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2015年8月

2015年8月24日 (月)

心情

News & Letters/433

私は、時々少年時代に覚えた(教えられた)歌を歌っています。

     庭の千草

  庭の千草も 虫の音も
  枯れてさびしく なりにけり
  ああ、白菊 ああ白菊
  ひとり遅れてさきにけり

  露にたわむか 菊の花
  霜におごるや 菊の花
  ああ、あはれあはれ
  ああ、白菊
  人のみさをも かくてこそ
                
 最近特にこの歌の意味が身にしみて理解できるような気がする。
 かつての同志は多くが年老いあるいは死去した。
 私は一人残っても、最期まで闘って生き抜かねばならない。

 また、少年時代には軍国主義教育の名残を持った母親から、母親が覚えている小学校唱歌などを教え込まれたものである。

 楠正成の青葉茂れる桜井の・・・の唱歌や 見よ東海のそら空けて、旭日高く・・・皇国とわに栄えあれ の歌など・・・・

 愛国少年に育てられたのであろう。その愛国の熱が転じてマルクス主義学徒になったのである。  

 
  親が教えてくれた唱歌の中で今しみじみと感ずるのは、南北朝戦乱時の人「児島高徳」という唱歌である。

    船坂山や杉坂と
    み跡慕いて 院の庄
    微衷をいかで聞こえんと
    桜の幹に十字の詩
      天勾賎を空しゅうするなかれ
      時にはんれい無きにしも非ず  
  
 私にとって忠誠を尽くす相手は勾賎や南朝の後醍醐帝ではなく、人民である。
      天プロレタリアを空しゅうするなかれ
      時にレーニン無きにしも非ず

                       墨痕淋漓、桜の大木に私はこう書きたい。

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2015年8月23日 (日)

小池議員が暴露した自衛隊内部文書

News & Letters/432
 自衛隊内部文書
 70年前の「大東亜戦争」は板垣ら関東軍幹部と吉田茂ら戦争推進外務官僚らが柳条湖事件などでクーデタ的に突出し、天皇ヒロヒト・近衛首相らを引きずりこんで中国など全アジアに侵略的戦乱を拡大したものであった。
満州事変は中国侵略の一大契機となったが同時にそれは一部関東軍の日本国の主導権を握るクーデタであり、その既成事実で日本の以後の政治的軍事的形勢を決定付けるものとなった。
 武器や作戦や突撃だけを教育された狂信的かつ無教養な軍人たちが、日本国の死命を制し日本をほとんど滅亡させたのである。実際に滅亡しなかったのは安倍晋三が言うように中国など相手国のお情けがあったからだ。
 
 かつての関東軍の板垣や石原らがやったことを、戦後70年たった今自衛隊がやろうとしている、ということが国会で暴露された。 一部の軍人ではなく統合幕僚監部がやっていた。
 その文書は「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)及び平和安全法制関連法案について」と題するものである。それは、超法規的にアメリカ軍と締結した軍事同盟ガイドラインに合わせるために「・・・幅広い後方支援等を実際に実施するためには、関連法案の成立が必要となります。」とか
 「・・・実際の活動・行動のためには、平和安全法制関連法案の成立を待つ必要があります。」、とかいう風に
実践向きの戦争法の制定を現役の自衛隊幹部が要求しているのである。政府は前例を弊履のごとく破ってその要請に喜んで応じている。憲法の存在よりも強大な軍事力の無言の圧力のほうが優勢なのである。
 すでに自衛隊幹部は戦争と平和という最も重大な政治の主導権を握っている。
今回の法案成立で彼らは、国内はもとより海外でも武器使用・武力行使の自由を得ることを要求し、これが認められること、戦争法案が成立すれば、一気呵成に「満州事変」を実行する魂胆である。このまま安倍政権が続けばその日は近いであろう。

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2015年8月16日 (日)

安倍談話・血債の思想

News & Letters/431

1、血債というのは、侵略者である日本人がその加害行為による結果について中国・朝鮮などアジア諸国人民に対し、金や財産はもとよりその肉体と血でもって返済する・償う責務がある、また、アジア諸国人民にはそれを要求する権限がある、ということである。

