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2016年5月

2016年5月29日 (日)

オバマの広島

News & Letters/492

これほどのパラドックスはないであろう。

核を保有し、実験を繰り返し、その廃絶の国際世論に背いてきたオバマが核爆弾の原料としてのプルトニウムの生産のため原発をやめず、核爆弾の装備も現実的選択肢にしている安倍晋三を従えて、広島の地を踏んだ。

その両人が、原爆で殺された数十万の御霊の前で「核無き世界」をちかったのである。
核廃絶の世界人類の願いの、その対極にある2人が、無数の爆死者の骨が埋まる地の上に立って無辜の民の犠牲をかたった。

このパラドックスこそが、現代の人類の悲劇だ。この二人の虚偽の誓いは、決して実現しないだろう。この二人は核の抑止力、核の傘の熱烈な信奉者であり、実践者なのである。
広島、長崎に原爆が投下されたのは、この戦争のためではない。

太平洋戦争は、すでに勝負がついていた。二つの原爆は、新しい世界戦争の制覇をめざし原爆の威力の実験、それを見るために投下された。死の商人とその番頭である米国政府・軍部がやったことだ。新しい戦争体系、世界核戦争、核競争の原点として広島と長崎が選ばれたのである。

オバマは広島に何しに来たのだ。

回答:それは原爆投下の真相を隠し、核戦争と核兵器競争を世界の人々から隠ぺいするためである。
多くの人がわけのわからない2人の今日の演説で眩惑されたであろう。この眩惑に涙を流す人もいるぐらいだ。

だが現実は、あの広島長崎の轟音と灼熱、長きにわたる病魔が夢ではなかったように、今も核の開発、核による脅し、核への信仰は深く広く人類を侵し続けている。

安倍が人の苦しみが本当に分かるのであれば、被爆者の賠償請求の訴訟で被爆者と対決しその訴えを無慈悲に却下するはずはない。オバマが本当に人の苦しみが分かるのなら、ビキニやユッカマウンテン山などでの核実験の犠牲者に手を差し伸べるはずだ。我々は、嘘が満てる中で生活しているので、嘘が大きいほどそれが見えなくなる。

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安芸広域市町村圏特別養護老人ホーム組合への措置請求

News & Letters/491

        措置請求書

安芸広域市町村圏特別養護老人ホーム組合殿
                       平成28年5月27日
                       澤山保太郎
                       田原茂良
                       楠瀬立子

丸山長寿園無償譲渡の違法・無効判決について

          記

1、平成28年5月17日、高知地方裁判所民事部は、平成26年4月1日に民間団体むろと会に貴組合(当時組合長小松幹侍室戸市長)に所属していた丸山長寿園の無償譲渡の行為について地方自治法第238条の4第1項の規定に違反し、この無償譲渡を無効であると断罪した。

そして、その無法行為の原因として、当時の組合長小松幹侍の「尽くすべき注意義務を怠り、過失」によるものであると断定した。判決では、行政処分性はないとして取り消し請求の訴えを否定し、賠償責任も否認したが、貴組合がした無償譲渡の行為については明確に違法・無効であることを言明し、さらにその「無効な行為は、追認によっても、その効力を生じない」と断定された。

行政側に傾く住民訴訟では極めて異例な判断である。たとえこの訴訟が上級審にかかって、賠償責任などが争われるとしてもこの違法・無効の判断がゆるぐことはありえない。
2、したがって、私たち原告は、この判決の趣旨に基づいて貴団体が、組合を構成する芸西村から東洋町に至る全市町村民に謝罪をしたうえ、以下の措置を取ることを要求する。

①むろと会から丸山長寿園の経営を取り戻すこと、
②平成26年4月1日以降の経営上の利益を全額回収すること、
③また、むろと会役員などに支払った報酬などは不当であり、全額回収すべきこと

 その他丸山長寿園が貴組合に所属するものとしての必要な措置を直ちに講ずることを求めるものである。

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2016年5月26日 (木)

沖縄の女性殺人

News & Letters/490

沖縄の女性が米軍軍属によって殺された。政府や米軍、大統領らが再発防止をいくら唱えてもむなしい話である。

この殺人事件は、事情があって、経済的、情事的な事情があって起こったのではない。
行きづりに動物か何かを狩りでもするように捕まえて犠牲にしたのである。このような行為がどうして出来するのか。

犯人は特別異常な人間というわけではない。
これは、特別な社会的心理状況によっておこったものと考える。
それは、日本帝国主義軍隊がアジア各地で行った蛮行と同じ心理によって起きたものである。

植民地人民を下等視し、動物並みに虐待することを何とも思わないという心理、植民地心理のなす技であろう。

沖縄が米軍の植民地である限り、普通の米軍兵士が必然的にこの植民地心理を醸成し、しばしば発現する。

逆にこのような殺人凌辱事件は、日本が対等な条約によって米国と提携していないことを証するものである。

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2016年5月21日 (土)

続 丸山長寿園判決

News & Letters/489

       厳しい断罪

5月17日の公立の特養老人ホーム丸山長寿園の民間譲渡について、高知地方裁判所の判決文は、いわば、事実の認定は違法行為であるが、どうしても行政側を負けさせるわけにはいかないのでこんな判決文になってしまった、控訴審で何とかしてくれ、という依頼状のようなものである。

以下の判決文を見てください。その違法性判断はこれまで私が経験した無数の住民訴訟の中で首長に対して最高度に厳しい内容である。

判決文20頁

「被告組合の組合長である小松が、平成25年12月25日、むろと会との間で、本件契約を締結し、それに基づき平成26年4月1日にむろと会に対して本件施設の建物等を譲渡したことは、上記3で説示したとおり、違法な財務会計行為であるところ、前記認定事実によれば、小松は、その前提となる事実、すなわち、本件契約当時、本件施設の建物等は未だ被告組合が運営する特別養護老人ホームの用に供されていたとの事実を認識していたものと認められる。

そうである以上、小松は、本件契約が地方自治法238条の4第1項に違反する違法なものであると認識すべきであり、平成25年12月25日の時点においては、本件契約を締結すべきではなかったといえる。それにもかかわらず、小松は、被告組合の組合長として尽くすべき注意義務を怠り、過失により、本件契約を締結し、平成26年4月1日、本件施設の建物等をむろと会に譲渡したものと認められる。」

尽くすべき注意義務を怠り、過失により・・・・という。通常は、裁判所が違反行為があったと認めても、その違反については知らなかったとか、認識できなかったから、責任は宥免するという事にしてきた。

