高知県政

2008年4月15日 (火)

高知県庁

News & letters 81/

橋本県政はもう終わりました。
だから、次のような姿勢に変えて欲しいのです。

例えば海の駅
これは東洋町が今試運転中です。お客さんはだんだんと増加しこの3ヶ月で1万人以上に達していて、年間5万人が達成されようとしています。
しかし、この粗末なプレハブの海の駅の立っている場所白浜ビーチは、県の施設です。美しい海と浜辺が駐車場の前に広がっています。
200台の駐車場とデラックスなトイレがあります。
本来なら、県が主導して海の駅を作り、物産展を開くべき所です。少なくとも地元の者に呼びかけ、県がバックアップするから物産展をやってみないか、といって条件作りをするべきです。
地元商店は廃れきっています。多くの町民は隣の徳島県のスーパーへ買い物に出かけています。
地元の安くて新鮮な魚や野菜・果物を出せば間違いなく繁昌するはずです。
県が本当に県勢浮上を考えているならとっくの昔にこの白浜ビーチに海の駅は出来ていました。

事態は反対です。地元が海の駅建設に動き出しましたが、誰も支援はありません。地域支援員とかがいるそうですが、知らん顔です。小さなプレハブ小屋を作って建てることでも、建築や公園法、適化法だの
どんどん規制を加えてきます。あげくには、西の方で失敗した施設の例の新聞記事まで参考にといって持ち出してくる始末です。一銭の金も出さないがいちゃもんは出しますというのでしょうか。
県庁の皆さん、改革粉飾とパフォーマンスの時代は終わったのです。実質利権行政は終わった。すなわち橋本県政は終わったのです。
県庁は、県民の先に立って働いてください。市町村のやっていることを仮に支援するのがいやであっても、じゃまはしないでください。

教育でも同じです。形骸化した制度を押しつけるのではなく、教育現場の実態を把握してください。
越境入学で一つの学校がつぶれかかっている、何とか調査だけでもしてくれないかと訴えても、知らないふりをするどころか、我関せずと言う堂々たる回答が来る。こんなものは県政を施すのではなく権勢を振り回しているだけなのではないでしょうか。
城に寄りかかって高禄をはむ昔の守旧派俗論党の侍と同じではないでしょうか。

福祉でもそうです。
町は豪勢な施設を作って、それでもそこで福祉事業を行っていました。町が3000万円出して5000万円の介護報酬を得て併せて8000万円の事業をやっていましたが、それを、町が赤字だ、損だといって、県外業者に「民営化」だという説明で一切を放り投げ、町の福祉事業を「全廃」しました。他県に福祉事業を丸投げしても町は毎年巨額の費用を県外業者に払い続けています。
町が社協に3000万円出して8000万円の事業をしたことがどうして損になるのでしょうか。
また、町の施設をがらんどうにし、町が福祉事業を止めて県外業者(その代表は自民党国会議員)を利するために県立高校(分校)の運動場を丸ごと無償で提供しました。これは町の執行部と県庁とがぐるになってやったことです。特定業者を利するために公募さえもしませんでした。
行政財産上に民間の建造物を建てることは地方自治法で固く禁じられています。行政財産上に私権を設定してはならないというのは行政のいろはです。
そこは町の規則でも今でも運動場となっていますが、県外業者の3億円の施設が立っています。
県庁はこれについて説明を求めてもだまったまま何も答えがありません。
この福祉全廃路線に荷担し活躍した某県会議員が最近東洋町にやってきて、市町村が福祉事業をやることは損をするという持論を披露し、彼を信用していたおおかたの傍聴人に不信を買いました。この県会議員は町内で起こっているリコール運動をやめるべきだという説教をして帰ったということです。

県庁。停滞と闇と権柄づく。この肥満した中間項。
この白い巨塔は、道州制で雲の上に蒸散する前に、解体されて、その資産と人材とをすべて市町村に下放し、市町村の野山に吸収されるべきではないでしょうか。

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2007年11月26日 (月)

