日本の歴史

2017年8月 5日 (土)

続・国民機関説

News & Letters/583
現憲法前文の英語では
 Government is a sacred trust of the people,the authority of which is derived from the
 people,the powers of which are exercised by the represntatives of the people,and
 the benefits of which are enjoyed by the people.
となっている。これは、明らかに1863年リンカーのゲチスバーグでの有名な演説(The Gettysburg Address)の一節 と同じ趣旨である。
  人民の,人民による,人民の為の政府は地上から滅せさせないぞ
 Government of the peoole ,by the people ,fot the people shall not perish from the earth.
だから of the people というのは、by the people とは違って、人民の 保有する政府という意味である。
日本人民は、国政を政治家や官僚に「信託」してはいない。
ただ、それに属する権力の行使は、人民の代表(representatives)が行使することになっている。
人民の代表は、しかし、統治権者ではない。人民に選出された代表にすぎず、権力行使は人民の意思に沿わなけれない。
現在立法府は人民の代表が選出されているが、行政府たる内閣はそうなっていない。
人民の意思を反映するシステムが極めて不十分であるから、行政府は独善的になる。
総理大臣と閣僚は直接国民によって選出される必要がある。
さらに問題なのは司法権力である。これはほとんど全く人民によって選出された代表 representatives ではない。
最高裁長官が行政府によって任命されるシステムでは、行政府の補完物でしかない。
司法権力は憲法前文の趣旨からは完全に取り残され暗闇となっていて、人民圧服の旧体制のままである。
最高裁判事、高裁の判事、地裁の判事はすべて管轄する住民による公選で選ばれるべきであり、その判決文についても、それぞれ管轄地域の不特定の人民の代表によってチェック(審査)され、重大な過ちや故意の誤判について糾弾され責任が問われるがなければならない。
検察においても告訴・告発権(検察権)を人民に与え検事とともに人民も直接裁判所に犯罪を起訴できる制度が必要である。
現行憲法を変えずとも法令で相当改変することができるだろう。人民主権が貫かれねばならない。
天皇が国政を総攬し統治権者という憲法上の建前(国体)であったが、実際は重臣や官僚、軍部が国政を壟断していた。
天皇は国体の一機関と位置付けられ実権は干されていた。
今、憲法上国民が主権者として位置づけられているが、実際は「信託」論により骨抜きにされ、わずかに立法府の選挙の時だけお出ましが許されるというあわれな境遇に祭られているのである。戦後の憲法学者は天皇機関説に代わる国民機関説を東大法学部などすべての大学法学部の教壇から垂れ流してきたのである。

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2017年3月29日 (水)

愛国者

News & Letters/561

日本の近代の国粋主義の原点は南朝の後醍醐天皇をめぐる南北朝時代を原点にする。
だいたい南北朝という言葉を使うこと自体が不敬行為に当たる。それも吉野朝時代という。
江戸明治現代を通じて天皇は北朝の系統であるのに、南朝が尊い。

楠木正成、千種忠顕など三木一草などという忠臣があがめられる。
しかし、実際はどうか。三木一草をはじめ後醍醐に忠誠を尽くしたという連中は当時では富を誇る悪党であり乱暴狼藉・博打・淫乱の輩だったという。昔はその連中も歴史的意義があったかもしれない。

現代の国粋主義者たち極右らも籠池といい、稲田といい、橋下といい、安倍といい、恥知らずや無法者ども達ばかりなのである。
現代右翼の原型である児玉ヨシオを見てもわかるが、彼ら悪党どもは政界の闇でうごめくのが本筋である。

東京都知事もそうだ。国家の表舞台で立ち回るのは遠慮すべきではないか。

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2017年3月24日 (金)

令外官

News & Letters/558

安倍総理の夫人(私人)に5人もの公務員がつけられている。
連絡や調整、身の回りのお世話・・程度と考えられていたが、
どうしてどうして、政府の一機関であった。しかも総理大臣の印籠をもって
全省庁、都道府県庁等々、自在に権力を振るい利権を振りまいている。
森友事件の中心は籠池でも財務官僚や大阪府知事でもない。

