青少年教育

2024年7月30日 (火)

Re: RE: 市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)その2

続 【不思議な部落問題』

この本の第二章の橋下徹に対する激しい部落差別攻撃の実態を追求した文章は極めて優れており、ノンフィクション作家の面目躍如としていた。

昔の私であれば、出版社に対して嵐のような徹底糾弾を加えていただろう。血統の匂いを嗅ぎまわるのは人間の営為ではなくけだものの所業だ。

そして、北芝地区での高校友の会の姿がちらほろ描かれているが、私にとって懐かしい。大阪府下の高校友の会(「高校生友の会」ではなく「高校友の会」である)の活動は戦後何波かの世代の解放運動の担い手たちだ。彼らは全国の狭山闘争の主な担い手だった。九州の高校生は、東京高裁への公判闘争に参加すれば奨学資金を切るぞ、と脅されても屈しなかった。

解放同盟大阪府連の教育担当であった私は、同和奨学資金を受給する高校生の組織化を任じられた。指示したのは府連書記長の西岡智だ。私は当時23歳かそこらであった。

一人で府下53部落すべてに入って奨学資金受給生の会合を持った。解放同盟の未組織の能勢や北摂,泉南方面まで歩いた。能勢では雪の降る山道を歩いた。
部落の高校生の多くは自分たちがどういう立場に置かれて生まれてきたのか初めて知ったであろう。大阪市周辺の部落の高校生は極めて活発であった。

当時の高校生の姿は大阪のNHK教育テレビで『部落高校生は語る』という題目で繰り返し放送された。矢田や浪速、寝屋川、東大阪の高校生が主体だった。いまから50年以上の昔のテレビだ。

当時解放運動は全国的に激しい差別糾弾闘争を繰り広げていたが巨額の予算獲得運動にのめりこんでく傾向が強く出ていた。私は、物取り主義に流れる傾向に抗して高校生に狭山の石川一夫に係る差別裁判を強く訴えた。行政闘争で予算を獲得することは大事であるが、部落問題は金で解決できない。差別と闘うことを繰り返し教えた。

私が作った「高校友の会」(「大学友の会」も作ったが大学進学者が少数であり不発に終わった)に集まった高校生たちは数年後には各地域のリーダーになり狭山闘争に参加した。私が解放同盟外に作った全国部落研や関西部落研は高校生が主体であった。「部落青年戦闘同志会」もそうだ。

角岡氏の本では、北芝の高校生が狭山の闘争に参加したかどうかは書かれていない。街づくりの企画や運動の話に流れているが、生き方や考え方が私とは相当違うようだ。
(続く)

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2019年11月 1日 (金)

身の丈

荻生田文化相の身の丈発言が顰蹙を買っている。
身の丈とは身分ということである。

身分(差別)をわきまえろという発言が日本の政府閣僚から出てくるとは。
かつてはそうだった。差別をわきまえろが大義名分論の中核だった。

だが、戦後部落解放運動などの発展で、差別だ という声に震え上がる時代が出てきた。
差別を受けてきた人々がほう被りをして往還の隅を歩いていた時代から堂々と出身身分を名乗り権利を主張する時代がやってきていた。やりすぎもあったが激しい糾弾闘争も歴史的には重要な役割を果たし社会の迷妄を切り開いてきた。戦前戦後の解放運動がなければ部落大衆は今のような扱いは受けられなかったであろう。

だが、近年解放運動の沈潜などで、ヘイトスピーチなどが横行し、差別だといってもその差別を開き直る連中が出てきた。ネトウヨだけでなく荻生田のような身分差別を当然視する政治家も出てくるだろう。

人ながら 如是畜生ぞ 馬牛の 河原の者の 月見てもなぞ
これは16世紀初めの「七十一番職人歌合」の中の一首である。

ある学者はこの歌は穢多・河原者の立場になり代わっての歌だ、として
(人間でありながら、このように馬牛なみの扱いを受けている者なれば、美しい月を見ても心が晴れぬ)という解釈を示した。(「部落史を読む」阿吽社発行)

私の解釈では、この歌は差別を受けた当人が詠んだ歌であろう。如是などというお経の言葉を使っているから僧体のものかもしれない。

初めの、人ながら如是(にょぜ)畜生ぞ という句には、同じ人間でありながら畜生同然の扱いぞ という激しい叫びともとれる断定的義憤がある。

後の句には、馬牛とさげずまれる河原者であっても、月を見ても人並みに美しと感ずる、
それなのになぜこのような仕打ちを受けるのだ、という胸を打つ強い抗議の声が悲しげに響いている。

