世界の核事情

2019年8月20日 (火)

六ケ所村視察旅行

脱原発を目指す首長会議が六ケ所村など青森の原発施設視察旅行を企画し、私もこれに参加した。東洋町の高レベル放射性廃棄物騒動の、根源を製造する施設である。

この施設で全国の原発の使用済み燃料を集め、再処理してプルトニウムを取り出しこれをまた原発や高速増殖炉の核燃料に仕上げ、またそれを使った燃料からプルトニウムを取り出し・・・という夢の核サイクルの施設であるが、それはまた無限の高レベル(低レベル)放射性廃棄物を生産する施設でもある。今それは破綻し成功するという見通しも立たないが、政府や電力会社は止めようとしない。

高レベル放射性廃棄物はこの六ケ所村には置くことは許されていない。政府はこれを日本のどっかで地層処分するという法律を作っている。経産省やNUMOが血眼になってその最終処分場を探してきた。

小さな日本一貧しい東洋町はこの企てに巨大な拒絶の鉄槌をくらわした。もはやどこの市町村も自ら手を挙げて受け入れようとするところはないだろう。民主主義が続行する限り国がどこかに勝手に押し付けて建設するということもできない。

何億の札束を積まれようともプルトニウムの人工活火山を故郷の町や村に作ろうという人間は決してその村や町の多数派にはなれない。

今、最終処分場がないまま、日本は、高レベル放射性廃棄物や何万トンともいう膨大な使用済み燃料を地震・津波という大蛇の餌食に供しようとしている。これからこれら今でも始末に負えない毒物をさらに増やそうというのは狂気というよりほかにない。

①原発の稼働、②再処理工場の稼働、③その廃棄物の最終処分をめぐって、巨大な国民的騒動が起こらなくてはならない。これまでの裁判闘争は①に集中していたが、むしろ③の方から②、①に攻め上るという方策が必要である。

特に③については現在①や②の施設内に保管される方策がとられているが、これは違法状態であることをはっきりさせる必要がある。

国の法律(「核原料物質、核燃料物質及び原子炉に関する法律」43条3の5第2項8)には原発設置の許可申請の段階で使用済み燃料の処分法について明確にする義務が規定されていて、施設内に保管するなどというのは処分方法には当たらないのであるから原発稼働の許可は無効となる。

原発の稼働をめぐる裁判では、安全かどうかの判断は裁判官の恣意の裁量に左右される。権力におもねる裁判官では原告は100パーセント敗訴する。だが、核廃棄物の処分をめぐっては、裁判官の恣意のはいる要素はほとんどない。

核廃棄物の処分をめぐってこそ国民運動、裁判闘争が必要である。稼働する原発の脅威ももとよりだが、残存する核廃棄物の脅威はさらに大きい。福島第一でももし使用済み燃料に火がついていれば、今頃関東地方はどうなっていたかわからない。

核廃棄物、その地層処分をめぐる問題(闘争)こそ国民の圧倒的賛同を得、勝利の道が望めると考える。
今回の視察旅行で私はこのことを痛感した。

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2019年8月 6日 (火)

安倍の貿易戦争


韓国に対するさらなる貿易規制が開始される。
ほとんど空爆に等しいやり方だ。

韓国に対する国民の「嫌韓」意識に悪乗りし、宿念の韓国へのヘイトの塊が日本の旧植民地の歴史を肯定し開き直るために電撃的な行動に出た。これは完全な開戦である。

安倍は、中国や北朝鮮に対する安全保障上の同盟関係も捨てて新しい北東アジアの新秩序を目指す。その手始めが韓国を力でねじ伏せる作戦だ。安倍自民党が続く限り再び韓国と友好関係を結ぶことはないだろう。

アメリカの後ろ盾もこれから先はどうなるかわからない。ロシア、中国、北朝鮮には、日本は単独で対決する、そういう軍事・経済体制を築かねばならない。そのためにも憲法改正と核武装は絶対的な課題だ。

破滅的なドンキホーテ的作戦がうまくいくかどうか。
憲法改正の本当の狙いは、核武装である。軍隊も持っているし武器も持っている。しかし今日の北東アジアでは、ロシア、中国、北朝鮮に対抗するには通常兵器では歯が立たたない。
核武装こそ憲法改正の真の目標である。

そして核武装のためにプルトニウムが必要だ。
プルトニウムを確保するために原発が必要なのである。
中谷元らが雑誌「プルトニウム」に結集し安全保障上の立場から原発の稼働を支持するのである。

低能だが、政治的狂人を総理大臣にもった日本は、裕仁昭和天皇の時代に戻っていっているようだ。裕仁の時代には軍事的には日本はアジアでは突出していたが、今は、核武装なしでは圧倒的に劣勢である。

