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2015年2月18日 (水)

NUMOのシンポジュム

News & Letters/398

本年2月15日の高知新聞の朝刊を見て驚いた。
「東洋町 冷静議論できず」
「NUMO専務理事 説明以前に反対運動」
という見出しで前日のシンポジュムのことが写真入りで載せられていた。
高知新聞は、平成18年から19年春にかけて起こった東洋町での高レベル放射性廃棄物反対闘争のことをNUMO幹部の話だけを一方的に載せた。

 NUMO幹部の話は次の通りだ。

1、「東洋町では、突然、話が出て賛成、反対の議論が渦巻いた。」という。
 なにかNUMOが新聞記者か何かの様な言い草である。
 突然 ではない。平成18年の3月20日に当時の町長が極秘のうちに高レベル放射性廃棄物の処分地についての調査を受け入れるという申し出をした時からNUMOは東洋町に関与し働きかけを始めていた。

平成18年の8月8日には、課長補佐以上の町執行部と議員が合同で資源エネルギー庁とNUMO職員を町役場に招いて非公開の事業説明会を持っていた。
NUMOの職員は議員全員協議会などにしばしば出席し住民や議員の説得を精力的にやってきた。後になると役場の庭にパネルの小屋まで作って住民への宣伝と説得に勤めていた。反対運動が起こる前にNUMOは密かにしかも活発に工作活動を町内でしていたのである。

自分が賛成派の町長や議員らと核廃棄物を東洋町に押し付ける画策をやっていたのに、突然、話が出た、というのは一体どういうことなのだ。この核騒動のエンジンだった組織が、しらばくれのもほどがある。知らない人がこの高知新聞を読めば、NUMOは何もしなかった、何も悪いことはしなかった、と思うだろう。

人が言ったことの紹介をしただけだ、と高知新聞は開き直るであろう。しかし、取材の原則は双方から意見を聞き、双方の意見を紹介するというものだ。

2、「(議論は)住民主体ではなかった。」という。

 では、だれが主体だったのだ。住民が主体でなかったなら、NUMOや当時の町長や議会が主体だったのか。それとも反対運動で町内に入り込んできた澤山保太郎ら外部の反対派が主体だったと言いたいのか。

それも事実に反する。

NUMOらは町民を核施設受け入れに引きずり込もうとした。核賛成派の主体は町長とエネ庁やNUMOの職員と一部の町会議員や町民であった。

反対運動の主体は多数の住民と外部の反核運動家とそして周辺自治体の首長や議会であり、その中には徳島と高知の知事及び徳島と高知の県議会も入っている。しかし、反対運動の中心を担ったのは何といっても住民であり、われわれ反核活動家がやったのは情宣活動と集会や条例制定運動などの仕掛けをすることだった。

住民と高知県内外の反核活動家が緊密一体となって動いたのが大きな成果につながった。例えば高レベル放射性廃棄物反対のステッカーは私が作ったが、それを軒並みに町内に張ったのは一軒一軒の住民たちであった。
高知新聞やNUMOが言いたいのは、東洋町の核の反対議論の主体は外部の活動家であり住民は無関係だったという事であろう。

それは全く真実ではないし、住民を侮辱するものである。

3、「文献調査の申し込みがイコール処分場の決定と誤解された。」という。
 誤解などではない。では何のための文献調査なのだ。当時の町長がNUMOに応募したのは何も文献調査に限定したものではない。その「応募書」(平成19年1月25日付)の正規の文言は

「高レベル放射性廃棄物の最終処分施設の設置可能性を調査する区域について下記の通り応募します。」となっていた。そして「応募する区域」は「東洋町全域」とされていたのである。東洋町民は当時政府やNUMOが文献調査だけで終わるなどという甘い考えを受け入れるものは誰もいなかっただけだ。

高知新聞のこのような一方的な記事は何の目的があるのだろうか。

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