地方自治と原子力政策

2021年7月 6日 (火)

コロナ対策とオリンピック

野党が主としてコロナ対策かオリパラの開催かを都民に訴えた。

それはコロナ対策か経済かでも問われたが、広く例えば原発か電気かであり、大きくは戦争と大東亜共栄圏というもので、目的や「理想」のために犠牲を甘受するかというものである。

大東亜共栄圏を構築するために、巨大な戦費と膨大な人命、文化の破壊をやってもいいのか、日本を降伏させるために原爆を使っていいのか、美しい目的のために犠牲を覚悟してもらうという思想がオリンピックとコロナの問題である。

この古くて新しい難問にこたえねばならない。

回答。

 手段(犠牲)が悪ければ目的も悪い。犠牲を必要とする目的の達成はいかに美しくてもその犠牲が目的を汚しそれを破壊する。

 何故なら目的に達する道程(手段)もまた目的に含まれるからであり、美しい目的には美しい手段が必要であって、それと一体でなければならない。

 医療体制が崩壊し甚大な犠牲をもたらす可能性が濃厚なオリンピック、その予想される犠牲にもかかわらず開催するというオリンピックにはスポーツというもの以上の、その美名に核化された何か別の汚れた目的があるに違いない。

それはいうまでもなく、オリンピック関係の巨大な利権であり、日本政府関係者・ガースー総理の政治的目的・権力の存続がかかっているのである。

五つの美輪を無果花(いちじく)の葉とし、その陰の邪悪な目的のための忌まわしい犠牲(感染爆発)の要求なのだ。

美しい目的には清らかな道程(手段)が必要である。手段と目的を切り離してはならない。

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2020年8月27日 (木)

北海道寿都町を訪問

8月24日午前11時過ぎ、私は、文書をもって寿都町の長役場を訪問し、片岡町長と約30分ほど面談した。別添の文書と私の核廃棄物についての小論文のコピーを渡した。

片岡町長は案外気さくな人物で、私が町長室に入って高知県から来た元東洋町長でお話をしたいというと即座に応接ソファーに座るよう言われた。北海道放送局のテレビの取材陣が居て、面談のすべてを録画していた。

北海道内には放送されるとのことであった。
片岡町長の説明はおおむね次のとおりであった。

①核廃棄物の最終処分場調査への応募は昨年4月から始めた。
 産業団体や議員、職員たちと勉強を重ねてきた。
NUMOに来てもらっての勉強は今年の6月からであった。
その動きが最近リークされて大騒ぎになっている。

②北海道知事の、札束でほっぺたをたたくやり方だという批判には腹が立った。泊原発で自分も交付金をもらっているではないか。
自分がその交付金を返上してからいうべきだ。

③30キロ圏内に泊原発がある。原発から核廃棄物が出る。この始末について
どうするのか、勉強するのは何が問題か。原発を作ってそこから出る廃棄物について議論しない方が無責任だ。この議論・勉強を寿都町から全国に広げたい。

④最終処分場の寿都町内での適地は黒松内断層帯の両脇はいけるのではないかと思っている。

⑤自分の任期はあと1年かそこらだ。やり残した事業、とりわけ寿都湾の洋上風力発電の大規模プロジェクトがある。このプロジェクトを推進しているからこそ核の最終処分場も堂々と話せる。

⑥今後のことはまだ決めていない。文献調査に応募するかどうかは産業団体や議員と話し合って決める。
産業団体とは、漁業組合、商工会、土建業などである。

⑦寿都町には農業はほとんどない、観光も言うほどのものはない。ふるさと納税が十数億円ほどあり、助かっているが、このコロナ禍では都会の自治体から不満が出る。この制度自体がこのまま存続するとは思えない。
核廃棄物施設建設の調査を受け入れるだけで巨額の交付金があり、これに応募しないという手はない。この件で勉強を続ける。

