国政問題

2020年3月 5日 (木)

クルーズ船について

高知県下の感染が広がっている。当初30歳の看護師は大阪のライブハウスのコンサートで感染したと報道されていたが、むしろ逆であったことがわかった。県庁やマスコミのこのような誤った認識には
あきれるが、私もうっかりそれを信じてしまった。既に高知市内にも感染は潜行していたのである。

小中高校の休校が始まったが、これには何の効果ももたらさないだろう。子供たちは、家に閉じこもるわけにはいかないから、学童保育や休校中の学校はもとより、友人の家、親せきの家に行き来し、量販店やゲームセンターなどへ自由に解放されることになり、通学しているよりリスクや心配が拡大する。これは安倍の唐突な思い付きであり大失敗だ。

民間の検査機関をほとんど使わず検査を局限し、それによって患者数をごまかすという悪質な政策を続行しているから、政府の非人間的な政策の変換を要求するとともに国民は独自に対策を講じなければならない。

検温を全職場、全学校、すべての公共施設、全地域、全家庭で実行し、発熱のある人を探索し、人交わりをさせないようにすべきだ。政府の言いなりになってあのクルーズ客船の大失敗を繰り返してはならない。

クルーズ船の防疫対策は根本的に間違っていた。陽性者を発見することに熱中しその他の乗客を密室に閉じ込めウイルス培養器と化した船で患者化を促進させられたのである。

陽性者の発見も大事だが問題は陰性者の発見とその乗客の密室からの脱出(救出)を図ることがさらに重要だった。

高齢者や病弱者には十数日も狭い密室に閉じ込められるだけでも身体や精神への大きな打撃になるが、その上に病原菌を植え付けられるのであるから、日本政府のやった防疫は、甚だしい人権侵害だった。

陽性者や感染者は当然すぐに病院に搬出されるべきだが、陰性者も可及的速やかに船から脱出させなければならなかった。
これくらいの判断は、素人でもできる。

建物に人質をとって立てこもる凶悪事件でも、傷ついた市民を救出するだけでなく無傷で閉じ込められている人も脱出させねばならないのである。安倍自民党の政府要人や「専門家」たちの言う通りにしていたら、我々の命が危ない。

緊急事態…法とかの新しい強権的な法律の制定ではなく、検温、検査、収容施設の確保、マスクの配布など普通のまともな対策を進めさせること、そんなこともしない政府を打倒することが大事だ。このままでは日本全体がクルーズ船になるかもしれない。

革命は、恐慌や戦争だけではなく、病気の蔓延を契機として起こっても構わないのである。

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高知県奈半利町のふるさと納税事件


ふるさと納税で驚異的な好成績を上げていた奈半利町幹部職員が、
業者と結託し、不正を働いていたとして、逮捕された。

事件の背景を考えてみる。
まず第一に言えることは、この納税によって役場がじかに営利的営業活動の拠点になっていることである。

実質的に普通の企業と同じように、商品を並べ顧客を募り販売する。公務員が商売をするのである。
寄付を募るとはいえ、公務員が商売をするのは邪道であろう。この制度自体が邪道なのだ。

寄付は寄付、商品の販売は商売で、税金の問題を介在させるべきではない。寄付が増えて大儲かりする市町村の一方で税収が激減する市町村も出てくる。

また、見返りの品を整え送付(販売)するのに業者と結びつく。その結びつきには何らの法的規制はないから、担当公務員と、人気の商品を提供する業者との癒着が当然生まれる。
公務員を営利活動の担当者にする制度をやめるべきである。

市町村内で商売を活発にさせるには民間に力がない場合、行政が会社や第三セクターを立ち上げる必要がある場合がある。
このふるさと納税の制度を続けるにしても、行政がじかに営業するのではなく、民間を引き込み営業・企画活動は民間にしてもらうべきだ。行政はこれを援助したり監視したりする立場に置かねばならない。

ふるさと納税の制度を作っても、それを実際に運用する制度も設計しなければ行政機関が不正な利権の温床となり、有能な公務員が巻き込まれる。毎日利権の波の中で身を保つことは 難中之難無過斯だ。

