マルクス・ノート

2017年1月 6日 (金)

クラゥゼヴィッツ「戦争論」

News & Letters/544

本多延嘉氏の暴力革命論は、結局クラウゼヴィッツの『戦争論』に行き着く。本多氏はクラウゼヴィッツの『戦争論』を高く評価する。
本多氏の共産主義者第23号の論文(「戦争と革命の基本問題」)はクラウゼヴィッツの焼き直しであろう。

ナポレオン時代のこの『戦争論』については、今も世界中の軍人や政治家がほめそやす。
それを最も称賛したのはヒットラーである。問題は、エンゲレスとレーニンがこれを高く評価している点である。

マルクスがこれをどう評価したかについては、私は未だ知らない。
結論から言うと、反戦運動をしてきた私は学生時代からこのクラウゼヴィッツの戦争理論を評価しない。

なぜか。この書は、徹頭徹尾戦争肯定論である。戦争(暴力)は政治の継続であるとしたが、逆に言えば政治は戦争の継続という位置づけだ。
それは外敵だけでなく内部の敵対勢力・民衆にも向けられた国家の暴力の正当化の論理である。

マルクス宛の手紙ではエンゲレスの評価は、この戦争理論はあたかも商取引と同じであると理解しているから、プロレタリアートの理論として評価しているようには見えない。レーニンの評価は、戦争は政治の継続であるというクラウゼヴィッツの主張を特に評価している。

レーニンは経済学や軍事的戦略家としては素晴らしい能力を発揮した。しかし、マルクスの経てきた哲学(特にフォイエルバッハを媒介としたヒューマニズム)の思想は探求した後がない。だから我々は、マルクス・レーニン主義であって、レーニン主義ではない。

レーニンはパリコミューンの総括で、二つの欠点を挙げた。その一つが武装したプロレタリアートの「寛大さ」であった。

確かに反革命のヴェルサイユの政府を打倒しなかったのはパリの労働者の最大の失敗であるが、しかし、それはプロレタリアートの「寛大さ」とは関係がないと思う。プロレタリアートの「寛大さ」はプロレタリアの本性であり、革命の性格から発したものである。
クラウゼヴィッツは、近代戦争の性格は、いろいろな事情で緩和されるとしても原理的には敵勢力のせん滅にあると主張する。皆殺し理論だ。

反戦の旗を掲げてきた我々は、クラウゼヴィッツの『戦争論』とは全く違った想念で現代の戦争に立ち向かってきた。
国のため、民族のための一切の戦争を認めない。外敵に侵入されるときブルジョワジーは敵に国土と人民売り渡すことも辞さないだろう。

自国のブルジョワジーであれ、他国の外敵であれ、われわれは、それらを撃退するプロレタリア革命を遂行するだけである。
プロレタリア革命を達成するには、それだけに頼ることはできないが平和的手段が使える場合は、できる限りそれを使わねばならない。

しかし、結局は武装闘争の修羅場をくぐらねばならないということは片時も忘れてはならないし、その準備を怠ってはならない。

ドイツの戦争扇動詩人シラーの熱情が込められたクラウゼヴィッツの『戦争論』(その行き着くところはヒットラーナチスであり、軍国日本)の根底的拒否がマルクス主義の出発点でなければならない。クラウゼヴィッツの戦争肯定論に根差した本多氏の暴力革命論もきっぱりと拒絶されねばなるまい。

クラウゼヴィッツの戦争理論についてさらに考究して行く。

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2017年1月 3日 (火)

続 革命と暴力(2)

News & Letters/544

現在の日本や世界の情勢は、混迷を深め収拾の目途が全く立たない。
戦争や核兵器の問題にしても、原発の問題、労働者の過重労働と低賃金、原発以外の環境公害問題、差別や迫害・・・・どれも深刻化し、拡大している。
独裁体制の社会ではもとより民主主義政治体制の社会でも、真に民主的に人類の課題を正しく解決できる糸口も見えない。

反体制の大衆運動や革命を目指す諸党派の内部でも、思いあがった指導者が、独善的な運営をしてやまない。
人類を救う正しい政治思想、正しい革命の手法は何か、我々は全力を挙げて研究し討論を深めなければならない。

現在の世界を覆っている資本主義体制を打倒し、新しい人間中心の平和な社会を構築するのはどうしたらよいのか。
回答:プロレタリア革命。確かに圧倒的大多数で社会の生産を担っている労働者大衆が決起する以外にないことは間違いない。
プロレタリアートが決起した際、現行の議会や官僚組織を使って革命の課題を遂行することは到底期待できない。

必ず現体制を擁護している警察、軍隊、裁判所、監獄などの暴力装置がそのプロレタリアートの前に立ちはざかる、ということも確実である。
このブルジョワジーの暴力の発動を阻止するためには武装したプロレタリアートがその暴力装置を暴力的に破壊しなければならない。これも間違いない。
暴力の行使がどの範囲にまで及ぶかは、敵の出方次第である。