だいたい以上のとおりである。印象としては、勉強を続けるというなかで、処分場設置まではともかく、文献調査―概要調査段階まで進もうという意欲を感じた。

ただ、東洋町2007年のように町長が独断で暴走するという雰囲気はないように見受けた。土建業など産業団体の一部や一部議員で強く後押しするものがあるのかもしれない。

なお、④の処分場の適地について黒松内低地断層帯(日本海側の寿都町から太平洋側のオシャマンベン側に複雑な活断層)について町長から話があった。
この断層を含め泊原発の立地地帯は複数の重大な活断層が存在し、マグニチュード8前後の地震がここ30年以内に引き起こされる恐れが高いとされている。このような地帯は原発はもとよりいかなる核施設も不適切で危険である。

また、②の鈴木知事に対する反論は痛烈であった。泊原発を容認して交付金をもらっていながら、寿都町が核施設で交付金をもらうことについて批判するのは根本的に矛盾する。泊原発をやめて札束を返上してから人を非難するべきだ。


核廃棄物の地層処分に反対します

寿都町の核廃棄物最終処分場文献調査受入について

元高知県東洋町長からの 申入れ

寿都町長片岡春雄殿               2020年8月

                  元高知県東洋町長 澤山保太郎
【申入れの趣旨】

1,いわゆる高レベル放射性廃棄物等の核廃棄物の地層処分は、少なくとも日本列島ではこれを安定的に貯留することは不可能であり、極めて危険です。文献調査も撤回すべきです。

2,地方自治体としては、町民や周辺道民の生命と生活、尊い生態系を守ることは如何なる場合も優先されるべきで、経済的な利益とこれらを安易に。引換えにはできません。

3,いかにコロナ禍などによって苦境にあるとはいえ、伝統のある美しいふるさとを猛毒の放射能プルトニウムの活火山にして、枕を高くして眠れるでしょうか。

【核廃棄物最終処分場について東洋町の騒動】

寿都町の財政事情については、私にはよくわからない。しかし、今から14年前2006年~2007年に起こった高知県東洋町では同じ財政ひっぱくを理由に交付金を目当てにして当時現職の町長が高レベル放射性廃棄物の最終処分場誘致の第一段階である文献調査に名乗りを上げました。

町長から政府への申し入れは最初は議会にも町民にも知らさず秘密裏に行い、翌07年には、町民のごうごうたる反対の中で正式に町長の職権でなされました。町民は、核廃棄物受け入れ反対の条例制定直接請求運動、ついで町長リコール運動を展開しリコール成立確実というところで町長が辞職して出直し選挙となりました。

私は隣の室戸市の市議でありましたが反対派町長候補に推され出馬しました。選挙戦では反対派が圧勝しました。新町長の私は一週間以内で文献調査を政府に返上し、1カ月以内に核廃棄物等放射性核燃料関係施設拒否の町条例を議会の満場一致で制定しました。

    【貧しい町でも財政の健全化は達成できます】

町財政のひっぱくなど行政の課題はたくさんありました。しかし、4年間ではありましたが、新町政では徹底的な行・財政改革によって無駄を省き、福祉・教育の無償化施策、防災など公共事業の推進、海の駅開設や失業対策事業をどんどん推し進めました。

50億円近くあった借金は38億円程度に縮小し、基金も数億円増やし、県下最低であった校舎の耐震補強工事もほとんど完遂、鉛筆・ノートに至るまで義務教育費の無償化を進めました。

職員の手当カットも全廃し、高齢者や児童生徒・高校生にまで毎月コメの無償配給までやれたのです。財政のために核廃棄物をというのは全くの虚偽であったことが立証されました。

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2020年2月10日 (月)

伊方原発の連続事故

本年1月に四国電力伊方原発MOX燃料をも燃やす3号機で信じられない重大事故が続けざまに起こった。

高知新聞の記事からみると

①1月12日:予定外の制御棒1体が原子炉から引き抜かれ7時間も放置された。
使用済みMOX燃料を取り出す準備で核燃料を固定する装置を引き上げているとき、制御棒1体も一緒に吊り上げた。

