市町村合併について
私の考えでは今のところ国や県が推進している市町村の合併には賛同しかねます。
現在の合併の推進は政府の地方切り捨ての最大の政策の一つであると思います。
1,日本のブルジョワジーは、全国の農山漁村にその産業予備軍の大半を温存してきました。地方の次男、三男らを貧しい村や町においてこれを必要なときに賃労働者として雇用してきました。不況の時には、失業、半失業状態で農漁村に返しそこで何とか滞留させて潜在的失業者として温存してきたのです。日本の農産漁村は、また、野蛮な帝国陸海軍の兵隊の兵站基地であり供給源であって、保守的、さらには反動的なイデオロギーの受け入れ母体としても重要でありました。
2,しかし、今、中国や東南アジアの安い労働者が大量に使えるようになって、日本のブルジョワジーには日本の地方に滞留させる産業予備軍がいらなくなってきたのです。地方はもはやお荷物となり、これに莫大な金をかけて温存する必要がなくなってきました。地方が疎ましくなってきたのです。地方が必要なのは核を含む産業廃棄物の捨て場だけです。
3、欧米の市町村(municipalty)は何万何千とあります。特別の自治区など錯綜した地方自治体の網が張られています。アメリカでは1000人以下の小自治体が数の上では大きい自治体よりも多くあるということです。
どうして欧米の自治体( local self-government )が合併劇によって数的に縮小されないのかを考える必要があります。
4、それは、こうだと思います。民主的で、自治能力のある人間の数が多いほどその国や社会の民度が高く、経済的にも、文化的にもまた、軍事的にも、そうではない国よりも優れている、ということではないでしょうか。自治能力の少ない人間の集団よりもその能力の高い集団は、たとえ個人個人の力は弱いとしても総体としては強い、ということです。
5,現在進行中の市町村合併政策はただ、財政的な効率だけを眼中に入れ、国家百年の計がなく、日本の国家としての哲学が欠如していると私には思えます。一時的な効率を満たすだけでは、ただに地方の人民を捨て去るだけではなく、国民の民力をそぎ落として、国を衰亡させる結果を招くのではないか、私はそう思います。
6,無駄を省き、不正をただして、コストは下げるにしても地方自治の骨格はむしろ強固にしていくことが肝要であると考えます。
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