心と体

2019年9月 3日 (火)

憲法第26条 義務教育

憲法第26条の規定は、

①子供たちが教育を受ける権利

②普通教育を子供たちに提供する保護者の義務

③義務教育の無償をうたっている。

③の無償は当然として、問題はこの教育が子供を学校に強制的に入学・通学させるということを意味しているか、である。

私は、子どもたちを朝から夕方まで学校に閉じ込めて教育を強制するのは憲法の趣旨ではないと思う。

不登校の問題、いじめ(差別)の問題、子供たちの自殺、知識の詰込みや試験、競争など子供たちのストレス。私は自分自身が振り返ってみてぞっとする。憲法23条には学問の自由も保障されている。小さな子供たちにも学問(学習)の自由は保障されねばならない。Compulsoryな教育ではなく、自由な学習が子供たちに保障されるべきである。

私は現在の小中学校の「義務教育」制度はいったん廃止すべきであると考える。どこで勉強してもかまわない、家や図書館で一人でまた友達と一緒に勉強してもいい、もちろん親や兄弟でもいいし自由に家庭教師についたりや塾に通うのでもいい、また、現在のような小中学校も存在させ希望する生徒を受け入れることもできる、特に音楽やスポーツなどのクラブ活動では学校があるといいだろう。そういう多様な教育環境(憲法が言う「普通教育」)が用意され、その学校で一応卒業資格のテストがあってもいいだろう。

学校があっても出欠を取らず、自由出席にすべきだ。
高校・大学へ入学する試験はあるからそれのための学習の場は、自由に選択できるようにすべきだ。

憲法第26条は何も牢獄のように子供たちを集め特定内容の学校教育を強制している趣旨ではない。

明治5年の学制の施行はそれなりの意味があったかもしれない。
しかし、子供たちへの圧迫は幾世代にもわたりその害悪はかりしれない。権力がこの教育制度を使って天皇制を叩き込み国民を侵略戦争に洗脳したのはその害悪の象徴だ。
現行憲法下でもそれは基本的に変わらない。教育現場に日の丸を持ち込み昔の教育勅語的教育をまで強制しようとする。

教室の授業の思い出は常に陰鬱であった。常に沈黙しておらねばならなかった。多くの部落の子は学校で始めて差別を体験する。

おそまきながら、今、憲法の趣旨を捻じ曲げて子供たちを苦しめてきた「義務教育」を考え直し、自由な学習の場、楽しい少年時代を子供たちに提供するべきであると思う。学問の自由の権利は学者先生だけでなく子供たちにもある。

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2019年8月 1日 (木)

甲子園球児

大船渡高校の佐々木投手が、夏の高校野球岩手県大会の決勝戦で監督が、当番をさせなかったことをめぐって、特にテレビ番組での張本勲氏の発言について論議が沸騰し、張本氏への批判が厳しい。張本氏は監督の判断(故障を防ぐため出さなかった)を批判し絶対投げさせるべきだ、故障を恐れるべきではない、などという強い主張をした。

選手の健康や故障を心配する声が張本氏の主張と対立するのは筋違いだ。私は、張本氏の主張は正当なものと思う。
球児の健康や故障の対策については地方および中央の高野連の責任である。試合のスケジュールの過密さが特に投手の健康、肩の故障をむしばみ、原因となっていることは明らかである。張本氏は球児たちの心情を吐露しただけである。

球児の立場からすれば甲子園出場が最高の目的である以上、可能な限り、負傷や疲労・体力の限界が見えていない以上たとえ3回でも5回でも登板したい、登板させるというのは当然のことであると思う。

球児が、甲子園で燃え尽きるのか、プロの世界で燃え尽きるのか、選手自身の選択の余地がある。

監督が選手たちの生殺与奪の権を握っているような現在の高校野球の姿は、改善すべきだ。選手が一挙手一投足ベンチの監督の指図を仰ぎ、選手登録や出場枠の決定、レギュラー選手の決定など監督の権限が余りにも強大である。球児はほとんど監督に頤使される奴隷のようである。
1週間に400球程度の投球は普通の投手の投球練習の範囲である。

佐々木投手の体力や気力ではたとえ完投はしなくても、相当な回数の登板は可能であっただろう。監督の一存で決勝戦の出場を逃した投手、甲子園行きが夢と消えたチームメイト、球児の無念さを張本氏は代弁した。

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2017年5月11日 (木)

復帰

News & Letters/567
本年5月1日、私は東洋町から室戸市吉良川町の実家に住民票を移転した。
私は平成19年3月から、10年間の東洋町民に終止符を打った。
理由は、室戸市の方が利権行政が横行し、その規模が大きく深刻だからである。
東洋町の利権行政が治まったというわけではないが、私が室戸市民にならなければ室戸市行政の住民訴訟ができない。
特定業者と特定議員による市政の腐敗は底知れない。同志の名前で住民訴訟をやってもらっているが追いつかない。
 
