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2016年11月18日 (金)

部落問題と天皇問題

News & Letters/535

期せずして部落問題と天皇問題が取りざたされている。
一つは、部落問題を解消するという法律を制定するという。

もう一つは、天皇の退位をどうするか
「聖と賤」の問題は関係があるという。
今回の部落問題の法案は、よろしくない。部落問題のために特別な行政施策をすること、調査をすることなどを掲げている。

部落問題という特別な施策ではなく、すべて国民に平等公正な行政施策をすることが徹底される必要がある。
旧選民制度の偏見に惑わされて行政機関や司法が差別施策をすることを禁じるという法律が必要なのだ。憲法第14条などのような「社会的身分」に対する偏見差別を
禁ずることが必要である。部落民にだけ特別な施策は有害となる。逆差別的に部落差別が固定化されるだろう。

部落又は部落問題についての特別な「調査」も有害な問題を新たに惹起する可能性がある。もともと部落については何か根拠があったわけではない。

封建時代の支配者も法的にえた、非人の制度を作ったわけではない。土佐藩の元禄大定目という藩法に出てくる身分は武士と町人・農民だけである。
時々の為政者が行政施策として差別を事実的に遂行してきただけだ。士農工商穢多・非人という言葉も明治時代に作られたものにすぎない。

だが、部落差別がないというわけではない。それは厳然としてある。だから差別を禁ずる憲法や地方公務員法などにそれと同じ文句を書いた法令がたくさんあるのである。
憲法第14条やそれと同じ趣旨の条項を持つ法令をまとめて、権力が差別をしてはいけないという趣旨の法律を作るのは意義があるだろう。

特別な施策や調査をすることはやめるべきである。同和対策を利用してあくどい利権の中に部落大衆を巻き込むべきでない。
人は生まれながら平等である。部落民や穢多・非人などというのはもともと何の根拠もない。私もそうだが本人がそれを嫌がっているのだから社会が押し付けるべきではない。

天皇問題。いやだという天皇の意思を無視して無理に皇位に縛り付けようという連中は不敬も甚だしく宸襟を悩ますこと甚だしい。

天皇制を国民が維持したいといっても天皇本人が嫌がっている場合は天皇の意思が尊重されるべきである。さらに天皇制そのものを超えて同じ人間として開放してあげるべきだろう。

ある人間集団が、天皇などという尊称を名乗ること自体根拠のないことであって、はたからサルが見たらおかしいというだろう。

人は生まれながら平等なのである。部落民とか、天皇民とかいうものは何の根拠もないことである。天皇の地位は国民の総意で決めることになっているが、本人に拒否権があることは言うまでもないことである。

部落問題も天皇問題も解決するには何よりも社会がそれを当人に強制してはならない。本人の意思を尊重すべきことが大前提である。
皇室典範が言う男系の後継者が絶えるという絶好の機会が到来するというのだから、天皇制を解消し、皆さんを普通の人間として社会が迎えるべきだ。

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