日本の歴史

2019年11月 1日 (金)

身の丈

荻生田文化相の身の丈発言が顰蹙を買っている。
身の丈とは身分ということである。

身分(差別)をわきまえろという発言が日本の政府閣僚から出てくるとは。
かつてはそうだった。差別をわきまえろが大義名分論の中核だった。

だが、戦後部落解放運動などの発展で、差別だ という声に震え上がる時代が出てきた。
差別を受けてきた人々がほう被りをして往還の隅を歩いていた時代から堂々と出身身分を名乗り権利を主張する時代がやってきていた。やりすぎもあったが激しい糾弾闘争も歴史的には重要な役割を果たし社会の迷妄を切り開いてきた。戦前戦後の解放運動がなければ部落大衆は今のような扱いは受けられなかったであろう。

だが、近年解放運動の沈潜などで、ヘイトスピーチなどが横行し、差別だといってもその差別を開き直る連中が出てきた。ネトウヨだけでなく荻生田のような身分差別を当然視する政治家も出てくるだろう。

人ながら 如是畜生ぞ 馬牛の 河原の者の 月見てもなぞ
これは16世紀初めの「七十一番職人歌合」の中の一首である。

ある学者はこの歌は穢多・河原者の立場になり代わっての歌だ、として
(人間でありながら、このように馬牛なみの扱いを受けている者なれば、美しい月を見ても心が晴れぬ)という解釈を示した。(「部落史を読む」阿吽社発行)

私の解釈では、この歌は差別を受けた当人が詠んだ歌であろう。如是などというお経の言葉を使っているから僧体のものかもしれない。

初めの、人ながら如是(にょぜ)畜生ぞ という句には、同じ人間でありながら畜生同然の扱いぞ という激しい叫びともとれる断定的義憤がある。

後の句には、馬牛とさげずまれる河原者であっても、月を見ても人並みに美しと感ずる、
それなのになぜこのような仕打ちを受けるのだ、という胸を打つ強い抗議の声が悲しげに響いている。

現代の解放運動は、抗議の怒りの思いを持つ多くの部落民がいるのにこの学者らの解釈のようにその声を感傷的詠嘆でしか理解しない、そのような低調な運動に似ている。

部落民だけではない。多くの受験生には経済的格差が厳しい。有名高校や大学に入学する大半は裕福な家庭の子供たちだ。部落を底辺としながら、大多数の国民が身分的格差ともいうべき差別の中で苦しんでいる。

中世の賤民たちの心の怒りは数百年たってもまだ晴れない。

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2019年10月22日 (火)

大嘗祭


新天皇の即位式である大嘗祭は、元をただせば、江上波夫氏(「騎馬民族国家」)によると、蒙古・契丹・高句麗・新羅ら北方騎馬民族の即位式と同じ系統をひくものであり、天皇が日御子として現人神に転化する儀式だという。

そして、谷川健一氏(「平泉の原像」)によれば、元はこの大嘗祭には、征服された蝦夷や隼人らが登場し古い言葉を誦したり、犬のように吠えたりし、いろいろと奉仕活動をすることになっていたという。

普通の人間が神格を得て「天皇」を僭称するために騎馬民族特有の儀式に、被征服民の卑屈なしぐさを添えたのである。

原の大嘗祭は、いわば征服者の被征服者に対する居丈高の姿を見せつける祭典というものだ。
現在の大嘗祭がどのようなものかわからないが、儀式の趣旨や狙いが変わらないとすれば現行憲法に真っ向から対立する。抑圧と差別をたたえる儀式だからである。

隼人はともかくとして、蝦夷への差別も表面上は見えなくなっているが、その蝦夷(蝦夷征伐によって全国に配流された奥州俘囚)を源流とするといわれる部落民への差別は今もある。

そして、蝦夷の子孫である東北の日本人は、今、原発という人類の原罪ともいうべきものの業罰を、ゆえなくして受け続けている。

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2019年10月 1日 (火)

