日本国憲法と地方自治

2016年7月24日 (日)

鳥越候補頑張れ

News & Letters/504

病態を押して都知事選に出た鳥越候補に期待している。
東京都を非核宣言都市にするという。しかもその非核には核兵器だけでなく原発も核だというのである。
これは素晴らしいことだ。

また、都政を都民に取り戻す をスローガンにしているのはなお素晴らしい。

前に何度か書いたが、憲法前文の

       国政は国民の厳粛な信託によるものであり・・・
  
という訳文は原文の趣旨を骨抜きにしたものであり、安倍晋三に都合の良い文章になっている。

現行の文章では、国政は、国民が政治家に信託したもので厳粛なものだ、という意味になる。

国民は、選挙で自民党に国政を託した、だから選挙が済んでからは、国政を託されたのであるから俺の思うとおりにやっていいのだ、それが嫌なら選挙でかえればいい。という狂的な驕慢政治家が出てくるのである。
ヒットラー以来今日の独裁者は多くがこの考えで民主主義体制から出て、横暴な独裁政治を行ってきた。

しかし、憲法の原文はそうではない。

   Government  is  a  sacred  trust of  the  people   

この英文の正確な翻訳は、 国政は人民の神聖な信託物であって、・・・ となる。
  trust は前に不定冠詞の a  がついているから普通名詞であって、信託された物 となる。

 of the people  の of は所属を表す前置詞であるから、この trust  は人民のもの ということになる。

だから、国政は国民が誰かに託すものではなく、何者か(sacred とあるから多分天からであろう)によって人民に信託されたもので、神聖なものだということなのである。ここに近代自然法の思想が入っているのである。
都政を都民に取り戻すというのは、鳥越さんに都政をお任せする、信託するというものであってはならない。

選挙の時はもとより、選挙が済んで日常的にあらゆる機会をとらえて都政を直接的に動かしていく努力が必要であり
間接的ではなく、直接民主主義体制をいかに構築するかという問題である。
鳥越さん一人が都政に入っても都民のこの努力がなければ、鳥越は圧倒的な行政官僚の海の中に飲まれてしまうだろう。

鳥越の私生活上にどのような古傷があろうとも、完全無欠という仙人のような人はいないのであるから、それを攻撃されてもじっと耐え忍んで国民の期待を実現してほしい。

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2016年7月22日 (金)

都知事選挙 賭け

News & Letters/501

選挙で議員や首長を選ぶのは難しい。
政策・公約で選ぶといってもそれが実行されるか全くわからない。

自民党など本当の目的や意図を隠して甘言を弄して当選するのがおはこなのである。
地方議会や首長選挙ではなおさらだ。美辞麗句を並べて当選しても利権行政しかやらない。
実務経験があるとかいうのもまやかしだ。

そんな連中でろくな人間がいたためしがない。利権行政も一応は実務である。
鳥越さんが、テレビ討論で、誠実 という言葉を出したが、それが一番の基準であろう。
政策や実務は、役場に入ってから勉強すればだんだんにわかってくる。
問題はそのわかり方だ。誠実さがあれば、行政の基点がどこにあるか、弱者や貧者をいかにして救済するか、

その観点で地域の産業や福祉を充実させる、という政策とそれを実行する実務が出てくる。
行政は法律に基づいて遂行されなくてはならない。だから、貧者・弱者の視点での行政では憲法が後ろ盾になる。

ほとんどの首長らは、憲法の定め、最低限の文化的生活を保障、義務教育の無償、勤労の保障、・・・・・これらは理念だ、今は予算がない、などといって憲法をないがしろにして適当に政策だ、公約だといってきた。

憲法を奉戴し、文字通りこれを実行する誠実さが必要だ。

様々な利権が交錯する行政の世界で、左手(ゆんで)に貧者救済の旗を持ち、右手(めて)に憲法の旗を掲げて行政を行う、そういう人を選ぶには、その人物の誠実さを見分けることだ。鳥越さんにその誠実さがあるかどうかわからないが、他の者には誠意のかけらも見えない。鳥越さんに賭けてみる以外にない。

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2016年7月13日 (水)