②1月20日:使用済み核燃料のプールで燃料が点検装置にうまく挿入されず、装置の枠に乗り上げ、
燃料落下の信号が作動した。燃料損傷の可能性も懸念。

③1月25日:定期検査中、午後3時44分外部電源が遮断され発電機が作動するまで原発内の電源が失われた状況が10秒間
続いた。それは具体的には、

*原発施設への送電線の部品取替え中、異常な電流を遮断する装置が作動した。

*送電線への四つの回路のうち一つから、通常は発生しない放電に伴うガスが検出された。

④その日1月25日、午後4時27分最後に核燃料プールのポンプの電源を再起動したが、その間43分間核燃料プールの冷却装置は機能せず、水温は33・0度から34・1度まで上昇した。

この燃料プールの冷却装置の長時間の停止については、翌月2月になって初めて明らかになった。

これら①~④の事件について原因はわかっていない。

この事件が発生中、1月17日に四電は、広島高裁で伊方3号機の運転禁止の仮処分決定を食らっていたがその判決を別の形で自ら実証した。

その実証は、地震や火山など自然災害などによる外的な要因による原発の危険性ではなく、原発を運転する技術的な人的要因による危険性の実証である。

これまで、原発については、その電力会社の運転技術・管理能力については、完全であるとの前提で論じられてきたが、その前提が崩壊した。もともとそんな前提を担保するものは何もなかった。

伊方の今回の連続事故は、伊方だけでなくすべての原発の問題である。運転技術については、国民の側には、実際の事故を見せつけられる以外に、検証の方法がない。

何もないのに、原発内の電気がすべて無くなった、何もないのに原子炉の制御棒が長時間引き抜かれた、地震も津波もないのに、燃料プールの冷却が停止した、・・・・誰が枕を高くして寝ていられようか。

バカ殿さまとそれに服従する家臣たちの運営する城下で民百姓は戦々恐々と暮らすしかないのか。

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2019年10月 5日 (土)

関電利権のフィクサーーの「人権教育」

関電事件も、かつて追求した高知県のモードアバンセ事件、また、現に追及している室戸市の利権行政と同じ構図だ。事件の中心に「同和」利権ボスが存在していた。

関電幹部が言う「人権教育」の講師だったとか、また新聞報道では、森山フィクサーは福井県の「客員人権研究員」、「福井県人権施策推進審議会委員」であったという。

まぎれもなくこのフィクサーは部落問題を政治的に利用し、利権を確保するために使ってきた人物である。
そして関電は今この人物の異常な姿、「怖い」存在を強調して、すなわち部落差別をあおることで罪を逃れようとしている。原発を建設し維持し発展させるために関電はこの「怖い「」男を十分活用してきたのであるが、逆に身を守るためにこの差別像を活用する。脅されてお金を返せなかった・・・。

現在進行中の関電の事件とは規模も性質も違うが、
20数年前高知県にのモードアバンセ社事件があった。1996年ごろから解放同盟高知県連幹部が関係する協業組合に県が数十億円の巨額の闇融資をし、これが焦げ付き、副知事ら県幹部が背任罪などで逮捕されるという県庁始まって以来の大事件であった。県庁に大規模な捜査が入ったとき橋本知事はイタリア方面に飛んでいた。

モード社の安原という社長と副知事らが刑責を負ったが、県の同和対策審議会などでこの事業を称揚した連中と県庁の最高責任者は罪をとわれなかった。
高知新聞らもこの事件を報道するのに当初は実名を使わず「特定の協業組合」などというわけのわからない名前を使っていた。

室戸市の利権行政も目を覆うものがあり、有力特定議員がのさばってきた。
その一例(新火葬場建築工事事件)が裁判中であるが、高知地裁は最近、利権行政の事実を全面的に免罪する判決を下した。近くそのでたらめな地裁の判決文を批判する控訴趣意書を書くのでそれを見てもらいたい。

