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2018年4月

2018年4月20日 (金)

女性記者の告発

News & Letters/628
財務次官への取材中に次官から受けたセクハラの事実を他社の週刊誌に漏らしたのは
不適切だ、と所属社の幹部が被害女性記者を非難した。なんだこれは。
第一に、女性記者がそうせざるを得ない環境に置いていたその会社の在り方が問われるべきだ。
第二に、セクハラの受難は犯罪の被害だ。取材中であっても刑事犯の被害にあった場合は
被害者は告発する権利がある。それはもはや業務の枠、会社の規則の枠の次元を超えている。
業務中に首を絞められ殺されかかったらどうする?どういう手段を講じても防衛し助けを求めるのは当然のことで会社のルールは及ばない。基本的人権を守るというのは自然法の世界の話で、会社の規則どころか法令の枠を超えた人間の根源的な行為である。特に性の問題は人間の生命現象でその拒絶反応も生命現象的人権である。
取材源の秘匿とか経営上の利得などで論ずべきものではない。

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2018年4月19日 (木)

中岡慎太郎

News & Letters/627
現在坂本龍馬とは違って中岡慎太郎の評価が低く大河ドラマで主人公になったこともない。
中岡は坂本龍馬の付属のようだ。
高知駅の三人(坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎)の維新に尽くした人物の銅像についての説明でも薩長同盟の締結の功績は坂本龍馬にあり、中岡は陸援隊長だったという程度の紹介だ。
だが、史実は違う。また維新当時の人の評価でも、中岡慎太郎の実績と評価は龍馬どころではない。
薩長同盟、薩土同盟、そして宮廷の三条実美と岩倉具視との提携を実際に工作し実現したのは慎太郎の方だ。慎太郎は長州藩の久坂玄随や高杉晋作、桂小五郎らと肩を並べて倒幕運動にまい進し西郷ら薩摩の討幕派と親交を持った。維新直後、中岡が生きておれば西郷隆盛、木戸孝允らに引けを取らない維新の元勲になったことは間違いないと評価するものもいた。
長州藩の諸隊のリーダーとして実際にいくつもの戦闘に参加し、都落ちした五卿を護衛し、
京阪神から九州にかけて周旋・情報収集に奔走した中岡にくらべ、幕臣勝麟太郎の弟子でしかなかった龍馬など慎太郎の足元にも及ばない。確かに龍馬は京都での薩長同盟の盟約の折立会人としてその場に臨席したが、薩摩・長州に同盟をさせるお膳立ては主として中岡の功績であり、当時長州の村田蔵六(後の大村益次郎)が中岡の薩長同盟達成の功績を「宇宙の輝き」だと讃えたほどだ。
薩長同盟は、直接的には幕府の征長戦で滅亡の危機にあえぐ長州藩の窮地を救ったのであるが、それだけでなく、幕府を武力で打倒し、新しい日本を建設する政治勢力を創出することになったのである。
薩長同盟は、中岡の功績だと天才的な戦略家で日本陸軍の父として大阪の護国神社に祭られている大村益次郎が書いた。その証言に後代の誰が反論できるであろうか。
中岡は北川村の庄屋の息子だ。その家は、土佐の天保庄屋同盟の一拠点であった。
天保の秘密庄屋同盟こそ土佐勤皇党の底流にあり、その思想は天皇を頂点としているが、自分らを、武士の中間項を払いのけて直接天皇に直属する存在だと想念した。封建領主をはじめ武士支配を打破する革命思想だ。
中岡慎太郎を主役にし、龍馬らをわき役にした大河ドラマがつくられるべきであろう。
今も昔も、中岡慎太郎の武力討幕の方針は正しい。
少年時代から室戸岬の銅像を仰いで星雲の気を養ってきた私にとって中岡慎太郎の低い評価には我慢がならない。

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2018年4月 6日 (金)

情報隠蔽?

News & Letters/626
陸自のイラク戦地日報問題は情報隠蔽というべきであろうか。むろんそれもある。だが、
戦地からの報告書を大臣はもとより自衛隊の幹部ですらも目を通していない、ということが問題なのではないか。
戦地に派遣した軍隊の日日の戦闘記録を幕僚や将官が見ようとしない、そんな軍隊があるだろうか。
戦闘員が記録した日報が行方不明になっていた、隠していた、などというようなことで騒ぐというのが理解不能だ。
普通の会社でもこんなことは起こらない。例えば海外などに営業に出した社員の報告は今か今かと首を長くして待つのが会社の役員の普通の姿だ。現地からの報告で一喜一憂する。現地からのその報告書は宝であり、会社や組織の生命線のはずだ。
イラクやスーダンからの報告書は、誰よりも最高級の将官や文民たる大臣の手元で共有されていなければならなかった。
大臣が日報を探索するよう部下に指示した、などと自慢げに答弁する姿は余りにも愚かで笑うこともできない。
日本の軍隊、日本の官僚組織は自己の職務より何か別のことで夢中になることがあるのではないか。
現地の状況に無関心で、それで作戦を立てて戦争を始め戦争を続行する、そういう軍隊がさきの旧軍隊の姿だ。
現地の状況を知れば、無謀な戦争はできない。他国の民衆の激しい抵抗があり、その現実の報告があってもその報告を無視し、己の野望と図上作戦で侵略戦争を拡大しアジアの民衆を殺し祖国を敗亡に追いやった。
その一丁目一番地が現地からの報告の無視である。
行方不明になっているのは、戦地の状況を何よりも重視する軍人としての感性であり、
また、高級軍人や「文官」たちの職務専念の観念だ。

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