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2021年7月 6日 (火)

コロナ対策とオリンピック

野党が主としてコロナ対策かオリパラの開催かを都民に訴えた。

それはコロナ対策か経済かでも問われたが、広く例えば原発か電気かであり、大きくは戦争と大東亜共栄圏というもので、目的や「理想」のために犠牲を甘受するかというものである。

大東亜共栄圏を構築するために、巨大な戦費と膨大な人命、文化の破壊をやってもいいのか、日本を降伏させるために原爆を使っていいのか、美しい目的のために犠牲を覚悟してもらうという思想がオリンピックとコロナの問題である。

この古くて新しい難問にこたえねばならない。

回答。

 手段(犠牲)が悪ければ目的も悪い。犠牲を必要とする目的の達成はいかに美しくてもその犠牲が目的を汚しそれを破壊する。

 何故なら目的に達する道程(手段)もまた目的に含まれるからであり、美しい目的には美しい手段が必要であって、それと一体でなければならない。

 医療体制が崩壊し甚大な犠牲をもたらす可能性が濃厚なオリンピック、その予想される犠牲にもかかわらず開催するというオリンピックにはスポーツというもの以上の、その美名に核化された何か別の汚れた目的があるに違いない。

それはいうまでもなく、オリンピック関係の巨大な利権であり、日本政府関係者・ガースー総理の政治的目的・権力の存続がかかっているのである。

五つの美輪を無果花(いちじく)の葉とし、その陰の邪悪な目的のための忌まわしい犠牲(感染爆発)の要求なのだ。

美しい目的には清らかな道程(手段)が必要である。手段と目的を切り離してはならない。

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