News & letters49

新知事の登場

新しい知事が誕生しました。
大きな負債を残して橋本知事が退陣し、若々しい新知事の誕生を私たちは祝福すべきでしょう。
しかし、祝福するとしても何を材料にしてすべきか分かりません。
期待。
私の場合これしかありませんでした。
新知事の経歴からして、何か頼るべき材料がないのです。県勢浮揚のため尽力してもらいたい。
そして信頼される材料を少しずつ積み重ねていただきたい。
当面の最大の課題(お願い)は、

1 県下6つのブロックに市町村をまとめるという市町村合併を強行しないでもらいたいことです。
橋本県政が高知県に最後に残した負の遺産の最大のものは、県下の市町村を根底から破壊するこの合併策です。今回の知事選は何よりもこれを争点にして争われるべきであったのに、殆ど問題が回避されました。そういう点で県政最大の問題を無視した知事選としては選挙の意味は半減しています。このことが取り上げられていたら得票率はもっと上がったと思います。今回の知事選は人が交替したと言うだけで、何がなにやら分からない選挙として後世に残るでしょう。
6ブロックの合併策は合併策としても全国に比較して過激であり、これをやれば高知県の大半の市町村は破滅的打撃を受けるでしょう。江戸時代以前の人口に激減することは間違いない。

2 核廃棄物や原発などを高知県や四国に取り込まないようにしていただきたい。これを導入したら、高知県は最悪の環境となり人が住まなくなり、観光客も来なくなります。
原子力産業からエコエネルギーへの転換策を高知県が率先して進んでいくことを政策として追行して頂きたい。

3 県が持っている財産や人材、予算を市町村にどんどん下放して頂きたい。
道州制などがいわれていますが、これは地方政治を根本的に換骨奪胎しようというもくろみです。
それに抗して県の行政機能や権益を国に召し上げられる方向ではなく、市町村にどんどん移し替えて欲しい。国家の足腰は市町村にあります。国民は市町村で生きています。経済力も文化の力も、担税力も、自治の能力もすべて市町村で養われ蓄積されます。県は本来国との間に立ってその市町村を強化し支持するために存在し機能すべきです。決して市町村の存立を破壊したり弱体化したりするために存在しているのではありません。

4 法令を遵守し、利権行政はやめてください。特定の団体や個人、企業に甘い汁を与えないでください。節約し余分なお金は県民の福祉や仕事の保障、教育の振興、災害の備えなどに回してください。
オンブズマンのような感覚で行政内部の粛正と改革に取り組んでください。

以上をお願い致します。

なお、我々県民は橋本県政16年の検証をして、その結果を次の新知事に示す義務があります。

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2007年10月 8日 (月)

News & letters43

虚飾の知事

、美しい姿をしたお公家さん夫婦が土佐にやってきた。出自がよく、言葉が上手であった。
  実業は何もせず、それを覆い隠すために嘘八百を繰り返した。
お城は不正と疑惑の伏魔殿と化し、夫婦の贅沢三昧の牙城となった。

 その夫婦は土佐の豊かな自然資源を放置し枯渇させ、たくましい人材を換骨奪胎した。今、てらてらと肥え太って土佐から去ろうとしている。土佐の国はスープのだしがらのようになって棄てられようとしている。

2、他方、土佐の住民は、自らの努力を怠って、あたかも県勢が革新し上昇しているかのように装うために、外来のお公家を引っぱってきて鹿鳴館をいくつも造り、そこで化粧し美服をまとってその場しのぎをやってきた。

  しかし、中身の実体の衰えはもはやいかなる厚化粧 も美服もその実像を覆い隠すことは出来なくなってきた。借金は重なり、民人は減り、飢え、絶えようとしている。

、県庁は、萎え衰えた市町村ごとにたとえ1億円ずつでもいいから産業復興の資金を回す必要がある。
市町村は、自ら事業会社を立ち上げて、荒れ果てていく土佐の野山や海を復興させねばならない。

この大自然の中に私達の父祖が築いた財産を見 直し、これを生かし、県民の生活基盤を再構築しなければならない。行政は明治政府が行ったように殖産興業にその主力を注ぐ必要がある。

  新しい県知事は、虚飾や虚業ではなく、土佐の第1次産業を中心に据えた実業の復興にその予算の大半を使うのでなければならない。泥にまみれ汗にまみれなければ県勢の浮上はあり得ない。

