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2017年6月

2017年6月28日 (水)

新天皇制

News & Letters/574

天皇の意向に沿うべく退位法案が成立し、上皇―天皇という重層的な新しい天皇制が誕生した。それが、どういう機能を果たすかわからないが、問題なのはこの法案を可決するに当たって共産党まで含めて翼賛的に全会一致がなされた事実である。

現代の天皇も、北畠親房の神皇正統記流の考えー天皇は常にその仕事(まつりごと)の可否によって「御運」が決まる、という教えがあるから、座して祈るだけでなく一生懸命何かしら働かねばならない。自然災害被災者の見舞いや日本軍による戦争の犠牲者への鎮魂の旅行など・・・それを国民はありがたく、尊いと感激する。狂気のように戦争を主導した昭和天皇よりはるかにましだ。

だからといって天皇制を維持することに加担するべきではない。
天皇制の存在は憲法第14条2項の貴族制度の廃止の規定に反する。それだけではない。
日本のプロレタリアートの階級意識の形成に大きな障害である。階級の敵ブルジョワジーへの戦い、プロレタリア革命はプロレタリアの階級意識の形成にかかっている。

商品として物象化されるプロレタリアートの階級意識の形成には、物象化そのものによって大きな困難を背負うが、特殊日本的には第一に民族植民地問題、第二に、天皇制、第三に部落問題などの困難が重畳される。

だから、ルカーチがいうようにプロレタリアは正しい階級意識を獲得するには「自分自身に対する戦い」すなわち絶えざる「自己批判」が必要なのである。(ゲオルグ、ルカーチ「歴史と階級意識」)堕落した中核派の中には、アジア人民に対する日本人としての反省の意識(血債思想)を攻撃するものもいるが、帝国主義下現代日本プロレタリアの階級意識形成の現実的困難に無頓着というべきである。

天皇が統治権を持たないしその牙は完全に抜かれているから大丈夫だと高をくくってはならない。天皇制を認めることは、現代の階級対立を解消し→天皇を奉戴するブルジョワジーとの城内平和意識に屈服することになる。

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2017年6月25日 (日)

大川村議会

News & Letters/574

超過疎の高知県大川村の議会が村民総会を検討しているという。
ふたつほど意見がある。

一つは、村民総会は議会が成立しづらいから仕方なしに検討する、という考えは
正しいとは思わない。議員のなり手がなくて困ったなどといって嘆く必要はない。
村民総会の開催は民主主義の原点であって、否定的に考えるべきではない。
代議制・議会制度は市町村民の総会、直接民主主義ができ難いから仕方なくとっているに過ぎない。

ヨーロッパの古代の民主主義は奴隷制の問題はあるが、公民の直接民主主義だ。
数万人規模の都市国家ですべての公民が参加して社会を自らあ統制した。
大川村で600人ぐらいの住民ならむしろ議会制度を止めて喜んで直接民主主義を実行すべきだろう。

もう一つ私が言いたいのは、最近大川村だけでなく高知県の各地で議員の立候補者が少ない、無投票選挙が多くなったという嘆きだ。しかし私の経験では、東洋町では澤山町政の終わりごろ(平成23年1月)の町議会選挙では10人程度の定数にその倍の20名ぐらい立候補しひしめき合い激戦となった。

何故か。私の身びいきの考えでは、それは私が絶えず町内に行政がやっている事業についてどんどん報道し町内世論を?き立てる活動をしてきたからだと思っている。

事業について住民説明会を繰り返し、町長の機関誌を発行し、毎日の本ブログに町政について考えを披瀝し、・・・議会では、議員から、どんどん、どんどん新しい事業をやるので議会がついていけない、とか、あまりにも素晴らしい予算案だから、だから賛成できない、とかの発言があり、毎議会、丁々発止の激論を町長と議員が交わしてきた、その結果町民の行政への関心が大いに高まり定数の2倍の立候補者が出現してきたのではなかったか。

だが今、東洋町の最近の選挙では無投票当選であった。死んだような静かな議会では立候補する者も少ないであろう。
給金や人口の過多の問題ではない。

これまでにない新しい事業、町民への情報公開、沸き立つような議会、それを実現すれば議員のなり手に困ることはないだろう。 

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2017年6月24日 (土)