我々はこのプロレタリアートの武装蜂起と暴力の行使について初めから予定し準備するものでなければならない。

だが、だからといって、プロレタリアートによる、ブルジョワ体制を転覆し社会主義を目指す革命を暴力革命というべきではない。
敵の暴力装置を破壊する行為は確かに実力行使であり暴力の行使であるが、その暴力はプロレタリア革命の本性を表現するものではなく、革命を生みだす際の助産婦的な意義を持つにすぎない。

革命の母体と生まれた主体は人間であって、時には、ほとんど助産婦の手を煩わすことはない場合もある。
70数年前、高知県の吉良川町の西灘部落で、実際私は産婆さんが来る前に一人でこの世に出てきたということだ。

革共同中核派の最高指導者であった本多延嘉氏の『共産主義者』第23号の論文「戦争と革命の基本問題」は、革命的転変の折に暴力の行使の具体的内容についてはほとんど記述せず、「プロレタリア革命の暴力性」すなわち、「プロレタリア暴力革命」について論ずる。

本多氏はいう
『もともと共産主義革命の暴力性の根拠は、プロレタリアートによる「ブルジョワ的私有財産の専制的侵害」(マルクス『宣言』)のもつ決定的な意義に規定づけられている。』
しかし、そうだろうか。
「共産主義革命の暴力性の根拠」が「ブルジョワ的私有財産の専制的侵害」に求められるのであろうか。

ブルジョワ的私有財産の労働者階級の共有財産化は、プロレタリアートによる権力奪取の後で遂行される最も重要な課題だ。

その時点では、ブルジョワジーの武装解除がなされプロレタリア大衆による民主主義の体制が達成されているから、それは、暴力過程ではなく、社会の圧倒的多数の多数決によって民主的にかつ平穏に遂行される。「専制的侵害」といっても独裁者による専制ではない。プロレタリアートの暴力の行使は、敵権力を打倒し敵権力の暴力装置を破壊するときだけである。

ブルジョワ財産への「侵害」といっても、本来的な侵害ではない。プロレタリアート大衆にとっては当然の回復行為にすぎず、きわめて人間的行為である。
また本多氏は言う、『暴力はプロレタリアート人民の革命的共同体、偉大な世界史的事業を達成する能力を回復するための不可欠の表現形態である。』

この文章は前後二つに分かれている。前の「暴力はプロレタリアート人民の革命的共同体」の文章は、どこへつながっているのか、どこにもつながっていないのか不明である。
後の①・・・ための不可欠の表現形態 につながるのか②・・・を達成する能力を回復・・・・につながるのか、それとも、後のどこにもつながれず独立しているのか、すなわち、暴力は・・・革命的共同体であり、という文章なのか不分明である。しかし、いずれにしても暴力が敵権力を破壊するということよりも、プロレタリアート人民や革命的共同体の本性を形成する上で重要だということである。

そして、本多氏はいう、
『暴力は革命の助産婦である、というとき、革命の担い手と革命の助産婦である暴力の担い手が統一されていることを無視して、あたかも暴力が革命の外部にあって、それが革命をとりあげるように考えるのは、暴力革命に対する許しがたい反革命的敵対の理論である。』

革命の担い手と暴力の担い手が同じプロレタリアートであることは自明であるが、本多氏はその同じというのを「統一」という。

革命の動乱の中でプロレタリアートがするべき課題はたくさんある。敵権力を封殺するための暴力の行使もその一つである。だが、プロレタリアートの任務は、それだけではない。
革命遂行の行為に本命とするものとそれを補完したり助けるものと重要性において差等があるのは当然である。敵権力を暴力で打倒することは最大限重要であると位置づけたとしても暴力の行使が革命の本命ではない。敵を打倒するという暴力行為も革命行為の一つであり、「助産婦」という表現はそれを最小限に抑えようという「表現形態」である。

暴力助産婦論は、何も暴力がプロレタリアートの外部にあるといっているのではない。ここではむしろ、本多氏の助産婦論排撃の意図がマルクスやエンゲルス批判であり、プロレタリア革命がプロレタリアートだけでなく、農民やプチブルジョワ連中に対する説得と合意の獲得(宣伝工作)が最も重要な課題であることを無視し、革命運動の党派や大衆運動の中で異論を唱えるものを片っ端から糾殺する理論を作り上げようとしたところにある。

中核派の「革命軍」の主要な標的はブルジョワ権力やその手先ではなく、党派や自分の言うことを聞かない活動家に向けられていたということは、本多氏の論文の当然の帰着であり、それこそが「反革命的敵対の理論」であろう。自分も又、60年代から70年代にかけて本多氏の下でその部下の一員として活動して、この本多暴力論を読んでいたが、当時はよくわからなかった。

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2016年12月30日 (金)

続 暴力と革命

News & Letters/543

プロレタリアートが革命情勢の中で、権力を奪取するためには、その統治機構を「暴力的に転覆」する必要がある、とマルクスは『宣言』で書いた。
だからといって、本多氏の唱えるようにプロレタリア革命が本質的に暴力主義革命ということにはならない。