この言葉自身は中国の有名な作家の造語であるといわれるが、日本が犯したアジア太平洋侵略戦争に対する責任の言葉として最も痛切で重いものであろう。この血債は1世代や2世代で消えるものではない。戦後われわれ日本人はほとんど何の償いもしていないから、この血債はほとんどそのまま次世代である我々や安倍にも回されている。戦争に関与していない次世代にはもう謝罪は終わりにしたいなどと安倍談話で言っていたが、それは安倍自身の本音であろう。数年前自民党の有力女性議員がそれと同じ破廉恥なことを言って物議をかもしたが、安倍はそれを安倍談話で堂々と発表した。

しかし、国家や国民はその国土を継承する以上負債も継承する。
血債を逃れたいのであれば日本列島というこの国土とその上に築いたすべての財産や文化をを継承する権利を放棄しなければならない。利権は継承するが負債は継承しないというのは人間の道に反する。
血債の思想というのは何も仰々しいことではない。恥を知る人間として当たり前の道義なのである。

三光作戦という苛烈な殺戮と略奪と破壊、そして女性の性奴隷化をアジア全域でやった日本人が、そしてその子孫が、謝罪しない、血債を償わないというのは、国土を継承してそこで暮らさないということであって、すなわち亡国なのである。日本列島に居座る資格はない。

2、私が幼少年のとき、貧しい我が家が時には親戚の男たちの酒盛りの場となった。裸電灯一つの狭い家屋であるからすべて聞こえる。その酒盛りでの叔父たちの話は戦地での思い出であった。何せまだカーキ色の軍隊服を着て生活をしていた連中である。

その話は惨憺たるものであり軍隊内の確執などもあったが、盛り上がるのは中国戦線でいかに中国人を殺戮し、食糧を奪ったかという内容であった。軍の幹部が戦争をやったということも事実だが、日本人の兵卒も戦争をやり、他国民を虐げ殺してきたのである。
侵略行為は私の親しい肉親たちが実際にやってきたのである。その者たちによってはぐくまれた私にその付けが回ってきたとしても不思議ではない。私は彼らの土地と家屋に住んできたのである。

3、私たちがプロレタリアである、部落民である、女性である・・・ということだけで生活し、闘争するだけではすまない。
我々は血債を背負い、また、そのままでは血債を増やす可能性のある立場にある、そういう自己意識と、その特殊帝国主義段階の政治経済的状況(レーニンの帝国主義論」の把握が必要なのである。

いずれにしても大東亜戦争を肯定した安倍談話には安倍自身の次世代はもうこれ以上は謝罪したくない、償いはしたくないという言葉も挿入された。安倍のエピゴーネンやエチェロン達が胸をなぜ下ろしたというのもむべなるかなである。

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安倍談話

News & Letters/430

今日夕刻発表された安倍談話はきわめてペテン的で現代・未来の戦争と過去の戦争の歴史を肯定した。

戦後50年目の村山談話と比べると明瞭であろう。

①先の戦争の肯定
日本が「先の大戦」を引き起こしたのは、世界恐慌と欧米列強の経済のブロック化により→日本が「打撃」を受けそれを打ち破るため「力の行使」に至った、という。日本は、欧米による「新しい国際秩序への挑戦者」となった。
これでは日本は被害者であり、挑戦者という英雄的な存在であって、やむをえない戦争だった、ということになる。
国策を誤ったとか何とか言ってもこのような考えでは「大東亜共栄圏」建設の国策はやむをえないではないかという理解を期待している。

②アジア諸国の人々への加害についても、
 「中国、東南アジア、太平洋の島々など戦場となった地域では、戦闘のみならず食糧難などにより多くの無辜の民が苦しみ、戦場の影には・・・・」などと、誰の責任でそうなったかわけのわからない話にしている。
 ここは日本軍の侵略の結果、戦場とされ、食糧が奪われ、女性が犠牲にされたのであるが、戦闘のみならず食糧難」で犠牲になったといえば、日本の責任は消えてしまう。戦闘行為をした者双方が悪い、侵略とは関係のない「食糧難」で多くが死んだんだ、と理
 解してもらいたいのである。要するに侵略とその被害というのはなかったのだということにしたいのである。

③「事変、侵略、戦争、いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。という。
「もう二度と・・・」というのだから一度はあったということを否定しないということであろう。
しかし、「侵略」という言葉が、「事変」や「戦争」と並列される意味が知れない。
 安倍は満州事変とか北支事変をもって、「事変」→「侵略」→「戦争」という風に理解してこの三語を並べたのであろうか。
 安倍の意識では、「事変」は旧軍的扱いでは「侵略」ではないし、「戦争」も上掲①のように正義の戦争である。 
「侵略」というのも「事変」や「戦争」のなかで一部にあったということで片付けたいのであろう。
 「事変」や「戦争」が侵略であったとなどということは絶対に認められない、ここが安倍談話の大事なところだ。

