原子力産業の是非

2019年10月24日 (木)

関西電力問題と解放運動

関電にたかっていた高浜町の元助役についての報道について、10月9日に部落解放同盟中央本部が声明を出している。
一時的に元助役森山が解放同盟に所属し、高浜町支部や福井県連の結成に貢献したと認めるが、今回の事件と解放同盟は全く無関係であると釈明する。
しかし、今回の事件については、まず原発に対して基本的な批判的姿勢を鮮明に示すべきであろう。

原発は、差別的棄民思想なしには建設されえない。立地地域の住民、部落民も含む従事する労働者に対する差別こそ、原子力産業の根幹にある。反原発闘争は解放運動にとっても重要な闘争でなければならない。

次に、確かに、今回明らかになった事件には、解放運動は何のかかわりもなかっただろう。

だが、かつて、れっきとした同盟の一員であったものが、原発マネーを操り原発推進の地域の中心人物になったことについて国民に謝罪し、反省の言葉がなくてはなるまい。元助役森山の事件で、今回の声明で糾弾している通り、一部マスコミによって部落差別が増長される結果を招いた、それを防ぐことができなかった事実が厳然として存在する。

被差別部落の人間が起こした事件について何もかも責任を取るというわけにはいかないが、森山にはかつて荊冠旗を渡していたのである。関電こそ部落差別を利用して原発を発展させ、今窮地に立つと部落差別を利用して責任を逃れようとしているのである。解放運動側は原発マネーとは関係がないが、しかし、関電側の利権工作は部落問題を利用していたのである。「人権教育」の講師で関電の先生だった「特定の人物」に脅されて怖かったから、怪しい金を戻せなかったというのである。

原発マネーではないが同和利権も問題だ。

考えてみれば、同和対策特措法を成立させて以降、何兆円という膨大な対策費が部落に流れた。
その特措法を制定させるとき、私は中央本部青年対策をやっていて、全国青年集会に集まった1千の部落青年たちとともに総理府突入闘争の先頭に立っていた。厳重に防護していた機動隊を突破し、総理府構内を占拠し、それと呼応して100人の中執と中央委員が庁舎内デモ行進、5人の決死隊による屋上の占拠、

庁舎正面に巨大な垂れ幕を屋上から垂らした、これらの闘争を敢行し、床波長官の部屋の前に座り込んで法律制定を約束させた。
その実力闘争自体は長い解放運動の中でも特筆すべき歴史的なものであったが、その後が十分でなかった。

何兆円もの国の予算措置がなされた。その巨額の金に十分な対策もなしに同和予算に浸かってしまい、利権が渦巻いた。
同和対策予算の受け取り方をもっと慎重にすべきであった。

同和地区だけがよくなっているという逆差別が横行した。逆差別自身は、無理解から起こったものであるが、その無理解も貧しい国民の感情としてはやむを得ないものであった。だから、同和対策予算は、同じ市町村区域の貧しい住民とともに同じ額を受け取る、そうでないと受け取らないというやり方をすべきであった。

部落民だけが高額の奨学資金を受ける権利がある、部落民だけが・・・・。いくら貧しくても部落民でないから受給できない、住宅にも入れない、そういう状況を作ったのでは、逆効果・逆差別が生まれるのは当然だった。・・・・この際、同和利権や原発マネーはもとより、いかなる利権についても
解放運動側は毅然とした方針を持っていることを鮮明にすべきだろう。

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2019年10月 5日 (土)

関電利権のフィクサーーの「人権教育」

関電事件も、かつて追求した高知県のモードアバンセ事件、また、現に追及している室戸市の利権行政と同じ構図だ。事件の中心に「同和」利権ボスが存在していた。

関電幹部が言う「人権教育」の講師だったとか、また新聞報道では、森山フィクサーは福井県の「客員人権研究員」、「福井県人権施策推進審議会委員」であったという。

まぎれもなくこのフィクサーは部落問題を政治的に利用し、利権を確保するために使ってきた人物である。
そして関電は今この人物の異常な姿、「怖い」存在を強調して、すなわち部落差別をあおることで罪を逃れようとしている。原発を建設し維持し発展させるために関電はこの「怖い「」男を十分活用してきたのであるが、逆に身を守るためにこの差別像を活用する。脅されてお金を返せなかった・・・。

