関西地区との交流

2017年12月19日 (火)

高校友の会

News & Letters/610
角岡伸彦の「ふしぎな部落問題」という本を読んでみた。
週刊朝日や新潮社などが大阪市長だった橋下氏の出自(部落民)を明らかにし
それと橋下氏の政治手法とを結びつける差別キャンペーンについて厳しく批判していた。
これについて解放運動側がほとんど何の反応も示さなかった事実。
また、屠場を描いた記録映画について解放運動側がこれの上映に否定的でつぶしてしまったことについてその考えが、旧来の寝た子を起こすな、差別の実態を隠せという方向で動いていた事実が厳しく追及されている。
そして箕面の部落の解放運動が市民に向かって新し取り組みをしていることが興味深く記述されていた。
その中で、「高校(生)友の会」のことも触れられていた。
その箕面の部落でも高校友の会の青年たちが、守旧的な年寄りを乗り越えて革新的な解放運動を推し進めたという。
まさにその高校友の会は、私が大学を出てすぐ解放同盟大阪府連の書記として大阪府下50数部落を歩いて組織した最初の成果だった。
高校友の会の名称もその規約も私が発案し作成した。「大学友の会」も同時期に作り私が会長になったが人が集まらずあまりうまくいかなかった。
泉南や能勢の方では解放同盟未組織の部落もかなりあった。能勢のいくつかの部落では夕方バスがなくて雪がちらちらする中を歩いて山を越えたこともあった。同和奨学資金を受けている高校生の名簿を頼りに一軒一軒訪ねて村の集会所に彼ら及び親たちを集めて
部落問題を話した。高校生らにとっては、衝撃的であっただろう。その学習会合で自分が被差別部落の人間であることを初めて知った者も多くいたかもしれない。私は、彼らに、差別は必ず受ける。受けていないと思っても周囲のものは知っている。結婚や就職のとき突然それは我々に襲い掛かってくる。差別から逃げず、みんなが団結してこれと戦って生きていこう。
部落で生まれたことを悲しんだり恥ずかしいと思うのではなく、むしろ部落で生まれ育ったことを自分の原点とし、これを誇りに思って、間違ったこの世を変革して差別のない社会を建設しよう、と熱っぽく語った。
何せ当時の私は恐れを知らぬ革命戦士のつもりで生きていたのであるから私の熱風に感受性の強い高校生は奮い立ったであろう。
私が住んでいた矢田を中心に、住吉、浪速などの大阪府下の部落高校生が澎湃と立ち上がった。高校友の会は全国に広がったようだ。
府下の高校友の会の集会などでは府連から派遣された執行委員の講演内容がおかしい、融和的であるといって友の会の活動家が演壇上のその男を大勢で取り囲んで「糾弾」
したこともあり後で府連執行委員会(私は書記として出席していた)で私が扇動したのではないかと批判されたこともあった。
その当時のNHKの教育番組テレビでも取り上げられ「部落高校生は語る」という題で数回繰り返し放送された。当時の友の会の活発な活動が見て取れる。
その番組で私は司会をしていて発言していないが、NHKに対する高校生の厳しい発言はすべて割愛されていた。
数年して私は切迫する狭山事件を全国的に発展させるため解放同盟を脱藩したのでその後の各支部の高校友の会がどうなったかわからなくなったが、狭山闘争に多くの部落高校生が参加したことは間違いない。各地区で高校友の会が新しい運動の中核となって行ったことは間違いないだろう。
角岡氏の記述では箕面の部落でも高校友の会のメンバーが支部の中心をになっていったことがかかれている。
今や、解放運動はその当時の面影もない。屠場の記録映画をつぶしてしまう、部落の出自を週刊誌で暴かれても何らの大衆的な糾弾闘争も起こらない。
ヘイトスピーチが蔓延する現在の世情は部落解放運動の低迷が大きな原因であると私は思っている。
高校友の会とは違って、大学友の会は成功しなかったが、ただし大事な人物二人に会い二人を親友として革命的な解放運動を進めることができた。
一人は国守の住職斎藤君であり、もう一人は荒本の中西君である。のちにこの二人の縁で国守と荒本の部落が私の解放運動の拠点となった。
 
角岡氏の部落問題の捉え方には私のほうに異議がある。次回に続く

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2008年9月10日 (水)

同窓会

News&Letters117/

高校時代の同窓会に初めて出席しました。
9月7日のことです。
46年ぶりの再会でした。
高校時代のことが思い出されました。

私の高校時代は、精神的には暗い、陰鬱な時代でした。室戸の田舎から大坂のごみごみしたところに出てきた。第1に、この世がこんなに悲惨で汚辱に満ちているということに圧倒されました。
田舎でもつらいことがいろいろありましたが、小中学校の時代では世の中のことは知りませんでした。

何かしら希望がありました。高校になって初めて世の中が見え、その中に置かれた自分が認識されてきました。大坂のごみごみした環境、享楽的な町並みになじめませんでした。私は自動車や電車など機械文明に拒絶反応がありました。
私は、次第に厭世的な気分なりました。