本多氏は、人間の歴史の根源から、すなわち原始共同体の時代から共同体の意思の形成過程も含めて社会そのものが暴力によって作られてきた、プロレタリア革命も「プロレタリア暴力革命」であり、プロレタリアートの共同意思の形成・権力の奪取、革命の遂行の全過程が暴力の貫徹過程というとらえ方をする。

権力と渡り合う闘争だけでなく、党派闘争はもとより人民内部の革命運動の組織活動もまた暴力過程に位置づけられるというのである。
暴力はすでに革命の助産婦ではなく、革命の本質であり、「規範」でもある。

しかし、レーニンが『国家と革命』で高く評価したマルクスのパリコミューンの描写(『フランスにおける内乱』)では、全くそのようなものではない。
『フランスにおける内乱』の第2章や第3章をつぶさに見ればわかる。その一節を以下引用するが読者はこの際その本を読むべきだ。

”3月18日からヴェルサイユ軍のパリ進入まで、プロレタリア革命は、「上流階級」の革命に、ましてその反革命にふんだんに見られる暴力行為を、まったくともなわなかったので、ルコント、クレマン・トマ両将軍の処刑と、ヴァンドーム広場事件と除けば、その敵が騒ぎ立てる材料となるような事件はなにも起こらなかった。”

悪逆無道な両将軍の処刑や、ヴァンドーム広場事件についてやむを得ない理由を述べながら、マルクスは、パリコミューンでのプロレタリアの「寛大さ」、「武装した労働者の雅量」をむしろ強調している。パリコミューンはもとより一時的な達成物にすぎなかったし、プロレタリアートも未成熟であったが、ブルジョワ的な常備軍や官僚機構、議会が廃止され真の民主主義(Representative democracyではなく Direct democracy)が徹底された。

革命的転変の中で激しい市街戦などで死者が出るとしても、殺戮そのものが目的でもなく、あくまでも暴力そのものは革命の助産婦であり必要悪にすぎない。

プロレタリア革命は、すでに現体制の中にはらまれ、支配階級の桎梏のもとに抑圧された、人間本来の自由・平等への意思の実現、労働の解放を通じて人類の再連帯を勝ち取る運動であって、そのはじめに、敵の暴力装置を破壊し(この時暴力の行使もひるまない)、革命を守るために武装蜂起が必要なのである。

憎しみと復讐による、あるいは「規範」とまで高められた暴力の解放行為ではない。

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2016年12月25日 (日)

革命と暴力

News & Letters/542

革共同中核派の関西派が84年三里塚闘争での第四インターへの当時の中核派のテロ攻撃について自己批判した、という。

また、「革共同の敗北」という本で、中核派の元再考幹部らも同様な反省を示した。
しかしもとより、その自己批判は不十分であろう。第一、犠牲者に対する謝罪と賠償はどうするのか、

暴力をふるって半殺しにしました、それは間違っていました、という総括だけですむわけではない。
犠牲者のところへ行って頭を下げ、できる限りの償いをするのが人間というものだ。
しかし、反省は、そんな次元にとどまらない。

①、唯我独尊的な前衛党意識の問題
②、暴力論(とりわけ本多延嘉の「共産主義者第23号」の「戦争と革命の基本問題」での暴力論)の問題
③、糾察隊の組織と実践
これらについて根源的な反省をしなければ、中核派の歴史的な敗北は総括されえない。
①、②、③、 の誤りを具象化した人物は今も組織の中でひそかに生き続けている。私もこの連中の組織した糾察隊の餌食にされたのである。

ここでは、②の本多論文の暴力賛美論について論じる。
本多の暴力論は、マルクスが言う、暴力は革命の助産婦である、などという次元を超えて、暴力の発現が革命そのもの、革命とは暴力の行使だ、プロレタリアートは暴力の権化だととらえた。

これは暴力論としては画期的であり、恐るべきものである。資本主義以前の階級社会では、人民は武装しなければ自己を防衛し人間としての尊厳と理念を実現できないことは確かだ。
しかし、武力によって他を圧倒し自己を暴力体として我意を支配的に社会に打ち立てるというのは常軌を逸脱している。

暴力や武力は社会変革や組織拡大のの手段であり助産婦的なものであって必要悪なのだ。殴りあったり憎悪したりすることはあっても社会変革の基本は大衆的な合意の獲得であり、同意を原則とした組織活動であって、異論を唱える者を暴力的に抹殺することは論外なのである。プロレタリアが武装するのは、常時武装した敵権力の暴力に対抗し、権力を奪取するためである。

不必要に暴力を振るい、敵を殺戮する必要はない。まして、人民内部において、反対派に凌駕するために暴力的殲滅戦のために糾殺行動を組織するなどはそれ自体反革命行為であろう。
本多論文は、その糾殺隊の論理であり、驚くべきものだ。