しかし、この判決文は、小松幹侍は違法性を認識することができた、と追及し、その責務の懈怠をも指摘したのである。
裁判所は行政責任を宥免する口実を自ら絶ったのである。
東京都知事は別格としても、最近これだけの断罪を受けた首長はめったにいないだろう。
無償譲渡した施設の価値は数億円にのぼるものであり、譲渡先の団体の長は、小松幹侍室戸市長の係累である。

これだけの判決を受けた場合、行政マン失格であり、通常なら、辞職しなければなるまい。
また、これだけの断罪であれば、裁判所は、何らかの償いを違反者に求めるのが道理であろう。

それができないんや、という悲鳴が聞こえる。

私は、日本社会の低迷、特に地方の衰微の大きな理由は、市町村首長が利権行政に流れ、真剣に地域の活性化、そのための行財政改革にいそしむという姿勢が欠如しているからであると考える。そのような堕落した行政を野放しにするような裁判は地方の衰滅を一層促進し、同時に司法の墜落をもたらすものである、と考える。
三権分立というが、分立はいいとしても、法の支配の立憲主義の建前から、司法は他の二権よりも上位に立たねばならないと考える。

日本の現状では、司法は最下位に置かれ、裁判官自身が議会や行政におもね、自ら卑屈になっているように見える。
その典型的な一例が本件判決であろう。これも控訴せざるを得ない。

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2016年5月20日 (金)

速報  丸山長寿園の無償譲渡について不当判決

News & Letters/488

    違法である。しかし免罪する。

昨日平成28年5月17日高知地方裁判所 民事部石丸将利裁判長、陪席高木晶大判事、同泉地賢治によって、矛盾に満ちた不当判決がなされた。

判決内容では、室戸市長であり、当時安芸広域市町村圏特別養護老人ホーム組合の組合長小松幹侍が、民間団体に行政財産を無償譲渡した行為が地方自治法第238条の4に違反すると断定しておきながら、どういう理由か不明確な理由で、小松幹侍に賠償責任はない、として免罪した。

民間団体に行政財産を無償譲渡の契約をした行為は、法令違反であり、無効である、と判示しながら、おとがめなし、という
結論が国民を納得させられるであろうか。すなわち、本件無償譲渡契約及び無償譲渡について判決文は言う。

「本件契約は、地方自治法238条の4第1項の規定に違反してされたものであり、同条の4第6項の規定により、無効である。よって、本件契約に基づく本件無償譲渡は、地方自治法に違反した違法な財務会計行為であったというべきである。」

さらにこれに続いてご丁寧にその違法判示の理由として

「地方自治法238条の4第1項が行政財産の譲与等を禁止したのは、行政財産が、地方公共団体の行政執行の物的手段として行政目的の達成のために利用されるべきものであることを考慮し、法律上厳しくその処分や私権の設定等を禁止することとしたからであり、仮に、引き渡しなどは用途廃止後に行われるとの理由で用途廃止前における処分が認められるとすれば、同項の規定の趣旨を没却するおそれがある。」とまで断定しているのである。

無償譲渡の契約、それに基づく無償譲渡の実行が違法であり無効であるならば、当事者に財産の原状回復や賠償責任を求めるのが道理であろう。

おそらく裁判官のうち、違法、無効を唱える者と、どうでもいいから住民側敗訴にしようという裁判長の判断とが分裂してこのような矛盾した判決文となったのであろう。
「法服の王国」の混乱もこのように歴然と表出したのでは、救いようがないのではないか。すなわち、裁判の信用性、裁判の公正さを誰が見ても、根底から失墜させているのである。

私の任務は、もとより行政の不正を暴きこれを正すことを目的とするが、現在の「法服の王国」の実態を白日の下にさらすというもう一つの重要な役割もある。
この判決を受けて安芸広域市町村圏特別養護老人ホーム組合の執行部は勝訴したと言って喜ぶであろうか。

保育園の民営化などを名目にして行政財産の民間への譲渡は相当広く行われており、この判決の影響は大である。
新聞や報道機関は、この判決の重大性を無視しているが、少なくとも、行政財産の譲渡が違法であるという判決が出たことぐらいは報道すべきであろう。

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2016年5月18日 (水)

舛添都知事の処分

News & Letters/487

舛添都知事の乱脈公金私物化の暴露はとどまることを知らない。
もともとこの男を都知事や国会議員にしたことを国民は恥ずるべきであった。
この男の処分は、告発や住民訴訟などの方法があるが、それでは即効性が疑わしい。
リコールをするのが一番いい。

有権者の230万票あればリコール発議は成立するのではないか。→そして都民の住民投票の過半数を取ればリコールは成立する。
地方自治法の長の解職という直接請求(リコール請求)第81条
現在の政治状況ではリコールは可能であり、極めて得策である。

リコールの趣旨

①舛添知事を解職する

リコールの理由

①公金の私物化
②憲法など順法精神がない

1、リコール請求代表者には数十名ほどの著名人や青年、主婦層の者が就任する。

2、230万票とるためには、リコールの署名を集める署名収集者が数千名、たとえば2000名ほど必要だ。

3、各区市町村ごとに署名収集本部を設営し、それぞれに宣伝工作隊を10隊以上つくる。

このリコール運動は、衆参院選挙や今後の野党連合・無党派層の政治的結集の基礎固めができるだろう。

宣伝工作にはビラ発行費用の制限がないし、署名集め中はいくらでも集会や街頭演説が許される。

リコール運動は、国民主権を行使する絶好の機会である。

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2016年5月16日 (月)

野根漁協1000万円不正融資結審

News & Letters/486

野根漁協への松延宏幸東洋町長による不正融資事件の(高松高裁)はたった一度で結審となって、判決は7月15日ということになった。
虚偽の理事名簿が功を奏して最高裁で差戻しを勝ち取った東洋町。
一度は松延宏幸に1000万円の支払いを命じた高裁がどのような判決をするのか興味深い。
あくまでも行政に勝たせるために尽力するのか。それにしても虚偽の理事をでっちあげるなど数々の違法行為をしてきた行政をかばいきれるのか。原発裁判など、行政の悪をかばい立てることを仕事にする日本の司法、「法服の王国」の闇はいよいよ深い。この闇がいつ晴れるのか。

平成28年(行コ)第8号 損害賠償請求控訴事件
控訴人 澤山保太郎
被控訴人 東洋町長松延宏幸
        控訴人準備書面(4)
                  平成28年4月18日
高松高等裁判所 殿
                  控訴人 澤山保太郎