総理大臣夫人局(つぼね)が一切の根源である。
これは律令官制を逸脱した一種の令外官(りょうげのかん)であろう。
日本中世において令外官は押領使や検非違使、さらには摂政・関白、征夷大将軍など権力の中枢となる。

安倍総理大臣は令外官として夫人局をひそかに創設し権力の裏の仕事をやらせていたのである。

天皇制も変わる。上皇という古い制度が登場するようだ。
上皇も権力機関となる。上皇の権限は無規定だから無限大だ。
日本国民は憲法にはない重層的な天皇制を頂くことになる。

令外官や上皇の登場によって現行憲法体制は崩壊に向かっている。

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2017年3月16日 (木)

朕は不快である

News & Letters/556

明治時代に作られた教育勅語は、時代錯誤であるとか、国民主権に反するものだとか
いろいろな批判がある。籠池幼稚園では教育勅語が暗唱されている。私の母親も暗唱できていた。
しかし、教育勅語は国民の子弟が暗唱するようなものではない。こんな声が聞こえてくる。

朕は不快だ。爾臣民の子供らが、「朕思うに皇祖皇宗・・・爾臣民…父母に孝…」などというのは怪しからん。
朕の口真似をして 臣民の身分でありながら 朕とか爾臣民などという言葉を使って得意になっている。
教育勅語は、天皇である朕が爾臣民に教訓を垂れるもので、この文句を練習するのは、朕の息子以外誰にも許されない。
朕という言葉は、天皇にのみ許された自称だ。ただの臣民である籠池や稲田らが、朕という尊称を使った教訓文を
訳の分からない子供らに唱えさせるのは、立場をわきまえない不敬行為である。
朕はすでに死んだ。教育勅語も朕とともに死んだ。朕、朕というな。ばか。

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2017年1月29日 (日)

慰安婦像

News & Letters/549

セックス奴隷というべき日本軍の慰安婦たちの抗議が続いている。
慰安婦の女性像が韓国や世界の各地で建てられていることは当然のことだ。
なぜか日本政府やその追従者らがそれを恥ずかしがり嫌がって、約束違反だといってわめいている。

10億円でこの問題が「不可逆的に」解決したといい張るのである。
過去の残虐行為があるいは歴史的事実が不可逆的に解消されるはずはないし、お金で過去の
国民的な屈辱の歴史が消せるはずはない。せいぜい我慢する、黙っているということである。
しかし、政府を黙らせることができるとしても言論の自由のある国民をも黙らせることはできないし、それを要求する権限まで買い取ることはできない。韓国は日本の植民地ではないからである。

また、どういうわけか韓国の女性教授が、韓国女性が慰安婦に「自主的」になった者もいる、とかいう本が出版され告発・裁判にされたということであるが、確かに言論の自由において、慰安婦についてどのような「学説」を発表しようとそれを罰することはできない。しかし、およそ植民地下においてはもとよりどの社会でも売春しなくては生活ができなくなった女性の陥った状況について、その売春行為を「自主的」と呼ぶのは適切ではない。被差別部落だけではないが戦前だけでなく戦後においても親に売られ

あるいは覚悟してからゆきさんや女郎になって生涯を苦界に沈めた女性がたくさんいた。主として家庭の経済的困窮がそうさせたのであり、「自主的」に売春婦になったという人は絶無であろう。 

慰安婦像が各地に建てられることに日本政府が恥を感じるのはまだ少し健全性がある証拠だ。恥を隠そうというのは恥じている証拠だ。

アジア太平洋戦争で残虐の限りを尽くした恥じ多き日本民族が、この地上に繁茂する資格があるのかどうか慰安婦女性像に照らして考えてみてはどうか。われわれ日本人が生きるのは、とこしなえの反省の行のためであり、憲法9条を世界に実現するためである。それ以外の享楽の生は許されていない。アジア何千万の人を殺し、幾万人の女性を虐げてきた歴史的事実を永久に子々孫々に伝えることはその大前提である。日本の安倍が住んでいる東京の官邸前や橋下徹のいる大阪にも慰安婦像が建設されるべきだ。

