地域のリーダー

2017年6月25日 (日)

大川村議会

News & Letters/574

超過疎の高知県大川村の議会が村民総会を検討しているという。
ふたつほど意見がある。

一つは、村民総会は議会が成立しづらいから仕方なしに検討する、という考えは
正しいとは思わない。議員のなり手がなくて困ったなどといって嘆く必要はない。
村民総会の開催は民主主義の原点であって、否定的に考えるべきではない。
代議制・議会制度は市町村民の総会、直接民主主義ができ難いから仕方なくとっているに過ぎない。

ヨーロッパの古代の民主主義は奴隷制の問題はあるが、公民の直接民主主義だ。
数万人規模の都市国家ですべての公民が参加して社会を自らあ統制した。
大川村で600人ぐらいの住民ならむしろ議会制度を止めて喜んで直接民主主義を実行すべきだろう。

もう一つ私が言いたいのは、最近大川村だけでなく高知県の各地で議員の立候補者が少ない、無投票選挙が多くなったという嘆きだ。しかし私の経験では、東洋町では澤山町政の終わりごろ(平成23年1月)の町議会選挙では10人程度の定数にその倍の20名ぐらい立候補しひしめき合い激戦となった。

何故か。私の身びいきの考えでは、それは私が絶えず町内に行政がやっている事業についてどんどん報道し町内世論を?き立てる活動をしてきたからだと思っている。

事業について住民説明会を繰り返し、町長の機関誌を発行し、毎日の本ブログに町政について考えを披瀝し、・・・議会では、議員から、どんどん、どんどん新しい事業をやるので議会がついていけない、とか、あまりにも素晴らしい予算案だから、だから賛成できない、とかの発言があり、毎議会、丁々発止の激論を町長と議員が交わしてきた、その結果町民の行政への関心が大いに高まり定数の2倍の立候補者が出現してきたのではなかったか。

だが今、東洋町の最近の選挙では無投票当選であった。死んだような静かな議会では立候補する者も少ないであろう。
給金や人口の過多の問題ではない。

これまでにない新しい事業、町民への情報公開、沸き立つような議会、それを実現すれば議員のなり手に困ることはないだろう。 

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2016年11月10日 (木)

反知性の勝利

News & Letters/534

憎悪と弱者いじめ、金と暴言、反知性が選挙に勝った。
トランプ、フィリピン大統領、金正恩、そして安倍晋三、橋下徹・・・・反知性派たちがこの世を牛耳る時代。

ただ黙然と空を仰ぐのみ。反知性派は、いかなる不合理なことでも、人類の生存がかかるようなことでも狂気のうちに平気で遂行する。

例えば原発推進は、反知性派の象徴的な事業だ。狂った連中がやることだから、なかなか止めるのが難しい。しかもこの連中は政治権力に貪欲である。

民主主義は、この反知性派の優勢的な登場を抑えることができない。理性的人間は、この地上では少ないし、政治活動を疎んずる傾向があるからである。

従来の民主主義に代わる新しい民主主義の思想が必要であろう。

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2016年7月24日 (日)

鳥越候補頑張れ

News & Letters/504

病態を押して都知事選に出た鳥越候補に期待している。
東京都を非核宣言都市にするという。しかもその非核には核兵器だけでなく原発も核だというのである。
これは素晴らしいことだ。

また、都政を都民に取り戻す をスローガンにしているのはなお素晴らしい。

前に何度か書いたが、憲法前文の

       国政は国民の厳粛な信託によるものであり・・・
  
という訳文は原文の趣旨を骨抜きにしたものであり、安倍晋三に都合の良い文章になっている。

現行の文章では、国政は、国民が政治家に信託したもので厳粛なものだ、という意味になる。

国民は、選挙で自民党に国政を託した、だから選挙が済んでからは、国政を託されたのであるから俺の思うとおりにやっていいのだ、それが嫌なら選挙でかえればいい。という狂的な驕慢政治家が出てくるのである。
ヒットラー以来今日の独裁者は多くがこの考えで民主主義体制から出て、横暴な独裁政治を行ってきた。

