報道のありかた

2019年5月 3日 (金)

天皇狂騒曲

天皇の退位、2019年5月1日から新天皇の即位、令和への改元などで新聞やテレビは大騒ぎだ。改元で何か新しい時代が来るかのごとき雰囲気を作ろうと躍起になっている。
天皇、などという尊大な称号を得てご本人は何とおもっているのであろうか。

前天皇(現上皇)はその尊称の荷物が重くてつらいのでなるだけ庶民的な装いを
こらし、膝を曲げて国民の手を取った。昭和天皇裕仁の先の大戦での戦争責任を償うようにして沖縄などの戦跡を精力的に訪ねまわった。

それは戦没者への祈りというよりも天皇が犯した戦争犯罪の贖罪行為としてそうしたのであろう。地震・津波・風水害などの被災者に膝まづく行為には、天皇制を否定し、自分は人民と同じだ、というメッセージが込められているようだ。

前天皇明仁と美智子妃の思いと傾向は、天皇退位ではなく廃位、天皇制廃止の方へ傾斜していたというべきであろう。宮廷奥深く象徴としての天皇ではない。
宮殿を脱し修羅の場で身を焦がす自己否定行為だ。

天皇制を廃止し、天皇一族を普通民・自由民に返す絶好の機会であった。
それなのに、政府や御用新聞、NHKなどテレビ、そしてかなりの国民が再び天皇制を盛り立て否が応でも尊く立派で高貴な存在に押し立てようとする。

天皇一家は、まいったなあと思っているかもしれない。

天皇制が再び反動勢力に利用され、ファシストの政治的象徴とならないためにも、天皇制を廃止することが肝要であり、また、本人たちはどう思っているかわからないが、生まれながら高貴な人類と生まれながら卑しまれる人類の存在は自由平等の民主主義からはるかに遠く、階級社会の永続化を支えるものである。

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2018年4月26日 (木)

新聞

News & Letters/629
私も新聞を発行している。「室戸市民新聞」である。「高知県民新聞」も出していたが休刊中である。
全て無料配布だ。街並みはもとより野超え山越えて室戸市内の全ての世帯を回って配布しきることを目指している。
4月11日付の新しい新聞を現在室戸市内に配布中である。幾人もの市民から「貴重な新聞だ」と励ましの声をいただいている。
私の新聞が他の新聞と違うのは、単に事実を客観的に報道するというのではない。
腐敗した地方権力の内情を暴き、打倒することを呼び掛ける実践的なものだ。その点では赤旗に似ている。
この新聞は、暴かれた事実に関係のある人にとっては憎しみの対象であろう。しかし、私は、人を憎んでやっているのではない。
関係のある人に会っても礼を尽くし、挨拶をする。その人にむしろ親しみを感ずる。
大きな事件は大概裁判にかけているから、新聞の内容は裁判の記録である。
室戸市や東洋町、高知県庁の行政が正常化すればそれでいい。人はどんな人でも尊重されねばならない。
そして、行政が正常化するためには、新聞で批判するだけではなかなか達成できない。
他の新聞と違うのは、記者である私がその行政の権力を掌握しようとしていることだ。
だから、事実の報道とそのコメントだけでなく、私の新聞ではどうすれば市民の生活が改善されるか、正しい行政とは何かを提示している。
私自身がひとり完全無欠で立派な人格者だという訳ではない。むしろ私は欠陥だらけで修行途中の身であり、毎日、失敗と後悔を繰り返しながら生活をしている。顧みれば恥じ多い人生で初めからやり直したいぐらいだ。
だから他人について個人的なスキャンダラスな事件は書けない。書くのは公の行政や議会に上った事件だけだ。
批判の相手や権力を忖度したり、また批判の相手からの攻撃を恐れて筆を曲げないことだ。
ジャーナリストでもあった若きマルクスがいうように、根本的な批判とは、批判の結果を恐れぬことだ。

