日記・コラム・つぶやき

2026年2月15日 (日)

大敗北の原因


今回の総選挙での左翼の地滑り的敗北に衝撃を受けています。

それは自滅である。とりわけ立憲民主党の裏切り的右翼転身である。
原発再稼働に賛成し安保法制、憲法改悪を承認する、まるで自殺的方向転換をして
一体だれを相手に選挙をしているのか、日本人民をコケにした立憲の幹部たちが頭を並べて討ち死にしたのは当然のことであった。反原発は日本国民の意思であり、日米安保はすでにトランプが実質的に破棄している。

立党の旗をおろした党派に誰が結集するのか。
今の時代では、極右の政治勢力が復古的国体思想をまき散らし他国侵略的軍拡路線を押し広げている時代では、ニューヨークの新市長のようにむしろ社会主義の旗を高く掲げて、新しい未来社会を対置して左翼としての根本的な解決策を打ち出して戦うべきであった。それどころか「中道」は右と左の真ん中というくさった既成路線の中途半端の仮面をかぶった。

仮面だったか本物顔だったか。諸葛亮の出師の表の冒頭では先帝が「中道」で倒れたという文章で始まる。それは中途で倒れるという不吉な言葉だ。共産党が赤旗でマルクスの資本論の読書キャンペーンをしているが、それは正しい。

中道ではなく左翼の本体・社会主義をあらわにし資本主義体制を打倒する戦いの呼びかけが必要であった。
いづれにしても高市政府は 天皇の権限を干犯しながらファシスト権力樹立の橋渡しの使命を担って登場した。
ファシストに対しては、人民のパルチザン的武装蜂起しかない。

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2026年1月24日 (土)

義挙の社会的な背景を無視する裁判所


奈良の駅頭で銃殺された安倍元首相。その銃撃事件の主役山上さんに対し、
無期懲役の刑が言い渡された。それは一つの殺人事件として扱われた。

なぜ彼が安倍を襲ったのかということが量刑には何も反映されなかった。
そうすることによって裁判所は、この事件の政治性を隠そうとしたと言える。
この銃撃事件は高度に政治性を持っていた。

第1に、大義名分や正義が踏みにじられている事案が糺されず放置されていることに対し、被害者が独自に糾弾に立ち上がった。それは忠臣蔵であり、桜田門外の変であり、高知の帯屋町での藩の参政吉田東洋暗殺であり、様々な仇討ちであった。

安重根のハルピン駅頭の伊藤博文銃撃もそうだ。義挙には必ずわが身の犠牲がある。
だから奈良の駅頭での銃撃は義挙の高い政治性を持っていた。単なる一個人の殺人事件ではない。

当局が野放しにしている犯罪(統一教会やそれを利用してきた自民党)の被害者が復讐すること、又は反撃するということには正当防衛の意義があり、その行為を余儀なくさせた当局の無作為の責任が大きい。

刑罰の軽重とは別に、裁判所がこの事件の背景であり、直接の動機を量刑の判断に何ら酌量しなかったことは、山上被告へのもっとも痛苦の仕打ちであったし、何よりもいくつもの歴史上の義挙に快哉を叫んできた日本人の精神文化を踏みにじるものでもある。

ちなみに私は2度ほど赤穂浪士討ち入りの心境を経験した。一つは69年の浦和地裁占拠闘争であり、もう一つはその先年、解放同盟の総理府突入闘争であった。赤松英一君らの佐世保基地への突入や、羽田闘争などかつての革共同中核派の青年・学生達にはこの義挙の精神が横溢していた。

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2025年8月 4日 (月)

学歴問題で無用な混乱を憂う


静岡県伊東市の田久保市長の学歴問題で無用な混乱が続いてまともに議会や行政が機能していないようだ。

問題は単純で東洋大学を卒業していないのに卒業だと称しているということのようだ。
「卒業」していないが出身ということはできるから、指摘があった段階で訂正すべきであった。

東洋大学の出身人物の中に、田久保さんは名前が出ていた。ただし「除籍」となっていた。東洋大のインターネット(東洋大学出身人物)でこのような記録が出ている以上「卒業」とは言えないことは明らかだ。