現在進行中の関電の事件とは規模も性質も違うが、
20数年前高知県にのモードアバンセ社事件があった。1996年ごろから解放同盟高知県連幹部が関係する協業組合に県が数十億円の巨額の闇融資をし、これが焦げ付き、副知事ら県幹部が背任罪などで逮捕されるという県庁始まって以来の大事件であった。県庁に大規模な捜査が入ったとき橋本知事はイタリア方面に飛んでいた。

モード社の安原という社長と副知事らが刑責を負ったが、県の同和対策審議会などでこの事業を称揚した連中と県庁の最高責任者は罪をとわれなかった。
高知新聞らもこの事件を報道するのに当初は実名を使わず「特定の協業組合」などというわけのわからない名前を使っていた。

室戸市の利権行政も目を覆うものがあり、有力特定議員がのさばってきた。
その一例(新火葬場建築工事事件)が裁判中であるが、高知地裁は最近、利権行政の事実を全面的に免罪する判決を下した。近くそのでたらめな地裁の判決文を批判する控訴趣意書を書くのでそれを見てもらいたい。

特定の業者のために特定有力議員が議会で請負金額のつり上げを声高に叫び他の議員を脅かしたりして、業者が実際の工事費の2倍の請負金を行政からせしめていた。・・・・

ほかの団体と同じように部落解放運動にも、徹底して反権力に徹する勢力と、権力と妥協したりその一翼を担おうとする勢力があり、かつては内部でのその攻防が厳しいものがあった。

(それは、師岡祐行著「戦後部落解放運動論争史」全5巻に詳しい。この著作に紹介されている論客や活動家の殆どはすでに黄泉に旅立ち生存者は数人である。)
同和対策特別措置法などで国や地方自治体には巨額の対策予算が組まれ70年代以降「同和利権」が顕著となり、解放運動内部の反権力派が退潮した。

その中で狭山闘争が運動内の反権力闘争の中核として発展しようとしていたが、これも挫折し、今や単に冤罪反対運動になっている。

高浜のフィクサーは、同和利権派の申し子でありそれを背景に地元行政を牛耳り、電力会社を揺すぶってこれと合体し、日本最大級の原発産業、関電の、その推進の最悪の使徒となった。
全国津々浦々の大小利権行政を根絶しなければ、原発はもとより核の最終処分場や中間貯蔵施設など原子力産業はいつどこに根付きだすかわからない。

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2019年10月 4日 (金)

関電の崩壊

これだけの金まみれの企業はもはや原発を運転する資格はない。
ただ巨額の原発マネーを還流させていた、関電幹部が私腹を肥やしていたということだけではない。
もちろん関電が工事を直接するわけではない。
金をもらった連中は何の技術力もない素人だ。
原発の工事は、道路工事や防潮堤の工事とは比較にならない。

最高度に高い信頼ができる請負業者を選んで工事の発注がなされねばならない。技術力と適切なコスト計算をしている企業を厳格な選考手続きで決めなければならない。誰しも、原発を運転する電力会社は、そういうことをちゃんとやっていると思っていただろう。

だが、高浜町役場幹部出身のフィクサーの関連する会社に「特命発注」を含め地元企業にどんどん発注をしてきた。ゼネコンが請けた工事も、相当部分が地元企業に下請けにまわされたということだ。

森山が還流させた金は、単なるお礼ではない。ゼネコンが請けた事業も地元森山系列会社に下請けさせるように口利きをせよという請託とその実行の対価なのである。

巨額の還流資金がその地元企業に残ったというのは、もともと電力側の水増し設計金額があり、さらに下請け業者の従業員からの労賃のピンハネによると考えられるが、国民や社員の命がかかった原発の工事がコネと金ずるで遂行されていたとすれば、もはや原発の安全とか安心とかなど到底あり得ない。

原発施設内に何万何千とある配管の溶接一つとっても業者の確かな技術力が担保されていなければならない。何よりも技術力を入札の時に公募によって競わせた上で厳しく吟味し発注先を決めねばならない。

