国政問題

2018年7月29日 (日)

豪雨災害2

News & Letters/643
今回の豪雨で岡山、広島、愛媛などで数百名の死者が出た。
安倍晋三ら自民党の腐敗分子たちは、この災害の進行中に
酒盛りを開き打ち興じていた。そればかりか、その饗宴の楽しさを
インターネットで拡散さえしていた。
驕れるもの久からずというが、おごれるものがあまりに久しすぎる。
今回の豪雨災害では想定外の大雨だったなどという記事が目につく。
しかし、川の氾濫や地滑りなどは治山治水の政治課題の第一のものだ。
古来、治山治水は為政者の最も重要な仕事である。
川が氾濫したのも、山崩れで家が埋まったのも、避けることができる。
まして、豪雨によって人命が失われる事態は、絶対にあってはならない。
安倍総理だけでなく、豪雨災害の警告が気象庁より発せられていた時、
対象地域の知事や市町村長はどこで何をしていたのか、厳しく問われなければ
ならない。事前に住民を危険地域から脱出させたり、また、安全な場所や施設を
用意することぐらいは、容易に遂行できたことだ。
何度も何度も、遠い昔から現代にいたるまで繰り返し繰り返し氾濫や地滑りで
多数の人命が失われているが、、どうしてこれを避ける方策を立てないのであろうか。
地震や、津波も天災であるが、これによって人命だけは助かる方法も立てなくてはならない。
自然災害から住民を守ることが日本では為政者の第一の仕事であり、それを怠るものは
為政者失格なのである。
今、全国の自治体で、いつ来るかわからない南海地震などの天災に備えて、宿直体制を
布いているところはいくつあるであろうか。おそらくどこもないであろう。
5分か10分ほどで津波が襲来するともいわれているこの土佐湾沿岸で、自宅で寝起きしている
首長や幹部職員の当庁が間にあうであろうか。
今回の豪雨災害でもこれまでのそれでも、住民への避難等の緊急の指示が大幅に遅れ無意味なものだった
というのが多くあった。
将校や下士官の当直がいない兵営はないだろう。数千数万の住民に救難の指示をするものが指揮所(役場)から遠く離れていては、役に立たない。
全国の都道府県、市町村に、その首長や幹部職員による宿直体制を早急に構築することが必要だ。
、そして無論政府には首相をはじめ政府高官による宿直体制はできているものと思う。
首長には警報機を枕にして寝る覚悟が必要である。

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2018年7月23日 (月)

豪雨災害

News & Letters/642
広島、岡山、愛媛など激しい豪雨による災害が起こり、多くの犠牲者が出た。
国民がその豪雨を恐れ避難していた当時に政府自民党が宴会を開いて打ち興じてい
た。そればかりか、その饗宴の楽しさをインターネットで拡散していた。
おごれるもの久しからずではなく、おごれるものがあまりに久しい。
地震による津波災害なら防ぎようもないが、河川の氾濫は、古来防がなくてはならない
政治課題の第一だ。かつてない豪雨だとか、想定外だったなどというのは治山治水には
該当しない。河川の氾濫や山の地滑りは、日本でもどこでも治山治水だ。
これに対応できない為政者は、為政者として失格なのである。
さらに、豪雨も山崩れも防ぐことができないとしても少なくとも人命を失うことは阻止できなくてはならない。

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2018年6月27日 (水)