控訴人は以下の通り、被控訴人準備書面(1)について陳述する。
被控訴人準備書面(1)について

一、本件理事会の理事名簿を実証するもの

被控訴人は、控訴人が提出した甲第37号証の2(野根総会議事録)、及び甲第39号証(県庁への業務報告書)について、
「いずれも本件で問題となっている平成23年11月3日の本件理事会当時の理事を直接証明するものではない。」
と主張する。
しかし、平成23年11月3日当時の本件理事会の理事について、野根漁協の組合員総会で選任した事実を直接証明するのは上掲の甲第37号証の2、及び甲第39号証である。野根漁協定款では理事の選任の方法は2種定められている。すなわち、

①一つは、正規に選挙管理委員を任命し、立候補者を募り組合員の投票によって選出する。
②今一つは、漁協の総会で選出する方法である。
③の総会の場合はもちろん臨時総会と言うこともあり得る。

いずれにしても役員の任期は3年間であり、その選出は、組合員の総意によって決定される。野根漁協では②の組合員総会方式が3年ごとに取られてきた、という。
本件当時の理事の選出行為は平成21年の上掲「平成21年度野根漁協総会議事録」やそれを反映した「平成21年度業務報告書」の示すとおりであり、それ以外には存在しない。総会議事録が第1の証拠であり、監督官庁である県庁への業務報告書はそれを反映したものにすぎない。

通常は、平成21年度に選出行為があれば、平成22年度、平成23年度には選出行為は存在しない。平成23年度もこの理事の任期が続行中であり、これら理事の選出の事実について、別箇の証拠があるわけではない。
被控訴人は、最高裁へ提出した上告受理申立書に掲示した理事が正規に選出されたものであるという事を立証する義務がある。それを実証する野根漁協の総会なりの議事録があるのか、被控訴人の主張は漁協の業務の実態についての無知から発したものである。

二、甲第21号証別紙1「動議1」の理事名について

被控訴人は上掲甲第37号証の2、甲第39号証の理事が甲第21号証の別紙1の「動議1」と相違している、と主張している。
これは、確かに差戻し前の高松高裁の判決文で指摘されていた。
高松高裁の指摘は、控訴人が書証(甲第33号証)として提出していた役員名簿(甲第37号証の2、甲第39号証と同じもの)について、甲第21号証別紙の名簿と相違していて真偽の判定がつかないと判示していた。高松高裁は、甲第21号証別紙「動議1」の名簿を調査特別委員会の主張(あるいは控訴人の主張)であると誤認したものと考えられる。
甲第21号証は、「特別調査委員会中間調査結果報告書」というタイトルがつけられている。それは、

①「東洋町漁業災害対策資金借入についての中間調査報告書」(平成24年9月10日付)
②「特別監査報告書」(平成24年8月8日付) 別紙5
③「東洋町漁業災害対策貸付金借入についての中間調査報告」

(平成23年9月10日付) 別紙7

の三つの文書が主内容で、後は特別調査委員会が集めた資料であって、これら添付資料については、特別調査委員会の主張するところのものではない。
 上の①の中間調査報告書によると、この「動議1」は、平成23年11月9日に開かれた野根漁協臨時総会で、ある組合員から提出されたもので総会では取り上げられなかったものであって、調査特別委員会の資料として綴じられていたものである。
 調査特別委員会も、当時の野根漁協の執行部もこの「動議1」についてこれを認めたわけではないし、「動議1」が議決されたということでもない。あくまで組合員から出た一つの問題提起の資料にすぎない。

当時野根漁協は「組合長」(桜井菊蔵)らが勝手に本件借入を行う上でにわかに理事に任命するなど理事について無茶苦茶なことをしていた。
しかし、①の中間調査報告書では、特別調査委員会は、役員は正組合員が総会においてこれを選挙するという定款のとおりであり、理事会のみで承認された理事は認めない、という立場を明確にしている。また上の③の文書でも、特別調査委員会は本件確約書についても「総会において承認されていない理事がおり、署名・押印されている。」と指摘するとおりであって、当時の正規の理事が平成21年度の総会で選出されたものだという認識のもとに判断していることは明らかである。

三、にわか「理事」松田安信、松吉裕也について

 確かに被控訴人準備書面がいうように甲第41号証の1、同号証2と甲第21号証の二人の署名した「確認書」の内容とは矛盾する。だから、控訴人は正規の理事でもない者が署名押印したものであるのでその「確認書」は無効だと主張しているのである。
松吉裕也君は、当時も今も、若い漁協の事務員である。事務員は職務専念義務があり、職務外に漁業を営むことは不可能であり組合員にはなれないから、通常、漁協の役員や理事にはなれない。

また、野根漁協では理事(雇用主)と被雇用者(事務員)との兼任は認めないことになっているという。この事実については、県下の漁協関係者はみんな知っていて、被控訴人も知る立場にある。被控訴人は、町役場でも首長や幹部職員の場合、職員組合から脱退するという慣行はよく知っているはずである。松吉裕也君が漁協の事務員として働いていることは、役場幹部や水産関係職員もよく知っていることがらである。「確認書」は、本来理事になれない者に理事だとして署名押印させたと考えられる。

また、松田安信は現在高知県警に収監中であるが、日ごろから理事に選出されるような素行の持ち主ではないことは被控訴人が知悉している。その素行についてはここではプライバシイに係ることだからつまびらかにはしない。

この二人が、仮に理事として署名押印をしたという文書を見たとき、まさにそのとき、野根漁協の理事たちの選出の経緯について被控訴人がただすべき契機となったはずのものである。すなわち、通常の場合、この二人が漁協理事に名を連ねた文書が上がったら、その文書を疑う必要がある、というものであろう。

四、特別利害関係人松吉孝雄について

 被控訴人は、野根漁協の理事で本件11月3日の理事会に出席したという松吉孝雄について「松吉孝雄が松吉保の弟かは知らないが、・・・弟といっても、本件貸付によって直接に利益をうける者ではないから、・・・・・特別な利害関係があるとは言えない。」という。
松吉孝雄が本件貸付金の実際の借り手である松吉保の実弟であることは戸籍謄本のとおりである。理事や取締役の2親等の者が特別利害関係人であることは会社法上の常識であり、内閣府令(「企業内容等の開示に関する内閣府令」)第1条31号にも明記されている。
松吉孝雄も同じ漁協に属し、別の小敷網漁を営んでいて、松吉保と互いに助け合って生活をしてきたことはいうまでもない。最高裁は、松吉孝雄が保と特別利害関係人であることを知らなかったといえるが、人口希少の町役場で数十年事務を執ってきた被控訴人がこれを知らなかったとは言えない。8人の理事のうち、特別利害関係人2人の理事(松吉保彦、松吉孝雄)を控除すれば6人が議決権者であり、そのうち3人(桜井菊蔵、井崎勝行、桜井勇)しか出席していないという事になるから、本件理事会は不成立である。