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2018年3月17日 (土)

文部省の越権行為

News & Letters/622
文部省が前次官の前川氏の名古屋市立中学校での講演に調査を入れてきた。
権力の教育現場への介入は厳しく禁止されている。
教壇の上では教師は無冠の帝王であって、自己の思想と良心に基づき、又研鑽してきた学問に基づき子供たちを教育するもので、いかなる権力によってもこれを曲げられてはならない。
それは、憲法第19条(思想・良心の自由) 第23条(学問の自由)によって保障され、また教育基本法第16条では「不当な支配」に服してはならないことがうたわれている。
今回の不当介入事件について文科省は、法令によりしたことで問題ないという反論をしているがとんでもないことだ。
文科省が依拠する法律「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第48条では確かに文科省大臣が都道府県や市町村に対し指導したり助言したり援助したりすることができると規定されている。しかしそれは第一に、「教育に関する事務の処理」につてであって、教育や授業の内容ではない。その証拠にこの法律の文言を見ればわかる。
政府が指導したり助言する相手は教育委員会や学校ではなく「都道府県」や「市町村」なのである。都道府県や市町村は施設など教育環境や予算を整備するのが任務であって教育内容まで関わることはできない。環境の整備のほかに地方公共団体の首長が教育についてできることはその土地の全般的な教育方針の策定とか特定の教材について予算を出すとか出さないとかという程度のことにすぎない。また前記憲法の趣旨から首長はもとより教育委員会といえども教師の授業内容についてまで介入する権限はない。
文科省作成の学習指導要領は一応の教育内容の目安にはなるが、教師に強制するものではない。
また、都道府県教育委員会は市町村(長)に対し、上記法律第48条の指導や助言はできるが、法令違反がない限りみだりに市町村長の行政に介入すべきでない。
かつて私が東洋町長であったとき一定期間教育長の不在が続いたことがあった。それにつき県教委は私に対して早く教育長不在状態を解消するように「指導」があった。
私のできることは、議会に対して教育委員の選任の議案を提起することであって、議会が理由もなく否決を続ける以上、教育長不在が続くのはやむを得ないだろう。
それで、法令に基づき町教委は教育長不在の時の措置の規定(前掲地教法第20条2)に従って町教委の職員である教育次長が教育長の任務を遂行していた。
首長は議会の同意にもとづき教育委員を任命できるが、教育長を任命する権限はない。教育長は教育員会が互選して決めるのである。
法令に基づき適法な措置を取っている町教委や首長に対して県教委が不当介入した事件だ。
権力はその権限を行使する場合常に法令を正確に読んで権力ができることとできないことをはっきり認識してとりかかることだ。
それはともかく安倍や菅や麻生などごろつき連中、それを忖度する官僚らが学問や教育内容について人並みにものをいうのは笑止千万なことだ。

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2018年2月20日 (火)

