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2014年12月30日 (火)

我々の時代的反省

News & Letters/390

私は、物ごころついた高校生(大阪)自分から一貫して機械文明に親しめなかった。
高校生の時の愛読書は、国木田独歩の「武蔵野」と高山樗牛の「滝口入道」であり、
平家物語を朗読し、北原白秋、藤村、啄木の詩文を耽読し暗誦していた。

したがって、現世の騒々しい機械文明や消費社会に嫌悪感を抱いていたのである。
先生や親の進める学校を見向きもせず立命館大学の日本史を専攻したのは部落問題もあったが何より懐古趣味的心情からして、必然的であった。
しかし、京都へ来て失望した。

あるとき京都東山のどっかの山に登り京都の町を見て
応仁の乱の折の誰かの和歌を口ずさんで慨嘆したきもあった。

 なれや知る 都は野辺の 夕ひばり 揚がるを見ても 落つる涙は

これは、電車や車やビルがひしめいている京都の惨状を見た私の当時の感懐でもあった。

私は60年安保闘争直後の学生運動に参加し、以後常に反体制の思想と運動のなかで生きてきたが、この反文明的な私の心情を十分満足させる思想に出会うことはなかった。

私はマルクス主義を奉ずる前に、大学入学当時は河合栄次郎に心酔し、「T・Hグリーンの思想体系」など諸著作を一生懸命勉強していた。観念論(理想主義)哲学でないと、世の中を変革しようというパトスを思想的に根拠づけることはできないと考えた。

2回生の秋初期マルクスの論文に「自然主義=人間主義」というものがあり、「へーゲル法哲学批判序説」の熱情的な革命論にふれて河合栄次郎から脱却した。
初期マルクス(ウル・マルクシズム)は、当時歴研などでもてはやされていたエンゲルスの「フォイエルバッハ論」の科学万能主義的唯物(ただもの)論を拒絶するもので、私の革命的心情を根拠づけるものだと考えたのである。

しかし、マルクスは、資本論などで現代文明の現状・資本主義の発展と崩壊については語るが、その後どのような社会を築くのかについては抽象的であり、資本主義もなかなか崩壊し終焉の時が来るようには見えない。

当時私は京都で湯川秀樹氏の核兵器についての講演会に出て、その後の談話会にも出席したが、そのとき博士に対し一人の学生が原発について質問した。博士は即座に「原発も原爆も同じだ」と答えた。私は原爆と原発というのは現代機械文明の最悪の所産であるということを強く感じた。

当時、立命大学のマル学同中核派に所属したが、大学の教授で私たちが尊敬しその著作を学習していた梯明秀先生のある本の中に、原爆や原子力について肯定的な考えが披歴されており、この点だけは納得がいかん、こりゃ問題だと言いあったことがあった。

梯明秀は資本論(西田哲学的「当為的直観」を介在させながら)をもとに、プロレタリア運動の主体性を哲学的に解明した偉大な哲学者であったが、その人でも原子力、その放射能の非人間性が見えなかったのである。日本共産党は当時はもとよりチェルノブイリの原発事故が起こってもなお原子力の平和利用を党是にしていたのであり、多くの左翼的知識人もその傾向を持っていた。

大学4回生の夏、私は長崎の三菱重工第一組合の闘いに参加し、「長船社研」のメンバーに交り込み原水禁世界大会の労組代表団の1員となってこれに参加したことを誇らしく思った。

私は狭山闘争を通じ全国部落研を各地に作っていく中で広島の同志たちから被爆者、被爆2世たちの実態を勉強する機会を得た。原爆の恐ろしさ→放射能の恐ろしさを身近に知ることができた。だが、私は、原発反対闘争に関わる機会を得ることがなかった。

私は、反放射能ということから、原爆と原発に反対する心情的かつ理論的根拠を持っていたが、そのことを表明し運動化することをしなかった。私の当時の立場であれば、これを自分たちの戦線の戦略的スローガンに掲げることができたのにである。

革共同中核派の戦略・戦術で反原発を掲げたものは見当たらないし、その闘争に関わった記録もない。全く無視してきたのである。私らは、原子力発電の実態を知ろうともしなかったのである。原発が続々と建設される70年代に私たちはその恐るべき意義に関心を示さず、何も有効な反抗をしなかったことについて、痛苦の反省をしなければならない。
取り返しのきかない怠慢だったのだ。その怠慢の間に日本列島にはおびただしい原発施設とどうすることもできない使用済み核燃料が積み重ねられてきたのである。

2006年の夏
東洋町の高レベル放射性廃棄物の事件を知り、隠された策謀を暴露することから、私は、遅きに失した私の全的な反原発闘争を開始した。それは私の足もとで起こった事件でもあったが、それで初めて原発の重大さ、戦略的意味を悟った。その悟りは情けなくも、原発の最終段階、使用済み核燃料の始末をめぐるものであって、どうしようもなくなってからの悟りであったのだ。

核廃棄物を導入しようとした当時の東洋町長は共産党系の政治家であった。
3・11以降とは違って、共産党の当時の党是からして、核廃棄物を処理する事業は何も反対する理由はなかった。

さらに3・11の福島の事故を見て、反原発闘争において、同時に青年の時分からの反戦・反文明の私の心情を全面的に発露することになった。
チェルノブイリ、福島の原発事故は科学万能主義の現代文明を根底から問い直すことを求めている。それは18世紀におこったリスボンの大地震と大津波の惨事が、ヨーロッパの中世文明を問いただしたのと同じように。

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