  国の交付金が少なくなったとか愚痴や不平をいって自らの失政や無為無策についてごまかす徒輩にこれ以上関わってはならない。
  土佐の豊かな自然資源と人材で新しい人民の自立の砦を築きあげなければならない。

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2007年9月11日 (火)

News & letters36

続「黒い陽炎」

同和問題ではいろいろ物足りない面もあるが、いずれにしても、「黒い陽炎」は戦後最大規模で県政を揺るがした闇融資事件の解明には、なくてはならない記録であることは間違いない。
同和問題の把握が弱いのは現在までのジャーナリストのレベルでは仕方のないことだと思う。
特に高知県では、同和問題(部落問題)の科学的研究が著しく遅れてきた。県内の部落問題の深刻さや解放運動の先進的な進展に比べ大学や高校レベルでの専門的な研究家もほとんどいない。一本調子になりがちな運動に対してこれに指針を与えたり、批判したり、抑制したりするものが用意されなかったのである。

闇融資事件が差別に苦しむ地区住民に何にも関係ない事件だということが強調される必要がある。
確かに、モード社として協業化される以前には関係縫製工場は地区に根ざしていた。数百人の従業員がいた。
しかし、協業化され近代化されることによって、従業員の大半は放逐された。実際にはこの協業化がこれまでの借金の解消を目指すという目的での虚業化であったから、そのスピードも速かった。
そもそも、資本の有機的構成を高度化すればプロレタリアが職場から駆逐されるというのは当然の結果だった。モード社は、市町村の担当職員がいかにして手数の多い、従って雇用の大きい職場を確保するかと言うことで悪戦苦闘している努力とは反対に、最新式の機械やコンピュータを導入し、いかにして手数の少ない合理化工場を建設するか、ということを目指していたのである。400人いたという従業員はたちまち十数人になっていた。
県の幹部も同対審の審議委員(そこには共産党議員もいた)も地域の産業の近代化が何をもたらすのか考えようともしなかった。

その淵源は遠く、昭和40年の同対審答申(佐藤栄作総理大臣当時)にさかのぼる。
同対審答申は、全国の県庁、市町村役場では同和問題についての金科玉条であった。学識経験者や行政関係者、運動団体がこぞってこの答申を作成し喧伝した。この答申は水戸黄門の印籠よりもはるかに効能があったといえる。しかし、普通には同対審答申はその前書きだけが読まれて、その全文はほとんど全く流布されず、誰も読まなかったといっても過言ではない状況であった。
環境部会報告とか、職業産業部会報告とか、教育部会報告とかいくつかの部会報告が数百ページにわたって詳しく展開されていた。その中身は恐るべきで、地域の伝統産業を軒並み近代化し、転業廃業させるという方策が盛り込まれているのである。
私は、当時、この中身について部落大衆に警告を発し続けた。近代化によって部落問題が解消できるという論理は、日本の資本主義社会では不可能であるし、何よりも地域の生業が何の補償もなく破壊される、地域自体が破壊されるということを力説したのであった。私の説が正しかったかどうか、歴史の判定に任せるが、当時も今も同対審答申に基本的に反対し、批判しているのは私だけであろう。
この答申が出された昭和40年当時、私は大学生であった。当初共産党系部落問題研究会が大学構内の立て看板でこれに反対するという声明を出したが、すぐにその立て看板は引っ込められた。

私は、この同対審答申の全文を載せた本を多量に買い込んで各地で批判活動を展開したのだった。

私にとって、モードアバンセ社の事案はまさに同対審答申を地にゆくものであり、その論理の現実的破綻の一個の証左にすぎなかった。

闇融資事件が地域の大衆とは無縁であり、むしろ、その利益の正反対(職場喪失)を結果したものであること、そして負の社会的風評までかぶったというものであったことを知ってもらいたいのである。

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2007年9月10日 (月)