福島原発の事故も津波の前に配管のどっかが地震で壊れた可能性が強いとされる。福島第一の原発では配管をサポートとするのにホールインアンカーという信頼性の低い旧式のネジでかべから支えていたという。(豊田勝旦著「東京電力・帝国の暗黒」)

普通の企業でも収賄や背任行為は許されないが、その犯罪行為は行為者が罰せられたら、それで済む。反省して仕事を再開してもいいだろう。

しかし、原発は違う。
地元優先、コネ優先、金ずるで原発工事の請負業者を選定するなどということが
社風であるような会社は、原発を運転することは許されない。出来上がった施設の安全性が信頼できないからである。関電は失格であり原発から撤退せよ。

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2019年10月 1日 (火)

原発推進の哲学

高浜原発推進のフィクサー、高浜町役場の収入役や助役を務めてきた男によって、関西電力の腐敗した企業の実態が浮かび上がった。

電気料金を原資とした電力会社の金の流れは、

電力会社→①下請け業者→政治家・地域ボス・(電力会社)・・工事費の水増し
    →②東大-京大、東工大などの大学教授へ・・研究費などの補助金・・
    →③原子力関係省庁など官僚へ・・・天下りポストの提供
    →④メディアへ・・・広告料

こうして、電気料金を打ち出の小づちのように使って、原子力村が形成され、原子力産業が栄えてきた。

かつて班目春彦(フクイチの事故の時原子力安全委員会の委員長)とかいう先生は、核燃料の最終処分場の件で、「最後はお金でしょ。どうしてもみんなが受け入れてくれないっていうんだったら、じゃあ、おたくには二倍払いましょ。それでも手を上げないんだったら五倍払いましょ、10倍払いましょ。」といったという。(「六ケ所村ラプソディ」)

科学や常識では人を説得できない。彼ら原発マフィアの信念は、原発の研究は金になり職を得て出世し生活の糧になる、金でおびえる住民を説き伏せ原発開発を推進し、人を服従させることができる。金はいくらでも使える。

地震も津波も怖くはない。放射能も怖くはない、
福島の惨状も見えない。世の中は科学とか文化とか民主主義とかではなく金がすべてを解決してくれる。東電や関電には、そして自民党政府にはわれわれマフィアにいくらでも金を出せる。・・・・

広島・長崎に並ぶ日本有史以来最悪の惨状をもたらしたフクイチにもかかわらず、彼ら原発マフィアの哲学は牢固として揺るがない。資本主義が生み出した最後的な哲学であり、人格である。人類を滅ぼしても金を握ればいい手という連中だ。

東電の会長らの原発犯罪へ控訴が行われた。
しかしその求刑が軽すぎた。万死に値する人類への犯罪を禁固五年ではあまりもバランスが取れない。軽すぎるのである。

私は死刑制度に反対であるが、人類への罪(大規模な虐殺や人類への破滅行為)については例外にすべきだ。

いづれにしても、高浜のマフィアの一味は、よくぞメモを残し原発の闇、原発マネーを顕出させてくれたものだ。

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2019年9月28日 (土)

高浜原発の裏金露顕

福井に原発を導入した巨額の裏金の存在が国税調査から発覚した。

60年代、私は解放同盟中央本部の西岡智中執の供をして若狭方面のオルグ活動をやった。部落はどこも貧しく生計を立てるだけで精いっぱいの所ばかりであった。夜西岡さんと一緒に寝るとき断崖の下に打ち寄せる寂しい波の音が今も耳朶に残っている。

その福井の寒村が瞬く間に原発の侵出によって様変わりをしてしまった。
湯水のような金によって席巻されたのである。
電力会社は地元のフィクサーを使って請負業者から「手数料」を取っていたのである。電力会社から出る金は全部国民の電気料金だ。受け取った連中には全員背任罪を適用すべきだ。

社長の記者会見では、このフィクサーは「人権問題」で社長らに講釈をたれに会社へ来ていたともいう。何かえせ人権団体を名乗っていたのかもしれない。こういう政治的ボスが多くの市町村、都道府県でも暗躍している。