しかし、憲法の原文はそうではない。

   Government  is  a  sacred  trust of  the  people   

この英文の正確な翻訳は、 国政は人民の神聖な信託物であって、・・・ となる。
  trust は前に不定冠詞の a  がついているから普通名詞であって、信託された物 となる。

 of the people  の of は所属を表す前置詞であるから、この trust  は人民のもの ということになる。

だから、国政は国民が誰かに託すものではなく、何者か(sacred とあるから多分天からであろう)によって人民に信託されたもので、神聖なものだということなのである。ここに近代自然法の思想が入っているのである。
都政を都民に取り戻すというのは、鳥越さんに都政をお任せする、信託するというものであってはならない。

選挙の時はもとより、選挙が済んで日常的にあらゆる機会をとらえて都政を直接的に動かしていく努力が必要であり
間接的ではなく、直接民主主義体制をいかに構築するかという問題である。
鳥越さん一人が都政に入っても都民のこの努力がなければ、鳥越は圧倒的な行政官僚の海の中に飲まれてしまうだろう。

鳥越の私生活上にどのような古傷があろうとも、完全無欠という仙人のような人はいないのであるから、それを攻撃されてもじっと耐え忍んで国民の期待を実現してほしい。

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2016年7月22日 (金)

都知事選挙 賭け

News & Letters/501

選挙で議員や首長を選ぶのは難しい。
政策・公約で選ぶといってもそれが実行されるか全くわからない。

自民党など本当の目的や意図を隠して甘言を弄して当選するのがおはこなのである。
地方議会や首長選挙ではなおさらだ。美辞麗句を並べて当選しても利権行政しかやらない。
実務経験があるとかいうのもまやかしだ。

そんな連中でろくな人間がいたためしがない。利権行政も一応は実務である。
鳥越さんが、テレビ討論で、誠実 という言葉を出したが、それが一番の基準であろう。
政策や実務は、役場に入ってから勉強すればだんだんにわかってくる。
問題はそのわかり方だ。誠実さがあれば、行政の基点がどこにあるか、弱者や貧者をいかにして救済するか、

その観点で地域の産業や福祉を充実させる、という政策とそれを実行する実務が出てくる。
行政は法律に基づいて遂行されなくてはならない。だから、貧者・弱者の視点での行政では憲法が後ろ盾になる。

ほとんどの首長らは、憲法の定め、最低限の文化的生活を保障、義務教育の無償、勤労の保障、・・・・・これらは理念だ、今は予算がない、などといって憲法をないがしろにして適当に政策だ、公約だといってきた。

憲法を奉戴し、文字通りこれを実行する誠実さが必要だ。

様々な利権が交錯する行政の世界で、左手(ゆんで)に貧者救済の旗を持ち、右手(めて)に憲法の旗を掲げて行政を行う、そういう人を選ぶには、その人物の誠実さを見分けることだ。鳥越さんにその誠実さがあるかどうかわからないが、他の者には誠意のかけらも見えない。鳥越さんに賭けてみる以外にない。

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2016年1月24日 (日)

ウソが功を奏した

News & Letters/457

東洋町1000万円違法貸付事件について最高裁の歴史的な誤判の内容はインターネットで次の文字を打ち込めば出てきます。
「平成28年1月22日最高裁判決」です。

この裁判は、1審高知地裁で原告住民側が敗訴、2審高松高裁で勝訴、3審最高裁で破棄差し戻しとなったものです。
1審高知地裁では、違法性の疑いがあるが、松延宏幸町長にその認識がなかった、すなわちわからなかったから宥免するという内容だった。

2審高松高裁は、貸付規則を公布しなかったからこれを無効とし、平成23年11月3日の理事会に特別利害関係者2人が参加して貸付金の決議をしたからこれも無効ということで松延宏幸の敗訴とした。

