生涯学習

2011年4月 8日 (金)

続・電子黒板

News & Letters/235

私が東洋町へ来て、県教委に事業の押し付けを拒否したのは二つある。

一つはCRTテストだ。

これは純然たる業者テストであり、文部省や県教委がその通達で繰り返し禁止してきたものである。

業者テストの弊害がかまびすしく批判された時には禁止しておいて、何年かしてそのほとぼりが冷めたころまた、自らが業者テストを導入してきた。

このCRTテスト業者の顔ぶれは、文部省や教育関係の大学の元教員で天下り連中である。その連中が、全国的に都道府県教委を通じてこの業者テストの注文をとり、学校現場に半強制的にやらせているのであり、その費用の半額を市町村に負担させてきたのである。私はこれを拒否した。

拒否の理由1 業者テストは公教育の現場に持ち込ませない。公教育は、国と地方自治体・学校現場が責任を持ってやるのであって、営利業者の介入を許すべきではない。実力テストは文房具など教材ではなく、教育の内容そのものである。

学校でのテストは、公教育の関係者が自分が教えたことがどれほどの成果をあげたか、足らざるところは何かを検証するためであり、同時に子供たち自身が、自分の日ごろの努力の成果を確認するために行うのである。

CRTテストは現場と何の関係もない業者化した元学者や官僚どもが作成する(実際は誰が作っているかわからない)ものであり、そのテストを受けても、答案用紙もかえってこないし、正解も分からないという代物だ。正解を教える授業もない。
子供たちは、いくつかの解答例中から正解を選ぶというものであるから、半分ぐらいはあてずっぽうに答える。

そして間違った答えに望みをつなぐから、間違った答えを覚えてしまうということになりかねない。

そんなでたらめなテストをしてなんになる。この業者テストをするために1日以上の授業をつぶすことになる。
90時間ぐらいしかない各教科の授業にとって5時間以上も空費するのは大きな打撃だ。

昔、学力テストについては日教組が激しく抵抗し、裁判闘争までやってきた。それは権力の教育統制であり、学校間の競争をあおるものである。その精神を学校現場の先生は忘れたのであろうか。まして権力ならともかく、業者によって学校現場が支配されていいのであろうか。

いかなるテストもテストを作るのは、教えている教師たちだ。そのテストの採点をするのも教師たちだ。そのテスト結果を評価するのも教師でなければならない。そして子供たちは自分の解答した答案用紙を手にして、正解を教えてもらう権利がある。

もう一つ私が県教委の押し付けを拒否したのが電子黒板であった。

かつて私の塾生で特殊学級に入っている少女がいた。その子は挙措が激しくじっと座っていられないので学校で勉強にならない
というので私が預かった。私はその子をひざの上に乗せて一緒に九九を唱えながら勉強することにした。

数週間後、その子は九九を覚え、加減乗除ができるようになった。やがて、普通の教室に入り、成長して立派な職業人となった。当時、担任の女教師が私の塾へ来てどうしてこの子が勉強するようになったのか聞かせて欲しいといってやってきた。

私はその子をひざの上に乗せてこうやって一緒に教えたと答えた。
これは私の自慢話ではない。心意気だ。教育は先生と生徒の人間の交流であり、機械がこれに替わることはできないということなのである。

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2011年4月 7日 (木)

電子黒板

News & Letters/234

私のブログに対するコメントに答える。
電子黒板を断った理由。

電子黒板とプラネタリウムを同じレベルで考えるべきではない。
プラネタリウムは、映画だ。宇宙についての映画であって授業や教科書とはなれた映画鑑賞の時間だ。

そういう時間も必要だということだ。修学旅行と同じように普通の授業とは次元の違う話である。

黒板は、先生が手書きすべきものだ。
その子供たちに応じ先生が当意即妙に考え付いたことを紙や黒板に書いて、あるいは生徒自身に書かせて授業を行うべきであろう。教室では機械ではなく、先生と生徒の人間の交流が必要である。

教室での勉強は、基本は教科書である。子供らが勉学に立ち上がるのは先生の息吹であり、情熱だ。

現在、数学でも英語でも、教科書を満足に教えきられているものはほとんどない。
行事がいろいろあって、各科の授業の時間数が絶対的に足らない。
数学の教科書に載っている例題や練習問題を満足に解ける生徒は各教室に数名しかいないであろう。

各教室で、英語の教科書を、満足に声を出して読める生徒は何人いるだろうか。
読めない単語は一つ二つは覚えられるだろう、しかし、数百の読めない単語を覚えろといっても不可能だ。

字が読めない教科書について先生がいくら講釈しても頭には入らないだろう。
授業では、少なくとも字が読めるようにしていただきたい。字が読めたら家で自習もできるだろう。

国語でも社会でもそうだ。
教科書を繰り返し学習し、それに習熟して学問の骨格づくりをしなければならない。
読みの練習は音楽のようなもので、先生について何度も繰り返し発声練習をしなければならないのである。

分からないことは生徒一人ひとり違っている。つまづきは、一人ひとり違う。その都度、黒板や紙で絵解きをしてやらないといけない。電子黒板のような画一化された機械化授業では生徒のニーズにこたえられない。
手取り足取りで先生の熱い息吹が伝わるような授業でないと生徒の頭や心を動かすことはできない。、

授業では、教科書を徹底的に習熟させて欲しいのだ。映像として教科書の1頁1頁が頭に叩き込まれなくてはならない。
英語でも国語でも暗誦するくらいやってはじめて学問の基礎ができるというものだ。それがまったくされていないのが現状だ。

今の状況では、高知県下の小中高校生の学力が上がらない。
教科書を習熟させよ、プリントや副教材など他の余分な教材は教科書学習が完全にできてからやればよい。

教室では先生自身の声と、手や足をつかって教科書に取り組むべきだ。
教科書習熟の重要性がわからない人は一回自分が生徒になったつもりで学科について勉強してみたらどうだろう。

私は数十年生徒と一緒に教科書に取り組んできた経験でこういうのである。私がやっていた学習塾の生徒でも親にでも聞いてみたらよかろう。

だから、理科の実験とか、音楽や美術、体育などは別として、教室での授業で電子黒板だのテレビ学習だの何だの機械類は必要にないというのだ。

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