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2016年5月 5日 (木)

続高知新聞「自民党改憲案」下

News & Letters/483

前回、高知新聞は民主主義の原理が「欧米などの民主主義国」特有の「価値観」であるかのような表現をし、自民党改憲案が安倍が標榜する「価値観外交」から外れ欧米民主主義国の「普遍的価値観から外れた「異質な国」と見られる恐れ」を危惧していた。

しかし、自然法(自然権)思想を築いた思想家は確かに欧米の人間であるが、その法源は聖書、イエス・キリストの言葉にあるとしている。イエス・キリストはいわゆる欧米の人間ではない。

天賦人権は、人類の発生から始まっている。古代の奴隷にも、現在の日本国民にも生まれながら備わっているものである。
江戸時代の思想家安藤昌益が「自然真営道」で描いた世界が天賦人権の平和と自由の世界に他ならない。
決して安倍や高知新聞が言う欧米民主主義国だけの「価値観」などというものではない。


1、 高知新聞の限界は、5月3日の社説、憲法9条をめぐる議論に露呈された。
 社説は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」という文言を自民党が「ユートピア的発想」として捨てたことに関して、「理想論といえばその通りかもしれない」とか、「平和への志」という評価をする。しかし、この憲法前文の文言は、単なる「理想論」や「志」というものではない。
 それは、非武装非戦主義を現実の国際社会で戦略として打ち出したものであり、極めてポリチカルな方針なのである。

 実際にその非武装非戦主義で激動の戦後70年を通そうとしてきたのである。現実には非武装という点は完全に崩れたのであるが、少なくとも憲法上はそうであった。自衛隊という軍隊がなくとも米軍以外は誰も日本を攻めたり占領しようとはしなかっただろう。

2、社説は「今や世界有数の実力を保有し、災害時などに活躍する自衛隊を憲法でどう位置づけるかは、改めて議論してよいだろう。」という。これは要するに自衛隊の存在を前提として憲法改正の議論をするlべきだということになり、問題はただ自民党が目指す集団的自衛権の行使を認める所までそれを発展させるかどうか、という事に絞られる。
 高知新聞は、専守防衛の線での自衛隊の存在を憲法改正で積極敵に認めろという事になるであろう。
 自衛隊の存在と現行憲法9条の第2項第3項は明らかに矛盾するからである。
 その矛盾を高知新聞は、現状の是正ではなく、憲法の是正の方向に誘導しようという考えである。

3、憲法9条の内容はおおむね3つに要約される。

① 国際紛争の解決のために国権の発動として永久に戦争をしない。そのため武力による威嚇、武力行使はしない。

② ①のために陸海空その他の戦力はこれを保持しない。

③ 国の交戦権は、これを認めない。

②、③の条項は、戦争放棄の①の条文を担保するために設けられたものであり、①②③は一体のものとしてきりはなすことはできない。憲法9条は、「理想」とか理念とかではなく、リアルポリッティクスの政治的方針であり、憲法制定当時に日本国民は選択的に、日本はこれでいくと決心したのである。

 なぜ非戦非武装の道を選んだのか。
 それは憲法前文にも書いてある通り、「日本国民は自ら進んで戦争を放棄し、全世界に正義と秩序とを基調とする永遠の平和」を実現しようとしたからであり、それは何よりも「政府の行為により再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」し反省したからである。

 のちのちの日本人が憲法9条の非戦非武装の規定の理由とその決意を忘れないようにそのことを憲法前文に書き記したのである。アジア太平洋戦争の原罪を背負いその償いの勤行として9条は設定された。このことを忘れてはならない。

 この9条によっていかなる苦境、如何なる苦難があろうともわれわれは覚悟してこれを憲法に入れた。その我々の苦難などは、先のアジア太平洋戦争で犯した罪、未曽有の不幸と悲しみをアジアの人民に与えた事実に比べれば、些々たるものに過ぎない。

 自衛、自国防衛の戦争も許されないというのが憲法9条の定めだ。それはそもそも、日本の生命線だ、自衛の戦争だとかいって、中国や朝鮮、台湾は元より旧満州やモンゴル、インドネシアやフィリピン、ビルマ、インドにまで自衛戦争を拡大した。軍略上は、先制攻撃こそ最大の自衛であって、世界を平らげるまでは、安心できない。

 緊急事態は、何も外から急に迫ってくるのではない。盧溝橋事件などに見るとおりほとんどすべては日本軍がでっちあげて全面戦争に発展させた。歴史は繰り返す。
 昔は軍部や警察が怖かったから、何も言えなかったが、今は何を恐れる?死は何も怖くはないぞ。日本国憲法を踏みにじり祖国を再び敗亡の惨禍に引きずり込もうとする連中に何の遠慮がいるものか。 

4、自民党案の9条には確かに「戦争放棄」がはめられている。しかし、それには、アジア太平洋戦争の反省はひとかけらもなく、したがって、その9条の第2項の自衛権の規定、次条9条の2の第1項第2項の国防軍規定、さらに98条、99条の緊急事態宣言等によって、形ばかりの戦争放棄条項も完全に換骨奪胎されるのである。
 
 高知新聞には、自民党改憲案の98条・99条の緊急事態宣言の条項について言及していない。
 この条項は、自民党改憲案の核心に盛られた毒薬であって、これによって自民党は、侵略戦争開始とそのための場内平和のために国民の基本的人権の圧殺を一挙に達成しようとしている。
 なぜ高知新聞はこの条項の存在を問題にしないのだ。

5、最後に高知新聞社説は「私たちは憲法を「不磨の大典」とは考えていない。」、改正はいいが改悪はいけない、などという。
  要するに高知新聞は憲法改正はいいというのである。

 現行憲法は、特にその9条の存在によって「不磨の大典」となっている。
 確かにいろいろ物足らないものもあるであろう。しかし、国民主権と基本的人権がこれほど明確に確立されている憲法はほかにどこにもないであろう。足らないものは法令や判例で補えばよい。イギリスのように判例ばかりで憲法のない国もあるぐ
 らいだ。「…これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」という文言によって現行憲法の不磨性、至高性が明瞭に宣言されている。
 何よりも、国家として戦争放棄、非武装、の徹底した平和主義がその至高性を保証している。

 このような理念を現実の政治的方針として掲げる国はどこにもない。
 その素晴らしい不磨の大典の理念を、日本の昔の暗い「伝統」・・・戦争と圧政と差別と貧困の伝統に替えることは断じて許してはならない。それはダイヤモンドや金玉の宝石を、瓦礫と替えるに等しいのである。

6、自民党の改憲の動機は、表向きは現行憲法はアメリカによる押しつけだから、という事であるが、真実はその逆である。
 アメリカに、より一層隷従するために、アメリカの帝国主義的戦争行為に従軍するために、9条の廃止と国内整備が本当の動機である。そのことは安保法案の国会議論で全部明らかになった。日本のマスコミもわかったはずだ。

 アメリカに随従するために自国民を犠牲に供する。TPP参加も同じ目的だ。
 自民党の改憲策謀は売国行為であり、日本歴史上の恥部である。
 日本人民は、沖縄をはじめ日本を今なお占領し侵略している本当の敵は、アメリカ帝国主義であり、それに隷属を深めるために憲法を投げ捨てようとしている自民党の醜悪な姿を直視するべきである。
 
ただし、付言するが、戦争や武装の放棄は、それはあくまで国家段階のことであって、国民が圧政に対し又は外敵の侵略行為に対し武器を持って立ち上がることは禁止されていない。

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