現代の解放運動は、抗議の怒りの思いを持つ多くの部落民がいるのにこの学者らの解釈のようにその声を感傷的詠嘆でしか理解しない、そのような低調な運動に似ている。

部落民だけではない。多くの受験生には経済的格差が厳しい。有名高校や大学に入学する大半は裕福な家庭の子供たちだ。部落を底辺としながら、大多数の国民が身分的格差ともいうべき差別の中で苦しんでいる。

中世の賤民たちの心の怒りは数百年たってもまだ晴れない。

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2019年9月 3日 (火)

憲法第26条 義務教育

憲法第26条の規定は、

①子供たちが教育を受ける権利

②普通教育を子供たちに提供する保護者の義務

③義務教育の無償をうたっている。

③の無償は当然として、問題はこの教育が子供を学校に強制的に入学・通学させるということを意味しているか、である。

私は、子どもたちを朝から夕方まで学校に閉じ込めて教育を強制するのは憲法の趣旨ではないと思う。

不登校の問題、いじめ(差別)の問題、子供たちの自殺、知識の詰込みや試験、競争など子供たちのストレス。私は自分自身が振り返ってみてぞっとする。憲法23条には学問の自由も保障されている。小さな子供たちにも学問(学習)の自由は保障されねばならない。Compulsoryな教育ではなく、自由な学習が子供たちに保障されるべきである。

私は現在の小中学校の「義務教育」制度はいったん廃止すべきであると考える。どこで勉強してもかまわない、家や図書館で一人でまた友達と一緒に勉強してもいい、もちろん親や兄弟でもいいし自由に家庭教師についたりや塾に通うのでもいい、また、現在のような小中学校も存在させ希望する生徒を受け入れることもできる、特に音楽やスポーツなどのクラブ活動では学校があるといいだろう。そういう多様な教育環境(憲法が言う「普通教育」)が用意され、その学校で一応卒業資格のテストがあってもいいだろう。

学校があっても出欠を取らず、自由出席にすべきだ。
高校・大学へ入学する試験はあるからそれのための学習の場は、自由に選択できるようにすべきだ。

憲法第26条は何も牢獄のように子供たちを集め特定内容の学校教育を強制している趣旨ではない。

明治5年の学制の施行はそれなりの意味があったかもしれない。
しかし、子供たちへの圧迫は幾世代にもわたりその害悪はかりしれない。権力がこの教育制度を使って天皇制を叩き込み国民を侵略戦争に洗脳したのはその害悪の象徴だ。
現行憲法下でもそれは基本的に変わらない。教育現場に日の丸を持ち込み昔の教育勅語的教育をまで強制しようとする。

教室の授業の思い出は常に陰鬱であった。常に沈黙しておらねばならなかった。多くの部落の子は学校で始めて差別を体験する。

おそまきながら、今、憲法の趣旨を捻じ曲げて子供たちを苦しめてきた「義務教育」を考え直し、自由な学習の場、楽しい少年時代を子供たちに提供するべきであると思う。学問の自由の権利は学者先生だけでなく子供たちにもある。

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2018年2月 6日 (火)