特定の業者のために特定有力議員が議会で請負金額のつり上げを声高に叫び他の議員を脅かしたりして、業者が実際の工事費の2倍の請負金を行政からせしめていた。・・・・

ほかの団体と同じように部落解放運動にも、徹底して反権力に徹する勢力と、権力と妥協したりその一翼を担おうとする勢力があり、かつては内部でのその攻防が厳しいものがあった。

(それは、師岡祐行著「戦後部落解放運動論争史」全5巻に詳しい。この著作に紹介されている論客や活動家の殆どはすでに黄泉に旅立ち生存者は数人である。)
同和対策特別措置法などで国や地方自治体には巨額の対策予算が組まれ70年代以降「同和利権」が顕著となり、解放運動内部の反権力派が退潮した。

その中で狭山闘争が運動内の反権力闘争の中核として発展しようとしていたが、これも挫折し、今や単に冤罪反対運動になっている。

高浜のフィクサーは、同和利権派の申し子でありそれを背景に地元行政を牛耳り、電力会社を揺すぶってこれと合体し、日本最大級の原発産業、関電の、その推進の最悪の使徒となった。
全国津々浦々の大小利権行政を根絶しなければ、原発はもとより核の最終処分場や中間貯蔵施設など原子力産業はいつどこに根付きだすかわからない。

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2019年10月 4日 (金)

関電の崩壊

これだけの金まみれの企業はもはや原発を運転する資格はない。
ただ巨額の原発マネーを還流させていた、関電幹部が私腹を肥やしていたということだけではない。
もちろん関電が工事を直接するわけではない。
金をもらった連中は何の技術力もない素人だ。
原発の工事は、道路工事や防潮堤の工事とは比較にならない。

最高度に高い信頼ができる請負業者を選んで工事の発注がなされねばならない。技術力と適切なコスト計算をしている企業を厳格な選考手続きで決めなければならない。誰しも、原発を運転する電力会社は、そういうことをちゃんとやっていると思っていただろう。

だが、高浜町役場幹部出身のフィクサーの関連する会社に「特命発注」を含め地元企業にどんどん発注をしてきた。ゼネコンが請けた工事も、相当部分が地元企業に下請けにまわされたということだ。

森山が還流させた金は、単なるお礼ではない。ゼネコンが請けた事業も地元森山系列会社に下請けさせるように口利きをせよという請託とその実行の対価なのである。

巨額の還流資金がその地元企業に残ったというのは、もともと電力側の水増し設計金額があり、さらに下請け業者の従業員からの労賃のピンハネによると考えられるが、国民や社員の命がかかった原発の工事がコネと金ずるで遂行されていたとすれば、もはや原発の安全とか安心とかなど到底あり得ない。

原発施設内に何万何千とある配管の溶接一つとっても業者の確かな技術力が担保されていなければならない。何よりも技術力を入札の時に公募によって競わせた上で厳しく吟味し発注先を決めねばならない。

福島原発の事故も津波の前に配管のどっかが地震で壊れた可能性が強いとされる。福島第一の原発では配管をサポートとするのにホールインアンカーという信頼性の低い旧式のネジでかべから支えていたという。(豊田勝旦著「東京電力・帝国の暗黒」)

普通の企業でも収賄や背任行為は許されないが、その犯罪行為は行為者が罰せられたら、それで済む。反省して仕事を再開してもいいだろう。

しかし、原発は違う。
地元優先、コネ優先、金ずるで原発工事の請負業者を選定するなどということが
社風であるような会社は、原発を運転することは許されない。出来上がった施設の安全性が信頼できないからである。関電は失格であり原発から撤退せよ。

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2019年10月 1日 (火)

原発推進の哲学

高浜原発推進のフィクサー、高浜町役場の収入役や助役を務めてきた男によって、関西電力の腐敗した企業の実態が浮かび上がった。

電気料金を原資とした電力会社の金の流れは、

電力会社→①下請け業者→政治家・地域ボス・(電力会社)・・工事費の水増し
    →②東大-京大、東工大などの大学教授へ・・研究費などの補助金・・
    →③原子力関係省庁など官僚へ・・・天下りポストの提供
    →④メディアへ・・・広告料

