« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月

2017年12月23日 (土)

不可解な社説

News & Letters/612
高知新聞本年12月22日朝刊の社説で「MOX燃料高騰」について論評があった。
不可解な点がいくつかある。
1、「原発政策の矛盾の象徴だ」という見出しが出ているが、どういう矛盾かはっきりしない。
MOX燃料の高騰が原発政策の何に矛盾するのか。例えば原発は他の発電よりも安価だからという政策選択と矛盾するというのら分かるが、その指摘は全然ない。その場合燃料が5倍になれば発電コストはどうなるか書かねばならない。高新のいうのは、核リサイクルを続ける限り高いMOX燃料を使い続けねばならない、ということだ。
それは矛盾というより他の発電よりも格安だという原発稼働の一つのよりどころが燃料の点からも破綻しているいうことであろう。
高新:「問題は、核燃サイクルを続ける以上、高騰するMOX燃料を調達するしかないことだ。」
しかし、それは外国から購入している現状ではいえるが六ケ所村の再処理工場が完成し稼働し始めれば核燃サイクルは表面上何も矛盾を持たなくなる。矛盾なのは、プルサーマルしか行き場のないプルトニウムであり、先日高新に談話が載った元立命館大の大島教授が指摘する通り、保有するプルトニウムを消費して減量するためにそのプルトニウムを消費する以上にそれを多量に産出する行為を推し進めているという点であろう。
それが表面的な矛盾であるが、プルトニウム保有・量産体制は他にもっと大きな合目的な恐るべき計画がある。すなわち原爆開発の原料の確保である。
真実の矛盾は、平和利用の原発が、どこの国よりもなお日本では、現代戦争の最高の武器の生産工場になっているという点である。
2、高新:「もう一つは、たまっている使用済み核燃料の行方だ。日本は高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場も先送りしてきた。」
  「サイクル政策をやめれば、処分をめぐる問題が一気に浮上しかねない。」という。
使用済み核燃料の行方は決まっている。六ケ所村の再処理工場であり、それまでは各原発の敷地内のプールに貯蔵することだ。
高レベル放射性廃棄物は使用済み核燃料の再処理によって出てくるものである。サイクル政策があって初めて高レベル放射性廃棄物の最終処分場が問題になる。しかし、日本の高速炉が破綻しサイクルが破綻しようがうまく回ろうが、日本で再処理しようが外国でそれをしようがMOX燃料を原料にする限り
再処理を前提にしているのであって、高レベルの核廃棄物の処分場問題は切迫した問題としてすでに現実問題なのである。
高新の社説は、混乱し、今日の核の問題の核心と現実をそらすかのような論調である。
ただし、高新が言う通り、核リサイクルを止めれば使用済みのウラン燃料やMOX燃料の処分問題、再処理をせず直接地下に埋設するという問題が出てくる。
すなわち、これまでの再処理によってできた高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)と原発から直接出てきた使用済み核燃料を別々にか、または一緒にか地下に埋設するという問題である。
しかし、今では、これも建前にすぎない。政府や電力会社など原発推進勢力にとってはむづかしい問題ではない。
六ケ所村と各原発サイトにそれら廃棄物をそのまま放置させる計画であろう。
東洋町の騒動以降日本のどこかの市町村が、核廃棄物を受け入れようと手を挙げるところは皆無となり地下埋設は看板(法律)だけになった。
政府やNUMOが処分場をどこにすえるか模索している恰好をしているが、ほとんどこれはアリバイ工作に等しいものだ。
本音は、全国の原発サイト及び周辺に地上での中間貯蔵施設をどんどん建設していく算段をしていると考えられる。
もとより日本列島では地下埋設をするところはありえないが、ここにも建前(法律)と現実の大きな矛盾がある。
 
こうして核爆弾の材料プルトニウムとプルトニウムを含む高レベル放射性廃棄物がどんどんこの狭い火山や地震で絶えずゆすぶられている列島に累積していく。
せいぜい一世代か二世代の幸福のために、その世代から末代までの人間が苦しみの種を抱え続けることこそ最大の矛盾なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月20日 (水)

続「ふしぎな部落問題」

News & Letters/611

角岡伸彦氏の「ふしぎな部落問題」で現在の差別の状況と解放運動の実態がよく分かった。
ただ氏の部落問題の認識には大きな限界を感ずる。

それは部落問題が、人々の差別意識によって形成され温存されたという考えである。

1、「誤解を恐れずに言えば、被差別部落や部落民は、あってはならない存在である。
一義的には、差別があるから残った。差別がなければ存在しなかった。・・・
他のマイノリティは、あってはならない存在では必ずしもない。あってしかるべき、あるいは一定の割合で存在する。」

被差別部落や部落民そのものがあってはならない存在だ、というのは誤解を呼ぶであろう。
在ってはならないのはその部落に対する偏見や差別意識であって、部落そのものは消すことはできない。