3審最高裁では、松延宏幸側は、ただ、理事会の有効性だけを訴えた。従ってほかの違法事由については認めたことになる。

その内容は8人の理事名簿を挙げて、そのうち、2人が貸付金の当事者と息子であるので除外し、残る6人のうち4人が出席して議決しているので過半数を充たしこの理事会は有効に成立し、貸付契約に基づいて手続きがなされたから違法ではない、と主張した。
会社法や水産業協同組合法では、特別利害関係役員が取締役や理事会に出て議決に加わることが禁止されている。

しかし、最高裁判例などでは、特別利害関係者が議決に参加しても、その参加した役員を差し引いて残った理事が多数であれば、その理事会の議決は無効ではないという。
このとき、松延宏幸側が最高裁に出した8人の(虚偽の)理事の名簿は、
①SK②SI③IK④MT、⑤MY、⑥MT、⑦MaY⑧SYこの8人である。
このうち出席者したというのは①②③④⑤⑥の6人であり、
このうち⑤と⑥は特別利害関係者だから除外する。6人の理事で残りの
①②③④の四人で過半数を充たしそれで議決した、と主張したのであった。
しかし、まず第一にこの理事会の名簿は、嘘であり、何の証拠もない、ということだ。
この貸付事件当時の正規の理事は平成21年5月の組合定期総会で選出された者で3年間任期があった。

その総会議事録は組合にあり、その写しは県庁や町役場にも提出されている。
その総会議事録に選出されたと記録されている正規の理事は
 ①SK、②SI、③ IK、④MT、⑤MY、⑥SJ⑦SH、⑧MH
である。⑥,⑦、⑧の理事は、その後辞任したいという届が口頭でなされていたが、その後任については選出されていないから、法令や定款の定めでその3人の理事も引き続き任務を遂行する責任があった。

この正規の8人で計算すると、町側がいう理事会出席者は(⑥,⑦,⑧には案内状も出していないから欠席である)、
①②③④⑤ であるが、そのうち、④と⑤は特別利害関係者であるから除外されねばならない。
④は本件借主のMTの実弟であり、⑤はその息子である。したがって、議決権のある出席理事は①②③の3人だけであり、これでは特別利害関係者2人を除く残る6人の理事の過半数にはならない。だから理事会は成立していないのである。

しかし、実際にはこの町側が出した理事名で理事会が開かれたという証拠は何もない。ただ開いたという一片の紙切れが作成されただけで、理事会が開催された場合必ず取られる録音テープも存在しないという。

この裁判で最大の問題は、1審2審3審を通じて一度も誰が正規の理事なのかの事実確定が行なわれていない点だ。
理事会が有効かどうかを争っているのに、正規の理事が誰であるかという事実を認定せず、まるで空中戦をやっているのである。漁協の総会で選出された理事が正規のものであり、それ以外は偽物なのである。
松延宏幸側が出した理事名は、野根の漁師であればだれでも嘘だとわかるものであり、松延宏幸自身も嘘だとわかったうえで提出したと考えられる。松延宏幸が出した理事8人のうち5人までもが借主松吉保の親族なのである。

いくら田舎の小さい漁協といえども一親族で過半数を超える理事を選出することはありえないのである。
今回は、嘘の名簿を出した町側がそれで功を奏したといって喜んでいるかもしれないが、何も知らない裁判官はともかく恥を知るべきではないか。差し戻し審の高松でこの嘘が全面的に暴露される。

最高裁の判決内容が下級審を拘束するといっても、最高裁自身が事実の認定をしていない以上、拘束するものは何もない。

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2015年5月18日 (月)

