市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』
インターネットの故障で長らく通信ができませんでした。
2025年7月の参議院選挙ではついに差別排外主義が前面に出てきました。
参政党だけでなく、維新、国民、保守党、そして自民党まで人を差別することで国民の票を獲得しようという連中が大手を振って表れたのであり、相当な支持を広げた。
もともと日本国民には差別や排外主義が根強く残っていた。幕末・明治維新にかけては攘夷という思想運動が政治を動かした。この上位というのは、古代から中世んかけて大和朝廷が主として東北のまつろわぬ原住民を制圧した征夷戦争の名残りであり、征夷大将軍は武士の棟梁の尊称とまでになっていた。
攘夷の夷というのは元は蝦夷のことであったが、それが幕末に部落差別を彼眼ながら外国人に対する差別排外主義に発展した。
中世近世にかけて蝦夷差別は歴史上の記録から消えて、その代わり穢多や非人への差別に代わっていた。
幕末主として尊王攘夷派の土佐藩の武士たちは、藩当局の外国人へのこびへつらった応対を揶揄して城の近くの「乗り出し」というところに
数種の落書を張り出した。その落書の内容は、ある地域の部落民として身分解放の嘆願書を出すという形をとっていた。
その内容は、獣の肉を食う外国人(イギリス人)を恭しく接待するのであれば、肉を食う我々部落民も外国人並みに人間として扱ってほしいというものであった。部落民(穢多)を詐称したこの差別文書は大阪方面でも使われ(摂津渡辺村の願書)ていた。
それは要するに、部落民が人間ではないのと同様に外国人も人間扱いすべきではないという反語の形式をとった差別文書である。
高知県の古文書「皆山集」に収録されていたこの「戯作」は土佐藩の武士たちの攘夷思想の形成には部落差別を媒介にしていたという歴史的な差別証拠である。参政党も維新や国民、安倍の残党も今は部落への攻撃を控えているが、攘夷思想が部落差別を媒介にしてきた以上は必ず部落に対する攻撃も始めるであろう。それら邪悪な差別主義者たちと、差別迫害を受けてきた在日の外国人とともに部落大衆の血戦がやがて始まるであろう。
ゾンビの姿をした時代遅れの日本版ファシストの動向を厳しく追及しなければならない。


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