心情
News & Letters/433
私は、時々少年時代に覚えた(教えられた)歌を歌っています。
庭の千草
庭の千草も 虫の音も
枯れてさびしく なりにけり
ああ、白菊 ああ白菊
ひとり遅れてさきにけり
露にたわむか 菊の花
霜におごるや 菊の花
ああ、あはれあはれ
ああ、白菊
人のみさをも かくてこそ
最近特にこの歌の意味が身にしみて理解できるような気がする。
かつての同志は多くが年老いあるいは死去した。
私は一人残っても、最期まで闘って生き抜かねばならない。
また、少年時代には軍国主義教育の名残を持った母親から、母親が覚えている小学校唱歌などを教え込まれたものである。
楠正成の青葉茂れる桜井の・・・の唱歌や 見よ東海のそら空けて、旭日高く・・・皇国とわに栄えあれ の歌など・・・・
愛国少年に育てられたのであろう。その愛国の熱が転じてマルクス主義学徒になったのである。
親が教えてくれた唱歌の中で今しみじみと感ずるのは、南北朝戦乱時の人「児島高徳」という唱歌である。
船坂山や杉坂と
み跡慕いて 院の庄
微衷をいかで聞こえんと
桜の幹に十字の詩
天勾賎を空しゅうするなかれ
時にはんれい無きにしも非ず
私にとって忠誠を尽くす相手は勾賎や南朝の後醍醐帝ではなく、人民である。
天プロレタリアを空しゅうするなかれ
時にレーニン無きにしも非ず
墨痕淋漓、桜の大木に私はこう書きたい。
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