原発推進の哲学

高浜原発推進のフィクサー、高浜町役場の収入役や助役を務めてきた男によって、関西電力の腐敗した企業の実態が浮かび上がった。

電気料金を原資とした電力会社の金の流れは、

電力会社→①下請け業者→政治家・地域ボス・(電力会社)・・工事費の水増し
    →②東大-京大、東工大などの大学教授へ・・研究費などの補助金・・
    →③原子力関係省庁など官僚へ・・・天下りポストの提供
    →④メディアへ・・・広告料

こうして、電気料金を打ち出の小づちのように使って、原子力村が形成され、原子力産業が栄えてきた。

かつて班目春彦(フクイチの事故の時原子力安全委員会の委員長)とかいう先生は、核燃料の最終処分場の件で、「最後はお金でしょ。どうしてもみんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃあ、おたくには二倍払いましょ。それでも手を上げないんだったら五倍払いましょ、10倍払いましょ。」といったという。(「六ケ所村ラプソディ」)

科学や常識では人を説得できない。彼ら原発マフィアの信念は、原発の研究は金になり職を得て出世し生活の糧になる、金でおびえる住民を説き伏せ原発開発を推進し、人を服従させることができる。金はいくらでも使える。

地震も津波も怖くはない。放射能も怖くはない、
福島の惨状も見えない。世の中は科学とか文化とか民主主義とかではなく金がすべてを解決してくれる。東電や関電には、そして自民党政府にはわれわれマフィアにいくらでも金を出せる。・・・・

広島・長崎に並ぶ日本有史以来最悪の惨状をもたらしたフクイチにもかかわらず、彼ら原発マフィアの哲学は牢固として揺るがない。資本主義が生み出した最後的な哲学であり、人格である。人類を滅ぼしても金を握ればいい手という連中だ。

東電の会長らの原発犯罪へ控訴が行われた。
しかしその求刑が軽すぎた。万死に値する人類への犯罪を禁固五年ではあまりもバランスが取れない。軽すぎるのである。

私は死刑制度に反対であるが、人類への罪(大規模な虐殺や人類への破滅行為)については例外にすべきだ。

いづれにしても、高浜のマフィアの一味は、よくぞメモを残し原発の闇、原発マネーを顕出させてくれたものだ。

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2019年8月23日 (金)

征韓論

安倍内閣がやっている韓国への貿易規制措置は、ほとんど新しい征韓論というほどの過熱さである。

低劣な安倍内閣と自民党だけでなく、野党の立憲民主党や国民民主党らがこれに悪乗りし、マスコミも批判せず同調している。戦前の日本民間企業の悪辣な強制労働に対して、被害者が賠償を求めるのは当然であり、日韓請求権協定の本文を見ても、また議事録を見ても解決済みとはなっていない。

議事録中の請求権について韓国側の8項目の請求について協定本文と同じように原則的に解決されるという規定があるだけで、本文第一条の経済協力資金の提供によって解決されたなどという文言は全く見ることはできない。

すでに指摘されているようにそのことは条約調印者である椎名悦三郎の国会答弁(65、11、19国会答弁)、さらに外務省柳井俊二条約局長の答弁(1991年)で明らかなように、徴用工など韓国国民の請求権は解決されていないのである。

今回の安倍の暴挙は、明治六年の政変を起こした征韓論の無謀な争論よりもなお一層無謀である。
明治の征韓論は、国内で内戦を引き起こすことにはなったが、直接朝鮮や外国を損なうことはなかった。今の征韓論は韓国だけでなく日本も含めて世界の電子機器の生産・流通に対して大きな打撃を加えるものであり、特に日本は最重要貿易で大切な顧客を失うことになるといわれている。