2、多くの部落民が被害を被った「賤民」解放令に反対する農民一揆について語ったのち、氏は言う、「このようにして、差別する人々が、自分たちと区別(差別)した結果、部落民が残ったのである。」

「明治政府によって,賤民制は廃止された。ところが人々の意識は変わらず、あってはならない「特殊部落」がのこった。周辺の身分意識、差別意識がそれを残存させたのである。」氏の意識には差別制度を作り維持してきた権力が抜けている。人々の意識は、制度やそれを作った権力によって二次的に作られるものだ。

もちろんつくられたその意識が、制度という下部構造を強化したり下部構造の基盤が崩れても自律的に生き続ける場合もある。
上部構造たる意識の自立性を見ないのは現実的ではないが、原因と結果をしっかり認識することは角岡氏のようなインテリゲンチャのいろはだ。

3、さらに氏は言う、
「差別が部落を残存させ、反差別運動もまた部落を残すことを選んだ。」
解放運動は、えたであることを誇りに思い自分たちが部落民であることを堂々と主張した。だから、部落を肯定し自分達の拠点とした。

解放運動でなくても、私たちにとって部落は故郷であり、親やきょうだい、親戚や知己が住むところである。周囲の差別があろうがなかろうがそれが何より大切な場だ。
近代社会では部落問題、差別問題はあってはならないが、封建時代であれ近代であれ部落や部落民は自己主張する存在である。

そもそも部落民の発生には諸説があるが、私は江戸中期の土佐の南学の中興の祖と言われた谷秦山の説が最も真実に近いと考えている。
秦山は、穢多の先祖を奥州俘囚即ち蝦夷(えみし)の子孫であり、同じ日本民族だという。毛皮を扱うなどは古い日本民族の習俗であって何も異族ではない、と喝破した。中世大和朝廷は幾たびも東北地方を侵略しそのたびに東北の民を「俘囚」としてこれを拉致し全国各地に配布した。

「俘囚」の配布された全国の国々は続日本紀に詳しく記載されている。そして各地の「俘囚」たちはいたるところで反乱や騒動をおこしたことが記されている。
鎌倉時代のころ、朝廷は今から「俘囚」という名前を歴史書に使わないと宣言した。
そのころより、「俘囚」に代わって穢多とか非人とか河原者とかいう「賤民」が歴史書に登場しだすのである。

もし、秦山が言う通り「奥州俘囚」が部落民の先祖であるなら、これは明らかに征服・被征服の関係で出来した古代日本の階級闘争の結果であり、部落問題は、階級支配の刻印を持っている。部落民は奥州の蝦夷(えみし)の血を引く人間集団であって、差別はされても決してもともと差別されるべき存在ではない。

戦後、ある有名な人類学者が日本人の形態的特徴について調査した。それによると、日本人は西と東に分かれ西は朝鮮系、東はアイヌの特徴を持つと分類された。
その時特に部落民(京都)の調査もした。その結果がある学術雑誌に発表された。

それによると京都という朝鮮系の支配的な人類学的特徴のなかで、まるで「孤島」のように被差別部落は「アイヌ系」の特徴を持っていたと報告されたのである。

私の部落にもアイヌ・ユーカラに出てくる言葉が多く残っている。例えばユーカラにしょっちゅう出てくる いたく (英語でSAY 言う)という言葉は言語学者の説では
日本語には残っていないという。だが、私の部落では、年配の人は知っているし時々使ってもいる。

私も、母も血液型などからその人類学者の分類でいえば「アイヌ系」=えみし系であろう。
私の沢山という苗字も蝦夷の共同集落の特徴を表現しているようだ。東北地方には、敵から防御のため周囲が沢に囲まれた山の上に集落遺跡がいくつも残されているという。
日本のブルジョワ革命では、部落差別は解消できなかった。それは日本資本主義の帝国主義段階の特殊的発展の結果だ。

部落は階級闘争、(征服・被征服)の中で生まれそれ故に差別抑圧されて存在してきた。古代蝦夷の英雄(「古代蝦夷の英雄時代」工藤雅樹著)たちのように部落民は自己を誇り、自己を主張し差別抑圧するものと闘って生きる。階級支配が廃止され世代が交替していけば必ず部落差別は解消するだろう。それでも部落そのもの部落民そのものは残る。残らねばならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月19日 (火)

