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2016年1月 2日 (土)

続民主主義

News & Letters/453

ルソーの社会契約論のいう民主主義の重要言説を紹介すれば、
「政府は不都合にも主権者と混同されているが、実はその執行人に過ぎないのである。それでは政府とはなんであろうか。

・・・・この行為はあくまで委任若しくは雇用にすぎないもであって、その限りでは首長は主権者の単なる役人として、主権者が彼らを受託者とした権力を、主権者の名において行使しているわけであり、主権者はこの権力をいつでも好きな時に制限し、偏光子、取り戻すことができる。

このような権利を譲渡することは、社会全体の本姓と相いれないうえに、結合の目的に反するからである。ルソーは人民主権の中核として立法権を挙げ、ここに引用したように国政の委任権、首長の任免権を挙げている。

このようなルソーの人民主権の立場から、日本の戦後民主主義を照らしてみれば、

第1に、日本人民は、立法権をほとんど完全に失っている。立法権は国会議員らによって簒奪されたままである。

かろうじて憲法改正の折に国民投票が保障されているに過ぎない。
第2に、行政の委任権、行政・司法の首長の任免権をほとんど失っている。地方自治体の首長選挙がわずかに保証されているに過ぎない。

第3に、行政・司法への民主的統制権をほとんど喪失している。
かろうじて地方自治法第242条において住民監査請求・住民訴訟が許されているが、国政レベルでは国政を直接チェックする何の手がかりもなく、乞食の物乞い的な請願権が許されているに過ぎない。

 ここで喪失というのは、もともと日本人民が社会を形成したときに持っていたはずの原初的権利なのである。

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