日記・コラム・つぶやき

2018年5月20日 (日)

正義論

News & Letters/633
正義は勝つ。だが滅多に勝つことはない。
むしろ正義は負ける、極めてまれに勝つこともある、というべきだ。
我々の多くの戦いは敗北であった。勝ったのはごくわずかだ。
負けても負けても闘い続けるうちに、ひょっとして正義が勝つときがある。
イエスキリストも最後には刑死した。
西郷隆盛も、坂本龍馬や中岡慎太郎も最期は敗滅した。
反原発の裁判も、オンブズマンの住民訴訟もほとんどは敗北だ。
選挙もそうだ。正義が必ず勝つのであれば、安倍や麻生などはとっくに国会から消えているだろう。
もとより、われわれの正義と右翼反動どもの正義とは異なる。
自民党などの掲げる正義は嘘だ、不正義だと我々は考える。
それでは、現代の正義とは何か。
私のようにマルクス主義を正義と考える人は少なくなった。
国民的には憲法が現代の正義だというのが一番妥当だろう。
 
吉田松陰の言葉に
  生もまた我が欲するところなり
  義もまた我が欲するところなり
  二者兼ぬるを得べからざれば
  生を捨てて義を取らんものなり
 
正義を奉じて生きるものは、必ず生(安楽)と正義との選択の岐路に立つ時がある。
松陰は、正義を取れば、ほとんど死(敗北)が待っていると考えるべきだというのである。
正義を取って闘うものは、その信念と闘争に生を賭けることに精神の満足を得るのであり
即ち正義の追及に幸福を覚えるのである。
松陰は刑死するとき、その時、至福の境地にあったから、慫慂として断頭台に臨んだのであろう。
正義はほとんど勝つことがない。だが、我々は正義のために人生をかけて進んでやまない。

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2018年5月 6日 (日)

憲法の覚悟

News & Letters/632
憲法9条は文字通り死守されねばならない。
憲法9条は非現実的だとか、専守防衛の自衛隊の存在は合憲だ、
自衛隊が違憲だというのは一部の学者だけだ、など左翼という人士まで
そういうでたらめな意見を発表し続けている。
自衛の権利は自然法でも認められているから自衛隊は合憲だという者もいる。
だが、だれがどう見ても自衛隊は武装した軍隊であり、戦前の旧軍隊よりも
強力な火力を持っている事実は何人も否定できず、憲法9条に真っ向から矛盾することは火を見るより明らかだ。
この矛盾をなくするために改憲だというのが安倍たちの論拠だ。
自民党や野党といわれる連中も憲法9条違反の罪科を課されるべきだ。
それでは、外国が攻めてきた場合どうするのだ、というだろう。
憲法ができた当時も当然同じ疑問が出された。それでもなお、制定時の政党や国民は
現行の9条を掲げた。当時の政治家たちが何故非武装不戦の憲法を選択したのか。
それはただ単純にアメリカに強要されたからなどとは言えない。
新憲法を制定する国会審議で9条の条項を改変し、軍隊を保有する憲法にすることは可能であった。
可能であったがしなかったのだ。なぜだ。
それは仮に他国から侵略を受ける事態が発生しても構わない、国が他国により滅亡に追いやられても構わない、という覚悟があったからであろう。
戦争によらず武力によらず他国を信頼して交渉や対話を通じて国を守る、ということには限界があることは容易に想像できたはずだ。それでも9条を選んだのは、なぜか。
回答。他国の侵略によって植民地にされても耐えて生きていこう、いつかはその侵略を克服できるまで耐え忍ぼう、むしろ軍隊を持ち、戦争を外交の手段として再び他国を侵略し人に多大の犠牲を強いるよりも耐え忍ぶ方を選択する、という覚悟があったはずである。
安倍自民党らの北への制裁・武力行使一辺倒を批判し、対話路線が大事だという主張もなるほどと思うが、それだけでは憲法9条の精神は反映されない。例えば、どういう状況であろうと日本政府や国民が北朝鮮への医療や薬剤を無償で提供し続けるということをしたれどうだろう。われわれは朝鮮人民には天文学的巨額の血の負債を背負っている。
南北分裂の民族の悲劇の根因も日本の植民地支配だ。恒常的に医療や食料、衣服など北朝鮮人民の生活の糧になるものを提供し続ける方が、「対話」よりいっそう日朝の平和に効果があると思う。
相手が核を持とうがミサイルを持とうが、我々はなすべきことをする以外に道はない。するべきことをしなければだれも信用してくれない。
北の脅威に対しては砲弾ではなく、医薬品や食料で応戦してみろ。憲法の覚悟は、はいつくばっても相手の心をつかむ行為を促している。
拉致被害家族の願いに応ずるのも、武装対決や経済封鎖ではなく、朝鮮へのわれわれの朝鮮半島植民地化への償いの行為だ。