だが、中退でも除籍でも「出身」とは言える。彼女は胸を張って訂正すればよい。大した問題ではないものをウソを言うから人格が疑われる事態になったのである。公選法に抵触するとはいえ、これだけで市長失格とし首にするべきではない。

些少な瑕疵で、選挙・当選という大きな市民の付託を消し去るべきではない。市民は東洋大「卒業」だから投票したわけではなかろう。

世間はあまり学歴を取りざたすべきではない。学識は出身大学によって決まるのではないし、学識だけでは政治家の資質は図れない。私は大学
卒という肩書を恥だと思っている。大学をでたのにそれだけの学識があるのかと。田久保市長はすみやかに訂正し、謝罪して、職務を遂行すべきだ。

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2024年11月12日 (火)

欲望と権力欲の権化はいかなる公職も不適当だ

10月27日の総選挙の結果を国民民主党の玉木代表が無茶苦茶にした。国民の希望を踏みにじる点で、日本憲政史上最大の汚点を残した。多くの政治評論家が一致するところだ。

問題はこの男の最近明らかにされた不倫問題だ。謝罪と弁解の大わらわだ。
奥さんや家族への裏切りであることはもとよりだが問題は愛人に対してどのような話をしているのか。
その愛人は、玉木の欲望のはけ口にされただけなのか。妻ではなくその愛人を本当に愛しているのであれば、妻と離婚し愛人と結婚すべきではないか。

自分と愛人に対して誠実にし、真実に従うべきであり、政治的立場が危うくなるので、妻の元に返るべく謝罪を繰り返す姿は、自公政権延命に手を貸す政治上の裏切り以上に人間として無節操でペテン師的ではないか。だからこの男は根本から腐っているというべきだ。
いかなる公職も不適当だ。欲望と権力欲の権化であって政治家でも人間でもない。

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2024年9月 1日 (日)

兵庫県議会百条委員会での知事承認尋問

        暴君

兵庫県知事への疑惑を暴露した県幹部職員が自殺に追いやられた。一連の事実は弁解の余地はない

知事という優越的地位を存分に発揮して職員に応対していたから、厳しい叱責でも即パワハラが成立する。斎藤知事は百条員会でそれを認めたようだ。部分的ではあれ謝罪をする場面もあった。その限りでパワハラを認めたわけである。

 業務上必要な注意を与えたといってもそのやり方が業務上普通の姿でなければパワハラとなる。
 物をぶっつけたり、舌打ちしたり、大声を出したりするしぐさも通常の業務上の態度でないから業務を逸脱する行為だ。

 パワハラには、3つの要件があるという。
1つは優越的地位にあるか、

2,業務上必要の範囲か、
3,労働環境を害するか という3つだと言われる.


百条委員会の記者会見を聞く限りでは、3つの要件を満たしている。まして、パソコンを押収し、その中の個人情報を漏えいし、そして公益通報者である者を、ろくに調査もせず処罰した行為は知事の個人的パワハラを超えて組織的なパワハラであり、人権蹂躙であって、法的にも違法行為だ。

 権力の乱用なくしてこういうことはできない。権力の乱用は極端なパワハラである。知事は追及されたら当然パワハラを否定する。業務上必要なことだったという。それは第三者が客観的証拠でもって判断することだ。

 知事が部下から無視されたりいじめられたり、侮辱されたりした場合に大声をあげて抗議したとか、物をぶっつけた、何らかの反撃をしたという場合は話は別だ。

しかし、斎藤知事はそのような事実は一つも上げていない。人権にかかわる重大なことでも幹部職員と協議もせず、独断専行し、日常的に優越的地位を見せびらかしながら厳しい叱責を繰り返したのだから、自覚的なパワハラである。
気に入らないことがあれば、パわーを使って懲らしめ(harassmenntを加え)ようとし、それを実行したのである。一種の暴君だ。

暴君の一挙手一投足はパワハラである。

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2024年7月29日 (月)

市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)