     1、暴力の原理論 暴力の万能性

【暴力は、かならずしも人間性に敵対する粗暴な行為を意味するものではなく、人間社会の共同利益を擁護するための共同意思の積極的な行為なのである。すなわち、本質的に規定するならば、暴力とは共同体の対立的表現、あるいは対立的に表現されたところの共同性であり、人間性に深く根差したところの人間的行為である。】

暴力は、「共同利益」、「共同意思」、の行為、人間の、行為ではなく、「人間的行為」という口吻には強い肯定的響きがある。これが本多氏の暴力の原理論だ。
さらに、【暴力は原理的には共同利害を前提とし、それを擁護するための人間的な行為なのであって、その意味では、共同利害をつくりだしたり、共同利害を貫徹する手段なのである。
つまり共同利害に基づく共同意思の形成とその対象化された意思を知性としつつ、共同利害を擁護し、維持し、発展させていくためのテコとして強制行為が発現していくのである。】

暴力は、「共同利益」を擁護するだけでなく「共同利害を作りだし」、それを貫徹する「手段」でもある、共同利害を擁護し、維持し、発展させるテコ、ということだから、暴力が人間の歴史をつくり、発展させたということになる。ほとんどジンギスカン的な暴力・征服歴史論ということだろうか。

【共有財産に基礎をもつ原始共同体においては暴力は私有財産や支配、被支配関係を生みだす根拠であったどころか、まさにぎゃくに共同利害、すなわち共同体の成員の人間生活の社会的生産過程(労働における自分の生活の生産と生殖における他人の生活の生産の二契機の統一)の意識的規範であり、したがってまた社会的生産の物質的な前提条件をなす土地を含む生産手段の共同所有ならびに共同管理とそれを基礎とした社会的総労働の比例的な配分と生産物の社会的分配、さらにかかる労働過程を基礎とした生殖=人間関係を規制する意識的規範としての役割をはたしていいたのである。】

暴力についてのこの長い文章の意味が分かる人がいるだろうか。書いてあることはわかるが意味が不明である。
文字通りに読めば、暴力が人間の社会的生産過程の「意識的規範」だというのである。規範というのは法令のようなものであろう。

暴力が人間関係を規制する規範だというのだから、暴力団が暴力で社会を支配するそういう社会の話か、戦国時代の話なのだろうか。この話は特殊な歴史的社会のことではなく、
人間の原理的な暴力の性質を記述するところだから、暴力が歴史の創成、社会の維持、規範など人間生活全般を貫徹し、支配している原動力のようなものということを意味するのか。

法令や倫理など「規範」は、階級社会では、支配階級の利害を確保するためにつくられるが、暴力そのものではない。原始共同体でも社会には規範はあったであろう。その規範を支えるために強制力=暴力が行使されるということもあったであろう。しかし、規範は暴力そのものではない。それが人間社会の意識的規範だというのは、規範のないあからさまな暴力社会の話であろう。

あるいは、暴力を優勢的に行使することが社会の規範となったということか、いずれにしても本多氏は、社会が暴力でもって成り立っているということを言いたいのであろう。

     2、プロレタリア暴力革命  マルクスを超越

【プロレタリア暴力革命は、「敵の出方」や「一定の条件」や「身の程知らぬ敵の反撃」なるものによって採用される革命の戦術的形態を意味するものではなく、プロレタリアート人民の自己解放の本質的規定性を意味しているのである。】

これはどういうことか。少し長くなるが本多氏の最も核心的な主張を引用する。

【暴力はプロレタリアート人民の革命的共同性、偉大な世界史的事業を達成する能力を回復するための不可欠の表現形態である、ということである。
もともと共産主義革命の暴力性の根拠は、プロレタリアートによる「ブルジョワ的私有財産の専制的侵害」(マルクス『宣言』)のもつ決定的な意義に規定づけられている。
しかし、われわれは、この規定の内包する意義について、ただたんにブルジョワ的所有権の侵犯の不可避というような理解におしとどめてはならない。

そうではなしに、われわれは、労働力の商品化という「平等」の交換過程をとおして形成される労働者の非人間的現実の根拠であるブルジョワ的私有財産をプロレタリアートが専制的に没収し、労働者階級の共有財産として転化していく暴力的過程が、まさにプロレタリアートの革命的共同性を現実に形成し、自己解放の物資的前提条件とその主体的な自覚と能力を統一的に創成する過程である、と積極的に位置づけることから出発しなくてはならないのである。

プロレタリアート人民の革命的蜂起とその武装の問題、革命的前衛党の指導のもとでの計画的、系統的準備の問題は、プロレタリア暴力革命の最も高度な内容をなすものである。平和革命になるか、暴力革命になるかは敵の出方による、という見解(日共)、一定の条件のもとで、しかも敵が身のほどを知らずに反撃してきた場合には暴力革命をとることもある、という見解(カクマル)をもって、プロレタリア暴力革命に敵対するものは、プロレタリアート人民の革命性、自己解放の事業のもっとも深部の敵対者である。】