朝日新聞社説 核のごみ処分

News & Letters/638
本日6月25日朝日新聞朝刊に高レベル放射性廃棄物の処分問題について
政府を批判する社説が掲載された。全く新味のない陳腐な意見である。
政府は国民からの信頼を得なければ議論が進まないという。
朝日の主張を整理すると
①最終処分場は必要である。
②核のゴミ処理の話は原発推進や核燃料サイクルと切り離さなくてはならない。
③現在のトップダウン方式ではなく
 日本学術会議が提案するように「第三者機関」を設置して議論をすべきだ。
④国民の意見を謙虚に聞き、信頼を得るところから始めるべきだ。
私の批判:
 第一に、政府の原発推進政策と切り離して議論というが、切り離すことはできないし
  切り離してはならない。なぜなら原因と結果だからだ。
  結果だけ一生懸命論じて対策を講じても次々と原因が問題を増大させ結果を深刻化し    ているのである。
  「核のごみ」問題は、原発・核燃料リサイクル政策と不可分なのである。
 第二に、政府が一方では「核のゴミ」の処理を言いながらその「ゴミ」を増産している    矛盾した
  政策を実行している事実を指摘し糾弾すべきなのだ。原因と結果のうち原因に目をつ    ぶるとこの矛盾は見えなくなる。政府が国民から信頼されない最大の問題は、この矛    盾点だ。
 第三に、政府が自民党ら原発推進派でなく原発の稼働を止める権力であれば、
  あるいは、日本学術会議が提唱する方式でやれば、それでは 「核のゴミ」の処理に    関する議論は国民に受け入れられるであろうか。この点について朝日は楽観的のよう    だ。
これこそ 難中之難無過此(なんちゅうしーなんむかし) であって、無知蒙昧の住民が住む地域だと思ってやってきてもむしろそのようなところが強固な抵抗を示すのである。放射能の危険性を知らない無知蒙昧の地域は日本には存在しない。
むしろこの超危険な有害物質は、地域や自分の利益を顧みず英雄的な犠牲心の横溢した住民が住むそのようなところにもっていかねば受け入れられないだろう。
自分たちや子孫が放射能の毒素をかぶり様々な病気で苦しみのたうちながら死んでいく、それでもかまわないという高度に倫理的な人間集団が住む
地域をつくらなければ、「核のゴミ」は受け入れられないだろう。
朝日新聞は、現実の結果から原因を隠して国民の信頼を得るという姑息な目くらましを捨てて、核廃棄物を受け入れる並外れて高度な人倫の完成体を作るために努力をするべきではないか。
ところでこの「核のゴミ」という表現はやめるべきだ。我々の日常の生活廃棄物のゴミと同程度に軽く考えられるニュアンスがある。そのものズバリの高レベル放射性廃棄物など科学的な言葉をつかうべきである。

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2018年6月17日 (日)

裁判における矛盾論

News & Letters/637
本年6月11日、袴田事件の東京高裁決定があった。
静岡地裁の再審開始決定を覆し、検察の抗告を受け入れて袴田氏を再び死刑囚の身に戻した。ただし身柄は釈放のままである。
この事件につき元検事の郷田信郎氏のコメントを読んだ。
確かに、静岡地裁の再審開始の根拠としたシャツについた血痕についての筑波大学本田教授の鑑定は残念ながら信用性を否定されるのはやむを得ないだろう。
しかし、次の高裁決定の理由については郷田氏の考えは首肯できない。
「供述の任意性及び信用性の観点からは疑問といわざるを得ない手法が認められるが、捜査段階における袴田の取り調べ方法にこのような問題があることを踏まえても、取り調べの結果犯行のほぼ全容について袴田の供述を得て犯行着衣についてもそれがパジャマである旨自白を得た捜査機関が、新たにこの自白と矛盾するような5点の衣類をねつ造するとは容易には考え難いというべきであり、袴田の取り調べ状況から5点の衣類のねつ造を結びつけることはかなり論理の飛躍があるといわざるを得ない」
郷田信郎氏はこの高裁の判断をも支持する。
だが、我々の一般常識では理解できない
A)犯行時の着衣はパジャマであったという自白と
B)新たに味噌樽から発見され血痕がついていたという5点の衣類 
一般的にはAとBは矛盾する⇒故に自白か又は5点の衣類の発見のどちらかは信用性がない。
高裁の判断は AとBとは矛盾する。故に(矛盾があるからかえって)Bは信用性がある。
この矛盾の論理で行くと袴田氏ならずとも一度被告とされたものは万が一にも助からない。この論理は次のようになる。
1、自白と現実の間に矛盾がなければもちろん両方とも信用性がある。
2、自白と現実(でっち上げの可能性がある現実)とが矛盾する、その場合矛盾するがゆえに現実(でっち上げ)が信用性がある。
ということになるからである。
これは私が狭山事件で寺尾東京高裁裁判長の判決の「弁証法」を批判した内容と同じだ。
狭山事件の場合は袴田事件とは逆に強制された「自白」、と現実とに矛盾があった。
だが論理は一緒で矛盾があるがゆえに警察が作った「自白」、または現実が真実とされ、矛盾があればあるほど真実性が高まるというものになる。
寺尾はこれを「弁証法」だと自賛した。この論理でいけば弁護団がいくら自白と現実の矛盾をついて弁論しても、そうすればするほど有罪の可能性が高まるということになるのである。これでは、天網恢恢であって犯人にえらばれた人間は2度と監獄から帰れない。
寺尾の矛盾を動力とする「弁証法」という非論理は東京高裁に生き続け、権力が窮地に陥ったときの伝家の宝刀になっているようだ。
権力(暴力)を背景にした非論理に対抗するには論理では歯が立たない。論理的に非論理に対抗するのは⇒人民の武装蜂起しかないであろう。
なぜなら刑事裁判における非論理とは暴力(監獄・死刑)だからである。郷田信郎弁護士は様々な事件で鋭い観察をし、法的観点から詳細な解明をしてくれてありがたいが、今回の袴田事件のコメントには欠陥があると言わざるを得ない。