News & letters35

高知新聞の「黒い陽炎」は大変立派なドキュメンタリーです。しかし、問題点は次の通りです。
1、新聞としての自己点検が欠落している。
  *報道機関として同和問題自体の取り組みにつ
    いて無責任であった。県下各所に問題が出て 
    いるのにタブー視して批判的取材が全くなか
    った。
  *また、モード社の計画と事業について新聞が
    手放しで賛嘆していたこと。県下の縫製工場
    など同和対策事業を利用した悪質な実態が
    多数出てきていて、市町村の各担当が苦慮し
    ていたこと、
    それらをなんにも取材せず無関心であった。
  *実質的にはこのモード社の事業は同和問題が 
   利用されただけであり、同和地区とは関係のな
   い犯人や県庁関係者の、それらの連中の利益 
   が目的であったということの究明が全くなされて 
   いなかった。もちろんそれらの利権追求者らが
   運動団体幹部の威光をかさにき、それら幹部
   が事業を押しつけた事実はある。しかし、これ
   によって同和地区住民は何ら利益を得たわけ
   ではなかったこと、これらの事実が等閑に付さ
   れた。
   その結果、闇融資事件が同和地区住民の黒
   い闇であり、暗黒部であり反社会性を裏付ける
   ようなイメージを醸成した。
   そういうことの犠牲の上に賞を受賞したのであ
   れば、正義と人道を犠牲にしてジャーナリストた
   る者が何を得たということになるのか。
   事件の不正を暴いたとしてもその真の原因、真
   の責任者に照射するものがなかったとしたら、
   かえって何の罪もない、物言うことのできない民
   に罪の転嫁がなされたとしたら、・・・やりきれな
   いおもいがするのではないか。
   黒い陽炎の源泉は人民の中にあったのではな
   く、県庁の奥深くにあった。そのように描き、追
   求するのでなくては、断罪された結果とつじつま
   が合わない。
   
事件の解明はこれで終わったのではない。民事の裁判もあるが、最高裁の結果が出て確定した以上、確定した刑事事件のすべての資料は公開される。すべての警察調書、多くの人の供述書、最高権力者の供述書をも開いて真相を開いてみなければならない。

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2007年9月 8日 (土)

News & letters34

県の運命

実はこの原稿は、先週の木曜日に作ったものであるが、ブロッグの原稿掲載の操作ミスで消えたものを今再生しているものである。そのとき町の2,3の職員に消えた原稿「県の運命」を探してもらったが見つからなかった。自分は肩を痛めていてつらい思いをしながら打ち込んだ原稿なので大変惜しまれたものだ。

それは、安芸市のメルトセンターで開催された安芸郡市の市町村長会に県の部長が番外で現れてご託宣を述べられていたことについて、コメントしたものである。

その会議場では十分発言する機会がめぐってこなかった。

その場で私が発言したのは、先の参議院選挙で見るとおり、市町村合併などといって地方を切り捨てるという時代は終わった。地方を大事にするという逆方向が始まっているときに県が合併、合併といって地方疲弊の政策を採り続けるのはもうやめるべきだ、という趣旨であった。そうするとその部長は何を思ったのか、民主党が政権をとっても市町村合併はもっとどんどん推し進める、民主党ではもっとひどくなる、という趣旨をむきになって私に反論をした。県庁幹部が特定政党を頭ごなしに批判するのはなかなかのものであるが、私は別に民主党政権をとやかく言っているわけではなく、時代の流れをいっているのであり、他の同席した首長の中にも、合併を推し進めると町が疲弊する、という意見もかなり強かったのである。私は十分自説を説明する暇がなかったので、ブロッグに原稿を載せようとしたが、それが行方不明になったのである。その原稿を今思い出す。

タイトルは「県の運命」から「運命の県」にかえることにする。きょうの新聞でこの部長が橋本知事の「意中の人」であると報道されたので、このままでは県の命運が尽きかねないと思うからである。

その部長ら一行は、市町村合併のお勧めを例のごとくくどくどとしゃべっていたが県庁の幹部がやったという「政策協議」とやらのレジュメも私たちに示した。

その中身は陳腐なもので、県庁としては統治能力どころかもはや当事者能力をも完全に喪失しているとしか思えない代物であった。

部長が出したレジュメは県の財政が逼迫しているので県債の借り換え償還を検討している、とか、県勢を立て直すには第1次産業に力を入れなくてはならない、とかいう「政策」であった。政権末期になった県庁で今頃こんな程度の政策を鳩首協議しているかと思うとあほらしくなるのである。

