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2024年7月

2024年7月30日 (火)

Re: RE: 市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)その2

続 【不思議な部落問題』

この本の第二章の橋下徹に対する激しい部落差別攻撃の実態を追求した文章は極めて優れており、ノンフィクション作家の面目躍如としていた。

昔の私であれば、出版社に対して嵐のような徹底糾弾を加えていただろう。血統の匂いを嗅ぎまわるのは人間の営為ではなくけだものの所業だ。

そして、北芝地区での高校友の会の姿がちらほろ描かれているが、私にとって懐かしい。大阪府下の高校友の会(「高校生友の会」ではなく「高校友の会」である)の活動は戦後何波かの世代の解放運動の担い手たちだ。彼らは全国の狭山闘争の主な担い手だった。九州の高校生は、東京高裁への公判闘争に参加すれば奨学資金を切るぞ、と脅されても屈しなかった。

解放同盟大阪府連の教育担当であった私は、同和奨学資金を受給する高校生の組織化を任じられた。指示したのは府連書記長の西岡智だ。私は当時23歳かそこらであった。

一人で府下53部落すべてに入って奨学資金受給生の会合を持った。解放同盟の未組織の能勢や北摂,泉南方面まで歩いた。能勢では雪の降る山道を歩いた。
部落の高校生の多くは自分たちがどういう立場に置かれて生まれてきたのか初めて知ったであろう。大阪市周辺の部落の高校生は極めて活発であった。

当時の高校生の姿は大阪のNHK教育テレビで『部落高校生は語る』という題目で繰り返し放送された。矢田や浪速、寝屋川、東大阪の高校生が主体だった。いまから50年以上の昔のテレビだ。

当時解放運動は全国的に激しい差別糾弾闘争を繰り広げていたが巨額の予算獲得運動にのめりこんでく傾向が強く出ていた。私は、物取り主義に流れる傾向に抗して高校生に狭山の石川一夫に係る差別裁判を強く訴えた。行政闘争で予算を獲得することは大事であるが、部落問題は金で解決できない。差別と闘うことを繰り返し教えた。

私が作った「高校友の会」(「大学友の会」も作ったが大学進学者が少数であり不発に終わった)に集まった高校生たちは数年後には各地域のリーダーになり狭山闘争に参加した。私が解放同盟外に作った全国部落研や関西部落研は高校生が主体であった。「部落青年戦闘同志会」もそうだ。

角岡氏の本では、北芝の高校生が狭山の闘争に参加したかどうかは書かれていない。街づくりの企画や運動の話に流れているが、生き方や考え方が私とは相当違うようだ。
(続く)

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2024年7月29日 (月)

市役所職員から読むように勧められた部落問題の一冊『不思議な部落問題』(角岡伸彦著ちくま新書2016年6月)


まず第二章「メディアと出自」

ここで角岡氏は、2012年ネ10月頃から橋本徹氏に対する週刊朝日などが橋本氏の家系や血脈を暴露するえげつない部落差別をもって橋下徹という政治家をこき下ろすキャンペーンを張った事実について厳しく批判した。それはその通りでよい。

しかし、角岡氏の批判には底の浅さが垣間見える。それは第一章の「被差別部落の一五0年」の認識が間違ったところに発するところからと考えられる。すなわち角岡氏は、明治4年の賤称廃止の太政官布告を「賤民廃止令」と位置付けている。

しかし、それは全く事実ではない。それは文字通り賤称の廃止であって賤民廃止の法令ではない。旧来の呼び名を廃止した意義はそれなりにあるが、身分制度も経済的処遇も何も変わらなかった。翌年の壬申戸籍によって部落民だけでなく日本全人民は天皇を頂点とする新たな身分制政治形態に押し込まれた。

そしてその身分制は、階級や身分の形式に血統を裏付けた。戸籍というのは他国にはない人間の血統証明書なのである。血統の公証制度の戸籍制度は今も大事に全国の市町村の役場に保管され活用されている。犬や馬の血統ならわかるが、人間の血統書を行政や法律の基本台帳に据えている野蛮な制度なのである。

一部のノンフィクション作家らが政治家を批評し排斥するのにこの野蛮な血統を使いだしたのであるが、これこそが部落差別の核心であって、何も驚くことはない。

角岡氏は「身体・知的・精神障碍者、・・・・在日コリアン、アイヌ民族などは、差別されることはあるが、差別がなくても存在する。ひとり部落民だけが、身体や民族や文化的差異があるわけでなく、差別されてきた歴史によって存在するのである。」という。それを不思議がる方がおかしい。

部落差別は、身分や経済的地位ではなく、血が汚れるとか、血統が汚れるとか、異民族視されるカースト制度なのである。
日本古代の学者が穢多をインドのセンダラと同一視したのだ。日本の部落差別者は一様に部落民と血統が違うと思っている。一部のジャーナリストだけではない。

インドの賤民は、被征服民族であり、征服者のインドの貴族とは種姓が相違していた。

部落民は日本列島の原住民であり異民族の子孫ではないが、朝鮮北方から襲来し日本を征服し王朝をたてた天孫族・騎馬民族から見れば異民族であった。
大和朝廷に最後までまつろわぬ化外の民であった。都に拉致されてきた蝦夷たちの群像を「非人」と呼んでさげずんだ最初の人は、弘法大師空海だった。

彼の性霊集にそのことが記されている。空海は中国の古典(仏典だけでなく山海経など道教の典籍にも通暁していたと思われる)を読破していたから
「非人」や鬼神と言うものがどういうものかよく知っていたはずだ。部落問題はその発生の当初から現在まで種姓差別の様相を帯びてきた。