なかなか尻尾をつかむのは難しいが、市民オンブズマンの主な仕事はこれを追及することだ。
しかし、国民は、今回の高浜の腐敗の露顕で原発推進の実像を知ることができる。

電気料金→電力会社→下請け業者→フィクサー→政治家・地元有力者・電力会社これらの金の流れを統御しているのは、電力会社である。そうでなければ最後に自分のところにその金の一部が還流するはずがないし、第一下請けの工事費に巨額の水増しをしなければ、この金の流れは生じない。

社長らがしらばくれているが、業者からフィクサーに巨額の金が渡っていた事実は、工事費の背任的水増しなしには考えられない。

室戸市の業者が実際の工事費は1億円程度で仕上げ、市役所からはその倍の請負金をせしめる、というのと同じようなことだ。

福島の刑事裁判で無罪放免が出た直後、時や好しと無罪放免を目論んでの関電の収賄・背任事件の発表。国や行政がやることには、裁判官も検察官もいくら訴えてもとりあわない、良心のひとかけらも持ち合わせではない。

原発のことに関しては、人民は自らの実力で解決する以外にはないだろう。

金権腐敗の日本では、原発や高レベル放射性廃棄物の処理については、民主的な手続きを待ってはいられない。地震津波の脅威は切迫しており、猛毒の核燃料を抱えた原発や六ケ所村の再処理工場は必ず挫滅する。このような日本列島ばかりか世界人類まで破滅させる絶望的状況においては、心あるプロレタリア烈士は結集して武装蜂起など、なすべきことを準備すべきである。

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2019年9月24日 (火)

福島第一原発の事故責任

高知新聞の9月20日付長官の判決文についての社説の冒頭に「原発とは根拠もなく安全性や経済性を強調し、想定しない過酷事故を起こしても、だれも責任を取らなくてもいい事業なのだろうか。」という不可思議な文章が出ていた。

①「想定しない過酷事故」であったのだろうか。また②「想定しない過酷事故」であれば、刑事責任を追及するのは困難であろう。

①想定
東電では大津波が来る可能性というのは、社内ですでに大問題になり正規の幹部会議でも対策まで議論されていた。
想定は十分にされていたのである。政府の地震調査研究本部の長期予報がでたのを最高幹部はみな知っていた。

地震本部というのは、日本の主な地震学者の大半が参加しているという。地震本部や中央防災会議の学者が提起した警告を無視した東電の幹部が刑事責任を問われるのは当然であろう。

日本の一流の地震学者たちの地震の予想を、無視してきたのは何も東電だけではない。日本の電力会社と原子力規制委員会が今もなお頑強に抵抗し地震動について現実に合わない独自の計算式を固守して日本の原子力施設を累卵の危険の上に放置してやまないのである。

悪名高いいわゆる入倉・三宅方式である。北米の過去の地震から導き出したという計算式は、日本の現実の地震動を過小評価するものであり、電力会社のお気に入りでクリフエッジを極力低くし耐震設備に金をかけなくてもいいような結果を保証してきた。

地震本部が2008年に出したいわゆる「新レシピ」は日本国中どこでも取り入れられているが、原発だけがこれを適応させない。電力会社や規制委(規制庁)は治外法権のように日本や世界の科学の成果も世間の声も聴かない。

新聞やテレビは、まさにこれを大問題にしなければならないのである。熊本地震でも、入倉・三宅の計算式は非現実的で「新レシピ」が現実をより正確に反映していることが実証されている。

日本の地震学のアカデミズムが阪神淡路の大震災の反省から総力を挙げて立ち上げた地震調査推進本部の見解を「信頼性がない」とか言ってこれを無視して大事故を起こした、これをどうして「想定しない過酷事故」といえるであろうか。

地震本部の学者を会社に呼んで、その見解を詳細に説明してもらうというのが会社経営者の筋であろう。島崎という地震学者が規制委の委員長までして玄海原発の審査にもあたった。しかし退職してから、入倉・三宅方式では原発の地震動の計算は過小評価になるといって猛烈に規制委を批判している姿は、それを物語る。