最近の国会では、北朝鮮のミサイル基地を破壊する行為も専守防衛だ、憲法に違反しないと息巻いているが、そういうめちゃくちゃな憲法解釈こそ恥ずべきだ。
憲法は、殺される前に殺せ、という論理や感情を政治として主張し、行動することは許していない。国家間の紛争はあくまでも平和的手段で解決することが日本の国民に課せられている。

日本国憲法はクラウゼヴィッツの『戦争論』を禁じているのである。
しかし、その前に、韓国などの物言わぬ慰安婦像に対面し、我々日本人が民族として繁栄すべき資格があるのか、問うことから出発しなければならない。

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2016年12月19日 (月)

北方領土

News & Letters/541

北方領土4島は日本の固有領土である、という。
ロシアは、経済的にも軍事的にもこの領土をロシア化した。
ロシアは絶対に日本に返還する意思は持たない。

日本が侵略戦争をした結果、植民地はもとより当然であるが、固有の領土まで失った。

その責任は①もともと、無謀な戦争を繰り広げポツダム宣言の無条件受諾をした昭和裕仁天皇や安倍晋三の祖父岸信介ら戦犯たちにある。
沖縄は天皇制の存続と交換されたという。

そして②今、ロシアが、頑強に返還を拒むのも、天皇裕仁や岸信介、そして安倍晋三と続く国賊どもが沖縄や日本各地を米軍の軍事基地に提供し、日米安保体制を築いている事実を作って来たところにある。

北方領土が日米安保の新たなる拠点になることが分かっているロシアがそれをわざわざ返還するはずがない。平和条約締結と2島返還とかいうが、戦争法案を強硬可決した安倍晋三は相手に刃を突き付けて何の平和条約といえるのか。

原因①も結果②も裕仁と岸信介らの係累売国奴によって作られた。
マスコミは、虚妄の返還ストーリーを国民にばらまくのではなく、上の①,②の真実を報道すべきである。

日米安保を破棄し「憲法9条を文字通り実行しなければ、隣国とのいかなる平和もあり得ないし、固有の領土も戻ってこない。
北方領土を返還せよ、のスローガンは日米安保体制解体、九条を守れのスローガンと一緒に叫ばなければ実現性は全くない。

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2016年9月25日 (日)

自衛隊

News & Letters/520

 周辺を見るといつの間にか、自衛隊は違憲だ、という人がいなくなった。
 必要最小限の自衛のための武力を持つのは憲法も禁じていない、とか侵略軍に攻められたら、どうするんだ、とか結局安倍晋三と同じ論理を使うのである。

しかし、自衛隊は明らかに憲法9条に違反するのである。

戦前よりもはるかに強大な火器を持つ軍隊の存在が現憲法で許されるはずはない。
そして、それでは、憲法が間違っているのか。否である。

憲法9条は正しい。国が軍隊を持つことも、戦車や大砲や戦艦、爆撃機、鉄砲・弾薬を持つことを9条は否定していてこれは完璧に正しい。国際紛争をこれらの武器や軍隊を使って解決することも一切禁じている。これも全く正しい。

その軍隊や武器でもって他国を威圧したり、他国の政治的軍事的勢力を抑止したりすることも禁じられている。

これらは全く正しい。憲法9条は文字通り正しく守られねばならない。

そんな考え方は、非現実的だ、理想論だ、あるいは非国民だ、などという。しかし、何人もそのような非現実的だといわれる憲法を我々が持っているという現実、その憲法9条を掲げてこの70年間非戦状態、国際平和状態を維持してきたという現実をも直視するべきである。この70年間自衛隊は戦争行為に関しては不要だったのである。

