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2026年1月24日 (土)

義挙の社会的な背景を無視する裁判所


奈良の駅頭で銃殺された安倍元首相。その銃撃事件の主役山上さんに対し、
無期懲役の刑が言い渡された。それは一つの殺人事件として扱われた。

なぜ彼が安倍を襲ったのかということが量刑には何も反映されなかった。
そうすることによって裁判所は、この事件の政治性を隠そうとしたと言える。
この銃撃事件は高度に政治性を持っていた。

第1に、大義名分や正義が踏みにじられている事案が糺されず放置されていることに対し、被害者が独自に糾弾に立ち上がった。それは忠臣蔵であり、桜田門外の変であり、高知の帯屋町での藩の参政吉田東洋暗殺であり、様々な仇討ちであった。

安重根のハルピン駅頭の伊藤博文銃撃もそうだ。義挙には必ずわが身の犠牲がある。
だから奈良の駅頭での銃撃は義挙の高い政治性を持っていた。単なる一個人の殺人事件ではない。

当局が野放しにしている犯罪(統一教会やそれを利用してきた自民党)の被害者が復讐すること、又は反撃するということには正当防衛の意義があり、その行為を余儀なくさせた当局の無作為の責任が大きい。

刑罰の軽重とは別に、裁判所がこの事件の背景であり、直接の動機を量刑の判断に何ら酌量しなかったことは、山上被告へのもっとも痛苦の仕打ちであったし、何よりもいくつもの歴史上の義挙に快哉を叫んできた日本人の精神文化を踏みにじるものでもある。

ちなみに私は2度ほど赤穂浪士討ち入りの心境を経験した。一つは69年の浦和地裁占拠闘争であり、もう一つはその先年、解放同盟の総理府突入闘争であった。赤松英一君らの佐世保基地への突入や、羽田闘争などかつての革共同中核派の青年・学生達にはこの義挙の精神が横溢していた。

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