規制委に在職中は電力会社の味方をし、やめてからそれを批判している。
むしろ圧力を加えて、規制委が地震本部の見解に従わないようにさせたのは電力会社、東電そのものであろう。

地震動の計算式は三通りあり、a入倉・三宅式、b武村式、c松田式である。武村式は反原発側の想定に近く地震動の値が現実に近く大きく出るが、まだ未完成だという。

地震本部の出した「新レシピ」は松田方式であり、入倉方式と武村方式の中間を行くとみられている。

玄海原発の活断層の評価にこの松田方式で計算してもらったところ、これでも原発の基準地震動を超える結果が出た。

伊方や川内、若狭湾の原発などもこの「新レシピ」でアウトになるという。判決文では地震本部の長期評価は信頼できないと東電の被告らは言ったというが、それどころか信頼させないぞ、全国都道府県がそれを受け入れても原発だけは受け入れないぞという行動をとったのが被告らであろう。今もそうだ。実際には何千ガルもの地震が起こっているのに原発の地震動の設定はせいぜい5,6百ガルどまりだ。特に六ケ所村など東北の原子力施設は450ガル程度の低水準だ。

②会社の幹部など個人に刑事責任を負わせるのは困難だという意見も出ている。
だから、組織罰の規定を設けるべきだという。それも必要であろう。個人と組織の両罰にするべきだ。
だが、会社の責任者、組織の責任者の罪を問わないでは、かえって企業の犯罪は抑止されず増大するだろう。

 組織は個人、複数の個人が動かしている。東電の幹部は、津波が施設の高さ10メートルを超える危険性を知っていたし、知る立場にあった。原発を止めることへの躊躇があったというが、止めても止めなくてもしなければならないことがあったはずだ。 

非常用発電機を高所に移動させるとか、使用済み燃料を移転しておくとか、最低限のことでさえ、しなかったのである。自ら警告に呼応し対策の陣頭に立つべきものが、幹部社員の意見(15.7メートルの津波予想まで計算していた)をも封殺して大惨事を招いたのであるから、未必の故意の典型例だ。東電への今回の判決の評価に、新聞やテレビにこの 未必の故意 という言葉が一つも出てこないのが不可解だ。  
  

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2019年9月21日 (土)

福島第一原発の判決文

朝日新聞の判決文要旨を読んだ。驚くべき変身だ。
フクイチの事故の前まで原発安全神話が原子力村(原子力マフィア村)から裁判所まで日本中支配的であった。

しかし、今回の東京地裁の基調は、原発は安全なものではない、絶対的に安全を確保などは求められていなかったなどという。すなわち、こうだ。

「法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方は、絶対的安全性の確保までを前提とはしていなかった。」
チェルノブイリの事故が起こっても日本の原発は大丈夫だ、100パーセント事故は起きない、などと言っていた。全部嘘だったのか。原発は絶対に安全というものではない、国民は気をつけろという程度のものだったというのであろうか。

また、判決は言う

「原子力安全委員会が06年9月に策定した指針は、必ずしも地震や津波によって施設の安全機能が損なわれる可能性が皆無、若しくは皆無に限りなく近いことまでを要求しているわけではなかった。」
そうすると原子力安全委員会の指針は、地震や津波によって原発施設が損なわれるかもしれない程度の、手抜きした指針を出していたということなのか。

まるで反対だ。原発は安全ではない、普通の稼働でも危ない、地震や津波にはもたないと我々は批判してきた。
国や電力会社は絶対大丈夫だ、裁判所もこれまでどんなに国民が追求し批判しても大丈夫だ、理由がないといって電力会社の安全性を支持してきた。今回の判決ではコロッと立場を変えた。原発は安全ではないという。

変えた理由は、フクイチの事故をまともに突き付けられ、これまでの論理では被告を擁護できないし、原発を擁護できないからである。

判決は言う。

「結果の重大性を強調するあまり、その発生メカニズムの全容解明が今なお困難で、正確な予知や予測に限界がある津波という自然現象について、想定しうるあらゆる可能性を考慮して必要な措置を講じることが義務づけられるとすれば、法令上は原発の設置、運転が認められているのに、運転はおよそ不可能ということになる。」