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2018年5月22日 (火)

カンヌ映画賞で万引き家族

News & Letters/634
安倍自民党政権下の貧しい日本の家族の実像が描き出された作品に
最高級の賞が与えられた。賞が与えられたということが大事ではない。
その内容、訴えるものが大事だ。私はその映画を見ていないが、報道である程度わかる。
深刻な悲喜劇だ。私の住む周りにも大勢の貧困家庭が不安な毎日を暮らしている。
生活保護世帯はその貧困層の中で数十%にすぎない。あとは放置されている。
政府の生活保護費の段々の削減はその生保家族をも追い詰めている。
市営住宅の家賃が払えない、国保税が払えない、固定資産税が払えない、という人々が私のところに相談に来る。
生保を申請しても、葬式代にも足らないわずかばかりの貯金を暴かれて拒絶される。
このような実態に私は日ごとに立ちあっている。
  み吉野の 吉野の鮎
   鮎こそは 島辺もえき
     ゑ苦しえ 
   なぎのもと せりのもと
    吾は 苦しえ
という日本書紀の民謡の声が寒村の私の村に高く低くうなっている。
  ところで、私が調べたところ室戸市も税収が11億円程度なので必要経費の大半は国の地方交付税交付金に頼っている。高知県も、県下の市町村は総てこの交付金にすがってくらしているのだ。
この交付金は国に申請するときには、高齢者への手当てに何億、子供たちの世話に何億、道路1キロメートルにつきいくら・・・・
という風に事細かく計上して出されている。だが、政府がそれを認めて交付するときには、総額幾らでおりてくるから、もらった都道府県や市町村は何に使ってもおとがめはない。
しかし、例えば高齢者のお世話に年間7億円必要だと申請してもらっておいて、実際にはその半分ぐらいしかお年寄りに使わず、他に流用しているのが実情である。
また、生活保護費の4分の3は国や県が出すことになっていて、4分の1は市町村が負担することになっているが、その市町村の負担分も地方交付税交付金でもらって賄っている。
室戸市の交付金の内訳では、生活保護費は4億円申請しもらっているが、生保費には3億円程度で済んでいる。
残る1億円は、どこへ行ったのか。生保家族以外の極貧層はその数倍存在していると考えられるから、少なくともその人々を支えるためにせめて残りの1億円は使うべきではないか。地方交付税交付金では、農林水産業に2億5000万円ほどおりてきているが、予算書を見ても1億5000万円ほどしか使われていない。残る1億円はどこへ行ったのだ。不漁や台風の被害で農漁民はあえいでいるのに。
室戸市長は、ウミガメ水族館の建設で3億5000万円業者にわたした。たった3カ月の工期を16ヶ月延ばし、ほとんどの工事を下請けにやらせた。下請けの契約金は、たったの1億8800万円程度だから、その差額は1億6000万円である。
このような巨額利権に絡む無駄な事業がどんどん遂行されてきた。
そのような多額の無駄事業のために地方交付税交付金はおりてはいない。
地方交付税の申請では、お年寄りや子供や地域改善のためのお金が必要だといっておりながら、いったん入るとその情報は深く秘匿し、室戸市の場合50億円近いその交付金を湯水のように特定業者どもに注ぎ込む。
このような地方交付税交付金をめぐる国家・地方がらみの大詐欺事件は室戸市だけではない。
そして悲しいかな、多くの貧困層は選挙になるとオウンゴールよろしく、自分たちにあたがる金を剥ぎ取り他に流用する
政治グループに投票してやまないのである。
是枝監督に頼みたい、このような悲喜劇を映画化していただきたい。二度目の賞は確実と思われる。
 