④「植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利・・・」という。
 しかし、安倍談話は、日本が朝鮮や台湾、旧満州などを植民地支配したという事実については一言も語らず、100年前の欧米列強の植民地支配のことしか言わないのであるから、欧米に対するアジア・アフリカの「民族自決」ということであり、旧軍部と同列の意識しかないのである。安倍談話では、朝鮮や台湾に対しては、植民地支配、侵略や戦争の対象としては認めていない。

 中国に対して謝っても朝鮮に対しては謝罪しない。朝鮮に対する植民地意識が残っていると考えられる。
 旧満州国も表の看板では「民族自決」の見本であった。
 安倍は歴史から教訓を汲む。
 かくて、大東亜戦争肯定を明らかにした安倍談話は、「積極的平和主義」の旗の下、戦争法案の強行、集団的他衛・米帝軍事従属路線を突き進む。

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2015年8月 8日 (土)

続々「革共同政治局の敗北」

News & Letters/429

ラーヤや梯的なマルクス主義の理解・プロレタリアの自己運動としての革命運動が反スターリン主義の原理なのである。
だが、「革共同政治局の敗北」の著者らは次のように言う。

端的にいうと、党における「民主的中央集権主義」・・・・は官僚的抑圧の論理に逆転するということである。

つまり・・革命党派には官僚主義・権威主義が発生しやすく、指導ー被指導の関係のうちに支配と服従の論理が強く働く。「民主的」は空語化される。それゆえそれは、革命党派の属性といわなくてはならない。

官僚主義は革命党派の属性だというのである。このような考えでは反スターリン主義を掲げることが欺瞞となる。

官僚主義がその組織の属性であるのはひとりスターリン主義だけではなくあらゆる既成の宗派や党派、行政組織がそうなのである。
この問題にもっとも深刻に取り組んだのはドストイェフスキーとN・Aベルジャーエフであろう。

私は大学に入ったころベルジャーエフを耽読していた。特にその著作「ドストイェフスキーの世界観」である。

「カラマーゾフの兄弟」の中で有名な、大審問官物語という一節がある。ドストイェフスキーはロシア革命の後登場したスターリン・大審問官を予言したのであろう。大審問官は、民衆は愚昧であり真理を認識し得ない、自由にさせておけば混迷の中でついに真理に到達できない。だから大審問官は民衆から自由を奪いそれに真理を強制して幸福に導く、それに異を唱えるものどもは殺すというのである。これが官僚主義の真骨頂でありスターリン主義の精神構造なのである。

この精神構造「革共同政治局の敗北」の著者が言う「属性」を打破する思想がマルクス主義なのである。
真理と自由の二つの概念を対立的にとらえるのではない。真理は天と地との間に漂っているのではなく、プロレタリア大衆の生活と戦いの中に展開しており、プロレタリアの自己運動(自由なるそれ)こそが真理なのである。
ヘーゲルは精神現象学で言う。「結果とは躍動せる傾向を背後に残してきた屍である」→
若きヘーゲリアンのマルクスはいう。「真理とは真理にいたるその道程もまた真理である」と。

マルクス主義者にとっての真理は、プロレタリアの自己運動だ。プロレタリア革命に至る戦いの道程がわれわれの真理である。

大小の大審問官たちが反帝国主義・反スターリン主義をいくら叫んでもマルクス主義からどんどん遠ざかりその正反対に墜落するのである。解放の哲学も→圧制と排除の哲学に変貌する。

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2015年8月 7日 (金)

続・革共同政治局の敗北

News & Letters/428

「革共同政治局の敗北」の登場は衝撃的であろう。

多くの関係者がこれを読んで、自分自身の過去及び現在について思いをめぐらすであろう。
前回に問題にした革共同の墜落の原因について本書は表面的な素描しかなしえていないと私は書いた。

清水や中野、塩川、与田等々の個人的な問題としては出されているが、根本的な原因の解明は出来ていない、と私は考えている。

本多さんが生きておればこのような事態にはならなかったのか、である。
第1の問題は、前衛党についての考え方だ。

私は本多を含め革共同の革命党としての自覚において、スターリニスト的体質を払拭できなかった、というよりより激しい闘争の中で一層スターリニスト的体質を純化させた、と考える。それは日共やカクマルらと同等かそれ以上にである。