法令上認められているものは、どんな危ないものでも運転してもよいのか。だが法令は「想定しうる」危険性に万全の対策を

講じることを求めているのである。いい加減な対策でよいという法令などはない。
事故を未然に防ぐ対策ができないなら運転してはならないのは当然である。
日本のような地震や津波、火山の爆発、風水害、ブラックアウトが日常茶飯事の列島で原発を稼働させることが許されない

ということがどうしてわからないのだろうか。
いずれにしても、ある時は国民の指摘、批判を拒絶するために原告に冷然と 原発安全論 をくらわし、またある時は、原発事故に関して責任追及があれば、原発安全ない論 を展開して法廷に煙幕をしいて黒衣を翻して去っていく。

裁判官が、閻魔大王(プルートン)につかえ、あわれな亡霊どもをいたぶる冥途の鬼神のように見える。

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2019年9月20日 (金)

福島第一原発刑事裁判判決

少しは期待していたがやはりだめだった。

1、裁判所は行政権力の番犬になっている。三権のうち、行政権力が圧倒的で、立法府がそれを粉飾し、司法は犬力機関にすぎない。

行政権力への忖度、追従、加担、屈従、一体化・・・に精を出す。民間人同士の争いには裁判官もかなり真面目に取り組んでいるようだが、権力が訴えられた裁判では、番犬の本性をむき出し国民に対して吠え、牙をむいて噛みついてくる。
身分を保証されている裁判官がなぜこのようなていたらくに墜落したのか。

2、原発へ15.7メートルを超す大津波襲来の長期評価が出ているにもかかわらず、社員がそれに対応しようとしていたにも関わらず、対策を放置したということについて、その長期予想は信頼できなかっただとか、合理的な疑いがあるという判断で当時の東電の最高幹部を無罪放免にした。

①実際、地震予報、津波予報は絶対的な確実性はない。あくまでも可能性であり、恐れである。絶対的な確実性をもって地震を予想することは人間にはできない。しかし、地震学の権威ある科学者が集まって政府の見解として予報を出したということは軽視することはできない重みがある。

②その時東電は福島第一原発に10メートルの防潮堤しか用意していなかった。10メートルで大丈夫だと考えた根拠は何であったのか。政府の予想がにわかに信じがたいとしても10メートルと15.7メートルについて東電は10メートルの防潮堤を選択したわけだから、その根拠を説明する必要がある。

③戦陣にあって、相当勢力の敵が襲来してくる可能性があるという有力な情報をキャッチした将軍は、その情報を軽視したり無視したりするであろうか。最悪の場合に備えて最大限の準備をするであろう。
万が一にも事故があってはならないという指揮官、経営者としての責任感があれば、権威ある政府の警告を軽んずるはずはない。

④判決には「絶対的な安全性を確保」するとことは求められていないなどという判旨があったとのことだが、一触で人類が滅亡するかもしれない原発には、絶対的な安全性の確保が必要であり、それができないなら原発を建設し稼働させてはならないのだ。
司法官僚化した裁判官には、福島原発事故を見ても原発事故の恐ろしさ、悲惨さが分からないのである。

もはやこの裁判官、そして日本の裁判所は、人間の感性、人間の血が通っていないのであり、権力をふるう番犬なのである。

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2019年9月19日 (木)

汚染水の廃棄

大阪市長や知事が、福島第一原発で毎日発生しづける汚染水を浄化して、
大阪湾に投棄してもいいなどと言っている。この汚染水はいくら浄化しても放射性のトリチウムだけは除去できないことが分かっている。だから松井市長らは放射性トリチウムの汚染水を大阪湾に垂れ流してもいいというのである。こういう人間たちは、放射能よりも恐ろしい。

六ケ所村を含む全国の原発、とりわけ加圧式原子炉系の原発は、空気中や海洋へのトリチウムの放出が顕著であり人間はもとより周辺の生態系に深刻な悪影響を与えてきた。トリチウムは白血病を誘発すると考えられる。