相撲部屋の暴力

News & Letters/615
昨年の日馬富士の暴力事件以降、相撲協会の不祥事が相次いで明るみに出ている。
とりわけ暴力事件は相撲部屋ではモンゴル勢だけでなく日常茶飯事のようである。
貴乃花親方、貴の岩関自身も暴力を振るって力士にけがを負わせていたことも発覚している。
親方が弟子を暴力でたたきあげる。兄弟子が弟弟子を殴る。暴力に耐えられない者は相撲界を去る。これはどういうことか。それは「親方・部屋制度」に由来する。疑似家父長制をとるこの封建遺制では、暴力がその組織運営の原則だ。封建制度の基本を支えるのは暴力だからである。
武士階級が民百姓を支配しその生産物を横奪し搾取するのは暴力を槓桿としてである。
封建制度を支える暴力の支配は儒教の人倫の教えによって合理化され美化されるが、
本質的に暴力の貫徹そのものである。親方が父であり、入門者はそれによって養われるから、
親方は弟子のほとんど生殺与奪の権を握る。文句を言えば鉄拳が飛んでくる。
野球やサッカー、水泳、陸上競技など一般にスポーツの世界は暴力とは無縁である。
相撲界だけに目を覆うような暴力が横行しているのは、江戸時代から続く「親方・部屋制度」の封建的な家父長制に原因がある。
この際この暴力の巣窟である「親方・部屋制度」を解体しこれから力士を解放し、組織を近代化しなければ暴力沙汰はなくならないだろう。
相撲の興行によって得られる収入は最下級の新弟子たちにも給金として支給され、相撲協会が全体としてコーチを構え、けいこ場を運営し練習を保障するという制度に切り替えるべきである。
弟子たちは部屋を離れ、相撲協会の合宿所に住むなり、個々の住居に住むなりして親方、古参力士の鉄拳から自由にならなければ旧帝国軍隊のような相撲協会の暗いイメージは払しょくされない。
政府文科省は、働き方改革を言うのなら、力士の処遇の改善、暴力支配の職場の根本的(解体的)改革を提言すべきである。

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2011年4月 8日 (金)

続・電子黒板

News & Letters/235

私が東洋町へ来て、県教委に事業の押し付けを拒否したのは二つある。

一つはCRTテストだ。

これは純然たる業者テストであり、文部省や県教委がその通達で繰り返し禁止してきたものである。

業者テストの弊害がかまびすしく批判された時には禁止しておいて、何年かしてそのほとぼりが冷めたころまた、自らが業者テストを導入してきた。

このCRTテスト業者の顔ぶれは、文部省や教育関係の大学の元教員で天下り連中である。その連中が、全国的に都道府県教委を通じてこの業者テストの注文をとり、学校現場に半強制的にやらせているのであり、その費用の半額を市町村に負担させてきたのである。私はこれを拒否した。

拒否の理由1 業者テストは公教育の現場に持ち込ませない。公教育は、国と地方自治体・学校現場が責任を持ってやるのであって、営利業者の介入を許すべきではない。実力テストは文房具など教材ではなく、教育の内容そのものである。

学校でのテストは、公教育の関係者が自分が教えたことがどれほどの成果をあげたか、足らざるところは何かを検証するためであり、同時に子供たち自身が、自分の日ごろの努力の成果を確認するために行うのである。

CRTテストは現場と何の関係もない業者化した元学者や官僚どもが作成する(実際は誰が作っているかわからない)ものであり、そのテストを受けても、答案用紙もかえってこないし、正解も分からないという代物だ。正解を教える授業もない。
子供たちは、いくつかの解答例中から正解を選ぶというものであるから、半分ぐらいはあてずっぽうに答える。

そして間違った答えに望みをつなぐから、間違った答えを覚えてしまうということになりかねない。

そんなでたらめなテストをしてなんになる。この業者テストをするために1日以上の授業をつぶすことになる。
90時間ぐらいしかない各教科の授業にとって5時間以上も空費するのは大きな打撃だ。

昔、学力テストについては日教組が激しく抵抗し、裁判闘争までやってきた。それは権力の教育統制であり、学校間の競争をあおるものである。その精神を学校現場の先生は忘れたのであろうか。まして権力ならともかく、業者によって学校現場が支配されていいのであろうか。

いかなるテストもテストを作るのは、教えている教師たちだ。そのテストの採点をするのも教師たちだ。そのテスト結果を評価するのも教師でなければならない。そして子供たちは自分の解答した答案用紙を手にして、正解を教えてもらう権利がある。

もう一つ私が県教委の押し付けを拒否したのが電子黒板であった。

かつて私の塾生で特殊学級に入っている少女がいた。その子は挙措が激しくじっと座っていられないので学校で勉強にならない
というので私が預かった。私はその子をひざの上に乗せて一緒に九九を唱えながら勉強することにした。

数週間後、その子は九九を覚え、加減乗除ができるようになった。やがて、普通の教室に入り、成長して立派な職業人となった。当時、担任の女教師が私の塾へ来てどうしてこの子が勉強するようになったのか聞かせて欲しいといってやってきた。

私はその子をひざの上に乗せてこうやって一緒に教えたと答えた。
これは私の自慢話ではない。心意気だ。教育は先生と生徒の人間の交流であり、機械がこれに替わることはできないということなのである。