やみ融資事件、横浜水産事件、坂本ダム事件など新聞が取り上げた大型疑惑事件だけではない。最近でも、外部監査委員が関係者に負担させろと結論付けた宿毛湾港の無用土地の買い上げ50億円、高知工科大学の12億円補助金使途不明事件、暦年数億円以上の無駄な支出を続けてきた職員互助会事件(18年度で打ち切り)など放漫財政をやりっぱなしにしてきた。

*県債の借り換えなどは10年も前にわれわれ大勢の県民が、市中銀行からの高利の借金について安い利子のものに借り替えて償還しろと監査請求で迫ったが、県はそれは知事の裁量権の範囲だといって取り合わなかったのである。財政は慢性的に逼迫しており、10年前も今も同じだ。世間では2%台以下の低金利が長く続いているとき8%以上の高金利を維持し払い続ける合理的根拠はあったのか。借金の証書には「県の財政事情によっては繰り上げ償還もできる」という1項も入っていた。安い金利のものに借り替えて繰り上げ償還をすることは毎年億単位の公債費の節減になった。こんな高利では結局借りた元金と同じ大きさの利子を支払うということになり、それぐらいなら、我慢をして金をためてから現金で支出をまかなうというほうがましであった。あまりに無自覚で無能ではなかったか。

*宿毛湾港の用地買収も中内知事の政策を受け継いだ形であるが、平成17年度あたりまで橋本知事の公印を推した支出関係書類が累積されている。何の用途のあてもなく、安くたのただの土地を高額で買い続けた。誰のために。核廃棄物関連の施設なら格好の場所ではないかと推測される土地だ。その50億円の借金は宿毛市の土地開発公社に長年肩代わりをさせて県の予算書や会計には姿を見せなかったが、宿毛市も音を上げた。それで仕方がなく県は例の転がしの手法を使って隠蔽工作を始めた。その50億円を宿毛市に貸し付けた形にして予算計上し、年度末に1日だけ銀行を介在させて返してもらって、すぐあくる日にまた同額を公社に貸し付けるという闇融資事件で使ったころがしの得意技だ。モード社の闇融資は10億ぐらいの金額だが、宿毛の場合は50億円だ。新聞はなぜもっとこの責任を追及しないのだろう。財政逼迫のどん詰まりの最近までこの土地を買い続けたのである。

*高知工科大学のある年の補助金12億円の使途がまったくわからなかった。普通の補助金の場合、使途は一冊の本でもその名前、金額まで明細の提出が求められる。もちろん、書店の領収書も添付される。

だが、平成11年度の工科大学の補助金の一部12億円の使途を示す明細も領収書も何も存在しなかった。住民訴訟で裁判にもなったが、大学の運営に使ったとか研究費に使ったという程度で何に使ったか説明できなかった。裁判官は、高知工科大学の設置と運営は公益にかなっているという理由で、それだけの理由でわれわれの請求を却下した。

使途の明細がわからなくてもいいというでたらめな判決であった。設立が公益にかなっているというのであれば、どこの大学も文部省認可だからソレに該当するだろう。

だからといってその大学で何に使ったかわからないような金の使い方をして許されるというのであろうか。

そもそも高知工科大学は「公設民営」だというのがうたい文句だった。

しかし、公設であるというなら県の公金の支出であるはずだから、学校建設の関係書類があるはずであった。しかし、開示請求をしても県庁には一枚の入札関係書類も存在しないし、一枚の図面も存在しない。入札をやったのは私的な学校法人であり、そもそも入札をしたかどうかも皆目わからない。土地は全て県のものであるから、あの程度の建物に数百億円の建設費が本当に必要だったかどうか点検の仕様がないのである。ある建築士の試算では百億円ほどが無駄ではないか、という。

そして、工科大学の実質の内容は、大学入試の偏差値を参考にするのもあながちむだではないだろう。

*県の知事や幹部職員を含む職員互助会への出費は3団体(県庁職員、教員、警察)あり、それぞれ県から億単位の支出を受けていた。レクレーションの費用や結婚祝い、入学祝などを公金でまかない、使い切れずに数十億円を現金で分配していた。