東京都知事選

News & Letters/499

鳥越さんが都知事選に立候補された。喜ばしい限りだ。
宇都宮さんが一番いい候補だと思われるが、今は野党と市民連合を優先せざるを得ないだろう。
石田純一さんもそうだったが、鳥越さんも国政レベルの危機感で都知事選に立候補したようだ。
テレビなどの記者会見で都政に国政の話はないでしょう、という批判的な声もある
しかし、都政と国政とを機械的に区別するのはおかしい。

憲法改正問題は、国政は言うまでもないが、地方自治においては重大な問題なのである。
国政が憲法をないがしろにしている中で、義務教育無償など憲法の理念を実現する重責は地方自治体に負わされている。

憲法の第三章「国民の権利及び義務」の数十条は、すべて地方自治体の行政実務上の課題であり理念である。

憲法9条の問題も、兵役の負担、兵士の徴集も地方自治体に押し付けられる。都知事をはじめすべての地方自治体の首長や議員の仕事で憲法に関係がないなどというものは何一つない。

その大事な憲法の基本的人権等を骨抜きにし戦争国家に改編するということは、地方自治の本旨の破壊であり、空洞化なのである。

石田さんや鳥越さんが、安倍自民党政権について危機感をもって都知事選に臨むのはまともな姿勢であり、憲法改正を支持し安倍政権に追従する徒輩(やから)は、都政で住民の暮らしや人権を踏みにじる方向に進むことは間違いないであろう。

憲法は何か宝物のように大事にし守るというものではない。憲法は実行し実現すべきものであって、地方自治をまともに遂行する上で至上の指針なのである。

都政と憲法論議とを切断するのは、行政実務を知らない低い次元の話である。
私は、自慢ではないが、東洋町で4年間、憲法実行の地方自治をやったつもりである。
義務教育の無償化や福祉無償化などのたくさんな町政上の施策は、憲法を指針にした行為であった。

宇都宮さんの記者会見の中で、国政レベルの話で都知事に立候補するのはいかがかと思うという趣旨が示されたが、

この発言はいただけない。弁護士らしくない。

地方自治では憲法は関係ないのか、国政レベルで憲法が無視され国民の人権や生活が脅かされているときに、地方自治体に拠って国民を守ろうという行動は全く正当である。原発であれ戦争であれ、結局は、地方の末端まで攻め込まれる。
それを地方自治体を砦として、阻止線を張るのは我々人民の権利だ。沖縄県を見てみよ。

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2016年5月 5日 (木)

続高知新聞「自民党改憲案」下

News & Letters/483

前回、高知新聞は民主主義の原理が「欧米などの民主主義国」特有の「価値観」であるかのような表現をし、自民党改憲案が安倍が標榜する「価値観外交」から外れ欧米民主主義国の「普遍的価値観から外れた「異質な国」と見られる恐れ」を危惧していた。

しかし、自然法(自然権)思想を築いた思想家は確かに欧米の人間であるが、その法源は聖書、イエス・キリストの言葉にあるとしている。イエス・キリストはいわゆる欧米の人間ではない。

天賦人権は、人類の発生から始まっている。古代の奴隷にも、現在の日本国民にも生まれながら備わっているものである。
江戸時代の思想家安藤昌益が「自然真営道」で描いた世界が天賦人権の平和と自由の世界に他ならない。
決して安倍や高知新聞が言う欧米民主主義国だけの「価値観」などというものではない。


1、 高知新聞の限界は、5月3日の社説、憲法9条をめぐる議論に露呈された。
 社説は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」という文言を自民党が「ユートピア的発想」として捨てたことに関して、「理想論といえばその通りかもしれない」とか、「平和への志」という評価をする。しかし、この憲法前文の文言は、単なる「理想論」や「志」というものではない。
 それは、非武装非戦主義を現実の国際社会で戦略として打ち出したものであり、極めてポリチカルな方針なのである。

 実際にその非武装非戦主義で激動の戦後70年を通そうとしてきたのである。現実には非武装という点は完全に崩れたのであるが、少なくとも憲法上はそうであった。自衛隊という軍隊がなくとも米軍以外は誰も日本を攻めたり占領しようとはしなかっただろう。

2、社説は「今や世界有数の実力を保有し、災害時などに活躍する自衛隊を憲法でどう位置づけるかは、改めて議論してよいだろう。」という。これは要するに自衛隊の存在を前提として憲法改正の議論をするlべきだということになり、問題はただ自民党が目指す集団的自衛権の行使を認める所までそれを発展させるかどうか、という事に絞られる。
 高知新聞は、専守防衛の線での自衛隊の存在を憲法改正で積極敵に認めろという事になるであろう。
 自衛隊の存在と現行憲法9条の第2項第3項は明らかに矛盾するからである。
 その矛盾を高知新聞は、現状の是正ではなく、憲法の是正の方向に誘導しようという考えである。

3、憲法9条の内容はおおむね3つに要約される。

① 国際紛争の解決のために国権の発動として永久に戦争をしない。そのため武力による威嚇、武力行使はしない。

② ①のために陸海空その他の戦力はこれを保持しない。

③ 国の交戦権は、これを認めない。

②、③の条項は、戦争放棄の①の条文を担保するために設けられたものであり、①②③は一体のものとしてきりはなすことはできない。憲法9条は、「理想」とか理念とかではなく、リアルポリッティクスの政治的方針であり、憲法制定当時に日本国民は選択的に、日本はこれでいくと決心したのである。

 なぜ非戦非武装の道を選んだのか。
 それは憲法前文にも書いてある通り、「日本国民は自ら進んで戦争を放棄し、全世界に正義と秩序とを基調とする永遠の平和」を実現しようとしたからであり、それは何よりも「政府の行為により再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」し反省したからである。

 のちのちの日本人が憲法9条の非戦非武装の規定の理由とその決意を忘れないようにそのことを憲法前文に書き記したのである。アジア太平洋戦争の原罪を背負いその償いの勤行として9条は設定された。このことを忘れてはならない。

 この9条によっていかなる苦境、如何なる苦難があろうともわれわれは覚悟してこれを憲法に入れた。その我々の苦難などは、先のアジア太平洋戦争で犯した罪、未曽有の不幸と悲しみをアジアの人民に与えた事実に比べれば、些々たるものに過ぎない。

 自衛、自国防衛の戦争も許されないというのが憲法9条の定めだ。それはそもそも、日本の生命線だ、自衛の戦争だとかいって、中国や朝鮮、台湾は元より旧満州やモンゴル、インドネシアやフィリピン、ビルマ、インドにまで自衛戦争を拡大した。軍略上は、先制攻撃こそ最大の自衛であって、世界を平らげるまでは、安心できない。

 緊急事態は、何も外から急に迫ってくるのではない。盧溝橋事件などに見るとおりほとんどすべては日本軍がでっちあげて全面戦争に発展させた。歴史は繰り返す。
 昔は軍部や警察が怖かったから、何も言えなかったが、今は何を恐れる?死は何も怖くはないぞ。日本国憲法を踏みにじり祖国を再び敗亡の惨禍に引きずり込もうとする連中に何の遠慮がいるものか。 

4、自民党案の9条には確かに「戦争放棄」がはめられている。しかし、それには、アジア太平洋戦争の反省はひとかけらもなく、したがって、その9条の第2項の自衛権の規定、次条9条の2の第1項第2項の国防軍規定、さらに98条、99条の緊急事態宣言等によって、形ばかりの戦争放棄条項も完全に換骨奪胎されるのである。
 
 高知新聞には、自民党改憲案の98条・99条の緊急事態宣言の条項について言及していない。
 この条項は、自民党改憲案の核心に盛られた毒薬であって、これによって自民党は、侵略戦争開始とそのための場内平和のために国民の基本的人権の圧殺を一挙に達成しようとしている。
 なぜ高知新聞はこの条項の存在を問題にしないのだ。

5、最後に高知新聞社説は「私たちは憲法を「不磨の大典」とは考えていない。」、改正はいいが改悪はいけない、などという。
  要するに高知新聞は憲法改正はいいというのである。

 現行憲法は、特にその9条の存在によって「不磨の大典」となっている。
 確かにいろいろ物足らないものもあるであろう。しかし、国民主権と基本的人権がこれほど明確に確立されている憲法はほかにどこにもないであろう。足らないものは法令や判例で補えばよい。イギリスのように判例ばかりで憲法のない国もあるぐ
 らいだ。「…これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」という文言によって現行憲法の不磨性、至高性が明瞭に宣言されている。
 何よりも、国家として戦争放棄、非武装、の徹底した平和主義がその至高性を保証している。

