ロシアプーチンの軍隊によるウクライナ市民への恐るべき大量の虐殺は全世界を驚愕させた。21世紀になってこのような惨劇を見るとは。
だが、日本人は考えてみなくてはならない。このようなことの何十倍の民間人の虐殺を日本天皇軍がアジア各地で行ってきたということだ。
他人事の様にロシア軍を非難する政府や報道を見て、過去の日本について知らぬふりをしているように見える。
プーチンやロシア戦争指導部や天皇や日本軍の指導部だけでなく、一般兵士が直接手を下したということの罪と責任を考えなくてはならない。
我々も、状況によっては、またロシアや日本の兵隊の様に残虐行為をする可能性はないのか。何らかの恐怖であるいは無抵抗の女性や老人子供を殺すことに
快感を覚えるのか、戦争であるとはいえ、なぜ人は無力な人々をかくまでも殺戮できるのか。
私の父は弱いことで知られた大阪の8連隊に招集され中国東北部に出征し、敗戦でシベリアに抑留され、昭和25年ごろ舞鶴に帰還した。
その父が言うのには、抑留されているときロシア兵が、月を指さし「日本でもこの月が見えるのか」と尋ねたという。
これについて父親は、ロシア兵の教育水準の低さをあざ笑っていた。
科学的な教養のなさはともかく、人権についての教養がなければ人を殺したり奴隷化したりしても平然としておられるだろう
。
部落差別や女性差別、障がい者差別、そして民族差別などについての人権教育をおろそかにしてはならない。強固な人権教育をしておかねば、我々は、昔の日本軍や今のロシア軍と同じように他国に侵入し人を殺したり家を破壊してもなんとも思わない残虐な人間になりかねないのである。過去の反省もせず、他のアジア民族の者へヘイトスピーチをし、部落差別を当然と思う連中がうようよしている日本では、状況の変化ではロシア軍と同じことをしかねないだろう。
これだけ毎日ロシアのウクライナ侵略のニュースがテレビや新聞で報道されているが、一つも日本軍の先の大戦で行った数々の蛮行について触れられないのはどうしたことだろうか。
少年時代、家では時々親戚の男どもが集まって酒盛りが開かれていた。そばで私など子供はその酒盛りでの話に耳をそばだてていたが、その男どもは、中国戦線で日本刀で中国人を切りころした話を自慢げに話していた。日本兵の多くは、残虐行為をするために出征し、それを実行していたのである。
戦争だから許されるものではない。自分の人権も人の人権も人権や人命の尊さを我々は全力を挙げて我々自身そして子供や子孫に伝えなければならない。
そしてその思いは、およそ生きとし生けるものに向けられねばならない。牛、豚の肉や鳥の肉を食い、魚を食う人間は、アイヌの熊祭りのような思想で生命に対し感謝と畏怖をもって暮さねばならない。
なるだけ生きものの肉を食うのを少なくすることだ。
諏訪神社勘文
業尽有情(ごうじんうじょう) 雖放不生(すいほうふしょう)
故宿人身(こしゅくにんじん) 同証佛果(どうしょうぶっか)
この勘文は狂言にも出ている位だから中世の日本庶民の口に膾炙されていたものだ。
古来、鹿や猪など獣の肉を食ってきた日本人は、アイヌと同じように食用にした生きものに対して敬虔な思いを抱いて感謝してきた。
まして、人間の生命を理由なく奪うことなどあってはならないことだ。
人権教育以前に、生きものの殺生に対して中世の日本人の様に、慈悲や畏怖の念をもつように我々の感性を深めていかねばならない。
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