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2011年4月 7日 (木)

電子黒板

News & Letters/234

私のブログに対するコメントに答える。
電子黒板を断った理由。

電子黒板とプラネタリウムを同じレベルで考えるべきではない。
プラネタリウムは、映画だ。宇宙についての映画であって授業や教科書とはなれた映画鑑賞の時間だ。

そういう時間も必要だということだ。修学旅行と同じように普通の授業とは次元の違う話である。

黒板は、先生が手書きすべきものだ。
その子供たちに応じ先生が当意即妙に考え付いたことを紙や黒板に書いて、あるいは生徒自身に書かせて授業を行うべきであろう。教室では機械ではなく、先生と生徒の人間の交流が必要である。

教室での勉強は、基本は教科書である。子供らが勉学に立ち上がるのは先生の息吹であり、情熱だ。

現在、数学でも英語でも、教科書を満足に教えきられているものはほとんどない。
行事がいろいろあって、各科の授業の時間数が絶対的に足らない。
数学の教科書に載っている例題や練習問題を満足に解ける生徒は各教室に数名しかいないであろう。

各教室で、英語の教科書を、満足に声を出して読める生徒は何人いるだろうか。
読めない単語は一つ二つは覚えられるだろう、しかし、数百の読めない単語を覚えろといっても不可能だ。

字が読めない教科書について先生がいくら講釈しても頭には入らないだろう。
授業では、少なくとも字が読めるようにしていただきたい。字が読めたら家で自習もできるだろう。

国語でも社会でもそうだ。
教科書を繰り返し学習し、それに習熟して学問の骨格づくりをしなければならない。
読みの練習は音楽のようなもので、先生について何度も繰り返し発声練習をしなければならないのである。

分からないことは生徒一人ひとり違っている。つまづきは、一人ひとり違う。その都度、黒板や紙で絵解きをしてやらないといけない。電子黒板のような画一化された機械化授業では生徒のニーズにこたえられない。
手取り足取りで先生の熱い息吹が伝わるような授業でないと生徒の頭や心を動かすことはできない。、

授業では、教科書を徹底的に習熟させて欲しいのだ。映像として教科書の1頁1頁が頭に叩き込まれなくてはならない。
英語でも国語でも暗誦するくらいやってはじめて学問の基礎ができるというものだ。それがまったくされていないのが現状だ。

今の状況では、高知県下の小中高校生の学力が上がらない。
教科書を習熟させよ、プリントや副教材など他の余分な教材は教科書学習が完全にできてからやればよい。

教室では先生自身の声と、手や足をつかって教科書に取り組むべきだ。
教科書習熟の重要性がわからない人は一回自分が生徒になったつもりで学科について勉強してみたらどうだろう。

私は数十年生徒と一緒に教科書に取り組んできた経験でこういうのである。私がやっていた学習塾の生徒でも親にでも聞いてみたらよかろう。

だから、理科の実験とか、音楽や美術、体育などは別として、教室での授業で電子黒板だのテレビ学習だの何だの機械類は必要にないというのだ。

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2011年4月 4日 (月)

再議

News & Letters/233

国の緊急の交付金が出たので、これでプラネタリュウムなど理科の教育機材を購入しようと議会に提案したところ、全て否決されました。国からの交付金1500万円は喪失です。

これは昨年の年末、仕事納めの数日前に総務大臣の片山さん肝いりで作った「光を注ぐ・・・」という交付金のことです

この交付金の申請は翌月の1月4日が締め切りというものでした。
東洋町では特別な交付金が出た場合は大概地区懇談会や産業団体を集めた集会で説明会を開いてきましたが、今回年末の交付金はまったく時間的余裕がありませんでした。部内でこの特殊な交付金の性質を理解し、事業を検討する時間もろくにありません。公共土木事業や福祉事業、農林水産関係の事業などではなく、これまで日のあたらないもので大切な事業ということで
した。

 町議を開いて協議したけれど提案はなく、私が提案したのが図書とプラネタリウムや天文観測機器でした。
図書は年々予算を組んでいますが、自然科学系の機器類はまったく手を出すことはできないものでした。

年末年始の休暇をはさんでいるから実質上数日で決定しなければなりません。
議会など他にはかる時間がない場合は、首長は専決処分をします。実質上私は専決処分をして県庁にこの交付金の申請をしたわけです。しなければみすみす得るべき大きな財産を失うわけで、批判は免れない。

