« 続 高知新聞「核廃迷走 東洋町から10年余」について | トップページ | 公文書改ざんと自殺 »

2018年2月20日 (火)

高知新聞「核廃迷走」 の続き

News & Letters/620
交付金の餌と放射能への無知を利用して応募地を募り、そこを即適地として最終処分場を建設するという目論見は東洋町で最終的にとん挫した。
そこで政府は、新たな手法として科学的有望地を選定し、上から国民の合意を「形成」するというやり方に転換した。
しかし、合意「形成」として金で学生を動員したりして努力しているがかえって国民の不信と反発を買ってなかなか進まない。
国民の最終処分場への合意形成、その前提となる「国民が決断を下す環境」(連載記事⑧)が整うのが大前提だが、高知新聞はその「環境」について何も語らない。まともな新聞社は少なくとも次の二つは言わなければなるまい。
すくなくとも、
第一に六ケ所村の再処理工場を止めることだ。使用済み燃料を再処理してプルトニウムを取り出すという
工程からは元の燃料の何層倍(ある試算では少なくとも6倍)もの新たな核廃棄物が生まれる。
第二に原発の稼働をやめることだ。
これら二つの「環境」整備は核廃処分について国民合意の絶対的な条件である。
その二つ条件を満たしてもそれでもやはり国民の合意形成は超困難である。自分の住むところや近隣に核廃棄物が埋められるということを当事者として想定してみればすぐわかることだ。自分のところ以外のどっかを想定するからそれが実現できると思い込むのである。
そこで政府が以前から持ち出しているのが「中間貯蔵施設」での暫定保存である。
中間というのは
①原発と最終処分との中間という意味と
②原発と再処理工場までの中間という二つの意味がある。
②のコースは破綻しかかっている。問題は①のコースであるが、最終処分場の建設はほぼ絶望的であろうから、中間施設での管理を永続的に進めるという方策しか道はない。これは玄海町だけなく、原発があるところでは今の状況では容易に実現可能である。
すでに使用済み核燃料を原発施設内で中間貯蔵を行っているからである。
政府は最終処分場建設を模索しながら、実際には中間貯蔵施設への転換を推し進める。
埋め捨てをもくろむ地層処分の危険性よりも地上施設での管理はなお一層危険である。
原子炉のような何層ものバリャもなく、永久貯蔵のためのセキュリティも備えない中間施設をなし崩し的に長期貯蔵施設
⇒永久施設に転用する企みの欺瞞性は隠すことはできない。東洋町を経ていまや国民は容易に騙されない。
そして、最後に言わねばならない。
最終処分にしても中間貯蔵の永久化にしても国民の合計「形成」は容易ではない。
引き続きマスコミのフェイク宣伝の力を借りながら政府の最後の手段は、沖縄の辺野古基地建設強行の方式をとることである。
強権を発動して処分場の建設を強行しだすことは目に見えている。それはここ十年か二十年に迫っている。
その時に日本人民はどのような戦いをするのか、これまでのような法廷闘争や住民投票などの平和的な方式だけでは勝てないだろう。

|

« 続 高知新聞「核廃迷走 東洋町から10年余」について | トップページ | 公文書改ざんと自殺 »

マスコミの報道のありかた」カテゴリの記事

世界の核事情」カテゴリの記事

原子力政策と地方自治」カテゴリの記事

原子力産業の是非」カテゴリの記事

反核運動」カテゴリの記事

国政問題」カテゴリの記事

報道のありかた」カテゴリの記事

高レベル放射性廃棄物最終処分場」カテゴリの記事

NUMO」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/408473/72961248

この記事へのトラックバック一覧です: 高知新聞「核廃迷走」 の続き:

« 続 高知新聞「核廃迷走 東洋町から10年余」について | トップページ | 公文書改ざんと自殺 »