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2018年5月 6日 (日)

憲法の覚悟

News & Letters/632
憲法9条は文字通り死守されねばならない。
憲法9条は非現実的だとか、専守防衛の自衛隊の存在は合憲だ、
自衛隊が違憲だというのは一部の学者だけだ、など左翼という人士まで
そういうでたらめな意見を発表し続けている。
自衛の権利は自然法でも認められているから自衛隊は合憲だという者もいる。
だが、だれがどう見ても自衛隊は武装した軍隊であり、戦前の旧軍隊よりも
強力な火力を持っている事実は何人も否定できず、憲法9条に真っ向から矛盾することは火を見るより明らかだ。
この矛盾をなくするために改憲だというのが安倍たちの論拠だ。
自民党や野党といわれる連中も憲法9条違反の罪科を課されるべきだ。
それでは、外国が攻めてきた場合どうするのだ、というだろう。
憲法ができた当時も当然同じ疑問が出された。それでもなお、制定時の政党や国民は
現行の9条を掲げた。当時の政治家たちが何故非武装不戦の憲法を選択したのか。
それはただ単純にアメリカに強要されたからなどとは言えない。
新憲法を制定する国会審議で9条の条項を改変し、軍隊を保有する憲法にすることは可能であった。
可能であったがしなかったのだ。なぜだ。
それは仮に他国から侵略を受ける事態が発生しても構わない、国が他国により滅亡に追いやられても構わない、という覚悟があったからであろう。
戦争によらず武力によらず他国を信頼して交渉や対話を通じて国を守る、ということには限界があることは容易に想像できたはずだ。それでも9条を選んだのは、なぜか。
回答。他国の侵略によって植民地にされても耐えて生きていこう、いつかはその侵略を克服できるまで耐え忍ぼう、むしろ軍隊を持ち、戦争を外交の手段として再び他国を侵略し人に多大の犠牲を強いるよりも耐え忍ぶ方を選択する、という覚悟があったはずである。
安倍自民党らの北への制裁・武力行使一辺倒を批判し、対話路線が大事だという主張もなるほどと思うが、それだけでは憲法9条の精神は反映されない。例えば、どういう状況であろうと日本政府や国民が北朝鮮への医療や薬剤を無償で提供し続けるということをしたれどうだろう。われわれは朝鮮人民には天文学的巨額の血の負債を背負っている。
南北分裂の民族の悲劇の根因も日本の植民地支配だ。恒常的に医療や食料、衣服など北朝鮮人民の生活の糧になるものを提供し続ける方が、「対話」よりいっそう日朝の平和に効果があると思う。
相手が核を持とうがミサイルを持とうが、我々はなすべきことをする以外に道はない。するべきことをしなければだれも信用してくれない。
北の脅威に対しては砲弾ではなく、医薬品や食料で応戦してみろ。憲法の覚悟は、はいつくばっても相手の心をつかむ行為を促している。
拉致被害家族の願いに応ずるのも、武装対決や経済封鎖ではなく、朝鮮へのわれわれの朝鮮半島植民地化への償いの行為だ。