五、組合長桜井菊蔵について

1、平成23年11月3日の本件理事会は、組合長桜井菊蔵によって招集され、桜井菊蔵が議長となって開催したことになっている。しかし、この桜井菊蔵組合長という事実については疑義があり、その組合長就任は以下のとおり無効であると考える。
前組合長桜井淳一が平成23年10月4日に組合長の辞表を提出したのは事実である。
(甲第42号証)
そこで誰が招集したかわからないが、翌10月5日、野根漁協理事会が開かれたことになっている。この理事会議事録(甲第43号証)によると、出席した理事は全部で5人でその名前は、井崎勝行、桜井菊蔵、桜井勇、松吉孝雄、松吉保であるという。

しかし、下線のある松吉保は正規の総会で選出された理事ではないからそれを控除すると4人の理事で開いたという事になる。当時の野根漁協の理事定数は8人である。
8人のうち4人の出席では過半数に足らない。野根漁協定款第49条の3では、議決権を行使できる理事のうち過半数の出席がなければ理事会は開催されたことにはならない。
第1号議案は、桜井淳一組合長の辞任届の承認案(解任案ではない)だから、別段、控除すべき特別利害関係役員は誰もいない。

第2号議案も、新代表理事(組合長)選任議案だから、控除すべき特別利害関係人は誰もいない。野根漁協の当時の理事は8人であるから5人以上が出席しなければ理事会は開催され得ない。したがって、平成23年10月5日の桜井淳一組合長辞任承認、新組合長桜井菊蔵選任の理事会は成立していない。
桜井淳一組合長の組合長職辞任は承認されず、また、桜井菊蔵新組合長の選任もされていなかった。にもかかわらず、桜井菊蔵らは被控訴人らと共謀して強引に組合長の変更の登記をし、本件貸付金の借入の申請、実際の借入を実行した。当然法務局への登記も虚偽であって無効なものである。

2、野根漁協の定款第47条では、理事会は組合長が招集することになっている。
 しかし、辞任を表明していた桜井淳一組合長は自らの辞任と後任の選任について理事会を招集したことはないし、連絡もなかったからそれに出席もしていないという。
 したがって、平成23年10月5日の新組合長選任の理事会は組合長が全く関与せず、仮に定足数に足りて開かれたとしても無効である。
3、したがって、 桜井菊蔵 新「組合長」が招集した11月3日の本件理事会は招集権限のない者(にせの組合長)が招集した理事会であって無効である。
 そして、桜井菊蔵 新「組合長」の名前で出した甲第5号証など本件借入申請書関係書類もすべて無効である。したがって本件借入(貸付)行為そのものが無効なものであった。
     

平成28年(行コ)第8号 損害賠償請求控訴事件
控訴人 澤山保太郎
被控訴人 東洋町長松延宏幸

控訴人証拠説明書
           平成28年4月18日
高松高等裁判所 殿
                   控訴人 澤山保太郎

一、甲第42号証(写し)
 1、標記:野根漁協協同組合御中
 2:作成期日:平成23年10月4日
 3、作成者:桜井淳一
 4、立証の趣旨:

     長年組合長を務めていた桜井淳一は、本件貸付金に反対したため
     松吉保一族やそれと結びついた桜井菊蔵、井崎勝行らから非難され、
     組合長辞任を迫られて、辞任を表明した。但し理事職は辞任していない。

二、甲第43号証 (写し)
 1、標記: 理事会議事録
 2、作成期日:平成23年10月5日
 3、作成者: 野根漁協
 4、立証の趣旨:

この書証は、最近野根漁協から控訴人に提供されたものである。
本件当時平成23年10月5日に野根漁協が法務局に新しい理事長を登記する際に法務局に提出し、「原本還付」されたものである。
 本件貸付金事件の漁協側主要人物桜井菊蔵らが、野根漁協理事会を開いて桜井淳一組合長の辞任承認、新組合長桜井菊蔵選任の決議をしたという。しかし、8人の正規の理事のうち4人しか出席していないので成立したことにはならない。
 したがって、桜井菊蔵組合長名で申請した本件借入金は無効である。

三、甲第44号証 (写し)
 1、標題:借用書
 2、作成期日:平成23年11月22日
 3、作成者:松吉保彦
 4、立証の趣旨

 本件貸付金が、被災漁家である松吉保小敷にわたらず、別人に渡されていた事実を証するもの。

平成28年(行コ)第8号 損害賠償請求控訴事件
控訴人 澤山保太郎
被控訴人 東洋町長松延宏幸
控訴人準備書面(5)
                   平成28年4月19日
高松高等裁判所 殿
                    控訴人 澤山保太郎

控訴人は以下の通り、被控訴人準備書面(2)について陳述する。
被控訴人準備書面(2)について

一、被控訴人は、
「1、理事会の決議に瑕疵がないことは、従前の主張のとおりである」
という。

1、「従前の主張」すなわち、被控訴人準備書面(1)で本件理事会についての主張は
 (1)控訴人が提出した書証甲第37号証の2、甲第39号証の議事録や、業務報告書は平成21年度のもので平成23年度の本件理事会の構成理事の事実を直接証明するものではない。
 (2)また、これら書証は、甲第21号証別紙1の「動議1」の理事名とも一致しない。
 (3)甲41号証の1、及び2の松田安信及び松吉裕也の書面はいずれも甲第21号証の別紙の「確約書」の内容と矛盾する。
 (4)故に、(1)、(2)、(3)の事実は「最高裁判決が前提とした事実関係、すなわち、理事8名のうち6名が出席した理事会において、全会一致で、東洋町に対して本申請をする・・・・という事実認定を左右するものではない。」
 というものであった。
 (1)(2)(3)については控訴人準備書面(4)で説明し反論した通りであり、たわいもないものである。
 (4)については、すでに控訴人準備書面(1)及び(2)で詳しく反論してある。

2、なお、「最高裁判決が前提とした事実関係」というが、最高裁は何も本件に係る事実、野根漁協の真実の理事名簿について具体的に調査したり審理をしたわけではない。
最高裁は被控訴人が掲げた虚偽の理事名簿を鵜呑みにしそれを前提にして昭和54年の最高裁判例の論理を機械的に適用したにすぎない。今問題になっているのはその「最高裁判決が前提とした事実関係」=被控訴人の出した上告受理申立て理由書の理事名簿が真実かどうかなのである。