まず第二章「メディアと出自」

ここで角岡氏は、2012年ネ10月頃から橋本徹氏に対する週刊朝日などが橋本氏の家系や血脈を暴露するえげつない部落差別をもって橋下徹という政治家をこき下ろすキャンペーンを張った事実について厳しく批判した。それはその通りでよい。

しかし、角岡氏の批判には底の浅さが垣間見える。それは第一章の「被差別部落の一五0年」の認識が間違ったところに発するところからと考えられる。すなわち角岡氏は、明治4年の賤称廃止の太政官布告を「賤民廃止令」と位置付けている。

しかし、それは全く事実ではない。それは文字通り賤称の廃止であって賤民廃止の法令ではない。旧来の呼び名を廃止した意義はそれなりにあるが、身分制度も経済的処遇も何も変わらなかった。翌年の壬申戸籍によって部落民だけでなく日本全人民は天皇を頂点とする新たな身分制政治形態に押し込まれた。

そしてその身分制は、階級や身分の形式に血統を裏付けた。戸籍というのは他国にはない人間の血統証明書なのである。血統の公証制度の戸籍制度は今も大事に全国の市町村の役場に保管され活用されている。犬や馬の血統ならわかるが、人間の血統書を行政や法律の基本台帳に据えている野蛮な制度なのである。

一部のノンフィクション作家らが政治家を批評し排斥するのにこの野蛮な血統を使いだしたのであるが、これこそが部落差別の核心であって、何も驚くことはない。

角岡氏は「身体・知的・精神障碍者、・・・・在日コリアン、アイヌ民族などは、差別されることはあるが、差別がなくても存在する。ひとり部落民だけが、身体や民族や文化的差異があるわけでなく、差別されてきた歴史によって存在するのである。」という。それを不思議がる方がおかしい。

部落差別は、身分や経済的地位ではなく、血が汚れるとか、血統が汚れるとか、異民族視されるカースト制度なのである。
日本古代の学者が穢多をインドのセンダラと同一視したのだ。日本の部落差別者は一様に部落民と血統が違うと思っている。一部のジャーナリストだけではない。

インドの賤民は、被征服民族であり、征服者のインドの貴族とは種姓が相違していた。

部落民は日本列島の原住民であり異民族の子孫ではないが、朝鮮北方から襲来し日本を征服し王朝をたてた天孫族・騎馬民族から見れば異民族であった。
大和朝廷に最後までまつろわぬ化外の民であった。都に拉致されてきた蝦夷たちの群像を「非人」と呼んでさげずんだ最初の人は、弘法大師空海だった。

彼の性霊集にそのことが記されている。空海は中国の古典(仏典だけでなく山海経など道教の典籍にも通暁していたと思われる)を読破していたから
「非人」や鬼神と言うものがどういうものかよく知っていたはずだ。部落問題はその発生の当初から現在まで種姓差別の様相を帯びてきた。

それの激しい露骨な現象が橋下徹という出たらめな政治家への攻撃に集中的に表れ部落差別の恐ろしい姿が露呈したのである。
部落の出自であることを言うことだけで千万言の罵倒にもまさるのである。部落地名総鑑も恐ろしいが全国の市町村にある戸籍がもっと恐るべきだ。
これがある限り部落差別。種姓差別は解消しない。

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2024年7月10日 (水)

続都知事選


虚偽と腐臭の小池百合子を勝利させたのは、結局石丸ということだ。空虚な風船を膨らませ、その風船に何かが詰まっていると信じ込ませて票をかき集め、7月7日が何の選挙かわけがわからなくして、小池を救ったのである。

石丸の公約を見ても何のことかさっぱりわからない。選挙後記者会見をしても記者らの質問を全部はぐらかして答えないのだ。

要するに政策もないし、政治思想も何もないから、出せない、話せないのである。ネット上のコメンテイターたちが驚いたり嘆いたりがっかりしている
が奴の実態は風船なのだから仕方がないのだ。権力欲の奴さんの臭い息がいっぱい詰まった風船である。

