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2015年8月 8日 (土)

続々「革共同政治局の敗北」

News & Letters/429

ラーヤや梯的なマルクス主義の理解・プロレタリアの自己運動としての革命運動が反スターリン主義の原理なのである。
だが、「革共同政治局の敗北」の著者らは次のように言う。

端的にいうと、党における「民主的中央集権主義」・・・・は官僚的抑圧の論理に逆転するということである。

つまり・・革命党派には官僚主義・権威主義が発生しやすく、指導ー被指導の関係のうちに支配と服従の論理が強く働く。「民主的」は空語化される。それゆえそれは、革命党派の属性といわなくてはならない。

官僚主義は革命党派の属性だというのである。このような考えでは反スターリン主義を掲げることが欺瞞となる。

官僚主義がその組織の属性であるのはひとりスターリン主義だけではなくあらゆる既成の宗派や党派、行政組織がそうなのである。
この問題にもっとも深刻に取り組んだのはドストイェフスキーとN・Aベルジャーエフであろう。

私は大学に入ったころベルジャーエフを耽読していた。特にその著作「ドストイェフスキーの世界観」である。

「カラマーゾフの兄弟」の中で有名な、大審問官物語という一節がある。ドストイェフスキーはロシア革命の後登場したスターリン・大審問官を予言したのであろう。大審問官は、民衆は愚昧であり真理を認識し得ない、自由にさせておけば混迷の中でついに真理に到達できない。だから大審問官は民衆から自由を奪いそれに真理を強制して幸福に導く、それに異を唱えるものどもは殺すというのである。これが官僚主義の真骨頂でありスターリン主義の精神構造なのである。

この精神構造「革共同政治局の敗北」の著者が言う「属性」を打破する思想がマルクス主義なのである。
真理と自由の二つの概念を対立的にとらえるのではない。真理は天と地との間に漂っているのではなく、プロレタリア大衆の生活と戦いの中に展開しており、プロレタリアの自己運動(自由なるそれ)こそが真理なのである。
ヘーゲルは精神現象学で言う。「結果とは躍動せる傾向を背後に残してきた屍である」→
若きヘーゲリアンのマルクスはいう。「真理とは真理にいたるその道程もまた真理である」と。

マルクス主義者にとっての真理は、プロレタリアの自己運動だ。プロレタリア革命に至る戦いの道程がわれわれの真理である。

大小の大審問官たちが反帝国主義・反スターリン主義をいくら叫んでもマルクス主義からどんどん遠ざかりその正反対に墜落するのである。解放の哲学も→圧制と排除の哲学に変貌する。

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