私は高山樗牛の「滝口入道」という小説の世界に耽溺し、また、国木田独歩の「武蔵野」という本を繰り返し繰り返し読んでいました。私は知らず知らず文章を暗唱までしていました。徒然草や方丈記、平家物語などは私にとっては受験勉強ではなく、人生の座右の書でありました。
私は友達と一緒にか単独にか、神社や史跡を訪ね懐古趣味的な心境でくらしていました。・・・・・

そういう毎日を過ごしているうちに60年安保闘争が勃発しました。私は、労働者が街頭でデモをする姿を見て感激しました。血湧き肉躍る思いでした。
国会の庭で全学連の樺美智子さんが殺された事件の衝撃は最大のものでした。
私は高校生の終わり頃には、社会の変革のために生きようと考えていました。

全学連は暗い人生を送っていた私をふるいたたせてくれました。「人知れずほほえまん」という樺美智子さんの言葉を胸に秘め、大学で徹底的に社会運動の勉強と実践をやろうと決意することになりました。

同窓会では、目をつぶると、走馬燈のように半世紀前の時分を思い出していました。
今も、全学連の闘士の心境を維持したいとがんばっているが、私の中には「滝口入道」の主人公である齋藤時頼の厭世的な心境がときどき飛来することもある。一度皆さんも樗牛の「滝口入道」をお読みになって下さい。

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2007年7月31日 (火)

News & letters19

大阪で解放運動の大先達らにあってきました。
いろいろ東洋町のことについて支援をしてくれるということでした。
30数十年も前私が、解放運動に参加した頃には、まだ水平社の生き残りの歴史上の人物が相当いました。大阪の環状線桃谷駅のすぐ近くに本部がありました。私はその大先輩たちと寝起きをともにし、その謦咳に接し、ありがたい経験談を直接伺うことができました。
今回私が会った大阪の大先達という人は、水平社運動の指導者の下で活動家になり戦後の解放運動の中核を担った人でした。その人もすっかり老いていました。私はその人のもとで解放運動を学び実践してきました。私は暴れん坊でしたのでいつもその先達が私をかばってくれたのでした。
今の活動家は、その偉大な先達の言うことを敬して近づかずで、ほとんど無視されています。
水平社の大幹部と第2世代の先達とそして第3世代の私たちは一体となって狭山闘争などの運動をしてきたのでした。
その当時から、解放運動を利権化しようという連中がいました。今、解放運動は大きく変わり果て、当初の純粋な姿はわずかにしか残っていないように思います。これからの解放運動の原理は、

受けるものから
施すものに変生しよう

私たちの苦しみを語るのではなく
世の人々の苦しみを聞いてあげよう

富を得るのではなく
富をわかちあおう

身を捨てて悪と戦い
弱い人の盾になろう

すくわれるのではなく
世の中の苦しんでいる人を救うのです

菩薩行の功徳を積んで歩くのが
私たちのこれからの解放運動です。

そういうことで一致しました。

また、大阪の知り合いにいろいろ東洋町支援のことを頼みましたが、
1,東洋町に刑務所を持ってくることはできないか、
2,フェリーの跡施設に海上保安庁の出先機関を持 
  ってこれないか
3,東洋町に浪曲や漫才、落語、講談など演芸をも 
  ってこれないか
4,温泉をほることができないか
   などを打診しました。

なお、社民党大阪府代表は府会議員の隅田さんですが、この人は甲浦出身者です。
また、社民党大阪府の幹事長の奥さんも甲浦出身でした。この方々は東洋町が核で激戦中に小型バス数台で応援にきてくれたのでした。
脱原発をマニュフェストに掲げているのは社民党だけではないかと思います。

平成19年7月28日

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2007年7月24日 (火)

News & letters15

7月27日は大阪で社民党候補を応援に行くことになっています。反核では社民党が一番はっきりしています。高レベル放射性廃棄物の件でも社民党が国会内外で論陣を張ってくれました。辻本清美代議士とも会う予定です。

私は、核に反対するすべての個人、団体や党派と積極的に連帯します。
日本のすべての原発をストップさせること、柏崎刈羽の原発を即時廃止することを訴えたいと思います。

このたびの参院選で初めて核の問題を争点にすることになったと思います。大阪の天地に核反対の雄叫びをあげてきます。

また、東洋町を活性化するために大阪の昔の同志たちが、支援の会を作ってくれると言うことです。この人々は一大勢力です。

就任から3ヶ月たって、核の危険性も払拭し、繰り上げ当選の危険性も乗り越えたので、これからは、行財政改革をさらに推進するとともに、殖産興業に全力を挙げるつもりです。

商売気の全くない私が、町の住民の営利のために働くことになりました。企業を誘致し、地場産物をどんどん産出し、住民に働く場を保証する。そうして人口減少に歯止めをかけることです。

町役場の業務の一つ一つが住民や町役場の収入につながるという発想の転換を進めなければなりません。町役場は支出するのが仕事ではないということがわかる必要があります。節約に節約をし、一銭でも稼ぎ出すということです。

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