奈半利町の事件は、菅現官房長官の設計ミスだ。

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2020年2月16日 (日)

検事長の定年延長事件

東京高検の検事長の定年問題が重大な政治問題となってきたのは当然である。

時の権力が司法を思いのままに動かすという深刻な事態の背景には、日本の民主主義の脆弱性が横たわっているように思われる。

第一に三権分立ということの法的根拠が明確でない。日本国憲法ではそれが明示されていない。
むしろ、一権独裁という感じだ。国会で多数派が内閣を構成するから総選挙後直ちに立法と行政の2権が多数党に取られる。

そして最高裁長官もその判事も総理大臣が人事権を持つから司法も取られ、三権が一権(行政権)に収斂される。

それまで高級官僚の任命などには政府は遠慮していたが五年前の内閣人事局の設置によって官僚組織の首根っこが押さえられた。

私は提案する。日本国憲法の精神は明確だから、法律で三権分立を明確に定めるべきである。

そして、内閣の人事権が司法に及ばないこと、検察庁を含む各省庁の官僚の人事権にも内閣が干渉できない
ことを明確にすべきである。そして官僚についてもキャリア・ノンキャリアの差別を撤廃すること。

ここで憲法第15条第1項が重要である。

憲法は、国民固有の権利として国民が公務員を選任、罷免するとなっている。
しかしその実施方法を担保する法令がないので空文化され、憲法上何の権限もないのに総理大臣や首長が勝手気ままに人事権を振り回し、三権分立の建前をぶっ壊しているのである。

15条が言うこの公務員というのは、何も公職選挙法で選ばれる議員や首長に限られていることではない。

野党は、政府の独断専行・法令無視についてその度に驚いて異議を述べるが、そのような消極的な姿勢ではなく、日頃民主主義を保証・補強する法令を提案するなどもっと積極的な攻勢を持つべきだ。

私は、10数年前小さい町の首長であったが、毎年の人事異動については、まず全職員の希望をアンケートにとり、実際の移動の調整については総務課長にやらせ、特別に不適任と思われる場合以外は、口出しをしなかった。

選挙で選ばれ政治性を持つ首長が人事を切り盛りすれば必然的に中立であるべき行政職員が党派性を帯びるからである。

選挙で選任する場合とは違う憲法で謳われた国民の公務員任免権が空疎になっていること、これが、今回の検事長問題の基底にある。少なくとも、国や地方自治体の不法行為や不公正な公務員人事について国民が、現在の住民監査・住民訴訟制度程度のチェックができるような制度を作るべきだ。

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2020年2月14日 (金)

上皇

天皇の退位についての皇室典範特例法によれば、退位した明仁は上皇となり、后も上皇后となる。

上皇とは太上天皇のことであり、歴史的には場合によっては天皇をしのぐ権威と権力を持つ。

第一に、日本国憲法第1条では天皇の地位は国民の総意に基づくと規定されている。上皇などという存在と尊称は憲法にはない。憲法にないものを皇室典範、その特例法で設置を決めることができるであろうか。

その地位は国民の総意に基づくとあるが、国会の議決が国民の総意といえるだろうか。国会議員の選挙で天皇の地位について公に議論されたことなど一度もない。

憲法第2条で皇位は世襲であると規定されている。第1条は直ちに第2条で否定されていて、国民の総意ま何もないが、すくなくとも同時に二人の天皇を祭り上げるということにはならない。天皇は退位すればすべての公の行事から姿を消し神がかった虚飾から解放されて一国民として自由な生活が保障されるべきである。

天皇の国事行為の最も欺瞞的なのは、戦没者への慰霊旅行だ。
先の大戦で罪があったのは裕仁昭和天皇であって、明仁天皇には無関係だ。だから太平洋諸国や沖縄などへの戦没者慰霊の旅はする必要はない。必要なのは、天皇による慰霊でなく、天皇を含む日本政府および日本国民による謝罪と賠償だ。