天体望遠鏡はもとより、今日では天井に映像するプラネタリウムも理科の機材としては重要なものです。
文部省の新学習指導要領にも、数回にわたってプラネタリウム活用の指示があります。

議会で審議をして決定した私たちの町の過疎計画にも教育機材の充実は挙げられています。

国の方針にも町の計画にも何の齟齬もありませんでした。

然るに議会は、わけのわからない理由で私の提案を拒否し、交付金で教育機器を購入するという事業費を抜いた修正案を可決し、これに対する私の再議も認めませんでした。

ここで問題になるのは、

①、天文観測などの理科機器の重要性についてどう考えるのか

②議会の理不尽な議決について法的に対抗手段が設けられていない現行の議会制度である。

①については、教育とりわけ自然科学教育に何の関心もない人には、議論の余地はないであろう。

②については、議会無答責ともいうべき議会制度を放置していいのかということです。

 戦前はほとんど国家は無答責で、国のやる事業で国民が被害を受けても何の弁償もされないということでした。

 だんだんに改められた来ていたが、戦後になって、憲法や国家賠償法で償われることになった。
 天皇が無答責であることは今も昔も変わるまい。
だが、現代、公の重大な行為をしながら無答責である存在がもう一つある。それが議会である。

どんな議決をしても基本的に責任が問われない。政治的責任はあるが、政治的責任というのはほとんど無責任と同義である。

 市町村の財産となるものを平然と放擲する議決をしても何の責任も問われない。

 福島県の海辺の村や町の議会が、原発を誘致する決議をして現在の悲惨な事故を招いても何も責任が問われない。

一番の責任者が免罪されているのである。A級戦犯が免罪されて、一般兵士が断罪されるのである。

 議会無答責は許すべきではない。この世に自己の行為についてあらかじめ責任が免ぜられているという存在はあり得べきではない。支出や財産処分についての議決については議決した議員にも応分の責任を負わせるべきであろう。

 それをいやだというのであれば、絶対的な現在の議決力を相対化するべきであろう。
同じように町民から選出され、大きな責任を負うていながら、最終的には無答責な議会に拘束され牛耳られている首長の現状は不合理である。現行の議決の効力を持つなら、議会もそれ相当の責任を負うべきであろう。

 たとえば今回の東洋町の場合、1500万円以上の交付金を失ったことについて、町民が議会や議員にその損害の賠償を求める訴えをすることができるように地方自治法を改正するべきではないか。

 もし、仮に首長が交付金を申請せず、得るべき財産を失った場合には、住民訴訟の対象とされるであろう。

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2010年3月19日 (金)

修正議案

News & Letters/182

 今朝の高知新聞に東洋町が当初予算を撤回して修正議案を出したことについて、大きく報道された。
議会審議の後、議案を修正することが異常であるかの如き取り扱いだ。

1、しかし、議会での審議の後議案を修正すること 
 は極めて民主的なことであって、そういう趣旨で記 
 事にするなら新聞として値打ちがあろう。
 修正することを異常扱いでは、この新聞はどっち 
 を向いているのか。良いことをしているのを非難 
 する、いわゆるけちをつけるという行為であって、
 社会の公器たるもののするべきことではない

、論議となり修正した内容について何の批評もな
  い。修正した箇所は

  ①お年寄りへ毎月5㎏の米の配給
  ②小中学校の修学旅行費用の助成金
  ③ホームセンターの人件費であった。

 高知新聞は意図的に②については何も書いていない。
③はべつにしても、①と②は画期的な事業であって、それ自体で全国ニュースになるべきものである。東洋町は昨年から保育園児(5㎏)から小中学高校生(10㎏)まで毎月米の配給を行ってきたが、さらに22年度からお年寄りにまでこれを拡大しようとしたのである。このことがどうしてニュースにならないのであろうか。今回は、75歳以上のお年寄り全員にと思ったが、委員の意見も無視しがたく低所得層に限ることにして減額修正をした。

 それでもお年寄りに米の配給制度は打ち立てられた。生活保護率全国一位、税の滞納率全国1位、高齢化率40パーセント以上、1600戸ほどの小さな町で、この3~4年間で生活保護の新規申請が200人を超すという地域では直接救護米を出すこともやむを得ない。借金を大幅に減らすなど健全財政をやっていて、その範囲内で出来る限りの手を差し伸べるは行政として当然なのである。

