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2024年4月

2024年4月23日 (火)

園児虐待

高知新聞で保育園児が保母さんに虐待を受けたという報道があった。
それも「高知県東部」の保育所とのことだ。高知県東部と言えば、室戸市か東洋町ということになる。
市役所に聞いたが室戸市ではない。そうすると東洋町の野根か甲浦の保育園という事になる。

記事を見てもはっきりしたことが分からない。園児がロッカーに入れられていたとか、いくつかの虐待が
あったということだ。保育所自体はその事実を否定しているようだ。その虐待の事実は保護者の目撃
によるとのことである。新聞社も明確な報道ができないようだ。

虐待の事実があれば、当事者にはきびしいが、新聞報道もやむを得ない。
しかし、もし、何かの勘違いであったら、今の新聞報道は厳しすぎるであろう。
虐待をしたといわれる保母さんは、もしかしたらそうでなかったのかもしれない。
何事も事実の確定が肝心だ。事実が確定してから報道すべきだろう。

伝聞証拠だけで人を非難したり罪につけたりすることはあってはならない。
日本の冤罪事件の多くは、伝聞証拠だけで犯人が作り出され、無実の人が長く牢獄に閉じ込められたり、
刑死に追いやられたりしてきた。例えば、誰それがコンビニで女性の尻を触っていた、私はそれを見た。
という人が現れた場合、その証言だけで警察に訴えられて捕まるということがあっていいのか。

女性が現場でその手を抑えて声をあげるとかすれば現行犯だ。だが、誰かが見たという伝聞証拠だけで
捕まるという事になれば、だれも安心して生活できないだろう。政敵の多い人などはしょっちゅう引っ張られるという事になる。伝聞証拠だけで人を責めたり、裁いたりはすることはできないという原則が日本の司法界でおろそかにされているから、冤罪事件がなくならないのである。

伝聞証拠で人を罪につけるという恐ろしい思想は封建時代の刑事政策だ。殺人事件や放火など重大な事件が起これば 誰かを犯人に仕立てて「解決」しなければならないという刑事政策からは、犯人を「貧乏くじ」で選んでスケープゴートにするという政策も出てきた。(荻生徂徠「太平策」)

徂徠の儒学では、昔、出石と豊岡で人殺しがあったが下手人がわからないので江戸にまで相談があった。徂徠の回答は、「畢竟下手人を出してことすむことなり。其の領主の吟味にて知れずんば、びんぼうくじになりともして、下手人を出さすべきことを、せんぎ仕り候とて、年月を引きずり、はては埒明かずして終ること愚の甚だしきならずや。」

それをまことしやかにするためには伝聞証拠も作ったことであろう。
県東部、野根の保育園で何が起こったのか事実の確定が何よりも先決である。
事実の確定の前に大騒ぎをしたらもしも当事者が無実であれば大きな人権問題となる。

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2024年4月19日 (金)

豊後水道地震は南海トラフ地震の前兆

2024年4月17日、豊後水道で大きな地震があった。
室戸では揺れはなかったがザーという音と十秒以上の振動があった。強い揺れが来るかと思っ手待機したが、それっきり何もなかった。

震度6弱という。宿毛や愛南町方面では相当な被害が起きた。
多くの人が南海地震のことを思っただろう。だが、気象庁や報道ではそれを否定した。
しかし、だれも納得しないだろう。

私は今回の豊後水道の地震は南海地震だと考える。
それは第一に震源が南海トラフ域にかかっていること、第二に、プレート間のずれによるものではなく、
すなわち、プレート境界で起こってはいないが、プレート境界での何らかの力が片方のプレートに影響があってそのプレートに亀裂が入ったとも考えられる。

南海地震は何も巨大なものがワンストロークで勃発し津波を伴って我々を襲ってくるとは限らないと思う。今回のような単発で中規模の地震で終わる場合もあれば、巨大地震がそれに続いて起こる場合もあるだろう。

それぞれが南海地震の姿を想定するのではなく、南海地震の大小種々のパターンを想定し、そのうえで起こった地震を類別すべきである。そう簡単に南海地震とは関係ないとか、南海地震につながらないとか断定するのはやめるべきだ。
この程度の南海地震もあり、それが単発で終わるのか、それとも巨大地震・津波につながり、その前兆なのかもしれない。

南海地震への防災の備えを一層増強すべきだ。その前提に各機関が勝手に南海地震像を描き、論じ合うのではなく、南海地震の起伏を的確に把握することが必要である。今回の豊後水道の地震は南海地震の一つであり、伊方原発に南海地震が迫ったのである。

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2024年4月 3日 (水)

部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

私も予想したよりもはるかに長生きをしている。何にも社会に役に立つこともせず、
毎日なぜか生きている。貧しく困窮している市民の相談に乗り、その手足となって働いている。
しかし、何事もうまくはいかない。街灯一つをつけるにも難しい。

2週間ぐらい前、コロナにかかり高知の病院に隔離された。さいわい5日ほどで解放された。
しばらく人と話すことも避けて逼塞していた。

私の残りの人生もわずかだが、生涯の研究である部落問題の総仕上げをしようとしているが、
なかなか時間が取れない。部落解放運動関係出版で私のことについて書いた本が数冊あるが、
的を得た評論はない。

今地球温暖化(灼熱化)の中で、人類の生存そのものが危機的な状況で
部落問題に注力するのはどうかと言われるかもしれない。解放運動の理論などもいくつも読んでいるが、
今、部落問題を研究したり論じたりする意義については焦点の合わない主張が多い。

私が大学の卒論で出したのは、近代日本においてどうして部落が問題として残ったかであった。
私は、講座派や労農派の対立を止揚してそれを宇野経済学的に帝国主義段階論で乗り切った。
今、私を取り上げた数冊の解放運動の歴史の本では、その理論的功績は無視されている。
当時その新機軸ともいわれた論文を載せた「立命評論」という雑誌は何度も版を繰り返して需要にこたえたという。

私は当時先生方の勧めを断って理論を精緻化する研究者にはならず、解放運動の実践の世界に入った。
部落問題は、なぜ今に残ったのか、部落大衆の苦しみの解決を優先したのである。
しかし、いま私の部落問題の解明の努力は、部落がどうして残ったかではなく、どうして部落が形成されたのかに移っている。そのこと、部落の歴史を一冊の本に残さなければ死んでも死にきれない。

なぜ今もなお部落問題か。
回答。人類的危機のなかでこそ、部落問題や少数民族問題が大きな社会問題となる。
それはナチスがすでに示した。日本の関東大震災の折にも在日朝鮮人が犠牲になった。
天変地異など社会のパニックには、人々の眼が向くのは被差別民であり、食糧危機など切羽詰まった
状況では、真っ先に被差別民衆が襲撃される。

現在の人類史的危機をもたらしているのは明らかに資本主義であり、その経済成長主義である。
資本の増殖の論理は資本主義の本質であり、地球と人を蚕食しつくさなければやまない。
資本主義は労働者を使い捨て消耗させるだけでなく地球の自然環境そのものも破壊し食い尽くすのである。
だから、プロレタリアートは部落民など少数被差別民と手を組み資本主義を廃し社会主義的な共同社会
を建設し、地球消滅を防止しなければならないのである。危機に臨んでプロレタリアートはその矛先を決して少数被差別民に向けてはならない。そうすれば真の敵を見失い自らの友軍を滅ぼしそうして自分自身も滅びなくてはならなくなるのである。

  残り少ない人生を有意義に生きていこう。最後まであきらめずに。

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