高校友の会

News & Letters/610
角岡伸彦の「ふしぎな部落問題」という本を読んでみた。
週刊朝日や新潮社などが大阪市長だった橋下氏の出自(部落民)を明らかにし
それと橋下氏の政治手法とを結びつける差別キャンペーンについて厳しく批判していた。
これについて解放運動側がほとんど何の反応も示さなかった事実。
また、屠場を描いた記録映画について解放運動側がこれの上映に否定的でつぶしてしまったことについてその考えが、旧来の寝た子を起こすな、差別の実態を隠せという方向で動いていた事実が厳しく追及されている。
そして箕面の部落の解放運動が市民に向かって新し取り組みをしていることが興味深く記述されていた。
その中で、「高校(生)友の会」のことも触れられていた。
その箕面の部落でも高校友の会の青年たちが、守旧的な年寄りを乗り越えて革新的な解放運動を推し進めたという。
まさにその高校友の会は、私が大学を出てすぐ解放同盟大阪府連の書記として大阪府下50数部落を歩いて組織した最初の成果だった。
高校友の会の名称もその規約も私が発案し作成した。「大学友の会」も同時期に作り私が会長になったが人が集まらずあまりうまくいかなかった。
泉南や能勢の方では解放同盟未組織の部落もかなりあった。能勢のいくつかの部落では夕方バスがなくて雪がちらちらする中を歩いて山を越えたこともあった。同和奨学資金を受けている高校生の名簿を頼りに一軒一軒訪ねて村の集会所に彼ら及び親たちを集めて
部落問題を話した。高校生らにとっては、衝撃的であっただろう。その学習会合で自分が被差別部落の人間であることを初めて知った者も多くいたかもしれない。私は、彼らに、差別は必ず受ける。受けていないと思っても周囲のものは知っている。結婚や就職のとき突然それは我々に襲い掛かってくる。差別から逃げず、みんなが団結してこれと戦って生きていこう。
部落で生まれたことを悲しんだり恥ずかしいと思うのではなく、むしろ部落で生まれ育ったことを自分の原点とし、これを誇りに思って、間違ったこの世を変革して差別のない社会を建設しよう、と熱っぽく語った。
何せ当時の私は恐れを知らぬ革命戦士のつもりで生きていたのであるから私の熱風に感受性の強い高校生は奮い立ったであろう。
私が住んでいた矢田を中心に、住吉、浪速などの大阪府下の部落高校生が澎湃と立ち上がった。高校友の会は全国に広がったようだ。
府下の高校友の会の集会などでは府連から派遣された執行委員の講演内容がおかしい、融和的であるといって友の会の活動家が演壇上のその男を大勢で取り囲んで「糾弾」
したこともあり後で府連執行委員会(私は書記として出席していた)で私が扇動したのではないかと批判されたこともあった。
その当時のNHKの教育番組テレビでも取り上げられ「部落高校生は語る」という題で数回繰り返し放送された。当時の友の会の活発な活動が見て取れる。
その番組で私は司会をしていて発言していないが、NHKに対する高校生の厳しい発言はすべて割愛されていた。
数年して私は切迫する狭山事件を全国的に発展させるため解放同盟を脱藩したのでその後の各支部の高校友の会がどうなったかわからなくなったが、狭山闘争に多くの部落高校生が参加したことは間違いない。各地区で高校友の会が新しい運動の中核となって行ったことは間違いないだろう。
角岡氏の記述では箕面の部落でも高校友の会のメンバーが支部の中心をになっていったことがかかれている。
今や、解放運動はその当時の面影もない。屠場の記録映画をつぶしてしまう、部落の出自を週刊誌で暴かれても何らの大衆的な糾弾闘争も起こらない。
ヘイトスピーチが蔓延する現在の世情は部落解放運動の低迷が大きな原因であると私は思っている。
高校友の会とは違って、大学友の会は成功しなかったが、ただし大事な人物二人に会い二人を親友として革命的な解放運動を進めることができた。
一人は国守の住職斎藤君であり、もう一人は荒本の中西君である。のちにこの二人の縁で国守と荒本の部落が私の解放運動の拠点となった。
 
角岡氏の部落問題の捉え方には私のほうに異議がある。次回に続く

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月16日 (土)

広島高裁判決

News & Letters/609
12月13日、広島から画期的なニュースが全国を駆け巡った。
高裁段階で伊方原発差し止めの判決が出たのである。
圧倒的に多い敗訴判決に大きな風穴があいた感じだ。
だが、福井や大津の勝訴判決と違って、地震ではなく火山だった。
これまでの勝訴の判旨とは何か根本的に相違するところがある。
阿蘇山の火山の大爆発は火砕流で九州を全滅させ四国、中国地方にまで
迫ってくる。原発が危ないことは明らかである。
地震や津波とそれによる原発の被災では、地震による被害はいかに甚大であっても
回復可能であるが、それが原発被災というより甚大で深刻な回復不能な事態を引き起こす。
しかし火山の場合は、9万年に一度という大爆発では、九州全島が壊滅しそのなかで
川内や玄海、伊方の原発もやられる。全島が火砕流で覆われる惨状ならば、原発・放射能どころではないだろう。
広島高裁判決では中央構造線の地震による原発の被災については規制委の安全判断が合理的だという。
9万年の火砕流も恐ろしいが、千年間隔で起こる大地震の方が切迫している。
何かしらこの高裁判断にはバランス感覚がおかしい。
そして何より人道的な筋が抜けている。
しかし、いづれにしろ勝訴は勝訴であり、弁護団・住民の永年の苦心が報われた。
良心の呵責に耐えかねた裁判官の捨て身の勇断を最高裁はどう見るだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »