日本の歴史

2017年1月29日 (日)

慰安婦像

News & Letters/549

セックス奴隷というべき日本軍の慰安婦たちの抗議が続いている。
慰安婦の女性像が韓国や世界の各地で建てられていることは当然のことだ。
なぜか日本政府やその追従者らがそれを恥ずかしがり嫌がって、約束違反だといってわめいている。

10億円でこの問題が「不可逆的に」解決したといい張るのである。
過去の残虐行為があるいは歴史的事実が不可逆的に解消されるはずはないし、お金で過去の
国民的な屈辱の歴史が消せるはずはない。せいぜい我慢する、黙っているということである。
しかし、政府を黙らせることができるとしても言論の自由のある国民をも黙らせることはできないし、それを要求する権限まで買い取ることはできない。韓国は日本の植民地ではないからである。

また、どういうわけか韓国の女性教授が、韓国女性が慰安婦に「自主的」になった者もいる、とかいう本が出版され告発・裁判にされたということであるが、確かに言論の自由において、慰安婦についてどのような「学説」を発表しようとそれを罰することはできない。しかし、およそ植民地下においてはもとよりどの社会でも売春しなくては生活ができなくなった女性の陥った状況について、その売春行為を「自主的」と呼ぶのは適切ではない。被差別部落だけではないが戦前だけでなく戦後においても親に売られ

あるいは覚悟してからゆきさんや女郎になって生涯を苦界に沈めた女性がたくさんいた。主として家庭の経済的困窮がそうさせたのであり、「自主的」に売春婦になったという人は絶無であろう。 

慰安婦像が各地に建てられることに日本政府が恥を感じるのはまだ少し健全性がある証拠だ。恥を隠そうというのは恥じている証拠だ。

アジア太平洋戦争で残虐の限りを尽くした恥じ多き日本民族が、この地上に繁茂する資格があるのかどうか慰安婦女性像に照らして考えてみてはどうか。われわれ日本人が生きるのは、とこしなえの反省の行のためであり、憲法9条を世界に実現するためである。それ以外の享楽の生は許されていない。アジア何千万の人を殺し、幾万人の女性を虐げてきた歴史的事実を永久に子々孫々に伝えることはその大前提である。日本の安倍が住んでいる東京の官邸前や橋下徹のいる大阪にも慰安婦像が建設されるべきだ。

最近の国会では、北朝鮮のミサイル基地を破壊する行為も専守防衛だ、憲法に違反しないと息巻いているが、そういうめちゃくちゃな憲法解釈こそ恥ずべきだ。
憲法は、殺される前に殺せ、という論理や感情を政治として主張し、行動することは許していない。国家間の紛争はあくまでも平和的手段で解決することが日本の国民に課せられている。

日本国憲法はクラウゼヴィッツの『戦争論』を禁じているのである。
しかし、その前に、韓国などの物言わぬ慰安婦像に対面し、我々日本人が民族として繁栄すべき資格があるのか、問うことから出発しなければならない。

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2016年12月19日 (月)

北方領土

News & Letters/541

北方領土4島は日本の固有領土である、という。
ロシアは、経済的にも軍事的にもこの領土をロシア化した。
ロシアは絶対に日本に返還する意思は持たない。

日本が侵略戦争をした結果、植民地はもとより当然であるが、固有の領土まで失った。

その責任は①もともと、無謀な戦争を繰り広げポツダム宣言の無条件受諾をした昭和裕仁天皇や安倍晋三の祖父岸信介ら戦犯たちにある。
沖縄は天皇制の存続と交換されたという。

そして②今、ロシアが、頑強に返還を拒むのも、天皇裕仁や岸信介、そして安倍晋三と続く国賊どもが沖縄や日本各地を米軍の軍事基地に提供し、日米安保体制を築いている事実を作って来たところにある。

北方領土が日米安保の新たなる拠点になることが分かっているロシアがそれをわざわざ返還するはずがない。平和条約締結と2島返還とかいうが、戦争法案を強硬可決した安倍晋三は相手に刃を突き付けて何の平和条約といえるのか。

原因①も結果②も裕仁と岸信介らの係累売国奴によって作られた。
マスコミは、虚妄の返還ストーリーを国民にばらまくのではなく、上の①,②の真実を報道すべきである。

日米安保を破棄し「憲法9条を文字通り実行しなければ、隣国とのいかなる平和もあり得ないし、固有の領土も戻ってこない。
北方領土を返還せよ、のスローガンは日米安保体制解体、九条を守れのスローガンと一緒に叫ばなければ実現性は全くない。