共産党宣言では「ブルジョワ的私有財産の専制的侵害」について暴力的過程を必然とするとはいっていない。
それを記述する前に『宣言』は、プロレタリアートを支配階級にすることと同時に「民主主義を闘い取ること」を前提にしている。

プロレタリアートが支配階級になるには、耐えがたい抑圧と搾取への革命的爆発の中でブルジョワジーを「暴力的に転覆」するとしているが、プロレタリアートが権力を握ったら、ブルジョワジーの私有財産の収奪など革命の諸目的の遂行はブルジョワ側から見れば「専制」的であっても、あくまでも民主主義的に実行されるのである。
『宣言』では、暴力は、革命情勢の中でプロレタリアートがブルジョワ体制を転覆するときに使われるとした。

本多氏は、ブルジョワジーの私有財産の「専制的侵害」を暴力とし、それを暴力過程に入れた。
それだけでなくさらにマルクスを超えて、「プロレタリアートの革命的共同性を現実に形成し、自己解放の物質的前提条件とその主体的な自覚と能力を統一的に創成する過程」をも「暴力的過程」として「積極的に位置づける」必要があるという。だから、革命だけではなくその準備段階から人民内部での組織活動や党派闘争も暴力過程に含まれることになる。

暴力が、「プロレタリア人民の自己解放の本質的規定性を意味している」、というのは、プロレタリア人民は、暴力の権化であり、プロレタリアートの指導機関であり、暴力の発動機関である前衛党の暴力装置として位置づけられる、ということである。
第四インターへのテロの自己批判は、このような暴力礼賛、マルクス主義というより暴力主義思想に汚染された革共同中核派の核心的思想まで踏み込んだ反省にまで及ばなければならない。

この本多氏の暴力理論は、権力に対してその暴力が振るわれるとき、それ相応の威力があり意義があったであろう。だが、人間解放の哲学であるマルクス主義とは、何の関係もない。

激動の60年代~70年代に諸戦線で果敢に権力に立ち向かって戦った中核派の青年たちは、本多氏の暴力論に取りつかれて立ち上がったのではない。
だが、一部の中核派内部の幹部には、(いまもなお)この本多暴力論に心酔し、糾殺隊までを組織して暗躍した連中がいた。

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2016年1月 2日 (土)

続民主主義

News & Letters/453

ルソーの社会契約論のいう民主主義の重要言説を紹介すれば、
「政府は不都合にも主権者と混同されているが、実はその執行人に過ぎないのである。それでは政府とはなんであろうか。

・・・・この行為はあくまで委任若しくは雇用にすぎないもであって、その限りでは首長は主権者の単なる役人として、主権者が彼らを受託者とした権力を、主権者の名において行使しているわけであり、主権者はこの権力をいつでも好きな時に制限し、偏光子、取り戻すことができる。

このような権利を譲渡することは、社会全体の本姓と相いれないうえに、結合の目的に反するからである。ルソーは人民主権の中核として立法権を挙げ、ここに引用したように国政の委任権、首長の任免権を挙げている。

このようなルソーの人民主権の立場から、日本の戦後民主主義を照らしてみれば、

第1に、日本人民は、立法権をほとんど完全に失っている。立法権は国会議員らによって簒奪されたままである。

かろうじて憲法改正の折に国民投票が保障されているに過ぎない。
第2に、行政の委任権、行政・司法の首長の任免権をほとんど失っている。地方自治体の首長選挙がわずかに保証されているに過ぎない。

第3に、行政・司法への民主的統制権をほとんど喪失している。
かろうじて地方自治法第242条において住民監査請求・住民訴訟が許されているが、国政レベルでは国政を直接チェックする何の手がかりもなく、乞食の物乞い的な請願権が許されているに過ぎない。

 ここで喪失というのは、もともと日本人民が社会を形成したときに持っていたはずの原初的権利なのである。

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民主主義

News & Letters/452

安保法制、原発再稼働、憲法改正など今日ほど民主主義とは何か問われる時はない。
しかし、戦後民主主義をいう人々も、果たして民主主義をどれほどわかっているのか。
自民党など保守陣営はもとより左翼という世界に活動する人間たちも、民主主義の原理を学習する必要があるであろう。

国家的な機構だけでなく小さい団体でもいたるところに非民主的な行動様式を見る。
マルクス主義者でもスターリン主義的な傾向を持つ指導者やそれを受け入れる活動家が大勢を占めている。

民主主義の原理は、何よりもフランス革命の直前に出版されたルソーの「社会契約論」にありそれを学習すべきであろう。

明治初年に漢訳された中江兆民の民約論である。我々は明治の急進的知識人やフランスの革命家がルソーの社会契約論を読んだ時の衝撃を今追体験すべきであろう。我々の民主主義の理解ががいかにおそまつであるか、痛感するだろう。
ルソーの人民主権論はブルジョワ革命を超えてプロレタリア革命における民主主義の原理をも説いている。