緊縮だとかいって、公共土木事業費はもとより福祉予算まで削っているときに、その団体には貯金がいっぱいあるのに補助金を取り続け、しまいにはその金を使いきれない、ペイオフ対策などといって金券にしたり現金をそのまま分配したりしていた。互助会の事務は何処でやっているのだ、というと、県庁職員の机の上を指差した。

******

あげてみれば切りがない。放漫、無計画、無責任。禁治産者という言葉が浮かぶ。

三無ダラリという言葉があるが、無駄、ムラ、無理を一言であらわしたものだ。

県庁の命運はもう尽きかけているというべきだ。いまどき、これ以上の過疎化を食い止めるために1次産業を大事にしなければならない、などということに気がついたという。

こんな手合いに気がつかれた1次産業のほうが迷惑だろう。

県庁はいまや、財政問題につきあれこれわれわれに講釈をたれるような立場ではない。

市町村を債権者にして債権者会議を開きその運命を県民に決してもらわねばならない立場にある。県の財産と人材を市町村に配分するべきだ。明治以来高知城の根元に盤居していた権力機構を解体する本格的な秩禄処分が必要になったというべきだろう。

明治の初頭、いち早く人権宣言をした高知県の運命を切り開かねばならない。

一番早く滅亡する県か、それとも、一番早く市町村の中にその資産を放下し、人民の中によみがえるか、運命の岐路に立つ。

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2007年8月30日 (木)

News & letters28

       闇融資事件

闇融資事件が断罪された。副知事らが実刑判決が出た。私も橋本知事のもとの高知県政の闇をつく本を出版した。しかし、本当は何にも闇の話ではない。モードアバンセへの巨額融資にしろ私たちが追求した橋本県政の悪の数々は、闇で行われたのではない。白昼堂々と行われた。

他府県の同種事件と違うのは闇で行われるような事件が 真っ昼間に行われたという点にある。当局も説明せず議会も見過ごし報道陣ももてはやすことはあってもこれを何も問題にしてこなかった。当局や関係者らには見えていた、見えすぎるほどだったが、県民にとっては闇であった。そういう意味の闇だ。

モード社への融資は予算に計上されていた。「闇融資」と言うから人が聞けば予算外の金がでていたのかと思うだろう。そうではない。予算として計上され執行された。だからこそ県政上の問題となり、議会百条委にかかったのである。予算書に計上されていた融資であるから県執行部が説明しなくても議会がその予算の説明を求めていたらすでに分かったはずである。

また、モード社支援は県の同対審で正規に審議されていた。有力県会議員数名もその審議会に参加していた。委員はモード社の具体的計画を点検することができたはずですが、委員らは全員このモード社の支援を含む県の同和対策に賛同していました。

新聞もモード社の開業をでかでかと紹介し祝福していました。モード社に関係する団体や人物を見、それらがやってきた事業の姿を見れば、怪しい、ということがすぐに分からなければならず、すくなくとも賛美することはなかったはずです。全国的に同和事業に関して利権にまつわる重大事件が頻発していた当時、すくなくとも警戒心を持つ必要があったであろう。

県庁内でもこのモード社への融資に反対する有力幹部や職員がいたと聞きます。
あとで、オンブズマンらへの内部告発からこの事件が明るみに出ましたが、それでも県も議会も報道陣も、モード社の実名を隠し続けました。

モード社の実名、関係団体、関係人物らをはっきり公表したのは、私達オンブズマンであり、私が発行した「高知県民新聞」でした。
今回の闇の本当の姿は、重大事案を闇に閉ざそうとした当局や関係者の邪悪で卑怯な姿の影でもあります。

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2007年8月16日 (木)

News & letters25

高知県民マニフェスト

橋本県政16年の悲惨な結果の中で、現在における高知県民のマニフェストは次のようなものでなければならない。

「高知県民マニフェスト」をダウンロード

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2007年8月 6日 (月)