高知新聞「核廃迷走」 の続き

News & Letters/620
交付金の餌と放射能への無知を利用して応募地を募り、そこを即適地として最終処分場を建設するという目論見は東洋町で最終的にとん挫した。
そこで政府は、新たな手法として科学的有望地を選定し、上から国民の合意を「形成」するというやり方に転換した。
しかし、合意「形成」として金で学生を動員したりして努力しているがかえって国民の不信と反発を買ってなかなか進まない。
国民の最終処分場への合意形成、その前提となる「国民が決断を下す環境」(連載記事⑧)が整うのが大前提だが、高知新聞はその「環境」について何も語らない。まともな新聞社は少なくとも次の二つは言わなければなるまい。
すくなくとも、
第一に六ケ所村の再処理工場を止めることだ。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出すという
工程からは元の燃料の何層倍(ある試算では少なくとも6倍)もの新たな核廃棄物が生まれる。
第二に原発の稼働をやめることだ。
これら二つの「環境」整備は核廃処分について国民合意の絶対的な条件である。
その二つ条件を満たしてもそれでもやはり国民の合意形成は超困難である。自分の住むところや近隣に核廃棄物が埋められるということを当事者として想定してみればすぐわかることだ。自分のところ以外のどっかを想定するからそれが実現できると思い込むのである。
そこで政府が以前から持ち出しているのが「中間貯蔵施設」での暫定保存である。
中間というのは
①原発と最終処分との中間という意味と
②原発と再処理工場までの中間という二つの意味がある。
②のコースは破綻しかかっている。問題は①のコースであるが、最終処分場の建設はほぼ絶望的であろうから、中間施設での管理を永続的に進めるという方策しか道はない。これは玄海町だけなく、原発があるところでは今の状況では容易に実現可能である。
すでに使用済み核燃料を原発施設内で中間貯蔵を行っているからである。
政府は最終処分場建設を模索しながら、実際には中間貯蔵施設への転換を推し進める。
埋め捨てをもくろむ地層処分の危険性よりも地上施設での管理はなお一層危険である。
原子炉のような何層ものバリャもなく、永久貯蔵のためのセキュリティも備えない中間施設をなし崩し的に長期貯蔵施設
⇒永久施設に転用する企みの欺瞞性は隠すことはできない。東洋町を経ていまや国民は容易に騙されない。
そして、最後に言わねばならない。
最終処分にしても中間貯蔵の永久化にしても国民の合計「形成」は容易ではない。
引き続きマスコミのフェイク宣伝の力を借りながら政府の最後の手段は、沖縄の辺野古基地建設強行の方式をとることである。
強権を発動して処分場の建設を強行しだすことは目に見えている。それはここ十年か二十年に迫っている。
その時に日本人民はどのような戦いをするのか、これまでのような法廷闘争や住民投票などの平和的な方式だけでは勝てないだろう。

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2017年12月23日 (土)

不可解な社説

News & Letters/612
高知新聞本年12月22日朝刊の社説で「MOX燃料高騰」について論評があった。
不可解な点がいくつかある。
1、「原発政策の矛盾の象徴だ」という見出しが出ているが、どういう矛盾かはっきりしない。
MOX燃料の高騰が原発政策の何に矛盾するのか。例えば原発は他の発電よりも安価だからという政策選択と矛盾するというのら分かるが、その指摘は全然ない。その場合燃料が5倍になれば発電コストはどうなるか書かねばならない。高新のいうのは、核リサイクルを続ける限り高いMOX燃料を使い続けねばならない、ということだ。
それは矛盾というより他の発電よりも格安だという原発稼働の一つのよりどころが燃料の点からも破綻しているいうことであろう。
高新:「問題は、核燃サイクルを続ける以上、高騰するMOX燃料を調達するしかないことだ。」
しかし、それは外国から購入している現状ではいえるが六ケ所村の再処理工場が完成し稼働し始めれば核燃サイクルは表面上何も矛盾を持たなくなる。矛盾なのは、プルサーマルしか行き場のないプルトニウムであり、先日高新に談話が載った元立命館大の大島教授が指摘する通り、保有するプルトニウムを消費して減量するためにそのプルトニウムを消費する以上にそれを多量に産出する行為を推し進めているという点であろう。
それが表面的な矛盾であるが、プルトニウム保有・量産体制は他にもっと大きな合目的な恐るべき計画がある。すなわち原爆開発の原料の確保である。
真実の矛盾は、平和利用の原発が、どこの国よりもなお日本では、現代戦争の最高の武器の生産工場になっているという点である。
2、高新:「もう一つは、たまっている使用済み核燃料の行方だ。日本は高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場も先送りしてきた。」
  「サイクル政策をやめれば、処分をめぐる問題が一気に浮上しかねない。」という。
使用済み核燃料の行方は決まっている。六ケ所村の再処理工場であり、それまでは各原発の敷地内のプールに貯蔵することだ。
高レベル放射性廃棄物は使用済み核燃料の再処理によって出てくるものである。サイクル政策があって初めて高レベル放射性廃棄物の最終処分場が問題になる。しかし、日本の高速炉が破綻しサイクルが破綻しようがうまく回ろうが、日本で再処理しようが外国でそれをしようがMOX燃料を原料にする限り
再処理を前提にしているのであって、高レベルの核廃棄物の処分場問題は切迫した問題としてすでに現実問題なのである。
高新の社説は、混乱し、今日の核の問題の核心と現実をそらすかのような論調である。
ただし、高新が言う通り、核リサイクルを止めれば使用済みのウラン燃料やMOX燃料の処分問題、再処理をせず直接地下に埋設するという問題が出てくる。
すなわち、これまでの再処理によってできた高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)と原発から直接出てきた使用済み核燃料を別々にか、または一緒にか地下に埋設するという問題である。
しかし、今では、これも建前にすぎない。政府や電力会社など原発推進勢力にとってはむづかしい問題ではない。
六ケ所村と各原発サイトにそれら廃棄物をそのまま放置させる計画であろう。
東洋町の騒動以降日本のどこかの市町村が、核廃棄物を受け入れようと手を挙げるところは皆無となり地下埋設は看板(法律)だけになった。
政府やNUMOが処分場をどこにすえるか模索している恰好をしているが、ほとんどこれはアリバイ工作に等しいものだ。
本音は、全国の原発サイト及び周辺に地上での中間貯蔵施設をどんどん建設していく算段をしていると考えられる。
もとより日本列島では地下埋設をするところはありえないが、ここにも建前(法律)と現実の大きな矛盾がある。
 