 このような理念を現実の政治的方針として掲げる国はどこにもない。
 その素晴らしい不磨の大典の理念を、日本の昔の暗い「伝統」・・・戦争と圧政と差別と貧困の伝統に替えることは断じて許してはならない。それはダイヤモンドや金玉の宝石を、瓦礫と替えるに等しいのである。

6、自民党の改憲の動機は、表向きは現行憲法はアメリカによる押しつけだから、という事であるが、真実はその逆である。
 アメリカに、より一層隷従するために、アメリカの帝国主義的戦争行為に従軍するために、9条の廃止と国内整備が本当の動機である。そのことは安保法案の国会議論で全部明らかになった。日本のマスコミもわかったはずだ。

 アメリカに随従するために自国民を犠牲に供する。TPP参加も同じ目的だ。
 自民党の改憲策謀は売国行為であり、日本歴史上の恥部である。
 日本人民は、沖縄をはじめ日本を今なお占領し侵略している本当の敵は、アメリカ帝国主義であり、それに隷属を深めるために憲法を投げ捨てようとしている自民党の醜悪な姿を直視するべきである。
 
ただし、付言するが、戦争や武装の放棄は、それはあくまで国家段階のことであって、国民が圧政に対し又は外敵の侵略行為に対し武器を持って立ち上がることは禁止されていない。

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2016年1月12日 (火)

民主主義のかけら

News & Letters/454

すでに述べたように、日本の戦後民主主義もルソーが唱えた民主主義と比べ天地霄壤の差がある。

ルソーは、人民主権では、立法においては絶対に代表制を認めない。直接民主主義だ。
我々の民主主義は、立法も行政もすべて代表制であり、司法は完全な官僚制だ。
人民主権はほとんど政治屋に簒奪されたままであり、選挙の時一瞬主権を回復したと思う程度である。

わずかに残っているのは、言論の自由、集会結社デモの自由と地方自治法の住民監査請求・住民訴訟制度ぐらいであり、国や企業に対する損害賠償請求などの民事上の裁判もわずかに許される。

しかし、ここ裁判所でも、官僚化した裁判官の独壇場であり、権力に逆らう者は容赦なく切って捨てられる。

それでも、ある程度、権力者の腐敗を追及することはできる。追及しても投獄される心配はない。

それらはルソーから言えばほとんど民主主義のかけらというものだろう。そのかけらを利用する人は少ない。

人民主権のかけらを拾いながら、権力と渡り合うのは、私に残された仕事であり、そして、ルソーの理想に一歩でも近づく道である。若い人はもとより、お年寄りは特に、ただ一人でも住民訴訟を提起し、法廷で権力の不正を追及して吠えることができる。

何千、何万人もの人が立ち上がれば法廷は震えわななき、民主主義のかけらもガラガラ→ごうごうと地鳴りがして圧政を打倒する武器になるかもしれない。1人でも市民オンブズマンとなって直接民主主義を実践して戦おう。

今年もよろしく     2016年元旦

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2015年7月26日 (日)

国民の信託

News & Letters/425

憲法前文では国政は主権者である「国民の厳粛な信託によるもの」と謳われている。国民が政府に信託するものは第1に憲法やそれに基づく法令の実行であり、第2にはその時その時の国民多数の政治的意思である。

第1の場合には成文法であるから明瞭であるが、第2の場合のその時代その年度の国民の多数の願っていることについては、重層的で複雑である

普通考えられるのは選挙やアンケートなどで分かる世論であり、それに各種の社会運動や請願・陳情運動、司法の判断、マスメディア、雑誌などなどであろう。
仮に選挙で勝ったとしても、政策が全て支持されて当選しているとは言えない。
ほとんどが金権選挙である日本においてはなおさらである。

特定事案については様々な形で表れる国民多数の意思の動向を無視することは許されない。政権は、前にも言ったように政権を取ったものの意思を実行するためにあるのではない。選挙に勝つというのは、国民の信託にこたえる、国民の信託を実行する立場を確保したにすぎない。

このたびの戦争法案は、国民の大多数は誰にもこんなものを信託したわけではない。
安倍は、事の重大さがわかっていない。この法案で安倍は総理大臣として特定の国に宣戦布告の通牒権を取るということを意味している。