加圧式の玄海原発の周辺住民の白血病の発生率が異常に高いという論文(森永徹医学博士「玄海原発と白血病の関連について」)は有名である。

毎日海や空中に放出される大量のトリチウムが原因であると推定されている。
大阪の市民は、大阪の行政府が放射能のような猛毒の人間によって権力が握られているということを知るべきであろう。

トリチウムは、およそ200年を経過すれば放射能の威力はほとんどなくなると計算されている。(半減期は12.3年)

「脱原発を目指す首長会議」は先月8月18日青森でフクイチの汚染水について、トリチウムの放射能が雨水と同程度にまで減衰するまで保管し、それから放水するべきであるとの声明を発表した。

100年か200年ぐらいであれば、なんとかこの汚染水を管理・処分できるであろう。
だが、松井市長や橋下元大阪府知事のような政治勢力、今回の凶悪な安倍政権のような
連中の害毒は、なかなか減衰しがたい。大阪湾や道頓堀に放射能をまき散らすという手合いは放射能よりも悪質なのである。

森永徹博士の論文は2015年7月日本社会医学総会で発表されたもので、疫学的統計に基づいて推論していて何人もその結論を否定することはできないだろう。

(付記)
この論文は権威ある雑誌などに掲載されていず、科学的論文とは言えないなどと軽んずる連中がいて、私がこれを論文と呼んだことで九州の活動家から不興を買ったがこれは原発問題では第一級の論文であるといわねばならない。

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2019年9月 6日 (金)

政治的中立


愛知県の展示会で慰安婦像と思われる少女像が出品されたことで河村名古屋市長ら嫌韓族が騒ぎ出し展示会がつぶされた。

地方自治体が、政治的な表現を公的な施設でどこまで受け入れるのか難しいという問題がある。金は出すが口は出さないとか愛知県知事の発言もある程度理解できる。

しかし、知事や市長村長の政治的中立というのは、あり得ないと私は思う。首長は政治家なのだ。公的施設の利用や行政の在り方にその政治的信念が反映するのはやむを得ない。
私は東洋町長在任中に、女性職員二人を東京の慰安婦問題の集会に派遣したことがあった。町長のメッセージを持たした。

若い職員に日本の侵略戦争の真相を知ってもらう必要があると考えたからである。また、高知の西の方の大月町に使用済み核燃料の貯蔵受け入れの話があった時にバスを1台出して町長自身を含め職員や住民をその地元の集会に参加させたこともあった。

また、核武装を唱えるある新しい政党が東洋町の施設で講演会を開きたいので会場を貸してくれという申し出があったが、これを私は拒絶したことがあった。その政党の女性活動家が政治的中立性がないなどと執拗に食い下がってきたが、絶対に施設は貸さないと峻拒した。私は政治的中立性ではなく、私の政治的信念を通すことが大事だと思ったし、それで正しいと思う。
もしNUMOが東洋町に再び現れて高レベル放射性廃棄物の説明会をやりたいと申し込んできても、公的施設の利用は認めなかったであろう。

「金は出すが口は出さない」という知事の発言は、そういう形で少女像を守ろうとするぎりぎりの政治的表現であろう。
人は、どちらの見方にもならない、天にも地にも所属しない空中を漂う存在ではありえないのである。

横浜市長のカジノ「白紙」の発言も「推進」の別の表現だったわけだ。
「政治的中立」の主張は、政治的に抑圧されて公共の施設の利用や道路での示威行動を拒絶されたり、著作物の出版が禁止されるるなど表現の自由がうばわれるときに被抑圧市民の人権を守る戦いの武器である。

戦争を憎み、核兵器や原発を憎み、人権を守ろうとする者には、一本の道しかなく政治的中立などは存在しない。
たとえその者が知事や市町村長であってもだ。

もちろん、首長の場合、自分の信念と相違するからといって、あるいは自分に不利益になるからといって、何でもかんでも反対したり禁圧するというわけにはいかない。その判断は憲法など法令の趣旨やその自治体の条例や慣例、またひろく人倫の公序良俗に依拠し説明できるものでなくてはなるまい。

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