カントはもとより、マルクスやエンゲルスもルソーの思想を前提にして革命を考えていたに違いない。

人民主権は議員や首長を選挙で選ぶ「投票」行為で終わるのではない。代表者を選びそれにすべての政治的権限を与えるのが人民主権ではない。人民主権が、譲渡することができない神聖な権利であることを学ぶべきである。

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2014年12月30日 (火)

我々の時代的反省

News & Letters/390

私は、物ごころついた高校生(大阪)自分から一貫して機械文明に親しめなかった。
高校生の時の愛読書は、国木田独歩の「武蔵野」と高山樗牛の「滝口入道」であり、
平家物語を朗読し、北原白秋、藤村、啄木の詩文を耽読し暗誦していた。

したがって、現世の騒々しい機械文明や消費社会に嫌悪感を抱いていたのである。
先生や親の進める学校を見向きもせず立命館大学の日本史を専攻したのは部落問題もあったが何より懐古趣味的心情からして、必然的であった。
しかし、京都へ来て失望した。

あるとき京都東山のどっかの山に登り京都の町を見て
応仁の乱の折の誰かの和歌を口ずさんで慨嘆したきもあった。

 なれや知る 都は野辺の 夕ひばり 揚がるを見ても 落つる涙は

これは、電車や車やビルがひしめいている京都の惨状を見た私の当時の感懐でもあった。

私は60年安保闘争直後の学生運動に参加し、以後常に反体制の思想と運動のなかで生きてきたが、この反文明的な私の心情を十分満足させる思想に出会うことはなかった。

私はマルクス主義を奉ずる前に、大学入学当時は河合栄次郎に心酔し、「T・Hグリーンの思想体系」など諸著作を一生懸命勉強していた。観念論(理想主義)哲学でないと、世の中を変革しようというパトスを思想的に根拠づけることはできないと考えた。

2回生の秋初期マルクスの論文に「自然主義=人間主義」というものがあり、「へーゲル法哲学批判序説」の熱情的な革命論にふれて河合栄次郎から脱却した。
初期マルクス(ウル・マルクシズム)は、当時歴研などでもてはやされていたエンゲルスの「フォイエルバッハ論」の科学万能主義的唯物(ただもの)論を拒絶するもので、私の革命的心情を根拠づけるものだと考えたのである。

しかし、マルクスは、資本論などで現代文明の現状・資本主義の発展と崩壊については語るが、その後どのような社会を築くのかについては抽象的であり、資本主義もなかなか崩壊し終焉の時が来るようには見えない。

当時私は京都で湯川秀樹氏の核兵器についての講演会に出て、その後の談話会にも出席したが、そのとき博士に対し一人の学生が原発について質問した。博士は即座に「原発も原爆も同じだ」と答えた。私は原爆と原発というのは現代機械文明の最悪の所産であるということを強く感じた。

当時、立命大学のマル学同中核派に所属したが、大学の教授で私たちが尊敬しその著作を学習していた梯明秀先生のある本の中に、原爆や原子力について肯定的な考えが披歴されており、この点だけは納得がいかん、こりゃ問題だと言いあったことがあった。

梯明秀は資本論(西田哲学的「当為的直観」を介在させながら)をもとに、プロレタリア運動の主体性を哲学的に解明した偉大な哲学者であったが、その人でも原子力、その放射能の非人間性が見えなかったのである。日本共産党は当時はもとよりチェルノブイリの原発事故が起こってもなお原子力の平和利用を党是にしていたのであり、多くの左翼的知識人もその傾向を持っていた。

大学4回生の夏、私は長崎の三菱重工第一組合の闘いに参加し、「長船社研」のメンバーに交り込み原水禁世界大会の労組代表団の1員となってこれに参加したことを誇らしく思った。

私は狭山闘争を通じ全国部落研を各地に作っていく中で広島の同志たちから被爆者、被爆2世たちの実態を勉強する機会を得た。原爆の恐ろしさ→放射能の恐ろしさを身近に知ることができた。だが、私は、原発反対闘争に関わる機会を得ることがなかった。

私は、反放射能ということから、原爆と原発に反対する心情的かつ理論的根拠を持っていたが、そのことを表明し運動化することをしなかった。私の当時の立場であれば、これを自分たちの戦線の戦略的スローガンに掲げることができたのにである。

革共同中核派の戦略・戦術で反原発を掲げたものは見当たらないし、その闘争に関わった記録もない。全く無視してきたのである。私らは、原子力発電の実態を知ろうともしなかったのである。原発が続々と建設される70年代に私たちはその恐るべき意義に関心を示さず、何も有効な反抗をしなかったことについて、痛苦の反省をしなければならない。
取り返しのきかない怠慢だったのだ。その怠慢の間に日本列島にはおびただしい原発施設とどうすることもできない使用済み核燃料が積み重ねられてきたのである。

2006年の夏
東洋町の高レベル放射性廃棄物の事件を知り、隠された策謀を暴露することから、私は、遅きに失した私の全的な反原発闘争を開始した。それは私の足もとで起こった事件でもあったが、それで初めて原発の重大さ、戦略的意味を悟った。その悟りは情けなくも、原発の最終段階、使用済み核燃料の始末をめぐるものであって、どうしようもなくなってからの悟りであったのだ。