隣国国民の正当な賠償請求をつぶすだけでなく世界経済に打撃を与え自国の国益をも損なう大暴挙で、その張本人安倍と歩調を合わせる「野党」などというものが選挙で勝てないのは当然であり、またマスコミにも理性や良識あるものがいないのか、暗澹たるものがある。

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2019年8月21日 (水)

戦没者追悼文

8月15日全国戦没者の追悼が日本武道館で行われた。
安倍首相および大島衆院議長らの追悼文にいつも疑問を持つ。
それは、先のアジア太平洋戦争への反省とか謝罪の言葉が全くないことである。天皇の追悼の言葉には「深い反省」があった。

 

それどころか、次のような言葉は常に繰り返される。
「今、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれものであることを、私たちは決して忘れることはありません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。」(安倍首相)
この言葉で行くと、戦没者の死は意味があり、現在の平和と繁栄のためになった、ということになる。

 

戦没者が犠牲になったのは事実であるが、それが戦後の平和な社会のためであったわけではない。戦没者の犠牲は、天皇や日本の支配階級の侵略戦争のための犠牲であり、全くの無駄死にだった。多くの若者は、日本のため故郷のため、そして、妻や子、親への万感の思いを残し無念の死を迎えた。

 

水漬く屍、草生す屍として意味のない死を異国の地にさらした。遺族の代表たちがその死に意味があり平和な日本の礎になったと思うのは、それは仕方がない感情であり願いでもあろう。

 

現在の平和と繁栄の日本を建設するにも犠牲者はいた。それは低賃金と過酷な非人間的な労働で搾り取られた戦後の日本の労働者と国民大衆であり、巨大な日本列島の環境破壊であった。

 

戦没者の死が、戦後日本の復興に貢献したものとする追悼は、戦没者を侮辱するものであり、無謀な侵略戦争を意義あるものと位置付ける反逆罪的意図を示すものである。

 

平和憲法をないがしろにする発言や行動は反逆罪に相当する。
私も東洋町長として毎年8月15日甲浦と野根の2か所で戦没者への追悼文を読み上げてきた。


それは、アジアの人民への謝罪と侵略戦争への反省、そして無駄死にを強いられた「英霊」の御霊への慰霊の言葉であり、二度と戦争を起こさない決意を表明するものであった。
私の追悼の言葉について遺族らを含め誰も異議を唱える参列者はいなかった。

 

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2019年8月 9日 (金)

続 日韓請求権協定

安倍は、「韓国は国際条約違反」だと一つ覚えのように叫んでいる。日韓請求権協定のことであるが、すでに述べたように、この協定の第1条は、経済協力上の資金供与であり、第2条に請求権等の問題について規定されていて、その規定は、決して第1条の資金供与で、請求権問題が解決されるという風にはなっていない。

英語では 請求権問題等は the problem ・・・ is settled completely and finally.完全かつ最終的に解決される。または、解決されるものとする、という意味であり、この協定の日本語のように解決された、という既定の事実を述べたようなものではない。

Is settled となっているが、これは、現在形であり、この文章が歴史書ではなく文法的に歴史的現在とは言えないから現在形の文章を…された、という風に過去のこととして理解することは許されないだろう。

韓国語がどのようにこれを表現しているかわからないが、日本側のように・・・解決した、という風に表現しているかどうか疑問である。

すでに述べたように内容的にも、何によって請求権等が解決されるのか明記されていないし、条文表現上もすでに解決されたものとは解釈できない。

協定では、請求権問題は解決されるという一般的な原則を日韓両締約国が確認したものであってそれ以上ではない。どのように解決するのかは、請求権者の提起と請求されたものが誠実にそれに対応するということによって決まる。

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2019年8月 7日 (水)

日韓請求権協定

安倍は常に、1965年に日韓の間に締結された基本条約の付随として締結された日韓請求権協定を取り上げ、徴用工問題などの請求権はすでに解決済みであり、国と国の約束事を守れと韓国非難を繰り返している。