大坂都構想とオンブズマンの考え

News & Letters/412

橋本政治に対する審判がかろうじて非と出た。
それは都構想に対する批判よりも橋本政治への批判の色が濃い。

ところで、橋本の大坂都構想と大阪市の現状維持とどう違うのか。
基本は大阪市を解体し府に権限を集約するということからすれば
橋本都構想は地方分権に逆行するであろう。

しかし、オンブズマンの立場から戦後の日本の地方行政の問題点を見れば、
行政権力を集中するか分散させるかということだけでは、少しも住民の
民主主義的政治の前進には寄与しないということである。

行政の単位を小さくすることはそれなりに意義があるが、小さかろうと大きかろうと、行政に対する住民のチェック機能、住民の関与がほとんど全然機能しないなら、同じことなのである。小さい単位なら買収選挙や金権・利権行政はむしろ一層やりやすい。大阪の今回の住民投票には買収はきかなかったであろう。選挙民が巨大であれば住民の意思がむしろ反映されるいい例だ。

国政もそうだが地方行政では、住民の行政コントロールの力は極めて低い。
東洋町や室戸市の行政を点検してきたが、ほとんど無茶苦茶、無法がまかり通り、議会はその行政の粉飾にすぎない状態だ。それはおそらくどこの市町村、都道府県も同じであろう。

リコールの制度や直接請求の制度は針の穴を通るような仕掛けがあり、住民監査や住民訴訟では、その手続きは極めて制限的であり、それを取り扱う監査委員会や裁判所の姿勢は不機嫌で、住民の請求は邪魔者扱いの姿勢だ。日本の地方行政は戦前とさほど違いはなく、住民が行政への不平不満は一切シャットアウトだ。地方分権といっても住民への分権は皆無なのである。

橋本都構想はそういう観点からすれば落第であり、これまで以上の民主主義への新たな反動の策謀であろう。

大都会はともかく地方の選挙は金権勢力への献票行動にすぎず、権力を握った連中は法令など無頓着に利権行政を平然と推し進める。

日本各地にある原発とそれを推進する行政はこのような地盤の上に成り立っている。私はこの反民主主義の津波に対して絶壁のように立ちはだかる覚悟だ。

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2015年5月 7日 (木)

金権選挙をやめさせる方法

News & Letters/411

金権選挙をやめさせることはきわめて困難です。
今の状況では、どんなレベルの選挙でも非金権派が選挙で勝つというのは極めて困難です。

おそらく不可能でしょう。代替の方法を考えるべきです。
私は次のような選挙制度を提案します。

それはくじ引きです。

第1段階。

 立候補者に住民が投票する。
 投票の結果、法定得票率をクリアしたもの全員に

第2段階 くじ引きをさせて、その結果で当選者を決める。

 例:

有権者数千人のある町村長選に10人の立候補者が出てきたとする。
金権派は7人が法定得票率をクリアし、非金権派3人がそれをクリアしたとする。
クリアしたその10人がくじ引きをする。金権派の勝つ確率は70パーセント、非金権派は30パーセントだ。
 
これまで全然手の届かなかったところに30パーセントの確率で可能性が出てくる。
ある程度の得票をした候補者にくじ引きで当選を決めさせるという方式の方がはるかに民意を反映すると考える。

そうすれば、票を金で買うといういうのは第1段階だけであり影響は少ない。
第1段階で、金権派はいくらなんでもすべての票を買いきることは出来ないだろう。

 国政選挙でも知事選でも議員の選挙でもこのくじ引き選挙に変えれば、民意は相当に政治に反映されると考える。今の選挙は物量(金)を大動員したものの勝ち、弱いもの、貧乏人が常に負けるという選挙制度である。

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2014年1月23日 (木)

1/15高知新聞「町政混乱」の記事

News & Letters/397

高知新聞の愚劣な記事が又出た。本年1月14日に告示された東洋町議会選挙が定数いっぱいで無投票になったこと(19日に確定)に関連して、高知新聞の室戸市局長坂巻洋平記者は、この無投票の結果が私の町政時代の「町政混乱」の反動だ、という評価を下した。