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2018年4月29日 (日)

自衛官の暴言

News & Letters/631
小西議員に対し自衛官三佐が街頭で「お前は国民の敵だ」といきなり罵った、というニュースが走った。
三佐は後になってそんなことは言っていない。「あなたのやっていることは日本の国益を損なうことじゃないか」といったという。
国益を損なうことをやっている者は、国民の敵になるから、三佐は、実質上小西議員の告発を認めたことになる。
問題は、議員や国民の意見の表明に対し、暴力装置たる軍隊の幹部が敵意を持ち、暴言を吐きかけたという事実だ。
国を守る軍隊という暴力装置が独自の政治的意思をもって国民に牙をむきだしたということだ。
だから、憲法9条の意義がある。
戦争をするしないに関わらず、軍隊を持つということは、その軍隊が独自の政治勢力
に転化し、軍事権力に向かって暴発する可能性を持つということを認めるということだ。
他の規定と矛盾しようがすまいが、憲法に自衛隊を明記することはそのことを明示的に承認することとなる。
銃や大砲、戦車や戦闘機、戦艦を持った連中にまともに立ち向かって勝てるわけはない。
軍隊は二つの危険性がある。他国への侵略と、クーデターによる軍事権力の樹立だ。
軍隊が決意さえすれば、この二つの危険を阻止することは極めて困難だ。彼らに自己を民主的に抑制するという理性を期待することは夢の夢である。まして、安倍晋三などのような低能の好戦的政治家が「文民統制」の頂点に立っているときにはなおさらである。
今回の自衛隊三佐の暴言は、やがて民主主義体制を打倒して彼らが軍事権力を樹立する意思があることの予言に他ならない。
憲法9条を実現すること、戦争をしないだけではなく、武器弾薬を持たず、軍隊を持たないこと、憲法9条の文字通りの死守は、アジア人民の為だけでなく日本国民のためにも現今最高の使命である。
いまの共産党を含む野党6党らも自衛隊を事実上認めているが、軍隊の悪魔的本性にやがて遭遇してノー天気だった自分を嘆くことになるだろう。

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2018年4月 6日 (金)

情報隠蔽?

News & Letters/626
陸自のイラク戦地日報問題は情報隠蔽というべきであろうか。むろんそれもある。だが、
戦地からの報告書を大臣はもとより自衛隊の幹部ですらも目を通していない、ということが問題なのではないか。
戦地に派遣した軍隊の日日の戦闘記録を幕僚や将官が見ようとしない、そんな軍隊があるだろうか。
戦闘員が記録した日報が行方不明になっていた、隠していた、などというようなことで騒ぐというのが理解不能だ。
普通の会社でもこんなことは起こらない。例えば海外などに営業に出した社員の報告は今か今かと首を長くして待つのが会社の役員の普通の姿だ。現地からの報告で一喜一憂する。現地からのその報告書は宝であり、会社や組織の生命線のはずだ。
イラクやスーダンからの報告書は、誰よりも最高級の将官や文民たる大臣の手元で共有されていなければならなかった。
大臣が日報を探索するよう部下に指示した、などと自慢げに答弁する姿は余りにも愚かで笑うこともできない。
日本の軍隊、日本の官僚組織は自己の職務より何か別のことで夢中になることがあるのではないか。
現地の状況に無関心で、それで作戦を立てて戦争を始め戦争を続行する、そういう軍隊がさきの旧軍隊の姿だ。
現地の状況を知れば、無謀な戦争はできない。他国の民衆の激しい抵抗があり、その現実の報告があってもその報告を無視し、己の野望と図上作戦で侵略戦争を拡大しアジアの民衆を殺し祖国を敗亡に追いやった。
その一丁目一番地が現地からの報告の無視である。
行方不明になっているのは、戦地の状況を何よりも重視する軍人としての感性であり、
また、高級軍人や「文官」たちの職務専念の観念だ。

