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2018年6月17日 (日)

裁判における矛盾論

News & Letters/637
本年6月11日、袴田事件の東京高裁決定があった。
静岡地裁の再審開始決定を覆し、検察の抗告を受け入れて袴田氏を再び死刑囚の身に戻した。ただし身柄は釈放のままである。
この事件につき元検事の郷田信郎氏のコメントを読んだ。
確かに、静岡地裁の再審開始の根拠としたシャツについた血痕についての筑波大学本田教授の鑑定は残念ながら信用性を否定されるのはやむを得ないだろう。
しかし、次の高裁決定の理由については郷田氏の考えは首肯できない。
「供述の任意性及び信用性の観点からは疑問といわざるを得ない手法が認められるが、捜査段階における袴田の取り調べ方法にこのような問題があることを踏まえても、取り調べの結果犯行のほぼ全容について袴田の供述を得て犯行着衣についてもそれがパジャマである旨自白を得た捜査機関が、新たにこの自白と矛盾するような5点の衣類をねつ造するとは容易には考え難いというべきであり、袴田の取り調べ状況から5点の衣類のねつ造を結びつけることはかなり論理の飛躍があるといわざるを得ない」
郷田信郎氏はこの高裁の判断をも支持する。
だが、我々の一般常識では理解できない
A)犯行時の着衣はパジャマであったという自白と
B)新たに味噌樽から発見され血痕がついていたという5点の衣類 
一般的にはAとBは矛盾する⇒故に自白か又は5点の衣類の発見のどちらかは信用性がない。
高裁の判断は AとBとは矛盾する。故に(矛盾があるからかえって)Bは信用性がある。
この矛盾の論理で行くと袴田氏ならずとも一度被告とされたものは万が一にも助からない。この論理は次のようになる。
1、自白と現実の間に矛盾がなければもちろん両方とも信用性がある。
2、自白と現実(でっち上げの可能性がある現実)とが矛盾する、その場合矛盾するがゆえに現実(でっち上げ)が信用性がある。
ということになるからである。
これは私が狭山事件で寺尾東京高裁裁判長の判決の「弁証法」を批判した内容と同じだ。
狭山事件の場合は袴田事件とは逆に強制された「自白」、と現実とに矛盾があった。
だが論理は一緒で矛盾があるがゆえに警察が作った「自白」、または現実が真実とされ、矛盾があればあるほど真実性が高まるというものになる。
寺尾はこれを「弁証法」だと自賛した。この論理でいけば弁護団がいくら自白と現実の矛盾をついて弁論しても、そうすればするほど有罪の可能性が高まるということになるのである。これでは、天網恢恢であって犯人にえらばれた人間は2度と監獄から帰れない。
寺尾の矛盾を動力とする「弁証法」という非論理は東京高裁に生き続け、権力が窮地に陥ったときの伝家の宝刀になっているようだ。
権力(暴力)を背景にした非論理に対抗するには論理では歯が立たない。論理的に非論理に対抗するのは⇒人民の武装蜂起しかないであろう。
なぜなら刑事裁判における非論理とは暴力(監獄・死刑)だからである。郷田信郎弁護士は様々な事件で鋭い観察をし、法的観点から詳細な解明をしてくれてありがたいが、今回の袴田事件のコメントには欠陥があると言わざるを得ない。

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