核廃棄物を導入しようとした当時の東洋町長は共産党系の政治家であった。
3・11以降とは違って、共産党の当時の党是からして、核廃棄物を処理する事業は何も反対する理由はなかった。

さらに3・11の福島の事故を見て、反原発闘争において、同時に青年の時分からの反戦・反文明の私の心情を全面的に発露することになった。
チェルノブイリ、福島の原発事故は科学万能主義の現代文明を根底から問い直すことを求めている。それは18世紀におこったリスボンの大地震と大津波の惨事が、ヨーロッパの中世文明を問いただしたのと同じように。

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2013年12月24日 (火)

革共同中核派の流れ

News & Letters/393

古い同志たちと過去の運動について話し合った。
そこで一つの事件を中心にして革命運動の根本的な流れについて考えさせられた。
それは私が確か大学(立命館大学)の3回生か4回生の時、革共同全国委員会中核派がアメリカの革命家ラーヤ・ドゥナエフスカヤ女史を招いて各地で講演会を開いたことがあった。私は立命広小路のマル学同中核派を結成した一員であった。

関西ではラーヤ女史の講演会が開かれないということであったので、私は立命大の新聞部に話を持ち込んで、新聞社の主催でラーヤ女史の講演会を開くことになった。
立命大の新聞部は当時の大学新聞部としては相当な高いレベルの編集をしてい、そうそうたる部員がそろっていて学内では一目おかれていた。

ラーヤ女史は、アメリカのデトロイトなどで労働運動を指導していた。トロツキーの秘書をしていたという女性で彼女の「マルクス主義と自由」という著作が日本では「疎外と革命」という本のタイトルで翻訳出版されていて、私はその本を読んで深い感銘を受けていた。

そのマルクス主義の解釈は初期マルクスのヒューマニズム(人間主義)とプロレタリアの自己運動(主体性)とソ連・中国型の共産主義の根底的否定という三点に要約できるであろう。

  Down with Imperialism! Down with stalinism!

これが彼女らのスローガンであった。
革共同中央では岸本健一氏が中心になってラーヤ女史を各地に案内していた。
関西で私は後にラーヤ主義者と呼ばれ揶揄されるようになった。

だから、私から言えば、ラーヤを受け入れる素地のあるものと、そうでないもの達が革共同にいたという事である。

今革共同中核派には、関西派と中央派なるものに分裂して抗争しているが、それらは真実の対立ではないと考える。私はラーヤを受け入れる人々ープロレタリアの主体性派ともいうべき人々と、そうでない人々ープロ・スターリン主義的な連中との、この二層の対立と溝があったし今もあるのではないかとみている。私のようなものたちはほとんどパージされるか脱落して今の革共同には残っていないだろう。この二層の流れの対立は単に革共同だけではなく、左翼全体に存在していると考えられる。

ラーヤ女史の哲学は日本では哲学者梯明秀に通じるものがある。ヒューマニズムとプロレタリアの主体性に基づいた革命の哲学としてのマルクス主義が革共同の主流であったはずである。

混迷する日本の左翼戦線を復興させるためにも、マルクス主義者は、マルクスやレーニン、宇野派の経済学の文献だけではなく、ラーヤ女史や梯先生の著作を読んで、ヒューマニズムとしてのマルクス主義を、その本来の姿を再建することから始めるべきだと思うのである。そうすれば革マル派と殺し合うこともなかっただろう

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2013年4月 8日 (月)

中核派分裂の状況

News & Letters/341

いつの間にか中核派は分裂していた。関西派が中央派から離別したということだ。
実践的な面では分からないが、関西派の主張が本来の中核派らしい。
中央の「前進」派の思想が相当変質したようだ。労働者経済主義的に偏し、民族植民地問題や農業・部落問題などをまともに捉えられなくなっているようだ。
この変質は、しかし、これを最初に関知し告発したのは杉進也であり、それは、70年代初め部落問題について大きな論争が生じた時だった。

当時「前進」に秋口論文というのが出た。この論文は、これまで杉進也が領導していた部落問題の捉え方からすれば部落解消主義に墜するというべきものであった。
要するに資本主義の発達に従って部落民もプロレタリア化するという理論であった。
そうすると、ゆくゆくは部落問題は存在しなくなり、帝国主義固有の問題としての部落問題は存在しないということになるのであった。

杉進也ら全国部落研がこれを承認できるわけはなかった。杉進也はレーニンや宇野経済学を踏まえ帝国主義段階の資本主義はもはや広範に残された日本の小農・貧農や部落の問題は解消することはできない、すなわちブルジョワ:プロレタリアへの二極分解は進展しない、帝国主義が存続する限り部落民も近代的なプロレタリアとはなりえない、という考えを示した。