しかもその戦争は、敵国が仕掛けてくるだけではなく、自ら他国とともに戦争を仕掛けることも許される、というものである。ほとんど臨戦態勢だ。

選挙で国民の信託を実行するという立場を獲得しただけなのに、その国民の信託を放擲して、自分のけがれた血脈からくる好戦思想の呪いから、冷戦時代にくらぶればはるかに四海平穏な今日において新たな戦争を仕掛けようというのである。

全ては選挙制度、政府の存在の意義、民主主義をはき違えた所から始まっている。
市町村レベルでも国政レベルでも、政治を担うものは国民の多数の信託する意思を実行するのが任務であり、しかし実際には、安倍晋三らの様に政権を握ったら国民の支持率などどうでもよく、自分や自分ら政治的グループの意思を実行しても構わない、それが選挙で許されたのだという誤解が横行している。

以前はそれほどめだたなかった。岸信介の様に国民の意思をあからさまにないがしろにする政治はごく少なかった。
安倍らは選挙に勝てば、国民の多数意思実現の地位を取ったというのではなく、国民の首を取ったぐらいの途方もない誤解をしているのである。

私は憲法前文の国政の国民信託の趣旨、民主主義の根本的な原則を明確にする、安倍の様な誤解ができないような法の制定が必要であると考える。

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2014年7月 1日 (火)

憲法9条の思想

News & Letters/365

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安倍晋三は、違憲状態の選挙制度によって立法府を牛耳り、したがって行政府を握り、
このたびは憲法解釈変更で、司法権をも握った。

憲法や法律の解釈は司法の専権である。その権限をも干犯して三権を一身に集めた。
戦後、あるいは戦前戦後を通じて日本に初めて独裁者が登場したのである。
この独裁者の毒牙にかかったのは憲法9条だ。

所で、憲法9条はこの憲法体系の中で極めて異質なものである。
国家は本来権力体であり、その実質は暴力(武装)装置なのである。

その公然たる武装、暴力の行使権限は特に外敵に対処するという名目において
一般的に許容されてきた。

だが、憲法9条はそれを否定している。少なくとも外敵に対して無武装、無暴力を取っている。

これは西洋政治学のパワーポリチックスでは説明できない。
西洋政治学の中に忽然として東洋哲学が現れている感がする。

それは仏教的なのか道教的なのか、一種諦観の漂う、荘厳な響きをもっている。
憲法9条はそういう意味で最も日本的な思想であり、侵しがたい後光が射している思想である。

アメリカ追従の安倍ら反動勢力には到底受け入れられない。

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2008年9月 8日 (月)

リコール裁判についての考察

News&Letters 116/

東洋町の町会議員のリコール請求の裁判が進んでいます。次回公判は9月26日になっています。

三ヶ月ぐらいで判決を出すことになっているから、この際私がこれまで発表した見解をまとめ、原告、被告ら関係者やこの裁判に関心のある方々の参考に供します。公務員の参政権の一つである直接請求権に関わる重大な裁判であります。この種の事案についての考察ではこれが最も詳しいものです。

 リコール裁判の考察は以下のPDFファイル参考

「microsoft_word_saiban.pdf」をダウンロード

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2008年7月15日 (火)

リコール裁判の争点

News & letters 106/

いよいよ、東洋町町議会議員田島毅三夫にかかるリコール裁判が7月14日午後3時から始まった。
この事件は今年3月18日から始まった町議リコール請求という県下では戦後一つか二つしかない珍しい事件で、有権者の三分の一を優に超える署名が集まりながら、リコール請求代表者の中に町農業委員という特別職非常勤公務員が混ぜっていたというところから、町選管が署名簿全てを無効としたものである。
この裁判の争点は町選管が根拠としたのが地方自治法などの法令ではなくて、50年前の最高裁判例というところであり、それ以外何の説明もないという異例のものである。
最高裁判例を金科玉条としている。