こうして核爆弾の材料プルトニウムとプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物がどんどんこの狭い火山や地震で絶えずゆすぶられている列島に累積していく。
せいぜい一世代か二世代の幸福のために、その世代から末代までの人間が苦しみの種を抱え続けることこそ最大の矛盾なのである。

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2017年11月26日 (日)

従軍慰安婦像の建設

News & Letters/608
サンフランシスコの議会や市長が、いわゆる従軍慰安婦の像を受け入れたことについて
維新の党の大阪市長らがご立腹で、友好都市の関係も断絶するといきまいている。
私はこの連中の考えが全く理解できない。
第一に、朝鮮や中国など日本軍の餌食になった女性が多数いたということは歴史的事実であり、日本政府もそれを認め償いの金も出している。少々のお金を出したからといって女性凌辱の罪が消えるわけはない。
この屈辱的な歴史的事実について朝鮮の人民が恥を忍んでこれを追悼し記念するのは当然のことであり日本軍への癒されぬ怨恨を世界に、特に日本人に対してアピールするのは自然なことだ。
日本人、特に政治家はこの慰安婦像の前で跪き許しを請う必要があり、それは永続的に続けられべきだ。
かつて、70年代にドイツのプラント首相は、ワルシャワのゲットーでユダヤ人犠牲者追悼碑の前に跪いた。
そこまで覚悟できないとしても、少なくとも日本の政治家は、他国の国民の感情の自由な発露について文句を言う何の権利もない
ということを自覚するべきであろう。言論は自由なのだ。
第二に、なぜ大阪市長や維新の会=自民党どもが、この慰安婦像が世界各地に建設されるのが嫌なのか、理解できない。
従軍慰安婦について、恥を感じているというのは評価すべきだ。しかし、恥をすすぐ方向と姿勢が間違っている。
自らが犯した恥の原因である従軍慰安婦の事実を抹消し、隠蔽する努力、従軍慰安婦像を建設したりそれを支持する人々に対して怒りのこぶしを振り上げる姿は、人間の姿としては最もいびつで下劣なものだ。このほうが良心のかけらもない国辱というべきである。
犯罪者は現場検証で犯行現場に連れられて行くのを恐れるが、連行する官憲に腹を立てたり、嫌がって大騒ぎなどはしない。
ナチスドイツのユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)についてドイツの政治家や国民は、これを忘れないために自ら様々な記念碑や記録を残す努力をしてきた。
1985年ドイツの大統領(ヴァイツゼッカー)は、次のような有名な演説したという。
 