隠す

News & Letters/573
私はいま帰農して毎日熱射のなか山上の畑の開墾に明け暮れている。
主に ささげ と ぶんどう と きしまめ を植え付けている。いづれも昔はこのあたりにもあったが今は作られていない。
 
加計学園事件は森友学園事件を超えて権力の隠ぺい体質・権力の私物化の深刻化を示している。
行政機関が記録を隠すなどというのは、権力の公的存在の自己否定であろう。
中世の封建権力でもそこまではやらない。権力が人民の上に統治者として認められるには、
何人も否定できない客観的な記録(証拠書類)の確認・提示が絶対的に必要だ。
平安時代から、最も著しいのは南北朝時代には記録所(記録荘園券契所)が権力機関の最重要部署であった。
武士たちの所領に関する争いを裁断する上で証拠に基づく裁判が政治状況を左右したのである。
南北朝時代は武士達は領土や恩賞に不満があれば南朝、北朝又は直義方にころころと変わっていった。上に立つ者が証拠に基づかずえこひいき
をすれば子分たちはたちまち敵側に寝返ったのである。
ある程度公正・公平であると見せかけることは封建領主にとっても大事なことであった。
安倍政権では、真実の記録(証拠)を恐れ、隠ぺいに努める。これは権力機関自体が利害に深く関係し権力を私物化して権力の公共性の粉飾をすら
投げ捨てているのである。現体制を保持したいとしている保守派やメディアらは権力が公共性(幻想的)を喪失している事態を大いに危惧し、暴走する安倍を引き下ろさねばなるまい。
日本人民は、新天皇制にまどわされず、権力のあからさまな姿をよく見て階級意識を研ぎ澄まさねばならない。
 
大衆運動団体でも、組織の私物化がある。このような団体がいかに反権力を唱えても結局徒労に終わるであろう。
私が組織の会計報告がないと批判すると、さっそく決算報告書が会誌に掲載された。特定の者に給与のようなものが支払われていた。
しかし問題なのは決算報告だけではない。予算が審議され決議されなくてはならない。決算の承認を求められても後の祭りだからだ。
誰にいくら払い、交通費は誰にどんな場合に支払われるのか審議せず会員の同意なく幹部の者の独断で資金が使われてはならない。
県や市町村の住民訴訟では議会の決議(決議にもいろいろある)の有無、会計処理の手続きの公正さなど厳しく追及する。
予算の提案、審議及び決議のない公金の費消などは問題外であり、公の機関(組織)の私物化として弾劾される。
反体制側の民主主義の欠如は、結局その幹部たちが権力と同じ精神状況にあるのであって、大衆運動の発展を必ず阻害する。
ロシア革命の果てにスターリン主義が発生したのは、革命側にもともとあったスターリン主義が支配的になったからである。

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2017年6月15日 (木)

共謀罪

News & Letters/572


共謀罪の成立によって、戦前型の日本社会、現在の中国や北朝鮮のような社会が到来する、ということだ。

計画や準備の段階で逮捕され処罰される。裁判所が権力の擁壁になっている現代、「計画」、「準備」はどのようにでもでっち上げができる。テロを防止するためだというが、日本人民には、政府に抗議したり反対運動を合法的に遂行することが困難になる。従って人民は、逆にテロや武装闘争をしなければ政治活動ができなくなる。今回の共謀罪法案の可決は→テロ・武装闘争への決定的な後押しとなるだろう。

天皇制の新たな整備(退位法案)によって日本プロレタリアートの階級意識の形成に大きな障害が設けられたが、共謀罪の成立は、その効果を大きく減殺するだろう。

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2017年6月14日 (水)