こうして、電気料金を打ち出の小づちのように使って、原子力村が形成され、原子力産業が栄えてきた。

かつて班目春彦(フクイチの事故の時原子力安全委員会の委員長)とかいう先生は、核燃料の最終処分場の件で、「最後はお金でしょ。どうしてもみんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃあ、おたくには二倍払いましょ。それでも手を上げないんだったら五倍払いましょ、10倍払いましょ。」といったという。(「六ケ所村ラプソディ」)

科学や常識では人を説得できない。彼ら原発マフィアの信念は、原発の研究は金になり職を得て出世し生活の糧になる、金でおびえる住民を説き伏せ原発開発を推進し、人を服従させることができる。金はいくらでも使える。

地震も津波も怖くはない。放射能も怖くはない、
福島の惨状も見えない。世の中は科学とか文化とか民主主義とかではなく金がすべてを解決してくれる。東電や関電には、そして自民党政府にはわれわれマフィアにいくらでも金を出せる。・・・・

広島・長崎に並ぶ日本有史以来最悪の惨状をもたらしたフクイチにもかかわらず、彼ら原発マフィアの哲学は牢固として揺るがない。資本主義が生み出した最後的な哲学であり、人格である。人類を滅ぼしても金を握ればいい手という連中だ。

東電の会長らの原発犯罪へ控訴が行われた。
しかしその求刑が軽すぎた。万死に値する人類への犯罪を禁固五年ではあまりもバランスが取れない。軽すぎるのである。

私は死刑制度に反対であるが、人類への罪(大規模な虐殺や人類への破滅行為)については例外にすべきだ。

いづれにしても、高浜のマフィアの一味は、よくぞメモを残し原発の闇、原発マネーを顕出させてくれたものだ。

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2019年9月 6日 (金)

政治的中立


愛知県の展示会で慰安婦像と思われる少女像が出品されたことで河村名古屋市長ら嫌韓族が騒ぎ出し展示会がつぶされた。

地方自治体が、政治的な表現を公的な施設でどこまで受け入れるのか難しいという問題がある。金は出すが口は出さないとか愛知県知事の発言もある程度理解できる。

しかし、知事や市長村長の政治的中立というのは、あり得ないと私は思う。首長は政治家なのだ。公的施設の利用や行政の在り方にその政治的信念が反映するのはやむを得ない。
私は東洋町長在任中に、女性職員二人を東京の慰安婦問題の集会に派遣したことがあった。町長のメッセージを持たした。

若い職員に日本の侵略戦争の真相を知ってもらう必要があると考えたからである。また、高知の西の方の大月町に使用済み核燃料の貯蔵受け入れの話があった時にバスを1台出して町長自身を含め職員や住民をその地元の集会に参加させたこともあった。

また、核武装を唱えるある新しい政党が東洋町の施設で講演会を開きたいので会場を貸してくれという申し出があったが、これを私は拒絶したことがあった。その政党の女性活動家が政治的中立性がないなどと執拗に食い下がってきたが、絶対に施設は貸さないと峻拒した。私は政治的中立性ではなく、私の政治的信念を通すことが大事だと思ったし、それで正しいと思う。
もしNUMOが東洋町に再び現れて高レベル放射性廃棄物の説明会をやりたいと申し込んできても、公的施設の利用は認めなかったであろう。

「金は出すが口は出さない」という知事の発言は、そういう形で少女像を守ろうとするぎりぎりの政治的表現であろう。
人は、どちらの見方にもならない、天にも地にも所属しない空中を漂う存在ではありえないのである。

横浜市長のカジノ「白紙」の発言も「推進」の別の表現だったわけだ。
「政治的中立」の主張は、政治的に抑圧されて公共の施設の利用や道路での示威行動を拒絶されたり、著作物の出版が禁止されるるなど表現の自由がうばわれるときに被抑圧市民の人権を守る戦いの武器である。

