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2015年7月26日 (日)

国民の信託

News & Letters/425

憲法前文では国政は主権者である「国民の厳粛な信託によるもの」と謳われている。国民が政府に信託するものは第1に憲法やそれに基づく法令の実行であり、第2にはその時その時の国民多数の政治的意思である。

第1の場合には成文法であるから明瞭であるが、第2の場合のその時代その年度の国民の多数の願っていることについては、重層的で複雑である

普通考えられるのは選挙やアンケートなどで分かる世論であり、それに各種の社会運動や請願・陳情運動、司法の判断、マスメディア、雑誌などなどであろう。
仮に選挙で勝ったとしても、政策が全て支持されて当選しているとは言えない。
ほとんどが金権選挙である日本においてはなおさらである。

特定事案については様々な形で表れる国民多数の意思の動向を無視することは許されない。政権は、前にも言ったように政権を取ったものの意思を実行するためにあるのではない。選挙に勝つというのは、国民の信託にこたえる、国民の信託を実行する立場を確保したにすぎない。

このたびの戦争法案は、国民の大多数は誰にもこんなものを信託したわけではない。
安倍は、事の重大さがわかっていない。この法案で安倍は総理大臣として特定の国に宣戦布告の通牒権を取るということを意味している。

しかもその戦争は、敵国が仕掛けてくるだけではなく、自ら他国とともに戦争を仕掛けることも許される、というものである。ほとんど臨戦態勢だ。

選挙で国民の信託を実行するという立場を獲得しただけなのに、その国民の信託を放擲して、自分のけがれた血脈からくる好戦思想の呪いから、冷戦時代にくらぶればはるかに四海平穏な今日において新たな戦争を仕掛けようというのである。

全ては選挙制度、政府の存在の意義、民主主義をはき違えた所から始まっている。
市町村レベルでも国政レベルでも、政治を担うものは国民の多数の信託する意思を実行するのが任務であり、しかし実際には、安倍晋三らの様に政権を握ったら国民の支持率などどうでもよく、自分や自分ら政治的グループの意思を実行しても構わない、それが選挙で許されたのだという誤解が横行している。

以前はそれほどめだたなかった。岸信介の様に国民の意思をあからさまにないがしろにする政治はごく少なかった。
安倍らは選挙に勝てば、国民の多数意思実現の地位を取ったというのではなく、国民の首を取ったぐらいの途方もない誤解をしているのである。

私は憲法前文の国政の国民信託の趣旨、民主主義の根本的な原則を明確にする、安倍の様な誤解ができないような法の制定が必要であると考える。

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