 室戸市の羽根町には、江戸時代の義士岡村十兵衛がまつられているが、彼は、窮民を救うために藩米の倉庫を勝手に開いて分配した、その責任を取って切腹したのであった。郷民はかれを神(鑑雄神社)としてあがめてきた。米の支給は貧しい市民を抱える市町村福祉行政の範となるものである。

 私が町長になる前東洋町議会は、全ての福祉行政を「全廃」するという前町長の福祉行政を支持していたのである。誰でもではなく支給の枠組みをつくれと言う議員の意見は道理の範囲の意見であるから、修正議案を出すことにした。それでもなお反対する議員がいるのはしかたがあるまい。
これまでの行政と正反対の突出した私の福祉行政にアレルギーを感じる人がいるのはむべなるかなである。

②の修学旅行への助成金も画期的なことで全国に先駆けた事業である。
修学旅行は強制的な正規の学校課程である。この費用の負担は保護者にとって過重であったことは、子供心にも分かっているはずだ。しかし、これまでの市町村教委はこの負担を無視してきた。
東洋町がこれに風穴を開けようとした。
私は、義務教育無償の憲法を掲げ、この修学旅行本人負担の悪習を破り、助成予算を押し通そうと考えていたが、議員の意見を入れて段階を踏んで進むことにし、減額修正した。

①②の事業の意義が何であり、それが全国の市町村にどのような影響を与えるかということは新聞として重大な関心事でなければならない。

 修正議案は、委員会審議ではいずれも可決となったことも高知新聞は記載していない。

 高知新聞の記事にはジャーナリストとしての矜持もヒューマニズムのかけらも感じられない。

 なんせ、さる1月17日、町議会選挙の開票場で、有権者以外入ってはならない開票場に他の記者たちと一緒に侵入し自ら大騒ぎをする不法行為をしておいて、会場が「騒然」となったという記事をでっち上げたほどの新聞であるから、これ以上言うべき言葉はない。

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2010年2月 2日 (火)

新議会お祝いのあいさつ

News & Letters/172

       平成21年2月1日    東洋町長澤山保太郎

 皆さんこんにちは

 さる1月17日の激しい町議会選挙を勝ちぬかれた皆さんに敬意を表するものであります。
この数年いろいろな面で東洋町の活性化の徴候が表れてきていますが、多くの候補者が今回の選挙に名乗りを上げて争われたことは、これも地域活性化の一つの表れではないか、と考えるところであります。町民を代表しまして皆さんにお祝いを申し上げます。

 現在、東洋町では、福祉と教育の充実、そして産業復興を目指して行財政活動をしてきていますが、前の議会のご協力や町民の皆さんのご協力によって相当な成果を上げてまいったと思います。

1、これまでになかった新しい福祉事業としては、

①福祉の分野:児童生徒への医療費の無償化の拡大(6歳未満を中3年生まで)
       お年寄りの医療費の無料化(85歳以上)
       インフルエンザワクチンの無料接種
       肺炎ワクチンの無料または半額接種
       在宅介護者への助成金の大幅増額(月5000円を3万円に)    
       有料福祉バスの無料化
       配食サービスの実質無料化
       デイサービスの半額化(1000円→500円)
       保育園児への米支給(月5㎏)
       保育園児への通所助成金月3000円(商品券)

② 児童生徒高校生への米の配給(月10㎏)
    教育教材費の町負担
    給食の完全実施

③ 資格取得への助成
     ヘルパー資格講習(1万5千円の実費だけ徴収)
     チェーンソウ講習(1万円徴収し8千円の商品券と昼食2回分支給)
     草刈り講習(5000円徴収し3000円の商品券と弁当支給)
     自動車運転免許講習費用(10万円助成)

新年度はこれにさらに加増して

①75歳以上のお年寄り全員に毎月米5㎏支給。
②出産祝い金、妊婦助成金 などの支給を計画しています。
③また、大学進学の奨学資金の復活、高校生への通学助成金も計画しています。
④小学校・中学校の新入生への入学助成金
⑤さらに保育園児への通所助成金の上乗せ。
⑥デイサービスの完全無償化
⑦配食サービスの人数拡充
⑧また、小型船舶操縦資格取得にも助成金を用意しています。
⑨男性に多い前立腺がんの早期発見無料検診も実施する予定です。
 新しい計画につきましては当初予算の議会審議でよろしくお願い申し上げます。

