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2021年4月 3日 (土)

ミャンマーの情勢

軍のクーデタに対するミャンマー国民の抵抗はすごい。たくさんの犠牲者を出しながらなおかつ非武装で戦い続ける勇気は、人類史上でも稀有の事態だ。だが、今のままでは犠牲者が増える。国軍が弱体化する兆しが見えない。

中国やロシアのスターリニストに支援され、日本など帝国主義国家もミャンマーの国民に何の援助もせず、見殺しにするつもりだろう。
我々もどうすればいいかわからない。

だが、銃弾に立ち向かう非武装のミャンマー国民が勝利するのは百万を超える圧倒的な国民が一斉に街頭に出て座り込むというような大胆な行動に出るなど軍の攻撃が無力になるような戦術をとるしかないが、それが難しい。どれだけの犠牲者が出るかわからないからである。

第二の方法としてはやはり武装闘争を準備するしかないだろう。ミャンマー国内にはすでにこれまで迫害を受けてきた少数民族の武装闘争がある。ミャンマーの戦う市民はこの少数民族の武装闘争と手を結び教えてもらって国軍とゲリラ戦を演ずるのが現実的であろう。事態はそのような方向を取りつつある。そうすれば国際的な義勇軍が編成される。
ミャンマーへパルチザン的義勇兵を我々は準備するべきだ。

日本や欧米の状況はミャンマーとは違うと考えるかもしれないが、そうではない。マイナーに対する差別問題などはいつ武装襲撃に発展するかわからない。原発をめぐる闘争も多数の犠牲者を出しても強行稼働・強硬建設の実力行使であり、それは国民への銃撃戦争と同じものである。議会で解決できるというが、国政・地方行政でも議会は利権集団の踊り場であって金とコネのある者の独断場だ。裁判所は、権力装置の藩壁であって何の幻想も持てない。

実力行使には実力で対抗しなくては人民の未来はない。
かつて私は部落解放闘争は武装闘争であるという論文を書いたが、階級社会では、常在戦場であり、いつでも武装闘争ができる覚悟と準備をしておくべきだ。民主主義が発展し人民の力が強大になれば、敵階級は必ずミャンマー国軍と同じ姿で現れる。
ミャンマーの市街戦の状況は、日本でも起こりうるし、備えるべきだ。

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