戦争を憎み、核兵器や原発を憎み、人権を守ろうとする者には、一本の道しかなく政治的中立などは存在しない。
たとえその者が知事や市町村長であってもだ。

もちろん、首長の場合、自分の信念と相違するからといって、あるいは自分に不利益になるからといって、何でもかんでも反対したり禁圧するというわけにはいかない。その判断は憲法など法令の趣旨やその自治体の条例や慣例、またひろく人倫の公序良俗に依拠し説明できるものでなくてはなるまい。

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2019年8月20日 (火)

六ケ所村視察旅行

脱原発を目指す首長会議が六ケ所村など青森の原発施設視察旅行を企画し、私もこれに参加した。東洋町の高レベル放射性廃棄物騒動の、根源を製造する施設である。

この施設で全国の原発の使用済み燃料を集め、再処理してプルトニウムを取り出しこれをまた原発や高速増殖炉の核燃料に仕上げ、またそれを使った燃料からプルトニウムを取り出し・・・という夢の核サイクルの施設であるが、それはまた無限の高レベル(低レベル)放射性廃棄物を生産する施設でもある。今それは破綻し成功するという見通しも立たないが、政府や電力会社は止めようとしない。

高レベル放射性廃棄物はこの六ケ所村には置くことは許されていない。政府はこれを日本のどっかで地層処分するという法律を作っている。経産省やNUMOが血眼になってその最終処分場を探してきた。

小さな日本一貧しい東洋町はこの企てに巨大な拒絶の鉄槌をくらわした。もはやどこの市町村も自ら手を挙げて受け入れようとするところはないだろう。民主主義が続行する限り国がどこかに勝手に押し付けて建設するということもできない。

何億の札束を積まれようともプルトニウムの人工活火山を故郷の町や村に作ろうという人間は決してその村や町の多数派にはなれない。

今、最終処分場がないまま、日本は、高レベル放射性廃棄物や何万トンともいう膨大な使用済み燃料を地震・津波という大蛇の餌食に供しようとしている。これからこれら今でも始末に負えない毒物をさらに増やそうというのは狂気というよりほかにない。

①原発の稼働、②再処理工場の稼働、③その廃棄物の最終処分をめぐって、巨大な国民的騒動が起こらなくてはならない。これまでの裁判闘争は①に集中していたが、むしろ③の方から②、①に攻め上るという方策が必要である。

特に③については現在①や②の施設内に保管される方策がとられているが、これは違法状態であることをはっきりさせる必要がある。

国の法律(「核原料物質、核燃料物質及び原子炉に関する法律」43条3の5第2項8)には原発設置の許可申請の段階で使用済み燃料の処分法について明確にする義務が規定されていて、施設内に保管するなどというのは処分方法には当たらないのであるから原発稼働の許可は無効となる。

原発の稼働をめぐる裁判では、安全かどうかの判断は裁判官の恣意の裁量に左右される。権力におもねる裁判官では原告は100パーセント敗訴する。だが、核廃棄物の処分をめぐっては、裁判官の恣意のはいる要素はほとんどない。

核廃棄物の処分をめぐってこそ国民運動、裁判闘争が必要である。稼働する原発の脅威ももとよりだが、残存する核廃棄物の脅威はさらに大きい。福島第一でももし使用済み燃料に火がついていれば、今頃関東地方はどうなっていたかわからない。

核廃棄物、その地層処分をめぐる問題(闘争)こそ国民の圧倒的賛同を得、勝利の道が望めると考える。
今回の視察旅行で私はこのことを痛感した。

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2018年3月22日 (木)