憲法改正・核武装・・・旧植民地・大東亜共栄圏の肯定と再来・・・、裕仁の夢を今安倍が実現しようとしている。

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2018年6月27日 (水)

朝日新聞社説 核のごみ処分

News & Letters/638
本日6月25日朝日新聞朝刊に高レベル放射性廃棄物の処分問題について
政府を批判する社説が掲載された。全く新味のない陳腐な意見である。
政府は国民からの信頼を得なければ議論が進まないという。
朝日の主張を整理すると
①最終処分場は必要である。
②核のゴミ処理の話は原発推進や核燃料サイクルと切り離さなくてはならない。
③現在のトップダウン方式ではなく
 日本学術会議が提案するように「第三者機関」を設置して議論をすべきだ。
④国民の意見を謙虚に聞き、信頼を得るところから始めるべきだ。
私の批判:
 第一に、政府の原発推進政策と切り離して議論というが、切り離すことはできないし
  切り離してはならない。なぜなら原因と結果だからだ。
  結果だけ一生懸命論じて対策を講じても次々と原因が問題を増大させ結果を深刻化し    ているのである。
  「核のごみ」問題は、原発・核燃料リサイクル政策と不可分なのである。
 第二に、政府が一方では「核のゴミ」の処理を言いながらその「ゴミ」を増産している    矛盾した
  政策を実行している事実を指摘し糾弾すべきなのだ。原因と結果のうち原因に目をつ    ぶるとこの矛盾は見えなくなる。政府が国民から信頼されない最大の問題は、この矛    盾点だ。
 第三に、政府が自民党ら原発推進派でなく原発の稼働を止める権力であれば、
  あるいは、日本学術会議が提唱する方式でやれば、それでは 「核のゴミ」の処理に    関する議論は国民に受け入れられるであろうか。この点について朝日は楽観的のよう    だ。
これこそ 難中之難無過此(なんちゅうしーなんむかし) であって、無知蒙昧の住民が住む地域だと思ってやってきてもむしろそのようなところが強固な抵抗を示すのである。放射能の危険性を知らない無知蒙昧の地域は日本には存在しない。
むしろこの超危険な有害物質は、地域や自分の利益を顧みず英雄的な犠牲心の横溢した住民が住むそのようなところにもっていかねば受け入れられないだろう。
自分たちや子孫が放射能の毒素をかぶり様々な病気で苦しみのたうちながら死んでいく、それでもかまわないという高度に倫理的な人間集団が住む
地域をつくらなければ、「核のゴミ」は受け入れられないだろう。
朝日新聞は、現実の結果から原因を隠して国民の信頼を得るという姑息な目くらましを捨てて、核廃棄物を受け入れる並外れて高度な人倫の完成体を作るために努力をするべきではないか。
ところでこの「核のゴミ」という表現はやめるべきだ。我々の日常の生活廃棄物のゴミと同程度に軽く考えられるニュアンスがある。そのものズバリの高レベル放射性廃棄物など科学的な言葉をつかうべきである。

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2018年2月20日 (火)

高知新聞「核廃迷走」 の続き

News & Letters/620
交付金の餌と放射能への無知を利用して応募地を募り、そこを即適地として最終処分場を建設するという目論見は東洋町で最終的にとん挫した。
そこで政府は、新たな手法として科学的有望地を選定し、上から国民の合意を「形成」するというやり方に転換した。
しかし、合意「形成」として金で学生を動員したりして努力しているがかえって国民の不信と反発を買ってなかなか進まない。
国民の最終処分場への合意形成、その前提となる「国民が決断を下す環境」(連載記事⑧)が整うのが大前提だが、高知新聞はその「環境」について何も語らない。まともな新聞社は少なくとも次の二つは言わなければなるまい。
すくなくとも、
第一に六ケ所村の再処理工場を止めることだ。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出すという
工程からは元の燃料の何層倍(ある試算では少なくとも6倍)もの新たな核廃棄物が生まれる。
第二に原発の稼働をやめることだ。
これら二つの「環境」整備は核廃処分について国民合意の絶対的な条件である。
その二つ条件を満たしてもそれでもやはり国民の合意形成は超困難である。自分の住むところや近隣に核廃棄物が埋められるということを当事者として想定してみればすぐわかることだ。自分のところ以外のどっかを想定するからそれが実現できると思い込むのである。
そこで政府が以前から持ち出しているのが「中間貯蔵施設」での暫定保存である。
中間というのは
①原発と最終処分との中間という意味と
②原発と再処理工場までの中間という二つの意味がある。
②のコースは破綻しかかっている。問題は①のコースであるが、最終処分場の建設はほぼ絶望的であろうから、中間施設での管理を永続的に進めるという方策しか道はない。これは玄海町だけなく、原発があるところでは今の状況では容易に実現可能である。
すでに使用済み核燃料を原発施設内で中間貯蔵を行っているからである。
政府は最終処分場建設を模索しながら、実際には中間貯蔵施設への転換を推し進める。
埋め捨てをもくろむ地層処分の危険性よりも地上施設での管理はなお一層危険である。
原子炉のような何層ものバリャもなく、永久貯蔵のためのセキュリティも備えない中間施設をなし崩し的に長期貯蔵施設
⇒永久施設に転用する企みの欺瞞性は隠すことはできない。東洋町を経ていまや国民は容易に騙されない。
そして、最後に言わねばならない。
最終処分にしても中間貯蔵の永久化にしても国民の合計「形成」は容易ではない。
引き続きマスコミのフェイク宣伝の力を借りながら政府の最後の手段は、沖縄の辺野古基地建設強行の方式をとることである。
強権を発動して処分場の建設を強行しだすことは目に見えている。それはここ十年か二十年に迫っている。
その時に日本人民はどのような戦いをするのか、これまでのような法廷闘争や住民投票などの平和的な方式だけでは勝てないだろう。