それは結局日本的には梯明秀の主体性哲学、アメリカのラーヤ・ドウナエフスカヤの思想をネグレクトしそれと正反対に位置する。

卑俗に言えば藤本進治的前衛意識(大衆は馬鹿だからこれを引きずりまわす、 「革命の哲学」)を強烈に志向してきた、その破産的結果が今日の革共同の崩壊現象の根因であろう。
前衛とは大衆の先頭に立って弾にあたって死ぬことだ。大衆の後ろに隠れて大衆を操るものではない。

梯明秀とラーヤはマルクス死後最大のマルクス主義哲学の泰斗である。
プロレタリアの主体性、自己意識、自己運動を視座にすえてスターリニスト的前衛思想を根底から否定した。

マルクス主義こそがスターリンや毛沢東など大小のスターリン主義的官僚支配を打倒する原理論を持っていることを示した。
中核派は二人の偉大なマルクス主義思想家を無視しあざ笑った。それはマルクス主義の原理を否定しあざ笑ったのと同じであった。

マルクス主義は人民の自由と解放の哲学であって、大衆を引き回したり異説を唱えるものをテロで圧殺する思想ではない。

清水や野島、中野、塩川はもとより、本多延嘉でさえもマルクス主義哲学を体得しそれを運動の中に根付かせようとはしていなかった。初期マルククスの思想、マルクス主義の原点、滴るような革命的ヒューマニズムに無関心だったのだ。
初期マルクスの著作について本格的に学習したり論議に上るというようなことはついぞなかった。

その結果、大衆運動の自己運動ではなく、スターリニストとしての官僚的特権の自己運動が優先し、大衆運動を圧殺して省みない体質が構築されたのである。

そのことは本書「革共同政治局の敗北」の著者たちも同様であろう。

81年革共同第5回大会の議案についてのコメントでこの著者は「そこには世界史的・人類史的な課題である原発ゼロ化、核戦争廃絶もなければ・・・・・」といい、「第5回大会路線が内包する誤りがより端的に現れたものが、反原発闘争の軽視と放棄であった。・・・・政治局は、反原発という人類史的テーマの綱領的・戦略的な解明の戦いに背を向けていたのである。」という。

< div>なぜ「前衛党」ともあろうものがこのような致命的な誤謬を犯したのか、2011年の福島原発の破局まで反原発闘争に動かなかったという重大な過ちの根因は、何か。
それは、誰が前衛なのかという根本的な問題なのだ。決して「前衛党」を自称している連中が前衛なのではなく、大衆こそが前衛であり、それについて学習し大衆の戦いや願いを自己の戦略にすえていくという党としての思想性の欠如なのである。

真理は、誰か革命家か天才が発見するのではない。あらかじめ大衆の中に、その生活や戦いの中に用意されていなければ見つけることもできないのである。反原発闘争は全国各地で戦われていた。戦いを始めていた住民たちが前衛なのだ。それの意義を学習することが出来なかった「前衛」ははるかな後衛であり、追従でしかない。

傲岸なスターリニスト的前衛思想を捨てて、真実のマルクス主義の原点に返ること、大衆の自己運動、それがラーヤ・ドゥナエフスカヤの主唱したマルクス主義であった。

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2015年8月 6日 (木)