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2018年4月19日 (木)

中岡慎太郎

News & Letters/627
現在坂本龍馬とは違って中岡慎太郎の評価が低く大河ドラマで主人公になったこともない。
中岡は坂本龍馬の付属のようだ。
高知駅の三人(坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎)の維新に尽くした人物の銅像についての説明でも薩長同盟の締結の功績は坂本龍馬にあり、中岡は陸援隊長だったという程度の紹介だ。
だが、史実は違う。また維新当時の人の評価でも、中岡慎太郎の実績と評価は龍馬どころではない。
薩長同盟、薩土同盟、そして宮廷の三条実美と岩倉具視との提携を実際に工作し実現したのは慎太郎の方だ。慎太郎は長州藩の久坂玄随や高杉晋作、桂小五郎らと肩を並べて倒幕運動にまい進し西郷ら薩摩の討幕派と親交を持った。維新直後、中岡が生きておれば西郷隆盛、木戸孝允らに引けを取らない維新の元勲になったことは間違いないと評価するものもいた。
長州藩の諸隊のリーダーとして実際にいくつもの戦闘に参加し、都落ちした五卿を護衛し、
京阪神から九州にかけて周旋・情報収集に奔走した中岡にくらべ、幕臣勝麟太郎の弟子でしかなかった龍馬など慎太郎の足元にも及ばない。確かに龍馬は京都での薩長同盟の盟約の折立会人としてその場に臨席したが、薩摩・長州に同盟をさせるお膳立ては主として中岡の功績であり、当時長州の村田蔵六(後の大村益次郎)が中岡の薩長同盟達成の功績を「宇宙の輝き」だと讃えたほどだ。
薩長同盟は、直接的には幕府の征長戦で滅亡の危機にあえぐ長州藩の窮地を救ったのであるが、それだけでなく、幕府を武力で打倒し、新しい日本を建設する政治勢力を創出することになったのである。
薩長同盟は、中岡の功績だと天才的な戦略家で日本陸軍の父として大阪の護国神社に祭られている大村益次郎が書いた。その証言に後代の誰が反論できるであろうか。
中岡は北川村の庄屋の息子だ。その家は、土佐の天保庄屋同盟の一拠点であった。
天保の秘密庄屋同盟こそ土佐勤皇党の底流にあり、その思想は天皇を頂点としているが、自分らを、武士の中間項を払いのけて直接天皇に直属する存在だと想念した。封建領主をはじめ武士支配を打破する革命思想だ。
中岡慎太郎を主役にし、龍馬らをわき役にした大河ドラマがつくられるべきであろう。
今も昔も、中岡慎太郎の武力討幕の方針は正しい。
少年時代から室戸岬の銅像を仰いで星雲の気を養ってきた私にとって中岡慎太郎の低い評価には我慢がならない。

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2018年1月 2日 (火)

