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2022年9月

2022年9月21日 (水)

安倍国葬の法的問題

私は、友人とともに高知県監査委員会に、高知県知事濱田氏及び県議会議長らが、今月27日の安倍国葬に出席することについて差し止め請求の住民監査請求を行った。

理由は、内閣が安倍国葬を行うことは⓵憲法に違反するということと、安陪元総理が②様々な反動的行動をした人物であることの二つである。

地方公共団体が、憲法など法律に違反する行為は地方自治法第2条の第16項、で禁じられ、第17項では法令に反する行為は無効と規定されている。
違法かつ無効な行為に公金を使うことは当然違法であり、差し止めや賠償の請求の対象となる

⓵の憲法違反は二つある。

一つは、内閣法第1条第1項で、内閣の職権は、憲法第73条他憲法で定められた職権を行うと明記されていて、国葬を行う職権などを
定めた条項は憲法にはない。戦前の勅令のように内閣がきめたことが法であるというのはファッショ的な考えだ。

権力は法定されたことしか執行できない。吉田茂の国葬も当時の自民党内閣は「超法規的」行為であることを自覚していた。
現在の自民党権力はそのような意識すらもないから権力を握ったら何でもできると考えているのである。これはファシズムだ。

もう一つの憲法違反は、憲法20条の第3項違反だ。「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動してはならない」
という規定に違反する。国葬も葬儀である。葬儀は宗教活動だ。無宗教的葬儀は現在の日本には存在しない。

明治5年6月28日太政官布告で自葬祭が禁じられ、葬儀は全て神式か仏式に限定され,神官か僧侶によって挙行されることになった。
勝手に自分で葬式ができなくなったのだ。この太政官布告は今でも生きている。明治4年のいわゆるエタ解放令の太政官布告が生きているように。
明治5年6月以来、日本人の葬式は宗派宗教の独占物となった。

「葬式仏教」は国のお墨付きとなり、寺院のドル箱となった。
国葬も例外ではない宗教行事であるから、憲法では国が宗教行事は執行できない。
マスコミや学会は、安倍国葬について法的根拠がないというだけでなく、憲法違反だという法的根拠を国民に示すべきだ。

そして安倍国葬に出席する連中もこの憲法違反について理論的に反論すべきだ。憲法違反と知って、超憲法的行動をとることの

政治的責任についてどう考えるのか、聞きたいものだ。憲法を破っていいのか。統一教会のような、日本人にとっては売国奴的教義(日本は韓国の属国だから金を貢げ)を持つ団体と一体となって権力を築いた安倍晋三の葬儀に、憲法を破ってまで奉仕しなければならないのか。

反社会的な宗派宗教の広告塔となっていた男の葬儀は二重に宗教的であり憲法違反だ。

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2022年9月12日 (月)

続安倍国葬。カエサルのものはカエサルへ

安倍元総理の横死をきっかけに、自民党の底知れない腐敗ー統一教会問題が白日の下にあらわなになって来た。
日本国民がこれで目覚めなければ自民党とともに永遠に腐敗の中に沈んでいくだろう。

安倍晋三の死は、いわば怪獣(ゴジラ)の死のようであり、それは安保法制など民主主義の破壊、森友など金権腐敗政治、ウソを政府運営の手法とする、そして反社会的宗教団体を野放しにし、その力で多数の右翼的腐敗議員を生みだした。・・・・など、

反民主主義の巨獣の死を国葬で弔うというのである。国辱的企てだ。
そもそも葬儀は宗教行事だ。国葬儀と名前を変えても同じで葬儀は古来より宗教行事であることは明白だ。

もし古代の遺跡で墓の近くに祭壇の跡があれば人を弔う宗教儀式が行われていたと学者は言うであろう。
死者を忍んだり追悼するのは宗教行事とは言わないが、祭壇を設けて弔えば、それは宗教的行為だ。

従って、祭政一致の戦前ではないので、内閣府設置法でいう「儀式」は誰かを弔う葬儀は含まれない。
内閣府設置法で言う儀式は、いろいろな政治的、文化的な式典であって、宗教的行事は入らない。
葬儀、墓参、先祖供養などを含む宗教行事を国の機関が挙行することは憲法に抵触する。

憲法第20条第3項では、国は、「いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定されている。
これは、カエサル〈皇帝)のものはカエサルへという聖書の考えである。
聖書のこの言葉は、政治権力が宗教に関与(逆の場合も同じ)することを戒めるものと解釈される。

宗教を利用して又は宗教の力で政治権力を手中に収めようとすればその政治は必然的にファシスト的、狂信的なものになり
民主主義どころか、不信者や異教徒など人民への弾圧、大量虐殺、他国への侵略などあらゆる悪魔的なことが引きおこる。

それはひとり統一教会だけの問題ではない。彼岸への往生信仰も現世利益の追求も宗教活動が政治権力を目指せば全体主義的な
統治形態に至らざるを得ない。宗教活動は教団化しそこでは教祖が絶対的な権威と力をふるい訳の分からない迷信も教義とされる。

その狂信化した教義が法となり正義となって民衆を縛り、権力維持の手段となって、その統治下では社会は地獄と化す。
カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ。

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2022年9月 6日 (火)

安倍元総理の横死

安倍元総理が奈良の駅頭で銃撃を受け横死した。

第一に、このことによって日本の保守政党が根底から揺れている。
安倍だけでなく自民党そのものの「国葬」、自民党と安倍晋三の合同葬が必要だ。自民党は解散すべきだ。衆参両院も解散して選挙をやり直すべきだ。

統一教会や創価学会など宗教団体の支援・連携がなければ議員当選はなく、国会で多数党ではありえなかった。

反社会的な団体の資金とスタッフ応援・集票活動がなければ存立できなかった腐敗した政党を国民は支持してはならない。

第二に、宗教団体の本質的な姿が統一教会であり、政治にかかわる他の宗教団体だけでなく、宗教団体そのものの金権体質が問われている。葬式や法要などが資金収集のネタであり、先祖供養や極楽往生などというほらを吹いて民衆をたらしこむのであるから、悪質だ。罪業深き民衆を救うという大乗仏教そのものの罪業が問われる。

第三に、警察の警備体制であるが、全く機能していない状況が露呈した。
これは警察だけでなく自衛隊など防衛関係組織の堕落した姿ではないか。
「警護改善」とかで都道府県警にまかせず、警察庁が関与するという方式に変えるそうだが、しかし、奈良の駅頭で起こったことは、上位下達を徹底すれば解決するような問題ではない。

野球でもサッカーでも卓球でもおよそスポーツ競技を少しでもやった人は、自己の守備範囲で大きな死角を作ることがどういう結果を生むか小学生でもわからない者はいないだろう。指揮系統の整備ではなく警察官たちにスポーツを推奨した方がいい。

これが軍隊であれば国が亡ぶかもしれない。それは警備(試合)をしている、敵と戦っているという意識そのものが喪失しているのだ。
このことは、政党や国の官僚組織、市町村の役場の組織でもおこっているのではないか。責任ある役人たちが、警戒すべき相手になれあい、金権に鼻までつかり正邪の分別もつかず、自己の任務を亡失している姿、それが奈良市西大寺駅頭の状況であった。もっともそれによって安倍晋三・自民党の反社会的団体との関係が暴かれたのだから何とも言えない。  

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