私の町政の4年間が「混乱」していたというのである。
この新聞記事の挙げる「混乱」の具体的名事実は、
「反核を掲げて登場した前町長と議会の対立、住民間の軋轢などで町政は混乱」というのである。

この記事を書いた坂巻という記者は、事実関係を把握せず、誰かの話を聞いただけで書いているのであろう。前任者たちと同じように大きな間違いを犯している。

1、私の4年間の町政のうち、3年間は、色々あったが議会とはだいたいうまくいっていた。通らなかったのは白浜地区の防災道路の建設とホワイトビーチホテル購入の予算案だけであった。
 最後の1年間は新たに町会議員選挙があり議会構成が変わり、反対派が多くなったが、それでも基本的な議案はほとんど通過した。政府からの交付金でプラネタリュムと天体望遠鏡を設置するという議案が否決されたほかは行政に「混乱」も滞ることもほとんど何もなかった。高知新聞は何の事実で今回の記事を書いたか。

2、高知新聞が言う私の4年間の「町政混乱」期に、東洋町ではどのような行財政の改革
が進んだのか、まじめに検討してみたのか。
 ある反対派の議員の代表が私が提案した当初予算案に対して「この予算案は余りに 
も素晴らしいので、だから賛成できない」と言ったが、そのような前代未聞の理由で反 
対されていたということの意味を少しでも考えたらどうだ。
 
 この3年間に私が進めた画期的な福祉行政のほとんどを現在の松延町政が解体して
いるが、廃止された事業の一つ一つを検討してみてはどうか。
また、東洋町や近隣市町ではかつてない大規模な失業対策事業や、海の駅等の産業
振興政策、東北大震災前から推進していた数基の避難高台の建設事業・・・

ある口やかましい議員が悲鳴を上げて「次から次へどんどん事業を進めている、私
はついていけない・・」といって議会で非難した行政活動、これらを新聞は「町政混乱」というのであろうか。住民本位の財政運営を「ばらまきだ」と非難されたが、しかもそのなかで、基金は微増ながら、借金は20%(10億円)ほども縮小したのであった。
ギリギリぎりぎりと行財政の改革をしながら、政府や県の資金を取り入れ多くの事業を展開していった。県庁に無理難題を飲ませたこともいく度もあった。
町議会は悲鳴をあげながらも、しかし、承認するべきことは承認してきた。
「町政混乱」のなかで何がなされたのか、魂のある記者なら見えるはずだ。
  
3、私の町政4年目を迎えようとするとき(2010年)に町議会選挙があったが、定数の2倍近い立候補者でひしめいた。どこの市町村でも定数を超えるのは数名だ。
それも今回の記事では私の「町政混乱」のせいだということのようだ。
 しかし、そんな単純な現象ではない。
私は事あるごとに、議会だけではなく、特に新しい事業を始めるときには町民を集めて
討論に付した。激しい議論となることもしばしばであった。又私は、町長として事あるご
  とにタブロイドの新聞(「清風」を発行し町内にばらまいた。町民の多くは、今町行政(町長)が何をしようとしているか逐一分かるように情報を開いていった。また、その行政を進めている町長の私が何を考えているか、私が何者であるかについて包み隠さず、このブロッグに公表し、それが町民の間でコピーされ物議を醸したり評判になった
りしていた。私の4年間の町政について町民の関心は極めて身近に、強くなったことは
間違いない。これほどまでに調整について町民が議論したことはなかっただろう。

 立候補者が定数の2倍になったというのは、それは役場も町内も、町政の活性化(賛否こもごも)が図られた結果であって、町政を自分のものにしようという町民の意思の表現なのである。かつて昭和40年代にNHKテレビの「現代の映像」で政治意識の最も遅れた町として東洋町が映し出された過去を考えると、核反対闘争の高揚とそれに続く町政の目覚ましい活性化こそ、これこそNHKが、そして国民が、東洋町に望んだ事ではなかったであろうか。