政治家と政治屋の違いを聞かれても答えない。そこでは政治家とは何か、政治思想を述べる機会なのである。

おそらく、マルクスもレーニンも読まなかったであろう。カントやルソーら欧米のリベラルな政治思想の歴史も読まなかったであろう。

日本の憲法についても満足に勉強していない。維新の連中、特に橋本とよく似ているし、トランプや死んだ安倍と同じレベルで小池百合子とどちこちというところだ。

要するに彼らの政治思想は世俗の遅れたおっさん・おばはんのレベルであろう。世間には差別や排外思想が支配的だがそのレベルの「思想」をもって政治をやることになる。だから、安芸高田市の医療費の話でも、お年寄りを敵視し説得できがたい年寄りは早く死ぬから生き残る者が勝ちだというその程度の」思想」しかないのである。

小池が関東大地震の折の朝鮮人虐殺の史実を抹殺しようとするのも、同じレベルの話だ。

恥を知れ、という唾は天から小池や石丸の顔に落ちかかってくるだろう。日本の左翼もこの連中を凌駕するだけのものを持っているのか、その努力をしているのか。毎日多くの本を読み、市民の声を聴き、どんな小さいことであっても対権力の実践を日々やっているのか、人を批判する前に、自分を顧みて nobles oblige  常に恥を考えて生きねばならない。

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2024年4月19日 (金)

豊後水道地震は南海トラフ地震の前兆

2024年4月17日、豊後水道で大きな地震があった。
室戸では揺れはなかったがザーという音と十秒以上の振動があった。強い揺れが来るかと思っ手待機したが、それっきり何もなかった。

震度6弱という。宿毛や愛南町方面では相当な被害が起きた。
多くの人が南海地震のことを思っただろう。だが、気象庁や報道ではそれを否定した。
しかし、だれも納得しないだろう。

私は今回の豊後水道の地震は南海地震だと考える。
それは第一に震源が南海トラフ域にかかっていること、第二に、プレート間のずれによるものではなく、
すなわち、プレート境界で起こってはいないが、プレート境界での何らかの力が片方のプレートに影響があってそのプレートに亀裂が入ったとも考えられる。

南海地震は何も巨大なものがワンストロークで勃発し津波を伴って我々を襲ってくるとは限らないと思う。今回のような単発で中規模の地震で終わる場合もあれば、巨大地震がそれに続いて起こる場合もあるだろう。

それぞれが南海地震の姿を想定するのではなく、南海地震の大小種々のパターンを想定し、そのうえで起こった地震を類別すべきである。そう簡単に南海地震とは関係ないとか、南海地震につながらないとか断定するのはやめるべきだ。
この程度の南海地震もあり、それが単発で終わるのか、それとも巨大地震・津波につながり、その前兆なのかもしれない。

南海地震への防災の備えを一層増強すべきだ。その前提に各機関が勝手に南海地震像を描き、論じ合うのではなく、南海地震の起伏を的確に把握することが必要である。今回の豊後水道の地震は南海地震の一つであり、伊方原発に南海地震が迫ったのである。

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2024年4月 3日 (水)

部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

私も予想したよりもはるかに長生きをしている。何にも社会に役に立つこともせず、
毎日なぜか生きている。貧しく困窮している市民の相談に乗り、その手足となって働いている。
しかし、何事もうまくはいかない。街灯一つをつけるにも難しい。

2週間ぐらい前、コロナにかかり高知の病院に隔離された。さいわい5日ほどで解放された。
しばらく人と話すことも避けて逼塞していた。

私の残りの人生もわずかだが、生涯の研究である部落問題の総仕上げをしようとしているが、
なかなか時間が取れない。部落解放運動関係出版で私のことについて書いた本が数冊あるが、
的を得た評論はない。

今地球温暖化(灼熱化)の中で、人類の生存そのものが危機的な状況で
部落問題に注力するのはどうかと言われるかもしれない。解放運動の理論などもいくつも読んでいるが、
今、部落問題を研究したり論じたりする意義については焦点の合わない主張が多い。