それの激しい露骨な現象が橋下徹という出たらめな政治家への攻撃に集中的に表れ部落差別の恐ろしい姿が露呈したのである。
部落の出自であることを言うことだけで千万言の罵倒にもまさるのである。部落地名総鑑も恐ろしいが全国の市町村にある戸籍がもっと恐るべきだ。
これがある限り部落差別。種姓差別は解消しない。

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2024年7月16日 (火)

続・都知事選(その2)


橋下徹氏が、7・7都知事選の結果を嘆いた兄弟の教授をツイッターでぼろくそに非難し、「税金のただ飯ぐらい」とか、「詐欺師」とか下劣な罵倒を
放った。

藤井教授の論評は妥当なもので多くの国民の共感を得るものだった。橋本の感情に合わない学者に対する非難の内容こそ問題であり、学問や教育に対する、露骨な嫌悪を表したものだ。政治や行政は、学問や科学を基盤にしなければ成り立たない。

室戸市でこの6月議会の一般質問で室戸半島に凝集している活断層について尋ねたところ執行部の答えでは、うちは南海トラフへの巨大地震に取り組んでおり、室戸半島の活断層については検討する気はありません、ということであった。私は唖然として言葉を失った。それは活断層だけではなく学問や知性に対する拒絶反応なのである。

四国では北の中央構造線と南海トラフという東西二つの巨大活断層に挟まれているが、それとは別に室戸半島には10本ほどの大小の活断層が集中していることも分かっている。それらが海溝型の南海トラフとどういう関係があるか、行政も議会も専門の学者に尋ねるなど学習するのは当然のことだ。
学問は、直接行政に必要であるのはもちろん、政治に携わる政治家、国民一般の知性を醸成し鍛えるためになくてはならないのである。

橋下徹や石丸伸二らのようなガサツな政治家が選挙や世論の場に出て差別や排外主義的な反知性、反学問を広めてもらっては国の将来が危ぶまれるのである。

右翼や保守陣営だけではない。「左翼」にもこういうごろつき連中がごろごろしていて、始末に負えない。「前衛」だと思っている。

日本の安倍晋三、プーチン、トランプ、習近平、ヒットラーはもちろん、スターリン、毛沢東、北朝鮮の金王朝の王様たち、・・・・数えきれない大小の独裁者たちが、地球上に病のようにはびこって絶えることがない。
ドストイエフスキー「カラマーゾフの兄弟」中に出てくる「大審問官」の物語がそれら独裁者たちの心理を極限的に描いていた。

学生時分にN・Aベルジャーエフというロシア哲学者の「ドストイエフスキーの世界観」という本を読んで感銘したが、その核心は」大審問官物語」であった。
大小の審問官が左翼、右翼を問わず、世界中に病のようにはびこり、人類を絶えず悩まし、閻魔大王の使徒のようにわれわれを滅亡に向かって導いているのである。

石丸新審問官(そして橋下徹古審問官も同じだろう)が言うには、人口減少対策には一夫多妻制度が良いという。この制度がいかに女性を抑圧しさげずみ、そして権力と金を持つものが人類の生殖機能を独占しその者らによる世界の権力と富の壟断を来す社会になるか、・・・

そんな王侯貴族社会の実現を平然と公言する。これら狂った連中に大勢の国民が惑わされt4穢投票するという制度が問われているのである。橋本ら維新勢力にまとわりついている曲学阿世の学者こそ政治に口出しさせぬように配慮されるべきだ。

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2024年7月10日 (水)

続都知事選


虚偽と腐臭の小池百合子を勝利させたのは、結局石丸ということだ。空虚な風船を膨らませ、その風船に何かが詰まっていると信じ込ませて票をかき集め、7月7日が何の選挙かわけがわからなくして、小池を救ったのである。

石丸の公約を見ても何のことかさっぱりわからない。選挙後記者会見をしても記者らの質問を全部はぐらかして答えないのだ。

要するに政策もないし、政治思想も何もないから、出せない、話せないのである。ネット上のコメンテイターたちが驚いたり嘆いたりがっかりしている
が奴の実態は風船なのだから仕方がないのだ。権力欲の奴さんの臭い息がいっぱい詰まった風船である。

政治家と政治屋の違いを聞かれても答えない。そこでは政治家とは何か、政治思想を述べる機会なのである。

おそらく、マルクスもレーニンも読まなかったであろう。カントやルソーら欧米のリベラルな政治思想の歴史も読まなかったであろう。

日本の憲法についても満足に勉強していない。維新の連中、特に橋本とよく似ているし、トランプや死んだ安倍と同じレベルで小池百合子とどちこちというところだ。

要するに彼らの政治思想は世俗の遅れたおっさん・おばはんのレベルであろう。世間には差別や排外思想が支配的だがそのレベルの「思想」をもって政治をやることになる。だから、安芸高田市の医療費の話でも、お年寄りを敵視し説得できがたい年寄りは早く死ぬから生き残る者が勝ちだというその程度の」思想」しかないのである。

小池が関東大地震の折の朝鮮人虐殺の史実を抹殺しようとするのも、同じレベルの話だ。

恥を知れ、という唾は天から小池や石丸の顔に落ちかかってくるだろう。日本の左翼もこの連中を凌駕するだけのものを持っているのか、その努力をしているのか。毎日多くの本を読み、市民の声を聴き、どんな小さいことであっても対権力の実践を日々やっているのか、人を批判する前に、自分を顧みて nobles oblige  常に恥を考えて生きねばならない。

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