  新聞記者もジャーナリストなら、事実の表面や偏った人の話だけではなく、事実を事実と見、さらにその深層を汲む姿勢が無ければなるまい。

今町議会は翼賛化したようで死んだように静かになった。改革はすべてやめてしまっ
たから、論議することもないのであろう。今回の記事が指摘するように、議会が貧乏のどんどこにある町民の願いや考えを反映する様子は少しもない。町執行部は以前と同じ、「普通の行政」を標榜し私が訴訟をしているように利権行政さえ横行している。今回の議員選挙も町民は、9人の定数しか立候補の意欲を示さなかった。

 この事態に至った大きな原因は、町内融和だとか言って私が進めた多くの福祉行政を廃止してきた松延町政を、これを絶えず持ち上げ、抜本的な行政改革を遂行した澤山町政(高知新聞はかつてこのように書いたが、具体的に何をやったかは一つも書かなかった)、その澤山町政を無視抹殺し、「町政混乱」をでっちあげている高知新聞の姿勢と記事の内容にあると考える。このような新聞記事を読んだ町民の多くは今行われている行政の現実に対して無力感と絶望にうちひしがれて立ち上がる気力もなくなるだろうからである。
 どん底の経済状態から立ち上がる方策が何も見えなくされているのである。 

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2011年1月21日 (金)

阿久根市長の敗北

News & Letters/212

阿久根市長がリコールの住民投票で破れた。
私は、仕方がないと思う。現在の法律の下では、議会制度を無視し、法令を無視して市長サイドで行政を遂行するというのは、あまりにも無理な行為であり、考えが単純すぎた。

いくらいい考えであっても、独裁的にこれを実行するというのは日本の行政制度では許されない。
前へ進むだけではなく、屈辱を耐え忍んで後ろに引き下がることも必要なことである。直線的に進むだけではなく、ジグザグにらせん的に、また行ったり来たりしながら少しずつ進むということがこの社会の現実なのである。

第1に竹原市長は、曲がりなりにも任期期間の市長の職を守るべきであった。後退したり妥協したりしながら時間を稼ぎ、そのうちに反撃の機会もあったであろうし、自分の考えが理解されることもあったはずである。その位置を失ってしまっては、どうする手立てもない。

竹原市長の考えの場合は、職員の給与などの問題は相手の利益を損なうわけであり、よほどの説得力と相手が納得する代替案がなければ実現しがたい問題である。ワン・ストロークで解決できる問題ではない。相手がなるほどという雰囲気にまで持っていかねばならない、その努力をするべきだった。

第2に、市長の職におれば、大小にかかわらず今の現状を改革すべきことがたくさんある。議会も何もかも反対というわけには行かないのだから、小さいことでもたくさん改革を積んでいけば、大きな前進につながってくるだろう。福祉や教育、雇用・・・ですることはたくさんある。職員の給与や議員の報酬の改革だけに固執する必要はない。難しい課題にはそれなりの準備も要る。

他の分野に目を移せば、することはたくさんある。市長の職を失えば、それもこれも何もできず放置してしまうのである。

第3に、自分が正しいことをする、どんな手段を使ってもやるというのは意気は大変いいが、立場を替えるとヒットラーや先の天皇のように自己を絶対化してしまうことになる。竹原市長の場合はたまたまそれがいい政策であったからいいが、これがとんでもない独りよがりである場合には、大変なことになるであろう。竹原市長がいつもいい考えをしているとは限らないのである。

いいことをしているつもりが、大気を汚染したり、放射能を撒き散らしたり、戦争をおっぱじめたり・・・ということがいっぱいあるのである。労働組合の話もじっくり聞きながら気長く改革を進めるべきだった。打たれても打たれても雑草のように生きて戦うことがまず大事なことであろう。