革共同の敗北

News & Letters/427
私は今「革共同政治局の敗北」という本をほとんど読んだところである。
衝撃的な内容であるが、私が抱いていた革共同中核派の幻滅的イメージの具体的な姿を鮮やかに見せてくれた。革共同にすこしばかりは関係し「前進」や「イスト」などに論文を書いたこともある私としても第三者的に見過ごすことはできない。
革共同は日本人民の希望であり宝であった。それは憲法9条を人格的に表象した存在そのものであった。
この本の読後感想を書いてみる。
1、この本では革共同の崩壊する内容と過程が現象的に表出されているが、
  その根因的な要素が何なのかはっきりしていない。
  すなわち何故革共同は今日の状況にまで墜落したのかその理由が明確に出さ 
  れていない。清水丈夫や中野洋らの個人的な問題ではない。
2、筆者ら二人は自ら革共同の「左派」だと規定しているが、何を基準にしての左派
  なのかはっきりしない。
3、革共同崩壊の決定的な契機となった6年3・14テロ事件の内容がかなり分かったが、  その舞台の二人の主人公塩川と与田について筆者である水谷、岸元政治
  局員はその二人についてほとんど知らないだろう。
  今度の本では、この二人のテロ・リンチ事件(塩川が加害者で、与田が被害者)
  が革共同崩壊の引き金となったと位置付けられている。  
   しかし、この「3・14Ⅱ」事件より30数年前、一つの反革命行為があった。
  かつて塩川と与田は共同して、澤山に対して反革命暴力(殺人未遂事件)を起こ 
  した張本人にであった。澤山を血の海に沈めて、狭山闘争を敗北に導き、革命 
  的な部落解放の大衆運動を壊滅させた犯罪人そのものだった。
  瀕死の重傷を負わせる澤山襲撃について彼らは刑事罰はもとより、階級的な非
  難も制裁も受けずにきた。澤山が沈黙を守ったからである。  
  かつて収監されていた松山刑務所に京都地検の公安担当検事が数日にわたっ
  て澤山の尋問にやってきた。そのとき検事が証拠として手にして澤山に示したの
  は塩川の筆跡の澤山襲撃の作戦メモであった。もちろん澤山は完全黙秘を通し
  たので澤山襲撃事件では誰も有罪者は出なかったはずだ。 
  だが、その襲撃の反革命性を忘れてはおるまい。澤山は自分の書いた前進論 
  文とそれと根本的に相違する秋口論文(部落問題解消主義に通ずる理論)に対 
  して異を唱えただけであって、革共同に対して何一つ敵対した行動はとっていな
  かった。戦闘的な部落解放運動の発展は革共同にとって貢献するものであって
  何らの障害になるものでもなかった。澤山は激しい新しい解放運動の開拓のた
  めに革共同に対してびた一文も援助を乞うたこともない。狭山や諸闘争で全ての
  動員費用は部落研内のカンパと澤山の家族が負担したものだ。
  かつて全国部落研や戦闘同志会を創生し、各地の部落青年とともに激しい差
  別実力糾弾闘争に立ちあがり、中でも狭山差別裁判糾弾闘争をその先頭で戦っ 
  ていた同志を殺害しようとしたことの階級的犯罪性を背負った二人(塩川と与
  田)が、その襲撃事件の数十年あとで、日本人民の希望の星であった革共同を
  終焉させる、その契機となったおぞましい腐敗事件とリンチ事件を二人が起こし
  ていたのであった。与田は部落問題はほとんど知らなかったし、各地の糾弾闘 
  争にも一切参加していない。中核派から部落研に入り込んできただけの新参者
  であり、こんな男が全国部落研や戦闘同志会のこれまでの闘争を発展させ得る
  はずがない。果たせるかな、解放運動は武装闘争であるという原則を捨てて、新
  しい差別糾弾闘争の分野は出せず、狭山闘争も糾弾・奪還の実力闘争ではな
  く、解放同盟の公判闘争の枠の中でうごめいているにすぎないものになった。
  澤山が暴力に封殺されずに闘い続けていたら今頃は全国の解放同盟を牛耳っ
  て差別糾弾、反戦・反原発闘争の一大拠点とし、日本プロレタリア革命の砦とし 
  て解放運動を位置付けていただろう。
 私の野望は、革共同の一員の任務として、全国の部落大衆を革命陣営に引き込み、荊冠旗を首相官邸に突入、一番乗りさせることであって、革共同の党の幹部になることではなかった。  
 おそらく塩川は、私が革共同関西地方委員会を統率する地位についたり、中央政治局入りすることになるやもしれないことに我慢ならなかったのであろう。
塩川にとってはそのようなことが最大の関心事であったかもしれないが、私には党務のようなことは迷惑な負担であり、大衆闘争の発展とその中で首都に向かってへんぽんと翻る荊冠旗を見ること以上の野望はなかったのである。
そのことは塩川自身が一番知っていたはずだ。私をラーヤ主義者だとか、大衆運動主義者だとか揶揄したり非難していたのである。
与田は革命的な部落解放運動を切り開く戦いでは、理論的にも実践的にもほとんど何の貢献もない。私らを追い出し部落研の実権を握っても3日4日(1週間のうち活動は3日、後の4日はプールのある別府の豪邸で優雅に過ごしていたという)の腐敗生活では、解放運動の武装的発展など夢想だにもできない。沢山の作った解放運動をほとんど実質的に解体したのである。「革共同政治局の敗北」の著者は「3・14Ⅱ」事件の二人の主役の本当の、元の姿を知るべきである。
                            続く・・・・・・・

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