私は十数年前室戸市の姉妹都市オーストラリアのポートリンカーンへ交流団の団長として高校生らと一緒に行き、10日ほどそこに滞在した。最初のある高校で私があいさつした。先の太平洋戦争のとき、日本軍がダーウインなどに空爆を加えオーストラリアの市民に多大な犠牲と損害を与えたことについて、私は日本人を代表して謝罪した。

そうすると、私の英語が通じたと見え、そこの数百人の高校生を囲んでいた保護者や市の関係者たちが私の周りに集まってきて  
Greatly impressed!と口々にいって、日本人から初めて謝罪の言葉を聞いた、といった。

日本人は中国や朝鮮はもとよりアジア太平洋諸国のどこへ行っても侵略戦争へのapology を忘れてはならない。

天皇であれ上皇であれ、天皇裕仁が先導した侵略戦争の犠牲者の霊魂に対しては慰霊ではなく謝罪が必要なのである。

なお、天皇制存続、女帝の皇位継承などについては憲法改正に準ずるものとして憲法96条の国民投票が必要であり、国民の総意が示されねばなるまい。

その時国論が二分されるようでは、天皇制は維持できないだろう。総意は過半数とか三分の二以上というようなものではない。

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2020年2月10日 (月)

伊方原発の連続事故

本年1月に四国電力伊方原発MOX燃料をも燃やす3号機で信じられない重大事故が続けざまに起こった。

高知新聞の記事からみると

①1月12日:予定外の制御棒1体が原子炉から引き抜かれ7時間も放置された。
使用済みMOX燃料を取り出す準備で核燃料を固定する装置を引き上げているとき、制御棒1体も一緒に吊り上げた。

②1月20日:使用済み核燃料のプールで燃料が点検装置にうまく挿入されず、装置の枠に乗り上げ、
燃料落下の信号が作動した。燃料損傷の可能性も懸念。

③1月25日:定期検査中、午後3時44分外部電源が遮断され発電機が作動するまで原発内の電源が失われた状況が10秒間
続いた。それは具体的には、

*原発施設への送電線の部品取替え中、異常な電流を遮断する装置が作動した。

*送電線への四つの回路のうち一つから、通常は発生しない放電に伴うガスが検出された。

④その日1月25日、午後4時27分最後に核燃料プールのポンプの電源を再起動したが、その間43分間核燃料プールの冷却装置は機能せず、水温は33・0度から34・1度まで上昇した。

この燃料プールの冷却装置の長時間の停止については、翌月2月になって初めて明らかになった。

これら①~④の事件について原因はわかっていない。

この事件が発生中、1月17日に四電は、広島高裁で伊方3号機の運転禁止の仮処分決定を食らっていたがその判決を別の形で自ら実証した。

その実証は、地震や火山など自然災害などによる外的な要因による原発の危険性ではなく、原発を運転する技術的な人的要因による危険性の実証である。

これまで、原発については、その電力会社の運転技術・管理能力については、完全であるとの前提で論じられてきたが、その前提が崩壊した。もともとそんな前提を担保するものは何もなかった。

伊方の今回の連続事故は、伊方だけでなくすべての原発の問題である。運転技術については、国民の側には、実際の事故を見せつけられる以外に、検証の方法がない。

何もないのに、原発内の電気がすべて無くなった、何もないのに原子炉の制御棒が長時間引き抜かれた、地震も津波もないのに、燃料プールの冷却が停止した、・・・・誰が枕を高くして寝ていられようか。

バカ殿さまとそれに服従する家臣たちの運営する城下で民百姓は戦々恐々と暮らすしかないのか。

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2019年11月30日 (土)

尊王攘夷

新天皇の即位をめぐる狂騒曲がやっと静まった。
今時、天皇族を崇め奉ることに日本国民はどれ程反応しているのであろうか。

ばかばかしくて見ていられないというのが本音であろう。

しかし、ばかばかしい行事もこれほどまで銭をかけ、大掛かりな虚構をうやうやしくやっていると、本当に威力を発揮することになるかもしれない。

歴史を振り返ると、なおさら空恐ろしい。
幕末の基本スローガンは尊王攘夷であった。
この四文字には、王と夷が対句になっている。一方はあがめられ、他方は卑しめられ迫害される。

