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2016年1月12日 (火)

民主主義のかけら

News & Letters/454

すでに述べたように、日本の戦後民主主義もルソーが唱えた民主主義と比べ天地霄壤の差がある。

ルソーは、人民主権では、立法においては絶対に代表制を認めない。直接民主主義だ。
我々の民主主義は、立法も行政もすべて代表制であり、司法は完全な官僚制だ。
人民主権はほとんど政治屋に簒奪されたままであり、選挙の時一瞬主権を回復したと思う程度である。

わずかに残っているのは、言論の自由、集会結社デモの自由と地方自治法の住民監査請求・住民訴訟制度ぐらいであり、国や企業に対する損害賠償請求などの民事上の裁判もわずかに許される。

しかし、ここ裁判所でも、官僚化した裁判官の独壇場であり、権力に逆らう者は容赦なく切って捨てられる。

それでも、ある程度、権力者の腐敗を追及することはできる。追及しても投獄される心配はない。

それらはルソーから言えばほとんど民主主義のかけらというものだろう。そのかけらを利用する人は少ない。

人民主権のかけらを拾いながら、権力と渡り合うのは、私に残された仕事であり、そして、ルソーの理想に一歩でも近づく道である。若い人はもとより、お年寄りは特に、ただ一人でも住民訴訟を提起し、法廷で権力の不正を追及して吠えることができる。

何千、何万人もの人が立ち上がれば法廷は震えわななき、民主主義のかけらもガラガラ→ごうごうと地鳴りがして圧政を打倒する武器になるかもしれない。1人でも市民オンブズマンとなって直接民主主義を実践して戦おう。

今年もよろしく     2016年元旦

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