玄海原発裁判の敗訴

News & Letters/571
住民訴訟、沖縄の訴訟、そして原発の訴訟では、住民側がほとんど敗訴する。
それは権力の意思を忖度する裁判官が日本の裁判所、特に最高裁で支配的であるからだ。
玄海原発再稼働差止の裁判の今日の判決もその一つである。
私もたくさんの住民訴訟をやり、次々と敗訴を重ねてきた。
だが、私は、ほとんどすべての裁判で、法律的にも論理的も私の勝利であったと総括している。
相手側の弁護士もそれをよく知っていると思う。裁判の後こっそり是正したりしているのである。
佐賀地裁の今回の敗訴判決について、果たして実際は勝利であった、といえるであろうか。
判決文の骨子を見る限り、そうは言えないとおもう。
最重要争点の規準地震動の経験式について電力会社や規制委員会の入倉三宅方式に対して
反原発側は、武村方式を対置した。裁判所は一発でこれを葬った。
批判には、外在的と内在的の二つの方法がある。電力会社の方式にこちら側の方式を対置するのもいいが、敵側の論理の矛盾を突く内在的批判は極めて有効である。
武村方式を対置するだけでなく、地震本部が出した新レシピの方式を出して権力内部でも電力会社の規準地震動では、原発は安全ではないということを証明するべきであろう。政府の出した新レシピで玄海原発直近の竹木場などの活断層を計算すれば、九電の現行の規準地震動の想定が崩れるということを示すべきであった。
権力内部の矛盾を衝き裁判官を動揺させなければ勝てる見込みはない。
裁判には負けても、だが法律的にも論理的にも我々の勝利だ、分かる者にはわかる、ということが言えなくてはならない。
私は、これまでの原発訴訟で、使用済み燃料の問題の争点化が極めて弱いと考えている。
原発の稼働上の問題と同等の危険性を持つものとして使用済み核燃料の処分を問題にすべきであった。
これが争点化されていれば、電力会社も政府もろくに答えられないから裁判官も住民敗訴の判決の書きようがないだろう。
敵の重大な弱点を衝くことを怠っては勝利はおぼつかない。
大事なことは、今はいくら負けても、実際は勝利していた、といえるほどの論理を尽くしたのか、なのである。
私自身の反省として、弁護士先生や一部専門家に訴状や準備書面をすべてゆだね金と動員だけで裁判に参加しているだけでは住民訴訟とは言えないということである。

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2017年6月12日 (月)

読売新聞

News & Letters/570
日本でもどこでも政府系新聞、反動的新聞や雑誌というものが存在する。
言論は自由だからそれを止めることはできない。
しかし、言論機関が卑劣だと非難される状況は許されない。
読売新聞が政府に反旗を翻した元文科省の幹部に対して使った手法は
もはや言論機関の姿ではなく、権力の走狗そのものである。
かつて私が経営していたり・ボルト社が、中国製落花生を徳島産として海の駅で
販売したということで私を大々的にやり玉に挙げた事件があった。
確かに産地をよく確認せずに仕入れ先が徳島だったので徳島産だと表示したのは
うかつであり、我々の責任は免れない。しかし、これを報道した高知新聞は、・
この事件において仕入れ先の店舗も徳島県庁によって処分を受けていた事実を報じなかった。
仕入れ先の店そのものが商品に正しい表示をしていなかったのである。
事実を報道しなかっただけでなく、逆にその店の者の証言を使って我々を批判さえした。
その元凶の証言では、その店は正しい表示をしていたがり・ボルト社が偽りの表示をしたという趣旨であった。
それならこの事件後になぜその店の店内に商品について正しい表示をしていなかったというお客さんに対する謝罪の張り紙が掲示されたのであろうか。
リ・ボルト社は他の種類の中国産と明示された落花生やはるさめなどいくつかの中国産品を同時に販売していたから、中国産であることをごまかす動機はないしまた、一袋130円で仕入れたものを150円で販売していたから消費税8%や手数料15%を引けば1袋売るごとに10円以上の赤字となるのであるからごまかして暴利を得ようとしたわけでもないことは記者はすぐにわかったはずである。
さらに、海の駅の1出店者が関東方面のキャベツを徳島産と誤って販売していた事件についても、その出店者を批判せずにリ・ボルト社(澤山保太郎)をやり玉に挙げた。
海の駅や道の駅は主として委託販売であるが出店者の出品する商品のラベル張りなどの管理まではしない。
これについてはさすがに朝日新聞は訂正文を掲載したが、高知新聞は訂正しなかった。
キャベツを売った商人は、同じ日海の駅の軒先では正しい生産地表示(段ボール)で売っていた。海の駅の棚に持ち込んだ時に余分に持っていた徳島産のラベルを張ったということであった。
その作業をした商人らは読み書きなど文字の扱いが苦手だということであった。
このような明らかな過ちによる誤表示については、県庁は行政指導で是正させる。指導しても是正せず悪質な場合に初めて店名を公表し懲罰を加えるというきまりである。
にもかかわらず、高知新聞は大々的にしかも偏った、ほとんど間違ったといえる報道を繰り返し制裁的報道をした。
落花生1袋売って10数円の損、キャベツ1玉売って十数円の儲け、これについて誤表示があったからといって大事件のように書き立てる必要があったのであろうか。
それが、町長選挙数か月前のことであったから、町民にとっても大きな衝撃となった。
高レベル放射性廃棄物の処分場について、それまで高知新聞は大きな紙幅でもってNUMOの広告宣伝をしてきた。

