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2014年4月23日 (水)

続言葉

News & Letters/354

私は正直に話さねばならない

私は、物心がついた時分中学生や高校生の頃には、自分の村(灘)の言葉を極力避けていた。家族や親せきの間ではおおっぴらに使っていたが、それ以外では灘の言葉は使わなかった。

その言葉は汚くて、卑しいと思っていた。自分が使わないばかりか、人前でその言葉で話しかけられることも恐れた。自分が灘のもんであることがばれるからである。

しかし、大学(立命の日本史学)に入って、古事記や日本書紀など古代中世の書物を見るようになって、灘の言葉にいかに多く古語が残っているか、ということがわかってびっくりした。それは卑しむべきものではなく、尊ぶべきもので、大事にせねばならない言葉だと思うようになったのである。

そして、村から一歩も出たこともなく、「無教養な」と見下していた村人たちを見直した。生い立ちの生活の中の情愛では最も大事にしていたものを、私は卑下していたのであるが、学習によって感性と理性がまともになった。懐かしいが卑しげに思っていた灘の言葉は、懐かしく貴い言葉と思うようになった。そうして、逃げ隠れゆがんでいた私のアイデンティティも筋が通ってきた。

なるだけ「無教養」で、すなわち小中学校にもろくに通ったこともない人で、灘の言葉を使える人を探して、その音声を録音させてもらおうとおもっている。

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