もともと攘夷の夷は、蝦夷の謂いであってアイヌを含む東北以北の民衆のことだ。

幕末において異国人を軽愚して敵対するために伝統的な蝦夷への蔑視・敵愾心を借りてそれを利用した。東北の民衆への差別心を外国人に向けたのである。

平安時代以前から日本の朝廷や武家政権は、蝦夷・奥州俘囚への激しい差別心をもって政治の要諦としてきた。桓武天皇らは蝦夷征伐と都建設を最大の政治的課題にしてきたし、鎌倉、室町、江戸幕府の権力の中核は征夷大将軍であった。蝦夷への蔑視と天皇や将軍への敬意は絶えず一本に結ばれていた。現代の皇室への尊敬(特別な敬愛)は必ず他方に軽愚され抑圧される者がいるはずである。

今も東北の民衆は原発の業苦を背負わされ犠牲に供されている。
そしてまた遠い昔全国数十か国に配流された奥州俘囚の裔孫である部落大衆、その被差別の忍苦の生活も続いている。
天皇一族の晴れやかなパレードを見るにつけ情けない思いが突き上げる。

支配階級の権力の象徴である天皇とその天皇制に対し、日本国民は、いかなる敬愛の念も抱かず、その血塗られた歴史(崇徳上皇は配所で血書でもって天皇の皇統を呪うと誓った)の実相を直視し心の武装を解いてはならない。

     解放歌の一節

ああ、虐げに苦しめる 三百万の兄弟よ
踏みにじられしわが正義 奪い返すは今なるぞ
涙は憂いの為ならず 決然たちて武装せよ

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2019年11月 1日 (金)

身の丈

荻生田文化相の身の丈発言が顰蹙を買っている。
身の丈とは身分ということである。

身分(差別)をわきまえろという発言が日本の政府閣僚から出てくるとは。
かつてはそうだった。差別をわきまえろが大義名分論の中核だった。

だが、戦後部落解放運動などの発展で、差別だ という声に震え上がる時代が出てきた。
差別を受けてきた人々がほう被りをして往還の隅を歩いていた時代から堂々と出身身分を名乗り権利を主張する時代がやってきていた。やりすぎもあったが激しい糾弾闘争も歴史的には重要な役割を果たし社会の迷妄を切り開いてきた。戦前戦後の解放運動がなければ部落大衆は今のような扱いは受けられなかったであろう。

だが、近年解放運動の沈潜などで、ヘイトスピーチなどが横行し、差別だといってもその差別を開き直る連中が出てきた。ネトウヨだけでなく荻生田のような身分差別を当然視する政治家も出てくるだろう。

人ながら 如是畜生ぞ 馬牛の 河原の者の 月見てもなぞ
これは16世紀初めの「七十一番職人歌合」の中の一首である。

ある学者はこの歌は穢多・河原者の立場になり代わっての歌だ、として
(人間でありながら、このように馬牛なみの扱いを受けている者なれば、美しい月を見ても心が晴れぬ)という解釈を示した。(「部落史を読む」阿吽社発行)

私の解釈では、この歌は差別を受けた当人が詠んだ歌であろう。如是などというお経の言葉を使っているから僧体のものかもしれない。

初めの、人ながら如是(にょぜ)畜生ぞ という句には、同じ人間でありながら畜生同然の扱いぞ という激しい叫びともとれる断定的義憤がある。

後の句には、馬牛とさげずまれる河原者であっても、月を見ても人並みに美しと感ずる、
それなのになぜこのような仕打ちを受けるのだ、という胸を打つ強い抗議の声が悲しげに響いている。

現代の解放運動は、抗議の怒りの思いを持つ多くの部落民がいるのにこの学者らの解釈のようにその声を感傷的詠嘆でしか理解しない、そのような低調な運動に似ている。

部落民だけではない。多くの受験生には経済的格差が厳しい。有名高校や大学に入学する大半は裕福な家庭の子供たちだ。部落を底辺としながら、大多数の国民が身分的格差ともいうべき差別の中で苦しんでいる。