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2018年1月 2日 (火)

民主主義

News & Letters/613
どのような組織でも、革命団体から行政機関、反体制運動・・・あらゆる組織でそれが反動的な目的でない限り、その運営は民主主義的でなければならない。それは、道義的な選択の問題だけではない。
組織を一元的な上から下へ上意下達方式では、危機的な事態を乗り越えることができないことが明らかになった。
それが福島第一の原発事故で、吉田所長らの懸命な事態収拾の努力も水泡に帰すという教訓が導出された。
それが、MHKスタッフが作った「福島第一原発 1号機冷却失敗の本質」(講談社現代新書2017年10月)という本である。
1号機に必死に冷却水をちう入しているが、実は、ほとんど原子炉に水は入っていなかった。
Fukusimagenoatuhigai
それを東京電力の現場も司令塔もわからなかったが、他所にある柏崎刈羽原発の所長が気が付き重大な疑惑を提起していたが、取り上げられなかった。その原因は、組織の運営方法にあった。
 
「事故の際、組織の意思決定の方法は大きく分けて二つの形に分類される。ガバナンスとマネージメントである。
ガバナンスというのは、複数の意思決定主体がいる中で、それをうまく調和させていくように体制をつくる手法、一方でマネージメントは縦の意思決定のフローを作り、意思決定を一元化していく方法だ。
畑山は「ガバナンス構造をちゃんと持っていたら、柏崎と福島第一原発がダイレクトに話をし、意見交換をすることもできたかもしれません。
しかし、東京電力の組織対応は、マネージメントの体系をとっており、本店を介さずに重要な意思決定を行うことは難しかった」とデータから浮かび上がった組織体系の課題を分析した。」
 
しかも、福島第一には、中央制御室と免震棟の連絡線も一本の電話しかなかったという。
多様な意見、多様な意思決定主体が、協議をし、調整をしながら共同した行動をとる。これを「ガバナンス」と呼ぶならそれでもよい。
一定の意思決定に対し、異議や異論を問答無用に排除する組織の運営は、人類史的な危機を克服できないばかりかそれを増幅する。
原発も戦争もあらゆる人類の問題の解決には、民主主義的な組織の運営が不可欠である。
原発に反対するなら自民党でも誰でもよいという考えは間違っているのである。
民主主義であれば必ず反原発・反戦になるとは限らないが、民主主義に反する組織の運営や連中は、必ず原発推進となり戦争推進となる。
そして反民主主義は危機管理の際に決定的な弱点を露呈し、破滅的結果を招来する。

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2017年12月23日 (土)