私が大学の卒論で出したのは、近代日本においてどうして部落が問題として残ったかであった。
私は、講座派や労農派の対立を止揚してそれを宇野経済学的に帝国主義段階論で乗り切った。
今、私を取り上げた数冊の解放運動の歴史の本では、その理論的功績は無視されている。
当時その新機軸ともいわれた論文を載せた「立命評論」という雑誌は何度も版を繰り返して需要にこたえたという。

私は当時先生方の勧めを断って理論を精緻化する研究者にはならず、解放運動の実践の世界に入った。
部落問題は、なぜ今に残ったのか、部落大衆の苦しみの解決を優先したのである。
しかし、いま私の部落問題の解明の努力は、部落がどうして残ったかではなく、どうして部落が形成されたのかに移っている。そのこと、部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

なぜ今もなお部落問題か。
回答。人類的危機のなかでこそ、部落問題や少数民族問題が大きな社会問題となる。
それはナチスがすでに示した。日本の関東大震災の折にも在日朝鮮人が犠牲になった。
天変地異など社会のパニックには、人々の眼が向くのは被差別民であり、食糧危機など切羽詰まった
状況では、真っ先に被差別民衆が襲撃される。

現在の人類史的危機をもたらしているのは明らかに資本主義であり、その経済成長主義である。
資本の増殖の論理は資本主義の本質であり、地球と人を蚕食しつくさなければやまない。
資本主義は労働者を使い捨て消耗させるだけでなく地球の自然環境そのものも破壊し食い尽くすのである。
だから、プロレタリアートは部落民など少数被差別民と手を組み資本主義を廃し社会主義的な共同社会
を建設し、地球消滅を防止しなければならないのである。危機に臨んでプロレタリアートはその矛先を決して少数被差別民に向けてはならない。そうすれば真の敵を見失い自らの友軍を滅ぼしそうして自分自身も滅びなくてはならなくなるのである。

  残り少ない人生を有意義に生きていこう。最後まであきらめずに。

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2023年6月 8日 (木)

虚偽の哲学「梅原日本学」

『日本思想の古層』(2017年8月10日藤原書店 梅原猛 川勝平太)という本を読んでいる。
川勝氏は梅原猛の哲学を賛嘆して次のように言う、
「・・・日本において信仰が芸術に昇華したことは疑いないところである。芸術は文化の花である。

 

「花」自体が信仰と芸術の統合シンボルになる。・・・・芭蕉は「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とする。見るもの、花に非ずという事なし。おもふところ、月にあらずといふ事なし。像、花にあらざるときは、夷狄にひとし」(『笈の小文』)と言った。」

 

梅原日本学という哲学の中核的思想は 草木国土悉皆成仏 という概念であり、それは縄文時代以来の日本の基層をなす文化・信仰である、という。それはそうかもしれないが、「夷狄」を差別・排撃する芭蕉の芸術論を称揚するのとどういう整合性があるのだろうか。

 

芭蕉の「笈の小文」は上の引用に続いて「心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。」
造化とは天地自然のことか。しかし夷狄も鳥獣も草木国土悉皆のうちに入るのではないか。夷も狄も人間である。

 

梅原人間学は、西洋の哲学ではなく東洋の思想、特に空海の密教を高く評価する。しかし、空海こそは、その有名な「性霊集」でその夷狄である蝦夷を「非人」と激しく非難し断じた最初の人間であった。梅原ら日本の美学をいう連中は、その思想の根底に日本の神道的な聖と俗、貴と賎の感情的概念を持っている。梅原は蝦夷を縄文の血を引くもので、後から入って来て大和朝廷を樹立した朝鮮系の人間集団によってカースト的差別を受けてきたと正しく位置付けていた。(『海人と天皇』268頁)

 

私は、蝦夷に対する激しい差別と収奪の名残が部落差別の原因だという考えをもって部落史を研究している。だから、梅原の日本学には大いに期待してその著作をよく読ましてもらったが、上に引用した芭蕉の美学論の差別性の無批判的な評価はいただけない。部落問題をまともに考えられない学者は、結局そこで陥穽に落ちてその思想の学問性を崩してしまうのである。

 

 

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