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2016年8月28日 (日)

続 唐津地区労での学習会 首長の同意権

News & Letters/516

講師は九州玄海訴訟団の弁護士吉野健三郎先生でした。
講演というのは必ずしも理路整然型で分かりやすく、さらに感激するようなもの、でなくともいいのだろう。
たどたどしい感じで分かりにくくても、人を考えさせるような問題提起型のものもかえっていいのであろう。

昨日の学習会はそんな感じのものであった。
私が考えさせられたのはいくつかあるが、その一つは、原発稼働について首長が不同意の場合、その同意を与えないということに何らかの効力があるのか、原発稼働について、地方首長には法的権限はないのではないか、ということである。

今日も鹿児島の三反園知事が川内原発の一時停止を求めたが、これの効力は?
その解答について私の考えがまとまった。その考えは、玄海町の東光寺の90歳超の和尚さんから本堂で今日の朝頂いたものだ。

同意(不同意)権は、法律以前の問題として、地方の首長は本来的に保有している。住民の命と健康を守ることを使命とする首長は原発であれ何であれ、住民の命の脅威になるようなものについてはこれの事業を拒否し、止めさせる権限を、根源的に保有している、ということである。

これは福井地裁樋口裁判長の判決文で原告住民が人格権をもとに稼働中の原発を拒絶し停止させる権限を有するという思想の必然的な副産物として認められるものである。
国政は国民主権によって行われなければならず、その主権の行使については代表者に委任されている。

委任はしているがそれは、安倍らが考えているような白紙委任ではない。国民の意思の貫徹は直接的か間接的かはともかく貫徹されねば国民主権とはならない。

憲法95条が、国が特定事業を特定の市町村で実施する場合に住民投票を義務付けているのは、その国民の同意権を認めているからである。

東洋町においても平成19年私が東洋町役場に入った時には、前町長からの応募書をもとにNUMOは経産省に調査実施の申請が認可され、第一段階の文献調査の実施中であった。
私は大いなる不安を抱きながら、応募撤回・調査中止の申請をした。すでに国の認可が出て実施中の事業が地元首長の応募撤回で覆るであろうか、首長に何の権限もないのではないかと。そう簡単に撤回要請は認められないと思い、施設建設をさせないための様々な抵抗作戦を考えていたのである。

しかし、経産省は撤回要請の数日後あっさりこちらの要請を飲み文献調査をあきらめ撤収した。強行はしなかった。

なぜか。
住民の、その意思を体現する首長の同意(不同意)権を認めていたからとしか考えられない。
しかし、辺野古の埋め立てをめぐる国と沖縄県の対決はではどう見る。
東洋町で示した国の論理と姿勢がなぜ沖縄では適用されなかったかはあきらかであり、沖縄を差別視しているからである。

沖縄県には本土での一般的な扱いはしなくてもよい、住民や首長が何を言おうが、暴力を行使してでも事業を実施するという植民地主義政治が続行中なのである。

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