「罪の有無、老幼いづれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。
誰もが過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされております。
心に刻みつけることが何故かくも重要なのかを理解するため、老幼互いに助け合わねばなりません。
また助け合えるものであります。問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。・・・」
 
過去に間違いを犯したことは悔やんでも仕方がない。問題はそれを直視し、その事実と教訓を永続的に反省し現在と未来に生かすことだ。
憲法9条は、従軍慰安婦や日本による侵略戦争の犠牲者への、誓言であり罪障の証だ。
日本政府は、非難ではなく、世界各国での従軍慰安婦の少女像の建設については予算を組んでこれを援助すべきだ。

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2017年9月30日 (土)

民進党と希望の党

News & Letters/592
案外日本の政治の帰趨が早く決まった。
未曽有の戦争の危機を前に、民進党が極右団体小池希望の党にほとんど
丸ごと吸い取られることになった。安倍極右自民党と極右小池等が競合して
日本を侵略国に仕立てる本格的な作業に入ったということだ。
安倍と小池の共通点は極右路線であり、その権力獲得手法では稀代のペテン師であるということだ。
小池も安倍も嘘ばっかりついて国民をだまし、勢力を構築してきた。
この二人の前では前原などは哀れなピエロにすぎない。
この二人の協力によって日本の戦後政治の屋台骨が最終的に粉砕される。
このままでは日本の左翼勢力が、息の根を止められるときも近づいている。
メディアがこの現代政治の悲劇を大いに推奨してやまない。

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2017年7月 8日 (土)

不可解な新聞記事

News & Letters/577
これは私の錯覚だろうか、見逃しているのだろうか。多くの県民も気が付かないと思う。
本年6月2日高知新聞の朝刊文化欄に載った「真覚寺日記」(土佐観光ガイドボランティア協会顧問岩崎義郎氏の投稿)についての記事㊤の続きが出てこない。大見出しは「貴重で面白い真覚寺日記」、小見出しは「幕末の事件、地震、生活を記録」とかが躍っている。岩崎氏の著した「抜き読み真覚寺日記 安政の地震と幕末の世相」が平尾学術奨励賞を受賞した記念に投稿したらしい。もう1か月以上もたつのにその続編が見当たらない。何らかの事情があるのかもしれない。
この「真覚寺日記」は土佐市宇佐の真覚寺の井上静照和尚が綴った日記であり確かに幕末の地震などの出来事や世相を克明に描いている。貴重な資料だ。だが、問題もある。
当時の被差別民の姿が極めて差別的に描かれているのである。和尚は、被差別民が堂々と往還を闊歩している姿などを描き、それを非難し嘆いている。差別をわきまえない横着な態度だという趣旨である。
私は、歴史的著作物上の差別文言についてそれを人に見せるなとは言わない。
それを図書館などで閲覧に供する場合は、問題個所について指摘し、それが差別偏見であるという解説が必要である。
差別的文章が強烈に刻印されている著作物をそのまま公表すれば重大な人権侵害が拡大される。
私はこの「真覚寺日記」についての紹介記事が続編でその部落問題についてどう触れるか関心をもって待っていた。
当然岩崎氏もそしてこのコラムの編集担当者もこの日記に描かれた被差別民の姿を知っているはずだ。6月2日の記事㊤では、この日記をべたほめしている。
これだけでは、差別文献を無批判的に推奨しているとみなされるであろう。高知新聞社はどうして㊤だけで㊦が出ないのか、㊤だけで終わるのか、説明すべきであろう。
「真覚寺日記」は高知県下の部落問題の歴史的資料としても「貴重」なものである。