*第1の争点は農業委員が請求代表者に入ってなされた署名収集が「法令の定める成規の手続き」に違反している」という判断である。
しかし、肝心の「法令の定め」とは何ぞや、と尋ねられたら、違反するというその「成規の定め」なるものが何か、幾多くの規定のジャングルを渉猟しても地方自治法にもどの法令にもそれが存在しない、というところに大きな問題が出てきた。
最高裁判例が摘示するいくつかの法令も農業委員など非常勤の特別職公務員が直接請求の代表にはなれないという、そういう規定は何も書いていないし、どんなに強意的に解釈しても最高裁判例などが言うように請求段階も住民投票段階でも直接請求では公職選挙法が全般的に適用されるとは解釈できないものであった。
むしろ、地方自治法の直接請求の章では、リコール請求段階と住民投票段階とでは法令の適用が明確に相違していること、請求段階では条例制定請求の手続きが準用される規定になっており、公選法は直接請求の投票段階で準用されるということが明記されていて、最高裁判例などは法令の構造自体を理解しなかったのではないかという疑問が浮かび上がったのである。
だから、農業委員は請求代表者になれないという「成規の手続き」に違反といってもその成規の定めとやらそのものが存在しない、ということになったのである。町の選管も住民に説明を求められて説明できなくなり、後で調べます、といったまま未だに返答がない。町の選管が雇った弁護士の答弁書を見ても、最高裁がこう言っている、という文言のみでいかなる法令に違反するのか答えられないのである。

この間、高知新聞が、地方自治法によれば農業委員は議員解職の直接請求代表者になれない、と断言口調で書いた記事があったが、住民等にそれは地方自治法や施行令の何処に書いてあるのですか質問されると、専門家ではないから分からないという始末であった。
法令というのは社会の規範であるから専門家でないと分からないという法令はそもそも意味がないのだ。逆に、地自法令をまともに読めば、農業委員や消防団員など非常勤の特別職公務員には議員解職請求の署名集めなどは禁止されていない、すなわち許されるということはすぐに読み取れるだろう。

法令に違反といってその法令とは何ぞやと問われて、わんかんないでは済むまい。

*最高裁判例を金科玉条にする態度も問題があろう。学者先生は元より、普通の弁護士に尋ねてみよ。最高裁といわず、下級審の裁判といわず、日本の裁判が如何にでたらめな裁判が多いか、
陪審員制の導入の一つの大きな動機には、専門の裁判官の狭量な非常識が横行している現実に対して、ブレーキをかけるという重要な問題がある。
日本の裁判に常識の支配が必要だというところから、陪審制の意義が出てくる。

裁判所の判例ではなく、まず第1は法令の規定が先でありそれに何と書いてあるかが最重要だ。そして次ぎにその法令の解釈がどうかというのが第2であろう。第2の段階で裁判官の解釈や事件への適用の可否が問われるのである。法令やその規定抜きの裁判官のただの判断や解釈だけで人や事件が裁かれたら大変なことになる。
最高裁の判例もそうであるが、選管委員長やその答弁書でも地自法第74条の3項第1号のいう「法令の定める成規の手続き」違反というが、それは一体何の法令の第何条の違反なのか、指摘することが出来ていないのである。
法令(成規の手続き)に違反しているから法令違反だという同義反復では人は納得しないだろう。
地方自治法の法律でも内閣が命令で決めたその施行令や規則でも農業委員が議員解職請求活動をしてはいけない、という規定は何処にもない。
署名収集が終わり署名簿を提出する請求段階では、基本的には誰でも許されている。
署名簿の提出を経過してその請求について可否を問う住民投票の段階では公選法が適用される、その場合には公務員(大方の特別職の非常勤の職員含む)の活動が制限され、直接請求の代表者として政治活動が出来ないという制限が課せられるというのが地方自治法の第五章各条項であり、それについての施行令なのである。今回の東洋町の場合は農業委員が関わったのは請求の署名簿を提出する寸前までであって、投票段階の公職選挙法が適用される以前のことであった。地自法の法令には何にも抵触する事実はなかったのである。


*そして、もう一つ重大な問題は、仮に、地方自治法の施行令で農業委員は直接請求代表者にはなれないと規定されていた場合はどうかである。
(念のため繰り返すが、そのようなことは施行令には規定されていないのであるが、数少ない判例ではそのように記述されていると信じているらしい。)
この場合法律で許されている国民の権利を内閣の命令に過ぎない施行令で制限することが出来るのか、という問題である。
法律は全て国会で審議され議決されねばならないというのが憲法41条の定めである。
国会で定められた国民の権利を、内閣の命令で取り消すことが出来るのか。そんなことが許されるとしたら、戦前の勅令のようなもので権力を握ったものが勝ちであり、何でもできる、議会の権能は無となり行政権力の専横がまかり通ると言うことになるであろう。
地方自治法の法律での規定では、直接請求は有権者であればできるとなっていて何も農業委員について禁じられていないのに、政令でもって、農業委員や消防団員などまで直接請求の権限を除外するというのは明らかに憲法違反であろう。
実際の施行令ではそのような規定は存在していないが、仮にそのような規定(政令)が存在したとしてもその規定そのものが憲法違反であり、無効な規定となるであろう。