かつて学生時代に私らは日韓会談反対の運動に明け暮れ、日韓の条約締結を批判したものである。
今あらためて、この協定を見てみるとこの協定が奇妙なものであることに気づく。

この日韓請求権協定の第2条に
「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益、並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が・・・・完全かつ最終的に解決されたことを確認する。」と規定されているが、請求権などの問題がどのように解決されたのかその中身がなにも記されていない。当然、独裁者朴大統領と日本政府の間でその解決の内容は協議されたはずである。おそらく権利も請求権も何もかも0にするという合意がなされたと思われるが、それが明記されていない。解決したとしかかかれていない。

第1条の規定には、日本が韓国に無償・有償の経済協力の供与がうたわれているが、その経済協力と交換に第2条の「解決」があるという風には推定はされるが、論理的につながってはいない。厳密にいえば、韓国国民の財産や権利、請求権問題についてどのように解決したかまたは解決していくのか不明の協定なのである。第1条の経済協力的な資金の「供与」や「貸付金」の供与の規定はそれはそれで独立した箇条であり、第2条の請求権等の「解決」についての条項は第1条との関連はなく、これも独立した文章である。「解決」したと書いてあるだけだから、チンプンカンプンだ。

「解決」という言葉を「解消」という風に受け取れという意図があったとは思われるが、法文の条理上そういう風には読むことはできない。この協定は韓国語、日本語、そして英文に翻訳されており「・・・解決」は英文では is settled completely and finally となっている。落着したということであって、解消したとは読めない。
資金供与で問題を解消したというのであれば第1条の資金の供与でもって、という一文を入れなくてはならない。

したがって、強制労働者たちや慰安婦たちの損害賠償、慰謝料の請求などの請求権は、この協定によっては何ら消滅せず、韓国国民が具体的な「解決」の内容の提示を求めるのは当然のことである。賠償や被害の請求権問題は加害者によって弁済か被害者によって免除されなければ解決しない。

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2019年7月14日 (日)

参議院選挙

今選挙戦中に大きな出来事が二つあった。

一つはハンセン病患者が起こした裁判で国側が敗訴したこと

二つ目は、日本が韓国に対して重大な貿易規制を加えたということである。これは政府にとって選挙戦で大きな打撃になる事案である。

しかし、野党は、これについてほとんど有効な反撃(追撃)をしていない。それどころか、安倍はこれを逆手に取って選挙戦を有利にするいい材料としている。

ハンセン病は明治以来時の権力が患者やその家族を棄民化し迫害を加え過酷な隔離政策の犠牲とされた。重大な人権問題であり、国は、裁判にかけられてもその責任を回避しようとしてきた。法律があったからそれを履行したまでだ、時効だなどと責任を取る姿勢は全くなかったのである。

今回の裁判で国の反論(厚生省・安倍の名前での答弁書)を見れば明白である、だから野党は、判決文やこの裁判資料を見て国民に卑劣な国の姿勢を暴露し、糾弾するべきである。
安倍は裁判にかけられた段階で、降参し謝罪したのではない。裁判中は患者側と対立し反論していた。敗訴して初めて非を認めそれで国民にいい顔をし謙虚そうにふるまって選挙戦を有利にしようとしているのである。盗人猛々しい。

二つ目の韓国への貿易規制の措置もそうだ。
明らかにこれは徴用工問題での韓国裁判所の判決とこれを支持する韓国政府に対する日本帝国主義政府の反撃なのであり、この措置は両派の剣であって韓国だけでなく日本の企業にも重大な打撃を与えるものである。戦前の国策企業の悪辣な朝鮮労働者の搾取に対して当然の償いを無視し、両国経済に打撃を与えてもその戦前の悪行を擁護しようという魂胆には、あきれるばかりだ。