中世の賤民たちの心の怒りは数百年たってもまだ晴れない。

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2019年10月24日 (木)

関西電力問題と解放運動

関電にたかっていた高浜町の元助役についての報道について、10月9日に部落解放同盟中央本部が声明を出している。
一時的に元助役森山が解放同盟に所属し、高浜町支部や福井県連の結成に貢献したと認めるが、今回の事件と解放同盟は全く無関係であると釈明する。
しかし、今回の事件については、まず原発に対して基本的な批判的姿勢を鮮明に示すべきであろう。

原発は、差別的棄民思想なしには建設されえない。立地地域の住民、部落民も含む従事する労働者に対する差別こそ、原子力産業の根幹にある。反原発闘争は解放運動にとっても重要な闘争でなければならない。

次に、確かに、今回明らかになった事件には、解放運動は何のかかわりもなかっただろう。

だが、かつて、れっきとした同盟の一員であったものが、原発マネーを操り原発推進の地域の中心人物になったことについて国民に謝罪し、反省の言葉がなくてはなるまい。元助役森山の事件で、今回の声明で糾弾している通り、一部マスコミによって部落差別が増長される結果を招いた、それを防ぐことができなかった事実が厳然として存在する。

被差別部落の人間が起こした事件について何もかも責任を取るというわけにはいかないが、森山にはかつて荊冠旗を渡していたのである。関電こそ部落差別を利用して原発を発展させ、今窮地に立つと部落差別を利用して責任を逃れようとしているのである。解放運動側は原発マネーとは関係がないが、しかし、関電側の利権工作は部落問題を利用していたのである。「人権教育」の講師で関電の先生だった「特定の人物」に脅されて怖かったから、怪しい金を戻せなかったというのである。

原発マネーではないが同和利権も問題だ。

考えてみれば、同和対策特措法を成立させて以降、何兆円という膨大な対策費が部落に流れた。
その特措法を制定させるとき、私は中央本部青年対策をやっていて、全国青年集会に集まった1千の部落青年たちとともに総理府突入闘争の先頭に立っていた。厳重に防護していた機動隊を突破し、総理府構内を占拠し、それと呼応して100人の中執と中央委員が庁舎内デモ行進、5人の決死隊による屋上の占拠、

庁舎正面に巨大な垂れ幕を屋上から垂らした、これらの闘争を敢行し、床波長官の部屋の前に座り込んで法律制定を約束させた。
その実力闘争自体は長い解放運動の中でも特筆すべき歴史的なものであったが、その後が十分でなかった。

何兆円もの国の予算措置がなされた。その巨額の金に十分な対策もなしに同和予算に浸かってしまい、利権が渦巻いた。
同和対策予算の受け取り方をもっと慎重にすべきであった。

同和地区だけがよくなっているという逆差別が横行した。逆差別自身は、無理解から起こったものであるが、その無理解も貧しい国民の感情としてはやむを得ないものであった。だから、同和対策予算は、同じ市町村区域の貧しい住民とともに同じ額を受け取る、そうでないと受け取らないというやり方をすべきであった。

部落民だけが高額の奨学資金を受ける権利がある、部落民だけが・・・・。いくら貧しくても部落民でないから受給できない、住宅にも入れない、そういう状況を作ったのでは、逆効果・逆差別が生まれるのは当然だった。・・・・この際、同和利権や原発マネーはもとより、いかなる利権についても
解放運動側は毅然とした方針を持っていることを鮮明にすべきだろう。

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2019年10月16日 (水)

不自由展 愛知トリエンナーレ2019事件

10月15日の国会予算委員会で野党の質問と政府答弁を聞いた。
隔靴掻痒の感をぬぐえない。企画展の混乱予想を事前に申告しなかったということで
政府は補助金不交付を決定した。政府は内容ではなく手続き上の問題で決定したという。
野党の側もそのレベルの追及に終始したようだ。