民主主義

News & Letters/613
どのような組織でも、革命団体から行政機関、反体制運動・・・あらゆる組織でそれが反動的な目的でない限り、その運営は民主主義的でなければならない。それは、道義的な選択の問題だけではない。
組織を一元的な上から下へ上意下達方式では、危機的な事態を乗り越えることができないことが明らかになった。
それが福島第一の原発事故で、吉田所長らの懸命な事態収拾の努力も水泡に帰すという教訓が導出された。
それが、MHKスタッフが作った「福島第一原発 1号機冷却失敗の本質」(講談社現代新書2017年10月)という本である。
1号機に必死に冷却水をちう入しているが、実は、ほとんど原子炉に水は入っていなかった。
Fukusimagenoatuhigai
それを東京電力の現場も司令塔もわからなかったが、他所にある柏崎刈羽原発の所長が気が付き重大な疑惑を提起していたが、取り上げられなかった。その原因は、組織の運営方法にあった。
 
「事故の際、組織の意思決定の方法は大きく分けて二つの形に分類される。ガバナンスとマネージメントである。
ガバナンスというのは、複数の意思決定主体がいる中で、それをうまく調和させていくように体制をつくる手法、一方でマネージメントは縦の意思決定のフローを作り、意思決定を一元化していく方法だ。
畑山は「ガバナンス構造をちゃんと持っていたら、柏崎と福島第一原発がダイレクトに話をし、意見交換をすることもできたかもしれません。
しかし、東京電力の組織対応は、マネージメントの体系をとっており、本店を介さずに重要な意思決定を行うことは難しかった」とデータから浮かび上がった組織体系の課題を分析した。」
 
しかも、福島第一には、中央制御室と免震棟の連絡線も一本の電話しかなかったという。
多様な意見、多様な意思決定主体が、協議をし、調整をしながら共同した行動をとる。これを「ガバナンス」と呼ぶならそれでもよい。
一定の意思決定に対し、異議や異論を問答無用に排除する組織の運営は、人類史的な危機を克服できないばかりかそれを増幅する。
原発も戦争もあらゆる人類の問題の解決には、民主主義的な組織の運営が不可欠である。
原発に反対するなら自民党でも誰でもよいという考えは間違っているのである。
民主主義であれば必ず反原発・反戦になるとは限らないが、民主主義に反する組織の運営や連中は、必ず原発推進となり戦争推進となる。
そして反民主主義は危機管理の際に決定的な弱点を露呈し、破滅的結果を招来する。

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2017年11月24日 (金)

封建遺制か相撲部屋

News & Letters/607
少年時代には大好きだった大相撲だが、青年時代はほとんど関心がなかった。
だから若乃花、栃錦、千代の山、三根山、琴が浜などはよく知っていたが、それから最近まで相撲の力士のことはあまり知らない。ところが最近相撲が楽しみになってしまった。
その中で日馬富士の暴行事件が出てきて、興ざめがしている。
問題は、暴行はもちろん悪いが、この処置の方法が理解できない。
第一に本人達が表面に出ず、「親方」が本人の代わりに大活躍というのが解せない。
本人たちは立派な成人の力士なのだから、親方は付き添っているぐらいにして引っ込むべきではないか。
第二に、相撲協会は団体であるから自治能力があるはずだが、全く組織を統括できるようでない。
警察に被害届を出したり裁判に訴えることはもちろん自由であるが、それ以上に組織の自律的な措置が必要である。自己の組織で起こった事件を権力に任せるというのは、慎重でなければならない。
大学でも労働組合でもスポーツ団体でも権力の介入を呼ぶのは、最後の手段でなければならないだろう。
今回殴打事件では、本人でも親方でも、または相撲協会であっても、傷害事件である限り警察に届けるのは筋である。
しかし、それ以上に相撲協会自身が、組織として対処するのは当然であり、それが不能であるとなればそれを阻む
者を処罰の対象としなければなるまい。警察は刑事罰の有無を追求するが、相撲の団体は、独自の処罰のほかに、力士の身分、規律の在り方、国民への説明など独自の任務がある。
第三に、伝統的な部屋制度が問題である。相撲は団体競技ではない。野球やサッカーなどのようにチームが争うのではない。
個人競技であるから、部屋制は必ずしも必要ではない。練習場を相撲協会が用意すればよい。力士の食生活や日常の起居も個人に任せるか、相撲協会が共同の宿舎を用意すればよい。
親方・部屋制度が、封建的で陰湿なにおいの発生源、相撲世界の絶え間ない不祥事の温床なのではないか。親方・部屋制度には郷愁もあるが、しょせん封建の遺制、日本で唯一残る徒弟制としての封建遺制ではないか。
上位の力士は待遇も恵まれているが、下っ端には給料もろくになく、部屋でかいごろし、徒弟制度のもとに苦吟しているのではないか。
親方・部屋制度を存続させなくては大相撲が存続できないということはあり得ないだろう。
被害者の本人はそっちのけ(どっかに隔離か)、相撲協会は事件の解明もできない、当事者が国民に説明もしない・・・。
今日こんな団体が日本社会に存続できるだろうか。
 