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2017年6月12日 (月)

読売新聞

News & Letters/570
日本でもどこでも政府系新聞、反動的新聞や雑誌というものが存在する。
言論は自由だからそれを止めることはできない。
しかし、言論機関が卑劣だと非難される状況は許されない。
読売新聞が政府に反旗を翻した元文科省の幹部に対して使った手法は
もはや言論機関の姿ではなく、権力の走狗そのものである。
かつて私が経営していたり・ボルト社が、中国製落花生を徳島産として海の駅で
販売したということで私を大々的にやり玉に挙げた事件があった。
確かに産地をよく確認せずに仕入れ先が徳島だったので徳島産だと表示したのは
うかつであり、我々の責任は免れない。しかし、これを報道した高知新聞は、・
この事件において仕入れ先の店舗も徳島県庁によって処分を受けていた事実を報じなかった。
仕入れ先の店そのものが商品に正しい表示をしていなかったのである。
事実を報道しなかっただけでなく、逆にその店の者の証言を使って我々を批判さえした。
その元凶の証言では、その店は正しい表示をしていたがり・ボルト社が偽りの表示をしたという趣旨であった。
それならこの事件後になぜその店の店内に商品について正しい表示をしていなかったというお客さんに対する謝罪の張り紙が掲示されたのであろうか。
リ・ボルト社は他の種類の中国産と明示された落花生やはるさめなどいくつかの中国産品を同時に販売していたから、中国産であることをごまかす動機はないしまた、一袋130円で仕入れたものを150円で販売していたから消費税8%や手数料15%を引けば1袋売るごとに10円以上の赤字となるのであるからごまかして暴利を得ようとしたわけでもないことは記者はすぐにわかったはずである。
さらに、海の駅の1出店者が関東方面のキャベツを徳島産と誤って販売していた事件についても、その出店者を批判せずにリ・ボルト社(澤山保太郎)をやり玉に挙げた。
海の駅や道の駅は主として委託販売であるが出店者の出品する商品のラベル張りなどの管理まではしない。
これについてはさすがに朝日新聞は訂正文を掲載したが、高知新聞は訂正しなかった。
キャベツを売った商人は、同じ日海の駅の軒先では正しい生産地表示(段ボール)で売っていた。海の駅の棚に持ち込んだ時に余分に持っていた徳島産のラベルを張ったということであった。
その作業をした商人らは読み書きなど文字の扱いが苦手だということであった。
このような明らかな過ちによる誤表示については、県庁は行政指導で是正させる。指導しても是正せず悪質な場合に初めて店名を公表し懲罰を加えるというきまりである。
にもかかわらず、高知新聞は大々的にしかも偏った、ほとんど間違ったといえる報道を繰り返し制裁的報道をした。
落花生1袋売って10数円の損、キャベツ1玉売って十数円の儲け、これについて誤表示があったからといって大事件のように書き立てる必要があったのであろうか。
それが、町長選挙数か月前のことであったから、町民にとっても大きな衝撃となった。
高レベル放射性廃棄物の処分場について、それまで高知新聞は大きな紙幅でもってNUMOの広告宣伝をしてきた。

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2017年3月31日 (金)

森友事件の現段階

News & Letters/564

       森友事件
  籠池側(K) : 安倍昭恵(総理含む)・松井知事側(A・M)
 
第1段階
K及びA・Mが一体となって悪行(国有地詐取・極右小学校建設事業など)を工作
第2段階
国会や世論でK・A・Mの悪行への批判が高まる。
第3段階
A・MがKを切り始め、Kを証人喚問に付す
第4段階
KがA・Mの裏切りを追求・攻撃を始める
第5段階
A・MがKに反撃 偽証罪とか告発の脅し
 
韓国などのように国民の立ち上がりが次の段階で出てこなければ
やがて森友事件は雲散霧消する。

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