しかし、安倍権力側の狙いは、河村名古屋市長があらわに示したように慰安婦少女像であった。
安倍政府は、積極的あからさまには表現の自由や文化の統制を始めたのではない。
今の段階では、真の狙いは煙幕を張って、反日本主義的傾向を抑える、申請など手続き上の事務段階で妨害をする

ということである。だが、煙幕は薄くその真の狙いは誰にでも透けて見える。徴用工や慰安婦問題で過去の植民地支配や侵略戦争を肯定する、そのためには隣国との対立・敵対も辞さない。
だから野党は、手続き上の瑕疵を追及するだけでなく、慰安婦問題や徴用工問題、日本の植民地支配・アジア太平洋への侵略戦争そのものを問題にしなければならない。

この内容の論戦を避けて、あるいは敵の狙いに内心同調して、政府と対決するといっても所詮は迫力のないアリバイ作りに過ぎない。

新聞やテレビの報道もそうだ。手続き上の形式論議は政府の日本主義的文化統制という実質的な内容をかくす役割を果たす。日本主義的イデオロギーはかつて(戦前に)戸坂潤(「日本イデオロギー」岩波文庫)が明らかにしたように、本体は無内容を特徴とする俗物の思想であるが、民主的なもの、科学的なもの、ヒューマニスティックなものなどを押しつぶす思想と行動を本命とする。

今次の安倍内閣は、一層日本主義的で反動的であるが、これを衝く好個の材料が愛知の企画展事件だ。
展示された朝鮮の少女の尊さと安倍権力の醜さをあぶりだすことなしに、権力の文化統制、表現の自由への弾圧を糾弾することにはならない。

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2019年10月13日 (日)

人災洪水


台風19号で東海、関東、東北の大小河川が氾濫した。未曾有のことだ。箱根では二日間で1000ミリを超える豪雨が降った。

近年の異常気象による自然災害の激増は政治を担当するものには十分予想されたことだ。
日本の治山治水の大敗北が今回の災害で覆うことがないほどに露呈された。治山治水は古来より政治の要だ。

それでなくとも山地の荒廃は放置され、下流の河川への土砂の流下、川床の土砂堆積、堤防の相対的低下→氾濫洪水という図式は、誰でもわかることだ。ここ十年、安倍政権、自公政権でどれだけ有効な治水事業がなされたのか。

数年前ある識者のブロッグ(降籏達生)で指摘されていたが、近年異常気象による自然災害の増大が見込まれているのに逆に治水事業の国の予算は激減しているという。

平成9年では2.3兆円だった治水事業予算は、平成24年以降3分の1程度にまで削減され(平成24年には0.8兆円、平成27年には0.9兆円)およそ3分の1になっているという。

河川には常時上流から土砂が流れ川床を浚渫しなければ水流が堤防を越え、超えたところで堤防が決壊することは当たり前だ。河川の浚渫や管理整備には金がかかる。これまでの予算を少なくとも維持するか増大させるのが政治の第一の義務だ。

国会や報道陣は台風の被害を嘆いてみせたり大々的に報道したりするが、この悲惨な治水事業の予算削減をなぜ問題にしないのだ。

台風15号も今回の19号の被災も、これだけの予算削減で無策であった事実がある以上、人災というべきである。
大型の台風が襲来し国民が深刻な被害にあっていても、首相も知事も素知らぬ顔で庁舎に当庁さえしない。

河床の浚渫もしない、堤防の増強もしない、有害無駄な軍備や原子力へのテコ入れの金はてんこ盛りの予算措置で、治山治水の金は、容赦なく削減する。政治に十分関与できない私は、テレビの災害報道を見て悔し涙だ。

苛政猛於虎也(苛政は虎よりも猛し) と孔子は言った。
虎の被害は耐えて村に残れるが、苛酷な政治では耐える方法がない、という。

安倍など自公政権という猛虎をしのぐひどい政治をのさばらしているわれわれ国民は繰り返し繰り返し自然災害の餌食になるだろう。

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