災害対策では自衛隊はしばしば出動し活躍もしてきたから自衛隊は国土災害救助隊とかいう名称で武器をクワやブルドーザーに替えて存続させたらいい。
敵に攻められたらどうするのだ、国民を見殺しにするのか、というだろう。

周辺に敵など存在しない。中国や朝鮮が日本に攻めてくる恐れはほとんど0だ。それにたくさんの原発施設を持つ日本では、とても他国と戦争を構えることはできない。通常兵器でも原発は攻撃可能であり、防衛するすべがない。新潟や福井の原発をやられたら日本は壊滅的打撃を受ける。
・・・・・
問題なのは、日本に、または日本人に、武装させた場合の危険性なのだ。安倍晋三や稲田ともみさん、櫻井よしこさんらのような悪魔的な侵略思想を持った連中がいっぱいる。狂人に刃物を持たしていいのかというのが近隣アジアや世界の大心配であり脅威なのである。「敵」がどうのこうのではない。己の過去と現在が「敵」の恐怖となっていることを忘れてはならない。

殺しつくし、焼きつくし、犯しつくす、三光作戦をやって数千万人の無辜のアジア人民を平然と殺してきた、そんな民族には鉄砲ではなく、憲法9条の荒縄が最も必要なのである。憲法9条は我々の理想というよりも魔性を持つ日本人を縛る縛(いまし)め、捕縄なのである。憲法9条にはそれを実施する法令がないし、それに反することをする者への罰則規定が不備である。

早急に法令を整備しこの国是を死守しなければならない。
自衛隊の兵士とプロレタリアートが手を結び、すべての軍備を解除し、国土防災の平和部隊として自衛隊が再編されねばならない。自衛隊違憲論は、今こそ必要である。

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2016年9月18日 (日)

沖縄の裁判

News & Letters/519

マルクス主義の国家論からすれば、国家は公共性を被った暴力装置である。
その暴力装置は、軍隊であり、警察であり、行政機関・・・・、監獄、そして裁判所だ。
裁判所は、三権分立で独立した法の番人であり裁判官は憲法と己の良心にのみに拘束されて
自由な判断を下すもの、という建前になっている。
普段は、そのような公正中立、公共への奉仕という仮面が、本当のようにふるまう。
裁判も時々そんな感じでいい判決が出るときもある。裁判官も漫画「家裁の人」のような立派な人がいるということは確かだ。

福井地裁や大津地裁の原発裁判の裁判官も健在だ。
しかし、場面が違えば、裁判所も国家権力の暴力装置であることの馬脚を現してくる。
私が知る限りその場面はおよそ3つある。沖縄であり、部落(狭山事件)であり、そして住民行政訴訟だ。

今回の福岡高裁那覇支部の裁判長の下した判決は、憲法に照らしてとか、法令に適合するかとかいう判断基準をかなぐり捨てて支配権力の政策の支持をあからさまに表明し、裁判所本来の国家の暴力性の発動の結果であった。

日米安保体制での日本における軍事基地は憲法(9条 外国兵を代替的に武装させ戦争行為をさせる)に適合するのか、その軍事基地の大半を沖縄に偏在させることの憲法(第14条など)上の正当性はあるのか、今回の辺野古への移転は環境等の法令・規則に適合しているのか、手続きは適法(前の知事の認可の取り消しが有効)か等が裁判官の判断の基準でなければならない。我々は何も裁判官に、歴代内閣の安保政策への支持表明を期待したわけではないし、普天間と辺野古の比較をしてくれといっているのではない。

今回の判決文の要旨を見ても、憲法第76条3項に定められた裁判官の姿、良心と、憲法と法律にだけ拘束される独立の存在という規定を完全に踏みにじっている。憲法違反の判決というべきである。

最高裁は今回の裁判に備えて、あらかじめ裁判官の入れ替えをやり、最高裁のエリートを今回の裁判に派遣したといわれる。
もはや司法は、日米政府の走狗になって、国辱裁判を恬として恥じない。