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2016年9月25日 (日)

自衛隊

News & Letters/520

 周辺を見るといつの間にか、自衛隊は違憲だ、という人がいなくなった。
 必要最小限の自衛のための武力を持つのは憲法も禁じていない、とか侵略軍に攻められたら、どうするんだ、とか結局安倍晋三と同じ論理を使うのである。

しかし、自衛隊は明らかに憲法9条に違反するのである。

戦前よりもはるかに強大な火器を持つ軍隊の存在が現憲法で許されるはずはない。
そして、それでは、憲法が間違っているのか。否である。

憲法9条は正しい。国が軍隊を持つことも、戦車や大砲や戦艦、爆撃機、鉄砲・弾薬を持つことを9条は否定していてこれは完璧に正しい。国際紛争をこれらの武器や軍隊を使って解決することも一切禁じている。これも全く正しい。

その軍隊や武器でもって他国を威圧したり、他国の政治的軍事的勢力を抑止したりすることも禁じられている。

これらは全く正しい。憲法9条は文字通り正しく守られねばならない。

そんな考え方は、非現実的だ、理想論だ、あるいは非国民だ、などという。しかし、何人もそのような非現実的だといわれる憲法を我々が持っているという現実、その憲法9条を掲げてこの70年間非戦状態、国際平和状態を維持してきたという現実をも直視するべきである。この70年間自衛隊は戦争行為に関しては不要だったのである。

災害対策では自衛隊はしばしば出動し活躍もしてきたから自衛隊は国土災害救助隊とかいう名称で武器をクワやブルドーザーに替えて存続させたらいい。
敵に攻められたらどうするのだ、国民を見殺しにするのか、というだろう。

周辺に敵など存在しない。中国や朝鮮が日本に攻めてくる恐れはほとんど0だ。それにたくさんの原発施設を持つ日本では、とても他国と戦争を構えることはできない。通常兵器でも原発は攻撃可能であり、防衛するすべがない。新潟や福井の原発をやられたら日本は壊滅的打撃を受ける。
・・・・・
問題なのは、日本に、または日本人に、武装させた場合の危険性なのだ。安倍晋三や稲田ともみさん、櫻井よしこさんらのような悪魔的な侵略思想を持った連中がいっぱいる。狂人に刃物を持たしていいのかというのが近隣アジアや世界の大心配であり脅威なのである。「敵」がどうのこうのではない。己の過去と現在が「敵」の恐怖となっていることを忘れてはならない。

殺しつくし、焼きつくし、犯しつくす、三光作戦をやって数千万人の無辜のアジア人民を平然と殺してきた、そんな民族には鉄砲ではなく、憲法9条の荒縄が最も必要なのである。憲法9条は我々の理想というよりも魔性を持つ日本人を縛る縛(いまし)め、捕縄なのである。憲法9条にはそれを実施する法令がないし、それに反することをする者への罰則規定が不備である。

早急に法令を整備しこの国是を死守しなければならない。
自衛隊の兵士とプロレタリアートが手を結び、すべての軍備を解除し、国土防災の平和部隊として自衛隊が再編されねばならない。自衛隊違憲論は、今こそ必要である。

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2016年9月18日 (日)

沖縄の裁判

News & Letters/519

マルクス主義の国家論からすれば、国家は公共性を被った暴力装置である。
その暴力装置は、軍隊であり、警察であり、行政機関・・・・、監獄、そして裁判所だ。
裁判所は、三権分立で独立した法の番人であり裁判官は憲法と己の良心にのみに拘束されて
自由な判断を下すもの、という建前になっている。
普段は、そのような公正中立、公共への奉仕という仮面が、本当のようにふるまう。
裁判も時々そんな感じでいい判決が出るときもある。裁判官も漫画「家裁の人」のような立派な人がいるということは確かだ。

福井地裁や大津地裁の原発裁判の裁判官も健在だ。
しかし、場面が違えば、裁判所も国家権力の暴力装置であることの馬脚を現してくる。
私が知る限りその場面はおよそ3つある。沖縄であり、部落(狭山事件)であり、そして住民行政訴訟だ。