問題は野党が、選挙戦でこの暴挙をほとんど取り上げないのはなぜかという点だ。保守陣営でもこの暴挙を問題にしてもいいと思うが野党が沈黙するのは合点がいかない。

安倍の外交は対ロシア、対北朝鮮、対中国、対アメリカ・・・すべて破綻している。保守的な考えの者でも、一部の大企業の過去の悪行を守る邪悪な動機だけで日韓の経済関係を破綻させていいのかという声も出てきてもいいぐらいだ。まして野党においておや、となるべきであろう。

野党にはいままともな戦略家がいないのであろうか。

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2019年5月29日 (水)

長谷川豊の差別発言

最近、長谷川豊という維新系の政治家が講演会で部落差別発言をしたということで参議院選挙の公認候補から降ろされた。

北方領土の問題で同党の丸山穂高議員が戦争による解決を言い立てたが、戦争と差別問題が日本維新の会や自民党らの政治的体質をあらわにする。

長谷川豊の部落差別発言:

マスコミなどで指摘されているその差別発言の内容は

①江戸時代士農工商の下に人間以下の穢多・非人がいた。
賤称語をそのまま使った。

②その連中が侍の家族を襲った。侍は刀を振るって抵抗したが殺された。
 なぜなら相手は犯罪のプロだから。

①については、問題はあるが差別発言とは言えないだろう。学校ではそのように教育されていた。
問題は②である。部落民が、性欲を満たすために集団で罪もない者を襲うという話をでっち上げた。
このでっち上げには悪意がある。

このような話は、狭山事件そのものだ。映画「橋のない川」にもそのような場面が描かれて、若い時分の私らがその映画を糾弾する行動を起こしたものだ。

戦前の高松差別裁判もそのような差別的逆相が原因だった。
その逆の話はいくらもあるが、部落民が一般庶民を襲うなどということはあり得ない。部落民は、差別迫害の中で戦々恐々と生きてきた。侍の刀は、問答無用で賤民の命を奪ってきた。
賤民の命は、塵よりも軽く扱われていた。長谷川の描いた着想が事件なのである。部落民は恐ろしい、違う人間だ、人間ではない、無辜の民を襲う・・・という差別幻想が問題なのである。

長谷川豊らこそが狭山事件の真犯人なのである。狭山事件とは、善枝ちゃん殺しではない。
重大犯罪事件で権力やマスコミなどが部落民を寄ってたかって犠牲(犯人)に祭り上げたという事件なのである。だから冤罪事件流に公判で証拠の真偽をあげつらうだけでは狭山闘争とは言えない。

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2019年5月 7日 (火)

私年号 水平98年

令和という。この元号には違和感が強い。平成も気の抜けたような感じであったが令和には権力的な威圧が感じられる。和というのはお互いに仲良くというよりも征服して和するという感じがあり、令にはせしめるという、強制の感じもある。

天皇交代と改元とが合体して時代を、時を天皇制が支配しているようだ。
時代を支え、これを変えるのは人民である。天皇や政府ではない。
だが、天皇と政府の元号が圧倒している。いくらいやだ、きらいだ、といってもそれが世間で通用する。西暦一本でいくという手もある。

また、私は提案する。天皇元号ではなく、人民の元号を作りそれを流通させたらどうだろうか。例えば、わたしは以前にも提案したが、
水平社宣言は1922年3月3日に京都岡崎で発せられた。
その期日を元年とすれば今年は水平98年となる。百年記念はさ来年だ。
部落差別は依然として続いている。差別がなくなれば改元すればよい。

あるいは、福島第一原発事故を、その事故の期日2011年3月11日を記念して、核9年、または 反核9年(2019年) という元号を使ったらどうだろうか。原発の脅威と反原発の意識を強く持続させるためにも有効であり、前代未聞の事件の教訓を普及するためにも採用されてしかるべきだ。

私年号は日本の古代・中世では僧侶や、反体制派が盛んに作って使っていたのであって何ら遠慮することはない。令和が好きな人は勝手に使えばよい。

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