News & letters21

知事の引退
橋本知事が引退を表明しました。ついにという感じではありますが、それにしても、あまりにも遅すぎます。
第1に、後数ヶ月に迫った知事選で現職の去就の表明はもっと早くすべきであった。次の知事候補者(その中には橋本支持者もいるかもしれない)としては、準備期間、県民への周知期間が相当必要です。
第2に、国政選挙の結果を見て判断するというのが全く分からない。それは、橋本氏個人にとっては大事な判断材料であろうけれど、県政(県知事)にとっては無関係ではないが、特段の関係があるとは思えない。次の県知事、次の県政のあり方を県民が考えるのには相当な時間が必要です。どこかから天下ってくる候補者の誰かを選べというやり方はもうごめんこうむりたい。
橋本氏は地方政治に限界を感じたということのようですが、なんのことか分かりません。
地方政治は国政の下にあり常に限界があります。
思うように政治が行えるなら、苦労はいりません。
高知県という広大な土地と巨大な人材と金をもって何もできなかった、ということでは、少し説明不足でしょう。16年間の虚妄の時間を何と説明する。
確かに、保守反動の知事よりはましだ、とは言えても、改革派知事として何を改革したのか、肝心の行財政改革は何をやったのか、また、産業復興のため何をしたのか。土佐の教育改革と言うが何の教育をどのように改革したのか。私にはさっぱり分かりません。闇融資事件や、巨額選挙資金の謎、坂本ダムなどの談合入札の疑いなど暗い話だけが印象に残っています。高知城下に行くたびに行政の闇の深さにため息をついていました。
しかし、何はともあれ橋本知事は今年の11月で終わりです。16年間、政治的には相当な手腕があることは明らかに示されました。いろいろなダメージを受けながらそれを乗り切っていく手法はたいしたものです。安倍総理にもご教示されるといいと思います。
しかし、行政的には能力の実証される機会はなかったようです。
個人的限界を地方政治の限界にしていく話法などたいしたものです。その政治的巧みさを行財政改革や産業復興に使うべきでした。
不幸な高知県(民)は、これからどうなっていくのでしょうか。人ごとではありません。私たち自身でどうするか県民のマニュフェストを作成し、世論を作って行かなくてはなりません。

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2007年7月 1日 (日)

News & letters 2

県政についての断草離々

県政について新聞記者さんらと話をしました。橋本県政16年間、低迷、沈滞、不振(不信)、後退、混迷、いろいろなマイナスイメージの言葉が出ています。無為、無策、無駄、無体、無法、無理、ムラなど三むダラリ(無駄、むら、無理)どころではありません。こんな高知にだれがしたのだ、といいたいところです。エストロゲンでメス化現象が起こり高知県には新しい生命が生まれてこなくなったのではないか、などという人もいます。

しかし、不平ばかりでは仕方がありません。私らも橋本知事に期待して最初の一票を入れたのだから責任があります。また、橋本知事の個人の責任を問題にするよりも、もっと根元的なところから県政を考える必要があるのではないか、そう思います。

橋本知事もいわゆる改革派知事の一人でした。橋本さんだけではない。都知事選の浅野さんらもその改革には大きな限界があった、旧来のものより少しましではあったが鳴り物入りの看板ほどにはたいした効果はなかった、その失望が都知事選でもはっきり出たと言うことであろうか。高知県は全国的にも今最悪、最低の状態です。県勢だけではなく県庁の財政的にも沈没寸前でいっているわけです。基金は使い果たし8000億円もの負債を抱えました。根本的な起死回生の方策が必要です。根本的な高知県は根本からの改革が必要です。というよりもその身がすっかり変身するほどの革命的な対策を講じなければなりません。これまでの生き方を断絶・解体して、新たな生き物に転換するぐらいの飛躍が必要です。

わたしの大学時代の師匠(といっても私はろくに授業にもでず、先生が私の学生運動の身元引受人、保釈金の肩代わり人)であった奈良本辰也先生が「吉田松陰」という本に書いてありました。「断絶と飛躍のみがよく新生の喜びをもたらすであろう」と。私は高校時代にこの「吉田松陰」という新書版を読み、何度も何度も声を出して朗読しました。それで先生にあこがれて立命の日本史学に入りました。この前なくなった門脇先生を始め西日本の有名な歴史学者が講座を持って立命日本史学に集まっていました。今でも奈良本先生のその本の数節は暗唱しています。「断絶と飛躍のみがよく新生の喜びを・・・・」も私の好きな文章の一つでした。そういう革命的な転身が高知県庁には必要だと思います。