不可解な社説

News & Letters/612
高知新聞本年12月22日朝刊の社説で「MOX燃料高騰」について論評があった。
不可解な点がいくつかある。
1、「原発政策の矛盾の象徴だ」という見出しが出ているが、どういう矛盾かはっきりしない。
MOX燃料の高騰が原発政策の何に矛盾するのか。例えば原発は他の発電よりも安価だからという政策選択と矛盾するというのら分かるが、その指摘は全然ない。その場合燃料が5倍になれば発電コストはどうなるか書かねばならない。高新のいうのは、核リサイクルを続ける限り高いMOX燃料を使い続けねばならない、ということだ。
それは矛盾というより他の発電よりも格安だという原発稼働の一つのよりどころが燃料の点からも破綻しているいうことであろう。
高新:「問題は、核燃サイクルを続ける以上、高騰するMOX燃料を調達するしかないことだ。」
しかし、それは外国から購入している現状ではいえるが六ケ所村の再処理工場が完成し稼働し始めれば核燃サイクルは表面上何も矛盾を持たなくなる。矛盾なのは、プルサーマルしか行き場のないプルトニウムであり、先日高新に談話が載った元立命館大の大島教授が指摘する通り、保有するプルトニウムを消費して減量するためにそのプルトニウムを消費する以上にそれを多量に産出する行為を推し進めているという点であろう。
それが表面的な矛盾であるが、プルトニウム保有・量産体制は他にもっと大きな合目的な恐るべき計画がある。すなわち原爆開発の原料の確保である。
真実の矛盾は、平和利用の原発が、どこの国よりもなお日本では、現代戦争の最高の武器の生産工場になっているという点である。
2、高新:「もう一つは、たまっている使用済み核燃料の行方だ。日本は高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場も先送りしてきた。」
  「サイクル政策をやめれば、処分をめぐる問題が一気に浮上しかねない。」という。
使用済み核燃料の行方は決まっている。六ケ所村の再処理工場であり、それまでは各原発の敷地内のプールに貯蔵することだ。
高レベル放射性廃棄物は使用済み核燃料の再処理によって出てくるものである。サイクル政策があって初めて高レベル放射性廃棄物の最終処分場が問題になる。しかし、日本の高速炉が破綻しサイクルが破綻しようがうまく回ろうが、日本で再処理しようが外国でそれをしようがMOX燃料を原料にする限り
再処理を前提にしているのであって、高レベルの核廃棄物の処分場問題は切迫した問題としてすでに現実問題なのである。
高新の社説は、混乱し、今日の核の問題の核心と現実をそらすかのような論調である。
ただし、高新が言う通り、核リサイクルを止めれば使用済みのウラン燃料やMOX燃料の処分問題、再処理をせず直接地下に埋設するという問題が出てくる。
すなわち、これまでの再処理によってできた高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)と原発から直接出てきた使用済み核燃料を別々にか、または一緒にか地下に埋設するという問題である。
しかし、今では、これも建前にすぎない。政府や電力会社など原発推進勢力にとってはむづかしい問題ではない。
六ケ所村と各原発サイトにそれら廃棄物をそのまま放置させる計画であろう。
東洋町の騒動以降日本のどこかの市町村が、核廃棄物を受け入れようと手を挙げるところは皆無となり地下埋設は看板(法律)だけになった。
政府やNUMOが処分場をどこにすえるか模索している恰好をしているが、ほとんどこれはアリバイ工作に等しいものだ。
本音は、全国の原発サイト及び周辺に地上での中間貯蔵施設をどんどん建設していく算段をしていると考えられる。
もとより日本列島では地下埋設をするところはありえないが、ここにも建前(法律)と現実の大きな矛盾がある。
 
こうして核爆弾の材料プルトニウムとプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物がどんどんこの狭い火山や地震で絶えずゆすぶられている列島に累積していく。
せいぜい一世代か二世代の幸福のために、その世代から末代までの人間が苦しみの種を抱え続けることこそ最大の矛盾なのである。

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2017年10月 9日 (月)

ノーベル平和賞

News & Letters/595
被団協の受賞はならなかったが、核廃絶を目指すNGO、ICANがノーベル平和賞を受賞したことはこの平和賞にとっても極めて有意義であった。ICANの活動、核兵器の全世界的廃絶の運動は、憲法9条を強く照射した。
今日核を持たないというのは、戦争のための武器を持たないということと同義である。
核武装をしないということは、戦争をしないということと同義である。
国連で核廃絶の条約に調印した国は、核保有国からの核の脅威、核攻撃をさえも無防備で対応するという決心を示した国々である。憲法9条の趣旨はまさにこの通りだ。
だが、一部の憲法学者を除いて今日日本の既成政党、日本共産党、社民党、を含め全政党が自衛隊は合憲だと主張している。
誰が見ても自衛隊の存在は憲法9条に根本から背反している。どの文字を取り上げても強大な軍隊と重装備の武器を持つ自衛隊は、憲法9条に違反している。だから自民党らは、憲法を変えよというのである。
憲法9条は日本国民の悲願であり、アジア人民の血でもってあがなわれた至宝である。
それは日本国民固有のものではなくアジア人民の共通の財産である。
それを変えるには日本国民だけでなく日本の侵略で永久に忘れることのない被害を受けたアジア人民の意思に問わねばならない。
今回のノーベル平和賞は、日本国憲法9条の正当性を明証するものであった。

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2017年9月27日 (水)