今回の福岡高裁那覇支部の裁判長の下した判決は、憲法に照らしてとか、法令に適合するかとかいう判断基準をかなぐり捨てて支配権力の政策の支持をあからさまに表明し、裁判所本来の国家の暴力性の発動の結果であった。

日米安保体制での日本における軍事基地は憲法(9条 外国兵を代替的に武装させ戦争行為をさせる)に適合するのか、その軍事基地の大半を沖縄に偏在させることの憲法(第14条など)上の正当性はあるのか、今回の辺野古への移転は環境等の法令・規則に適合しているのか、手続きは適法(前の知事の認可の取り消しが有効)か等が裁判官の判断の基準でなければならない。我々は何も裁判官に、歴代内閣の安保政策への支持表明を期待したわけではないし、普天間と辺野古の比較をしてくれといっているのではない。

今回の判決文の要旨を見ても、憲法第76条3項に定められた裁判官の姿、良心と、憲法と法律にだけ拘束される独立の存在という規定を完全に踏みにじっている。憲法違反の判決というべきである。

最高裁は今回の裁判に備えて、あらかじめ裁判官の入れ替えをやり、最高裁のエリートを今回の裁判に派遣したといわれる。
もはや司法は、日米政府の走狗になって、国辱裁判を恬として恥じない。

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2016年9月 1日 (木)

茶の本 岡倉天心

News & Letters/517

福島原発事故は、かつてリスボンの大地震がヨーロッパの思想界に与えたと同じ衝撃を
私たちに与えている。神学の予定調和からヒュウマニズムへの転換。
原発を頂点とする近代科学神話からヒュウマニズムへの転換が必要だ。
ただ単にエネルギー源の選択の問題だけに終わってはならない。

岡倉天心の「茶の本」は、茶道について宗教的・芸術的な説明がなされているが、その中に次のような一説がある。

「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっている間は野蛮国とみなしていたのである。
しかるに、満州の戦場に大々的な殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。
近頃武士道ーわが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術ーについて盛んに論評されてきた。
しかし、茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の道を多く説いているのであるが。

もし我々が文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。我々はわが芸術及び理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」

我々が世界に対して誇れるのは、武器や強兵でもなく、大量生産大量消費、成長・成長の経済でもなく、平和な文芸にふける静かな世界であって、自然を愛し、上下差別なく人が交わる茶道の世界、岡倉が言う「野蛮国」なのである。

日本が日清日ロ戦争に沸き立ち、軍国主義にひた走る時代に、岡倉天心は堂々と反戦的文明批判を行っていた。

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2016年8月16日 (火)

戦争への反省

News & Letters/510

8月15日、先の大戦の犠牲者、戦没者に対する慰霊祭が各地で行われ、戦争への反省が語られる。

だが、何を反省するのだ。数百万人の日本人の犠牲者、数千万人のアジア伊人民の犠牲を出したことを反省するという。

武力を盛った軍部の独走、外交の失敗・・・、いろいろな反省の弁がある。
だが、戦争を起こした原因について語られるのはほとんどない。

1、資本主義の帝国主義段階での必然の結果であり、帝国主義国の競合が武力解決をよんだというのは全般的には正しい。
 だが、それでも勝てるはずもない、中国や米英を相手にして日本の無謀な戦争の理由は説明しきれない。

2、明治初年から始まった日本政府内の江藤新平ら民権派が、明治6年の政変、佐賀の乱、西南戦争の過程で敗退し、王権派、大久保、伊藤、山縣らが勝利して、以後、天皇・軍部が議会・官僚を抑えて絶対主義的権力を行使する体制を築いたこと。

3、総理大臣でさえ戦争を回避することができなかった。天皇・軍部が日本を支配していた。これを打破することができなかった。天皇裕仁が実際に戦争を指導していたことは側近の残された日記から明瞭である。
 
安倍ら改憲・戦争推進派達が狙うのは、議会や国民から超絶した戦前型の政権の構築であり、天皇の利用はその核心である。最近の天皇の動きは、安倍らの動きに不安を感じ、天皇自身がこれを忌避しているのではないか。
天皇を元首にするという自民党らの憲法改悪の狙いが奈辺にあるか、天皇や皇后、周辺の者たちが気付かぬはずはない。

むしろ、天皇制を廃止しない限りこの不安は払しょくできない。天皇は退位し、皇室典範にのっとり現皇太子をもって皇統を途絶するべきであろう。明仁天皇が御陵(墓地)を縮小し、葬儀を簡略にするという真の願いは、天皇の真の人間化であり、平民化であろうと考えられる。

