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2014年5月16日 (金)

集団的自衛権

News & Letters/359

集団的自衛権という実態は、アメリカ防衛、アメリカと一体化した戦争遂行権ということだ。
アメリカに追従するために自国の法典を投げ捨てるというのである。
安倍の集団的自衛権についての論議では以下の論点が重要だ。

1、憲法を踏みにじる集団的自衛権は認められない。そもそも自衛のための武装、自衛軍の存在が現行憲法上認められていない。自衛の戦争を認めるものは、結局他国への侵略戦争を認めることになる。

「敵」を挫滅することが最上の自衛だからだ。
自衛権、自衛のための武装、自衛のための戦争を認めた砂川判決も憲法違反であることは言うまでもない。
自衛のための武装を認めるかどうかが第1の関門だ。自衛のための軍備を認めてはならない。

2、これらの個別的、集団的の自衛権という考えの前提は、隣国などを「敵」と想定することから始まる。
「敵」を認定すれば、必然的に戦争の準備をしなければならない。論議はそこから始めなければならない。
中国や朝鮮、ロシアなど近隣諸国は本当に「敵」であるか、その可能性があるのか、について論議せずに、
「敵」の存在を漠然と前提にして自衛の戦争や集団の戦争について論じたり、判断したりするのは、自民党ら反動右翼勢力の罠に入ることを意味する。
「敵」があるのに、それに備えないのかと迫られたら、返答に窮するだろう。
中国やロシア、韓国、北朝鮮も我々の敵ではない。このことを確然と論じなければ、暗々裏にこれら近隣の諸国を敵性国と考えているなら、安倍自民党らとの論争に勝てない。新聞や一部週刊誌が脅威論をでっちあげているにすぎない。
7百年前の蒙古の襲来以外には、日本は近隣諸国から現実的な脅威は受けていない。日本こそが近隣アジアの諸国の脅威であり、実際の侵略者だったのである。

3、最後に領土問題など外交の諸難題を解決するのに戦争という手段は有効であるのか、ということだ。
要するに戦争で外交事件を解決するためには、実際に交戦して戦争に勝たねばならないのである。

戦前の日本は中国や朝鮮で実際それをやってきた。武力で(すなわち他国民を殺戮して)相手国を黙らせ自分のわがままを押し通してきた。そんな蛮行を今の日本が実行できるであろうか。
安倍は、本当に中国や朝鮮と戦争をして勝てると思っているのであろうか。
北朝鮮と戦争をしても、日本の勝利はおぼつかないだろう。
現存の自衛隊に他国領内に入って戦闘活動ができるであろうか。仮に勝ったとしてもそれは「惨勝」であり、日本の被害も甚大であろう。たとえ稼働していない原発であっても、厖大な使用済み核燃料を抱いている。

その原発を狙った攻撃は、北朝鮮のゲリラ部隊ならたやすい作戦であろう。
日本に打撃を与えるのには何も核兵器など高度な武器を使わなくてもいいのである。
現在、軋轢できしむ外交問題は領土問題と慰安婦、南京虐殺問題であろう。
釣魚台や独島等の無人島を確保するために、戦争をおっぱじめ数十万、数百万人の日本人を犠牲にするバカはいない。

日本軍に犠牲となった慰安婦問題や南京虐殺事件は否定できない事実の問題であって、その事実認識をめぐって戦争にまで発展させることはない。朝鮮半島に事変が起こったからと言って日本が軍隊を派遣して戦争に介入する必要性は全くない。

これらを難問だとして軍備を強化したり、米軍と協同作戦を組むということは無用なことである。

今も、将来も、現実に戦争という手段で政治外交問題を解決する必要性は何もない。
かえって日本が仮想敵を作って憲法を捻じ曲げてまで軍備を強化する行為こそが、東アジアに無用な緊張と対立を生むのであって、この行為をこそ最も憎むべきなのである。

戦争の脅威を自ら演出し、その演劇に酔って踊っている狂人たちを、国会議事堂からおっぽりださなくてはならない。

亡国の狂人たちに国政を任せてはならない。

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