2、産業復興事業

 産業復興事業は容易ではありません。野も山も荒れています。米、ポンカンなどの農産物も価格の低迷で収入が上がっていません。漁業も同じく低価格で苦しんでいますが、紺年あたりは漁獲そのものが落ち込んでいます。町内外の土建業も廃業や事業縮小で失業者が多く出ています。職を失って都会から戻ってくる人もいます。これは、高知県だけではなく全国的傾向ですが、東洋町のような小さい町へしわ寄せは一層厳しいものがあります。
したがって町の税収も大きく打撃を受けています。

 こういう中で、昨年「海の駅」を立ち上げています。生産と販売の拠点を白浜ビーチに建設し、昨年1年の試運転では4千万円、今年度本格営業では1月現在すでに9500万円を超え、集客数も10万人を超えています。水産物と農産物の拠点としてもっと大きく発展させる必要があると考えています。

 国の失業対策事業もできる限りとりいれ、間伐・ホームセンター、農耕、ゴミ処理、介護サービスの分野等に展開しています。これらを採算・自立化ペースに乗せるのは大変な努力が必要でありますが、国や町の助成で何とか維持・推進していきたいと考えています。

漁業では、古い設備の整備のしなおし、冷凍施設の導入などを鋭意推進していますが、
漁家経営の悪化に対する対策、助成の必要性も検討課題に挙がっています。

 農業では、水路、農道などの基盤整備が遅れている。また、米などの地産地消により、農家の収入を支える事業も進める必要があります。後継者がなく農地・果樹園がいながら放置されるという状況が拡大しています。町は、有害鳥獣の駆除や、防柵ネット、開墾費や機械代金などへの資金援助を強化していますが、いまひとつ効果が上がっていません。若者を募って農村に定着できるよう施策を立てるなど抜本的な対策が必要であります。

 林業は現在まったく採算が取れない状況ですが、ホームセンター事業や、木質バイオマス事業を推し進める中で、林業自立の契機を作っていきたいと努力中であります。
また、町有林では、炭やシイタケの原木、しきびなどを植えたり、油をとるアブラギリを植樹していきます。東洋町は薪や炭など木質バイオのエコ産業を活発に推進します。

 商工・観光面では、地の利を生かしたサーフィンと海水浴がありますが、キャンプやホテル・民宿、さらに海の駅の集客と合わせ毎年数十万人の来客があります。大勢の来客に対するサービスを向上させ、地元に落ちる金を増やさねばなりません。
 自然休養村の改装整備・温浴施設の設置、青少年旅行村の再開、ホテル経営などをてこに観光業の一層の発展を図る所存であります。
商工会と提携して地域商品券も役場の給付金や補助金をもってこの2年間で数千万円普及しました。

 また、市町村ではほとんど存在しない生活支援・企業運転資金の貸付制度も設けています
これら産業復興のひとつの強力な起爆剤として、リボルト社を拡充し、事業を増やし、雇用を拡大していかねばなりません。リボルト社は民力を主力にしますが、町の一定の統制下に置いておく必要があります。

3、公共施設の整備

 学校施設など老朽化している公共施設の整備、町道や農道・林道など道路の整備、また、各地に津波避難高台の構築、橋の補強を急がねばなりません。
 教育委員会では、この1年で県下最低であった学校の耐震補強を完了します。ただ、野根中学校の校舎がこれ以上使用に耐えないというところから、中学校の統合は避けられないという結論が出ています。また園児の激減による保育所の統廃合も検討課題になりつつあります。現状のまま放置することはできません。

4、行財政の一層の効率化、役場の戦闘力の強化

 福祉・教育の一層の充実と公共施設の整備、そして、困難な産業の復興のためには大きな資金が必要であります。そのためには、行財政の経費を節約し、同じお金でも町民のための多くの施策が遂行できるようにしなければなりません。
 雇用場所の少ない東洋町では、役場の人員を削減するわけにはいきません。そのかわり、大いに働いてもらって東洋町の福祉と産業復興のための大きな戦闘力として効果を発揮していただかねばなりません。長年続けてきた町職員の給料のカットも一切やめました。
臨時職員や派遣職員の賃金も増額しました。包括センターの派遣職員は全員町職員になって頂きました。

