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2021年6月21日 (月)

高知新聞 部落差別

本年6月17日付の高知新聞の「人権啓発シリーズ」で内田龍史氏の小論が載っていた。
「岐路に立つ部落差別認識」という題だ。

その岐路というのは、
①「部落差別は不当である」とこれからも認識されていくのか、
②「それとも差別として認識されることなく、問題を差別の対象となる人々だけに背負わせていくことになるのか」、
 「私たちは現在、その岐路に立っています。」という。

 私からの批判的コメント:

この小論では二つの道の岐路が提示されているが、二つではない。最も大きな岐路は部落差別をするべきだという連中の道であり、この小論中の「被差別部落に対する偏見情報や身元を暴く情報」を発する連中の存在だ。

この連中のことを論ぜずに部落差別の現象をあれこれ論じても空論に終わる。部落差別の根源は何なのか。日本の部落差別もインドと同様に種姓(人種)差別の様相を帯びてきている。
だが種姓や人種には元もと差別はない。人種には生物学的に優劣はない。オリンピックやアメリカの大リーグを見れば一目瞭然だ。

人種差別・身分差別は、不公正・不公平の塊である階級支配(征服・被征服を含む)に根本的原因がある。
この階級支配を暴力的に貫徹するために人種差別や身分差別が道具として使われてきたのである。
この世の一切の不公正の暴力体である階級支配を打破しなければ部落差別も人種差別もなくならない。

だから、部落民の生活をよくすればいいとか、差別はいけないとかいう啓発活動をすればいいというだけでは効果は薄い。
この世のゆがんだ体制の打破、部落民を含む労働者人民全体の自由や平等などの基本的人権、福祉や教育が平等に享受される社会を建設することが、身分差別や人種差別をなくす方途である。

階級支配の不公正な社会がある限り、その不公正を貫徹するために人種差別や身分差別が繰り返し使われるのである。分かりやすい実例は、たとえば狭山事件の石川青年にかけられた差別裁判もフランスのドレフュス大尉にかけられたでっち上げも検察・警察や軍部の不祥事件を解決する道具として差別が使われたのである。

あらゆる不公正の塊である階級支配制度が差別の根源なのである。そのことは人種差別問題の古典ともいうべき Ruth Benedict のRace and Racism(「レイシズム」2020年 講談社学術文庫)に詳しい。階級打破とまで言っていないが。

階級支配の打破を内田氏は指摘できない。
差別の根源である「被差別部落に対する偏見情報や身元を暴く情報」を発する連中をどうするかという核心部分を除外(免除)して部落問題を論ずる学者が有害無益であることは言うを待たない。

所で、高知新聞など報道各社は、平成28年に『部落差別の解消の推進に関する法律』が制定されたときにどれだけ報道したであろうか。
今でも、この法律の制定を一般国民はもとより全国各地の部落大衆がどれだけ知っているであろうか。ほとんど誰も知らないだろう。
このような報道の在り方も、階級支配を支え身分差別や人種差別の推進に加担する支配権力のサポーターの姿である。

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