 それが、真実であるというのであれば、被控訴人は証拠を挙げて実証する必要がある。
その証明ができるのかできないのか、それさえ答えればいいのであって、他の些末なことを言い並べる必要はない。
 準備書面(1)(2)のどこを見ても被控訴人はそれを実証しようとしていないし、することができていない。
 控訴人は、甲第33号証の正規の理事名簿を立証した。最高裁のいう昭和54年の特別利害関係人に関する会社法上の事件の判例の適用は、あくまでも正式の理事に適用されるべきなのであって、虚偽の理事名簿に適用されてはならないのである。

3、なお、特別利害関係人のことでいうなら、本件理事会に出席したと称する理事は全員、本件借入について債務保証となる「確約書」(甲第10号、甲第21号証の別紙4)に署名押印していることは紛れもない事実である。
これは、本件貸付規則第5条の(3)にその義務が規定されていたからである。
この債務保証は、町に対して、組合(又は転貸相手の松吉保小敷)のためにするものであって、野根漁協全理事は組合又は松吉保との関係では特別利害関係人ということに予定され、実際そうなった。全員が松吉保との間で特別利害関係人であるとすると、平成23年11月3日の本件理事会の出席者は全員議決権がないということになる。無論利益相反の事実についての報告・承認もされていない。この点でも、本件理事会は成立していないと言える。

二、被控訴人は、
「2 野根漁協が、本件貸付に係る金員を原資として、松吉保彦に1000万円を融資していることは、本件貸付後の野根漁協と組合員との関係であって、本件貸付自体の効力に影響を及ぼさない。」という。
1、この記述は、控訴人が転貸し相手が相違している、松吉保が高齢で返済能力がないので又貸しのさらに又貸しをやっていると指摘していることについて、弁解しているつもりであろう。

しかし、本件貸付金は、最高裁判決も指摘しているように、野根漁協の借入申請書の添付資料として特定漁家、松吉保小敷の名が挙がり、その実績や被害状況が記載されていて転貸先が決められていた。松吉保彦は松吉保の息子であるが、当時別の企業体(東洋大敷)の漁労長であって、松吉保小敷には全く従事していないし、所帯も別個であった。
また、この被控訴人の主張は、転貸先が誰であろうと、被控訴人には関係がない、と言いたいのであろう。しかし、本件貸付規則第12条で町長は、「融資を受けた組合及び借入漁業者に対し、関係帳簿書類その他の必要な物件を検査し、または必要な報告を求めることができる。」とし、また、同規則第10条では、町長は「資金の貸し付けを受けた組合及び当該組合から転貸を受けた漁業者が、次の各号のいずれかに該当すると認めた場合は、組合に対して融資金額の一部又は全部について返済を求めることができる。」として、貸付金の目的外使用などを挙げて、転貸先の漁家にまで規制する趣旨を規定している。漁協に貸したから、あとは好きなようにせよという制度ではないのである。

いずれにしても本件貸付金が、被災漁家のうち定められた松吉保小敷に貸し付けられず、被災とは何の関係もない別名義の者に貸し付けられている事実は否定することはできない。したがって本件貸付金が誰の手に渡ったのか不明であり、誰から返済されるのかも不明であって、これによって本件貸付事業がまったく無法なものであったことは明らかであろう。

三、被控訴人は、

「3 野根漁協は、総会において、災害対策資金を借り入れる旨の定款変更をすることを決議・・・」 という。

1、控訴人がこの定款変更の総会の決議について再三反論したのであるが、被控訴人はその反論について何にも主張がなく、ただ決議した、決議した、を繰り返すのみである。
 控訴人はすでに何度もこの野根漁協平成23年11月9日の臨時総会では、本件貸付金にかかる定款変更は有効に決議されていない、と主張してきた。

2、その証拠は乙第1号証の臨時総会議事録そのものである。この議事録には1号議案として「定款一部変更承認のこと」と記載されているが、定款の何条を、どのように変更するか、記載したものがなく、何のことだかわからない。貸付とか借入れとかの言葉もなく、1000万円とかいう金額も何も見えない。ちんぷんかんぷんの禅問答である。
 これが議事録であるとは想像できるとしても、何か特定条項の定款変更の総会議事録だと判断できる人はどこにもいないであろう。この議事録で具体的に定款変更を伺わせる何かをつかめる人は誰もいないだろうか。定款変更の白紙委任でも取ったということであろうか。そんな決議は無効である。

2、甲第21号証で控訴人準備書面(4)で掲示した①の「東洋町漁業災害対策資金借入についての中間調査報告書」でも11月9日の臨時総会で本件貸付金にかかる定款変更がなされた趣旨の記載はなく、むしろ翌年第2回目の臨時総会で本件貸付金について初めて説明があったという報告がなされている。すなわち「第1号議案の際に東洋町漁業災害対策資金借入れのことに関して初めて当組合員である漁師に発表したのである。」と記載されているとおりである。(事件翌年のこの第2回目の臨時総会は1000万円借入れについて紛糾し「流会」になって終わっている。)

この中間調査報告書には11月9日の臨時総会では、組合員から役員の状況について「動議」が出されたが、そのことについては議事録に記載されていないという指摘もなされている。被控訴人は、この11月9日の臨時総会で、どのような定款の変更がなされたのか、定款第何条を変えて、または新たにつけ加えて、かくかく、しかじかの定款に変更したということを想像でもいいから提起するべきではないか。
また、被控訴人は、「この総会決議は、本件貸付申請の翌日にされたものであり、借入金の最高限度額を1000万円と定めたものと同視し得る。」という。
 貸付申請の翌日に開かれたということだけで、何の定款変更か記載のない議事録の内容が特定できるであろうか。組合員は、何も説明を受けていないのである。

 まして、仮に貸付事業についての定款変更だとしても、それがただちに「借入金の最高限度額1000万円」の決議と同視できるということになるのか、
 貸付と借入れとはまったく違う概念であり、経理上も別扱いである。法廷では普通の人間の論理でものを言うべきではないだろうか。

また、被控訴人は、
「本件貸付後に、知事が定款変更を許可している。そのため、定款に関することで、本件貸付が無効になることはない。」という。
定款変更についての知事の許可前に、本件貸付事業は実行されたことは代1審判決でも認定された。定款変更の許認可は事後追認が許される事案ではない。無許可の期間に実行した行為は無効である。無免許運転者が乗車後に免許を取得したからといって無免許運転の事実と犯罪が帳消しになるわけではない。