財政:

 借金はこれ以上増やさない→減少させる、基金はなるだけ取り崩さない→少しでも増やす、というのが私の町政の大きな方針であります。
 今年度末で新町政になってから3年間で約10億円ほど減少させてきましたことは、前の議会のご協力、役場職員の努力の結果であります。

 平成22年度これから1年間は学校の整備事業などが集中したり、政府の財政特別債が大きく増大した関係で、あまり借金の削減はできませんが、事業を効率よく推進できれば相当な余剰が出てくると考えています。たとえ1000万円でも借金を減らし、基金に上乗せができればという考えで行政を厳しく推進してまいる所存でありますので、新しい議員皆さんのご協力とご鞭撻を伏してお願い申し上げます。

 課題は山のようにあり、資金や力は小さい。押し寄せる不況と産業の衰退、人口の高齢化に抗して、我々は奮闘しなければなりません。ふるさと東洋町を守るため議会と執行部が一致団結してこの困難にたちむかわねばなりません。
私もあと1年ばかりの任期を死力を尽くして働きたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。

今後の課題

1、税、新築資金貸付金等の滞納整理

2、健康行政推進、国保会計・介護会計の支出抑制

3、産業基盤の整備、新規起業による雇用の拡大

4、中学校の統合、保育所の統廃合の検討

5、エコ・エネルギーの開発・導入

 これらの諸課題は、一朝一夕には達成できませんが、町民が協力し合って一歩一歩成果を追求して行かねばなりません。

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2010年1月 4日 (月)

1月3日東洋町成人式の挨拶の趣旨

News & Letters /166

皆さん新年明けましておめでとうございます。
そして、本日、成人式を迎えられた皆さん、重ねておめでとうございます。
20年間、新成人の皆さんをはぐくんで頂いたお父さん、お母さん、地域の皆さんや、学校の先生方に深く感謝致します。誠にありがとうございます。
さて、新成人の皆さんに私の方から挨拶をということですので、お祝いの言葉を二三述べさせてもらいます。

1つは、新成人の皆さんには、私たちの世代の犯した失敗を繰り返さないようにして頂きたいと言うことであります。
第一には、地球温暖化の問題であります。

これは私たちの世代が、現在も進行中の大きな負の遺産として、皆さんの肩に背負わせてしまうものであり、慚愧に堪えない事実であります。私たちの安楽な生活のために地球の生態系を破壊し、南極や北極の氷も溶かしてしまい、人類存続も危うく、これを抑制することも困難な状況に立ち至っている事実であります。これは我々世代が犯した過ちであり皆さんに繰り返してもらいたくないことであります。
私たちの誤りの第二は、日本国の膨大な借金の山のことであり、現在も膨張でありますが、この借金を全部皆さんに背負わせなければならないということであり、我々が大いに反省する過ちであります。

国家の財政は破綻状態であり、市町村分も含めると1000兆円を越える巨額の借金を背負い、なお加速度的、雪だるま式にふくらみつつあります。この放漫財政を続けるなら遠からず国家社会が破局を迎えることは避けられません。
東洋町の財政は、どんどん借金を減らしていっていますが、日本全体では残念ながら、私たちの世代があなた方の世代に残す負の遺産は余りにも大きく、誠に申し訳ない次第であります。

しかしながら、この様な暗いま中にも、私は敢えて皆さんに、坂本龍馬のような人間になって欲しいと希望します。自分の利害の計算だけで生きていくのではなく、理想に向かってまっしぐらに進んでいくという人生を送って頂きたい。
明日からNHKで龍馬伝の放映が始まります。
坂本龍馬は、一介の浪人であります。

何の後ろ盾もなく、たいした身分でもない、脱藩した草莽(そうもう)の志士に過ぎません。
そんな坂本龍馬が時代を動かしたのは、彼の高い理想と、それを実現しようとした行動力だけであります。日本を植民地にしてはならない、列強に伍した近代国家を作ろうという龍馬の理想が、幕末雄藩の豪傑たちの心を動かしたのであります。、
諸君も、本日の成人式を期して、心を洗い身を清めて、理想の道をまっしぐらに歩んでください。
家族はもとより、私たちふるさと東洋町は、皆さんの行く手を見守っております。

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