今の時代に天皇などという道教由来の尊称を僭称するのは滑稽だという想念がすでに天皇自身にあると考えられる。そして、今上天皇が、沖縄、南方方面の戦没者の慰霊の旅をつづけるのは、先のアジア太平洋戦争の大きな原因が、統帥権を持った天皇制の存在であったことを天皇家自身が気付いていることを示すものではないだろうか。

天皇が必死で反省していることを、我々国民が無反省でいいのであろうか。民主主義を根底から否定し、戦争遂行政府の核となる天皇制を廃止することを決心することが8月15日の国民行事である。

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2016年5月12日 (木)

戦争放棄

News & Letters/484

日本国憲法9条の第1項は戦争放棄を掲げている。これについては2つの解釈がある。
ひとつは、この条項は侵略戦争を放棄しているのであって、自衛戦争は放棄していない、という解釈だ。

もう一つは、この条項は理念であって現実は別だ、という解釈だ。
侵略戦争を放棄するというのは戦前の不戦条約から始まっていて何も新しいことではない。
しかし、日本国憲法9条の戦争放棄の意味がそれにとどまるものではないことが第2項の武装放棄と軍隊の放棄の規定であり、それによって戦争放棄の戦争が自衛戦争も含むという事が明確にされたのである。

そして、この戦争放棄の規定が、理念だ、理想にすぎないという解釈については、憲法制定当時の歴史的事実を歪曲するものであると言わねばならない。

この9条を発案したのは、当時の総理大臣であった幣原喜重郎だ。
このことは幣原自身が自認している。その理由は、日本の侵略戦争に対する世界の非難、国民の悲嘆をかわし、慰藉するためには、二つのこと、すなわち戦争放棄と天皇の人間宣言が必要だと言っている。

幣原は、日本の戦争能力と天皇を神だとして天皇のためなら何でもするという国民性が恐れられていると痛感したから、日本国憲法でそれについての危惧を解消すること、日本はもうたこくみんをおびやかしはしないということを闡明しようとしたのである。この幣原の憲法に込める意向は、マッカーサーも了解し昭和45年頃に連合国軍の対日理事会やアメリカ議会でも証言し、自衛権による戦争の否認を憲法化することを明らかにした。
そして、次の総理大臣の吉田茂も国会で数度にわたって日本国憲法は侵略戦争はもとより自衛戦争も禁ぜられていることを言明した。

マッカーサーはもとより吉田茂もやがて日本に軍隊を作り自衛戦争を肯定させていくのであるが、憲法を制定した当時は本気で自衛のためでも軍隊や戦争は否定していた。
要するに戦争放棄、非武装は憲法の理念であると同時に日本国の現実の政策として選択されたのである。

それは、日本国が、アジア人民に与えた深刻な被害と日本国民に強いた犠牲の反省から出てきたものであり、日本民族が死滅にも値する罪に対する償いの証であった。何千万人もの無辜の他国民を死なせた罪に対して許しを乞うた証だ。

その証が認められたからこそ今我々が生きている。憲法9条は信頼回復の方策であり、そのおかげで国際社会で認められ、戦後を復興してきた。それを、憲法9条をないがしろにしては、日本人民は生き永らえる権原はない。

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2016年3月15日 (火)

替え歌

News & Letters/466

君が代の歌をどうしても歌わなければならない場面が過去にいくたびもあった。
それで、私はその場合少し歌詞を変えて歌っていた。

君が代は 千代に八千代に
さざれ石の 巌となりて
苔の結ぶまで

人民主権の世の中にこのような歌を国歌とするなどというのはあまりにも時代錯誤である。
             
             →替え歌1
                民が世は 千代に八千代に
                さざれ石の 巌(いわお)となりて
                苔の結ぶまで
            
             →替え歌2
                 君が代は 千代に八千代に
                 巌(いわお)石の さざれとなりて
                 苔の結ぶまで
 私は、替え歌2の方が実践的で優れているように思う。巌石が→さざれ石に 粉砕されるような凄味がある。   