被控訴人は県の認可と実行行為が前後していることについて、一言の弁解もせず、それどころか事後に許可をしているから有効だ、と平然と述べている。
裁判所は無効なものは無効という判断をすればよく、これだけの重畳せる無法行為をかばう必要はない。

四、またさらに、被控訴人は、

「最高裁判決の認定のとおり、本件規則が効力を生じていないものであっても本件規則に基づく貸付と同様の目的を有する貸付をするに当たり、漁業協同組合の理事会の議決を要するものとすることは合理的なものである・・・・」という。
 確かに今回の最高裁判決には、これと同様な文言があった。しかし、最高裁は、①本件規則そのものが有効なものか、②また、本件貸付が本件規則と同様の目的で実行されたかどうか、③漁協組合の理事会が成立していたのかどうか、④漁協組合の理事会の議決だけで本件借入れが可能とされるのかどうか、⑤まして、本件規則が効力が生じているかどうか、効力がない場合でも本件貸付が有効といえるかどうか等々については最高裁として何も調査していないし、審理して、事実認定をしたわけでもない。

 「本件規則が効力を生じていないものであっても・・・」というぶっきらぼうな最高裁の判決文の意図が奈辺にあったかわからないが、それはあくまでも他の手続きなどが適法であればという前提であって、ほかに問題がなく、こと理事会については昭和54年の判例で適法だという判断を強調するのあまり出た言辞であろう。

 本件規則が無効であれば、それに基づく、あるいはそれと同趣旨で実行された本件貸付の有効性も問われることはいうを俟たない。事実について何の審理、何の論証もないことについて最高裁判決の一字一句を承詔必謹式にありがたく受け奉る必要はない。
 転貸しなど本件規則の違法性、本件規則の趣旨や各条項の規定に外れた行為の数々、そもそも本件規則を一般に交付しなかったなど本件規則にかかる重大な瑕疵の事実についてはすでに控訴人準備書面(2)で弾劾してある。それらにあげられた違法行為の数々は、被控訴人の裁量権を逸脱するものでないというのであれば、一つ一つ反論をすべきである。うそを並べて理事会の成立さえ認められれば、後はすべての問題がクリアされ本件貸付が「合理的」になるというのである。

 しかし、理事会の成立問題は重要ではあるが、本件に関係する手続き上の重大瑕疵のひとつに過ぎない。
 被控訴人は、本件理事会について虚偽の理事名簿をでっち上げ最高裁の裁判官をだまし差し戻し審を勝ち取った。しかし、その最高裁判決の前提である理事名簿の事実が真実であるとの立証はできないでいる。
その他の本件支出負担行為にかかる違法行為についてもまったく何の弁解もしていない。
 被控訴人の準備書面(2)のように立証もせずにただ断定口調で主張を繰り返すのでは、どだい、裁判にならない。

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2016年5月13日 (金)

電柱

News & Letters/485

大地震・大津波が発生したとき、人は海岸から遠いところ・高いところに避難するために家を出て道路に出て走る。徒歩で、車や自転車で、押し荷車にすがって逃げる。
しかし、擁壁や電柱が倒れて道がふさがれてしまうと避難場所へ移動できない場合が出てくる。

とりわけ、長い電柱が道路を完全にふさぎ避難者の逃走の邪魔になる。
電力会社が設置している電柱はほとんどが道路沿いに地面に打ち込んである。
大概はコンクリート製で木製の電柱は影をひそめた。

だから、道を電柱が塞いでも、これをチェンソーなどで切断して道を開くことはできない。
かてて加えて、電力会社はその電柱の副え柱は道路と反対側に据えているから、電柱が倒れるときは道路の方に向かって倒れるようにしてある。すなわち電力会社は、地震や突風の折には、公の道路を占拠して倒れるように電柱を建ててあるのである。この電柱の建て方は不法行為ではないか。

しかも、これによって甚大な被害を住民に与えるのである。
お年寄りや足腰の弱い人はどうしても車に乗せて避難させねばならない場合が多い。
電柱が道路をふさいでは、柱や電線が避難路を封鎖させる。
   
     四国電力など電力会社、国等へ申し入れ

1、電柱を道路沿いに建てるのはやめろ。畑でも田圃でも山でも人畜無害の場所に建てる    べきだ。

2、地震などの時に電柱が公道側に倒れるような副え柱はやめろ。災害時に公道を占拠す    る設計の電柱は直ちに是正せよ。

3、道路沿いに建てる場合でも、それが倒れるときには道路と反対側かまたは、道路と並    行に倒れるように設置すべきだ。だから、電柱の副え柱は道路にむかってその反対側    に据えてはならない

4、道路を管轄する国、県、市町村は、電力会社に対し、災害時に公道を不法占拠する可    能性のある電柱について可及的速やかに是正措置を取るように命令せよ。

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2016年5月12日 (木)

戦争放棄

News & Letters/484

日本国憲法9条の第1項は戦争放棄を掲げている。これについては2つの解釈がある。
ひとつは、この条項は侵略戦争を放棄しているのであって、自衛戦争は放棄していない、という解釈だ。

もう一つは、この条項は理念であって現実は別だ、という解釈だ。
侵略戦争を放棄するというのは戦前の不戦条約から始まっていて何も新しいことではない。
しかし、日本国憲法9条の戦争放棄の意味がそれにとどまるものではないことが第2項の武装放棄と軍隊の放棄の規定であり、それによって戦争放棄の戦争が自衛戦争も含むという事が明確にされたのである。

そして、この戦争放棄の規定が、理念だ、理想にすぎないという解釈については、憲法制定当時の歴史的事実を歪曲するものであると言わねばならない。

この9条を発案したのは、当時の総理大臣であった幣原喜重郎だ。
このことは幣原自身が自認している。その理由は、日本の侵略戦争に対する世界の非難、国民の悲嘆をかわし、慰藉するためには、二つのこと、すなわち戦争放棄と天皇の人間宣言が必要だと言っている。

幣原は、日本の戦争能力と天皇を神だとして天皇のためなら何でもするという国民性が恐れられていると痛感したから、日本国憲法でそれについての危惧を解消すること、日本はもうたこくみんをおびやかしはしないということを闡明しようとしたのである。この幣原の憲法に込める意向は、マッカーサーも了解し昭和45年頃に連合国軍の対日理事会やアメリカ議会でも証言し、自衛権による戦争の否認を憲法化することを明らかにした。
そして、次の総理大臣の吉田茂も国会で数度にわたって日本国憲法は侵略戦争はもとより自衛戦争も禁ぜられていることを言明した。