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2016年9月 1日 (木)

茶の本 岡倉天心

News & Letters/517

福島原発事故は、かつてリスボンの大地震がヨーロッパの思想界に与えたと同じ衝撃を
私たちに与えている。神学の予定調和からヒュウマニズムへの転換。
原発を頂点とする近代科学神話からヒュウマニズムへの転換が必要だ。
ただ単にエネルギー源の選択の問題だけに終わってはならない。

岡倉天心の「茶の本」は、茶道について宗教的・芸術的な説明がなされているが、その中に次のような一説がある。

「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっている間は野蛮国とみなしていたのである。
しかるに、満州の戦場に大々的な殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。
近頃武士道ーわが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術ーについて盛んに論評されてきた。
しかし、茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の道を多く説いているのであるが。

もし我々が文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。我々はわが芸術及び理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」

我々が世界に対して誇れるのは、武器や強兵でもなく、大量生産大量消費、成長・成長の経済でもなく、平和な文芸にふける静かな世界であって、自然を愛し、上下差別なく人が交わる茶道の世界、岡倉が言う「野蛮国」なのである。

日本が日清日ロ戦争に沸き立ち、軍国主義にひた走る時代に、岡倉天心は堂々と反戦的文明批判を行っていた。

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2016年8月16日 (火)

戦争への反省

News & Letters/510

8月15日、先の大戦の犠牲者、戦没者に対する慰霊祭が各地で行われ、戦争への反省が語られる。

だが、何を反省するのだ。数百万人の日本人の犠牲者、数千万人のアジア伊人民の犠牲を出したことを反省するという。

武力を盛った軍部の独走、外交の失敗・・・、いろいろな反省の弁がある。
だが、戦争を起こした原因について語られるのはほとんどない。

1、資本主義の帝国主義段階での必然の結果であり、帝国主義国の競合が武力解決をよんだというのは全般的には正しい。
 だが、それでも勝てるはずもない、中国や米英を相手にして日本の無謀な戦争の理由は説明しきれない。

2、明治初年から始まった日本政府内の江藤新平ら民権派が、明治6年の政変、佐賀の乱、西南戦争の過程で敗退し、王権派、大久保、伊藤、山縣らが勝利して、以後、天皇・軍部が議会・官僚を抑えて絶対主義的権力を行使する体制を築いたこと。

3、総理大臣でさえ戦争を回避することができなかった。天皇・軍部が日本を支配していた。これを打破することができなかった。天皇裕仁が実際に戦争を指導していたことは側近の残された日記から明瞭である。
 
安倍ら改憲・戦争推進派達が狙うのは、議会や国民から超絶した戦前型の政権の構築であり、天皇の利用はその核心である。最近の天皇の動きは、安倍らの動きに不安を感じ、天皇自身がこれを忌避しているのではないか。
天皇を元首にするという自民党らの憲法改悪の狙いが奈辺にあるか、天皇や皇后、周辺の者たちが気付かぬはずはない。

むしろ、天皇制を廃止しない限りこの不安は払しょくできない。天皇は退位し、皇室典範にのっとり現皇太子をもって皇統を途絶するべきであろう。明仁天皇が御陵(墓地)を縮小し、葬儀を簡略にするという真の願いは、天皇の真の人間化であり、平民化であろうと考えられる。

今の時代に天皇などという道教由来の尊称を僭称するのは滑稽だという想念がすでに天皇自身にあると考えられる。そして、今上天皇が、沖縄、南方方面の戦没者の慰霊の旅をつづけるのは、先のアジア太平洋戦争の大きな原因が、統帥権を持った天皇制の存在であったことを天皇家自身が気付いていることを示すものではないだろうか。

天皇が必死で反省していることを、我々国民が無反省でいいのであろうか。民主主義を根底から否定し、戦争遂行政府の核となる天皇制を廃止することを決心することが8月15日の国民行事である。

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