では、何を断絶し、何に向かって飛躍し転成するのか。私の一つの思案を提示します。

それは、国と市町村との中間項である県庁という無駄な機構を解体することである。その県庁が使っている年間5000億円の資金と人とを市町村に渡せ、ということであります。県庁として必要なのは国からの資金の分配機能とその金についての監督・監察機能だけだと思います。その二つの機能を残してすべてを市町村に渡してもらいたい。県庁は自己否定が必要だということです。

江戸時代山内家の家臣団が高知城に盤踞してより明治維新を経て土佐の国を統治していた権力機構を今こそ解体し、県下の民百姓にすべてを明け渡すべき時がきたと思います。今や県庁という機構は高知県全体で言えばメタボリック・シンドロームの肥満した胴体であり、市町村という足腰部分を萎え衰えさせている病原だと思うのです。

誤解しないでくだされ、私は県庁の職員の皆さんには何の恨みもありません。組合の山崎委員長を始め職員組合の皆さんを立派な人であると日頃から尊敬しています。私は今冷静に高知県の行政のあり方について提言をしているのです。県庁職員や県会議員さんの生活権を侵害しようとしているのではありません。

たとえば、ある中学校には実際には障害児童のための特別学級は設置されていず、障害児童が放置されていました。しかし、県庁にはちゃんとその学校には障害児のための学級が開設されているという図面入りの書類があげられていました。そして国からの交付金は県を通じてその学校におろされていて、教員もそれに対応するように増員されていました。だけど実際にはその学校には障害児のための教室は存在せず、先生は別の授業に使われていました。その学校の障害児は体育の授業の折りには一般の生徒が球技などをしているのをいつも運動場の片隅で見学をさせられていたのです。

県は国のお金が実際の市町村の現場でどのように使われているか点検もしないし、関心もありませんでした。書類さえ整っていればそれでいい、国へ市町村からあがってきた書類の中間受け渡し、お金の中間受け渡しの役をすれば、能事終われり、なのです。こんなことをするだけの中間機構がどうして必要でしょうか。

要するに幕末回天の最大の事業である封建武士団の解体の作業が今の高知県にも必要だということです。秩禄処分が必要です。維新の偉業を成し遂げた人々は下級武士が多いとはいえれっきとした侍たちでした。板垣退助や後藤象二郎、高杉晋作らは高級武士でした。その武士が自分の出身母体を解体したのだから大変なものです。そのことによって、日本の人民は武士集団という不労の権益の大集団の桎梏から解放されて、その生産力をフルに発展し、急速に日本を列強と伍するほどにまで成長させました。

秩禄処分という身を切る作業が後の日本の運命を決めたのです。断絶と飛躍、そして新生というのはこのことをいうのではないでしょうか。県庁を解体し、そのもてる富と人材を市町村に渡せ、これを断行すれば日本最低の高知県が日本の最も高い管制高地にたち、我が身を救うだけではなく全国の見本となるでしょう。あれやこれやの既成組織の枠内での改革ではなく、根本的につぶれかかった高知県はこれまでの枠をたたき割って根本的な改革が必要であると考えます。その過程、その手法はいろいろな段階があろうと思います。ワン・ストローク一挙にではなかなか進まないと思います。人を見て法を説かねばなりません。しかし、相手の人がどんなに変わっても説き方は変えても法そのものは曲げられません。その改革の思想は誰にでも直裁でわかりやすく、あくまでも大胆でなければなりません。死の原因であるメタボリックの症候を解消するには、本人自身が決断し、これまでの生活習慣を勇気を持って否定しなければなりません。

私の考えを100パーセント実現できずともたとえ10パーセントであってもそれだけでも疲弊しきっている市町村は生き返ります。高知工科大学でうまくいったので、またしても女子大の建て替えで、というもくろみ。巨額の無駄な予算を組もうとする橋本知事の姿勢では、とうてい私の考えは無縁であろう。

このブログをみられている皆さん、私の考えにご意見を聞かせてください。

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