また、私自身についても周囲に危険人物がおり、そのため多勢の住民が恐惶状態にあり、著しい人権侵害が十数年続いていて、警察や行政が何も手を打たない状態があり、これに対処し忙殺される毎日が続いた。
その家の近くのあばら家には赤いペンキで「殺す」という大きな文字が掲示されており、近隣の住民はその男に死刑宣告がされているのである。
周辺の畑は耕作ができず草を刈ることも許されず、災害避難道となっている道も誰も通れない。まるでシリアだ。
 
また、山の上の畑も草ぼうぼうで今これを開墾している。年老いた私には耕作はかなり重労働だ。しかし、山の風はすがすがしい。
 
このブログは元は「東洋町長日誌」であった。それが「東洋町民日誌」に変わり、今度は、→「室戸市民日誌」に。

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2016年9月 1日 (木)

茶の本 岡倉天心

News & Letters/517

福島原発事故は、かつてリスボンの大地震がヨーロッパの思想界に与えたと同じ衝撃を
私たちに与えている。神学の予定調和からヒュウマニズムへの転換。
原発を頂点とする近代科学神話からヒュウマニズムへの転換が必要だ。
ただ単にエネルギー源の選択の問題だけに終わってはならない。

岡倉天心の「茶の本」は、茶道について宗教的・芸術的な説明がなされているが、その中に次のような一説がある。

「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっている間は野蛮国とみなしていたのである。
しかるに、満州の戦場に大々的な殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる。
近頃武士道ーわが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術ーについて盛んに論評されてきた。
しかし、茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の道を多く説いているのであるが。

もし我々が文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。我々はわが芸術及び理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」

我々が世界に対して誇れるのは、武器や強兵でもなく、大量生産大量消費、成長・成長の経済でもなく、平和な文芸にふける静かな世界であって、自然を愛し、上下差別なく人が交わる茶道の世界、岡倉が言う「野蛮国」なのである。

日本が日清日ロ戦争に沸き立ち、軍国主義にひた走る時代に、岡倉天心は堂々と反戦的文明批判を行っていた。

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2016年4月 4日 (月)

健康法

News & Letters/472

肉体は限界がある。人は死ぬ。同級生以上はもとより私らよりずっと若い世帯のものが老いさればえている姿を路上で見てぞっとする。だが、私の場合はそうはいかない。生きてこの世の悪と戦い続けねばならない。

自分一代が老後を平穏に生きればよいという考えで、何も考えず、何もせず、海を眺め、山を仰ぎ、畑に出て野菜を育て・・・

というわけにはいかない。むしろ、尼子の山中鹿之助のように、我に七難八苦を与えたまえ、と月に向かって吠えた故事に見習い、悪党を次々に発掘し、戦線を拡大し、戦い続け、精神と肉体を活性化させねばならない。

幸いにも、私は若い時分に左翼の陣営に参加させていただいたおかげで、安部晋三など敵の発見には事欠かない。オンブズマンに参加させてもらったことも大変良かった。原発や戦争だけでなく、身近な所でも悪事や悪党が雲のようにわいてくるから、私の戦線は活況を呈してやまない。

これが健康に非常にいいように思う。生きがい、というものが健康の第1の源泉なのである。
昔の同志たちよ、武器を拾って反戦・反核のパルチザンの隊列に入り、戦線に立って進撃せよ。
出来たら、オンブズマン活動にも参加せよ、これが最高の健康法だ。

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2015年8月24日 (月)

心情

News & Letters/433

私は、時々少年時代に覚えた(教えられた)歌を歌っています。

     庭の千草

  庭の千草も 虫の音も
  枯れてさびしく なりにけり
  ああ、白菊 ああ白菊
  ひとり遅れてさきにけり

  露にたわむか 菊の花
  霜におごるや 菊の花
  ああ、あはれあはれ
  ああ、白菊
  人のみさをも かくてこそ
                
 最近特にこの歌の意味が身にしみて理解できるような気がする。
 かつての同志は多くが年老いあるいは死去した。
 私は一人残っても、最期まで闘って生き抜かねばならない。

 また、少年時代には軍国主義教育の名残を持った母親から、母親が覚えている小学校唱歌などを教え込まれたものである。

 楠正成の青葉茂れる桜井の・・・の唱歌や 見よ東海のそら空けて、旭日高く・・・皇国とわに栄えあれ の歌など・・・・

 愛国少年に育てられたのであろう。その愛国の熱が転じてマルクス主義学徒になったのである。  

 
  親が教えてくれた唱歌の中で今しみじみと感ずるのは、南北朝戦乱時の人「児島高徳」という唱歌である。

    船坂山や杉坂と
    み跡慕いて 院の庄
    微衷をいかで聞こえんと
    桜の幹に十字の詩
      天勾賎を空しゅうするなかれ
      時にはんれい無きにしも非ず  
  
 私にとって忠誠を尽くす相手は勾賎や南朝の後醍醐帝ではなく、人民である。
      天プロレタリアを空しゅうするなかれ
      時にレーニン無きにしも非ず

                       墨痕淋漓、桜の大木に私はこう書きたい。

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