裁判闘争での敗北

News & Letters/624
函館地裁の大間原発差し止め裁判、佐賀地裁玄海原発3,4号機差し止め裁判が相次いで敗訴。
国策をめぐる事案で裁判で争って勝つのは至難の業である。
それは、事実や法令をもとに利害をめぐっての争いではなく権力を相手にする政治裁判であるからである。
裁判官の圧倒的多数は権力の側にその意識を保って生活し仕事をしている。
住民訴訟を含む行政訴訟で勝つのは至難の業である。
だから反原発運動では裁判闘争での勝利を最終的勝利目標にしてはならない。
原発を止めさせるのは権力の構成を変革することによるから、選挙も含む大衆的な政治闘争によって決着をつけることである。裁判闘争はその政治闘争の中に位置づけられる。
すなわち、政治闘争を活性化させ、敵の姿を鮮明にし、我々の政治目標がいかに正しいかを明らかにすること、そのことによって大衆的政治闘争の大義を鮮明にし闘争を活性化させる、そのために裁判闘争をするということである。
選挙戦を含む大衆闘争の発展のなかで裁判所の姿勢も変わる。裁判闘争至上主義に陥り、原発のある市町村への大衆的な扇動工作、選挙戦など政治闘争を主体にした反原発闘争の原則を忘れてはならない。
東洋町での経験では、一個の裁判闘争もせず、もっぱら署名活動や宣伝活動、そして選挙戦で決着をつけたのである。裁判闘争で勝てばよし、負けても裁判で明らかになった事実をもとに大衆運動の発展の足場を築きあげねばならない。原発東京都問題は政治決着だということを肝に銘ぜねばならない。
現地の議員選挙、首長選挙に登場することは当然の戦術である。
玄海町議選では永く保っていた反原発1議席も失うようでは、あるいはそれを受け継ぐために立候補の一人も出さなかったでは、その運動の本気度が問われよう。
政治闘争で無力なのに、さなきだに難しい裁判闘争で勝てるわけがない。
このままでは福島のように取り返しのつかない大事故が起こってから初めて原発の恐ろしさが分かった、ということになりかねない。

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2018年2月18日 (日)

続 高知新聞「核廃迷走 東洋町から10年余」について

News & Letters/619
この連載の最後⑧に、国が主導する最終処分場の選定のための「科学的特性マップ」をもとにした国民への説明会を取り上げ、説明会へのやらせ動員のフェークが露呈した事を取り上げた。このような世論操作の例として九電のやらせメールもとりあげ核廃や原発稼働に対する「国民の不信感」、「不信続く処分事業」を強調する。
国や電力会社への国民の不信はそのとおりだが、それでは、高知新聞が東洋町の「騒動」前、その後の新聞広告でNUMOの核廃最終処分場(地層処分)の安全広告を繰り返したのは、どのように説明する。?
連載記事⑦で、日本学術会議の核廃問題についての提言を取り上げたが、その提言で日本列島では核廃問題を解決する地層処分は不可能だという最も核心的な疑問的提言を記事から没却したのは何故だ。
連載記事⑦で日本学術会議の提言で核廃の「暫定保管」を紹介しているがそれは、日本における核廃の最終処分としての地層処分に対する疑問を前提にしている。「長期に安定した地層が日本に存在するかどうかについて、科学的根拠の厳密な検証が必要である。日本は火山活動が活発な地域であるとともに活断層の存在など地層の安定性には不安要素がある。」(2012年9月12日日本学術会議(「回答 高レベル放射性廃棄物の処分について」)
地層処分の有益性を宣伝した新聞社が日本学術会議の核心的提言を隠そうとするのは自然なことだ。
国民の死活に係ることで、政府や電力会社のフェーク宣伝を紙面いっぱいにして広告費を稼ぐ新聞には倫理も正義も何もないのか。
東洋町の「騒動」のことも「表面化したのは2006年9月。」(連載記事④)という。それは確かに私が9月の室戸市議会で東洋町の核廃問題を質問通告したとき、それを契機にして高知新聞が取り上げたのが最初でそれから「騒動」は本格化した。
だが、高知新聞の室戸市局は、私が知る何か月も前から東洋町役場や議会の核廃への極秘の動きを知っていたが東洋町長との約束でそれを伏せていたという。新聞社の使命は、国民に対して一刻も早く真実を報道することだ。
敵側の体制が整うまで攻められる国民には情報を隠してもよいという姿勢が、報道機関の誠意であろうか。

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