私は議会では、1つの質問に10ぐらいの返答をし負けずに丁々発止と議論をするが、それが終わったら直ちに反省会をやり、議会の質疑応答を反芻し、失敗した答弁はなかったか、指摘事項ですぐにやるべきこと、今後課題として検討すること等々の仕分けをして議会の審議を大事にしている。

竹原市長はまだ若い。捲土重来を期し、議会制民主主義の意義を深く勉強しながら、再び立ち上がることを期待したい。

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2010年9月 7日 (火)

阿久根市長

News & Letters/205

阿久根市長と議会の対決は非常に興味深い。
異常な事態であるが、それだけに地方自治の問題点が浮き彫りになっている。
普通は、まあまあで、首長・議会が相手を尊重しあいながら、悪く言えば妥協しあいながら何とか役所を運営してきた。しかし、阿久根市では譲り合いや妥協と言う点がほとんど無いので先鋭な形で戦後の地方自治の問題が出てきた。今の所解決の方法はないようだ。

最大の問題点は、次の点だ。

地方自治を行う上においては予算はもとより人事にいたるまで多くの重要案件で議会の承認議決が欠かせない。議会での承認が得られない場合、首長はどうすればいいのか。
いったんその案件を引っ込めて時期を待って再提出するか。それとも完全に諦めるかだ。
首長の専決処分が問題になっているが、そうすると、かえって議会の専決が問題になってくる。いかなる議案でも議会はそれを否決することよって現状維持案や議会が好む別案を決議し、首長に強制すると言う事になる。明らかに行政権限を行使することになる。
地方自治法上では、議会はいかなる決定を下しても法律上は無責任と言う事になっている。

市民の生命財産にかかる重大問題でも、議会は責任を負うことも無く、処分権を保有し行使しているのである。違法な公金支出事件でも罰せられるのは首長であって、その事業を議決して推進した議会は何のとがもない。
このような存在・・・強大な権限を行使しても無答責である、というのは民法の法典上では存在していない。幼児など当事者能力を欠如している者を除外して、人はその言動において責任を負うことになっている。

戦前、天皇にはこのような無責任行政権・法律制定権が与えられていた。
戦後地方自治法では議会にこれが与えられているのである。これを掣肘する制度は直接的には無い。

リコール請求など直接請求制度や、選挙などの方法があるが、リコール権を行使するのは大変なことであり、地方の住民では地盤に密着しているので別の議員を過半数に達するほど交代させる力はきわめて少ない。普通は首長の専横は一応議会にそのブレーキが与えられている。翼賛議会でブレーキをかけずそのまま執行してもその専横の責任はずっしりと首長にかかってくる。しかし、議会の専横にはブレーキのかけようはないし、しかもその専横の付けは議会ではなく、首長にかかってくるのである。

かくて、戦後地方自治が整備される中で、全国各地に、無答責の小天皇が制度的に確立された。双方が立場をわきまえて、その権能を尊重し、妥協しあっていくのが法律の前提であるが、阿久根市のように議会やその係累にかかる利害が絡む場合、いい加減にしてきたその地方自治法の空白部・・聖域化された無答責の権力がまともに首をもたげ威力を発揮する。

今私は、阿久根市長の言い分が正しいか、正しくないかのことについていっているのではない。心情的には、市長の気持ちは充分分かる。そのやり方をもっとうまくやればと言う気もする。だが、市長の主張の可否を超えて戦後地方自治の重大な問題が提起されていることは間違いない。法の改正が必要であろう。

それは、議会にも普通人と同じように、それ相応の責任をもたせることであり、間違った公金支出の議決をした場合、または、住民にとって本当に必要な公金の支出を伴う事業を拒否した場合、その議決に賛同した者に賠償責任など適切な責任を負わせるべきであろう。

民法上その行為に何の責任も負わないという存在は責任能力を欠如した者だけである。
議会の議決は普通の人以上に行政機関や一般市民の生活に大きな影響を与えるのだ。

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