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2018年3月28日 (水)

絶望

News & Letters/625
森友事件で決裁文書の書き換えが行われていたことを政府が認めた。
安倍自民党政府は憲法の改正ももくろんでいる。
しかし、幾ら憲法を飾っても公文書をいくらでも改ざんするのだから意味がない。
文書を改ざんし、現実にあったことを隠す政府を信頼する根拠がないから、仮にいい憲法だといってもそれを尊重してくれるという保証はないことになる。
戦争中はともかく明治以来これほど権力の正体をあらわに示す事件は余りないだろう。
今日の森友事件をめぐる状況は、資本家階級の支配では、まともな法治など全く期待できないということが国民みんなが分かったということだ。
佐川の証人喚問を見て、絶望 という衝撃が日本の政治に広がり、国民の胸に広がった。
政治家がいかに腐敗してもそのもとにある官僚や役人はそれほど悪くはない、と信じてきた国民は多い。しかし、役人も政治家と結託して国民をだますために文書改ざんまでやるという姿を見て国民の絶望感は深い。
しかし、絶望は深ければ深いほどその反発力は威力を増す。
それが失恋からであれ、事業の失敗からであれ、そして今回の森友事件の佐川や安倍の顔からであれ、絶望は革命的な熱情を生みだす。レ・ミゼラブルのジャンバルジャンが最後にパリの内乱のバリケードに走って参加したのも、大切に育てた女性が他の青年にとられたという 絶望 からだった。
 
この政府は基本的には民衆の実力(武装闘争からデモ・集会・選挙戦を含む)で打倒しなければ根本的にはよくならない。そのことは沖縄の基地問題でも原発問題でも同じである。
プロレタリアが権力を奪取しないまでも、圧倒的多数の民衆の実力闘争が発展しなければ権力は変わらない。

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2018年3月22日 (木)

裁判闘争での敗北

News & Letters/624
函館地裁の大間原発差し止め裁判、佐賀地裁玄海原発3,4号機差し止め裁判が相次いで敗訴。
国策をめぐる事案で裁判で争って勝つのは至難の業である。
それは、事実や法令をもとに利害をめぐっての争いではなく権力を相手にする政治裁判であるからである。
裁判官の圧倒的多数は権力の側にその意識を保って生活し仕事をしている。
住民訴訟を含む行政訴訟で勝つのは至難の業である。
だから反原発運動では裁判闘争での勝利を最終的勝利目標にしてはならない。
原発を止めさせるのは権力の構成を変革することによるから、選挙も含む大衆的な政治闘争によって決着をつけることである。裁判闘争はその政治闘争の中に位置づけられる。
すなわち、政治闘争を活性化させ、敵の姿を鮮明にし、我々の政治目標がいかに正しいかを明らかにすること、そのことによって大衆的政治闘争の大義を鮮明にし闘争を活性化させる、そのために裁判闘争をするということである。
選挙戦を含む大衆闘争の発展のなかで裁判所の姿勢も変わる。裁判闘争至上主義に陥り、原発のある市町村への大衆的な扇動工作、選挙戦など政治闘争を主体にした反原発闘争の原則を忘れてはならない。
東洋町での経験では、一個の裁判闘争もせず、もっぱら署名活動や宣伝活動、そして選挙戦で決着をつけたのである。裁判闘争で勝てばよし、負けても裁判で明らかになった事実をもとに大衆運動の発展の足場を築きあげねばならない。原発東京都問題は政治決着だということを肝に銘ぜねばならない。
現地の議員選挙、首長選挙に登場することは当然の戦術である。
玄海町議選では永く保っていた反原発1議席も失うようでは、あるいはそれを受け継ぐために立候補の一人も出さなかったでは、その運動の本気度が問われよう。
政治闘争で無力なのに、さなきだに難しい裁判闘争で勝てるわけがない。
このままでは福島のように取り返しのつかない大事故が起こってから初めて原発の恐ろしさが分かった、ということになりかねない。

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