マッカーサーはもとより吉田茂もやがて日本に軍隊を作り自衛戦争を肯定させていくのであるが、憲法を制定した当時は本気で自衛のためでも軍隊や戦争は否定していた。
要するに戦争放棄、非武装は憲法の理念であると同時に日本国の現実の政策として選択されたのである。

それは、日本国が、アジア人民に与えた深刻な被害と日本国民に強いた犠牲の反省から出てきたものであり、日本民族が死滅にも値する罪に対する償いの証であった。何千万人もの無辜の他国民を死なせた罪に対して許しを乞うた証だ。

その証が認められたからこそ今我々が生きている。憲法9条は信頼回復の方策であり、そのおかげで国際社会で認められ、戦後を復興してきた。それを、憲法9条をないがしろにしては、日本人民は生き永らえる権原はない。

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2016年5月 5日 (木)

続高知新聞「自民党改憲案」下

News & Letters/483

前回、高知新聞は民主主義の原理が「欧米などの民主主義国」特有の「価値観」であるかのような表現をし、自民党改憲案が安倍が標榜する「価値観外交」から外れ欧米民主主義国の「普遍的価値観から外れた「異質な国」と見られる恐れ」を危惧していた。

しかし、自然法(自然権)思想を築いた思想家は確かに欧米の人間であるが、その法源は聖書、イエス・キリストの言葉にあるとしている。イエス・キリストはいわゆる欧米の人間ではない。

天賦人権は、人類の発生から始まっている。古代の奴隷にも、現在の日本国民にも生まれながら備わっているものである。
江戸時代の思想家安藤昌益が「自然真営道」で描いた世界が天賦人権の平和と自由の世界に他ならない。
決して安倍や高知新聞が言う欧米民主主義国だけの「価値観」などというものではない。


1、 高知新聞の限界は、5月3日の社説、憲法9条をめぐる議論に露呈された。
 社説は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」という文言を自民党が「ユートピア的発想」として捨てたことに関して、「理想論といえばその通りかもしれない」とか、「平和への志」という評価をする。しかし、この憲法前文の文言は、単なる「理想論」や「志」というものではない。
 それは、非武装非戦主義を現実の国際社会で戦略として打ち出したものであり、極めてポリチカルな方針なのである。

 実際にその非武装非戦主義で激動の戦後70年を通そうとしてきたのである。現実には非武装という点は完全に崩れたのであるが、少なくとも憲法上はそうであった。自衛隊という軍隊がなくとも米軍以外は誰も日本を攻めたり占領しようとはしなかっただろう。

2、社説は「今や世界有数の実力を保有し、災害時などに活躍する自衛隊を憲法でどう位置づけるかは、改めて議論してよいだろう。」という。これは要するに自衛隊の存在を前提として憲法改正の議論をするlべきだということになり、問題はただ自民党が目指す集団的自衛権の行使を認める所までそれを発展させるかどうか、という事に絞られる。
 高知新聞は、専守防衛の線での自衛隊の存在を憲法改正で積極敵に認めろという事になるであろう。
 自衛隊の存在と現行憲法9条の第2項第3項は明らかに矛盾するからである。
 その矛盾を高知新聞は、現状の是正ではなく、憲法の是正の方向に誘導しようという考えである。

3、憲法9条の内容はおおむね3つに要約される。

① 国際紛争の解決のために国権の発動として永久に戦争をしない。そのため武力による威嚇、武力行使はしない。

② ①のために陸海空その他の戦力はこれを保持しない。

③ 国の交戦権は、これを認めない。

②、③の条項は、戦争放棄の①の条文を担保するために設けられたものであり、①②③は一体のものとしてきりはなすことはできない。憲法9条は、「理想」とか理念とかではなく、リアルポリッティクスの政治的方針であり、憲法制定当時に日本国民は選択的に、日本はこれでいくと決心したのである。

 なぜ非戦非武装の道を選んだのか。
 それは憲法前文にも書いてある通り、「日本国民は自ら進んで戦争を放棄し、全世界に正義と秩序とを基調とする永遠の平和」を実現しようとしたからであり、それは何よりも「政府の行為により再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」し反省したからである。

 のちのちの日本人が憲法9条の非戦非武装の規定の理由とその決意を忘れないようにそのことを憲法前文に書き記したのである。アジア太平洋戦争の原罪を背負いその償いの勤行として9条は設定された。このことを忘れてはならない。

 この9条によっていかなる苦境、如何なる苦難があろうともわれわれは覚悟してこれを憲法に入れた。その我々の苦難などは、先のアジア太平洋戦争で犯した罪、未曽有の不幸と悲しみをアジアの人民に与えた事実に比べれば、些々たるものに過ぎない。

 自衛、自国防衛の戦争も許されないというのが憲法9条の定めだ。それはそもそも、日本の生命線だ、自衛の戦争だとかいって、中国や朝鮮、台湾は元より旧満州やモンゴル、インドネシアやフィリピン、ビルマ、インドにまで自衛戦争を拡大した。軍略上は、先制攻撃こそ最大の自衛であって、世界を平らげるまでは、安心できない。

 緊急事態は、何も外から急に迫ってくるのではない。盧溝橋事件などに見るとおりほとんどすべては日本軍がでっちあげて全面戦争に発展させた。歴史は繰り返す。
 昔は軍部や警察が怖かったから、何も言えなかったが、今は何を恐れる?死は何も怖くはないぞ。日本国憲法を踏みにじり祖国を再び敗亡の惨禍に引きずり込もうとする連中に何の遠慮がいるものか。 

4、自民党案の9条には確かに「戦争放棄」がはめられている。しかし、それには、アジア太平洋戦争の反省はひとかけらもなく、したがって、その9条の第2項の自衛権の規定、次条9条の2の第1項第2項の国防軍規定、さらに98条、99条の緊急事態宣言等によって、形ばかりの戦争放棄条項も完全に換骨奪胎されるのである。
 
 高知新聞には、自民党改憲案の98条・99条の緊急事態宣言の条項について言及していない。
 この条項は、自民党改憲案の核心に盛られた毒薬であって、これによって自民党は、侵略戦争開始とそのための場内平和のために国民の基本的人権の圧殺を一挙に達成しようとしている。
 なぜ高知新聞はこの条項の存在を問題にしないのだ。

5、最後に高知新聞社説は「私たちは憲法を「不磨の大典」とは考えていない。」、改正はいいが改悪はいけない、などという。
  要するに高知新聞は憲法改正はいいというのである。