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2017年6月11日 (日)

天皇制永続法案成立

News & Letters/569

「退位特例法」という新しい天皇制の法律ができた。

これは天皇制の永続法であり、上皇・天皇・皇嗣・皇室という新天皇制を奉戴し
実は与野党の真の対立は存在せず新天皇制のもとで城内平和(階級対立解消)
が達成できたという歴史的事件である。

戦犯昭和裕仁の罪を償う仕事を象徴天皇として努めてきた平成明仁天皇の意義は
戦争・地震・原発災害で人民の怒りを慰藉解消する国事行為を一生懸命励んだのであるが、
皇室の金枝玉葉の皇位継承が乏しくなり大きな不安をこの際一挙に立て直しを図った。
敗戦直後は戦争責任で天皇制廃滅の危機があった。今回はまさに生理的・物理的理由で皇室の存続の危機に直面した。

今回の皇室の真の狙いは、女性宮家の創設→女性天皇の実現→天皇制永続であろう。

天皇制の護持の第一は、まさに戦争や原発事故などの人災、貧困や差別、権力の専横などに対する人民の怒り→階級対立の激化をやわらげ慰藉し・解体する装置として機能させるためのものである。
今上天皇の気持ちはどうであれ彼が取り組んだ被災地などへの訪問の国事行為はその役割であった。

第二に、さらに進んで、タイの故プミポン王はしばしばタイの内戦で対立陣営を王宮に呼び寄せ対立を鎮静化させてきたが権力側はそれと同じ役割を天皇制に負わせようと構えているのである。階級対立を抑え城内平和とする。
それはもちろん支配権力が進める侵略戦争や環境破壊路線で国民を従順にさせることなのである。

天皇制護持のもう一つの意義は、人間には生まれながら貴賤上下の差別があるということを絶対的教訓として国民の心底に叩き込む、その身分差別の象徴的存在とすることだ。
福沢諭吉は、「学問ノススメ」で天は人の上に人をつくらず・・・と言へり。といって、その文章の後に「されど・・・」と自ら反論して貴賤上下の差別があることを強調した。天皇制がある限り部落差別や在日中朝人民への差別迫害は止まない。

新天皇制の法案にかつて天皇制廃止を掲げていた日本共産党までがひれ伏し「全会一致」で可決したのは画期的であろう。

室戸市吉良川町の大先輩で天皇制官憲によって殺された石建虎兎栄(いしたてことえ)の愛唱歌

    憎しみのるつぼに 赫く燃ゆる
    くろがねの剣を 打ち鍛えよ
          真紅なる旗を見よ 屍の
          築きなす砦に 翻るを見よ

戦争も原発も、天皇制も差別も、安倍政権や権力の圧政の何一つも、すべて乾坤を分かつ階級対立の結果であって憎しみのるつぼで鍛えられたプロレタリアの剣が舞い踊る階級敵の、それらがなせる業であることを見失ってはならない。

憲法では、天皇の地位は国民の総意で決めることになっているが国会議員によって決められた。憲法違反ではないか。

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