原発裁判

News & Letters/591
9月22日の千葉地裁の原発訴訟の判決は極めて矛盾したものであった。
巨大津波について国も東電もそれを予見できたと認定し、東電に一定の賠償責任を課していながら、国の責任は全面的に免じた。「国が東電への規制権限を行使しなかったことは著しく合理性を欠くとは認められず、違法とはいえない。」という。リスクの全てに資金や人材を費やすことは不可能だから、という理由である。
確かに航空機や自動車、船舶など人間が発明した機械や装置ではあらゆるリスクに対応できるとは限らない。
飛行機は時々エンジントラブルなどのリスクがあり、それで墜落し多数の乗客乗務員が死亡してきた。船も沈没のリスクがあり事故を起こして
多数の犠牲者を出してきた。自動車や列車もしょっちゅう事故に見舞われている。それらが持つ事故のリスクは解消されていない。
しかし、問題はそれら固有のリスクの性質とそれによる事故の性質を問わなければならない。原発は、地震などの自然災害や人為的ミス、装置の劣化などによる事故のリスクがあまりにも多い。
通常の稼働でもトラブルが発生した場合、制御不能に陥る可能性が高い。とりわけ日本では火山活動や地震や津波、風水害など
自然災害が原発を襲った場合、それに耐えるだけの耐震性を担保することはきわめて困難である。
船舶、飛行機や自動車などでは自然災害が起こる場合、必ずしも直撃されず、退避したり防護措置を講ずることもできる。
原発は一定以上の地震動の直撃を受けた場合、退避することはできない。また、1か所の破損が連鎖的に全施設に及び、中核装置の機能不全に達し装置全体の制御不能に陥る危険性もある。原発の場合リスクの不可抗力性が著しく高い。
また、いうまでもなくそのリスクによる結果(事故)の性質が極めて深刻且つ広範である。一基の原発の事故が、広範囲にわたる放射能の汚染をもたらし、
その汚染は半永久的に人間や生態系を攻撃する。チェルノブイリや福島に見る通りこの事故を収拾する方策を人類は知らない。
さらにリスクと事故の中に入れなければならない問題が二つあり、何人も否定できない。
それは、通常運転中に排出される放射能の周辺地域への汚染と、処理できない使用済み燃料の堆積である。
これらは純然たる事故である。これだけでも原発はリスクを構造的に持つ欠陥装置なのである。
福島原発でも原子炉を突き破った核燃料デブリとともに堆積してきた使用済み燃料もそれ自体がどうしようもない事故である。
これら二つは、人類が作った機械装置では石炭や石油類を燃焼させて大気を汚染する物質を排出してきたことと同程度の深刻な排出物であって、
永続的に人類や自然を攻撃してやまない猛毒物である。これらを無害にする方策を人類は知らない。
裁判官も我々と同世代の人類である。原発の持つリスクの深刻さを認識しなければならない。

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2016年11月 1日 (火)

唐津市長への反論

News & Letters/531

唐津市議会で、唐津市の総務部長が、熊本地震級の地震が玄海原発を襲っても大丈夫だという暴言をはいたことについて市民が抗議の質問状を渡したら、開き直りの返事が来た。
その返事についてもう一度反論的質問状を送ることにした。その案文です。

坂井唐津市長への反論及び再質問
                      2016年10月 日
坂井唐津市長殿
                    玄海原発反対からつ事務所
                       代表 北川浩一
          
本年9月29日の私どもの機電への公開質問状についてご回答いただきお礼を申し上げます。このご回答の内容につき私どもが精査したところ、今日の市民の意識のレベルでは到底納得いかないようなものがあり、以下の点でご再考し新たなご回答をいただく必要があると思いますので、お手数ながら市民の生命と健康にかかることですのでよろしくお願い申し上げます。

一、回答の再考・再返答を求める

私どもの質問要旨:
本年6月13日唐津市議会定例会の本会議場で議員の質問への総務部長の応答で
「基準地震動レベルの地震が繰り返し発生をいたしましても、原子力発電所の健全性に影響はない」とういう九電からの報告を受けたとか、九州電力の資料によると「熊本地震クラスの地震が本市近くで発生したとしても、原子力発電施設の耐震性には問題ないのではないかという説明を受けた・・・」

という認識は何の根拠もなく、一般社会通念から言っても到底納得できない、市議会での答弁の根拠を示せ、

【唐津市長からの回答1】
唐津市長は【回答1】で市議会答弁の根拠として次の事実を挙げている。
1、原子力規制委員長田中が本年4月20日の記者会見で①重要な機器については弾性範囲に収まるようにという設計を求めている。②弾性範囲にあれば地震が繰り返しても何も起こらない。③熊本で起こっているような地震の繰り返しで何か起こるかということは、およそ考えなくてもよい。との趣旨の見解を述べた。

【我々の反論1】

1、田中委員長は「弾性範囲にあれば」という条件を付けた
 田中委員長の記者会見(熊本地震直後の本年4月18日及び4月20日)の発言脳趣旨については別記するが、市長の上の①②③を検討する。

①では田中委員長は、電力会社に機器類について「弾性範囲に収まるように」安全設計を「求めている。」というだけで玄海原発が安全設計が担保されているという趣旨ではない。

②では、「弾性範囲にあれば」という条件が付されているのであって弾性範囲であれば地震が何度来ようと耐えられるという一般的な判断にすぎない。
問題は、熊本級の地震が玄海原発の直下に襲来したとき、原発機器類の既定の「弾性範囲」が大丈夫かどうかなのであるが、田中委員長はそれには答えていない。

③では、田中のコメントは「熊本で起こっているような地震」という限定がついている。
 川内や玄海は熊本で起こった地震ははるかに遠くそれ自体では原発にほとんど影響がなかった、田中の発言は、記者会見の全応答から判断して熊本級の地震が原発直下で起こった場合ということでコメントしているとは読めない。
 唐津市議会での総務部長の答弁、及び我々の質問は熊本地震級の地震が玄海原発を直撃した場合を想定しているのである。

2、4月20日 田中委員長の記者会見の内容(速記録より)

田中原子力規制委員会委員長の記者会見での応答の実際の内容は、唐津市役所が解釈する内容とは大きく違っている。
もちろん、田中委員長は、熊本地震当時、世論の予備的停止要請を押し切ってあくまでも川内原発の強硬稼働を推進した立場から、極力その地震の原発への波及の危険性の不安を抑制しようとする発言を繰り返したことは事実であるが、それでも自ら不安を漏らしている。

① 唐津市役所が根拠とする田中の発言は、日経新聞記者の質問に答えたものであるが、その記者の質問は明らかに進行中の熊本地震と川内原発の関係であった。
「…未だに余震が続いていて、昨日も震度5弱がありました。川内原発は620ガルで想定していると思うのですが、何度も起こるこういった地震について、前回もご説明がありましたけれども、改めてどのような設計の余裕を見ているかということについて、お聞かせいただけますでしょうか。」(記者会見速記録4頁)
というものであった。この記者の質問は原発から数十キロ離れた実際の熊本地震についてであって、熊本地震級の地震が川内原発を直撃した場合を想定する質問とは考えられない。

② この質問に対し田中委員長は、「重要な機器ですね、安全上、それがいわゆる弾性範囲に収まるようにという設計を求めています。だから、弾性範囲にある分には、・・・・・」大丈夫だと答えた。しかし、それに続いて「基準地震を超えるようなことがあれば、変形が出るような構造物もゼロではないということですけれども、安全上影響を及ぼすことはないと思います。ただ、熊本で起こっているような地震の繰り返しで何か起こるかということは、およそ考えなくてもいいと思います。」と答えている。

③ この田中の答弁を要約すると、「重要な機器」については、弾性範囲内であれば大丈夫、基準地震を超える場合には「変形が出る構造物」もあると答え、そして今起こっている熊本地震の影響では川内原発には何も起こらない、という趣旨である。
唐津市役所の解釈、熊本地震級の地震が直撃しても玄海原発は大丈夫だという解釈が実際の田中委員長の質疑応答とは全く相違していることは明らかであろう。
むしろ、ここの発言でも、規制委員会は、基準地震動を超えると「構造物」-原子炉や格納容器建屋、発電設備などに「変形」が生ずる恐れを否定していない点を重視すべきであろう。

④そのことは、この4月20日の記者会見の後続の質疑応答でいよいよ明らかである。
共同通信記者の質問:「今の熊本地震とは別の前提で伺いたい、設計基準を超えるという事象は考慮しているのか・・・」(以下速記録6頁)
田中委員長の回答:
「・・・設計基準を超えるという事象は考慮していることになります。だから、地震動だけではなくて、何か外乱が起こったりして、今の安全基準というのか、設計基準事象を超えるようなものについては、そういう事故についての対策は考慮している・・・・」
他の記者の質問:「規制基準におけるSsというものは、あくまで超えてはまずい一線であるのか・・・・」

田中委員長の回答:

「100%とは言い切りませんけれども、十分な余裕があるということでございます。ただ、それを超える事故が起こった場合、これはまさに大規模損壊の対象とか、そういうことになるわけですから、そちらの方で対応していくことになると思います。」
耐震総括官の小林の回答:
「そこは越え方によると思うのですがね。仮定の話なので、あまりこの場で支度はないのですけれども、少しであれば裕度の範囲になるし、大幅に超えればこれは何らかの対応をしなければいけないということになると思います・・・」
これらの質疑応答では、基準地震動を超える地震が原発を襲うこともありうるということ、その場合「大規模損壊」が起こり、「何らかの対応」、「そちらの方で対応していくこと」になる可能性に言及しているのである。
ちなみに、この会見に先立つ4月18日の記者会見でも田中委員長は記者の質問に対して同様な見解を発表している。

原発の稼働を中断するという判断について聞かれた田中委員長は、
「今回の断層と川内原発とは30キロメートルより遠くにありますので、そういったことも踏まえて判断しなければいけないのだと思います。近い、遠いというのは、もう少しきちっと科学的に評価したうえで判断すべきものだと思っていますので、・・・・間近で、本当に1キロメートルとか2キロメートルとか、そういうところでああいうことが起こるということであれば、当然そういう判断もあろうかと思います。」
(4月18日記者会見速記録9頁)

「当然、敷地近傍での地震の程度によっては、そういうことは、今後の予測も含めてそういう判断をする場合はあると思いますが、ただやみくもに近いからとめるということではなくて、当然、そこは評価をして、止めていただくという場合はあると思います。」
(同速記録12頁)

田中委員長は、「そういう判断」、直下地震では原発稼働を止めるという判断も「当然」ありうるという見解を述べている。
以上の通り、田中委員長の記者会見の内容は、唐津市役所が考えるような甘いものではなく、それと正反対の見解が出されている。基準地震動を超える地震、熊本地震級の地震が発生した場合、原発施設の「構造物の変形」や「大規模損壊」が起こり、それに対応する必要があると明瞭に語られている。

貴庁の【回答1】中、九電の説明については詳しくはコメントしない。
実際に起こった熊本地震の玄海原発への影響についての九電の評価は独自のものであり、今回の我々の質問とは無関係である。縷々列記している九電の説明は、我々の質問の趣旨及び貴庁の議会での答弁の根拠にはならないことを指摘しておく。

二、ご回答に関係する玄海原発に関する新たな質問

1、上記の本年4月20日の田中委員長の記者会見の内容について再検討し、
 正確な理解をして議会や市民に告知する必要があると思うがどうか。

2、政府の「地震調査研究推進本部」は本年6月に地震についての新しい評価基準(通称「修正レシピ」)を発表している。それに基づけば現在の玄海原発の基準地震動の算定は原 
発近縁の複数の活断層(竹木場など)の地震動について半分ほどの過小評価となっている。過小評価された基準地震動(620ガル)で設計された原発では、実際に起こる地震では過酷事故、原子炉のメルトダウンに至る可能性が高くなる。
 貴庁は、原子力規制委員会及び九電が、この政府の定めた新しいレシピをもとに原発施設の耐震性を見直さない限り、稼働再開を認めないという申し入れをすべきではないか。
「地震調査研究推進本部」は阪神淡路大震災の直後に特措法で設置された地震災害対策の日本における最高指導行政機関であり、これの定めた指針を無視することは許されない。
3、玄海原発の冷却用の海水取水口の前面に海水の滞留堰が設置されている形跡がない。

 地震による津波あるいは地盤の隆起の際には、激しい引き潮、海水の後退が想定され海底が露わになり取水が不可能となる場合もありうる。
 冷却水が確保されない場合、原子炉の空焚きが起こり過酷事故に直結する恐れがある。
 貴庁は九電に海水滞留堰が設置されているかどうか質し、存置していない場合、それの建造しない間は原発再稼働を止めるべきであると申し入れすべきではないか。
三、使用済み核燃料の乾式貯蔵(あるいは中間貯蔵施設及び高レベル放射性廃棄物の地層処分場)について

 1、本年4月岸本玄海町長が高レベル放射性廃棄物を玄海町に導入する意向を表明したが、このような施設を本市至近の地層に埋設された場合、事故の際はもとより、風評被害も本市はまともにかぶり、観光業や農漁業にも深刻な影響を来すと考える。
  唐津市は、市内はもとより佐賀県内など隣接地に高レベル放射性廃棄物の処分場建設に明確に反対すべきであるがどうか。

2、また、最近、市内の串地区の一部住民が使用済み核燃料の貯蔵施設(中間貯蔵施設あるいは乾式貯蔵施設)の受け入れを表明したり、また退任間際の市長がこれらの施設について研究をしていくなどという方針を出したりしている。
  核廃棄物の施設導入は原発の設置と同等以上の危険性があり、いくらお金を積まれても大多数の住民は承知しません。このような施設と同居して暮らすことを認める人はだれもいないでしょう。住民の意思も聞かずに勝手に核廃の施設の受け入れを検討することは許されないことです。
  直ちに核廃棄物の受け入れについてこれを断固として拒否する姿勢を示していただきたいが、どう考えているか。

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2016年10月27日 (木)

宮殿を相手に、玄海4号機の差し止め請求 佐賀地裁

News & Letters/529

本日、佐賀地裁に玄海4号機の稼働差し止め請求の仮処分を申し立てた。
その中心的主張は、九電が規制委員会に出した基準地震動の計算のまやかしについてである。

そもそも、原発を止めるには、政治的解決と司法的解決の二つの道がある。
新潟の最近の県知事選挙は、原発阻止の政治的解決の巨歩を記す快挙であった。
しかし、佐賀の玄海原発については、政治的優勢は敵側推進派にある。
山口知事も古川前知事よりはましであるが基本的には推進側にある。

また、立地自治体の玄海町や、原発直近の唐津市はあからさまな推進の癌となっている。
最近の地元紙のアンケート調査では、原発を認めない世論は過半数となっているが、この県民の要望に応える

政治勢力は弱く、今の時点では、政治的な解決の道は、きわめて困難な状況である。
この困難を何とか突破するために奮闘中である。

焦点は2年後の玄海町長選であろう。
司法の道も容易ではない。すでにわれわれは3号機のMOX燃料、プルサーマル裁判で一敗地にまみれた。

しかし、ひるまずに裁判所で県民の声、当たり前の科学の真実を訴え続ける必要がある。

裁判の要は、地震だ。
地震の恐ろしさは、第1に揺れであり、第2にずれである。そして第3に津波だ。
裁判はこのうち第1の揺れ、基準地震動(GAL)である。九電が出している基準地震動の計算は、日本の地震の特性を反映していない。

入倉・三宅方式は世界の地震の平均値で計算していて、我々が主張する武村方式に基づけば、これが日本の地震の平均値に基づくリアルなものであって、前者と比較すれば基準地震動は4倍~5倍の強振となり、現行の玄海原発や川内原発の620ガル程度では原発施設や機器類はもたない。これが佐賀地裁での裁判の焦点である。

さらに、問題なのは、川内原発や玄海原発は、基準地震動の計算では、規制委員会規則で定めている3つの地震のうち一つの型の地震しか計算していない疑いがある。3つというのは、①地殻直下型地震②プレート間地震③プレート上の地震である。九電の地震動に関する解説のパンフレットでは①だけしか記載されていない。

②の東海、東南海、南海地震などプレート間の地震でも九州や中国地方、裏日本もゆすぶられてきた。幕末の地震では遠く中国でも観測されたという。

③のフィリピン沖プレートのように沈み込んだプレートは九州北部など日本海の下にも達しているといわれる。

その沈み込んだプレートにも地震が起きる(スラブ内地震)。規制委員会の規則は内規ではなくれっきとした法令である。
法令に定められた基準地震動の計算を提出していないなら、今回提出した補正書は違法、無効となる。

これが、地震の揺れに基づく危険性であるが、
第2のずれの問題はまた別である。

ずれは、隆起・沈降、左右水平のずれ、液状化などが原発敷地を直撃した場合、いかなる頑丈な地盤でもその上の施設は一発で崩壊する。このような直撃を日本の原発の安全審査では全く考慮に入れていない。活断層が見つかったところだけ避ければいいというわけにはいかない。未知の活断層は無数にあるだろう。柏崎刈羽原発はかろうじて施設の大破は免れたが、地震による地盤の上下・水平断裂の直撃の恐れは日本原発すべてに潜在している。

日本の原発は、立地が決まってから活断層の有無を電力会社自身が調査するというやり方で来たから、断層があっても隠ぺいしたり、その断層を切り刻んだりして過小評価してきた。玄海原発の立地する岸壁は、地震による隆起や沈降、褶曲など断層活動でできたものではないのか。今日目覚ましく発展し活断層発見で威力を発揮している変動地形学で照射すれば、どのような驚くべき結果が出てくるかもしれない。

第3の地震による津波についても、玄海原発は最大波高3~4メートルとして、引き潮もマイナス3メートルとしている。

どのような計算でこんな安易な数値を出したのか知らないが、日本海側でも10メートルを超える津波が来ないとは限らない。
玄海原発は標高11メートルの岸壁にあるから大丈夫というが、串崎の対岸(原発から500メートル)から見た限りでは、ほとんど海面数メートルのところに施設が設置されているように見える。

しかも九州電力の解説絵図面で見ると施設の建っている敷地は岸壁から10メートル下で海抜0メートルとなっている。玄海原発には堤防もなく、また引き潮に備えた取水口前面の海水滞留堰も設置されていない。津波は日本近海だけではなく、朝鮮や中国方面からも押し寄せてくる可能性もある。

地震の直撃を受けなくても海からの津波の襲来(その前兆である激しい引き潮)でも原発を守ることはできないのではないか。

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