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皇室典範

News & Letters/465

国連の皇室典範に関する批判は全く正しい。その見解を日本政府の抗議で撤回したのは間違いである。

皇室典範は、日本社会のあらゆる差別の根源であり、女性差別はその根幹にある。
「皇統」、「皇族」、「男系の男子」という言葉がそれを象徴する。

この皇室典範という身分差別と性差別の、差別の塊が、日本軍のアジア侵略と従軍慰安婦問題を起こした直接の思想的根拠である。皇族の廃止、貴族制の根幹である天皇制の廃止、皇室典範の廃止、少なくとも男系天皇制の廃止は、近代日本の必須の改革的課題である。皇族を一般戸籍に入れること、皇族に憲法はもとより、民法と刑法が適用されるべきことは当然である。貴族あれば賤民あり、という言葉は今も真実であり、さすがに国連はそれを衝いたのである。

安部晋三ごときものが、何を根拠に、皇室典範は女性差別ではないなどというのか、今日女性を忌み嫌っていた伝統を誇る神社仏閣でも「女人禁制」の看板は掲げることはできない。女性を公然と排除する法律を持つ日本こそ世界の恥さらしである。
これと同じようなことを思い出す。

つい最近まで室戸市の寺で女人禁制の石碑を境内に置いてあったのを私が摘発したことがあった。その寺の石段には、女坂、男坂というのもあったがそれもなくなった。今でもその寺のふもとの道路の隅に女人結界の古い石碑があるが、これは歴史的遺産(女性差別の証拠)だとして室戸市の教育委員会(当時山中昭という優秀な職員がいた)に残してもらった。

その寺は、今から数十年前「土佐の西寺」というえげつない差別本を発行し、高知市民図書館に陳列してあったのを私が厳しく糾弾したことがあった。屠殺業を営む人間は、子供のころは純真だがその職に就くことによって残虐な性格の人間になるなどという内容の説教を収録していたのである。市民図書館はその本を一般陳列台から除けた。

身分差別と女性差別は同根であり、それを指摘した私は彼らから目の敵にされている。

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2016年1月 1日 (金)

従軍慰安婦

News & Letters/451

安倍の支持者の意見はすなわち安倍の本音ですね。安倍は、ただ一つも成果をあげえない外交で何か成功を収めたい、と思って打って出たのです。10億円で大成功を収めるつもりだったのですが、韓国では大不興です。

今までの考えを打ち捨てて思い切った反省とお詫びをやってみたのですが、慣れないことだし、また、似合わないことだったのでしょう。

一体、歴史的事実にふたをすることができるだろうか。外交で暴虐の歴史を解消できるだろうか。暴君の浅知恵には日本の国民もあきれるだろう。

従軍慰安婦は単なる慰安婦ではない。軍が関与していないどころではない。
日本軍がアジア全域に進軍するところいたるところで、婦女子に対する暴行、強姦が行われた。

それをされた村や町の住民は、日本軍に対し極めて強行な敵対心と敵対行動をとった。
日本兵の殺戮を伴う強姦については、住民たちは徹底抗戦をするために立ち上がった。
そのため、日本侵略軍は、作戦行動がいたるところで困難となったのである。

そのことを憂慮した日本軍の最高幹部たちが、侵略作戦をスムーズに行うには、婦女子の強姦をやめさせること、将校や兵卒たちを性的に慰安するためにぜひとも慰安婦を必要と考えたのであった。

そのため、朝鮮、中国(台湾を含む)などのうら若い女性をあるいは甘言を弄し、あるいは強制的に、軍付属の性奴隷として囲い毎日すざましい苦役を強要したのである。これが従軍慰安婦なのである。

従軍慰安婦を戦線のいたるところで設置したが、しかし、日本軍の進むところ婦女子への暴行、強姦は少しもやまなかった。
従軍慰安婦問題は日本帝国軍隊の戦略的テーマであって、侵略戦争の付随的な問題ではない。

逆に、アジアの女性に対する強姦、暴行こそは、日本侵略軍の墓穴を掘った大問題であり、反日闘争の怒りの最大の爆発点であった。目の前で、自分の妻や娘、母や姉や同胞が、屈辱の中で犯されるのを見て、誰が黙っていられようか。

戦場での日本兵の行状は、獣とどう違うのであろうか。けものが村や町を荒らすのを人たるものが座視傍観できるであろうか。女性に対する蛮行の犠牲の象徴が従軍慰安婦であり、この問題を打ち消すことは先のアジア太平洋戦争での日本のした戦争行為を打ち消すに等しいのである。これらの蛮行と犠牲は、千秋万古、日本の義務教育はもとよりすべての高等教育で毎年毎年教科書で教えられねばならない。

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