だが、全国部落研の中に中核派から送り込まれていた連中の相当数が「前進」の論文を受け入れ杉進也らと対立した。杉進也らは結局中核派から追われ内ゲバの対象となった。その杉進也追放劇の中心人物が後に出世してどうも「ヨダ」という男になったらしい。後に中核派が分裂する大きなきっかけとなる平成6年の「6・14」事件でやり玉に挙げられ追放された男だということである。ヨダにも言い分があるであろうが。

今は歴史となったが、杉進也が切り開いた部落問題の実践と理論は閉ざされたままだ。
70年代の初め杉進也を追放した中核派、特に関西派は今頃になってヨダや中央派を論難するが、単に戦術的な問題だけでなく、帝国主義段階の資本主義をどうとらえるのか、レーニンというより、宇野弘蔵が捉えたレーニンの帝国主義段階論に立つのかどうか、明確にすることはできないのではないか。問題の「前進」秋口論文を切開することもできなかった連中が、他を非難する資格はあるまい。

ちなみに、原発問題でも、党派としてつい最近福島原発の事故が起こって初めて反対運動に参加しているが、原発問題が日本社会の差別構造に根ざしている事実をしっかりとらえておれば、これほど出遅れることはなかったであろう。前衛ではなく全くの後衛でしかない。帝国主義の最も腐敗した産業である原発は日本各地の過疎の海辺集落・農山村を丸ごと犠牲にすることによって初めて建設されるのである。

帝国主義段階論は部落問題や農業問題・民族植民地問題だけではなくエネルギー・原発問題でも有効である。宇野経済学は、冷徹な経済学の顔をしているが、現代社会の多くの人類の抱えている難問を解決する学問的基礎を提供するヒューマニズムである。
それを学習せずに何の革命か。

今は一介の市民でしかない自分には運動をしている人を批判する資格はないが、老い先短い身として言うだけのことは言っておく。

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2012年11月 9日 (金)

猪木正道氏の死去

News & Letters/317

政治学者猪木正道氏の訃報に接した。
彼は、河合栄次郎氏の弟子と自他ともに認めている人だ。
しかし、戦闘的自由主義者LIBERALIST MILITANTである河合栄次郎氏とは猪木正道氏とは相いれない。むしろ正反対だ。

猪木氏が良かったのは少壮気鋭の学者であった時期に書かれた「ロシア革命史」という著作だけだ。猪木氏は徹頭徹尾現実主義的な政治理論家であり続けた。
河合はそうではない。河合は理想主義哲学がバックボーンに貫かれていた。

「トマス・ヒルグリーの思想体系」という大著があるとおり、河合は、現実政治に対して新カント派の哲学に裏打ちされた政治的理想を対置して果敢に戦った。
私は大学1年の秋、河合栄次郎の著作に読みふけった。

戦前戦時中に軍国主義と闘った人間のもの以外の本は読む気がしなかった。
河合は2・26事件を公然と批判する等十代後半の私の目から見ても最高の学者であった。
「学生に与う」など河合の著作の中でも、イギリスの哲学者T・H ヒルグリーンの思想をまとめたその河合の著作を私は深い感銘をもって読んだ。

私はマルクス主義を奉ずる前に河合主義者であった。
だから、学生運動に入って共産主義思想に没入するときにはすでに、ソ連や中国流の共産主義とは全く相いれない思想的土壌の中にあった。

現在、アメリカ大統領選、中国共産党大会、そして日本の維新の会等の登場による混乱
せる日本の中で依然として河合栄次郎の問題意識が生きている。

今の世界や日本において政治的理想とは何か。

回答:

プロレタリア大衆が政治権力を握って、人と人が平和で、地球の自然環境を破しない生活文化を構築すること、これに尽きる。
 アメリカでも中国でも、そして日本でも、大多数のプロレタリア人民、大多数の貧民たちの願いや声が権力に反映される道はほとんどまったくない。
この世は、ますます金権腐敗勢力が権力を独占する、その構造が揺るがない。
 金権腐敗勢力は、絶対に人類の平和な世界を築かせないし、原発や核兵器による放射能汚染や一酸化炭素拡散など地球環境の破壊をやめない。

 だから方法はともかく、プロレタリアート独裁が必要なのである。
 独裁といえば聞こえは悪いが、決して共産党独裁ではなく、階級の独裁、プロレタ
リア階級による徹底した民主主義的統治が実現されねばならない、ということである。

すべからく政治家には哲学が必要だ。そして、真の唯物論に到達するには理想主義(別名観念論)哲学を一度はくぐるが必要があろう。マルクスも若い日には急進的へーゲリアンであった。

政治的理想。それは、マルクスの共産党宣言では「各人の自由なる発展が自余の人間の妨げにならないばかりか、その条件となる」という社会と表現されているが、それを実現することだ。

河合栄次郎はそれを猪木正道のように「空想」だ、などとは決して言わないであろう。猪木氏のリアルポリティクスには河合栄次郎の影はなく、彼猪木自身が若き頃にものした「ロシア革命史」のパトスですら喪失していた。   

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