 現行憲法は、特にその9条の存在によって「不磨の大典」となっている。
 確かにいろいろ物足らないものもあるであろう。しかし、国民主権と基本的人権がこれほど明確に確立されている憲法はほかにどこにもないであろう。足らないものは法令や判例で補えばよい。イギリスのように判例ばかりで憲法のない国もあるぐ
 らいだ。「…これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」という文言によって現行憲法の不磨性、至高性が明瞭に宣言されている。
 何よりも、国家として戦争放棄、非武装、の徹底した平和主義がその至高性を保証している。

 このような理念を現実の政治的方針として掲げる国はどこにもない。
 その素晴らしい不磨の大典の理念を、日本の昔の暗い「伝統」・・・戦争と圧政と差別と貧困の伝統に替えることは断じて許してはならない。それはダイヤモンドや金玉の宝石を、瓦礫と替えるに等しいのである。

6、自民党の改憲の動機は、表向きは現行憲法はアメリカによる押しつけだから、という事であるが、真実はその逆である。
 アメリカに、より一層隷従するために、アメリカの帝国主義的戦争行為に従軍するために、9条の廃止と国内整備が本当の動機である。そのことは安保法案の国会議論で全部明らかになった。日本のマスコミもわかったはずだ。

 アメリカに随従するために自国民を犠牲に供する。TPP参加も同じ目的だ。
 自民党の改憲策謀は売国行為であり、日本歴史上の恥部である。
 日本人民は、沖縄をはじめ日本を今なお占領し侵略している本当の敵は、アメリカ帝国主義であり、それに隷属を深めるために憲法を投げ捨てようとしている自民党の醜悪な姿を直視するべきである。
 
ただし、付言するが、戦争や武装の放棄は、それはあくまで国家段階のことであって、国民が圧政に対し又は外敵の侵略行為に対し武器を持って立ち上がることは禁止されていない。

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2016年5月 4日 (水)

続 高知新聞の社説 「自民改憲案」中、下

News & Letters/482

 高知新聞の昨日5月2日の社説「自民改憲案」中 は概ねいい内容である。
 個人の尊厳を核とする基本的人権が、自民党によって台無しにされるという指摘はその通りである。

 天賦人権説は人類が到達した最高の民主主義の核心であり、如何なる政体が登場しようとも奪う事の出来ない
 人間の権利を明らかにしたものである。その法源は聖書にあるとされるから神聖(sacred)なのである。

 ジョン・ロックなどの著作では、生存権を基盤とする基本的人権と人民主権は神から託された神聖な信託物なのである。 
 この自然法(自然権)の神髄は、日本国憲法前文の全面に印刻されている。
 前にも書いたように、「国政は国民の厳粛なる信託によるものであり、・・・」という文章の元になる英文は、
Government is a sacred trust of the people ・・・となっていた。

sacred というのは、厳粛と訳されているが、厳粛ならば、solemn とでもいうべきであり、本来 sacred は神聖と訳すべきである。また trust はもちろん動詞ではなく a という不定冠詞がついているから普通名詞で信託物=宝物という意味である。だから、ここの文章は、「国政(行政)は、人民の保有する、神から授けられた神聖なる信託物であり・・・」というのが原義であろう。

自然法の法源が奈辺にあるかは別として人民主権や基本的人権はマルクスやエンゲルス、レーニン、トロツキー、ゲバラ、南アのマンデラ、インドのガンジー、中国の孫文・・・・・にとってもその政治思想の根幹であり大前提であった。
高知新聞は、立憲主義や基本的人権をうたう憲法前文の思想をあたかも「欧米などの民主主義国」特有の価値観であるかのようにして、対中国敵視の安倍の「価値観外交」を批判しているが、それは浅はかな民主主義の理解だ。

日本国憲法前文の「人は生まれながらにして・・・」は、洋の東西を問わず人類普遍の原理であり、欧米のみならずアジア・アフリカ全世界の戦う人民の思想であった。
本来、基本的人権は、日本民族も原始社会から市民社会に移行する後あとまで、常に根源的に保有していたものである。

古代・中世・現代と日本や各国人民のその自然権は圧政者により奪われ続けてきたにすぎない。日本人民は、現行憲法によって、戦後初めてその自然権を獲得した。

安倍政府は、アベノミクスのトリクル ダウン(tricle down 又はtricle upであろう)政策の目くらましによって、国民の頭をまひ状態にして、この自民党憲法草案によって自然権という神聖なる宝を盗奪しようとしているのである。
                    続く・・・・

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2016年5月 1日 (日)

高知新聞社説【基盤の立憲主義が揺らぐ」

News & Letters/481

平成28年5月1日高知新聞の朝刊社説で自民党の憲法改正案に対する批判がなされている。

その意図するところはいいのであるが、批判が緩いし、現行憲法についての理解が浅い。
現行日本国憲法前文の最大の主眼は、①第一に、国民主権の強調であり、②第二に国政の目標が反戦平和主義、自由平等など国民の基本的人権の実現、③第三に、これ(憲法)に反する権力の行使、立法、詔勅類の廃止をうたっている。

前文では、権力に対して法の支配そのものをは直接的には対置し表現していないが、それは③によって、担保されている。

だから、日本国憲法の立憲主義は①と②と③の全体が一体となっているのである。
①②③のどの一つが揺らいでも憲法の立憲主義の趣旨は揺らぐ。すなわち①②のために憲法を制定するというのが現行憲法制定の趣旨であり、③そうでない憲法や法令は認めないというのが立憲の本旨である。

立憲主義が平和主義や基本的人権などと分離・並立して論ぜられないように構成されているのである。

立憲主義でいうなら明治憲法も一応立憲主義の建前を取っているのである。
問題は、誰のため、何のための立憲かである。

自民党案の前文は第1に「国民主権」の言葉は一つ挿入されているがその内実がなく、それが天皇元首の下に据えられている。

第2に先の戦争への反省、反戦思想が欠如している。

第3に基本的人権という言葉があるがその内実がなく、それも政府ではなく国民の義務となっている。第4に国民に義務付けはあるが、政府の方に何の規制もない。第5に、憲法制定の目的趣旨を、日本の「伝統」と国家の存続においていて、戦争の廃絶、飢餓からの解放、政府による圧制からの人類の解放など現行憲法の趣旨を没却した。彼らが言う日本の「伝統」というのは圧政の伝統である。

それは、上掲現行憲法の①②を実現するための憲法ではなく、立憲は立憲であるが、国民のための憲法ではなく、圧政者の都合の良い立憲となっている。自民党案の立憲の最大の狙いは人民主権の打倒、その盗奪なのである。

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