私は、今回の不祥事を契機に、スポーツマンとしての力士の自立、親方・部屋制の解体、人権の明らかな新しい近代相撲の再建を願うものである。

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2017年7月 8日 (土)

不可解な新聞記事

News & Letters/577
これは私の錯覚だろうか、見逃しているのだろうか。多くの県民も気が付かないと思う。
本年6月2日高知新聞の朝刊文化欄に載った「真覚寺日記」(土佐観光ガイドボランティア協会顧問岩崎義郎氏の投稿)についての記事㊤の続きが出てこない。大見出しは「貴重で面白い真覚寺日記」、小見出しは「幕末の事件、地震、生活を記録」とかが躍っている。岩崎氏の著した「抜き読み真覚寺日記 安政の地震と幕末の世相」が平尾学術奨励賞を受賞した記念に投稿したらしい。もう1か月以上もたつのにその続編が見当たらない。何らかの事情があるのかもしれない。
この「真覚寺日記」は土佐市宇佐の真覚寺の井上静照和尚が綴った日記であり確かに幕末の地震などの出来事や世相を克明に描いている。貴重な資料だ。だが、問題もある。
当時の被差別民の姿が極めて差別的に描かれているのである。和尚は、被差別民が堂々と往還を闊歩している姿などを描き、それを非難し嘆いている。差別をわきまえない横着な態度だという趣旨である。
私は、歴史的著作物上の差別文言についてそれを人に見せるなとは言わない。
それを図書館などで閲覧に供する場合は、問題個所について指摘し、それが差別偏見であるという解説が必要である。
差別的文章が強烈に刻印されている著作物をそのまま公表すれば重大な人権侵害が拡大される。
私はこの「真覚寺日記」についての紹介記事が続編でその部落問題についてどう触れるか関心をもって待っていた。
当然岩崎氏もそしてこのコラムの編集担当者もこの日記に描かれた被差別民の姿を知っているはずだ。6月2日の記事㊤では、この日記をべたほめしている。
これだけでは、差別文献を無批判的に推奨しているとみなされるであろう。高知新聞社はどうして㊤だけで㊦が出ないのか、㊤だけで終わるのか、説明すべきであろう。
「真覚寺日記」は高知県下の部落問題の歴史的資料としても「貴重」なものである。

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2017年7月 6日 (木)

慰安婦問題

News & Letters/576

安倍政府は朴政権との日韓合意に基づき慰安婦問題は不可逆的に解決した
と主張し慰安婦像の撤去を求めている。

しかし、政府間の協定が成立したからといって日韓両国の国民の合意まで完成した
という訳にはいかない。とりわけ韓国国民のほとんどは、納得していないし
歴史上の屈辱はいかなる代償をもっても打ち消すことはできない。

安倍政府だけでなく民主党のレンポウ代表が日韓合意を実行せよなどと叫んでいるのは
異様であり、帝国主義的傲慢である。慰安婦像が世界中で建設されるのは、
過去の問題だけでなく現代でも圧政に苦しむ多くの女性の人権確立の観点から
必要であり推奨されるべきことだ。

慰安婦問題についての安倍・パク合意=「日韓合意」
は破棄されるべきであって、この協定は日本外交史上の恥なのである。

慰安婦問題は、相手が嫌だということを強要することであるが、「日韓合意」を強要する
日本側の態度は、慰安婦問題で何も反省がない証拠である。

小池都知事の在日朝鮮人学校への冷酷な態度など朝鮮人民に対する仕打ちは日本帝国主義
の朝鮮支配について何も反省せず、現代的な抑圧差別の実態を示している

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2017年6月28日 (水)

