル放射性廃棄物最終処分場 | 高知県政 | 高知県議会 | 高齢者問題 | NUMO