東洋町の今回の裁判は1町会議員を議会から追放するかどうかというレベルを遙かに超えた。
特別職非常勤とは限らず公務員全般の参政権に関わる重大な裁判であり、時の内閣の恣意によって法律がゆがめられ国民の権利が奪われていいのかどうか、これを問う大裁判に発展している。

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2008年5月13日 (火)

行政手続法について

News & letters 92/

東洋町の田島毅三夫町会議員リコールの署名簿があろう事か無効にされた。
その事件を巡り町選管の事務のあり方が問われた。10数件の違法手続きが指摘されている。
就中、無効であるという選管が下した処分の内容について請求者たちへの説明である。

請求代表者に農業委員が入っていることで無効とするのかどうか住民側には大きな不安があった。
当初選管委員長は無効にしないという説明があった。住民はどういう状況か説明を求めて選管と話し合いをしていた。その席上突然その日5月2日に密かに選管の委員会を開き無効と決定していた、ことを認めた。住民は驚いた。そして当然説明を求め、理由を聞かせてくれと迫った。

しかし、選管委員と書記長らは、説明できない、今は分からない、その法令が見つからない(地自法の本をめくりながら)、などといって説明をしなかった。
行政処分にはその理由をはっきり示すことが義務づけられている。
処分をしたが、わからない、では処分にならない。

行政手続き法はそのために制定されている。住民側は説明を聞く権利がある。長い時間代わる代わる説明を求める住民の声があるが、選管委員長等は答えない。あげくには、私は貝になります、という。長時間深夜にわたって多くの住民が説明を求めたが、今は分からない、という。
農業委員が請求代表者に入っているから無効だ、という。それに対してそれはどんな法律に書いてあるのか教えてくれという。それは最高裁の判例にあるという。最高裁のどこに書いてあるのかと質問する。地自法施行令の116条だという。それは長の解職請求の投票の話ではないか、と反論する、そうするとまたそれは間違いだった、と答える、こんなくだらない問答が延々と続いた。
そうして最後にはほとんどの人が帰ってしまった。

選管が最後になってやおら出してきた無効処分決定書をみると、最高裁がどうのとか農業委員がどうだとかいう口頭で繰り返し説明をしていた内容とはまるで違っていた。町の選挙人名簿と照合すると1124名が全員効力がない者であることがわかった、という書類になっていた。残っていた数人の者がエエー、と悲鳴を上げて驚いた。署名者全員が有権者ではなかったというのである。選管委員長がぼそぼそいうのにはこれは法律の適用が間違ったようだな、とか。しかし、是正するということにはならない、という。

町長はこの説明会に途中から選管に呼ばれて出席した。町長も選管が無効決定したというのをこの夜初めて聞かされたのである。最初のうちの会話は知らないが、選管という行政機関としてのその無責任さと傲慢さ、不誠実さにはあきれるばかりだ。

選管は独立の行政機関だが、しかし、地方自治法によれば町長は全ての行政機関を統括しこれを代表するとなっている。行政委員会の重要な行事や決定事項は報告を受ける権利がある。まして、庁舎を管理する上において、また兼任職員を兼務させたり、特別に出勤させたりする上においてはいち早く報告され協議されなければならない立場にある。
その町長を出し抜いて、重要案件で関係住民に理由も説明できない決定を下したりして騒動を起こすことは許されない。長は役場全体が法令通りに運用され調整されて一体として機能していくように指揮統括する任務を負っている。選管が何をやっても良いというわけにはいかないのである。

町長は改めて行政手続き法の趣旨を庁内に周知させるために以下の通達を発した。ほとんど誰もこの法律を読んでいない。

「gyouseishobuntounituite.pdf」をダウンロード

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