新天皇制

News & Letters/574

天皇の意向に沿うべく退位法案が成立し、上皇―天皇という重層的な新しい天皇制が誕生した。それが、どういう機能を果たすかわからないが、問題なのはこの法案を可決するに当たって共産党まで含めて翼賛的に全会一致がなされた事実である。

現代の天皇も、北畠親房の神皇正統記流の考えー天皇は常にその仕事(まつりごと)の可否によって「御運」が決まる、という教えがあるから、座して祈るだけでなく一生懸命何かしら働かねばならない。自然災害被災者の見舞いや日本軍による戦争の犠牲者への鎮魂の旅行など・・・それを国民はありがたく、尊いと感激する。狂気のように戦争を主導した昭和天皇よりはるかにましだ。

だからといって天皇制を維持することに加担するべきではない。
天皇制の存在は憲法第14条2項の貴族制度の廃止の規定に反する。それだけではない。
日本のプロレタリアートの階級意識の形成に大きな障害である。階級の敵ブルジョワジーへの戦い、プロレタリア革命はプロレタリアの階級意識の形成にかかっている。

商品として物象化されるプロレタリアートの階級意識の形成には、物象化そのものによって大きな困難を背負うが、特殊日本的には第一に民族植民地問題、第二に、天皇制、第三に部落問題などの困難が重畳される。

だから、ルカーチがいうようにプロレタリアは正しい階級意識を獲得するには「自分自身に対する戦い」すなわち絶えざる「自己批判」が必要なのである。(ゲオルグ、ルカーチ「歴史と階級意識」)堕落した中核派の中には、アジア人民に対する日本人としての反省の意識(血債思想)を攻撃するものもいるが、帝国主義下現代日本プロレタリアの階級意識形成の現実的困難に無頓着というべきである。

天皇が統治権を持たないしその牙は完全に抜かれているから大丈夫だと高をくくってはならない。天皇制を認めることは、現代の階級対立を解消し→天皇を奉戴するブルジョワジーとの城内平和意識に屈服することになる。

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2017年4月16日 (日)

3人の狂人

News & Letters/566
アメリカのトランプ、北朝鮮の金正恩という2人の狂人が核戦争のボタンを握って
お互いに罵り合い、脅かしあっている。ほんまにやるぞ、ぜんめつさせるぞー、とか
わめきあい、本気になって核戦争の準備を進めている。
それを、被害の直撃を受ける日本にいるアベとかいう狂人が手をたたいてやれ、やれと煽っている。
何千年という人類の英知の集積の歴史も、これら狂人の手によってあっという間に消滅する。
朝鮮と日本は、確実に核戦争の業火の中で壊滅する。文字通り累卵の危機だ。

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2017年3月16日 (木)

朕は不快である

News & Letters/556

明治時代に作られた教育勅語は、時代錯誤であるとか、国民主権に反するものだとか
いろいろな批判がある。籠池幼稚園では教育勅語が暗唱されている。私の母親も暗唱できていた。
しかし、教育勅語は国民の子弟が暗唱するようなものではない。こんな声が聞こえてくる。

朕は不快だ。爾臣民の子供らが、「朕思うに皇祖皇宗・・・爾臣民…父母に孝…」などというのは怪しからん。
朕の口真似をして 臣民の身分でありながら 朕とか爾臣民などという言葉を使って得意になっている。
教育勅語は、天皇である朕が爾臣民に教訓を垂れるもので、この文句を練習するのは、朕の息子以外誰にも許されない。
朕という言葉は、天皇にのみ許された自称だ。ただの臣民である籠池や稲田らが、朕という尊称を使った教訓文を
訳の分からない子供らに唱えさせるのは、立場をわきまえない不敬行為である。
朕はすでに死んだ。教育勅語も朕とともに死んだ。朕、朕というな。ばか。

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